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最終回『天上飛燕 天下英雄 英傑足りて天運導き、龍将勝鬨をあげる』

2008年02月18日 21時59分10秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
最終回『天上飛燕 天下英雄 英傑足りて天運導き、龍将勝鬨をあげる』


キュウジュウの陣屋にまんまと潜入したミレム達は、空になった兵士の幕舎の一つを貸し与えられ、机には兵士達の兵糧であろう質素な食事が並べられた。給仕の兵に運ばれてきたのは一つの皮袋に入れられた水と、見た目からしてパサパサとした古米に粟(あわ)や麦などの雑穀入れて握った飯が十個ほど器に盛られてきた。ミレムはそれを見て酒は無いのかと給仕の兵にごねたが、ポウロが慌ててその口を塞いだ。そして、見張りの兵も居なくなったところでミレム達は密談を重ねようとしていた。

しかし…

「ミレム様、それがしは情けのうございます!なぜあのような事をなされたのですか!それがしの手にかかればキュウジュウの細首など、この腕一本、手のひら一つで砕き殺せますのに、何故あえて恥をかきなされた!明確な返答をお聞かせ頂きたい!」

「まあまあ、そうカッカするなよスワト。たかが俺の裸躍り一つで死傷者も出ず、陣へと潜入できた。それで策がなせるなら良いではないか」

「しかし…しかしッ…それがしにはッ…敵を前にして主君たるものが…あのような屈辱を味わされて…黙っておられず…余りにも…余りにもあの舞いは耐え難く…悲しゅう事実でございますれば…ッ!」

スワトは主君ミレムの前に跪き、手を地につき悔しそうに土を握りながら震えると、顔を下に向けてミレムの顔を見ないようにした。すると、滅多に泣く事の無い豪傑は、思わず目に涙を浮かべ、轟々と音を立てて泣いた。
羞恥を知らず不甲斐ない主君への憤りもあったが、忠節を重んじる士たる自分が、主君の恥を許してしまった思慮の無さに、その心を痛めたのだった。
その余りにも強い忠義心は、何度か言葉を投げかけようとするミレムをほとほと困らせた。

「ふうむ。スワトの忠義ぶりにも困ったのう…ポウロ、お前から何か言うてくれんか。このままではスワト抜きで火をつけねばならん」

「ははっ、お任せを」

ポウロは軽く頷くと、スワトの前へと駆け寄り耳元でスゥッと息を大きく吸い込み、全ての息を解き放つように語気を荒げてこう言った。

「この泣き虫の!愚か者の!能足りんの!ウスラトンカチめが!まだ戦が終わるその前に主君を困らす馬鹿がどこにおる!今は女々しく涙など流している時ではないだろう!忠義の士なら今すぐ立って話を聞け!」

「な、なんだと!このお!いくらそれがしと気の知れたポウロ殿とて無礼だぞッ!」

スワトは荒々しく叱咤されたことに怒り、すっくと立ち上がると、勢い良くガッとポウロの胸倉を掴んで詰め寄った。
幕舎の中、怪力に持ち上げられるポウロだったが、それに大して驚く事もなく、衣擦れが痛むにも関わらず、落ち着き払った冷たい視線をスワトに投げかけ、怪訝そうな顔を浮かべると、スワトの顔にニ、三度か人差し指を出すと豪傑の目の辺りを指した。

「…はっ!!」

不思議に思ったスワトは目の下に目線をずらすと、何かに気付いてガッチリと掴んでいたポウロの胸倉の拘束を解いた。何かを悟ったようにスワトは跪くと、深く深く礼をして今まで頬へ絶え間なく流れていた涙の線は、いつの間にか乾いて止んでいた。

「すまん…それがしが狼狽しすぎたようでござる…」

「まったく。手のかかる御仁だ」

「流石ポウロ。一言でスワトを黙らせるとは見事じゃ」

ポウロは乱れた衣服を整えると、再びミレムとの話を始めた。

「ミレム様。荷車の油は、先ほどから兵に命じて乾いた藁に良く染み込ませて、この幕舎の四隅に仕掛けておりまする。あとはオウセイ将軍の兵の喚声が聞こえたら、私と兵が謀反だと叫びながら火を放ちますので、ミレム様はスワトと供に北の門から逃げ帰ってください。判っているとは思いますが、よくよく手順のご確認をお願いいたしまする」

「はいはい、自分が立てた策に確認をするというのも不思議な話だのう」

ミレムは、うんざりと言った様子でポウロの話を聞いていた。
そしてその時、幕舎の外から荒野を吹く東方の寒風がヒューッと吹き抜けると、ミレムはガタガタと震えながら、手を脇の下に入れ、口をガチガチと震わせた。

「うーぅ…酔いが冷める寒さじゃのう!ブルブル…少し体が寒くなってきおったわい」

「ははは、それはそうでございましょう。この風は、この地方の秋の終わりを告げる寒い季節風。それにミレム様は、寒さの増す秋の夜空に蒙恥の舞いを踊ったのですから…。スワトの言を蒸し返すわけではございませぬが…敵陣の中でよくもまあ…恥らう気持ちを抑え、あのように立派に踊られましたな」

ポウロはスワトにああは言ったものの、少なからず同じような感情を抱いていた事実をミレムに告げた。ミレムは顔中の皺を伸ばし口元を緩めると、笑顔を浮かべて、こう言った。

「ふふふ、あのような躍り一つ…俺は恥らってなどはおらぬ。ポウロにスワト、よく聞け。兵の居ない今だから言うが、俺はお主らとは違い、元々しがない盗人の身。この世を渡るために何度もこのような事をやってきた。だが誤解しないでくれ、恥知らずと思うかもしれないが、俺はやってきた事に後悔は無い。気運気運と皆がいうが、俺には豪傑スワトのような力も、ポウロのような知能も持っていない。俺が出来るのは恥をかく事だけ。もしお前達が恥に苦しむ事があるなら、俺が代わりにその恥を受けよう。もし俺がそれで恥知らずと罵られても、お主らは決して感情を荒げるな。むしろ笑え、笑うのだ」

「ミレム様…なんという事を仰るのですか…我ら主君たるミレム様に、そのような事を出来るはずがございません。ミレム様。私達はあなたを殿と崇めておりますればこそ、その主君の恥を家臣が受けるならまだしも、家臣の恥を主君が肩代わりするなど忠節の心に反し…ハ…ッ!」

ミレムの顔を見て、ポウロは途中で話すのをやめ、その場に深々と跪いた。
主君の顔は、先ほどまでの酒気に当たって赤らんでいた色がすっかり抜けて白んでおり、ニコリと笑う口元の上にある深みを増した黒い瞳からは、自身が放つ言葉に対する真っ直ぐな真剣さがあった。
ミレムは目の前で跪くポウロの手をとり、こう言った。

「なあポウロ。俺は義勇軍を立ち上げたあの日から、いつも心の底に思うのだ。恥などという感情は、生きるのに煩わしい『人生の一部』だと。人はそんな煩わしさに振り回されて悩んだり、憎んだり、嫉妬したり、怒ったり、悲しんだり、あげく他人を殺したりする…。こんな事を戦をする人間が言うのは、おかしい事かも知れないが、人として生を受けた者が、ただ首を斬ったり斬られたりして人生を終えるのは、実に愚かなことだと俺は思うのだ。だから俺は偉くなる。偉くなって人々が互いの恥を笑いあえるような…そんな幸せな世の中を作りたいのだ」

静かに。ただ静かに。
屈託のない笑顔を浮かべながら、幕舎に響くミレムの言葉は、場に居るポウロとスワトの心に、人物としてのミレムのその大きさを思い出させた。

「…うおおおぉッ!ミレム様!それがしはッ!その大望のために、この命尽きるまで力を貸しますぞ!もう二度とミレム様の恥を恥とは思いませぬッ!」

「ふっははは。そう泣くなスワト。希代の豪傑が少々女々しいぞ」

再び泣いたスワトは大粒の涙を流しながらミレムに駆け寄った。
湧き上がる熱い感情を抑えていたポウロは、立ち上がるとミレムに呟くように言った。

「…恥は人生の煩い…ミレム様も立派に成長なされましたな」

「ふふふ、おかげであの四天王のキュウジュウとやらも、血の気の引いたような色白の顔を更に真っ青にして逃げていったわ。…さあポウロ、それにスワト。さっさと陣に火をつけて、皆で帰って美味い酒をしこたま飲むぞ!今日という日を人生最高の酒の肴にするのだ!」

「「ははっ!」」

ミレム達は意気揚々と幕舎で待機した。
勇士達の頬を伝って流れる涙は美しく、皆熱い物を心の内側に感じ、どの者も誇らしげに胸を張り、腕はグッと力強く、足はザッと勇壮に大地に立った。
真剣な眼差しに宿る勇士達の思いは皆同じく、全員無事帰還する事、ただそれだけを心に決めたのだった。

ジャーン!!ジャーン!!

「「「ワァァァァーーッ!!!」」」

そして少しの時間を経て、西の大地から沸き上がる喚声が聞こえた。
オウセイ、ガンリョ、ドルア、リョスウ率いる官軍隊総勢5千の兵が、寒い秋風の吹く荒野に旗を悠々とたなびかせ、激しく叩きつける馬蹄と人の足音を鳴らし、手に持ったドラをけたたましく鳴らしながら突っ込んできたのだ!

「フッ!やはり予想通り夜襲を仕掛けてきましたか…」

キュウジュウは外から聞こえる、けたたましい程に沸き上がった喚声と鳴り響くドラの音に気付くと、甲冑をつけ、幕舎から護衛の兵と供に剣を持って飛び出し、官軍隊の出す音の方向を冷静に見定め、それを聞き突然嘲るように下卑た笑みを浮かべた。そうしている内に守備をしていたトウロウの報告を受けた。

「キュウジュウ様のお見通し当たりましたな!案の定、敵はこの暗闇に紛れて夜襲をかけてまいりましたぞ!しかしこの陣の明かりと敵軍の喚声から大体の場所は把握できまする!およそ敵は陣から平野西6百歩の場所!かがり火の影の動きから、その総勢はおよそ5千程かと!!」

「フッ、多勢を率いて、あのように士気も高く喚声をあげ、煌々と松明を照らし突っ込んでくるところを見ると被害を覚悟の上ですかねぇ。なんという匹夫の勇でしょう…とてもソンプトの策を破った者があそこにいるとは思えませんね。例えこれが策だとしても…一方向から総勢で敵陣に突っ込むとは無策にも程があるというもの…。さあ我が兵達よ!勇ましく十梗を漕ぎ、矢を放ち敵軍を壊滅させるのです!」

陣の木柵の近くに配置された十梗が、数人の兵士に引っ張られてガラガラと車輪を右へ左へと動かすと、十梗は列をなして西の門に集結し、官軍隊の居るであろう場所を狙った!

ギリギリ…ギリギリ…

「全ての十梗が西門に集結いたしました!」

「そうですか。フフッ、ではまずは敵の気勢を削ぐ第一射を…」

キュウジュウの近くにトウロウが現れると、陣は奇怪な音に包まれた。
それは漕ぎ手の兵士数人が、矢を放つ前の段階で十梗の歯車を止めた音であった。木工の兵器の内部で円状の歯車が軋み、幾重にも重ねられた強靭な弦が震え、威力を受け止めながら抑える、もう一つの歯車が磨耗していく音がキュウジュウに聞こえると、キュウジュウは腰に帯びた剣をサッと抜きトウロウを見た。
キュウジュウの部下、トウロウの両手には、丸太のような柄に、風にたなびく大きな長い赤旗が握られ、それが降ろされるのを合図に各隊一斉に十梗が放たれる仕組みであった。

「「「ワァーーーッ!!」」」

意気盛んに鳴り止まぬ喚声を上げ、差し迫る官軍隊の影の方向へ剣を傾けると、キュウジュウは平素の穏やかな表情を一変させ、含んだ若干の笑みと供にこう言った。

「十梗隊ッ!!放てェェェー!!」

タンッ!タンッ!タンッ!タンッ!
ビュンッビュンッビュンビュンッ!

瞬間、驚くべき数の矢が秋の夜空を突き破り、陣から放たれる。
闇夜に映える一瞬の光、それはまるで流星のようであった。

ザクッザクザクッ!!

「ギャアァァ!!」
「う、うぐぐ…!」

無数の凶撃にかかって、官軍兵士達の悲鳴があたりに木魂する。
オウセイ達が率いる兵達は、自分達の目の前に瞬く間に出来上がる死体の山に驚きながらも、オウセイの指揮に従ってそのまま突撃を敢行した!

「敵がまだ近づいてきております!」

「フッ…愚かな…この鉄壁の四天王キュウジュウの守る陣を、あのような力攻めで突破できると思う根性が浅ましいのですよ!さあ十梗隊!第二射を放つのです!」

タンッ!タンッ!タンッ!タンッ!
ビュンッビュンッビュンビュンッ!

再び襲い掛かる矢の雨、死の流星!
深い闇の中で、まるで狙いをつけたかのように降り注ぐ矢に、官軍は為す術が無かった。オウセイを始め、副将のガンリョ、リョスウ、ドルアも頑張ったが、あまりに際限なく、あまりに休みなく放たれる矢の応酬は、将兵達をどよめかせ、その動揺の広がりを隠し切れなかった。

「先鋒の騎馬隊が殆どやられました!」
「オウセイ将軍!うおっ!もうここまで飛んできたわ!このままでは全滅してしまいます…退却しましょう!」
「ドルア!リョスウ!ここで退いてはならぬ!ミレム将軍達がまだ敵陣におるのだ!左右へ散開して直撃を避けて時間を稼ぐのだ!」

槍を振り回し、兵を指揮しながら迫る矢を必死に叩き落すオウセイやドルアだったが、死の流星は無常にも兵士達に苦悶の悲鳴を上げさせ、官軍隊は甚大な被害を出しながら後退を始めた。

「フフッ!みたか!四天王キュウジュウの鉄壁の守りを!十梗の凄さを!フフッ…フヒャッ…フヒャヒャ!フヒャハハハハハッ!!!」

キュウジュウが冷静さを欠く笑いを
秋の夜空に浮かべた、その時であった。

「火事だーッ!官軍の別働隊だーッ!!」
「敵が後方から周ったぞーッ!幕舎に火がついたーッ!」


陣の後ろ側、ミレム達が居た幕舎から轟々と燃え盛る火の手が上がり、ポウロや兵士達が味方の兵士を装って大きく声をはり嘘の悲鳴を何度もあげた。
ポウロ達は走り回りながら、見張りの居なくなった陣屋に配置された松明や、燃料の入った灯台を幕舎のあるほうに倒し、吹き抜ける風と相まって、いつの間にか陣の後方は火炎の渦に引き込まれていった。

「お、おお!?陣の後ろから火の手が!一体、どうしたのですか!?」

「どうやら後ろに敵兵が回りこんで火を仕掛けた物と!」

「おのれ…これも官軍の策ですか!ええい!消すのです!絶対に十梗に燃えうつらせてはなりませんよ!」

慌ててキュウジュウが部下に言うと、少ない守備兵と半死半生の負傷兵達は陣の後ろに向かって甕の飲み水や寝巻きの毛布で燃え広がる陣の火を消し周った。真ん中にある指揮官キュウジュウの幕舎でさえ、燃え移れば破壊して他への引火を防ぐほどだった。流石に、四天王軍団キュウジュウの兵はよく統率されており、消火活動は迅速に行われ、火を消すのに時間はかかったが、陣は半焼する程度の被害で収まった。

「な、なんとか消えましたね。ふう。それにしても官軍め、このように姑息な火攻めを行うとは、なんと破廉恥なことでしょう。トウロウ!十梗に被害は無かったでしょうね!」

「ははっ、お喜びくだされ。十梗も兵も、ほぼ無傷にございます」

スッと横へ手をだすトウロウの先には、無傷の十梗が雑然と並んでいた。
それを見てキュウジュウは、狼狽した自分を恥じるように急に冷静なそぶりを見せ始めた。

「フッ、フフッ。僕としたことがちょっと慌てちゃったよ。僕の軍団が敗れるはずないよね?四天王軍団鉄壁のキュウジュウの軍がさ…」

「は。ははっ…」

引きつった表情を浮かべるキュウジュウの声は、冷静さを失い震えていた。
トウロウは初めて見るキュウジュウの狼狽ぶりに、少々の不安を感じた。
焼け落ちた後陣の姿を眺めていたトウロウは、ふと、後ろにそびえる英明山の二つの砦の方へ目をやる。

…ェィ…ォー

「むっ…?山塞から小さく聞こえる何の音だ」

不思議に思って耳を澄ますトウロウ。
声はだんだん大きく聞こえてくる。

…エィ…エィ…オッ…

「ま、まさか…」

トウロウは兵士数人を連れて、血相を変えてダッと勢い良く山のほうへ走り出すと、大きく聞こえてくる山間を木魂する声に耳を疑った。

「エイエイオーッ!エイエイオーッ!!」


「ば、馬鹿な…山が…英明の山が…落ちたのかッ!!!」

大きく響く兵達の勝鬨は、山の二つの関から大きく聞こえた。
トウロウは叫ぶ声をあげると、その目を疑った、山の砦に立つ何本もの煙と、槍を持った兵士達が腕をあげて喚声をあげ、その周りにはうっすらと官軍の旗が吹く風になびくのが見えたからだ。

武青関にキレイとタクエンの旗。
武赤関にはキイとゲユマの旗。
響く勝鬨の声は、お互いの勝利を確かめ合うようなものであった。

トウロウは沸き上がる官軍の勝利の声に、ガクッとその場に力なく倒れると、護衛する兵達に背負われながら、トボトボと歩き始め、圧倒的な敗北という事の次第を最後の四天王キュウジュウに伝えるのだった。





―――こうして名瀞平野と英名山を挟んでの激戦は終わった。



キュウジュウ以下四天王軍団は、多くの兵を失い、そびえる山の要害二つを失い、運ばれる兵糧と物資を補給する重要な兵站を失うと、翌日に官軍に白旗をもった兵士を伝令に立て、自らを縄目に縛り潔く降伏した。

これにより、別働隊を率いて西の都へ向かっていたホウゲキの部隊は、退路を断たれることを怖れて引き返し、無敵であるはずの高家四天王軍団を失ったホウゲキは、信帝国へ無条件降伏を打診し、翌月、それは受諾されると、ホウゲキの治める東海と、大陸十二州の一つ北清奥羽州はメルビ、チョウデンなどの官軍隊に占拠されつつ無条件で帝国に返領される事となった。

南国で10万の兵と供に蜂起を起こしたホウギョウも、これと時を同じくして戦線を張っていたジャデリンの軍に降伏し、こうして今回の反乱に加わった王族と東南合わせて総計25万の将兵達は、立ち消える水泡の如く瓦解した。

人々は、この勝利の連鎖に嬉しい悲鳴をあげ、未だ健在な信帝国の威信を喜んだ。
しかし、ここに軍を統べる官軍の英傑達の活躍があったのは言うまでもない。

天上の気運ミレム、豪傑スワト、智者ポウロ、識者ヒゴウ、将軍リョスウ、
天下の恐将キレイ、謀士タクエン、猛将オウセイ、ゲユマ、ガンリョ、ドルア。

時代を掴むために戦った英雄達は、それぞれの思い描く『野心』『希望』『功名』『時代』『夢』を胸に抱き、少しずつ動く天下の動静を探りながら、束の間の平和に休息を覚えるのだった。

剣を掲げ、槍を伸ばし、声をあげ、合戦を駆けぬけた英雄達は、その度重なる戦に散っていった兵、散っていった将軍の顔を振り返りながら、これから始まる本当の乱世の影を、それぞれの眼でゆっくりと見据えていくのだった。



―英雄百傑 第一部 完―

第五十二回『潜入作戦 天運至言 気運、敵陣にて蒙恥の舞いを踊る』

2008年02月17日 23時55分07秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第五十二回『潜入作戦 天運至言 気運、敵陣にて蒙恥の舞いを踊る』


地平に吸い込まれるように日が落ちていく。
だんだんと訪れる薄暗い闇の帳は今日という日の終わりを伝えていた。
荒野の風は止み、大地は人を映す影も無く、星も月も浮かばない闇の中で
ミレムはスワト、ポウロと供に十人という少ない手勢をひき連れ
キュウジュウの陣屋に一番近い東の中央の荒野を走っていた。

しかし、敵陣に向かうのにも関わらずミレム達は身を守る甲冑も剣も槍も持たず、みすぼらしい百姓のような身なりをし、同じく丸腰で百姓に化けた兵士数人は、工作隊が自陣火計のために持っていた、油の入った壷や甕を積んだ小さな荷車を引いていた。

「うーい。スワト遅いぞぉ!何をもたもたしておるぅ…もっと早く走れぇ、早くしないとキレイ将軍の軍が動けんではないかぁ!」

「ミレム様!そのように暴れられては落ちてしまいますぞ!それに…その…余り文句は言いたくないでござるが…何故それがしが背にミレム様を乗せて敵の下へ走らねばならぬのでございますか!」

「うーん?なぁんだとぉ?ヒーック!ウェェェイッ…そりゃ俺が酒を飲んで酔って足がおぼつかないからに決まっておるだろうが…主君が馬に乗ることも出来ないなら!家臣のお主が足となるのは仕方ないことであろうぅいーッ!それになぁスワト、これも策の内よぉ、成功したら褒めてやるから今は耐えて前へ進むのじゃぁ」

「そ、それはそうでござるが…むむむ」

大きなスワトの背に負ぶさってミレムが酒気の抜けきらない声で強く言い放つ。
丸腰の豪傑は言う通りに敵陣に走りながらも、キュウジュウの陣屋から、もしかしたらまた先ほどの強靭な無数の矢が撃たれるかもしれないと思うと、ブルルッと背筋が冷える思いがした。しかも酒に酔うと途端に性格が変わるこの主君が、自分から先陣を買って出たということを考えると、なおさら背筋は冷やりと冷たい物を感じざるをえなかった。

「ミレム様。このポウロ、疑っているわけではございませぬが、この苦肉の妙案。余りにも博打が過ぎるのでは?自信が無いとはいいませぬが、これでは敵に首を取られに行くようなもの…」

「ハッハァンッ?ポウロ。お主、いつも自分の考えた策ばかりが通っているので、我が妙策に思わず嫉妬したかぁのぉ?この気運の男ミレムが考えた策、成功するにきまっておろうぉ!お前も知っているはずじゃ、天はいつも我が味方だということぉなぁ!ウーイ!」

「はははっ…。そうでありましたな…。目を瞑って思い起こせば、我が家に来られてから戦い続けた今まで、我らが運というものに見放された事はありませんでした。ミレム様は気運の人。必ずや策は成功し、生きて帰ることが出来ましょうぞ」

ポウロは目の前で酒気に煽られて火照った赤みを顔に見せ、屈託無く笑うミレムという男の精神の図太さに感心しながら、今まで、この男が起こした奇跡のような快進撃を思い出して、その気運の高さを確信した。

ガラガラと音のする荷車を引きながら、ミレム達はその歩みを進めていった。

英明山 麓 キュウジュウの守陣

一方その頃キュウジュウの陣は、敵の夜襲に備えて辺りの警戒を行っていた。
薪を並べて火をくべた燈台や、燃料の入った燈籠が陣のあらゆる場所に設置され、陣は暗い夜空を浮かべる名瀞平野にあって一際輝いていた。
流石は四天王の中でも鉄壁のキュウジュウと言うべきところか、夜襲への備えは万全であった。矢を放つ木工の兵器『十梗』は四方に配置され、その矢の補充も万全。厳重警戒の命令を受けた兵士達は決められた四人一組で行動し、その手や足は緊張に震わせ、目は光り、耳はすまされ、互いに時間を置いては異常の無いことを確認しあっていた。

そんな厳重警戒の中にあって、陣へと進むミレム達が見つからないはずは無い。

「トウロウ将軍!陣の前に明かりと人影が!」

「なにっ、官軍隊か!」

「…いえ…見るところ数は十人程度、どの者も剣も甲冑も着ておりませぬ。それに遠くから聞こえるガラガラという音は荷車…。おそらくこの周辺の百姓かと…」

「ふうむ。しかし戦場に百姓とはおかしな話だ。よしお主ら、その怪しい百姓を捕らえてまいれ!」

こうしてミレム達はキュウジュウの部下トウロウの兵によって、あっさり捕らえられると、厳重警戒を続けるキュウジュウの陣中へと連れて行かれた。

「どの者も百姓の身なりをしているが、そなたら目的はなんだ」

目の前で跪き、百姓の身なりをするミレム達にトウロウは尋ねた。
スッとポウロが前に出ると、その質問に答えた。

「はい、私らは関州の楽花郡へ出稼ぎに来ていたしがない油売りの商隊でございます。ですが恐ろしい軍隊に稼いだ財産を没収され、残った商売道具を持って仕方なく東の親戚を頼ろうと山越えをしようと思いましたが、兵隊に囲まれて身動きできず困り果て、こうなれば覚悟を決めて将軍に直々お許しを得ようと思いまして…」

