ジャデリンは顔の赤くなった郡将達を一度覗くと、目の前のカカツに質問した。
「ご老体。我らの征伐は上手くいくのかを占って欲しい。良くも悪くも座興であるから、占いの通りに申せ」
「ははっ」
ジャラ…
ジャラ…
カカツは目を閉じて、麻袋の中に入った何百個の賽(さい)の中に手を入れると、その中をかき回し、スッと袋から三つの賽を取り上げた。目を開くとカカツは、表が白く、裏が黒い賽に書かれた文字を読み、少し考える。
「どうだ?我らの道筋は」
待ちきれず、ジャデリンが聞く。
すると、カカツは落ち着いた口調で、淡々と語り始めた。
「賽によりますと、天賽(てんさい)は全て表(おもて)を表しており、それに刻まれた字は『攻』、『易』、『苦』、と出ました。天賽の表は、合戦において勝利を意味し、これは既に頂天教軍の勢いが無く、官軍の意気が凄まじく、今は攻めることが容易いということでありましょう。ただ攻めた後に苦難が待ち受けている可能性があります。十分注意をなされますよう」
「ほう…今は攻めるに易し…だが攻めた後に苦難ありか。ふうむ、我々にかかるその苦難がどのようなものであるか、わからぬものか?カカツよ」
ジャラ…
ジャラ…
ジャデリンに質問されたカカツは、それに何も答えず、再び麻袋に手をいれ、眼を閉じ、ジャラジャラと音が出るようにかき回すと、中からまた、スッと一つ賽を取り出した。
そして、カカツは言った。
「天賽、裏に『渇』と出ました。苦難は渇きにありということです」
「渇きとは?」
「天候が良すぎるということでしょう。これから攻め入れば、おそらく時期は真夏。猛暑を迎え日照りに悩まされれば、軍馬、兵が飲む水の取得が難しいと思われます」
「ふうむ」
「それにこれから行かれる場所は、水源の多き黄州を超え、阪(バン)州でございます。内陸の中でも、特に良き水が少なく、河川も小さい阪州では、水の取得は難しいということでしょうな」
「なるほど、兵馬を養うにも水が無くては行軍も出来ないということか」
「さようにご推察いただければ良いかと」
「うむ!よき助言であった。早速軍儀を重ねて考慮いたそう」
「もったいなき、お言葉でございます」
ジャデリンは満足気にカカツを褒め称えた。
目の前で偉ぶることもなく、郡将達を前に頭を下げるカカツに、ジャデリンは、もう一つ質問した。
「カカツよ、太守からの紹介で聞いたが、おぬしは人物眼を持っているというそうだな」
「ははっ、自慢ではありませぬが、この目に適って、都の大役人になった者、一群の太守になった者、将軍となった者、その数、数十名は数えるものかと」
「おお。では、この郡将の中で誰か輝きのあるものはおるか、全員を見てくれぬか?」
「はっ、この老体の曇った眼でよければ…」
そういうとカカツは主席から順々に回り始めた。
郡将達は、自分の行く末、命運、どれくらい出世できるのか興味津々で、他人の席にカカツがつくと、体は無意識に隣の席に乗り出し、それまで騒いでいた口は静まり、誰もが聞き耳を立てていた。
郡将達がそれぞれ評される中、ついにミレム達三勇士の前にもカカツが訪れた。
しかしミレムは、まだまだ酔い足りないらしく、他の者と違って永遠と酒を煽り、顔を真っ赤にしながらカカツを迎えた。
「おやおやこちらの方は顔を真っ赤にして盛んじゃな。どれ、先にそこの強そうな武者殿の顔を見せてもらおうか」
「おう、それがしの顔に何かついておるか、たっぷり見てくだされ!」
カカツは、スワトの顔を見た。
「ほう…そなたは、世に名だたる豪傑の気格がありますな。忠義に厚く、正義に燃え、おそらく世に逸材と呼ばれるほどの器じゃ。しかし融通と冷静さ、それに世を渡る気質が無い。何事も真正直すぎる。少し世渡りの気質を持てば、まさに鬼に金棒なのだがのう…」
「はっはっは!真正直に勝る者なし。それがしは、それで十分でござるよ」
スワトはカカツの言葉に思わず笑みをこぼした。
