SIDEWALK TALK

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不要不急の集まり

2020-02-26 10:02:02 | まち歩き
pandemic連日、新型コロナウイルスの報道がかまびすしい。
生命に関わることだから、
ある程度は致し方ないとしても、
僕的には世間の反応は過剰に思える。


そんな騒ぎのさなか、
政府がいうところの「不要不急の集まり」に、
僕はのこのこと出かけてきた。
名古屋から先輩、神戸から後輩が、
満員の新幹線に乗って、遊びにきてくれたのだ。


オッサン3人が集まってすることといえば、
ダラダラ飲みに決まってる。
土日の2日間、真っ昼間から深更まで、
小倉の街を飲み歩いた。


焼き鳥
鴨鍋
ラウンジ
ジンギスカン
焼きカレー
おでん
馬刺し


思いのほか、街は賑わっていた。
経済よりも生命が大事なことは論を俟たない。
けれど、不必要に怖がる必要はないように思える。
ま、個人個人の判断、自己責任なんだろうけど、
僕は、今週末、また不要不急の集まりに誘われている。

法事法事法事

2020-01-28 10:55:55 | 日記・エッセイ・コラム
Junko Mama過日、母が亡くなった。
1年半ほど前から、低空飛行が続いていたから、
この日がくることはそれなりに覚悟していた。
けど、男子はみんなマザコンだから、
やっぱそれなりにはね・・・


実は、来月、法事を執りおこなうことにしていた。
父も妻も2月に亡くなったので、
父の十七回忌と妻の一周忌を兼ねての法事のつもりだった。
そのダブル法事に、思いがけず、
母の四十九日法要も重なってしまった。


これは僕の邪推なんだけど、
何事にも手回しの早い母だったから、
1度に法事が済むように気配りしてくれたんだろう。


不信心な僕は、正直いうと、法事なんてどうでもいい。
けれど、家長(と勝手に思ってる)の責任として、
できるだけしっかりと務めるつもりだ。
もちろんそれが見せかけであることは、
泉下の父も母も妻も見抜いているにちがいない。

[Alexandros]

2019-12-19 10:24:24 | 音楽
Cloudy Sky最近、年甲斐もなく、[Alexandros]を聴いている。
こないだ Zepp Fukuoka でおこなわれたライヴに、
後輩から誘われ、出かけたのがトリガーになった。


先月、宇都宮を訪れた。
そのとき、幼なじみの女の子が、
大谷資料館という採石場跡を案内してくれた。
そこには想像を絶する幻想的な空間がひろがっていて、
どこか他の惑星に迷い込んだような錯覚さえ感じた。


僕が大谷資料館に感動していると、
彼女が「私が大好きなバンドが、ここでMVを撮影したの」と言った。
そのとき僕は彼女のこの言葉をスルーしてしまったんだけど、
その好きなバンドが[Alexandros]だった。


[Alexandros]について語ることは、僕は初心者すぎて怯みを覚える。
が、あえて言うと、
エルヴィス・コステロ、ポール・ウェラー、ノエル・ギャラガー、
そんな雰囲気も感じられて、オッサンの僕にも取っつきやすい。
現代のBOØWYと言っていいかもしれない。


こんな風に先達と比較するのは、彼らの本意ではないだろう。
素晴らしい才能にあふれたバンドに、
この歳になって巡り逢えたのは、後輩と幼なじみのお陰。
感謝をしつつ、シングルモルト片手に夜を過ごしてる。

いつもの空

2019-11-27 09:30:48 | 日記・エッセイ・コラム
Cloudy Skyきのうは結婚記念日だった。
僕は、天邪鬼だから、
イベント事に浮かれるのが面映ゆく、
記念日とか誕生日、クリスマス等を
疎ましく思っていた節がある。


それでも今年は25年目の節目の年ということもあって、
彼女になにか特別なことをしようともくろんでいた。
「瓦礫の中のシルバーリング」と名づけて、
ひとり悦に入って、戦略を練っていた。
けれど、実行は叶わなかった。