「ほほう、それは難儀な事であるな。しかし今は合戦の最中。この合戦が終わるまで山越えは諦めよ」

「お、お侍様!そんな殺生な!私達の路銀はもう底をつき、明日食べる物も無い有様。このまま道中を行けば野垂れ死にしてしまいます!なにとぞ!なにとぞ将軍にかけあって下され!なにとぞ!なにとぞお願い致しまする!」

「そう言われてものう…」

「お侍様ァ!我ら油売りは百姓が作る油の菜種が不作で苦しい時も、道中を賊に襲われて命を落としても、歯を食いしばってなけなしの油を捻出し、命懸けでお侍様方へ燃料を運んでおりまする。このように煌々と陣を光らせられるのも、我ら油売りの血の一滴から全てが始まっているのをお忘れではございますまい!」

「むむむ…」

「将軍!お願いでございます!お慈悲を…お慈悲を…!」

何度もトウロウの袖を掴み、瞳に涙を浮かべ、土の茶色に少し汚れた衣服で、必死に頼み込む演技をするポウロに、トウロウは苦い顔を浮かべ困り果てた。
トウロウは今でこそ四天王軍の将軍の一人だが、元は関州の百姓の出。
凶作、不作にあえぎながら農作物を作る民百姓や、物を売って生計を立てる商人達の辛さを身にしみて良くわかる男であった。

「わかった。わかった。私も作物を作り運び、汗を流す日々を忘れることはない。民百姓に生かされる将軍の一人として、お主らの事、悪いようにはせぬ。主将キュウジュウ様に話をつけるので、しばしここで待たれよ」

考えたトウロウは、ついに湧き上がる故郷への郷愁と良心の呵責に耐え切れず、上司であるキュウジュウの幕舎に駆け込むと、事の次第をつらつらと伝えた。

「キュウジュウ様。平民の民百姓とは申せ、我らを支えてくれる者達です。せめて一夜限りの兵糧と兵士達の寝所を貸してやってはもらえませぬか」

「フフッ、トウロウ。君らしいと言えば君らしい願いだが、今は戦の最中で、僕は冷徹な四天王キュウジュウだ。そうすれば聡明な君の事、僕の口からでる答えはわかっているだろう?」

「ははっ、しかしそれを組しても百姓の悲壮な訴えは忍びなく思い…」

「ふうん。君がそこまで言うなら、その百姓達には僕が会って話をしよう。もしかしたら敵の間者かもしれないしね。君は引き続き警戒を頼むよ」

「ははっ…慈悲深きキュウジュウ様にお願いを聞いていただき、このトウロウ恐悦至極にございまする」

そう言うとトウロウは深々とお辞儀をし、言われた通りに守備兵の統率へとキュウジュウの幕舎を後にした。キュウジュウは去るトウロウの背中を見送りながら、目を瞑り、口元を緩ませ不適に「フフッ」と笑い幕舎を悠々と出て行った。

キュウジュウはヒソヒソと護衛の兵士数人に耳打ちすると、その兵達を引き連れ、百姓のなりをしたミレム達の前へと現れた。

「高家四天王キュウジュウと申します。フフッ、百姓の皆さん。トウロウ将軍から話は聞きました。遠路お疲れでしょうが、軍というものは軍律というものがあります。信用のならないものを僕の陣屋にいれて軍律を破るような事をしては、僕が軍法にかけられてしまいます。そこで、どうでしょう皆さん。僕と賭けをしませんか?」

「賭け…でございますか?」

キュウジュウの不気味な物腰の低さと笑顔の耐えない表情と口調に、言いがたい面妖さを感じながら、不思議そうに顔を傾げるポウロ。

「そうです。賭けです。簡単な質問をさせていただくので、それに答えられれば今日一日幕舎の一つを貸し出し我が陣へ泊まり、人数分の食料を与えましょう」

「おお…それはありがたい…一宿だけならず食料まで…その賭け是が非でも乗らせてくだされ!お願いします!」

ニッコリと爽やかな笑顔を絶やさないキュウジュウは、ポウロの返答を聞いて、さらに穏やかな表情を浮かべ、その笑い皺を顔全体に生やした。
そしてキュウジュウは、手をスッと前へ伸ばすとピンと人差し指をポウロに向けて、緩く優しい穏やかな口調でこう質問した。

「では質問しますよ。官軍のあなた達が、百姓に成りすましてまで我が陣に何をしにきたのですか?」

「えっ!?」

キュウジュウがそう言うと、護衛する屈強な兵がバッと驚く不意をつくようにポウロ達を取り囲み、鋭い槍を構えて跪いたポウロ達の首や胸に皮一枚の距離を開けて刃をあてがった!

「…フフッ、愚かですねえ。わざわざ合戦場を通り抜けて山に向かい、今さら出歩く命知らずの百姓がいるはずがないんですよ…。この四天王キュウジュウの慧眼を甘く見ましたね。それっ!その官軍兵達の首をはねるのです!」

「…ッッッ!」

キュウジュウの部下が焦るポウロ達の首を跳ねようとした瞬間!

「各々方ァ!待たれいッッ!!!!」

抵抗しようとしたスワトより早く、酒気が未だ覚めやらぬミレムが刃の柄を払って叫び、その余りにも度胸に満ち溢れた響く大きな声に、兵達は慄いた。ミレムはそれを無視するかのように、つかつかとおぼつかない足で歩き、キュウジュウの前へ出て行く。

「キュウジュウ将軍!なぜ我ら罪も無い百姓に濡れ衣を着せ、その命を無碍にとられようとなさるのでしょうか!百姓の首は軽く、間違って殺しても構わぬということですか!そのような事、納得できませぬ!たとえ、ここで我らが斬られても、この大陸数億の百姓達が黙っていませぬぞ!」

その恫喝とも思える言葉に反するようにキュウジュウは冷静に言い返した。

「フフッ、そんな脅しや挑発に僕が乗るとでも?四天王を甘く見てもらっては困るよ。もし本当に油売りの百姓なら、なぜ暗い夜道を明かりもつけずに進んでいたのかな?」

怖気ず、顔を赤くしてミレムが答えた。

「油は我らの大事な商売道具。命より大事な商売道具を自分のために使うなど商人の名折れ!そのぐらいの事は商人ならずとも、そこらの子どもでも知っておりまする!何故と聞かれるまでもございません!」

「フフッ、じゃあなぜ山道をわざわざ進もうとするんだい?合戦場を横切る勇気があるなら、南側から遠回りして平地伝いに行けば目的地に着くはずじゃない?」

「商人はいつも安全な道を選びます。南の平地を越えていくには大小の様々な河川があり、そこには河を根城にする賊も多く、命ばかりか、もし賊に商品が奪われでもしたら私どもは信頼を失ってしまいます。物を売る商人として信頼の喪失は死を意味します。売る品物があり、安全な道があるのなら、例え山道でも進むのが道理にございましょう!」

「フン…」

キュウジュウは思わず次に言う言葉に詰まった。
前に立つミレムのその畳み掛けるような熱弁と度胸も凄かったが、何よりも語る瞳が真っ直ぐで、どこにも曇りが無かったことにキュウジュウは余裕を忘れ「本当に百姓なのでは?」と一抹の不安を覚えた。

しかし時を置き、キュウジュウは冷静に妙案を考えた。
そして閃いた、信帝国に仕える官軍の兵士ならば誰もが断るであろうその罰を。
荒野の大地に勇壮に立つミレムに対して、今度はニヤリと下卑た笑い顔でキュウジュウは言った。

「フッ、わかったよ…。たしかに君の言う商売の心意気は一理ある。そこまで言うなら仕方ないね…僕も四天王の一人だ。君たちの事を信じよう。でも、タダで泊まらすわけにはいかないよ。官軍でない証拠として、ここで『蒙恥の舞い』でも見せてくれるかな?官軍じゃない百姓ならそのくらいできるよね?フフフッ」

「なっ!!」

キュウジュウの下卑た笑いと言葉に思わずスワトが声をあげる。
信帝国の法に死と同等といわれる法律が一つある。
それは『蒙恥(モウチ)の舞い』と言われ、救いようの無い重罪を犯したり、帝国に大きな過失を与えたり、救いようの無い無様な失態を犯しても、見ず知らずの公衆の面前で裸になれば命だけは許されるというものであった。
しかしこれをやって死を逃れたとしても、その将軍は後世まで人間では無い者、つまりは世に隠れる人として扱われ、他人に蔑まれても文句は言えず、平民未満の扱いを一生受ける生き地獄を味わう恐ろしい刑法であった。

「いけません!それをやっては!」

スワトの声が空しく響いたが、キュウジュウは部下に命じてスワトの口を塞がせると、優しくミレムに「どうだ?」ともう一度問いた。下卑た笑いを浮かべるキュウジュウに対して、ミレムは堂々とこう言った。

「濡れ衣を晴らし、今日一日、我が命助かるならやりましょう!さあ!さあ!ごらん下され!我が見事な舞を!その目で髄とご覧下され!」

「な…なんとぉっ!?」

キュウジュウは表情を一変させ、ぶれの無いミレムの言葉に驚いた。
ミレムは迷いの無い眼で羽織と肌着を脱ぎ始め、秋の夜空に自らの裸体をさらけ出し、見事に兵士達の目の前で隠すことなく赤く火照る体でスッと手足を伸ばし、舞を踊った。

「も、も、もういい!このぉ!恥じらいも無く四天王キュウジュウの前で汚らわしいものを見せおって!この恥知らずの人の商人め!早く服を着て荷車と部下を連れて兵の陣屋に行け!」

「ははっ。それでは、ありがとうござる…」

流石にこれには、キュウジュウも驚きを隠せなかった。
見守る敵味方の兵士達も驚く中で、まるで汚いものでも触ったかのように、ニ、三度と手を払って顔を横に向けると、キュウジュウは急いで立ち上がり、逃げるようにして自分の幕舎に駆け込んだ。

「ふふふ…うまくいったのう。ヒック!」

こうして、ミレム達はまんまと敵陣に進入することが出来たのである。
しかし、スワトやポウロを始め、ミレムを守る兵士達でさえ、この男が酒を飲んだ時の行動力と決断力、そして羞恥心の無さには、ただただ唖然とするばかりであった。

第五十一回『転向撃退 震天守将 鉄壁の守将、夕日に動く』

2008年02月17日 00時24分32秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第五十一回『転向撃退 震天守将 鉄壁の守将、夕日に動く』



日は西に傾き、すでに時刻は夕暮れの様相を思わせる。
光を遮る雲は高く陰りを見せ始め、平地に射す晴れた秋空の見事な夕焼けは、英明山の山肌を燃えるような一面の赤色に染めた。
光は朱に彩られた長い一日の戦いの跡を照らし。
散らした多くの兵士の命を高らかに覗いていた。

名瀞平野中央部の激戦に辛くも生き残ったスワト、ガンリョの軍団は、
平野伝いに進行してきたオウセイの軍団と合流し、参謀タクエンの言ったとおりに琶遥谷からやってくるであろう敵を平野中央部で待ち伏せした。
しかしそこへやってきたのは、陣へと後退するステアの軍勢であった。

思わぬ場所でオウセイの軍勢と対決することとなったステアは不意をつかれ、火計による負傷者を抱えながら流石は四天王軍団とばかり奮闘したが、後ろから来るミレム、ポウロ、ヒゴウの2千の軍勢との挟み撃ちにあい、混乱する兵を纏めきれず惨敗を喫した。ステアは猛将カワバと精鋭数十人を引き連れて、武力をもって血路を開くと、キュウジュウの陣屋へ一目散に退却した。

オウセイ率いる官軍隊は勝利に沸きあがると、疲れる兵達のためにしばしの休息をとり、計略の完成のため、英明山の麓の四天王キュウジュウの陣まで再び駆け始めた。

英名山の麓 キュウジュウの陣

「四天王ステア様が御帰陣なされたぞー!」

陣を守備する兵士の大きな声が幕舎に響く。
悔しい涙と疲労の汗を流しながら帰陣したステア軍団は、官軍隊にまんまとやられた自分達の情けない姿に恥じながら木柵の門をくぐると、そこにあった信じられない光景を見た。

「おお…なんちゅうことじゃ…四天王軍団が皆負けちょったか…」

ステアの目の先には顔を虚ろにし、敗北に敗北を重ねた四天王軍団が居た。
ソンプトの命で琶遥谷を襲ったソンプトの部下トウサ、カオウの部隊は兵を失い壊滅状態、コブキの軍団は半数以上が残っていたが、未だ大将のコブキの生存はわからず、駆け込む伝令達の報告を聞くたびに意気消沈していた。

「ステア様、守備兵数の残りを目測で数えましたが、その数2千程かと…これでは敵の襲来に備えられませぬぞ…」

陣に残った大凡の兵数を数えていたカワバは焦った。自分の予想以上に四天王軍団の被害は甚大なものだったからだ。合戦前には一万以上あった四天王軍団の兵力は、今やキュウジュウの守る陣の兵と併せて多く見積もっても、3千弱。

「ううう…いてえ…いてえよぉ…」
「水を…水をくれぇ…喉が渇いてしかたねえんだぁ…」
「た、助けてくれ…もう腕の感覚がねえ…死にたくねえよぉ…」
「静かにしてないと傷が開くぞ!こっちは水か!ええい負傷者が多すぎて軍医がたらん!元気のあるものは誰か手を貸せ!」
「合戦で俺の親父も兄貴もやられた…くそっ」
「もうこんな合戦まっぴらだ…早く田舎に帰って生まれたばかりの息子と遊びてえだよ」

兵士達のうめき、どよめき、その声は痛いほどステアの耳に入った。
陣を守るキュウジュウの守備兵1千を除けば、逃げ帰った兵達の殆どが激しい合戦に大小さまざまの傷を負い皆痛みに耐えてはいるが、どの者も半死半生…もはや、そこに戦う意思を持つ者など居なかった。
ほぼ一日中駈けずり回った兵達の体は立つ事も辛く、手をつき膝をつき体を大地に寝転がせた。身を守り敵を倒す剣や槍は大地に放り投げられ、誉れ高い四天王軍団の士気を煽る大事な将旗は地に倒れ、生気をなくした土に汚れる旗は、まるで兵士達の心を表すようであった。

ステアとカワバは、耳が痛くなるような兵士達のうめきの声の中を闊歩し、
幕舎にいるキュウジュウに合戦の終始、事の次第を告げた。

「フッ、なんてザマですか。ステア将軍。確かにソンプトの計略が敗れたのは意外でしたが、占領した陣屋の状況もわからないまま、敵の火計を許し、追撃をかけて敵を打ち破ろうとは…おめおめと将も兵も失って敗北し、私の前に出れたことすら嘆かわしい。無様にも程がありますよ…なんて無能な将軍なのでしょう!」

「そ、それは…しかし…まさか敵が自分の陣に火をかけるとは思わず…!」

「カワバやめい。キュウジュウ将軍の言う事は本当のことでゴワス」

キュウジュウの嘲りに耐えかねたカワバは思わず声をあげるが
ステアはカワバの体を止めて、ただ落ち着いてその罵倒を聞いた。

「ふん…誉れ高き四天王の部下が言い訳ですか?情けない!だいたいステア将軍もステア将軍です。このように考えもなしにいつも無駄に被害を出して突っ込む匹夫ぶり…。フフッ…上司は部下を映す鏡とは良く言いますね。配下の武将がこうも武力一辺倒でイマイチ粒が揃わないのも、ステア将軍のせいではないですか?」

「むうう…言わせておけば!!戦いもせずにおのれ!」

「やめんかカワバ!」

今にもキュウジュウに襲い掛かろうとするカワバを、腕一本で止めるステア。
キュウジュウはその行動に驚きもせず、冷静な口ぶりでステアを何度も罵った。
聞くカワバは音が聞こえるほど歯軋りし、いつ怒りのあまりキュウジュウに襲い掛かるかわからないほど手足は力が篭り、キュウジュウが口を開けるたびにワナワナと震わせた。しかしその隣でステアは、ただ敗軍の将としてキュウジュウが次々放つ冷酷な罵りに耐えていた。

そこへ、ソンプトが慌てて駆け込んでくる。

「あ、アチキの完璧な策が敗れたって!そ、そんな馬鹿なことがあるかい!」

紫の甲冑を着込んだソンプトは、慌ててキュウジュウに詰め寄る。
キュウジュウは事の次第を後からやってくる兵士から聞いた情報を
簡略にして、敗戦の結果の旨をソンプトに説明した。

「そんな…あるわけが…アチキの策は完璧のはずだわよ…あ、あわわ…」

ドカッ!

説明を聞くと、ソンプトはその場に膝をついて倒れた。

ガリッ…!ガリッ…!

「アチキの策…アチキの策は…完璧…完璧…完璧なはず…完璧なのに…何故…ありえない…ありえない…ありえない…!」

ソンプトは青ざめた顔面を地に向けると頭を抱え、ブツブツと小声で何かを呟きながら、指で顔面を爪をたててかきむしり、頭を地面に叩きつけ、異常とも思えるその行動を何度も繰り返した。
頭や指を数度往復させる内に、顔は見る見るうちに赤みをおび、爪は肌を削り皮を裂き、顔の赤みは、いつの間にか朱の色に変わり、滲み出る少量の鮮血にソンプトの顔は染まった。

「…」

カワバとステアはその光景に絶句した。
いつも偉そうに己が策を披露して鼻にかける嫌な武将だと思っていたが、このように精神的に脆い一面があることを彼らは知らなかったのである。

「完璧…完璧…完璧なはず…微塵も敗北する可能性は…可能性は…」

ソンプトの策知、計略に関する高い自尊心。
四天王随一の鬼謀を自負し、自分の考えだす策に絶対の自信を持っていた…だからこそ己が策を用いて敗北したことが許せなかった。強気に発言する自信家ほど、その自尊心が崩れる時は弱いものである。唯一無二の自信という物を喪失する恐怖感と焦燥感は、他人の感じるそれを超越したものであった。

「「「ワーッ!!!」」」

その時、沈む夕日に照らされながら陣屋の東から喚声の声があがる。
平野を走り抜けて官軍総勢6千の兵がキュウジュウの陣の5百歩先に現れた!
騎馬隊を率いて先陣を担うオウセイ、槍兵隊を率いるスワト、歩兵隊を率いるドルア、リョスウ、ガンリョ。絶やさず松明に火をくべ、小弓隊を率いるミレム、その後ろにはヒゴウ、ポウロの工作隊が銅鑼をけたたましく鳴らした。
官軍兵士達の顔は、疲れてはいたものの、勝利を手前にして意気揚々であった。

「ひっ!て、敵襲だ!」
「も、もう戦はイヤじゃ。わしは一歩も動けんぞ!」
「うう、戦いたくとも体が言う事を聞かぬ…」

陣内で負傷しうめきを上げて倒れていた四天王軍団の兵士達は、
夕焼け空に美しく映える、その層々たる人物達が立ち並んだ官軍隊の姿を見てたじろいだ。

「くぬっ!敵が勢いにのって攻めてきたでゴワスか!」

「…キュ…キュウジュウ!…敵だ!…アチキの策を破った敵がくるぞ!どうしよう…どうしようキュウジュウ…」

数の多数に慌て始めた四天王二人を前に、キュウジュウは静かな顔を浮かべ、至って冷静さを保ちながら、こう言った。

「ふっ、ソンプト将軍まで…情けない…しっかり気を持ってください。たしかに合戦には破れました、ですが、行方知れずのコブキ将軍を除き、皆生きているではありませんか。それにここには堅固な陣と無傷の守備兵がおり。なにより後ろには英名山の鉄壁の関がまだ二つあります。フフッ、そしてこの私、四天王鉄壁のキュウジュウが居る事もお忘れなく…」

キュウジュウはそう言うと幕舎を出て、
差し迫る官軍隊の兵に向かって陣屋の端々に伝令を飛ばすのであった。

「オウセイ将軍!陣を取り囲む配置が出来ましてございます!」

「よし、では我ら騎馬隊は正面の門へかかるぞ!続けーーッ!」

「「「オオォォォーッ!!!」」」

オウセイの号令と供に、キュウジュウの陣屋に向けて正面からオウセイの騎馬隊、左手からはリョスウ、ドルア、ガンリョの歩兵隊が攻めかかった!また、右手にはスワトの槍隊がミレムの小弓隊を守るように配置された。

「よいか!キュウジュウ様の言われたとおりにやるのだ!よいな!」

「ははっ!」

陣を守る守備兵1千は、正面にキュウジュウ率いる5百、右方に部下トウロウ率いる3百、左方に同じく部下のバシュク率いる2百と分散し、それぞれがキュウジュウからの秘策を預かっていた。

「キュウジュウ様!敵軍が来ます!その距離2百歩ほど!」

「ふふっ、それでは…近づいてくる敵に十梗(ジュッコウ)を浴びせてやりなさい」

「ははっ!」

ガラガラガラ…

そういうと、キュウジュウの兵士達が持ってきたのは十梗(ジュッコウ)と呼ばれるものであった。総木工で作られたそれは、見た目は巨大な筒のような物であり、下部左右二つに長く飛び出た漕ぎ棒の先に、水車と水車を重ね合わせるような簡易な歯車が存在し、幾重にも重なる伸びる強力な弦が、その歯車と中央の巨大な木箱に直線となるように配置されていた。

「漕ぎ手は4人一組で行い!狙いは先頭の一人がつけなさい。敵が見えたら一気に攻撃を開始するのです!」

「ははっ!」

キュウジュウの指揮により、兵士達がそれぞれ決められた場所に移動すると、
前後ろ二輪ずつ付いた合計四輪の強固な鉄の車輪と土台に乗せられた十梗が差し迫る官軍に向けて、向きを傾けられる。

キリキリキリ…ギリギリギリ…

漕ぎ手と呼ばれた兵士達は、官軍隊を発見すると、左右に伸びた漕ぎ棒に手をかけて重い漕ぎ棒を前へ後ろへと徐々に回転させはじめた。

すると次の瞬間、

タンッ!タンッ!タンッ!タンッ!
ビュンッビュンッビュンビュンッ!

十梗の巨大な木箱のガラガラという音と供に、大筒の内部から無数の鋭い矢が放たれ、強くしなる矢は放物線を描きながら正面左右の官軍隊を襲った!!

「ぎゃあっ」
「ぬおあっ!」
「ごわわっ!!」
「げえぇっ!!!」

思わぬ場所から雨のような矢の応酬を受けて、ある者は鋭い矢を受けて落馬し絶命、ある者は逃げる暇も隙もなく矢に全身を突き刺され、官軍隊は一度に百人以上の死者を出した。

「な、なんだこの矢の数は!敵陣に万の兵でも潜んでおるのか!こ、これはマズイ!全軍一度ひけっ!ひけっ!ひくのだ!」

これには流石のオウセイやガンリョ達も兵を退かずには、いられなかった。
物見の情報から1千程と言われていた守備兵キュウジュウの陣から、一度に数千を超える矢が飛んでくるのだ。それも、どの矢筋も鍛え上げられた熟練の射手の小弓の威力と思えるほどの殺傷力を持っており、射程は迫った先鋒隊の頭を遠く飛ぶほどあったのだ。兵を束ねる将として、これほど怖い物はない。

「フフッ、官軍隊が逃げ帰りますよ。それっ次々十梗を放つのです!」

「ははっ!」

タンッ!タンッ!タンッ!タンッ!
ビュンッビュンッビュンビュンッ!