そして、スワトの笑いを遮るようにポウロがカカツに言う。
「よかったな豪傑殿。ふ、ふふん。では私、ポウロも占ってもらおうか」
ポウロは自分の行く末が、気になってしょうがなかった。
三勇士の中でも、胸に抱く野望で言えば、おそらく一番と言える彼の心中は、出世の二文字に心躍っていた。
カカツは、絞まらないニヤけ顔を浮かべるポウロを見て言った。
「ふむ…。そなたは器用で、世渡り上手。人を愛し、傷付けることも知っておる。それに知恵もある。一度世に出れば、きっと民衆に愛される、一流の政治家になろう」
「ふふふ、そうかそうか。政治家。ふふふ…」
収まらないニヤけ顔を露にするポウロ。
だが水を差すように、カカツが続けて言う。
「じゃが、迷いの出る相じゃ。人の評判を気にし、自分の野望の余り、判断を誤り、失敗をすることも多いじゃろう。一刀に決断をするべき者が近くにおらねば、まったく役に立たぬかもしれん」
「な、なんですと」
「しかし、奇遇じゃ。先ほどの豪傑殿には無いものが殆どあるのというのは、天の思し召しか。まさにこれ幸いじゃな」
「ふ、ふうむ」
喜ぶスワト、少し苛立つポウロの二人を評したカカツは、ついに顔を真っ赤にしたミレムの前に出た。
「しかし、真っ赤な顔をしておるのう。まるで秋の夕焼け空じゃ」
「じぃーさぁんこそぉ、俺にはぁ赤く見えるぞぉーふぇふぇ~っ」
「な、なんたる酒臭さ。お主いったい幾つ酒を煽ったのじゃ」
「酒ぇ?十杯ぃから先は、覚(おも)えぇるぅのが面倒になってのほほほほ…ヒック!」
人相を見てはいるが、もはや酔いに酔ったミレムは、カカツにとって評するに値しないほどの悪態であった。凄まじい酒気漂う息を放ちながら、ろれつが回らないミレムに、カカツは内心呆れていたが、これも一興と思い顔の隅々を見た。
「こ…!これは…!」
ドサッ!
その時であった。
人相を見終わったカカツが驚きの余り、その場で尻餅をつき、前に居るミレムを指差す。
ミレムは指をさされ、こう答えた。
「ぅうん?なぁんだぁーじいさん?俺の顔に何かつぅいてぇるかあー?」
指した指を震わせながらカカツは、場内に聞こえるほどの大声で、言い放った。
「こ、この相!赤く染まってはいるが、とんでもない大器じゃ!今は凡才でも、時が経ては名だたる将達を抱え、天下を救う英雄の相じゃ!天下を号する鳳(おおとり)の翼を持ち、天上から見下ろす龍、そのもの!このような名相に出会ったのは、う、生まれて初めてじゃ!」
カカツの声にざわめく場内。
だが、ミレムは慌てることもなく、ケタケタと笑いに満ちた顔と、手足をバタバタと子どものように動かして、一杯の酒を飲み干すと、こう言った。
「へっへぇ、美酒を煽りながら、褒め言葉を肴(さかな)にするのも悪くないけどなぁ。そんなに褒められちゃ、俺の顔がもっと真っ赤になっちまうよ…グビグビ…プハァー!」
ザワザワ…
ザワザワ…
酒気に帯びたミレムの息を喰らったカカツは、場内のざわめきの具合に、動じることもなく、ただ真顔でミレムの顔を見続けていた。カカツの背筋には一筋、二筋と汗が流れ、眼は見開き、口は開け放たれ、体は震えを止めることが出来なかった。
「カカツ殿!こちらの相も頼もうか!」
静まらないざわめきの中、動かないカカツを呼ぶ声が、末席から聞こえる。
その声に、平静を取り戻したカカツは、再び次席へと人物評を始めだした。
「やはり我らの明主は英雄でござったな。それがしも鼻が高いでござるよ」
「いやいや、所詮は人物評。誰もがそうなるとは思いませんがね!」
「ふわーっはっはーっ、愉快愉快。いやー酒は楽しいのう」
明主の評価に満足気なスワト、自分が認められないことに嫉妬するポウロ、ただ目の前の酒を飲みながら宴を楽しむミレム。互いに酒を煽り始めた三勇士の心の中には、少なからずカカツの評が、進んできた自分たちの背を押すような気がした。
ザワザワ…
ザワザワ…
ドタッ!