銀婚式の朝は曇り空。
いつものこの街の空。
僕は「平気さ」と独りごちて、
秋の空を見上げながら、
日課である朝の散歩に出かけた。


やがてこの街に冬が訪れる。
彼女がいなくても・・・

逢瀬の約束

2019-11-15 14:34:59 | 旅行
Magical Mystery Tour少し前、4日間ほど、旅をしてきた。
旅の2日目の夜、
大学時代の友人たちと飲む約束があった。
旧友たちとの再会を楽しみにしてたんだけど、
キャンセルが相次ぎ、
結局、その夜、
集まれたのは僕と元カノの二人だけだった。


食事場所は、虎ノ門の焼鳥屋さんだった。
食事を楽しんだ後、
虎ノ門ヒルズのルーフトップバーに彼女を誘った。
過去の恩讐を越え、ふたり盃を交わし合った。


ところで、僕の予定表には、
当初、この夜の予定は「大学飲み会」としてあった。
ところが彼女と二人っきりと決まった後、
タイトルを「逢瀬の約束」に変更した。
僕のときめきとは裏腹に、
彼女はあいかわらず毒舌で素っ気なかった。

再び路上で

2019-10-25 10:30:25 | 映画
ON THE ROAD1951年4月。
長い旅を終えたばかりの29歳の作家、
ジャック・ケルアックはNYCのアパートにいた。
そして旅路で綴り続けた
手垢と土埃にまみれたメモとしばらく向き合った後、
凄まじい勢いでタイプしはじめた。


紙をいちいち取り替えるのが面倒なので、
テープでつないだ。
そうして3週間後にできあがったのは、
12万語にも及ぶ自分と友人たちの物語。
改行が一切なく、
まるで太いサラミのような巻物になった。


2012年5月。
ブラジル人映画監督、ウォルター・サレスは、
この『路上』を原作とする映画を発表した。
映画『ON THE ROAD』は後にWOWOWで放送され、
僕は自宅でこの映画をみた。


名作・・・
とりわけ自分が思い入れのある小説の映画化作品をみることは、
危険度が高いと思う。
ろくなことになってないのが通常だからだ。
この作品もその範疇のデキだったけど、
多感なころ僕が読んだときに感じた感想と
別趣の解釈が新鮮だった。


とはいえ、原作も真っ白な状態で読んだわけじゃない。
十代のころ、読む前に、僕はすでに
ディランにもアレン・ギンズバーグにもムーンライダーズにも
そして佐野元春にも触れていた。


いや、むしろ彼らのルーツを探し求めて、
後追いで遡上してこの本を読んだ。
そういう意味では、
ある程度ビートニクについて免疫ができていたし、
偏った色眼鏡で読んでいたかもしれない。


映画『ON THE ROAD』は、
頽廃のロードムービーともいえるし、
転がる石の映画ともいえる。
何にしろ、多感なころにこの小説に出逢えたことは、
大げさにいえば、
僕の人生における僥倖のひとつだと今さらながら再認識した。

『或る秋の日』を聴いて

2019-10-16 10:05:18 | 佐野元春
A Long Time佐野作品はつねづね名匠の境域を感じさせる。
『或る秋の日』にも、華やぎと情趣があって、
重心にゆらぎがなく、
しかも細部にまで心配りがゆきとどいている。


会話の感じがいい。
日本語ロック(死語?)の歴史がふまえられていて、
しかも晦渋せず、
一語も耳になじまないということがない。


佐野元春は、いまの世にいる。
だから、その個性はなまなかには理解されにくい。


自由でありすぎ、平等でありすぎ、
しかも世間には迷惑のかからぬようにして、
自分を架空の部屋に閉じこめている。
みずから檻に入った獅子のようなものである。


しかも野を駆ける夢を
自分で禁じているように見ようとはせず、
また夢死はしないものの、
酔生をよろこんでいる。


どうも、こんな境地は努力して得られたものじゃなく、
単に佐野さんの性分にちがいない。
僕は、佐野元春というミュージシャンを同時代に得たことに、
誰彼なしに感謝をしたい。