「ぐわあ!」
「ぎゃあああ!」

夕日に煌く矢が十梗を美しく照らし、官軍兵士の命を奪う!
たまらずオウセイの騎馬隊は差し迫る矢の雨に被害を出しながら、矢の届かなくなる5百歩ほど下がった場所へ来ると、これまた後退してきたドルア、ガンリョの歩兵隊と合流し、差し迫る雨のような矢を前にどう攻めるかを考えていた。

「皆大丈夫か!タクエン殿が無理攻めをするなと言われた理由がよくわかったわ。流石は鉄壁キュウジュウの軍…恐ろしい攻撃だ。ふうむ、しかしこれでは攻めるに攻めれん。火の手があがらなければキレイ様達の軍も動けん…誰か、どうにかして敵陣に火をかけられぬか?」

「「「………」」」

しかしオウセイの言葉もむなしく、キュウジュウの陣から放たれるあの矢の雨を掻い潜っていけるような妙案を考え付くような者は、この中には居なかった。
どの者も閉口し、考える間に辺りは暗闇が差し迫っていた。
そこへ、ミレムの歩兵隊が合流する。

「おおミレム将軍、ご無事でござったか」

「はっはっ、派手にやられたが無事でござる…ヒック!なあに心配することはないですぞオウセイ将軍。逃げる間に妙案が思いつき申したぁ」

「む…?それはまことでござるか!?ではミレム殿。妙案、お聞きしましょう」


ミレムは抜けきらない酒気の入った息でオウセイに淡々と語り始めた。

第五十回『玉殊合傑 炬滅相来 天下無双の漢達』

2008年02月15日 23時55分12秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第五十回『玉殊合傑 炬滅相来 天下無双の漢達』


広大な荒野に広がる、見渡す限りの朱の色、舞い上がる砂埃には死の匂い。
それは西の丘から突如として吹き始めた東風に乗り、名瀞平野全土に広がる。
おびただしい死の匂いが含まれた風を、己が背に体に受けながら、
希代の豪傑スワトと天下の鬼将コブキは、平野中央部にて対峙した。

「もはや語ることも無し!それがしとの勝負、お受けくだされ!」

流れるように波打つ炎の模様、鍛え上げられた鋼の刃、赤く美しく光る柄、
スワトの手に握られた長く巨大な刀槍『真明紅天』が前へ突き出される。
待ちに待った因縁の戦い。
目の前に勇壮と立つ黒衣の男に愛用の大薙刀を破壊され、人生初めての敗北を喫し、死の瀬戸際まで追い詰められた豪傑スワトの顔は、再戦への高揚と、始まるであろう死線への緊張感に踊っていた。

「…器を構えれば言葉は無粋か…その勝負受けざるおえまい…」

スワトに突き出された槍の穂先には、黒衣を纏う男と天を仰いで輝く一筋の槍。
味方が撤退する中、戦場の真ん中に一人立つコブキだったが、その口調は変わらず低く響き、物怖じすることのない余裕からは、殺気を超越した闘気が感じられる。

ガシャン…ガシャン…

黒衣の下に隠れた白銀の甲冑の揺れ、槍の柄の鋼鉄の止め具に巻きついた鎖の音が鈍く響くと、コブキの十字の刀槍『破天馬哭』は流れる風を斬って緩やかに前へと進み、禍々しくも美しい黒い龍を模した刃と柄がスワトを睨む。

ゴォォォォォッ…!

駆け抜ける東風が、研ぎ澄まされた天下二人の豪傑を砂埃で包む。
風が吹き抜ける間、砂埃の中だというのに互いは互いの影を目を見開いて追い、
武器は力強く伸び、ただ眼前の好敵手を捉える。

そして、風が止んだその瞬間。

「参るッ!」

「是非も無し…!」

バッ!!

十歩の距離を間合いに、にじり寄る二人の足が風のように早く大地を蹴る!
刃が空を裂き、互いに鍛え上げられた刀槍と体を大上段に構えた両方の一合目!

「でぇいりゃあ!」

一合目を先制したのはスワトの真明紅天だった!
太陽を背に驚くべき跳躍力で飛び上がったスワトは、十歩の距離を一瞬で詰めて、自分の胴ががら空きとなる無謀とも思える大上段で、真明紅天を縦真一文字に叩きおろす一撃必殺の技を放った!

「…!!」

ブゥンッ!ガギィィィンッ!

荒野に火花をあげる二つの鋼!
距離を詰めて、必殺の間合いに飛び込んでくる鉄を拉げるほどの威力をもったスワトの鋭い刃が迫る中、とっさにコブキは進む足を止め、その場で体をくねらせると、撃ち弾くような横薙ぎの一撃を放つ!
切っ先が触れるその瞬間にコブキはミシミシと音を立てる柄を斜めにずらし、破天馬哭の左右に広がる幅の広い二の太刀で、真明紅天の太刀を流し受けるように滑らせ、その必殺の威力を減らした!

ズゥンッッ!!

突き抜ける威力は地上へとそぎ落とされ、スワトは真明紅天と供に
大きな音を立てて、態勢もそのまま地上へと着地した。

ビュウッ!!ガッ!ビュウッビュウッ!!ガッガッ!

しなる柄の感覚を腕に覚えたコブキは、その威力に驚く間もなく、すかさず破天馬哭を着地して間もないスワトに向けて放つ!横薙ぎ!縦払い!正面突き!目にも留まらぬ太刀筋は、スワトの巨体を見事に捉えたが、スワトは態勢も整わないまま、大地を強く横に蹴り、斜めになる態勢で振り下ろした腕をグイッと持ち上げると、差し迫るコブキの連撃を、今度は真明紅天の長い柄を使って、放たれた刃の先を的確に捉え、柄の一部で軽やかに受け流し、一振り、二振りと弾くように薙ぐと、今度は後ろに下がり距離をとった。

ドサッッ!!!

すでに人のそれを凌駕した、互いに極めを持つ二人の動き。
見守る官軍の兵士から見れば、それは一瞬の出来事であった。
コブキとスワト、互いの瞳は真剣さと供に驚きが駆け巡っていた。

「はっはっは!やはり…仕留めることは適わなかったでござるか!」

「…命と引き換えに俺を倒すつもりか…まさか一撃目から大上段で玉砕覚悟でくるとは…とても正気の沙汰とは思えん…」

「はっはっは!小手先の戦法では、お主に勝てる見込みがござらんからな!最初から本気を出させてもらったでござるよ!」

「…武器の活用方法といい…短い間に随分と腕をあげたな…。心も技も前よりも数段に強い…」

「お主への再戦を夢見て腕を磨いたでござるよ!だが判った!この手ごたえ…!今ならお主も仕留められると!」

「…減らず口を…!」

バッ!!

呟きざまに今度はコブキが仕掛けた!
再び空いた十歩の距離を黒衣をたなびかせて詰め寄ると、両腕で力強く握られた破天馬哭は、突き抜ける突風の如き速さと大岩を叩き割るような威力で、すさまじい連撃を撃ち放った!

ビュウッ!ブゥン!バッ!ガンッ!ガキッ!ブゥン!ヒュッ!カキーンッ!!

刃幅の広い十字の刀槍は、躍り出れば火花散る鋼鉄の咆哮に狂い、撃ち放たれる度に虚空を裂く薙ぎ風が辺りに悲鳴のような高鳴りを響かせ、主人コブキの常人離れした絶技を体現していく!
右へ薙ぎ払えば上へ突き上げ、左へ打ち払えば下へ叩き落す!
何度も何度も繰り返される、鬼神の如き連撃はスワトの急所を的確に打ち付ける!

ガッガッ!バッ!ビュウッ!バッバッ!ガキーン!!

「ぬうっ!くぅっ!はっ!せりゃあっ!」

スワトは己が技と類稀なる身体能力の全てを用いてこれに対抗した。
すぐ目の先で放たれる鋭い刃の影を必死に追い続け、予測し、一瞬の油断も許されない打ち合いに心と体を削る。両足は堪えれば大地を削って土を巻き上げ、両腕は力を抜くことなく毎度全力で、放たれる全ての太刀筋に感覚を研ぎ澄ませて反応し、脳が思考するよりも早く、腕が痺れを忘れるほど力強く、真明紅天の長い柄を振りまわした。重なる刃に煽られた風がフッとスワトにかかるたび、スワトの顔はその死の息吹に硬直する。

ジリッ…ジリッ!

顔に背に滲みだした汗は、先ほどのシュウトと一騎打ちとは一線を斯く様な、常に死線と隣あわせのスワトの覚悟の現われでもあった。

「ふッ…とうりゃァァッ!!!」

ビュゥゥゥンッ!!!ガキィィィン!!

「なんのォォォ!!!」

豪傑達が黒と赤の鋼鉄を打ち合わせて四十合目を数えた!
スワトの覚悟の防戦に、流石のコブキも乱れる息を隠し切れなかった。
これ以上と無い最高の豪傑と最高の武器を前にして、長い激闘の最中、
コブキは、感情を失ったはずの己の心に燻りかけた熱いものを感じていた。
数えた事の無い三十合以上の激闘を許し、天下最強と謳われたコブキの疾風怒濤の連撃を、ここまで見事に防げた者など、この世に生を受けてから誰もいない。
いないはずだった。

「うりゃあ!!」

ビュウッ!!!バッ!ビリリッ!!!

「くぬうっ…!」

ガッ!ドッガシャンッ!

一息の呼吸の乱れを察してか、スワトは一瞬の隙を突いて
コブキの足を捉えるように、素早く真明紅天で横薙ぎに払った!
意表を突かれたコブキは黒衣の端を刃に裂かれ、甲冑に繋がっていた黒衣は、その勢いを伝え、コブキは態勢を崩し、地上に横転した。

「ふっ、はっ、はっはっ!!コブキ将軍敗れたり!うりゃあ!」

ブゥン!!ガッ!ガキーン!

「…おのれっ!!」

スワトの真明紅天が倒れたコブキに向かって放たれると、コブキは肩の止め具を外して、黒衣を脱ぎ去ると、白銀の甲冑を天の下に晒し、指がしなり、腕が鳴るように強く握られた破天馬哭で猛然と反撃した!

ビュウッ!ビュウッ!!

「…おのれ!おのれ!!」

ガキーン!ガキーン!!

「うおおッッ!あれだけ打ち込んで、まだこれほどの猛撃…流石はコブキ将軍だッ!」

スワトは口調の端々に余裕を含ませていたが、顔は汗でまみれ、手は激痛が走るほど打ち震え、足は履物の底が見えるほど傷つき、そのどれにも見えぬ刃の痕が転々と広がり、内心はコブキの太刀筋に湧き上がる死への恐怖と焦燥感に怯えていた。

ビュウッ!ガッガッガッ!!

「…おのれぇーッ!!」

しかし、今まで氷のように固まっていたコブキは、荒々しくなる口調と段々と赤らみを帯びる顔と供に、怒りとも喜びとも思えない表情が浮かんでいた。感情を失った男コブキの額と甲冑に滲みる汗は、必死に武器を振り回す彼の姿をただ静かに表そうとしていた。

ビュウッ!ビュウッ!ガッガッ!!

風をまとって空を裂く刃、暴風の如き赤い一撃、恐怖に打ちひしがれる豪傑の心、だが苦痛と供に踏みとどまる手足の感覚が、震える豪傑に勇気与える。

ブゥン!ブゥン!カキーン!ガギッ!ガキーン!!

世を払う劫火の如き太刀筋、死を纏った黒衣を脱ぎ捨て、黒い刀槍に感情を失ったはずの鬼将は、白銀の影を日に照らして美しく影を躍らせる。

「…イヤァーッ!!!!!」

「そうりゃああ!!」

永遠とも思えるその打ち合いは、すでに百合を数え、
双方は時間を忘れて互いの心の削れを確認しながらも、
差し迫る刃に己の心を奮わせて未だ激戦を繰り返していた。

ガキーンッ!

しかし、その打ち合いも終結の時を迎えた。

「ドリャア!!!」

革の甲冑を繋ぐ、強い植物の弦のその殆どがほつれながら、
スワトの真明紅天が放った一撃が、ついにコブキの破天馬哭を右に弾いた!!

「…しまっ…!」

ビュウッ!!ガキーンッッッ!!

もう一度力をいれて、コブキが刃を返そうと思った、まさにその瞬間。
十字の刀槍、破天馬哭はスワトの真明紅天の鋭く弾かれ、
宙へ飛ぶと放物線を描きながらコブキの五歩後ろへと飛んだ。
コブキは慌てて後ろに下がろうとしたが、スワトの真明紅天は鋭く伸び、
コブキの胸あたりを捉え、後退を許さなかった。

カラン…

「…ま、まさか…この俺が敗れるとはな…」

コブキは諦めたのか、その顔には再び氷のような表情が戻っていた。
そして、白銀の甲冑の重りに負けるように、ドサッと膝を突いてその場に倒れた。

「こ…コブキ将軍、しょ、勝敗は運でござる…。手足についた、この傷を見てくだされ…あ、あと一歩近寄られれば、それがしの首が飛ぶような太刀が何度かあったでござる。運に…運に助かられ申した…」

「…フッ、褒めるも貶すも…我ら天下無双の漢達に言葉は無粋…さあ、スワト…首を打て…ッ!」

天下の鬼将が自分の前で膝をつき、武士らしく潔い死を求めている。
そんな姿を見て、スワトは何を思ったか、刃を下ろし、こう言った。

「その前に、コブキ将軍に一つだけ聞かせてもらいたい…!今の天下に必要なのは何でござろうか!」

コブキは不思議そうにフッと笑うと、こう答えた。

「…義であろうのう…」

「…!!」

言葉はスワトの心に少なからず響いた。
そして、コブキは続けてこういった。

「…さあ、首をはねろ!!」

スワトはその立派な態度に何かを決意したように刃を振り上げた。


「…ではッ!!」


ビュウッ!!ドカッ!!

スワトの真明紅天が大上段に構えられると、
その太刀筋は太陽の光に赤く輝き、刃は稲妻の如く振り下ろされた。

カラン。

しかしそこへ飛んでいったのは、コブキの白銀の甲冑の一部であった。

「…うっ…スワト、これはどういうことだ。俺に情けなどをかけるつもりか…!」

少し怒気を孕んだコブキの声に、スワトはただ黙って後ろを向いた。
スワトは真明紅天の柄を再び強く手に握ると、後ろを向いたまま
場に伝わるような大声でコブキに一言呟いた。


「決して情けなどではない。不本意ながら一度助けられた命を、義によって返しただけでござる」

「なっ…!」

「しからば今日はこれにて御免!!また合戦場でお会いしましょうぞ!」

そういうと、コブキを置いてスワトは先で闘う官軍隊の後を追った。
コブキは立ち去るスワトの姿に目を閉じフフッと笑うと、義に厚い彼の心に応えるように、後ろに突き刺さった破天馬哭を持ち、その場を後にした。

「義か…」

去るコブキは雲の晴れた秋の空を見上げて、
その日没の夕日に自分を重ね合わせながら小さく呟いた。

第四十九回『武士対決 自尊不失 兵馬尽くとも、希は捨てず』

2008年02月12日 21時48分12秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十九回『武士対決 自尊不失 兵馬尽くとも、希は捨てず』


名瀞平野中央の敵味方入り乱れての激戦の様相は、時間が立つにつれて、
序盤はクエセルなどの活躍もあって、やや押され気味だった四天王軍が盛り返し、今度は逆に官軍隊が押され気味になっていた。

突出するクエセルの軍を救おうと、隊列を崩したまま進んだガンリョ、スワトの軍は、敵将シュムの側面攻撃と縦横無尽の用兵術、そして練度の高い歩兵隊に遮られて、進むに進めず、思わぬ時間をとられた。

ドドドドドドッ!!

シュムが時間稼ぎをする間に、もう一人の敵将シュウトがクエセルの軍を壊滅させ、シュウトの歩兵隊はその足でシュムの軍の裏手に密かに軍勢を迂回させると、前方のシュムの軍勢を突破するのに視線が集中していた官軍隊は、後ろから迂回する敵軍に気づかず、官軍隊は思わぬ挟撃を受ける形となった。

「ふふっ…はははっ…!間抜けな将め。我らの動きに気づかずに、こうも易々と囲いを許してくれるとはな。先ほどの猪もそうであったが、本当に能のたらぬ獣揃いのよ。ステア将軍の軍もすでに敵中を突破し、琶遥の兵糧庫にはソンプト将軍の兵…。目の前には軍容もわからぬ獣が今まさに挟撃を受けて風前の灯…ふっ、我ら四天王軍団が負ける要素、微塵も無いではないか!よし、誰かコブキ様に伝令を飛ばし、後軍の兵も借り出して官軍をここで一気に殲滅するのだ!他の物は我に続け!ゆくぞーッ!」

「「「オーッ!!」」」

シュウトは官軍の余りの虚弱な陣容に薄ら笑いを浮かべると、手に持った黒く長い柄に先端の二股に分かれた蛇腹の矛が銀色に光る九字凶槍を天に掲げ、馬上から前方の空へ振り下ろすと、勢いよく栗毛の馬の腹を蹴り、手綱を強く握り駆けていった!同時にシュウトを護衛していた兵達も、喚声をあげながら、官軍隊へと勇ましく突撃を開始した。

「「「ワーッ!!!」」」

後ろから迫る1千を数えるシュウトの軍勢の喚声が、
その先で必死にシュム軍の突き崩しを狙っていた官軍隊の兵士達を焦らせた。

「うっ!しまった!どこからか気づかぬうちに敵が後ろ手に周ったか!スワト殿!このままでは我が軍は挟み撃ちだ!」

「なっ…!で、では先に斬りこんだクエセル殿はどうなったのでござるか!」

「あちらで聞こえていた敵味方の声が消えたところを見ると、おそらくもう…」

「な…なんと…クエセル殿ほどの勇猛な者が死んだと申されるか!」

「死に急ぎおって…あの馬鹿者めッ!スワト殿はここで前方の敵を食い止めてくれ!わしが後ろの敵中を突破して崩す!くれぐれも突き進んでクエセルの二の舞にはなるなよ!はいやっ!」

ドッドッドッドッ!

反転して馬を走らせるガンリョ、その場に踏みとどまるスワト。
二人は合戦場の真ん中で、武器を手に取り、敵に囲まれながらも
言い難い戦の無常感を心の奥底に感じていた。
しかし、合戦に儚く散った戦友の死に悲しむ暇などは無く、
前後に差し迫ったシュウトとシュムの軍勢は容赦なく襲い掛かってくる!

ビュウッ!ビュウッ!

「突破せよ!一隊を崩せば我らにも勝機があるぞ!」

猛将ガンリョは敵中を突破しようと手綱を強く握り、馬を忙しく前に繰り出すと、重い鉄槍を振り回して、さし当たるシュウトの兵の一軍を圧倒した!

ブゥン!ブゥン!

「槍隊!ガンリョ殿が敵を突破するまで、ここで防ぐのだ!でぇいやァーッ!」

一方、豪傑スワトは、差し迫るシュムの猛兵を相手に立派に戦っていた。
数十人単位で襲い掛かる屈強な敵兵に対して、ただその場にジッと立ち止まり
大刀槍『真明紅天』を逆手にもって力強く素早く一振り、二振りすると、
甲冑を着た兵士は朱色に染まり拉げ飛ぶ。

しかし、そんなガンリョ、スワトの必死な抵抗も空しく、四天王コブキを支える歴戦の武将二人の統率力、縦横無尽の用兵術は凄まじかった。シュウト、シュムは、向かってくる官軍兵に対して、わざと緩やかに攻め、押してくる兵を見れば後退し、その左右に別働隊を放つ。がむしゃらに突破を図る官軍は、いつの間にか数十人の小隊に十重二十重に囲まれ、それはさながら鳥篭に捕らわれた鳥のようであった。

「ええい、このまま押してもだめか…!一度退けッ!」

不利な状況に徐々に勢いをなくし始めたガンリョの兵達は、徐々に倒される仲間達を見て恐れ、混乱し始めた。そのような兵を纏め上げ、指揮するのは難しく、厚い敵の壁を突き崩す事も出来ずに中座したガンリョ隊は、ただ徒(いたずら)にその数を消耗させていった。

官軍の兵の士気は下がりに下がり、スワトの槍隊もそれは同じ事であった。
兵は次々と討たれ、徐々に軍勢の囲いは狭まり、見る見るうちに官軍は追い込まれていった。

ドッドッドッドッドッドッ!

「あっはっはっ!スワト殿!だめじゃあ!敵勢は強く、兵も散り散りになって突破もままならぬ!どうやらワシらの命運もここまでのようじゃ!」

少ない手勢で後退してきたガンリョがスワトの元へ駆け込んでくる。
戦場で駆けまわった人馬は傷つき、息は絶え絶え、斬り傷、生傷をおって、
血を流さない者はおらず、ガンリョは諦め顔で笑っていたが、率いる将兵の顔は、どれも疲れと焦燥の色に歪んでいた。

「立派に戦い!傷つく将兵を前に、なぜ笑いなさるガンリョ殿!それがしもそなたも、まだ腕は動く!足は動く!兵馬は少なくとも倒れてはおらぬ!最期まで必死に戦うのが真の武将でござろう!」

スワトは敵を薙ぎ払いながら、戦を諦めたように
大口で笑うガンリョに憤り怒号を放った。
預けられた兵と将、多くの命を賭けた真剣勝負、だからこそ武将は最期まで合戦に自尊心をもって戦わなくてはならない。負けるとわかっている戦だとしても、隊を預かる将が笑うことなど言語道断の話であった。

「あっはっはっ!スワト殿勘違いなさるな!諦めて笑っているわけではないぞ!それが証拠に、率いる兵らを良く見られい!」

「ッ!?」

スワトは驚いた。
大口で笑うガンリョの言葉のままに、スワトは率いられた兵の顔をもう一度見ると、焦燥感に歪んだと思われたガンリョの兵達の口は皆うっすらと笑い、目は一片の燻りなど無く澄み切っており、その中には炎のように燃え上がる志があった。

「これは…なんという武者達だ…」

ガンリョとその将兵達の疲れた笑い顔を見て、何かを悟ったスワトは
まぶたをグワッと大きく開くと、口元をニンマリと広げ、さっきまでの緊張感に強張っていた顔と太い眉を一杯に伸ばし、満面の笑顔を浮かべるとガンリョに向けてこう言った。

「はっはっは!ガンリョ殿とそれに順ずる武者の方々!大変ご無礼つかまつった!その目、その顔を見ればわかることを…このスワト、実に汗顔の至りでござる!なにとぞお許しくだされ!」

「あっはっは!判ってくれればよいスワト殿!このガンリョ、四十を数えて生きてきたが、敵軍を前にしてこれほど心が澄み切った日は無い!さあ、我らが帝国の武者魂、敵軍に見せましょうぞ!」

「敵軍への斬り込みはそれがしにお任せを!ガンリョ殿は、殿(しんがり)をお任せいたしまする。この真明紅天で敵陣を切り開き、我らの晴れの負け戦に華をそえましょうぞ!」

「なあに負け戦が華よ!」

そういうとガンリョは馬を反転させて、
残った官軍の兵士達に叫ぶように高らかにこう言った。


「全軍!覚悟は良いな!我ら今はこれまでじゃ!だが決して命を惜しむな!末代まで語られる武者として名を刻むのだ!参るぞーッ!!」


「「「オォォォォーッ!!!」」」

ドドドドドドッ!!

併せて3百足らずのスワトの残った槍隊とガンリョの手勢は集結すると、疲れた声に鞭を撃って、大きな喚声をあげ、敵に一矢報いんがため、シュムの軍勢を前に反転し、一丸となってシュウトの軍勢の囲いの中へ飛び込んでいった!
どの者も口元は笑い、揺らがぬ志に目は光を増し、
疲れているはずの腕や足は、不思議なほど軽やかであった!

ビュウッ!ドカッ!!

「ぐわあーっ!」

ブゥンッ!グサッ!!

「ぐぼぉえーっ!」

ガッガッ!ドスッ!!

「ギャアアッ!」

突撃の先頭にたったスワトは、野生の獣のような速足で豪快に土を蹴り上げて大地を駆け、覚悟を決め、信念を貫くように手に強く握られた真明紅天で、数十人単位で襲い掛かるシュウトの兵達を、時に力強く、時に流れるような見事な太刀筋をもって葬り去った。

ブゥンッ!ブゥンッ!ブゥンッ!ブゥンッ!!!

「どけいどけい!邪魔だ邪魔だ!それがし等の武者魂を冥土の土産に見せてやろう!この世に未練のある、命の惜しむ者を不幸せにするこの刃に斬られたく無ければ下がれ!下がりおろう!!」

進むスワトは当たるを幸いとしてすでに五十人程の首級をあげ、
敵陣を鮮血という朱色を広がせながら駆け抜けるその姿は、
まるで朱の鋼を帯びた暴風のようであった!

これを見て、さっきまで緩々と攻めていたシュウトの部隊の兵達は
槍は震え、剣は竦み、その官軍隊のまさかの猛反撃に慌てふためいた。
切り崩される前方の軍を見て、焦りを隠せないシュウトの副官の一人が、
青ざめる顔も程ほどにシュウトの所へ、いそいそと飛び込んでくる。

「しゅ、シュウト様!敵軍の一隊がこちらに向けて突進してきまする!」

「ならばまた中央を下がらせつつ、左右に兵を出せばよいではないか。何をそんなに慌てておるのだ。四天王軍団の兵として戦をこなせば、難しい事ではないはずだ」

「そ、それが!敵の勢いは凄まじく!もうすぐそこまで来ているほどで…」

青ざめる副官の言葉の荒ぎを見てシュウトは、あくまでも冷静に耳をすまし、前方で聞こえる自分の兵の悲鳴を聞いて、今度は目を閉じて、納得するようにただニ、三度頷くと、ゆっくりと口元を開き呟いた。

「ふむ、そうか…。囲いに焦って隊列を乱し、各個撃破できると思っていたが、全滅覚悟の玉砕戦法で将の首を取りに来るとは殊勝なことだ。将のあの勢い、兵のあの喚声、敵も獣だらけと思うたが、あの覚悟は獣には出来ぬ。長く侍の世を生きているが、このように心が震える武者と逢うのは久しい…。ヤアッ!」

ドッドッドッド…!