群将達のざわめきの中、再び尻餅の音がする。
「ひ、ひええ…!」
カカツは、末席の文官の手前に鎮座していた一人の武将の前で、再び全身を震わせ、武将の前で、ミレムの時と同じように背筋に汗を流して、大声で言い放った。
「わ、わしは、幻をみているのか!そ、そなたも、まごう事無き英雄の相じゃ!情に流されない判断力と統治の才を持ち、意思は天を思うままに操るほど強く、戦の将才、政の智謀、処世の術、得てして全て余りある者じゃ!おお…世に龍の相…英雄が二人もおるとは…しかもこちらは、天下を飲まんとする気風さえあるではないか!」
武将に指を指しながら、その場に倒れ込むカカツ。
末席の近くに居た武将は、震えるカカツを見て立ち上がり、言葉を軽んじるでもなく、重んじるでもなく、表情を緩ませず、郡将達が見守る中、堂々とこう言った。
「郡将達の気分を害すのも悪いとは思うが、あえて率直に言わせて貰う。この老人の評など、当てにならんぞ。英雄たるものは、顔や、骨格、体の相で良し悪しに決めるにあらず。名実と義、才略と人あって始めて英雄となりえるのだ」
ガタッ
強張りの解けない武将が、杯を机に置くと、室内の出口扉へと向かう。
すると御付の武将達も同じく立ち上がり、杯を机に置き、宴の場を後にする。
赤い礼服を身に纏った武将は、扉の前で郡将達に聞こえるように、こう言った。
「しかるべき英雄は、誰かに言われて成るのではない。英雄なりえる時、すでに成っているのだ。それもわからぬ愚かな者たちの宴に付き合うほど、私は暇ではない」
ザッザッザッザッ…
ざわめきと喧騒が酒宴を包む中。
赤い礼服の武将は扉を開けると、そのまま御付きの将を連れて、城内の外へと消えていった。
残された郡将達は、口々に消えた将の悪口を並べ立て始めた。
やれ無礼だとか、やれ無作法だとか、先ほどまで酒を煽り、笑いを浮かべて悪態をついていた郡将達とは思えないほど、酒の席は冷え切っていた。
主席のジャデリンは、この様子に腹を立てていた。
楽しむべき酒宴を邪魔され、一気に喧騒の場所へと変わった場内を見て、眉は震え、口は苦々しく、その苛立ちを露にしていた。
そして、一滴とて飲まなかった杯を、グイッと唇に寄せて飲み干すと、近くの部下に聞いた。
「おい、あの無礼な将は誰だ?我が南部方面の将では無いようだが?」
「あ、あれは北方官軍別働隊の主将で…たしか関州は京東郡の太守キレツ様の息子、キレイ将軍にございます」
「若かりし過ちとはいえ、楽しむべき宴で、なんと不遜な態度だ!諸侯の酒が不味くなるではないか。これ楽隊、演奏を始めよ。場の空気を外へと飛ばすのじゃ!」
沸々と沸きあがる心の中の怒りが、声となってジャデリンの口から出る。
さめた空気に包まれた酒宴は、ジャデリンの指図に従って、再びにぎやかな楽隊の演奏が始められた。
ザワザワ…
ザワザワ…
郡将達は、互いに杯を酌み交わしながら、脳裏には、あの強烈なキレイの言葉と態度が鮮明に焼きついていて、誰一人として思うように盛り上がれなかった。
スワトとポウロも、キレイの話を避けて、楽しむべき宴の場を盛り上げようとしたが、宴は尻すぼみのまま閉会し、郡将達は眠りについた。
そして官軍の中、誰一人としてキレイの事を良く思う者は居なかった。
ただ一人。
酒に溺れて眠り眼(まなこ)であったミレムを除いて。
― 根島城城外 草原 ―
ドッドッドッドッ!
