勝利と小さな波乱に沸き立つ祝宴の夜が終わり、次の日の朝が幕を開ける。
ジャデリン率いる南部官軍とキレイ率いる北部別働軍は、それぞれの兵馬の意気もそのままに、黄州の隣国阪州を我が物顔で座巻する頂天教軍の長、賊長アカシラ討伐へと向かう準備をし始めた。
まず、カカツの予言を聞いた総指揮官ジャデリンの命令で、その日の内に兵士たちは、隣郡の村々から多くの兵糧をかき集め、豊富な水源である香川から水を大量にくみ上げた。総計2万の兵士たちを養うために、相当量の物資兵糧を抱えた荷馬車、それを運ぶ荷駄隊は、膨れに膨れ、ざっと数えただけでも4千を超える長大な隊列となった。
万全な準備を整えた官軍は、阪州への安全な兵站(へいたん)(兵糧を輸送するための道)を確保すると、手を降る城下の者達の声援を受けながら出発し、一路、阪州は大重郡へと進攻した。
― 阪(バン)州 大重(ダイジュウ)郡 ―
阪州の西、大重郡は他の郡と比べると痩せた土地であった。
内陸部に面していながら、南にそびえる高山地帯に阻まれ、東西に年中吹き荒れる季節風のおかげで慢性的な天候不順が続き、地質も石混じりで栄養が少ない粗悪な土ばかりで、作れども作れども作物は一向に育たず、畑は荒れに荒れていた。地域によっては、隣接する香川の下流に位置する村々もあったが、大規模な水路も開拓されておらず、粗悪な土が水質を劣化させ、その量も質も決して良いものではなかった。
天候不順に付け加えて、盆地ゆえの悪路、いわゆる歩くのに不便な街道が、ろくに整備もされずにあったことも問題だった。道には風雨に晒された土砂が永遠と積もり、泥道は深く、年々突き出してゆく石道は険しく、道を行く行商人や旅人達をほとほと困らせた。
そんな足の遅い行商人達を狙ってか、次第に毎年の餓えを恐れた貧しい民が変貌し、賊となって増えると、瞬く間に地には大盗賊団が出来上がってゆき、太守が気付き必死に対策を打ちたてたが、大重郡の治安は悪くなる一方であった。
そんな痩せた地が長い間生き残れたのは、南に価値ある鉱山地帯が広がっていたからである。その中でも主峰『妖元山(ヨウゲンサン)』からは、様々な良質の鉱石が出ることが有名で、鉄から銅、果ては装飾に使う翡翠(ヒスイ)や黒曜石(コクヨウセキ)などを産出し、それを加工をする技術者や、飾り細工をする職人が多かったことから、信帝国もこれに援助し、他郡から多くの労働力を送り込むと、内陸の工都として開発を行い、大重郡は技術の都として発展し、帝国きっての工業郡となった。
しかし、増えすぎた労働力を養う食料事情は?と言うと、前述の飢餓に拍車をかけるばかりであり、郡の歳入を生む職人でさえ、毎日の食事に事欠く悲惨なものであった。そればかりか、精製するために絶対必要な燃料である森林も少なかったため、基本的な物資、食料に関しては、隣郡のお目こぼしに頼らざるを得なかった。
だが、送られてくる微々たる物資も、餓える民へは配られなかった。
私腹を肥やす太守や役人一家による争奪や、賊による物資の略奪が繰り返され、毎日過酷な山崩しをする労働者や、一睡も眠ることなく精製に研究を費やす技術者、目が見えなくなるほど働き続けた職人達は、それぞれ餓え苦しみ、太守達に抑圧され、信帝国に対する怨嗟の声は、日に日に満ちていた。
そんな時であった。
頂天教軍が、この地にて台頭したのは。
ここで暫し、今回の頂天教の乱に関して説明しておこう。
頂天教の教主アカシラは、元々、鉱山の技術者として、餓え苦しむ日々を送っていた。同胞達が、餓えて死んでゆくのを目にしていた彼は、同じく苦しんでいた鉱山の職人、労働者と決起して官軍に反抗しようと思った。
アカシラはまず、その非常に優れた頭を使って、一帯を取り仕切っていた盗賊の賊長たちを、郡の鉱物や利益をちらつかせ巧みに纏め上げると、官軍の兵糧庫を襲わせて、その兵糧を餓えた民に与え、『天を頂く教え』と銘打った頂天教を伝えた。喜ぶ民は、その教主であるアカシラを崇め、慕い、いつの間にか大重郡の平民の大多数は、教主アカシラにひれ伏すようになっていた。その中には、日ごろの政治に不平不満をもらす役人達も居た。