スワト達を褒めるようにそう言うと、シュウトは栗毛の馬の手綱を強く握り、
その腹を蹴り、馬は勢い良く前に走り始めた!
同時に、シュウトは直属の屈強な護衛隊数十名に目配せすると、
自ら九字凶槍を片手に、突進を繰り返すスワトの軍に駆けていった!

「そこ行く武者よ!そのように雑兵を斬っても仕方あるまい!四天王軍団コブキの部下、猛将シュウトが相手だ!覚悟が冷え切らぬ内にかかってまいれ!」

「おおっ!そこにおわすは敵軍の将でござるか!ありがたい!それがしの名はスワト!では改めてこちらから一騎打ちを所望するでござる!参るぞ!」

「我が武者ぶり、その目に焼き付けて死ぬがよろしかろうッ!」

ドドドドドッ!

対峙したシュウトとスワト、九字凶槍と真明紅天!
敵味方見守る中、馬を駆けて走り出したシュウト、
相対して大地を蹴り上げて進むスワト!
今まさに武士同士の打ち合いが開始されようとしていた!

ブゥン!ガキーンッ!!ドサッッ!

「うおっ!なんたる一撃!」

打ち合いの一合目、疾風の速さと暴風の強さをもったスワトの真明紅天が、馬上のシュウトに向かって鮮やかな軌跡を描いて鋭く伸びて捉えると、鉄の摩擦力で火花を散らしながら、九字凶槍の二股に分かれた蛇腹の刃でこれを防いだが、スワトの余りの力の凄さに思わずシュウトは体が震え、体制を崩すと、栗毛の馬から真っ逆さまに落馬してしまった!

「ふっ、ふふ…これほどとは…先ほどの猪武者とは比べ物にならん!馬上は不利と知りながら侮っておったわ!武人を前にして、大変な無礼をした!さあ、これからが本気だぞ!ヤアッ!!」

ビュウッ!!ビュウッ!!ビュウッ!!ガッ!!

すぐさま立ち直り、艶やかな黒い戦包を翻すと、シュウトは両腕に音が鳴るほど、しっかり握った九字凶槍で素早く斜めに払いあげる連撃を放った!上官のコブキには及ばないものの、それは力強く素早い!素早すぎる一撃だった!

ガキーンッッッ!ガキッガキッ!!

「勇猛なクエセル殿を討ったのは、そなたでござったか!たしかに素早く、力強い!これならば力強きクエセル殿であっても太刀打ちは出来ぬでござろうな!しかし、良い事を聞いた!お主がクエセル殿を討ったとあらば!ここでそれがし尽きようとも、彼の墓標に弔いの御標しを掲げることができる!そうりゃあ!!」

ブゥンッ!ブゥンッ!ブゥンッ!

人間のそれを超えるスワトの反射神経と真明紅天にかかれば、いくら特殊な蛇腹を持つ九字凶槍の素早い太刀筋であっても、それを捉えるのは造作も無い事であった。シュウトから撃ち放たれたれる上、中、下段の力強い連撃を、刀槍の長い柄と刃を駆使して返しては、激しい太刀筋で真明紅天をシュウトに打ち込む!

ガッガッガッ!!

「くぬっ!おあっ!なんと重たい、重たい一撃だ!くそっこのままでは!」

「それがしの渾身の技を前に、喋る暇はござるかなッ…!」

ビュウッ!ブゥンッ!!ガッ!カキーンッ!

「こ、このような武士がおったとは…ええい!うりゃッ!」

煌きの様相を見せる太刀は、何度となく虚空を裂き、風をうねらせ、鋼鉄を叫ばせ、大地を跳ねる!重ねる刃の中で、鋼と鋼の打ち合いは三十合を数え、火花散るニ将を前に、どの者も戦の手をやめて喉音が鳴るほど唾を飲み、その武者同士の魂の削りあいは苛烈を極めた!

ブゥン!ブゥン!カキーン!

「はぁっ…はぁっ…くっ!」

シュウトは、希代の豪傑であるスワトを前にしてよく戦ったが、振るう九字凶槍は、最初の一撃に比べれば極めて遅く弱々しくなっており、重くのしかかるスワトの太刀を受け続けて、すでに握る手は腫れあがり、足は骨と関節が痛み始めて、上下左右に揺れる兜に隠れた顔面は、本人でさえ意図せぬ苦痛の色が滲み出ていた。
一方スワトのほうは、巨大な刀槍である真明紅天を振り回しているというのに、顔には苦痛どころか笑い皺が広がり、まったく疲労していなかった。

ガキーン!ガキーンッ!!

「どうした!そのような槍ではそれがしは倒せぬぞ!」

ブゥン!ビュウッ!ガッ!

「く、くぬ!…はぁはぁ…だ、だめか…くっ」

ドドドドドドッ!!!

すでに防戦一方になっていた、シュウトの疲れが限界に達するかと思われたとき、後ろ手でけたたましい馬蹄の音と供に、大きな銅鑼の音が響いた。

ジャーン!ジャーン!ジャーン!

「うっ!なんの音だ!」

「あ、あれは…あの旗印は…コブキ様の騎馬隊か!」

先頭をかける巨大な黒毛の馬と、黒衣の武者。
そこにはスワトが初めて敗北を味わったコブキの騎馬隊5百が差し迫っていた!
平野を悠然と、それでいて勇壮に駆ける黒い騎馬隊は、絶望の虜となっていた、シュウトの目に希望を思い出させた。

ドッドッドッドッ!!ガッ!

今まさに決着のつく所で現れたコブキは、単身、大刀槍『破天馬哭』を片手に自軍の歩兵を割いて来ると、あっけにとられるスワトの目を尻目に、疲れ果てたシュウトを自分の馬に乗せて、少し離れ、こう呟いた。

「…シュウト。ソンプトの策は失敗だ…。シュムの軍と合流して退却しろ。…敵は俺に任せろ…」

「な、なんですと!コブキ様!何を…!」

バアッ!!!

コブキはそう言うと、馬の手綱をシュウトに握らせて、シュムの軍勢と供に退却し始めた自軍の兵達を押しのけて、その黒衣を風にたなびかせながら、再びスワトの前へと現れた。


「…また会ったなスワトとやら…」

「待っていたぞコブキ将軍…。今こそ好機!我らの因縁の決着をここでつけようぞ!」


…ゴォォォォォッ!!

いつの間にか、あの時を思わせる強い風が名瀞平野を包み始めた。
若干の兵を挟んで、立ち並ぶ希代の豪傑と最強の武将一人。
差し迫る騎馬隊、燃え盛る官軍の陣、逃げ帰る四天王軍団の兵達、
両軍のおびただしい兵士達の死体が見守る中、高くそびえる英名山を前にして、
秋風の吹く名瀞平野は、ただ静かに大地の震えを感じるだけであった。

第四十八回『重戦武戦 如情不選 戦の無常、名瀞に死に花を咲かす』

2008年02月10日 18時49分58秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十八回『重戦武戦 如情不選 戦の無常、名瀞に死に花を咲かす』


名瀞平野中央部 北方激戦区

着々とタクエンの後虚車実の計略が進む中、官賊双方に激戦の続いていた
名瀞平野の中央部では、血で血を洗う合戦が未だ繰り広げられていた。

長い間合戦上を前後左右に動き続けた両軍の兵の声は次第にかすれ始め、
入り乱れて激突すれば命をかけての重い鍔迫り合いを何合も打ち重ねて、
兵士達の腕と足は、すでに鉛のように重くなって、筋が引き千切れるほど
耐え抜いてきた身体は、すでに限界の悲鳴をあげていた。
体力がなくなり始めた兵士の体は汗に滲み、動物の硬いなめし皮で作った鎧は徐々に湿り、全身には酸素の欠乏を起こし、呼吸は過度に深く、過度に浅くを繰り返し、乱れに乱れた兵士の息遣いは非常に荒かった。

しかし合戦は、互いの兵士の疲れをあざ笑うかのように、
大地に血を吸わせ、非情にも運命の終結を体験させる。
槍を刺し、刀で斬り、無残に倒れる互いの軍の兵の死体の総数が
1千程を数え始めていたが、未だ戦は動かず、膠着状態であった。

「ええい、四天王軍団最強を謳われたコブキ様の兵が、官軍相手になんとふがいないことだ!コブキ様!私にお任せくだされ!見事敵中を突破いたしてご覧にいれまする!」

憤る部下シュウトの声に対し、氷のような瞳でコブキは一言呟いた。

「…行け…」

手を前に出すと黒衣に包まれた人差し指を前に向け、シュウトの顔を見るコブキ。

「ははーっ!コブキ様!四天王コブキ軍団随一の将軍である、この私の吉報を待っていてくださいませ!!それっ!参るぞ!!」

痺れを切らした様子で、活き活きとした表情を浮かべたシュウトは
護衛する屈強の者数十騎を引き連れてコブキを囲む中軍から出陣した!
それを見ていたコブキのもう一人の部下シュムは、コブキを見て言った。

「あの前線の敵将の働きぶりを見る限り、敵は相当の使い手かと…。シュウト一人では不安でございまする。私も加勢に参りたく存じまするが如何でございましょうかコブキ様…」

「……任せる…」

「ははっ!では!このシュム!見事敵兵をかく乱いたしまする!」

シュウトに続き、シュムの軍勢も前線に向かった。
コブキはその後姿を見ながら、再び氷のような瞳で戦況を眺めていた。


官軍クエセル野賊隊

「「「ワーッ!!!!」」」

最強と謳われる四天王軍団コブキの兵を前にして、
官軍隊の先鋒軍団の中でも、一際飛びぬけて活躍していたのは
勇猛な野賊部隊と、その長であるクエセルだった。

ブゥン!ドカッ!

「ぐわああ!」

ブゥンッ!ドカッ!

「ぎゃああ!!」

クエセルの鉄の斧が空を裂けば、鈍い音と供に敵兵の首が飛ぶ!
四天王軍団コブキの軍団ともなれば、一筋縄ではいかぬ
訓練された屈強な兵も多いというのに、その差し迫る敵兵を、
ばったばったと薙ぎ倒していくその姿は、クエセルに必死な物を感じさせた。

「さがるんじゃねえぞ!他の隊には絶対に負けられねえんだ!」

「お頭!いくらなんでも、このままじゃ味方の兵が見えなくなりますぜ!前に進みすぎたら敵に囲まれるぜ!」

しかし、クエセルは敵をなぎ払い斧を振り回しながら前進するのをやめなかった。
それどころか、勢いよく敵の部隊の中へ飛び込んで、どんどん斬りこんで行く。
野賊隊の一人が、敵兵をなぎ払いながら、再びクエセルに話しかける。

「お頭!なんでだ!なんで俺達賊がこうまで官軍のために戦わなきゃならねえ!」

「わかってねえなお前!俺達は賊なんだよ!今は官軍の一部隊とはいってもな!この戦が終われば、いわずと知れた天下の賊なんだ!あのキレイとかいう将軍は賊に滅法嫌われた、とんだ切れ者だ。勝って俺達の首を斬るなんてのは簡単にやる男なんだよ!」

「そ、そんな。じゃあ俺達は一体何のために戦ってるんでさあ!」

「自分と金のためだ!勝てばいいんだよ。この戦で誰よりも強く、どの隊よりも多くの首をとりゃいいんだ!」

「で、でもそれで俺達が助かる確証はねえでさあ…」

「だから!だからこそだ!俺達野賊隊が、官軍で一番役に立つ兵だってところを見せ付けてやりゃ、あいつ等だって考え直す!そうすりゃ俺達はもう賊として追われることもねえ!寒さや餓えに負けて悪さをすることもねえ!官軍様から頂く金で、毎日を裕福に暮らすんだ!」

「お、お頭…そこまで考えていたんですかい…」

「わかったならさっさと敵の首をとりやがれ!ちんたらやってる奴なんていたら、置いてくぜ!」

「「「へいっ!!」」」

敵の一角を猛然と切り崩しながら進むクエセル隊は、部隊長クエセルを先頭にして敵軍の中核に差し迫るほど、無謀な斬り込みを続けた。クエセルは勇猛果敢に敵を倒し続け、勢いのままに遭遇したコブキ先鋒隊の片翼部隊の武将メダチョウを討ち取ると、一人で兵士30人程の首級をあげる活躍をした。

「シュウト様!前方の軍はズタズタです!これでは…」

「ふん、良く見ろ。突き進んでくるのは一隊の猪だけではないか。他は突き進まずに対峙しておると見ると…馬鹿め、作戦を無視して一人で戦をしているつもりのようだな!よし、左右百人づつの連隊であやつらを取り囲め!あの猪武者に、このシュウトの用兵、見せてやるわ!」

「ははーっ!」

シュウトは冷静にクエセル隊の動き、敵軍総勢の動きを見て、クエセルがただがむしゃらに突き進んできていることを悟った。そして、命令を飛ばし始めて時間が立つと、四天王軍団の兵達に一つの動きが見えた。前方の軍が退き、左右に兵がまわったのだ。そして前方を指揮する先陣に四天王軍団中軍のシュウトが駆けつけてからは、ひどく一方的な戦になった。シュウトは、まず将を討ち取られて混乱する兵達の長を呼び集め、それらを纏め上げると、部隊長をそれぞれ混乱する兵の元へ派遣して、怖気づく兵達全員を落ち着かせた。そして、野賊隊の周りに兵を動かすと、彼らの退路を塞ぐように兵を十重二十重に囲み上げたのだ。
すると次第に敵陣に突っ込みすぎたクエセル達の野賊隊は、退くに退けない状況に陥り、徐々にシュウトの用兵術にかかり、いつの間にか絶体絶命の位置へと誘い込まれていった。

「「「ワーッ!!!」」」

野賊隊の四方八方から喚声が上がり、屈強な兵士達が襲い掛かる。

「くそっ!囲まれたか!野朗ども!まだ元気はあるか!俺達の名をあげりゃ褒美は思いのままだぞ!死ぬ気で敵の囲みを突破するんだ!俺等の強さを敵に見せてやれ!踏ん張れ!踏ん張りゃ生き残れる!生き残るんだ!」

絶体絶命の前線で、大声を上げながら指揮をとっていたクエセルは、敵の屈強な兵士に次々と自分の部下がやられるのを横目で見ながら、必死になって腕に握られた鈍い鉄色を放つ斧をブンブンと振りまわして、部下達の士気をあげるために大声を放ち、続々と来襲する兵を討ち取っていったが…

「ぐえっ!」
「ウァギャアア!!」
「おかしら!も、もう無理だぁ!」
「は、はやく。おかしらだけでも逃げてく…ぐわああ!」

クエセルの頑張りもむなしく、その結果は散々たるものだった。
勇猛な野賊達は殆ど討ち取られ、クエセルを守るものも数えるほどになっていた。

「くそっ!敵の奴ら!いきなり息を吹き返したみてえに調子付きやがって!どんな手を使ってやがる!どこを突いてもまるで突破ができねえ!」

野賊達はそれぞれ勇猛だったが、数で攻めるということを知らなかった。
前進と命令を受ければ、ただ前へと考えもなしに突き進むだけ…
類稀なるシュウトの統率力と、訓練された兵士の数を用いた戦術から見れば、
それは野に放たれ一匹の猪が、がむしゃらに抵抗するのと同じ事であった。
クエセルの部隊が動けば、シュウトが右に左に命令を飛ばし、
そのたびにクエセルの戦力は削がれ、残された針の隙間ほどの脱出路さえも失われていった。

「…ちくしょう!そ、そうだ!ガンリョ将軍は!スワト将軍はどうした!このままじゃ抜け出せやしねえ!おい!誰かっ!誰かいねえのかっ!…ちっ!俺以外は殆どやられちまったってのかよ…!」

野賊の死体の山を周りにして、虚空に吼えるクエセル。
ガンリョ、スワト隊は、進軍するクエセルの救助に向かっていたが、
シュウトの後軍から援護に来ていた、シュムの用兵術にかかり
前と側面からの攻撃に対応して、足止めを食らっていた。

「やあーっ!」
「それっ!」

ブゥン!カキーンッ!ブゥン!!カキンッ!

「はぁ…はぁ…くそ!!この!このおぉぉッ…!て、手が痺れてきやがった…!うおお!味方は何をやってやがるんだ!ちくしょう!このっ!うおりゃぁッ!」

取り囲まれ、四方八方からとめどなくやってくる敵の屈強な兵を前にして
援護もなく、痺れる腕の感覚と焦燥感だけがクエセルを包んでいた。

ザッ!

その時、急にクエセルの死角から飛び出してきた兵士が一人、
クエセル目掛けて、真っ直ぐな槍を突き立てて勢い良く突っ込んできた。
疲れ始めていたクエセルの目には、その兵の影が見えなかった。

「敵将め!覚悟ッ!」

「うっ…!」

ビュウッ!!ズブブブッッ!!

「ぐがッ…ぶぁッ!!!!!」

兵の槍先は真っ直ぐに伸び続け、クエセルの腹を捉えるとその鎧を貫通し、
クエセルは今まであげたこともない苦悶の表情と痛みの滲む声を浮かべ、
自分の腹に刺さった槍と兵士を、ワナワナと震えるように睨んだ。

「こ、こ、の…う…!!てめえっち…!そんなにこの俺に討たれて死にてえのかぁ!」

ブンッ!!ドカッ!!

「ギャアア!」

槍に刺され、鮮血ににじみ始め激痛の走る己の腹を省みず、
クエセルは斧を振り下ろして、目の前の刺客を頭から一刀両断に葬り去った。

ザッ…ザッ…!

鮮血をあたりに散らしながら倒れる敵軍の兵士の先には、
一人、また一人とクエセルの命を狙う次の兵士が歩み寄ってきていた。

「ち、ちきしょう。ど、どうやら俺は…と、とんだ大ドジ踏んじまったか…だ、だがな。こんなところで俺は死ぬわけにゃいかねえんだよ!お、俺には、まだ、か、金に不自由しない人生を、ぞ、賊じゃない真っ当な人生を…楽しむって夢があるんだ!み、見てやがれ…こんな槍の一つや二つ…う、うおりゃぁあああああああ!!!!」

ズブッズブブブッ!ドボッ…ブシャァァ!

クエセルは苦悶の表情のまま、自分の斧を置くとその場にしゃがみ
顔面に脂汗を浮かべながら、激痛に震える声をあげ、
腹に突き刺さったままだった敵兵の槍を、一息に抜いた!
同時に、朱色に染まった槍の先端と、流れ出るクエセルの赤色の鮮血が
大地にゴトンと音を立てて落ちていった。

「さ、さあ、来るなら来やがれ…!お、俺のように…血まみれになって…死にてえやつは…この野賊の長クエセルが相手をするぜぇ!さ…あ!来やがれ!」

ザザッ…ザザッ…!

足をハの字に開き、赤く滲んだ震える手にもう一度力を込めると
自分の斧を握り、その場に仁王立ちするクエセル。
振り乱された髪、全身の生傷は赤く濡れてクエセルを彩り、
いつの間にか口からも流れ始めた流血は、兵士が刺した槍の一撃が、
致命傷に近い激痛であったことを、遺憾なく物語るようであった。
だが、顔を激痛に滲ませながらも…それでも威風堂々と立つ、
驚くべきクエセルの気力と精神力。
その生への執念の咆哮は、兵士達を圧倒し、その場にたじろがせた。

ドッドッドッドッドッ!

そこへ一騎の騎馬が兵を割いてやってくる。

「我こそは四天王軍団コブキの部下シュウト!貴様の命、この俺がもらった!我が九字凶槍を受けられい!」

悠然と栗毛の馬と供にやってきたのは、黒鉄の鋼に鍛え上げられ二又に分かれた蛇腹の槍『九字凶槍(クジキョウソウ)』を持ったシュウトであった。

「へ、へ、へっ、お、俺は、武家…生まれじゃねえからな…名乗る名はねえ…さっさと…かかってきやがれ!」

「それでは行くぞ!やあっ!!」

ドッドッドッドッ!ビュウッ!ガッ!!ガキッッッ!!!!

一合目。
栗毛の馬に黒い戦包をたなびかせ向かってくるシュウトの九字凶槍は
クエセルの斧に打ち合いの瞬間、火花を散らすように激しく当たる!
斧はしなるような反動を受けて、大きな音を上げたが
クエセルは斧を振り下げて腹から血を流すも、無事だった。

「そっ、そう易々と殺されるかよ…」

「…ふんっ、次参るぞッ!!」

ドッドッドッドッ!ビュウッ!ガッ!カキーンッ!!!

二合目。
再び互いの武器が火花を散らし、大きな音が響き渡る!
馬上より振り下ろされた九字凶槍は、狙ったかのように
振り下ろされた斧の切っ先にあたり、当たった反動で場に血を吐くクエセルだったが、またもや首はとられることなく無事であった。

「…け、怪我人相手に…ま、間抜けが!」

「参るぞ…これで最期だ!」

ドッドッドッド!ビュウッ!ガキィィィィンッ!ドカッ!!!!!

三合目。
ニヤリと笑みを浮かべた馬上のシュウトの九字凶槍は、
血にまみれたクエセルの斧を弾き、握られた柄を破壊すると
そのままの勢いをもってクエセルの首を、見事に一振りで断ち刎ねた。

ドサッ…!