すっかりの深い夜を迎えた根島城の城外の草原。
その中にあって、手綱を握り、馬の腹を蹴立てて走る騎馬が二つ。
深い緑を葉に宿した草を、空へと巻き上げながら、場違いな騒々しさを含んだ馬蹄の音が、闇の帳の中を、ただ陸伝いに反響させてゆく。
「くだらん。実にくだらん宴の席だ」
馬上の先、赤い肩掛けをたなびかせ、赤い甲冑を着こんだ武者が一人。
それは、宴の席で雄々しくも礼を欠いて中座したキレイであった。
走らせていた馬を一旦止めると、後ろから付いて来た御付きの武将が、声をかける。
「若。祝いの席であれはいけませぬ。あれでは官軍の将達に恨みを買いますぞ」
「ふん、いらぬ世話だオウセイ。小物の愚将達に恨みを買おうが、こんな小さな勝利の宴などには付き合ってられぬわ。どうせその内、帝に代わって全て私が平らげる」
「若、そのような事を申されては、忠義に厚いお父上のキレツ様が嘆かれますぞ。せっかくお父上が帝へ上奏して兵糧と兵を下さったというのに」
「オウセイ、貴様はわかっているだろう。私にとって、この合戦は機会に過ぎん。たまたま頂天教という邪魔な石ころが、信帝国という道端を邪魔しているだけのこと。私は石ころを利用して、この広い大陸の隅々に名を広めるだけのこと」
「…」
御付きの武将、オウセイは恐るべきキレイの野心の大きさに何も言い返せなかった。
そして、キレイは口調滑らかに闇夜の空へ向かって堂々と言う。
「ふっ、それにしても、一度石ころをどかしたからと言って、宴で緊張感を解くとは、噂に聞いた指揮官のジャデリンという男も、たいした奴ではないな」
「若!」
「そう怒るなオウセイ。このキレイが喜ぶ時は、天下が揺るぐような大勝利があった時だけだ。千の兵で万の敵と戦う術を知っている者が、たかだか一州をとったくらいで浮かれてはならんのだ」
「このような事が知れたら、キレツ様にどやされますぞ」
「ふん。慣れておる。だが、お目付け役がオウセイ、お前とはな」
「何を…?」
「知らばっくれるな。むしろ私は喜んでいるのだ。オウセイ、お前が父上に言われて、私につき従ってくれているということをな」
オウセイは、いわゆるこの野心溢れるキレイのお目付け役として、郡の名だたる文武百官の中から選ばれた武将の一人であった。だが、オウセイはキレイの心許せる数少ない股肱の将の一人であり、またキレイにとっては幼馴染の親友でもあった。
心から臣従を誓っていたオウセイは、傲慢で礼を欠いたキレイに向けて、釘を挿すようにこう言った。
「今回の一件、拙者の心の中に止めておきましょう。お父上には黙っておきます。ですが…若、その傲慢さを直しませんと、いざ天下に躍り出る時、他の臣がついてきませんぞ」
キレイは、聞こえたオウセイの言葉と眼差しを背中で受け止めつつ、再び馬の手綱に手をかけて、見果てぬ草原の先へ向かって、大声で言い放った。
「傲慢か!それが天下の足がかりに邪魔なら、このキレイとて我慢をすべき時もあろう!だがなオウセイ、俺はあの老人が言ったように天下の英雄止まりで終わる男ではない。『龍』そのものとなって時代の波を操り、幾百幾千の英雄たちを従え、この天下を龍の下に支配するのだ!ハーッハッハッ!!!!」
ドドドドドドッ…
長い草原を駆ける二つの騎馬が、強く草を踏み
野望の武将、キレイの高らかな笑い声が、降りる闇の隅々に響き渡った。
赤い肩掛けを翻し、天下をつけ狙う龍が、ここにまた一人。
キレイの野心は、乱世を迎える時代を駆け抜けることができるのであろうか。
初夏訪れ、ざわめく風も出ない闇夜には、激しく唸る馬蹄の音だけが響いていた。
「ご老体。我らの征伐は上手くいくのかを占って欲しい。良くも悪くも座興であるから、占いの通りに申せ」
「ははっ」
ジャラ…
ジャラ…