ひさしぶりに僕は泣いたんだ

2019-09-22 16:34:13 | 日記・エッセイ・コラム
She's my Jasmine Girlこの3連休、
気が置けない友だちと登山するつもりだった。
けれど、台風襲来で断念。
仕方なく、
いつもの潜水生活を決め込むことにした。


今朝、コンビニ帰りにポストをのぞくと、
なにやら小包が届いていた。
送り主を確かめると、ジャスミンガールからだった。


封を開けると、中には、
目黒寿安のCD、とあるキーホルダー、そして手紙。
望外のことで、胸のあたりがきしんだ音をたてた。


目黒寿安というミュージシャンは知らなかったんだけど、
彼女によると、ディランの影響を大きく受けているらしい。
なるほど、初期のディランのフォークを基調としながらも、
オルタナティヴなコンテンポラリー音楽が心地いい。
そして、ジャジーな要素も感じられた。


キーホルダーは、彼女と僕が好きな、
というより盲信してるアーティストのツアーグッズ。
これは、理屈抜きにうれしい。


とりわけ一番うれしかったのは、彼女の自筆の手紙だった。
僕は慈悲を待っていたのか?
B5サイズほどの便箋にびっしりと書き込まれた文字を、
僕はできるだけ平静を装って、ゆっくりと読みすすんだ。


She’s my Jasmine Girl
彼女が言うには、事実そうなんだけど、
僕らは人生で一度しか会ったことがない。
僕は彼女に「再会楽」とメッセージした。

時計じかけのオレンジ

2019-09-10 11:42:09 | 日記・エッセイ・コラム
GWR-B1000-1A1JF僕には、若いころから、腕時計をする習慣がない。
アクセサリーの類いを身につけるのは嫌いだし、
「わが国にはどこに行っても時計くらいある」
と、嘯いていた。


それでも、常に1本くらいは所有していた。
海外に渡航するときや、
出張のときなどは身につけていた。
そのうち携帯電話をもつようになって、
ますます腕時計が縁遠いものになった。


これまで使っていたのは、14年ほど前、
JC卒業の際に先輩が贈ってくれたG-SHOCK。
ガンダムタイプのモデルで、気に入っていた。
その一張羅が、その頑丈なはずのG-SHOCKの
ガンダリウム合金の一部が知らないうちに剥がれ落ち、
サイコフレームがむき出しになってしまった。
(わかるやつだけわかればいい)


それで、四半世紀ぶりに腕時計を買うことにした。
普段しないといっても、1本ももってないのは便利が悪い。
時計に興味がないから、好きなブランドも欲しい時計もない。
でも、もういい歳だから、あんまショボいのもね。


スーツはほとんど着ないし、スーツのときは時計をしないから、
カジュアルなG-SHOCK(GWR-B1000-1A1JF)にしてみた。
頑丈で、電池交換が不要で、時刻合わせも自動。
つまり手がかからなくてお値打ちってのが、選んだ理由。


前述したように、
最後に自分で腕時計を買ったのは20代半ばだったかな?
先のことはわからないけど、
この時計、「終の棲家」ならぬ「終の時計」なると思う。

地産地消

2019-09-03 15:09:09 | 本と雑誌
Amazonia最近、「地産地消」というワードを
あまり聞かなくなった気がする。
たまたま僕の耳に入ってこないのか?
一過性のブームだったのか?
そこんとこは、よくわかんない。


「地産地消」というと、
農産物の消費が真っ先に思い浮かぶんだけど、
地域のリアル店舗での買いものも含むべきものらしい。
つまり、ネットショップは御法度ということだ。


以前、地元の商工会議所会頭から、そのことを諭された。
もっぱらAmazonで買いものしてる僕には、耳が痛い。
しかもAmazonは、日本で納税していないしね。
ますます肩身が狭い。


今年に入ってAmazonにぶっ込んだ額、197,240円。
会頭に知れたらと思うと、空恐ろしい。
そう思いながら、
今日も944円のKindle書籍をポチってしまった。