放物線を描きながら、勢いよく首から吹き出る血と供に、
糸が切れたように倒れこみ、言葉を発する事も無くクエセルは絶命した。
宙に飛んだ彼の首、その目は力を失わず開け放たれたまま、
倒れた胴体は徐々に冷たくなる血を伴って名瀞平野の大地に染みこんでいった。

「敵将討ち取ったりーっ!」

「「「オーッ!!!」」」

高らかにあがるシュウトの声と供に、歓喜の湧き上がるコブキ軍団の兵士達。
シュウトは纏め上げた兵士たちを、すかさず別方向で戦うシュムの軍勢へと向けると、惨たらしい合戦の後が残るその場所を後にした。


ゴォォォォォ…


無常に死んでいった野賊隊と、その長クエセルの死体に
砂をかけるように、名瀞平野を強く寒い東風がふく。
冷たくなっていくクエセルと道端に雑然と詰まれた野賊隊の死体の横には、
無常を語る殺風景な場景と、血で濡れて悲しげな草花だけが、
彼らに備えられたように永遠と続いていた。

第四十七回『静事精妙 弓弾軍滅 静かなる大反撃、一軍を裂く』

2008年02月08日 19時29分03秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十七回『静事精妙 弓弾軍滅 静かなる大反撃、一軍を裂く』


名瀞平野 南方

ミレムの味方陣を燃やす大火計の始まる前の事。
両軍入り乱れての激戦を繰り広げる最中を突き抜けて、
静かな南方の平野帯へ、密かにその静寂を貫く兵馬の足音がした。
鬼謀ソンプトの命を受けて進むトウサ将軍、カオウ将軍の6千の兵である。

「走れ!走れ!敵がソンプト様の策に気づく前に一気に兵糧庫を奪うのだ!」

声を張り上げる緑色の甲冑を着込んだ武将が一人。
ソンプトの部下、トウサが並ぶ兵達に向かって手をあげて指揮していた。
6千の兵達は、トウサの指揮にしたがって静かに進む。

「トウサ。そう急がんでも良いではないか。中央の戦の様子はステア将軍の軍団の活躍によって我が軍が優勢。それに、先に放った物見の報告では兵糧庫の敵兵は5百余り。我ら6千が一気にかかれば、あっという間に滅ぼせるわ」

横に居た緑色の甲冑を着る長身のカオウは、
余裕綽々と言った調子で低い声でトウサに話しかける。

「カオウ、わしは何か胸騒ぎがするのだ。ソンプト様の策から言えば、中央に敵が集中しているはず。それにしては敵が崩れるのが早すぎるのではないか?それに兵糧庫の守りが手薄すぎる…不気味だ」

「はっはっ、いつもの事だが、お主は気が小さい。小さいのは身長だけだと思っていたが、そうでもないようじゃな。なあに、鬼謀と呼ばれた我が主ソンプト様の策に間違いはない。そのような気の小ささでは大将は務まらんぞ」

トウサの焦り顔とは裏腹に、彼の良い友人である長身のカオウは
わざと見下すように、その弱弱しい友人の言動を笑った。
トウサは、カオウの言葉に耳を傾けながらも、その顔の緊張を解く事は無かった。
顔一面を塗りつぶし、滲み出るような不安を目にしてカオウは、
再び友人を鼓舞するように悪戯めいて、こう言った。

「ええい、いつまでもしょぼくれた顔をしおって、勝ち戦を前に女々しいぞトウサ。杞憂じゃ杞憂!全てはお主の小さな心が生み出した杞憂じゃ!今までソンプト様の命令で我らが負けた事などないじゃろう!よくよく考えよ!」

「……」

トウサは黙って馬の手綱を握り、腹を蹴って走らすと、
緑色の戦包は風にたなびいて流れるように浮き上がり、
その眼前に見え始めた、琵遥谷の反り立った岩壁に向かって走り始めた。

「ただの杞憂であれば良いのだが…」

ぽつんと呟いたトウサの思惑の後ろには、追いかけるカオウと
琶遥谷の官軍兵糧庫へ突き進む6千の兵が続いていった。


琶遥谷 官軍兵糧庫

ミレムの大火計が成功し、強い東風が吹き始めた頃。
大軍を養うのに必要な兵糧庫のある琶遥谷は騒然としていた。
琶遥谷と言っても、平野を貫くような高い岩壁がそりたっており、これが谷のように見えるからそう呼ばれているだけで、兵糧庫自体は平野伝いに設置されており、通常の陣屋と同じ作りであった。
左右を囲む岩壁は敵から攻められにくく、兵糧庫の前後は太い丸太の木柵で囲われ、白い幔幕の中の甕や壷には水や米、獣の肉が入っており、小麦や粟などの食物は麻袋に包まれて、そこら中に敷き置かれ、兵糧物資のその数たるや、万をゆうに超えるものであった。

岩壁の上。ゲユマと小弓隊3千の射手がそこには居た。
吹きすさび始めた東風の秋風にさらされながらも、風にたなびかんとする旗指物を何人もの兵士が覆いかぶさり必死に隠し、地上から敵に見えぬように兵は弓を持って寝転びながら待機し、寒さに耐えながら息を殺して潜んでいた。

「御大将!敵軍です!その距離9百歩!数は6千を超えるものと!」

声を発した物見の兵は、寒空の中、目を瞑りながら
悠然と報告を待って構えていた猛将ゲユマに敵の動きを逐一報告した。
ゲユマは報告を聞きながら、タクエンに言われた言葉を思い出していた。

「やはり来たか。その数は6千…中央に兵を割き、この兵糧庫の守り手が従来どおり1千程度であれば確実に落ちていただろう…流石タクエン殿の推察通りというわけか。やはりここが敵の狙う戦の主軸!ならば我が殿の勝利のため、見事守って見せようではないか!」

ゲユマは強い口調で呟くと、蒼い輝きを放つ自分の長弓を片手に立ち上がり、
吹きすさぶ烈風の中で、目をクワッと開き、寝転ぶ兵達へ目をやった。
その目を確認した兵達は、何も言わずすっくと立ち上がると、
手に持った小弓や旗指物を持ち、ゲユマの指示を待った。

「御大将!準備は出来ております!ささっ弓兵隊にご指示を!」

「うむ」

ゴツゴツと足場の悪い無骨な岩肌の上で、大きく息を吸い込むゲユマは次のように言った。

「皆の者!俺の言葉をよく聞け!もし敵が見えても迂闊に矢を放つな!いつものように寸前まで引き付けて良く狙い、敵を一網打尽にするのだ!敵は多いが、われらには地の利がある!その矢筒の矢で一人一殺…いや!一人十殺の精神でかかられよ!敵に我ら帝国の訓練された兵の力を見せてやろうぞ!」

「「「オーッ!!」」」

将兵の意気、盛んなりしは、天を貫くが物の如し。
ゲユマの指揮する兵士達を形容するにそれ以外の言葉は見当たらなかった。
兵士達の顔は強張り、張り詰めた指先の緊張感は真剣さを増した。
下界を横行する敵の動きを睨みつけるような鋭い眼差しで、逐一追うゲユマの顔も、兵士達のそれと同じような真剣さを含んでいた。


無言と緊張の空間に静寂が訪れる。
ただ東からくる烈風が、兵士達の思いを代弁するように吹き荒れる。
敵対する兵の数は倍、率いるのは何度も煮え湯を飲まされた四天王軍団。
自らに訪れるのは勝利という名の生か、はたまた敗北という名の死か…
そんな、無限とも思える問答を繰り返し、敵の来襲を待ち受ける将兵達。
徐々に止み始めた風に乗って運ばれる、上空の雲を見ながら、自らの命運を今か今かと待ち受けた。


そして…風が止んだ…!


ドドドドドドドッ!

「「「ワーーーッ!!」」」

その瞬間、無限とも思えた静寂を切り裂いて放たれた、
琶遥谷へと繋がる街道の境目から響く多くの足音と喚声!
トウサ、カオウ率いる6千の敵兵が一斉に兵糧庫目指して突撃を敢行したのだ!

「さあ!敵の兵糧庫を一気に奪うのだ!進めー!」

「わっはっは!官軍兵達の吼え面が目に浮かぶわ!」

ドドドドドドドドッ!!!

「「「ワーーーッ!!!!」」」

声を上げて自らの両刃の長剣を振り上げて馬を駆けるトウサとカオウ!
率いられた兵達も、鋭く尖った槍や剣を前へ前へと突き上げながら、顔を汗に滲ませ、鎧は音を立てて揺さぶられ、どの者も顔や眼は血の気に当てられ、蝋に灯された、ほとばしる火のように燃えるものがあった!


ギリッギリッ…!ギリッギリッ…!

「まだだ!まだ撃つな!兵糧庫の守りの手勢が見える場所まで、もっとひきつけて油断させよ!ここで撃てば今までの苦労が水の泡ぞ!」

静かに放たれたゲユマの声が、射手達の弓のしなりの音と重なる。
ゲユマは身を隠しながら左手を兵の前で水平に保ち、我慢をさせる。
射手達の手には限界とも思えるほど引っ張られた弦と、指で支える矢はすでに眼前に迫った敵兵をゆうに捉えており、放てば必殺の一撃となるほどの射程であった。
しかし、未だに下がらないゲユマの指揮の手に、射手達はだんだん苦悶の表情さえあげ始めていた。


ドドドドドドドッ!


敵軍の迫りくる突撃の速度はすさまじく、乾いた大地は蹴り上げられて土や砂利は白い砂埃となった空へ飛ぶほどであり、潜むゲユマの部隊とトウサ、カオウの部隊との距離はもう目と鼻の先、すでに5百歩を詰めるところとなった。
しかし、未だにゲユマの弓隊の動きはなかった。

「ほれ見ろ!トウサよ!お主の杞憂であったろう!」

「ああ。そうだなカオウ!ここまで近づかれて策も何もあったものではない。ははっ、やはりソンプト将軍の策は完璧であったということか!」

目の前に広がる無防備とも思える兵糧庫を前にしてカオウや、この策に一抹の不安を感じていたトウサの胸には、先ほどまでの憂いは消えてなくなっていた。
どの場所からも絶対に攻められることのない距離と、兵糧庫の薄い守り。
これ見よがしに見せ付けられたこの状況で、憂いなど感じる武将など居ない。

ギリッギリッ…!!ギリギリッッ…!!

しかし、これが最期の油断を誘う秘策。
これこそが猛将ゲユマの放った一計であったのだ!

「今だぁーーーッ!放てーーーッ!!!」

ヒュンヒュンヒュンヒュン!!!ビュウッビュウッビュウッビュウッ!!!

ゲユマの声を皮切りに一斉に放たれる矢のような雨!
射手が苦悶の表情を浮かべるほど、限界まで張り詰めた弦から放たれた矢が描く、強力な鋭さをもった直線は、あたかも千切れ雲から射す日輪の輝きの一閃のようであった!

ドスッドスドスドスドスドスドスドスッ!!!

「うお!矢…グワアッ!」
「うぎゃああああ!」
「ひ、ひぎゃあああ!」
「ぐぇっ!ぐぁっ!ぐぉっ!おぁっ!」

極々至近距離から放たれる強力の矢の威力はすさまじく!
兜や甲冑で武装した兵士達の急所を難なく貫き、頭、腕、足、胴など場所を選ばず、襲いくる矢に気づかずに眉間や心臓を射抜かれ絶命する者、ハリネズミのように全身に矢を受けて断末魔の声をあげて血まみれで死ぬ者が後を絶たなかった。
ゲユマの指揮する射手たちが撃ち放った一度の矢で命を散らした敵の数は、5百をゆうに超えるものであった。


「矢だと!どこからだッ!」

「杞憂などではなかった!や、やはり敵が潜んでいたのだカオウ!岩壁の上だ!」

トウサが指した指の先には、赤い甲冑姿のゲユマが誇らしげな顔を浮かべて、
岩に足をかけて悠然と構えて立っていた。

「わっはっはっは!ノコノコと現れたな四天王軍め!貴様等に何度も飲みたくもない煮え湯を飲まされたが、貴様等の策など、もう我らにはお見通しだ!それっ次の矢を放て!敵を撃滅せよっ!」

ヒュンヒュンヒュンヒュンッ!!ドスッドスドスッ!!

「ぎゃあああ!!」
「た、退却じゃ。にげ…ぐわあ!」
「邪魔だ!どけっ!どけというに!うぐぬぬぬ!!」

再び手を前にやると、ゲユマの後ろから1千人を超える射手たちの腕から放たれる無数の矢が再びカオウ、トウサの兵達を狙って放たれる!
襲い掛かる矢を前に兵糧庫に近づきすぎた前方の兵達は、皆逃げようとしても後方の兵が邪魔で逃げられず混乱した兵達によって将の指揮は聞けぬはおろか、隊列もバラバラとなり右往左往し始める有様であった。

上から眺めるゲユマの弓兵隊から見れば、それは格好の餌食であった!

ヒュンッヒュンッヒュンッ!!ドスッドスドスッドス!!!

逃げ惑う兵達に無常にも放たれる矢が、その数7千を数え始め、
重なるように絶命する兵士達の死体の数は大地を血の朱色で埋めた。

「ひいい!助けてくれー!俺はまだ死にたくない!」

「ええい逃げるな!四天王軍団として勇敢に戦え!誉れ高き四天王軍団として死んで名を残せれば良いではないか」

「そ、そんな四天王軍団なんてもうまっぴらだ!俺は逃げる!死ぬなら大将一人でやってくれ!」

「おのれ下郎め!まてっ!ええい…!」

陣頭で勇敢に指揮するカオウであったが、戦況は余りにも不利だった。
どの兵達の脳裏にも死という恐怖が蔓延し、その顔は攻めるときの血の気がすっかり引いており、すでに統率の取れる有様ではなかった。

「ぬうっ!!まとめきれんか…おおっトウサ!無事か!」

「ぐぬッ…カオウか…ぐ…!馬と腕をやられた…!」

雨が振るように続くゲユマ隊の矢の応酬をうけて、逃げ惑う兵士達をまとめようと必死になっていたトウサとカオウも流石に無事ではすまなかった。カオウの甲冑には折れた矢の先端が何本も突き刺さり、トウサは戦包に無数の穴と兜を失い、手には鋭い矢が突き刺さり、そこからおびただしい血液が流れ出る痕があった。

「部下の馬に乗れ!一度退いてソンプト様の策を聞こう、それにまだステア将軍の兵もいる。大局は崩れておらぬ!再度攻めかかれば官軍などいつもの様に…!」

「もっ、もう、無理だ。あ、あれをよく見よ…あれでは無理だ…」

傷ついたトウサが指差した先、奮迅するカオウの目の遠くに見えたのは
とどめた隊列もほどほどにミレムの火計に壊滅しかけた、ステアの軍勢であった。

「うおっ!?…ば、ばかな。あの旗印、そして甲冑の色…そ、そんな。勇猛のステア将軍が敗れただと…!し、信じられん!!」

「わかったなら逃げるんだ…ぜ、全軍…退却…退却ーッ!」

絶望感に歪むカオウの顔を見て、精一杯に大きな声をあげたトウサの号令と供に、散々にやられた四天王軍団の兵達は、一目散に逃げ出した。
命からがら怪我をして退却するトウサ、カオウに付き従う兵は、逃げる間に続々と隊列を抜け出し始め、率いていた6千の兵は影もなく。
守備するキュウジュウの陣につく頃には、僅か数十騎余りとなっていた。


「よし!皆ご苦労であった!これで大局は変わるはずだ!疲れた者はこの兵糧庫に残り!元気のある者2千は俺と供にキイ様の元へ向かうぞ!それっ!あと一息だ!皆、この合戦を最期まで耐え抜き頑張るのだ!」

「「「オーーーッ!!!」」」

ゲユマ達は盛り上がった岩壁を滑り降りると、疲れを知らない兵達は
腕の疲れなど忘れ、喚声をあげて名瀞平野の街道を進み始めた。

…ゴォォォォォッ!

いつの間にか、止んでいた東風は再び吹き始め、
突き進む兵達の背を押す追い風となっていた。
それはまるで、沸き立つ将兵の心を鼓舞するように吹くのであった。

第四十六回『酔酒心気 無礼千万 気運、酒道至りて剛将を挑発す』

2008年02月05日 12時01分07秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十六回『酔酒心気 無礼千万 気運、酒道至りて剛将を挑発す』



名瀞平野 官軍本陣

激烈に戦いを繰り返し、戦い続ける名瀞平野中央の戦を尻目に
官軍本陣には着々と燃料が敷き置かれ、すでに火計の準備は万端であった。
ヒゴウ、ポウロの工作隊は敵の兵が見えるのを今か今かと見守っていた。

「ややっ!ポウロ殿!前面のお味方が崩れ、敵兵の旗印がうっすらと見えますぞ!…あ、あれは四天王ステアの軍です!」

「ふふふ、獲物はステアですか。水甕は全て壊しましたね?布には油をしみこませましたね?」

「ははっ!火計の準備は万端でございまする!」

「では…工作隊は全員作業を止めて退却準備!準備でき次第、急いでミレム様の待つ丘へと退却するのだ!」

火計の準備を終えたポウロとヒゴウは、ニヤリと笑って兵に号令した。
大量の油を仕込ませた藁や布、燃えやすい枯れ木を、兵士達の寝泊りしていた幔幕から、陣を守るべき木柵に至るまで、そこらじゅうに塗りたくって並べていた数百人の工作部隊は、ポウロの号令が聞こえると、それぞれ作業の手を止めて小さな隊列を組み、将に率いられて陣を出立した。

ワァァァァァッ!!!…ドドドドドドドッ!!!

陣の数里前には馬蹄と人の音が混ざり、野の土を蹴って空に舞う土埃が見える。
崩れるかかる味方の軍団を蹴散らし、壮絶な一合戦を終えてもなお五千の敵兵は、歩みを止めることなく、意気揚々と鋭い矢のような速度をもって突き進んでいる。

その勢いたるや、流石は猛兵と神速で名高い、四天王ステアと
部下の名だたる猛将達と言わざるをえなかった。
ポウロとヒゴウの工作隊1千は、ステアの軍団を後ろ目にしながら
整えられた兵の隊列を維持し、ミレムの弓隊2千が待つ丘地へと向かった。


官軍本陣後手 名瀞ヶ丘

平野をざっくりと割るように剥き出しになった地層と、
ごつごつとした岩が転がる丘地、本陣の裏手にあたる名瀞ヶ丘には
ミレムの弓隊2千が火矢の準備をしながら滞在していた。
後方から吹き上げる秋の涼風は兵士達の服を通し、
弓を張る指と手を震えさせ、初秋とは思えない寒さを体に感じさせていた。

「はぁぁ…うう、いくら秋口に入ったとはいえ。ちと寒すぎるのではないか…のう?」

「この時期になると、決まって英明の山肌へ向かって東風が吹きますからな。そのせいでございまする」

「やれやれ、寒くてかなわん。これでは戦争などやっていれんな。こういう時のためにコレを用意しておいたのよ」

ミレムは甲冑の腰紐につけた、くすんだ小麦色の皮の水筒に手を伸ばすと
紐に繋がって固く閉じられた締め栓をキュポッと小気味の良い音を立てて開けると、中に入っている濁り酒をグイグイッと押し込むように飲み始めた。

「なっ!!ミレム将軍、何をなさっておられるのですか!」

「なあに、合戦を前に景気付けの水を一つな」

「水!?い、いやそれは酒ではありませぬか!」

「酒?人聞きの悪いことを申すな。緊張をほぐすのよ。ほれっ、ちょっとクイッとやるだけ。大丈夫だ」

そういうとミレムは再びゴクゴクと飲み始めた。
唖然とする兵達を前にして、このままでは兵の指揮をとるのに
支障が出るのではないかと思ったが、兵を率いる隊長はとっさに諌めるのをやめた。

「…(一軍を預かる将軍とはいえど、合戦は緊張の連続。酒を飲んでそれが解消できるなら飲ませたほうが良いか)」

この隊長は汰馬平野の合戦でもミレムの隊に所属しており、
ミレムが無類の酒好きであり、前回の合戦でも同じように酒を飲んで
流暢な言葉で敵軍を挑発していたことを思い出し、きっと戦の前の緊張を
ほぐしているのだと、自分を納得させると。
ミレムを咎めることを止めて前に差し迫る敵軍の状況を眺めた。

「プッファァフォォー!くぅぅぅ!やはり水どころで有名な京東郡の銘酒じゃ、飲むたびに頭が冴えてくるわい。こりゃ効くのう、やはり戦の前は酒に限るわい」

まろやかな濁り酒の口当たりは極上、辛口でも甘口でもなく、丁度の良い酒の味。
飲み始めれば上機嫌、ゴクンと喉の音をたてては勢い良く酒臭い息を辺りに吐き出し、チャポンと音をたてる皮の水筒に入った酒は、見る見るうちにミレムに飲み干されていった。

「プフォーゥ!人生に酒の無い日々など考えられん。いやー気持ちのよいものじゃ」

しかし緊張を抑えるための一口、二口ならまだしも、
京東郡で作られた精度、度数の高い酒を多量に飲めば目の前は揺れ、
体は暑くなるほど温かくなり、そのうちに泥酔するのは当たり前。
ミレムは目の前に戦が差し迫っているのにも係わらず、
重い甲冑を勢い良く脱いで肌着一枚の軽装になった。
薄ら紅い顔を浮かべながら、ミレムは笑顔でこう言った。

「いやー暑い!暑いのう!」

前方の敵兵に気がいっていた隊長が、指揮を求めて振り向く頃には
ミレムはすっかり酒の気に当てられ、泥酔していた。

「はっ!ミレム将軍!戦を前にして!何をなさりまする!」

「何を?ハッハッハ、知れたこと。この世の極上を味わっておるのよ」

「か、甲冑を着なさいませ!もう敵はそこまで来ておりますぞ!」

「ふぇっ?こんなに暑くて適わんのに…なあに、皇帝の血筋である俺が居るんだ敵兵などいつでも片付けてやれるわい」

「ミレム将軍!このまま接近されれば我が隊も気づかれてしまいます!」

「うーい。なあに敵をギリギリまで引きつけておいて火計をしたほうが敵の混乱も大きい。それから味方の陣に火を放てばよいのだろう?目を瞑ってでも出来る簡単な事ではないか」

「し、しかし!もう敵は…ええい弓隊!火の準備を怠るな!」

泥酔し、虚ろな眼で剣の柄を地上に突き刺し、
前のめりに体重を乗せると剣を杖代わりにし始めたミレム。
自分達の命を一手に握る指揮官が、戦を前にして酒を飲み泥酔する。
そんな憮然で放漫過ぎる態度は、張り詰めた弓の弦を離してしまうほど
周りの兵士達を慌てさせた。
その横目では、味方陣に進入し始めたステアの敵兵が、
確認できる距離まで詰め寄っており、隊長の顔は色を失い青ざめた。
焦燥感にかられた隊長は、指揮官であるミレムの指揮を待たず
兵達に伝え、矢の火種に火をつけ始めさせた。

「何をそんなに慌てているんだか…どぉれどれ、指揮官として敵の動きを見るとするかのう…ヒック!」

ほろ酔い加減で丘の先へと見ると、ポウロ、ヒゴウの工作隊は
すでに小高い丘の足元へ駆けつけており、それを追うように丘へと続く街道には
官軍の陣であった場所から意気盛んと出撃し、丘にこだまする喚声をあげ、
剣、槍を高々と前に掲げると、目や口元をギラギラと光らせて進む軍団が居た!

「「「ワーーーッ!!!!」」」

戦の愉悦に飲まれる猛々しい武者3千ほどの軍団は、
先頭に昆を振り回す大将ステア、横手に猛将カワバ、リュウホと続いていた。
勇猛なステアの軍と真正面からぶつかり合えば、どうなることか…
差し迫る意気揚々なステア軍団の猛将達と泥酔する指揮官のミレムを
交互にチラチラと見ていた官軍の兵士達は、その歴然たる将の差に震え上がる思いがした。

そんなことも露知らず、いつものように泥酔して調子に乗るミレムは、
丘の先端に躍り出ると、敵兵に見えるところで大声で叫んだ。

「賊軍のくせに騒々しい連中だな、そんなに叫ばんでもよう見えておるわい!」

「ミレム将軍!そこでは敵に見えますぞ!さあ!早くお戻りになり、陣に火を放つようにご命令を!」

「ヒック!…お前には余裕がないのう。どぉれ、賊軍に我が皇帝の血筋の威光を見せつけてやろうではないか」

「え…!?」

バッ!!

なんとミレムは隊長の制止も振り切り、名瀞ヶ丘の先の先、
敵からは丸見えの絶好のお立ち台に肌着一枚で躍り出た!


「醜い野心をもって信帝国にたかる煩いハエどもめ!!貴様等の欲しい首はここにあるぞ!奪えるものなら奪ってみろ!」

「えーーーーーーっ!!」

隊長の声が空に響くと、ミレムは次のように歌いはじめた。

「信の帝に逆らう阿呆♪ほれほれっどこじゃ♪ほれほれっここじゃ♪まだか♪まだか♪賊軍まだか♪お首はここじゃ♪あってもとれぬ♪弱いぞ賊軍♪ホウゲキまだか♪四天王まだか♪もう来てるとは信じられん♪どこじゃどこじゃ♪これじゃ首も♪落っことせぬぞ~♪」

手足をふらふらと左右に振り回し、手を首にすりあてて下に落とすような動作をしては、だらしの無い顔を晒して目を上に向けて舌を出しては、頭に手を当てては円を描くように敵に向けて尻をふる。
その滑稽さ極まるでたらめな踊りと相まって、敵兵達はその歩みを止めた。
シーンとする中で泥酔したミレムの声は、消される事無く
大将のステアはおろか、その横にいるカワバ、リュウホにも聞こえた。

「な、なんじゃあ?あん丘に立つ乱痴気者は?秋の豊穣祭りで舞の稽古にしては良く出来ておるでゴワスな!合戦の最中に甲冑も着ずに肌着一枚でおいどんの目の前に現れるとは、フハハッ!度胸があるというか、頭の悪いというかでゴワス!」

「ステア様!あの者、いかがなさいますか」

「ハッハッハ、目ん前の敵ば蹴散らし進めば、おのずと奴も討ち取れるでゴワス。カワバ!リュウホ!ゆくでゴワス!!」

「「ははっ!!全軍進めーッ!」」

ドドドドドドッ!!

ステアが、サッと前へ手を振り下ろすのをきっかけに
止まっていたステア軍団の兵の勢いは増しに増し、加速した軍は
先に逃げたはずのポウロ、ヒゴウの工作隊に追いつかんばかりであった。


「しょ、しょしょしょしょ将軍ッ!どうするおつもりですか!完全に我らの位置がばれてしまいましたぞ!」

隊長は青ざめた顔を更に青ざめさせると、
ミレムの手をグイッと掴み舞を踊るのをやめさせた。

「うーい。もーう、楽しい舞を踊っておったのに、この真面目な奴め」

「将軍!」

「わかったわかった。これ弓と矢を持て」

「へっ!?はっ、はっ…」

ミレムは不満そうな顔を隊長に向けると手を差し出し、
七本の矢が入った矢筒と一本の長弦のついた弓を持った。

ゴクリ…

兵士達が唾を飲んで見守る中、何を思ったかミレムは
泥酔した手で矢を手に取り震えた指で弓の弦を引っ張った。

ギリギリ…

鉄の鏃(やじり)と矢羽のついた木製の矢を伸ばす弓と弦は音を立てて鳴ったが、
ミレムの視線は敵兵には向いていない、視線の先は空をみて、
とろりと紅潮したミレムの顔は眉毛は下がり、口は惚けるように開いていた。
これが指揮官かと思うと…絶望感すら漂う兵士達の顔を知ってか知らずか、
ミレムの指が支える矢の先は、のらりくらりと左右に動き、
もうすでに何を撃とうとしているのか、わからない様であった。
だが、泥酔したはずのミレムの指は力強く矢を握り、
腕足はその場に動かぬ鉄棒のように体を支えて真っ直ぐに立ち、
ミレムの心は何故だか不思議な自信に満ち溢れていた。

そしてミレムは息を吸い込むと、大きく叫んだ。

「うーい…!皆のもの見ていろ!これが帝の血筋の者の矢!これが天の矢じゃ!」

バッ…ビュッ!!!!