カカツは目を閉じて、麻袋の中に入った何百個の賽(さい)の中に手を入れると、その中をかき回し、スッと袋から三つの賽を取り上げた。目を開くとカカツは、表が白く、裏が黒い賽に書かれた文字を読み、少し考える。
「どうだ?我らの道筋は」
待ちきれず、ジャデリンが聞く。
すると、カカツは落ち着いた口調で、淡々と語り始めた。
「賽によりますと、天賽(てんさい)は全て表(おもて)を表しており、それに刻まれた字は『攻』、『易』、『苦』、と出ました。天賽の表は、合戦において勝利を意味し、これは既に頂天教軍の勢いが無く、官軍の意気が凄まじく、今は攻めることが容易いということでありましょう。ただ攻めた後に苦難が待ち受けている可能性があります。十分注意をなされますよう」
「ほう…今は攻めるに易し…だが攻めた後に苦難ありか。ふうむ、我々にかかるその苦難がどのようなものであるか、わからぬものか?カカツよ」
ジャラ…
ジャラ…
ジャデリンに質問されたカカツは、それに何も答えず、再び麻袋に手をいれ、眼を閉じ、ジャラジャラと音が出るようにかき回すと、中からまた、スッと一つ賽を取り出した。
そして、カカツは言った。
「天賽、裏に『渇』と出ました。苦難は渇きにありということです」
「渇きとは?」
「天候が良すぎるということでしょう。これから攻め入れば、おそらく時期は真夏。猛暑を迎え日照りに悩まされれば、軍馬、兵が飲む水の取得が難しいと思われます」
「ふうむ」
「それにこれから行かれる場所は、水源の多き黄州を超え、阪(バン)州でございます。内陸の中でも、特に良き水が少なく、河川も小さい阪州では、水の取得は難しいということでしょうな」
「なるほど、兵馬を養うにも水が無くては行軍も出来ないということか」
「さようにご推察いただければ良いかと」
「うむ!よき助言であった。早速軍儀を重ねて考慮いたそう」
「もったいなき、お言葉でございます」
ジャデリンは満足気にカカツを褒め称えた。
目の前で偉ぶることもなく、郡将達を前に頭を下げるカカツに、ジャデリンは、もう一つ質問した。
「カカツよ、太守からの紹介で聞いたが、おぬしは人物眼を持っているというそうだな」
「ははっ、自慢ではありませぬが、この目に適って、都の大役人になった者、一群の太守になった者、将軍となった者、その数、数十名は数えるものかと」
「おお。では、この郡将の中で誰か輝きのあるものはおるか、全員を見てくれぬか?」
「はっ、この老体の曇った眼でよければ…」
そういうとカカツは主席から順々に回り始めた。
郡将達は、自分の行く末、命運、どれくらい出世できるのか興味津々で、他人の席にカカツがつくと、体は無意識に隣の席に乗り出し、それまで騒いでいた口は静まり、誰もが聞き耳を立てていた。
郡将達がそれぞれ評される中、ついにミレム達三勇士の前にもカカツが訪れた。
しかしミレムは、まだまだ酔い足りないらしく、他の者と違って永遠と酒を煽り、顔を真っ赤にしながらカカツを迎えた。
「おやおやこちらの方は顔を真っ赤にして盛んじゃな。どれ、先にそこの強そうな武者殿の顔を見せてもらおうか」
「おう、それがしの顔に何かついておるか、たっぷり見てくだされ!」
カカツは、スワトの顔を見た。
「ほう…そなたは、世に名だたる豪傑の気格がありますな。忠義に厚く、正義に燃え、おそらく世に逸材と呼ばれるほどの器じゃ。しかし融通と冷静さ、それに世を渡る気質が無い。何事も真正直すぎる。少し世渡りの気質を持てば、まさに鬼に金棒なのだがのう…」
「はっはっは!真正直に勝る者なし。それがしは、それで十分でござるよ」
スワトはカカツの言葉に思わず笑みをこぼした。
そして、スワトの笑いを遮るようにポウロがカカツに言う。
「よかったな豪傑殿。ふ、ふふん。では私、ポウロも占ってもらおうか」