そう、アカシラは、信仰心で民を支配する事を考えたのだ。
信者達の噂は噂を呼び、次第に膨れ上がってゆく教徒達を率いるようになったアカシラは次に、各郡の野心ある信帝国の太守達に密書を認めると、帝国に対して小規模な蜂起を行った。
アカシラは、大重郡の信者に伝令し、賊と徒党を組んだ民衆に、まず目先の利益の産出場所である妖元山を奪わせると、その勢いのまま自ら指揮をとり、大重郡の要所、候武(こうぶ)城、清(せい)城、円(えん)城、封(ふう)城、遠義(えんぎ)城の五城まで陥落させ、自らの軍を妖元山に置くと、南北に放った諸所の蜂起を待って、天下の態勢を窺った。
大重郡の蜂起に従って、続々と寝返る信帝国の役人や太守。
噂を聞いて頂天教軍に志願して入る民衆達は、後を絶たなかった。
その勢いに焦った信帝国は、帝国の将兵総勢15万を動員し、乱の鎮圧に向かわせた。
だが、民衆と賊が集結し、官軍くずれの将も居る頂天教軍は侮れず、要所という要所を先取され、地の利も悪い官軍は、数ヶ月の膠着状態を続けていたのだ。
だが、今まで均等を保っていた勢力も、一方が崩れれば脆いものである。
国中郡を出発した、ジャデリン将軍とキレイの官軍総勢2万の兵が阪州入りすると、民衆は死を恐れて逃げ出し、内部を取り仕切る者達や、各地で戦う頂天教軍も動揺を隠し切れなかった。死という動揺は信仰という統率の一角を瓦解させ、それは軍の綻びを生じさせる。
「ジャデリン将軍。動揺した敵に大部隊は必要無いと思われるが。どうだ、ここは部隊を二つに分け、同時に敵の城を落とすがよろしいかと思われるが」
「ふん、相変わらず若いくせに不遜な態度だ。だが、ミケイからも、同じような進言があった。それではキレイ将軍、お主の兵はあちらの街道から城攻めを行え。お主とわし、どちらが早く城を落とせるか、勝負じゃ」
機を見たジャデリンとキレイは、相談の末、悪路の多い街道を進むにあたり、兵力を二分し、まずは本拠地、妖元山を取り巻く五城の攻略に乗り出した。
「若。敵兵が待ち伏せしているという報告が。気をつけませぬと…」
「ふふふ、オウセイ。あのような賊軍が野戦に出ても、思うが侭よ。将兵の質が如実に現れておるからな」
敵勢2千を相手に、悠然と軍を進めるキレイの言葉は的確であった。
たしかに、各城から放たれた頂天教軍の野戦による抵抗も激しかった。だが、実戦において連勝に連勝を重ね、訓練統率された官軍の兵と、「官軍迫る」の報せに動揺し、結束覚束ない民衆交じりの賊軍とでは、数はどうあれ将兵の質が違った。
「若。若の指揮で味方は被害も少なく、敵は壊滅状態です。やりましたな」
「くだらん。この程度の敵は蹴散らせて当然だ。たとえそれが城攻めでも同じ事」
自軍の勝利に喜ぶ事も無く、自信満々なキレイの官軍は、目先の要所である候武城に歩を進めると、電光石火!敵が篭城の構えをする前に、間髪居れずに攻めて攻めて攻めまくり、その兵力を注いで襲い掛かっていった。
盆地に建てられた堅城とはいえ、やはり士気の落ちた将兵で、キレイ率いる勇猛な軍を相手に篭城戦を繰り広げるのは難しく、守将ラトツ率いる2千の守備兵は半数の兵を失う大損害を出しながら候武城を放棄し、目と鼻の先の支城である清城に立てこもった1千の兵士と守将トキョウと共に、後方の円城に入城し、円城の主将アガルの指揮下に入った。
「若、お喜びくだされ。二城とも我が官軍の手に落ちましたぞ」
「喜ぶ?この程度は範疇の隅の隅。まずは城に兵を入城させ、休ませよ」
「敵は小勢。追い詰めてしまえば良いのでは?」
「ふふ、わからぬかオウセイ。ここからが兵法という物だ。天下名だたる恐将の名が、伊達ではないことを見せてやろう」
二つの城を電光石火の如く素早く陥落させ、快進撃を続けたキレイ官軍は、ここで歩を緩めた。今までの素早い城攻めとは打って変わって、円城攻めは牛歩とも思われるほど、ゆるゆると時間をかけて攻めた。
もちろんこれは、キレイの城攻めの策であった。