敵軍の頭上のもっと先、秋の青空の合間にぽつぽつと続く白い雲以外
何も無い虚空に放たれた一本の矢は、放物線を描きながら
その勢いを徐々に失い、地上に落ちようとした。

「はっはっは!そのようなヒョロヒョロ矢に当たる馬鹿がおるか!弓の手習いなら、戦の前にすませておくべきだったな!あっはっは!」

馬の手綱を握りながら猛将のリュウホは、自分の目の前、
その先の先に落ちようとする、余りに見当違いの狙いをするミレムの矢を見て
思わず天に向かって大口を開けて笑った。


しかし、その時東方より丘を通り抜ける突風が吹いた。


ビュゥゥゥゥゥゥッ!


突風は、すでに落ちかかっていたミレムの矢を拾い上げるように持ち上げて、
矢は風の勢いのままにステア軍団の中核へと投げ込まれた!

「うッ…!」
「あッ…!」

ステア軍の兵士達頭上をそよぐ矢は、
大笑いをしていたリュウホに向かって勢い良く進み…

グサッ!!!

「グェぁぁぁーッ!!!」

天の悪戯か、リュウホは兵士達の見守る中、眉間にミレムの矢を受けて
断末魔の悲鳴を上げて馬から落馬し、そのまま絶命した。
戦場の露と消えるリュウホの落馬の音を聞いて、大将のステアをはじめ
ステア軍団の兵達は再び足を止めて、ミレムを見上げた。

「はっはっは!見たか賊軍ども!天の矢の威力を!帝王の血筋が気運の力!これがミレムの恐ろしさよぉ!ハッハッハヒヤーッ!ヒック!うぃー」

「ば、馬鹿な。本当に当てられるとは…」

「ヒック!何をしておる隊長、それっ今じゃ。風の吹く今の内に陣に火矢を打ち込むのじゃ!」

「は、ははッ!!それ!全軍火矢を放て!!」

ボォッ!!ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!!

慌しく隊長が命令を下すと、千を超える射手達が
火種のついた矢を味方の陣めがけて続々と放り込んだ!
晴れた秋空に火の雨を降らすが如き矢は、火種を轟々と燃やし、風に乗って
ポウロ達工作隊が準備した油を塗られた幕舎、木柵に突き刺さって引火し、
すぐさまその小さい種火は、大きな火炎となって陣を阿鼻叫喚の地獄とした。

「ぎゃあああ火!火だ!誰か水を持て!」
「うわあああ!水はどこじゃ!このままでは焼け死んでしまうぞ!」
「わ、藁や布に引火して、火のまわりが早い、た、たすけてくれー!」
「もうだめじゃ!うわあああ!」

駐屯していたステア軍団の兵士達は、風に乗って次々と投げ込まれる火矢と
目の前に広がる火炎地獄で狼狽し、陣中は混乱の渦に飲み込まれていった。
陣にはポウロ達工作部隊が画策したとおり、火を消す水などは一切無く、
火をかき消すために叩く布でさえ油に浸されて引火してしまうほどであった。


「ば、馬鹿な…自陣を燃やしおるとは…あの男、謀りおったな!!!ええい!くそ!…このままでは被害も甚大でゴワス!退け!退くのでゴワス!」

ドドドドドドドッ!!

火炎地獄の後ろの陣を見るに、己の危機を感じた四天王ステアは
リュウホを失った失意に暮れる事も間もなく、号令によって
方々散々に逃げていった。

「やりましたぞミレム将軍!敵が退却していきます!」

「ひっはっはぁ!どうだぁ?ヒック!ウーイ…賊軍が逃げていくぞぉ!見事にわしは敵将を討ち取り、敵は列を乱して逃げていく。実に愉快じゃのぉ!ヒック!四天王など名ばかり、このミレムの前では蟻のごときものよぉのぉ!ヒック!」

「「「ワーッ!!」」」」

泥酔する眼で声を放つミレムに声を上げ、湧き上がる兵士達の歓声の中、
工作部隊を率いて丘へと急いでやってきたポウロ、ヒゴウがミレムと対面した。
泥酔したミレムをポウロが見たとき、ポウロは「またか」と思ったが
内心、このミレムという男の気運という恐ろしい物をまざまざと感じてもいた。


「…ふふふ、やはり私の目は間違いではなかった。天は悪戯好きすぎる。このような気運を、この地上へと産み落としたのだからな…」


ぽつんと呟くポウロの声は、泥酔するミレムには聞こえなかった。
合流したミレムの軍団は、キレイの命令どおりに、
名瀞平野にあるキュウジュウの陣に向かって兵を進めるのであった。

第四十五回『計略開始 対騎千合 再戦四天王!激烈極まる戦の序』

2008年01月19日 19時41分30秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十五回『計略開始 対騎千合 再戦四天王!激烈極まる戦の序』



季節に伴って紅く色づき始めた森花、穏やかな秋風の吹きかかる名瀞平野に
両軍謀士達の知恵、智謀、策謀が渦巻き、その下知を受け、兵が動く。
合戦の準備の終了、その頃合は示し合わせたように同時であった。
対峙する両軍の兵達は今、名瀞平野の巨大な人波のうねりとなって構えていた。

西方は信帝国官軍キレイ軍団2万、対する東方は高家四天王軍団1万5千。

名瀞平野の北の湿地帯『拭徐野(フクジョヤ)』には
キレイ、タクエンの歩兵隊4千が敵に気づかれないように密かに回り込み、
南の原野帯『望明野(ボウミョウヤ)』にはキレイの弟キイと
2千の歩兵隊が闇に紛れて移動し、合戦場を前に息を潜めて潜伏した。
味方の陣にはポウロ、ヒゴウの工作隊1千が油を塗った藁や良く燃える木材を
陣の周りに配置しはじめ、その後ろにはミレム率いる弓隊2千が控えていた。

平野の中央、合戦の激戦区と思われる場所には、200歩の合間をあけて
一糸乱れぬ陣形を保つ精鋭の兵が立ち並ぶ二つの軍が存在した。
右方はガンリョの歩兵隊2千、クエセルの野賊隊1千、スワトの槍兵隊1千、
左方はオウセイの騎馬隊1千、ドルアの長弓隊1千、リョスウの歩兵隊2千。

そして官軍の重要拠点である、南方にある『琶遥谷(ハヨウコク)』の兵糧庫には、ゲユマ率いる精鋭小弓隊3千の射手が、敵に気取られぬように密かに守備についた。

一方、東方の高家四天王軍団は、官軍の動きを察知して
すでにキュウジュウの守る1千の陣屋を後にして出陣していた。
中央にはコブキと、コブキの部下シュウト、シュムなどが率いる騎馬隊3千、
ステアと、ステアの部下カワバ、リュウホ率いる弓隊、歩兵隊あわせて5千、
南方にはソンプトの部下トウサ、カオウ率いる6千の兵が続いた。

両軍総力戦を思わせるその様相は、将兵に死屍累々の戦の激突を予感させた。
にらみ合う両軍を前に吹く一陣の風は、今まさに嵐の前を知らしめるものであった。


ドドドドドドドドッ!!!


東方から叩きつけるような、けたたましい陣太鼓が平野に鳴り響き、
それと同時に千を超える兵が平野を駆け始める!
まず先手をとって仕掛けたのは四天王軍団ステアの部隊であった!

「敵は猜疑にかかって士気も落ちとるはずでゴワス!高家四天王ステアの勇猛な兵の強さば知らしめ!敵に見せつけるでゴワス!進めぇー!官軍兵など一気に踏み潰すでゴワス!」

「「「オオオーッ!!!」」」

ドドドドドッ!

ステアの一声で歩兵隊5千の兵が一同に動き始める!
流石、兵を束ねるのが四天王ステア、率いる兵も良く訓練された精鋭である!
その隊列は一人とて乱れず、縦横に立ち並んで見事な陣形を整えた!
大将ステアを中軍、前衛に猛将カワバ、リュウホを配置して
将を囲むように4歩の間隔で兵を並べ、槍を持った兵を前後に配置し、
盾をもった重装兵を真ん中に配置し、前列と後列を交互に交替することで、
敵を突き崩す突進力と、陣形を崩さない耐久力を兼ね備えた攻撃の陣
『突甲車列の陣』である!


「コブキ様、ステア将軍が攻撃を開始しました!我々も行きましょう!」

一方、隣接して軍を滞在させていた四天王コブキの騎馬軍団も、
ステアの軍の動きに気づいてコブキの部下シュウトが、合戦今かと
はやる気持ちを抑えきれずコブキに進言した。

「………」

破天馬哭の鞘を鐙の横にくくりつけ、長い黒衣を風にたなびかせ、
黒毛の馬に颯爽と乗っているコブキは、その表情、その眉一つ動かさず
黒い兜から薄っすらと見える、恐ろしくも冷徹な眼差しを
部下シュウトに向けて放つと、悠然と戦場を眺めて、静かにこう言った。

「……全軍…進めッ!」

「「「ははーっ!」」」

ドドドドドドドッ!!

ステアの軍に遅れること少し、コブキの騎馬隊も前へと走り出した!
黒毛の馬でまとめられたその騎馬隊は、恐ろしくも美しく!
コブキを先頭に一文字の陣形で名瀞平野を駆けた!


「敵の大将はステアにコブキか…!よし!我が騎馬隊が正面を当たる!ドルア、リョスウは横につき、敵と対峙せよ!よいか!ステア軍との激突はなるべくさけて、破られたら即座にすべるように北上せよ!無理に反撃せず、守れぬところは崩せ!!本陣に向かう敵兵は無視せよ!」

「ははっ!」

一方その頃、ステアの動きを見たオウセイの軍は、オウセイの指示に従って
ドルア、リョスウの軍をオウセイを中心にして斜に構えた陣形をとり始めた。
機動力のある騎馬隊を中央に側面を歩兵と弓隊で固め、敵の攻撃力を
一手に騎馬隊に向けさせ、敵が集中する間に側面からの攻撃や移動を
たやすく行うことの出来る陣、防御移動に適した『斜方横退の陣』であった。


ドドドドドドドッ!

「ワアアアアアアアーッ!!」

名瀞平野に人の波と人の波が巨大なぶつかりを見せる!
将兵はそれぞれ勇ましく!突き立てる剣、槍は前へ前へと掲げられ
一突き、二振りするごとに名瀞の大地に草に血を吸わせる!
それは重なり弾ける渦潮のように苛烈!岩肌に叩きつける潮流のように激烈!
退いては返し、返せば退いて、次第にその数を消耗させていった。

「うわああ!」

カキーンッ!ブンッ!グシャッ!

「ギャアア!」

カキーンッ!ブンッ!グシャッ!

「官軍兵はまこと弱兵ばかりじゃのう!我が槍に耐える者もおらんとは、誰か強い武者はおらんのか!」

正面きって一軍を飛びぬけ兵を相手に馬上の武者が一人!
それは四天王ステア軍随一の猛将、カワバの姿であった!
筋骨隆々のカワバの腕が上下左右に動き、重く長い鉄槍が一振りされれば、
その分だけ名瀞の空に、地に、軌跡を描いて官軍の兵の首がひしゃげ飛ぶ!

「相変わらずの荒くれ者め!貴様の相手はここにいるぞ!」

バッと前へと躍り出たのは元ステアの部下、
今はキレイ軍団の一翼を担う武将リョスウであった。

「ほう誰かと思えばランホウの部下であったリョスウか。良いところで出会ったのう!この裏切り者め!草葉の陰で首をとられた味方がすすり泣いておるぞ!我が槍で成敗してくれる!」

「黙れ逆賊!」

ビュッ!ガッ!カキーン!

顔を見知った武将同士の一合目!
馬を走らせ、その勢いを借りて一撃を放つリョスウの槍がカワバの槍を捉える!

「ぬるい攻撃じゃのう!その程度で俺に勝てると思うか!」

「ぐ、なにをーッ!」

ビュウッ!ガッ!ビュウ!カキーン!

「くくく!実にお前らしい軟弱な槍だなリョスウ!お前の上官のランホウも弱い奴だったが、部下のお前も弱いのう!そのような攻撃で俺を討とうとは片腹痛いわ!」

ビュウッ!ガッ!

「くっ!」

兵が横で激突する中、馬上からリョスウの攻撃が何度も何度もカワバを狙うが
猛将揃いのステア軍でも飛びぬけて強いカワバは、まるで涼風を避けるが如く
リョスウの槍をせせら笑っては、素早くかわしていく。

「さて、ではそろそろ本気を出すかのうッ!それっそれっ!」

ビュウッビュウッ!!ガキッ!ガキーン!

「ぐっ…!ぬっ!ぐっ!」

カワバの鋭い槍の払いが空を薙ぎ、リョスウの槍に鉄を散らし激しくかち当たる!
一合、二合、重ねるうちに重みを増すカワバの技にリョスウは
いつの間にか防戦一方になっていた。

「ふはははは!裏切り者め、勢いは最初だけか!太刀を受けるばかりで能が無い!後ろに横に兵を待たせて、もう後は無いぞ!それっ!そこっ!」

ビュウッ!バキッ!!

「ぐわッ!!」

カワバの馬上からの鋭い払いを槍で受けようとしたが、槍は鉄の音を
あわせることもなく、リョスウの兜にあたり、リョスウは勢いに負けて
その場に落馬してしまった!

「ふふふ、裏切り者め。せめて俺に討たれることを誇りにあの世で語れッ!さらばじゃ!」

ビュウッ!

「ぐっ!無念…」

カワバはニンマリと下卑た笑みを浮かべて、鋭い槍を振り下ろした!
悔しそうな諦め顔で槍を握りながら死を悟るリョスウ、
まさにカワバの槍がリョスウの喉元へと届く、その瞬間であった!


ビュウッ!カキーン!


「リョスウ頑張れ!オウセイが参った!」

鉄の弾ける音と供に、土草に倒れた絶体絶命のリョスウを救う槍筋が一つ!
リョスウは諦め顔を直し、自分の槍を握り槍筋の先を見ると、
そこには中央で騎馬軍団の指揮をとってるはずである武者が一人、
悠然と双尖刀を握る馬上の猛将、オウセイの姿があった!

「おお!オウセイ将軍!助かりもうした!」

「リョスウ!馬に乗り他の軍団の指揮をとれい!ここは引き受けよう!」

バッ!
そういうとリョスウは自分の馬に乗って、
横縦で闘い続ける歩兵部隊の指揮へ向かった。

ガツッッ!

それを見ながら獲物を逃がされた事で怒りを覚えていたカワバは
眉をひそめ、大きく口をあけ、怒りを露にすると、目の前に悠然と立ち続ける
馬上のオウセイに向けて叫ぶように言った!


「武士同士の一騎打ちに水を注すとは…オウセイとやら推参なりッ!!!!!」

「ふっ!これは失礼をした!荒くれ武者に討たれる首が一つ必要ならば、不肖。このオウセイがお相手を致そう!首に武を引っさげるには丁度良い相手と思われるがどうかな!野戦にかける馬上より我が双尖刀の切れ味、その身に受けて驚くなよッ!」

「その若さゆえか!面白くもない大言を吐いて挑発のつもりか!?この無礼者め!寝言世迷言は、胴が首から離れてから言うんだな!ステア軍随一の猛将カワバの重槍で、貴様の大言を後悔しながら死ねぇい!」

ビュウッ!ビュウッ!ビュウッ!

叫ぶと同時に互いの馬が駆け、先手をとるようにカワバの重槍から放たれる連撃!


「よっ!とっ!はっ!それっ!」

ガキッ!ガキッ!ガキッ!ブゥン!!ガキーン!

「ぐぬうっ!な、なんという早業だ!」

「ふふふ、まだまだ序の口だぞ!次はもっと早いぞ!我が馬上の闘術!その身に存分に味わうがいい!」

ブゥン!ビュウビュウビュウッ!カキンッ!カキンッ!カキンッ!

馬上からオウセイがグイッと腕に力を入れて双尖刀を撃つ!
鋭く光る一閃が、敵の急所に重なり空を裂く!

「う、な、なんて鋭い突き…これは強ッ!ウオォァァァッ!」

疾風!怒涛!馬上の武者オウセイから放たれる鋭く重い太刀筋は
馬上でありながら、その方向を選ばず!正面!斜め!上下!左右!
全てが目にも留まらない死角を突く、自由自在の攻め!無為の技である!
オウセイの攻める槍の一点は強風の勢いを借りた豪雨が振る如く多数を数え、
いつしか点は面となり、まるで集中する一面の刃の幕であった!
勢いを買った猛将カワバだったが、馬上のオウセイが終始勝負を圧倒した!

「どれほどの者かと思えばこの程度!大将ステアのほうが数倍強かったわ!ええい邪魔だ!四天王軍団のカワバ恐るるに足りず!」

「ぐ、ぐぬぬ…」

ビュウッ!カキーン!

「まてい!四天王ステアが家臣リュウホが相手だ!」

「おおリュウホ!こやつ只者ではないぞ!気をつけよ!」

入り乱れる両軍を裂くように一騎でやってきたのは、
四天王軍団ステアの部下、荒くれ者で有名な猛将のリュウホであった。
分厚い鉄が光る鎧甲冑を身にして、リュウホの手には長く重厚な
鋭い刃を持つ薙刀が握られていた。

「一人で適わないものが、もう一人現れても役不足だ!二人でかかってきなされ!このオウセイの武者ぶりに花を添えるための一勝負!お相手つかまつられい!」

「我ら二将を相手にその大言!己の力に酔った若造め!首と胴が戦の露と消えるその間に!修羅の地獄に叩き落してくれるわ!」

ドッ!!ビュウッ!カキーン!

再びオウセイの恐ろしいほど早い、鋭い太刀一閃!
打ち付けられる杭のように重くのしかかる!
手に残る痺れるような痛み!体に帯びはじめる熱と寒気!
そう、猛将リュウホの感じたそれは、歴戦の腕に馴染む相対する武者への震え!
攻撃の重さを自分の薙刀で受けて、オウセイを若造と今まで舐めきっていた
猛将リュウホの額と背中にヒヤッとする微量の汗が滲み始めた。

「ほ、ほう!言葉だけではないな!流石に大言を吐くだけあって、貴様なかなかやるではないか…!うぉ!!」

ビュウッ!ガキーンッ!!

「うぬぼれるなよ!貴様ら賊軍に上目線を許した覚えなど無い!」

双尖刀を振るいながら、敵二将をギラりと睨むオウセイの目。
迷いも無く周囲の白の深く沈んだ黒の点は、武者の猛きを大きく見せ
敵に恐怖を覚えさす、まさに剛将の目であった!

「こ、このお!!!いくぞカワバ!」

「お、おう!こやつに戦の辛酸を教えてやる!」

ビュウッ!ブゥン!ガッガッ!ガキッ!ガキガキッ!カキーン!

唸る鉄腕!響く鉄音!
重槍から撃ち放たれる突きの数五十!刃を合わせること八十!
力、速度を落とさず打ち続けるカワバ、リュウホも凄かったが、
それを易々と受けきりつつ打ち返し、相手を圧倒するオウセイも凄かった!

しかしその時であった。

ドドドドドッ!

野を切り裂く馬蹄と波の如く現れる人の足音!
ステアの本隊の重装歩兵隊が今まさにオウセイの目の前に現れたのだ!

ビュウッ!カキーンッ!

「うっ、ステアの本軍が現れたか!二将よ!悪いがこの勝負お預けだ!」

「な、なにをまだまだ…」
「く、くそ体がついていけん…」

激闘を演じた後だというのにオウセイは平気な顔をしながら、
タクエンの作戦通りに軍を動かすため、背を向けて馬を走らせた。
それを追おうとするカワバ、リュウホであったが、オウセイとの打ち合いで
今まで味わった事の無い重く響く蓮華気を受けた体の疲れは、
すでに限界に達しており、オウセイを追うほどの力は無かった。



「全軍退けーッ!ステアの軍が来るぞ!抵抗せず逃げる事だけを考えよ!退けーッ!退くのだ!」



「「「ワアアアアーッ!!!」」」

ドドドドドドッ!!


周囲の兵の動乱を見ながら、大地に吼える剛将の声!
オウセイの号令がそびえる英名山を前にして名瀞平野に響くと
兵は前談の指図どおりにゆるやかに北上の部隊と合流を開始した!
四天王ステアの軍に突き崩される陣形を見ながら、馬上のオウセイは、
今、目に映る壮大な計略の始まりの刹那を自分の心へ刻み付けていた。

第四十四回『起挙平明 調挙探謀 名瀞軍儀、兵謀あって暫く挙せず』 

2008年01月17日 22時20分55秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十四回『起挙平明 調挙探謀 名瀞軍儀、兵謀あって暫く挙せず』


スワトが業物の刀槍『真明紅天』を手に入れて陣に戻ってから二日後、
キレイ官軍隊の陣は慌しく軍儀を始めた。
何を言うまでも無い、名瀞平野を境に対面対峙する
四天王軍団の陣屋に計略を孕んだ兵の動きが、
キレイによって立てられた小高い櫓からうっすらと見えたからである。

こう着状態を打破するために鬼謀ソンプトが仕組んだ計略『虚変実撃』の計。
それに対して着々と準備を整えていた名謀タクエンの計略『後虚車実』の計。

今まさに神算鬼謀の策士同士の戦いは、最終段階へと進んでいた。

官軍隊キレイの本陣 幕舎

合戦の前の静けさを薄々感じ取るように広い幕舎には
ピンと張り詰めた緊張感と強張る武将達の顔が今や騒然と並んでいた。
官軍キレイ軍団の諸将とミレム軍団の諸将が左右に別れ、
首座にキレイ、右方にオウセイ、左方にタクエン、キイ。
首座近くの机には敵味方の兵を表す駒と名瀞平野の地図が置かれ、
軍儀は開かれようとしていた。

「各々方、今日諸将に集まってもらったのは他でもない。我らが今までしてやられた四天王軍団との対局、その勝敗を決める決戦を、私は決心したからだ」

「「「おおっ!」」」

「では参軍のタクエン、決戦の戦略を版図を持って将軍らに説明申せよ」

「ははっ。不肖タクエン、ご説明させていただきます」

湧き上がる将軍達を前にしてキレイは落ち着き払った態度で
左手にいるタクエンに指図すると、タクエンは両手を中央で組み礼をし、
名瀞平野の映る地図の上に配置された各将軍達の名前が書いてある駒を動かし、
諸将に伝わるようにゆっくりと、それでいて大きな声で話した。

「此度の敵の四天王軍団の動きは、古書兵法の計略『虚変実撃』を要して、我らの虚実に騙され続けた猜疑の心を利用し、それを助長させて、本来陽動である虚の部隊を実に見せる計略なのです。おそらく敵が我が兵糧庫を狙う振りをして本陣に攻め入るという情報は、我らの判断能力を妨げる計略の一部でしょう」

「な、なんと!」
「そのようなことであったのか!」
「では陽動の軍が来ると聞いたが、それこそが実働部隊なのか!」

驚きを隠せない官軍の将兵達。
タクエンはそれを見て、再び語り始めた。

「これを今まで諸将に話さなかったのは、敵の策に我らがのったように見せるためでございます。敵を騙すにはまず味方、その通りといった風に四天王軍団は、今痺れを切らして我が軍を攻める算段をしています」

「で、では四天王軍はやはり攻めてくると!それでは対応せねば…」

「ご安心なさいませ、兵法、策、謀には正邪の法がございます。表があれば裏もあり…今回は『虚変実撃』の計のその裏『後虚車実』の計をとります。虚変実撃が猜疑を計り判断力を劣化させる計ならば、後虚車実とはその逆。騙し計ろうとする判断に乗ったようにみせて敵の油断を突き、逆に大反撃を用いる策にございます」

「な、なんと後虚車実の計!」

「すでに敵兵が動いたとなれば我が計略の5割は完成したことになります。あとは我が軍団の布陣の問題ですが…」

そう言うと、タクエンは名前の書かれた駒を手に持ち
まず名瀞平野の映る地図の中央、平野に数個の駒を置いた。

「まずは名瀞の中央、敵陣から1里の場所を押さえ、左右に2百歩の距離を置いて将兵を4千ずつ、合わせて8千の兵を置きます。おそらくここは敵も陽動を察せまいとして、強力な兵を置きます。つまり今回の決戦では一番の激戦区、長丁場の修羅場となります。ここには、とかく勇猛な将軍を配したいのですが…」

バッ!
タクエンの言葉が途切れるや否や
左右の列から将軍達が手を上げて立ち上がった!