ポウロは自分の行く末が、気になってしょうがなかった。
三勇士の中でも、胸に抱く野望で言えば、おそらく一番と言える彼の心中は、出世の二文字に心躍っていた。
カカツは、絞まらないニヤけ顔を浮かべるポウロを見て言った。
「ふむ…。そなたは器用で、世渡り上手。人を愛し、傷付けることも知っておる。それに知恵もある。一度世に出れば、きっと民衆に愛される、一流の政治家になろう」
「ふふふ、そうかそうか。政治家。ふふふ…」
収まらないニヤけ顔を露にするポウロ。
だが水を差すように、カカツが続けて言う。
「じゃが、迷いの出る相じゃ。人の評判を気にし、自分の野望の余り、判断を誤り、失敗をすることも多いじゃろう。一刀に決断をするべき者が近くにおらねば、まったく役に立たぬかもしれん」
「な、なんですと」
「しかし、奇遇じゃ。先ほどの豪傑殿には無いものが殆どあるのというのは、天の思し召しか。まさにこれ幸いじゃな」
「ふ、ふうむ」
喜ぶスワト、少し苛立つポウロの二人を評したカカツは、ついに顔を真っ赤にしたミレムの前に出た。
「しかし、真っ赤な顔をしておるのう。まるで秋の夕焼け空じゃ」
「じぃーさぁんこそぉ、俺にはぁ赤く見えるぞぉーふぇふぇ~っ」
「な、なんたる酒臭さ。お主いったい幾つ酒を煽ったのじゃ」
「酒ぇ?十杯ぃから先は、覚(おも)えぇるぅのが面倒になってのほほほほ…ヒック!」
人相を見てはいるが、もはや酔いに酔ったミレムは、カカツにとって評するに値しないほどの悪態であった。凄まじい酒気漂う息を放ちながら、ろれつが回らないミレムに、カカツは内心呆れていたが、これも一興と思い顔の隅々を見た。
「こ…!これは…!」
ドサッ!
その時であった。
人相を見終わったカカツが驚きの余り、その場で尻餅をつき、前に居るミレムを指差す。
ミレムは指をさされ、こう答えた。
「ぅうん?なぁんだぁーじいさん?俺の顔に何かつぅいてぇるかあー?」
指した指を震わせながらカカツは、場内に聞こえるほどの大声で、言い放った。
「こ、この相!赤く染まってはいるが、とんでもない大器じゃ!今は凡才でも、時が経ては名だたる将達を抱え、天下を救う英雄の相じゃ!天下を号する鳳(おおとり)の翼を持ち、天上から見下ろす龍、そのもの!このような名相に出会ったのは、う、生まれて初めてじゃ!」
カカツの声にざわめく場内。
だが、ミレムは慌てることもなく、ケタケタと笑いに満ちた顔と、手足をバタバタと子どものように動かして、一杯の酒を飲み干すと、こう言った。
「へっへぇ、美酒を煽りながら、褒め言葉を肴(さかな)にするのも悪くないけどなぁ。そんなに褒められちゃ、俺の顔がもっと真っ赤になっちまうよ…グビグビ…プハァー!」
ザワザワ…
ザワザワ…
酒気に帯びたミレムの息を喰らったカカツは、場内のざわめきの具合に、動じることもなく、ただ真顔でミレムの顔を見続けていた。カカツの背筋には一筋、二筋と汗が流れ、眼は見開き、口は開け放たれ、体は震えを止めることが出来なかった。
「カカツ殿!こちらの相も頼もうか!」
静まらないざわめきの中、動かないカカツを呼ぶ声が、末席から聞こえる。
その声に、平静を取り戻したカカツは、再び次席へと人物評を始めだした。
「やはり我らの明主は英雄でござったな。それがしも鼻が高いでござるよ」
「いやいや、所詮は人物評。誰もがそうなるとは思いませんがね!」
「ふわーっはっはーっ、愉快愉快。いやー酒は楽しいのう」
明主の評価に満足気なスワト、自分が認められないことに嫉妬するポウロ、ただ目の前の酒を飲みながら宴を楽しむミレム。互いに酒を煽り始めた三勇士の心の中には、少なからずカカツの評が、進んできた自分たちの背を押すような気がした。
ザワザワ…
ザワザワ…
ドタッ!