円城に残された兵糧を大よそで予想していたキレイは、まず戦意の元である兵糧を攻める事を考えたのだ。候武城、清城の敗残兵およそ2千を抱え、膨れた円城の守備兵5千は、毎日行われる城攻めのため、空腹で戦ってはいけないと、残った兵糧の多くを兵に配り、それは日に日に莫大な浪費となってゆく。
「まだだ。まだ足りぬな」
「はっ…?」
「もっともな絶望感が足りぬ。近くにある全ての畑を焼き払い、敵に米一粒として与えるな」
キレイは、敵が兵糧を現地から調達できないように、周りの数少ない農村や農耕地帯に、臆することなく火を放った。家を焼かれ、畑を焼かれ、住民はキレイの無慈悲さに嘆き、抵抗する者さえ現れた。だが、キレイはその眉一つ動かすことなく、自らの手で焼き討ちを続け、一帯はすぐに焦土と化した。
「これで敵は兵糧を手に入れることはできまい。あとは反抗分子に対する見せしめだ」
「若!やりすぎですぞ。このままでは官軍の名声が…」
「わかっているはずだオウセイ。我らは勝たねばならぬ。常勝無敗を誇るには、どんな事をしても、常に敵に勝ち続けなければならんのだ」
「は、ははっ…」
キレイは民衆にとって、まさに諸悪の根源だった。
畑を焼かれても、恭順の意思があるものには兵糧を開放し、その施しを受けさせて閉口させ、いつまでも反抗するものは捕えて、その場で首を刎ねたり、およそ考え付く極刑を科したりし、未だ抵抗の意思がある全ての農民たちの見せしめとした。
「ギャーッ!」
「グワーッ!」
昼夜を問わず、老若男女の悲鳴が木霊する。
天地を裂くような悲鳴と罵声を耳に聞いても、キレイの心はまったく動じなかった。
いつの間にか、犠牲となった民衆の死体の数は3百以上にものぼり、少なからず反感を覚えていた住民たちは、キレイの恐るべき政策に恐怖して、頂天教軍が立てこもる円城へと逃亡した。
「若、ついに民衆が逃げ出しましたぞ」
「ふふ。そうか、それは良い。これで敵の兵糧の減りも早くなるだろう」
日に日に円城へと向かう住民達の群れを、キレイはあえて追わなかった。
これも全て、円城の兵糧を減らすためのキレイの策であったからだ。
「あのキレイとかいう奴、なんという大将だ!民を愛してこその国であろうが」
「風の噂に聞いたが、あの男、地の京東では『恐将』と呼ばれているらしいぞ」
「しっ!聞こえるぞ!身振り一つ、言葉一つで極刑を科すお方という事を忘れるな」
「ひいい…世の中、命あってこそじゃ。殺されては適わないし、黙って従うしかあるまい」
余りに残酷で、非情すぎるキレイの動向を見ていた、官軍の将兵たちは、キレイに対して物言いをするものも多かった。
だがキレイは、非情で残酷であり、また処世に長けた抜け目の無い人物でもあった。
反抗する有能な将は、理論と話術で懐柔させ、それでも駄目ならジャデリンの官軍へと移動させた。また、へつらってくる無能な将は、罪を着せて官職を剥ぎ、その後周到に仕立てられた事故に見せかけて謀殺した。その噂は、瞬く間に兵士達に伝わった。兵士たちは自分もそうなるのではないかと、肝を冷やした。
恐怖は恐怖を呼び、その内にキレイへ不満を漏らす者は居なくなっていた。
軍は、キレイという恐将の下、恐怖で支配された。
すぐ横に迫る『死の恐怖』という強固な結束で縛られた兵は、常に緊張感を持って敵と対決するようになった。どこか毎日続けられて、戦に厭きていた兵士の顔から油断の澱みは消え、毎度の戦に対して真剣になった。
「誰も物言わぬ圧倒的な支配、勝利への策、絶対的な統率力。これこそが、このキレイの本懐よ」
攻め及ぶ円城を前にして、キレイは兵士たちの強張った顔を見ていた。
そして、策を弄してから十日目の今日。キレイは兵士達に号令を飛ばした。
恐怖に統率されながら進む強靭な兵達を前に、兵糧攻めで士気が下がりきった円城を守備する兵達の顔は青ざめた。
「今だオウセイ!城門を突破せよ!」
「ははっ!それ!騎馬隊進め!」
3千の兵を引き連れ城門に差し掛かったキレイは、猛将オウセイに檄を飛ばした。
5百を数える騎馬隊が、城門を破壊するための丸太を持って、円城に果敢に突撃を繰り返す!
一撃!
二撃!
三撃!