「それがしにお任せくだされ!蘇ったそれがしの武器とそれがしの力さえあれば、きっと目覚しき戦果をあげてみせることが出来るでござる!」

「俺に任せろ!野賊隊の勇敢さなら知っての通り、どの隊にも負けやしない!やつらに煮え湯を飲まされ、殺された部下達の恨みは俺が晴らす!」

「いいや、わしに任せよ!我が鉄槍の凄み、兵の統率!勇猛さでは誰にも負けぬわ!」

豪傑スワト、野賊の長クエセル、猛将ガンリョが声をあげてタクエンを見る。
血気に満ちたその目は、決戦と聞いて疑いようも無い武将の目であった。

だが、疑いなき武将の目も命をとして慌しく変動する合戦になれば変わる。
タクエンは彼等の燃える闘志に釘を挿すように、三人をジッと見ると、
駒を置くのをためらうように、コツコツと地図の上で小突き、
わざとらしく少しため息をつくそぶりをして、気持ちが萎えたように
眉をひそめ、声を小さくして三人にこう言った。

「あなた方の勇猛さはわかりますが、今回の決戦は実質四天王軍との総力戦です。判断を誤り、命令を無視するような将軍では、策も策として使えません。先の戦いでも将が勝手に追撃などをしかけ、我が軍に被害がでました。本音を言わんとすれば、あなた方にこの大事を預けることが少し不安です」

「武将を軽んじられるか!それがし等は兵を預けられれば武将でござる!」
「素行の悪さは認めるが、俺らはもう賊じゃねえ。立派な官軍の兵だ!」
「将として無能で敗北を喫するなら、我らを斬罪にでもかけてくだされ!」

三将のその言葉。その態度。
四天王軍団と幾度と無く戦った武将達の心には、おごりなど無く
ただ純粋に合戦に出る将軍としての輝きに満ち溢れていた。
敗北につぐ敗北、その連敗を続け、辛酸をなめさせられ続けた武将達、
その戦いの全てが彼等を成長させ劇的に変えていたのだ。
タクエンは武将達の言葉を聞いて安心したようにこう言った。

「良いでしょう。では右方の4千の内、歩兵部隊2千をガンリョ将軍、野賊隊1千をクエセル将軍、槍兵隊1千をスワト将軍に任せます。あなた方は正面の兵を引きつけつつ、たとえ何が起こってもそこを守り、絶対に退かないでください。勝手に動けば、この策の意味は潰えます。わかりましたね?」

「「「はっ!必ず」」」

次にタクエンは地図の左手にある駒三つを動かす。

「そして2百歩置いた場所の左方4千の兵。ここにはオウセイ将軍を大将に騎馬隊1千、ドルア将軍に長弓隊1千、リョスウ将軍に歩兵隊2千を配し、敵と対峙します。おそらく敵は少数の兵で参りますので、適当に戦ったら、あえて負けた振りをして、一方の敵が味方陣へ進行しても無視してください」

「負けた振りをするのですか?失礼ながら、陽動の軍が味方陣に動いているのならば、ここは疲弊しようとも抜かれるのも…」

「ドルア将軍、策や兵法は時に自らの物を犠牲とする時がある。敵が鬼謀の者なら、その油断を誘うため、なおさら重い犠牲が必要となるのだ。陣は気にせず、ただ命令に従って戦うのだ、それしか我らに勝ち目はない」

タクエンはドルアの進言を聞いたが、それを言葉で一蹴した。
そして再び大きく息を吸い込むと、静かに戦略を語り始めた。

「敵が囲いを突破し、通り過ぎたと思ったら北に移動して、ガンリョ達の軍と合流し、その場を死守してください。英名山から煙があがったのが見えたら、それぞれ戦を止めて兵糧庫のある琶遥谷に向けて駆けてください、必ず逃げ帰る四天王軍が現れますのでそこを叩いてください」

「琶遥谷に向かって敵兵がおらなかったら如何する?」

今度はオウセイが質問した。
しかしタクエンは、顔の表情、その皺一つも動かさずに冷静に答えた。

「その時は、再びニ隊に別れ、全力で味方陣を攻める敵を押し返してください。もし敵がその攻撃で退くようであればそのまま追撃して、なるべく足止めをしてください。英明山に火の手が上がったとき、その時こそ敵を全力で押し返し、見事に追い払ってくだされ」

「わかりもうした。我が隊の身命を用いて策を完遂させましょうぞ」

質問に対して的確、それでいて自信たっぷりに答えるタクエンを見て
オウセイは投げかける次の言葉を失い、そのまま納得した。

タクエンは、次に三つの駒を味方陣のある平野地帯に置いた。

「ここへはミレム将軍の小弓隊1千を味方陣屋の後ろに、ポウロ、ヒゴウ将軍の工作隊1千を各味方陣屋に置きます。まずポウロ、ヒゴウ等は味方が出陣したら陣屋の全ての柵に燃えやすい薪と油を塗った藁を放り、味方の軍を突き破り抜け出してきた敵が来たら一斉にミレム隊にほうへ逃げてください。ミレム将軍は工作隊が逃げ出すのを見て、後ろ手の丘から火矢で味方陣屋に火をつけてください」

『味方の陣屋を燃やす』
その言葉にはミレムをはじめ、並んだポウロやヒゴウまでも驚いた。
策のためとはいえ、自分達の帰る場所を炎上させて
退路を塞ぐなど、今までの兵法ではありえない作戦であった。

「なんと!味方の陣屋を燃やすのか!それはどういう事ですか!?」

驚くミレム達に、タクエンは駒をくるりと回転させて
地図上にパシッとおくと、冷静な口調でこういった。

「そうです。なるべく多く燃やしてください、そのほうが敵も混乱し慌てます。そうして、敵が慌てて陣を出て行ったら真っ直ぐに名瀞平野を駆けて敵の英名山の前の陣屋を同じく火矢で程ほどに攻めてください。おそらく守り手は守り上手なキュウジュウの兵。苛烈に攻めて、攻め落とそうとは思わず、適当に戦って陣屋に煙があがったら逃げてください」

「ふむむ、おかしな命令じゃが…しかたあるまい」

タクエンは、不思議そうに顔をしかめるミレムを見てフフッと笑うと
今度はゲユマの方を向いて、地図の南方、重要地点である
味方の兵糧庫にある琶遥谷に駒を置いた。

「琶遥谷にはゲユマ将軍が小弓を持った手練の射手3千の兵を潜ませてください。谷の上に潜んで、決して前面や後方に多くの守備兵を置かないこと。敵の武将が怪しがっては策に支障をきたします。必ず谷の上に潜み、敵に体を隠すように勤めてください。敵が怯んだら兵糧庫に1千の守備兵を残し、そのまま英名山の武赤関のほうへと向かってください」

「ははっ、お任せあれ」

ゲユマが手を組んで礼をするのを確認したタクエンは
最期にキレイの駒とキイの駒、そして自分の駒をとって、
北方の英名山へと連なる湿地帯『拭徐野(フクジョヤ)』へ駒を二つ
南方の英名山へと連なる原野帯『望明野(ボウミョウヤ)』へキイの駒を置いた。

「ここ北方拭徐野には、キレイ様と私の歩兵4千を置きます。キュウジュウの守る陣が煙があがり、慌しくなりはじめたら、一気に山塞の壁を昇り、味方の反乱や何かの理由をつけて、偽報を叫びながら火をかけて関を攻めてください。混乱し、守りの薄い武青関をその勢いをもって一気に攻め落とします」

「わかった。偽報で油断している敵の肝を冷やしてやろうではないか」

「そして望明野のキイ様は2千の兵で待機して、武赤関へと走るゲユマの兵と供に四天王軍の兵を装って武赤関を攻めてください。一方の関がやられるとなれば、敵兵も情報に踊らされるでしょう。しかし、必ずキレイ様が武青関を落とした後に移動してください。敵がキレイ様のほうへ集中して、関が手薄になったほうが確実に攻め落とせます」

「なるほど。承知した」

最期の駒を置くと、首座にいるキレイが立ち上がり発言した。

「では決行は明晩とする!各将、敵に気取られぬように動いて決戦に挑め!それでは解散!」

「「「ははーっ」」」

こうして術策を背負った全ての駒が戦場へ配り終えると、
いつの間にか名瀞平野の地図は駒で一杯になっていた。

命令を聞いて、幕舎を後にした将軍達は合戦を前にして、
それぞれの気持ちの高ぶりを抑え、今までの敗戦の苦々しさを思い出しながら
タクエンから託された戦略を胸に、そして頭に焼き付けていた。



そして秋風が吹く名瀞平野に再び嵐が吹き荒れる。
兵は闇を味方にして異動し、将は熱を帯びて夜明けを待ち
合戦前の静かな夜は明けるのだった!

第四十三回『飛士鋼翔 固粋無頼 名工、豪傑の瞳に光を見る』

2008年01月16日 20時29分07秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十三回『飛士鋼翔 固粋無頼 名工、豪傑の瞳に光を見る』



四天王軍団鬼謀ソンプトが放った『虚変実撃の計』を見抜き
キレイ軍団名謀タクエンは、その裏をかく『後虚車実の計』を進言し
計略を気づかれてはならぬと、ゲユマやオウセイといった軍団の
主だった面々を秘密裏に集めては、幕舎で慎重に軍儀を重ねていた。

一方その頃、官軍の一翼を担うミレム軍団のスワトは失意に暮れていた。
ミレムと出会い、ポウロと出会い、勇士を集めて村を出立する時に鍛冶屋に造らせ、対峙する賊や猛将たちを一刀の元に斬ってきたその自慢の大薙刀を失い、また同時に四天王コブキとの一騎打ちで人生初めての敗北を知り、スワトの心は豪傑としてのそれを失っていた。

余りに高まりすぎた豪傑としての自負心の崩壊は、恐怖の種に火を灯す。
スワトは繰り出すコブキの破天馬哭の一刀、その一刀を思い出しては
焦燥感に苛まれ、次の戦で出くわせば、また負けるのではないかという、
らしからぬ矮小な心情に怯えていた。

そのため寝所に行っても、ろくに眠れず、食事になっても、ろくに食えず、
心配したミレム達の労いや、問いかけの声も、スワトの耳にはおぼつかないまま、ただボーっと、黙って外にでるかと思えば狂ったように剣をふる毎日をおくった。

朝は闇の帳が上がる前から、晩は松明を焚いては煙で月星が陰るまで、
重い甲冑を身につけ、何本もの槍、何本もの剣を重りを括り付けては振り、
戦に焦り、恐れる自分を振り払うように己の武技を磨いた。

しかし、いくら豪傑といえども、
そんなことを続ければ体調も悪くなるというもの…
豪傑を支える堂々たる肉は痩せ、骨は軋み、目の下は黒くクマを作り、
顔はそれまでのスワトからは考えられないほど暗く、疲労していた。
そして、そんな状況でいざ戦の時となった時のスワトは、
常人のそれよりは強いとはいえ、兵をまとめる指揮能力や判断能力も落ち、
今まで通りの戦果はあげられなかった。

ミレム達はそれを見ては心を痛め、何かしてやりたいと色々な方法を試したが、
スワトは気まずそうに毎度断っては、剣を振り回す日々を続けた。

そして秋風が吹き、再びスワトの失意の朝がやってくる。

名瀞平野 西方 ミレム軍団陣

ビュンッ!ビュンッ!

「…ッ!…ッ!…ッ!」

昇りあがった朝日を半身に受けながら、スワトは瞳を滲ませ、
土塁を築くために用意された砂袋を手につけて、二本の槍を振っていた。
振り下ろし、振りあがる剣は風と音をたてて空を斬ってはスワトの手に軋み、
すでにスワトの全身には噴出すような汗が流れ、顔は疲労に歪んでいた。

「ふわあぁ…もう始まっておったか」

「そのようにございますな」

自分達の幕舎の中から起き上がるミレムとポウロ。
毎日、朝日に疲労の顔を照らされ、汗は甲冑からはみ出る着物に滲み、
眩しい光を影に必死に剣を振りながら、焦りの表情を浮かべる豪傑の姿は、
二人の心を少し悲しげにさせた。

そこへ、すでに支度を終えたヒゴウがいそいそと駆け込んでくる。

「ポウロ殿、前談の名工の居場所が突き止められましたぞ。千吟芦(センギンロ)の西へ離れた所だそうです」

「おお、見つかりましたか。それは良き報せだ。今のスワトに再び自信を持たせるには、これしかないでしょうからな。それにしても流石ヒゴウ殿は目が利くな、この少ない時間で見つけるとは大した物ですぞ」

「いえいえ、情報集めだけが私の取り柄。そう褒めてもらうこともありません」

ヒゴウの情報を聞いて安心したポウロは、ミレムに言った。

「ミレム様、相談した案件はキレイ将軍に通りましたか?」

「ああ、あのことかポウロ。お前に言われたようにキレイ将軍に、数日間スワトを外出させる許可をとっておいたが。本当にスワトを回復させられるんだろうな?もし今以上にスワトが駄目になると、俺の進退にも関わる。あとはお前達にかかっておる、豪傑のスワトの復帰を頼むぞ」


「ははっ、お任せくだされ」


そう言ってポウロは朝の眠気眼を払い、旅支度を始めた。
しばらくの間が経つと、ポウロが6頭の馬と荷車、そして2個の堅い樽を用意し、
未だ剣を振り続けるスワトに近づくと、ポウロはニヤッと笑いながら
スワトに言葉をかけた。

「当代の豪傑!スワトよ!貴殿に良い薬を持ってきたぞ!」

ビュウッ!ビュウッ!

しかしスワトは言葉が聞こえなかったように剣を振るのをやめない。
その姿に若干の苛立ちを覚えたポウロだったが、言いたい事を我慢して
今度は大声でスワトへと話しかけた。

「スワト!剣を振るのをやめて聞け!薬だ!薬!」

ビュウッ!ビュウッ!

「豪傑殿!聞こえんのか!」

ビュウッ!ビュウッ!

「この!聞けったら聞け!」

ビュウッ!ビュウッ!

張り上げるポウロの大声も聞こえないのか、スワトは未だ剣を振り続ける。
ついにポウロは内から湧き上がる怒りに我慢できずに、今まであげたことも無い
大声でスワトにこういった。

「ええい!やめないかスワト!ご主君ミレム様直々のご命令であるぞッ!!聞かねば不忠ぞ!」

ビクッ!

「お、おお…ぽ、ポウロか。すまん、それがし剣を振るのに夢中であった…」

スワトは剣を振るのをやめると、砂袋を腕から解き、
剣を地に置くと、蒸れた甲冑を解き、汗だくの着物を脱ぎ、
秋風の涼しさに身を通しながら、新しい自分の服に袖を通した。

「…それでポウロ殿、それがしにミレム様直々の命令とはなんでござる?」

「コホン、最近お主は疲れており、ろくに眠らずに毎日剣ばかり振って体調がよろしくないとミレム様が心配されてな。良く効く特効薬を用意されたのだ」

「…おお、そこまでミレム様が…して、その薬とは?」

ゴロン…ポウロが後ろの二つの巨大な樽をさす。
樫の木目と鋼鉄の止め具から察するに、相当頑丈な樽のようだ。
巨大な樽はそれを納める大きな荷車に詰まれていた。

「これだ。神仙の神通力が入ったこの樽。これに入っておればたちまち直るぞ」

「なに、この樽にそれがしを入れるというのか?」

「少しキツイかもしれんが、ミレム様のご命令である。耐えねば不忠者ぞ」

「わかった。それがしも不忠者にはなりたくない。入ろう」

ゴロン…
スワトは主君ミレムの命令ならばと、自らの巨体の上下に樽を覆いかぶせると、
荷車のスワトの体がすっぽりと頭から足まで入ったのを確認して、ささっと現れた
ヒゴウがその樽の四方にある鋼鉄の止め具をギュッと締めて、硬く止めた。

「ふふ、では行くかヒゴウ。豪傑殿を乗せて千吟芦へとな!」

「ははっ!」

ガラガラガラッ!!!

そういうとポウロは荷車をつけた6頭の馬に鞭をいれ、
後ろで静かに樽に入った豪傑スワトを連れ、一路、
名瀞平野を抜けて、千吟芦へと急いだ。


千吟芦 樹圭庵

千吟芦の西の離れにある樹圭庵。
縦書きで『樹圭庵』と書かれた鉄製の下げ札、それにかかる鉄の門。
鳳凰をあしらった飾りが門を彩り、純度の良い鉄は光に当たり鈍い明かりを放つ。
しかしそのような見事な門や下げ札とは反対に、周りの人家は
人っ子一人住んでいる様子はなかった。
人家の壁や支柱は、長い年月の雨や虫のせいかボロボロに朽ちかけて
耕していたのであろう田は荒れ、集落の外にある見事な外観からは
想像も出来ない場所であった。

ガラガラガラッ!

「幽霊でも出そうな雰囲気だのう。本当にここにいるのですかなヒゴウ殿?」

「ははっ、確かな情報にございます。この樹圭庵は今でこそ寂れていますが、昔は良い鉄の出る産地で、燃料である木々の採取場所も近くにあって、武器や飾りなどで名工と呼ばれた職人達が集まり、沸いたといいます。ですが、良鉄の産出が少なくなると、一人、また一人と去っていきました」

「それでこの有様か…」

「今や住んでいるものはたった五人とか。しかし、その中に当代の名工フロンテイアが居ると…おお、あの家ですぞ!」

カンッ!カンッ!

ヒゴウたちの目の前に白い煙の昇る家屋が見える。
鍛冶屋らしい鉄を叩く音が、あたりにこだましている。

「さて、そろそろ豪傑殿を自由にせねばな」

ガチャッ!ガチャッ!

「おお、豪傑殿。お目覚めはどうですか」

「…中で少し寝たが、やはり駄目じゃ。神仙の樽も今のそれがしには効かなかったようでござる」

「ふふふ。そうですか、では神仙の樽の次は神仙の名工に会っていただこうか」

「なんじゃと!?」

そういうとスワトはポウロに連れられて、鍛冶屋の家屋の中へと入っていった。
トボトボと元気がなさそうに歩くスワトの目の周りは未だ黒いものに覆われ、
背筋や体は弱弱しくだらんと伸び、衰弱したようにも見えた。

鍛冶屋

三人が鍛冶屋の家屋の中に入ると、そこには
おびただしいほどの武器や見事な甲冑が立ち並んでいた。
その剣、槍、甲冑、どれも飾りたてた晴れの日を思わせる
うっとりとしてしまいそうなほど芸術的で、どれもが手に握れば
煌びやかな飾り、鉄の鈍い光とともに合戦の鋼鉄の息吹にそぐう代物であった。

鍛冶屋の中には五人の人間がおり、いそいそと作業をする中
一際熱い火の入った炉の前に、じっくりと座る人物がいた。
そう、この男こそポウロやヒゴウの言う名工フロンテイア、その人である。

カンッ!カンッ!

ポウロは作業をする男に話しかけた。

「お初にお目にかかる。我等は信帝国官軍キレイ軍団旗下で兵を預かるミレムの臣、ポウロとヒゴウ。そして豪傑のスワトである。名工フロンテイアのおられる鍛冶屋というのはここか?」

「名工かどうかは知らないが、俺がフロンテイアだ。帝国の兵隊さんが何をしにこの辺ぴな集落まで?」

「この当代の豪傑にそぐう武器甲冑を作って欲しい。値はいくらでもつけてくれてもいいぞ」

「豪傑・・・?」

フロンテイアはつぶやくと、ポウロの後ろに居たスワトを見て
不機嫌そうに炉にくべた剣を出し、話の腰を折るように大きな音を出し
特性の金槌で思いっきり叩いた。

カンッ!カンッ!

「ふん、やなこった。どんなに金を詰まれても、そいつにそぐう名剣、名槍があっても、あんた達には鉄屑の一つもくれてやらないよ。俺は嘘をつかれるのが嫌いだ。その後ろの大木が当代の豪傑だって?冗談じゃない!死んだ鯉のような目をした豪傑がどこにいる、子どもでもわかるような嘘をつくんじゃない。帰れ帰れ!」

不機嫌な表情を浮かべて、一瞬スワトを蔑むような目で見て言うフロンテイア。
一平民でしかない彼が、帝国の兵士を前にして不遜な態度、
その態度はポウロたちの目に、傲慢な鍛冶屋のように映った。

「なんと無礼な!これにいるスワトは、たしかな豪傑であるぞ!かの頂天教の乱では敵兵3百人を見事に討ち取り!汰馬城の合戦では並み居る猛将を討つ働きをしたのだ!」

「はっはっは!並みの武器でそれほどの成果が望めるのなら、なにも俺に頼まなくても、良い鍛冶屋がおるだろうに!俺は負けることを許せぬ真の豪傑の武器しか作りたくない!そのように体も痩せ、心も衰弱していては、いつか合戦の露と消えるのがわかるわ!」

「心が衰弱しているとはなんと申すか!」

「その通りのことだ!俺は何十年もの間にそれこそ百人を超える武者達に会ってきた。だからこそ見ればわかるのだ!あんたが豪傑と言うその男の、その目、その顔は、負けに焦り、敗北に怖れるあまり衰弱しきった顔だ!心が折れ、戦に怯える奴など豪傑ではない!」

「なんじゃと鍛冶屋!たしかにここにいるスワトは負けた!だが、この男が当代の豪傑たる資質を秘めているを、お前は知らん!先の合戦では、あの四天王最強の武人コブキと対等に渡り合い、負けはしたものの退かずに立派に戦った!その力、その技、その度胸、どれも当代の豪傑たる資質は十分に秘めておる!彼に足りなかったのはコブキの武具『破天馬哭』に相当する武器なのだ!」

カンッ!

その言葉を聞いて、フロンテイアは驚いた表情で金槌を横へ置いて立ち上がった。

「なんだと…?また嘘をついておるのか!?」

「豪傑の前で恥となる嘘などつけるものか、当代の豪傑が敗れることとなれば、それほどの達人が相手となるのは必然ではないか!」

「あのコブキと破天馬哭と渡り合って生き戻ったのか!?」

「あのコブキ…?コブキと知り合いなのか鍛冶屋!ならば奴の実力もわかろう」

「十字の刀槍『破天馬哭』は我が師ファウトスが作り、俺が仕上げをした最強の業物!コブキに渡って見せたその強さ、その力は目に焼きつき忘れるはずはない!あ、あれとやりあって生き残ったと…?ばかなッ!もう一度その男の顔をよく見せてくれ!」

フロンテイアは立ち上がると、大男スワトの顔を見るために
空を見上げて、その目と顔をまじまじと見入った。

「…鍛冶屋殿、それがしの顔に何かついてるでござるか?」

「むむむ…信じられんことだが、うっすらと見える。お主の目には光がある。あのコブキと破天馬哭と渡り合うというのも嘘ではないかもしれん…!おいスワトとやら!こっちにこい!師の最期の名作を見せてやる!」

ガッ!

力強く思いっきり手をつかまれ、スワトは炉のある部屋から移動させられ、
鍛冶屋の家屋の奥にある薄暗い武器倉庫へと向かった。

カッ!

じめじめとした暗い空間に、フロンテイアが火打ち石と種に火をつけ
松明に明かりを灯すと、陰湿な感じのする部屋は一気に明るくなり、
鈍い鉄の光が反射して、武具は息吹くような呼吸をし始めた。
ギラリと目の前に光る巨大な一本の槍とも薙刀ともいえる巨大な業物。
えもいわれぬ業物を前に、武人であるスワトの目は輝いた。
それは情熱的なほど美麗で、見て高鳴る心臓の音をスワトの耳に焼き付けた。

ギラリッ!

「な、なんと巨大で見事な業物!こ、これはそれがしが持っていた大薙刀のそれを一枚も二枚も超えておる…おお、なんと美しいものでござる…武骨で荒々しさを秘める中、この光る鋼のたくましき事…!」

「これは我が師ファウトスの最期の刀槍。名を『真明紅天(シンミョウコウテン)』。コブキの破天馬哭と同じ良質な鉄を何度もたたき上げられた鋼を組み合わせて作られ、武器としては互角かそれ以上と思われるが、その武骨すぎる巨大さ、余りの重さに振り回せる使い手がおらず、仕える豪傑もなく、寂しくしておった。だが、どうだ。久々に明かりを灯して、おまえのような目を持った豪傑を前にして、この真明紅天も輝きおったわ!」

ガシッ!

スワトは思わず許しも得ずにその武器を手に取った。
巨大で武骨な手に武骨な武器が握られるその時、差し込む光明、
反射する鉄の光、そしてスワトの顔が見る見るうちに輝いていく。
天を突き破らんとする巨大な刀槍、真明紅天が今!
当代の豪傑スワトの手に握られたのだ!