群将達のざわめきの中、再び尻餅の音がする。
「ひ、ひええ…!」
カカツは、末席の文官の手前に鎮座していた一人の武将の前で、再び全身を震わせ、武将の前で、ミレムの時と同じように背筋に汗を流して、大声で言い放った。
「わ、わしは、幻をみているのか!そ、そなたも、まごう事無き英雄の相じゃ!情に流されない判断力と統治の才を持ち、意思は天を思うままに操るほど強く、戦の将才、政の智謀、処世の術、得てして全て余りある者じゃ!おお…世に龍の相…英雄が二人もおるとは…しかもこちらは、天下を飲まんとする気風さえあるではないか!」
武将に指を指しながら、その場に倒れ込むカカツ。
末席の近くに居た武将は、震えるカカツを見て立ち上がり、言葉を軽んじるでもなく、重んじるでもなく、表情を緩ませず、郡将達が見守る中、堂々とこう言った。
「郡将達の気分を害すのも悪いとは思うが、あえて率直に言わせて貰う。この老人の評など、当てにならんぞ。英雄たるものは、顔や、骨格、体の相で良し悪しに決めるにあらず。名実と義、才略と人あって始めて英雄となりえるのだ」
ガタッ
強張りの解けない武将が、杯を机に置くと、室内の出口扉へと向かう。
すると御付の武将達も同じく立ち上がり、杯を机に置き、宴の場を後にする。
赤い礼服を身に纏った武将は、扉の前で郡将達に聞こえるように、こう言った。
「しかるべき英雄は、誰かに言われて成るのではない。英雄なりえる時、すでに成っているのだ。それもわからぬ愚かな者たちの宴に付き合うほど、私は暇ではない」
ザッザッザッザッ…
ざわめきと喧騒が酒宴を包む中。
赤い礼服の武将は扉を開けると、そのまま御付きの将を連れて、城内の外へと消えていった。
残された郡将達は、口々に消えた将の悪口を並べ立て始めた。
やれ無礼だとか、やれ無作法だとか、先ほどまで酒を煽り、笑いを浮かべて悪態をついていた郡将達とは思えないほど、酒の席は冷え切っていた。
主席のジャデリンは、この様子に腹を立てていた。
楽しむべき酒宴を邪魔され、一気に喧騒の場所へと変わった場内を見て、眉は震え、口は苦々しく、その苛立ちを露にしていた。
そして、一滴とて飲まなかった杯を、グイッと唇に寄せて飲み干すと、近くの部下に聞いた。
「おい、あの無礼な将は誰だ?我が南部方面の将では無いようだが?」
「あ、あれは北方官軍別働隊の主将で…たしか関州は京東郡の太守キレツ様の息子、キレイ将軍にございます」
「若かりし過ちとはいえ、楽しむべき宴で、なんと不遜な態度だ!諸侯の酒が不味くなるではないか。これ楽隊、演奏を始めよ。場の空気を外へと飛ばすのじゃ!」
沸々と沸きあがる心の中の怒りが、声となってジャデリンの口から出る。
さめた空気に包まれた酒宴は、ジャデリンの指図に従って、再びにぎやかな楽隊の演奏が始められた。
ザワザワ…
ザワザワ…
郡将達は、互いに杯を酌み交わしながら、脳裏には、あの強烈なキレイの言葉と態度が鮮明に焼きついていて、誰一人として思うように盛り上がれなかった。
スワトとポウロも、キレイの話を避けて、楽しむべき宴の場を盛り上げようとしたが、宴は尻すぼみのまま閉会し、郡将達は眠りについた。
そして官軍の中、誰一人としてキレイの事を良く思う者は居なかった。
ただ一人。
酒に溺れて眠り眼(まなこ)であったミレムを除いて。
― 根島城城外 草原 ―
ドッドッドッドッ!