叩きつけられる音、衝撃に拉げる鉄の門。
間近で見ていた頂天教軍の守備兵達は、さらに顔を青くする。
その内、命助かりたいばかりの裏切り者が現れ、なんなく城門は開け放たれる!
城門を破られ、空腹で士気も上がらない兵士に守られる城ほど弱いものはなく、円城の頂天教軍5千の守備兵の指揮は乱れに乱れた!混乱した軍勢を立て直そうと、守将ラトツとトキョウがオウセイに襲い掛かった!
「雑兵が!邪魔だ!」
ビュウッ!ビュウッ!
ドカッ!!ブスリッッ!!
しかし、将オウセイは並の武将では無かった!
その恵まれない体格からは考えられないほどの槍さばきで、素早く一降りすると、差し迫るラトツの胴は馬上から横薙ぎに一刀両断され、続いてやってきたトキョウが矛を大上段へ構えると、目にもとまらぬ槍の返し刃で、その甲冑に守られた胸を一突きに突き破り、トキョウは眼を見開いたまま、馬上から鮮血を流して絶命する。
「ひ、ひええ…!」
「逃げるか大将!」
オウセイに握られた双尖刀(上に曲刀、下に直刀の刃が付く槍)で軽々と命を落とした二将を見た、大将のアガルは馬を反転させると、その場から逃げ出そうとした。
「敵に背を見せるとは、とんだ臆病者!」
ビュウッ!ドカッ!
しかし、オウセイはこれを追い、アガルは背中から馬ごと唐竹割にされ、その握った刃を一合も交えることなく討ち取られた。
「あっ、御大将!」
「だ、だめじゃ。みんな逃げろ!逃げるんだー!」
城に残った頂天教軍は、将の全てを討たれ、それぞれ退却を始めた。
だが…
「まっておったぞ賊軍ども。天下の恐将キレイが相手だ。それっ!かかれ!」
恐怖によって統制された兵を率いたキレイの本隊が、頂天教軍の退却を許すはずも無く、左へ右へ自由自在に動くキレイの軍を前に、抵抗する者はおらず、キレイ官軍は、無事三城を開放し、その下に大勝利を収めた。
降伏した元官軍、頂天教軍の兵を吸収したキレイ軍の兵数は1万2千を超えた。
非情の策と、恐怖の統率術を用いたキレイ官軍の勢いは、天を突くように高く、率いるその将兵たちは、心身ともに強かった。
一方。
キレイ官軍とは別路を行く、ジャデリン率いる南部官軍は、正攻法を持って敵と対峙していた。類稀なるミケイの用兵術と、ミレム、スワト、ポウロ達三勇士の活躍もあり、河川に面した遠義城、封城に立てこもる8千の頂天教軍を相手に、一歩も退かず、頂天教軍に打撃を与え、ついに二城を開放した。
しかしキレイに比べてみれば味方の被害も多く、降伏するものも少なかったことから、当初1万を数えたジャデリン軍の兵は、今やその数を5千まで減らしていた。
黄州から莫大な兵糧を得ていた官軍の部隊は、順調にその歩を進めた。
そしてついに、教主アカシラが篭る敵の本拠地、妖元山の麓まで兵は押し進められた。
その後、ジャデリンとキレイは一度円城で落ち合った。
少なくなった両軍の兵糧を長期間十分に確保するための軍儀である。その結果、兵の半数を各郡に帰らせることに決まり、ジャデリンに対して反抗的だったキレイも、それを受け止めた。
「それではジャデリン将軍。我ら官軍の征伐もあと一歩。必ず勝ちましょう」
「うむ。キレイ将軍も息災でな」
気味が悪いほど素直なキレイの視線は、城へと戻るジャデリンの背筋に冷たい物を感じさせた。だが、ジャデリンを真に驚かせたのは、その後だった。キレイに率いられてきた将兵の顔を見て、思わずジャデリンは絶句した。
どの者も大勝利したにもかかわらず、その緊張感を解かず。
どの者も大活躍したにもかかわらず、その主張をしない。
「ふふふ、どうされましたかな将軍」
「い、いや。なんでも…」
背中から聞こえるキレイの低く響くような冷たい声が、ジャデリンの背を戦(そよ)いでいった。
不敵に笑う恐将の心の内にある、自分を飲み込んでしまうような支配と恐怖への誘い。
それは、歴戦の猛将ジャデリンといえど肝を冷やさずにはいられなかった。
「ふははっ…その内…誰をも跪かせてやる。それが天下をとる者の宿命なのだから…」
ジャデリンを見送った後、空を見上げたキレイが呟く。
手綱に引かれて馬蹄が踵を返すと、空の先には黒い暗雲がたなびき、見えぬ妖気が漂う妖元山の姿があった。