
中津JCの例会は「大韓民国晋州青年会議所公式歓迎会」といった内容。
中津JCと晋州JCは、ことしで姉妹交流32年をかぞえる。
その間、永きにわたり、さまざまな事業を日韓双方の国で共同開催してきた。
僕の理事長時代の2003年度は、姉妹交流30周年の節目の年にあたり、
打ち合わせやらなんやらで年5回も訪韓し、いろいろな思い出ができた。
それで、きょうのブログは、僕が理事長時代にかいてたコラム
『中津JCのかたち』の「#06 晋州JC」(Update:2003.2.27)を紹介します。
中津JCのかたち 「#06 晋州JC」 (2003/02/27)


このような歴史的背景の都市だから、1900年代初頭からの理不尽な韓国併合(韓国では国権強奪とよぶ)や、戦後の李承晩(イ・スンマン)大統領の排日政策と相まって、以前は抗日感情が強い地域であったらしい。晋州市のお祭りで、日本武者風の鎧を着せた人形を馬で曳かせ、見物人がその鎧武者人形に石を投げつけるといったものも過去にはあったそうである。もちろん、現在は親日的な穏やかな学園文化都市で、北海道北見市と姉妹都市になったり、島根県松江市や愛知県豊橋市との青少年スポーツ・文化交流も盛んにおこなわれたりしている。
一方、中津JCと晋州JCの姉妹交流の歴史に目を移せば、その歴史は古く、そして燦々と輝きつづけている。知ってのとおり、1973年(昭和48)に姉妹締結の調印をし、今年で交流30周年を迎える。九州の多くのLOMが、隣国である韓国のLOMと姉妹交流をしている。しかし、多くの姉妹JCは、数年に1度行き来をするだけだとか、交流といっても、メンバー同士が盃を交わす程度の交流がほとんどのようである。中津JCと晋州JCのように、毎年の交流はもちろん、お互いの地域を巻き込んだ事業を展開してきた姉妹JCは希有なケースである。とくに、1991~1995年度に実施された「中津国際交流青少年使節団」事業は、多くの両国中学生に国際交流の機会をあたえた。また、私たちの姉妹交流がきっかけで、サッカーU15韓国代表の選手が2名、柳ヶ浦高校に4月からサッカー留学することになっている。日韓の近代史や現代史を考えると隔世の感があり、韓国、または晋州の人びとの心の広さに感謝せずにはいられない。

以上、姉妹交流30周年と6月の訪韓にあたり、若いメンバーのために簡潔に書いた。
沢かにを見ただけで食事を済ませる両班の話です。親善交流の発展を祈ります