すっかりの深い夜を迎えた根島城の城外の草原。
その中にあって、手綱を握り、馬の腹を蹴立てて走る騎馬が二つ。
深い緑を葉に宿した草を、空へと巻き上げながら、場違いな騒々しさを含んだ馬蹄の音が、闇の帳の中を、ただ陸伝いに反響させてゆく。
「くだらん。実にくだらん宴の席だ」
馬上の先、赤い肩掛けをたなびかせ、赤い甲冑を着こんだ武者が一人。
それは、宴の席で雄々しくも礼を欠いて中座したキレイであった。
走らせていた馬を一旦止めると、後ろから付いて来た御付きの武将が、声をかける。
「若。祝いの席であれはいけませぬ。あれでは官軍の将達に恨みを買いますぞ」
「ふん、いらぬ世話だオウセイ。小物の愚将達に恨みを買おうが、こんな小さな勝利の宴などには付き合ってられぬわ。どうせその内、帝に代わって全て私が平らげる」
「若、そのような事を申されては、忠義に厚いお父上のキレツ様が嘆かれますぞ。せっかくお父上が帝へ上奏して兵糧と兵を下さったというのに」
「オウセイ、貴様はわかっているだろう。私にとって、この合戦は機会に過ぎん。たまたま頂天教という邪魔な石ころが、信帝国という道端を邪魔しているだけのこと。私は石ころを利用して、この広い大陸の隅々に名を広めるだけのこと」
「…」
御付きの武将、オウセイは恐るべきキレイの野心の大きさに何も言い返せなかった。
そして、キレイは口調滑らかに闇夜の空へ向かって堂々と言う。
「ふっ、それにしても、一度石ころをどかしたからと言って、宴で緊張感を解くとは、噂に聞いた指揮官のジャデリンという男も、たいした奴ではないな」
「若!」
「そう怒るなオウセイ。このキレイが喜ぶ時は、天下が揺るぐような大勝利があった時だけだ。千の兵で万の敵と戦う術を知っている者が、たかだか一州をとったくらいで浮かれてはならんのだ」
「このような事が知れたら、キレツ様にどやされますぞ」
「ふん。慣れておる。だが、お目付け役がオウセイ、お前とはな」
「何を…?」
「知らばっくれるな。むしろ私は喜んでいるのだ。オウセイ、お前が父上に言われて、私につき従ってくれているということをな」
オウセイは、いわゆるこの野心溢れるキレイのお目付け役として、郡の名だたる文武百官の中から選ばれた武将の一人であった。だが、オウセイはキレイの心許せる数少ない股肱の将の一人であり、またキレイにとっては幼馴染の親友でもあった。
心から臣従を誓っていたオウセイは、傲慢で礼を欠いたキレイに向けて、釘を挿すようにこう言った。
「今回の一件、拙者の心の中に止めておきましょう。お父上には黙っておきます。ですが…若、その傲慢さを直しませんと、いざ天下に躍り出る時、他の臣がついてきませんぞ」
キレイは、聞こえたオウセイの言葉と眼差しを背中で受け止めつつ、再び馬の手綱に手をかけて、見果てぬ草原の先へ向かって、大声で言い放った。
「傲慢か!それが天下の足がかりに邪魔なら、このキレイとて我慢をすべき時もあろう!だがなオウセイ、俺はあの老人が言ったように天下の英雄止まりで終わる男ではない。『龍』そのものとなって時代の波を操り、幾百幾千の英雄たちを従え、この天下を龍の下に支配するのだ!ハーッハッハッ!!!!」
ドドドドドドッ…
長い草原を駆ける二つの騎馬が、強く草を踏み
野望の武将、キレイの高らかな笑い声が、降りる闇の隅々に響き渡った。
赤い肩掛けを翻し、天下をつけ狙う龍が、ここにまた一人。
キレイの野心は、乱世を迎える時代を駆け抜けることができるのであろうか。
初夏訪れ、ざわめく風も出ない闇夜には、激しく唸る馬蹄の音だけが響いていた。