「不思議な事だ!さっきまで焦りと恐れで打ちひしがれていた、それがしの気持ちが、この武器を見ると落ち着くでござる!鍛冶屋殿!これは運命でござるか!」

「運命なんてものは、よくわかりません。ですが臣が主君を選ぶように、武器が主人を選ぶならそれも運命なのではないのでしょうか?それにどうでしょう、今、真明紅天を握ったあなたの顔!みるみるうちに先ほどの曇りが消えていくではありませんか!豪傑たる資格!その真明紅天の輝きがなによりの証拠!豪傑殿!受け取ってくだされ!さあさあ、今夜には火を入れて武器の仕上げを致します。さあ誰か来ておくれ!」


そういうとフロンテイアの鍛冶屋にいた四人の男達が作業をやめ
その晩は全員総出で、炉に真明紅天をくべ、その武骨な鉄の塊に
再び息を吹き返させるように、火を入れて何度も金槌で叩き付けた!


カンッ!カンッ!


鍛冶屋の音は、夜が白み朝が明けるその時まで樹圭庵に響いた。

第四十二回『虚変実撃 妙策反謀 鬼謀の妙策、虚に見えて実にあり』

2008年01月11日 22時54分59秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十二回『虚変実撃 妙策反謀 鬼謀の妙策、虚に見えて実にあり』



参謀タクエンの叱咤に励まされたキレイ官軍隊だったが、
それからの2ヶ月間は毎日が苦汁をなめる戦の日々であった。
名瀞平野を境に続く高家四天王軍団との競り合いは、
流石に一筋縄ではいかず、いかに有才の将、智者豪傑の力があっても、
その思惑通りにとはいかなかったのである。


英名山にそびえる二つの要塞、武赤関、武青関の守りは堅く
なおかつ守将が四天王の一人、鉄壁のキュウジュウともあれば
統率された守備兵は一糸乱れず、その守りは分厚い鋼鉄の壁の如く、
芯の通った歴戦の守りには、寸分の狂いもなく、付け入る隙もない。
これを力押しで破るのは不可能であった。

力押しで攻め取れないと思えば策でとるしかない。
キレイはあえて偽情報を流しては、誘引、陽動の部隊を繰り出し、
左へ右へと策を飛ばすが、四天王の一人、鬼謀と謳われたソンプトに
心を見透かされるが如く、出す策は見破られ、その時、その場所を問わず、
キレイ軍団の兵は瞬く間に敗北の辛酸をなめることとなる。

幾度となく野戦で引き分け、または小さな敗北を積み重ねると
被害も大きくなり、攻めあぐねるともなれば持久戦になる。
しかし、官軍隊が本陣をとられまいと出陣せず守備を固めたと思えば、
四天王速攻のステアは、風の如く多くの兵を走らせ、先手を打って
山の麓の数箇所に四天王軍団の陣を構えてしまう。

慌ててキレイ軍団が四天王の陣を攻めるが、そこに待っているのは
武において四天王最強を誇る、常勝将軍、烈炎のコブキである。
黒毛の馬に黒衣の武者、武器のそれを逸する破天馬哭を片手に
目の前の大軍に物怖じもせず、ただ迫る兵を強烈な技と力でなぎ倒す…
キレイ軍団の猛将オウセイ、ゲユマ、ガンリョ、クエセルでさえ
その修羅の如き働きを見て、引き分けるのがやっとという有様であった。


しかし、キレイ軍団も、ただただ指をくわえてやられていたわけではない。
金を出し渋らずに持久戦を見越して兵糧の確保し、敵の情勢を逐一知るために
密偵を忍び込ませて偵察をかかさず、辺りの地理に詳しい者を兵の端に加え、
本陣近くに敵の遠方を視るために、目渡しできる範囲に守備の陣と高い櫓を
数箇所組んで、敵の動きを監視した。

そして、ホウゲキ討伐軍として官軍の片翼を担う大将メルビ、チョウデンの軍に援軍を頼み5千を兵に加えて、かたや後詰めの弟キイに与えた援軍兵も吸収し、キレイ軍団は四天王軍に敗北を続けたいうのに、その兵数は増強に増強を加え、今や2万もの大軍になっていた。


そのため、勝利に勢いのある四天王軍も易々と攻めきれず、
戦は、にらみ合いを続けたまま膠着状態へと陥っていった。


英名山の麓 高家四天王の陣

季節は湿度の高い熱風が吹きすさぶ夏から、湿気の無い秋風が吹き、
葉は色を茶色にそめて、山はそよぐ風にその赤茶けた姿をなびき始めていた。

九月の初旬、初戦から官軍に対して負ける事の無い連戦連勝、
まさに破竹の勢いである四天王軍団は、麓に築いた陣屋に集まり、
その首を今一同に返して策を戦い合わせた。
主君ホウゲキの天下を描き、目の前の膠着状態を打破し、
完膚なきまでに官軍を倒し、一気に西の都へ上洛すべきと、
鬼謀のソンプトを中心に軍儀を重ねていた。

「オホホッ…アチキの智謀にかかっちゃ、官軍もたいしたことないわねえ。官軍には有能な策士がいないのかしら?それともアチキが出来すぎちゃうのかしら。出す策、出す策、全部アチキには見え見えで、謀をするまでもないわ。正直言って、ちょっとは強くないと戦はつまんないわよねえ。陣と兵だけ増やして手配して、あとは怯えすくんで耐えているなんて、あれじゃまるで亀だわよ!」

「フフッ、そうはいうがね。亀は亀なりに必死だよ。事実この1ヶ月、僕ら四天王が方向はどうあれ攻めあぐねているんだからね。まっ、僕らがこうやって戦っている間にホウゲキ様の本隊が南方から西へ進行しているなんて、彼等は気づかないだろうけどね」

「なあに、そのうち敵がしびればきらして攻め込んでくるでゴワスよ!そん時に、おい等四天王の力ば見せりゃあ。官軍恐るるにたりんでゴワスよ。なあ、そう思うじゃろコブキ将軍」

「………俺は『恐ろしい』という感情は持ち合わせていない…」


バタバタッ…バタバタッ…


厚手で白い布が風を防ぐ音が、大将用に立てられた大きな幕舎に聞こえる。
幕舎の中には、名瀞平野の地図を真ん中に四つの机に四つの席、
南は、紫の冠をかぶり薄ら笑いを浮かべる紫の衣のソンプト、
西は、流暢な言葉と含み笑いを浮かべる黄色の甲冑のキュウジュウ、
東は、手を空に躍らせながら大きな声で笑う褐色の鎧のステア、
北は、座す姿は威風堂々にただ寡黙を貫く黒衣と白色の甲冑のコブキ。
その後ろには四天王軍の各直属の配下の将達が立ち並んでいた。

しかし、この軍儀と席の位置関係にはいつも法則性があった。
いつもソンプトは『生』を意味する南に座り、ステアとキュウジュウを横にし、
黒衣で寡黙なコブキをいつも疎ましく対面、『死』を意味する
北向きの席に設置し、決して隣には座らせなかった。
それと同じにステアはソンプトとコブキを隣にするが、
キュウジュウの隣には絶対に座らなかった。
この法則は『同じ方面の軍を率いる』という立場でも同じであった。
関を守る時でさえステアとコブキは武赤関、ソンプトとキュウジュウは
反対側の武青関と言う風に、故意とも思えるほど分け隔たれていた。


そう、同じ君主を仰ぐこの四天王の中にも実は確執があったのだ。


「はっはっは!感情がないとはコブキ将軍も役得でゴワスな!恐れる物を知らんという事ほど武士としては立派でゴワスよ!」

「ふんっ、あーやだやだ。これだから筋肉と暴力で話をする学識の低い人間は嫌いよ。それになんなの?ふんっ、喜びも悲しみも感じないで、よく兵隊の声が聞こえるわねぇコブキ将軍?あんたの部下がかわいそうで仕方ないわ。あ、ごめんなさい!感情がわからないのよねえ?かわいそうに!」

「………」

黒衣の豪傑コブキは、目の前であざ笑うソンプトの言葉に対してただ黙り、
その表情を変えることもなく、下卑た笑みを浮かべるソンプトを見た。
コブキの後ろ将軍達は、自分達の上官に対して侮辱の言葉を並び放つ
紫の衣に、苦々しく歯を軋ませ、拳を握り、その怒りを露にしていた。

「あらら図星かしらねぇ?だまっちゃって。オホホ、あなたの後ろの部下達を見てみなさい。みんなかわいそうに怒りを溜めて、アチキを見てるわ。オホホッ、でも束ねる大将殿がこんな奴じゃねぇー」

「………」

ソンプトはそれら将軍達の無言で怒る姿を見て、
未だ寡黙を貫くコブキを見て気に食わず、そのまま侮辱の言葉を並べ立てた。
部下達の怒りもそのままに、コブキはただ黙ってソンプトを見た。

スッ

「フフッ、少し無礼だよソンプト。僕だって今の言い方をされたら怒るさ。フフッ、そういえばこの前、僕のあからさまな偽手紙にも気づかないで、帰ってきて怒る人もいたね。フフッ、馬鹿はいいよ。簡単だから。偽情報に踊らされて、僕の思惑通りに早がけして策を完成させてくれる…そう名前はたしか、四天王さんだったけな…?フフッ」

ソンプトの前へと手を差し伸べたのはキュウジュウであった。
しかしキュウジュウも、ソンプトの侮辱の言葉に続けと
ステアのほうをみて、上目線で下卑た笑いを投げかけた。

ガッ!

「おいどんを侮辱するつもりでゴワスか!」

「おやおや、僕は四天王といったんだけどね。フフッ、そういう所直さないとホウゲキ様の四天王でいられなくなっちゃうよ。君の特技は乱暴なのと、兵を進ませるのが早いことだけだからね。もっと思慮深くならなきゃぁ駄目だよ、フフッ」

「なんじゃと!おいどんに思慮がたらんというでゴワスか!」

ステアはそのキュウジュウの投げかけに机を叩いて怒った。
キュウジュウは激昂するステアの言葉に対して「ふふん」と言わんばかりに
再び見下ろすような上目線で含み笑いをしながら無礼な態度で言い返した。

ポンッポンッ

「オホホ、今のでいい策が思いついたわ!」

ニヤニヤとする顔を浮かべながら、ソンプトが声をあげた。
するとキュウジュウはステアの顔を見て、それまでの上目線をやめ
深深とステアの前でお辞儀をした。

「おっ。フフッ、ステア将軍をからかうのも終わりか。フフッ、将軍どうも失礼しました。今のは僕が意図的にやったことで、僕が悪かったということでいいですよ。さっ、恨みは忘れて仲良く軍儀に臨もうではありませんか。ソンプト将軍が今ので何かを考え付いたみたいですよ。フフッ、僕はだめだなあ。普通に話そうとするとどうしても偉そうに聞こえちゃう。フフッ、もうしわけありませんでしたねステア将軍」

「なんちゅう慇懃無礼な奴でゴワスか…!」

ステアやその部下達はキュウジュウの言葉にさらに怒った!
だが、流石に四天王軍団の一翼として、軍儀の最中に我を忘れて
怒りだすわけにもいかず、それぞれ苦虫を噛み潰すような顔で
ただ下唇を内に噛み、拳を強く握り、黙ってその感情を抑えた。


「そんで、その策っちゅうのは、なんでゴワスか!」


声をはりあげてステアがソンプトに問う。
ソンプトは肩を上へあげ、ニヤッと笑うと、
紫の衣の腰に手をつけて立ち上がり、逆の手は空にあげ
声を大にして、四天王の座の前で自慢げに話し始めた。

「オホホ…官軍は増やし続けた兵員を養うために、莫大な兵糧を置く兵糧庫をどこかに隠しているはず…。アチキは密偵を忍び込ませて、その場所が名瀞平野の西南の『琶遥谷(ハヨウコク)』近くの盆地にあると睨んだわ」

「へえ、でも琶遥谷は30里も先にあって、攻めるにも敵の監視櫓からは見え見えだよ」

「やーねぇー。何も正々堂々と馬鹿みたいに突っ込んでいく奴なんかいないでしょ?敵はアチキの智謀で何回も煮え湯を飲まされているわ。だからその猜疑心を煽って、いつもの虚を実に見せかけて、それを突くために兵を出して実を奪うのよ。いくら官軍だって、何回もやられてれば気づく奴が一人や二人いるでしょうからね。堂々と正面きって、わざわざ兵数の少ないアチキ達が危険を冒してまで兵糧庫を襲うはずがないと思うでしょ?」

「フフッ、そうか、その官軍の虚を突くわけだね?でも何度も負けている敵に虚を実と思わせるにはそれなりの算段が必要だと思うけど?」

「オホホ、鬼謀といわれたアチキにかかればそんなことわけないわよ。まずは敵にありったけの偽情報を流すの。四天王軍は勝利に酔い始めているとか、反乱が耐えないとか、兵糧がなくて餓えてるとか。情報が相手に伝わったところで、敵の兵糧庫を襲う四天王軍の大々的な陽動作戦を言いふらすわけ」

「フフッ、いつも負けている敵は『いつも逆の手を考える鬼謀ソンプトの罠』と思って、その虚が実に見えてしまう。なるほど名案じゃないか」

「オホホ、わざとらしく敵をひきつけるために陽動の兵を少なくして敵陣の周りに配置すれば、兵の大部分は兵糧庫に向かわせられるしね。時間がたって実が、どこにあるか官軍が勘付いて移動すれば、陽動の兵と合わせて挟み撃ちにもできるし。あとは、今日から守備の兵には空腹の毎日を送ってもらうことくらいかしらね。どこで敵の密偵が見ているかわからないからね。この情報を敵に知らしめて、最期に…これこそ『虚変実撃の計』よ…うふふふ」

幕舎の中でソンプトの鬼謀の計略が着々と動き始め、
その夜、計略を任せられ情報を流すように脱走兵を装って、
一人、また一人と四天王軍の陣屋から人が抜け出して言った。
その次の日から、官軍の陣屋へと一つ、二つの噂話として
四天王軍の偽の情報が流され充満し始めた。



官軍 キレイ軍団本陣

三日後、官軍隊キレイ軍団の陣屋は慌しく動いていた。
勝利を続ける強き四天王軍の弱さを突く情報が、
次々と毎日脱走兵によって舞い込んで来る。
情報は、すでにキレイの耳に届き、四天王軍団を相手に負け慣れたキレイは、
ソンプトの計略の意図にまんまとはまるように、その猜疑心を煽られ、
的確な判断を下せず、どれか虚かと迷い始めていた。
迷い悩んだ末、キレイは他の部将に気づかせないよう
秘密裏に信頼のおける参謀のタクエンと将オウセイを呼び、
誰にもわからぬよう陣の幕舎で軍儀を開いていた。

「お前達に集まってもらったのは他でもない。ここ数日の四天王軍の妙な情報に関して迷い、その答えを率直に尋ねたいのだ。敵の陣屋から連日脱走する兵の情報といい、敵の兵糧事情の漏洩といい。普通ならば千載一遇の情報であるのに、敵が四天王…特に鬼謀のソンプトとなると、まるで見え見え陽動策が実に見えてくるではないか。これをどう思う」

「若、あれほどに策知に富んだ将であれば、拙者とてその迷いはありまするが、忍び込ませた密偵からの情報によると、たしかに守備兵は、食べる物も無く痩せてきており、空腹の毎日を送っているとか…」

「ううむ…敵が琶遥谷の兵糧庫を襲う算段をしているという噂もあるしのう」

キレイはオウセイの言葉を聞いてさらに迷った。
怪しい、怪しすぎる。実に見せて虚、まるで誘っているかのようにも見える。
その姿は虚か、実か。猜疑に悩み続けるうちに、計略によって著しく低下した
キレイの判断能力は、今にその許容を超えるほどであった。

「ふふふキレイ様、何をお悩みなされるのか。智謀を売りにするこのタクエンも、立て続けての敗戦の中で学びました。たしかに局地的に私達は負け続けました。しかし、兵数、将才、どれをとっても大局としてみればまだ互角。四天王軍がなぜ今になって兵糧不足になるのか、それをよく考えなされ」

「しかし、密偵の情報と四天王軍の情勢を考えれば虚とも…」

「落ち着いてくだされ。どのような敗北を体験しても、戦は心が折れてはいけません。いつでも冷静に目の前を静観する目をもってすれば、この計略、見抜けぬはずはありません」

「たしかに…。敵が強敵と思ってしまうからこそ、情報が錯綜して判断が鈍る。頭を真っ白にしてよく考えれば、敵は我らより少数。敵の兵站も考えれば英名山の関からではなく、別路から来ている物と思えば…たしかにおかしいぞ…!これは虚をついた実計なのか…?」

「そのとおり。小さな敗北の積み重ねで、心の折れそうな我らほど、警戒しその判断を誤り、見える虚計を実計と思わせられる者はおりますまい。これは敵が我らの心理の隙ついた妙策でございます」

タクエンは自信満々にそう言った。
キレイはその言葉をつらつらと聞いて、今までモヤのように
かかっていた頭の雲が、澄み切った青空に抜けていく感じがした。

「ということはタクエン!やはりこれは虚に見せかけた実か…!」

「私も実戦の中で確認するのは初めてですが、これは古書兵法に昔からある『虚変実撃の計』です。虚を実に見せかけ、慌てて兵を動かす我らの喉元を掻っ切る算段でしょう」

「虚変実撃の計…!むう、四天王ソンプトめ、なんと恐ろしい計略だ!」

いつになく弱気なキレイの言葉を聞いて、タクエンはフフッと笑った。


「なぜ笑う。どちらにしても敵の計略に動く軍団が差し迫っているのだぞ」

キレイは、タクエンにその笑いの意味を尋ねると参謀のタクエンは
ゆっくりと口を開き、場に居合わせたオウセイにも聞こえるよう
声を大にして言った。


「キレイ様、ご安心なさいませ。敵に『虚変実撃の計』あれば、こちらには『後虚車実の計』があります」


「なにっ…!後虚車実の計!?」


その後、キレイとオウセイは、タクエンの計略を聞きながら
日が暮れれば松明を燃やし、噂が続く陣の幕舎の中で、
初秋の風の吹く闇の帳に包まれながら、長い一夜を軍儀で明かした。

第四十一回『謀夫当怒 敗論常説 名謀、敗戦の理に龍を叱る』

2008年01月07日 23時43分07秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十一回『謀夫当怒 敗論常説 名謀、敗戦の理に龍を叱る』



帝国官軍と四天王軍の初戦、名瀞平野の戦は
終わってみれば攻め手であった官軍の圧倒的敗北であった。
兵数の違いもあったが、当初の目的であった一行三月陣の陣形は崩壊し
四天王ソンプトの軍略によって、あわや本陣を奪われる所であったことは
勝利に酔っていた官軍の兵達に少なからず動揺を与えた。

各所の陣の守りの要であったミレムの陣が、
四天王キュウジュウの軍に破壊されたことにより、
ステアの猛攻を立派に死守したオウセイの先頭の陣も、守り手を失い
挟撃される被害を恐れて、キレイの本陣への撤退を余儀なくされていたのだ。

日が沈み、夜の帳が辺りを完全に包む頃。
英名山の要害、四天王軍の居城である武青関、武赤関は
官軍撃破に酒宴が開かれ、どの者も主君ホウゲキを褒め称え、
四天王軍強しと盃を重ね、初戦の勝利に湧きかえっていた。


苦々しく、遠めでそれを見る官軍の兵士達。
振り返れば傷つき、敗れた将達が肩を落として本陣の幕舎に集まっていた。

四天王コブキに敗れた豪傑スワト、猛将ガンリョ、クエセル。
四天王キュウジュウに敗れた気運ミレム、知者ポウロ、ヒゴウ。
四天王ソンプトの鬼謀に敗れた龍将キレイ、猛将ゲユマ。
唯一、四天王ステアと引き分けたオウセイ、ドルアでさえ、数々の傷を負い、
率いられて撤退してきた2千余りの兵達も満身創痍であった。

危機を察して後詰めの軍を引き連れて現れたリョスウとタクエン
そしてタクエンにくっ付いて来た僧のジニアスは、敗北に傷つき、
自信を無くし始めた将兵達を見て、不安を感じながら
幕舎の中へと入っていった。

官軍本陣 幕舎

幕舎の中は敗北の鬱屈した空気に飲み込まれていた。
タクエンが幕舎に入って見て驚いたのは、立ち並ぶ将のどれもが
ガックリと肩を落とし、灯火の前で浮かない顔を下へ向けていた事だ。

「・・・(連戦連勝で上がった意気が、かえって敗戦の色を濃くしたか)」
タクエンは並ぶ将達を見ながら、心の中でそう思った。

戦の後となれば褒賞と手柄に必ず嬉々とするミレム、ポウロ、クエセル、
威風堂々と立ち、自分の武の誉れを喜ぶスワト、ゲユマ、ガンリョ、
いつもは自信満々な顔で迎える首座のキレイでさえ、その例外ではなかった。

場を見て不安を覚えながらリョスウが席につくと、
タクエンは一計を案じ、僧のジニアスを呼び耳元で何かを話した。
ジニアスは「判った」といった感じで頷くと、自席につく前に
わざとクチャクチャと口で音をたてて悪態をつき、そのまま
場にいる全員に聞こえるように、そう張ることもない大声でこう言った。

「へっ、名瀞にすすり泣く夜草の溜まり場か?ここはよ!人斬り侍も負けると、とたんにくだらねえ生き物になるなぁ!」

「むッ!いきなり出てきて無礼だぞ僧風情が!控えよジニアス!」

首座キレイの近くに座っていたゲユマが声を出す。
しかしジニアスは悪態をつきつつ、また言った。

「ケッ!いつもは偉そうに人を斬っただの殺しただの胸をはってわめく侍どもが、まったくどいつもこいつも、締りのない!だらしのねえ顔しやがって!」

「な、なんだと・・・!」

ジニアスの悪態ぶりは、ゲユマだけではなく、
沈むガンリョやミレム、ポウロなどにも苦々しく見え始めた。
しかしジニアスの言葉は終わらない。

「認めたくねえかもしれねえがな!てめえらはクソのように負けたんだよ!驕って、必死さを忘れて、惨めに負けたんだ!そこは認めなきゃならねえ!だがな、てめえらも一端に人斬りの商売をやってんだ!顔沈ませる前に目の前の戦が迫ってることを思い出せよ!」

「くっ…このお・・・」

ガリッ・・・ガリッ・・・ギュッ…ギュッ・・・

ジニアスの言葉を苦々しく聞き続ける将達。
イラだたしさは歯を軋ませ、握った拳からは血がでんばかりであった。
しかし、放たれたどの言葉も心に響くほど正論であり
諸将は反論できなかった。

そして、ジニアスは最期にこう言った。

「ハッ!少しは頭を切り替えろよボケども!!やい、そこの人斬り大将!てめえもそうだ!この前は自分が神だなんだと大言を吐いておきながら、合戦で負けたら小人のようにすくみあがりやがって!実に小せえ男だな!!」

ギチギチ・・・ッ!!

その言葉に父親キレツ譲りの癇癪持ちであるキレイは怒った!
それまで沈んでいた顔は血色を取り戻し、首筋は血管は浮き立ち、
目は見開いて釣りあがり、眉間は皺で埋もれ、それが幾重にも重なって
皺の溝は影を造るほど深くなり、アゴは張り、歯は軋み、
音を立てる口からもれるのは、怒気を孕んだ怒りの吐息であった。

「はっはっは!そうだな人斬り侍の大将がこれじゃ!負けて当たり前か!」

バンッ!

「おぉ!おのれ腐れ坊主!黙って聞いていればぬけぬけと!許せん!衛兵!こやつを侮辱の罪で捕らえ!そうそうに首をはね・・・」

座の前の机を思い切り叩くと、キレイは座を離れ立ちあがり
無礼な言葉を羅列するジニアスにググッと力強く指を指し、
ついに怒りは言葉となって幕舎を駆け抜けようとする・・・その時であった。

キレイの言葉を止めるべき手が一つ。
その主は、傷つきながらも、この場に居合わせたオウセイであった。

「若、落ち着きなされ。先ほど幕舎に入る時に拙者は見申した。おそらくジニアスの言葉は、負けに歪み、沈む我らの心を奮い起こさせるためのタクエンの策でしょう。しかし、ジニアスの言葉は至極真っ当です。もし彼に虚偽の罪があり、首を斬られるとするならば、我々も敗戦を喫した罪で首をはねられねばなりませんぞ」

「む、むむ…そうなのか…くっ、ジニアス。今度だけは許そう!早く席につけ!」

「ケッ、あんたも大変だな。オウセイさんよ、まったくご苦労なこったぜ」

キレイは言い放ち、用意された一杯の酒をグイッと煽ると、
首座にドカッと音を立てて座った。
その表情はいつもの冷静さを欠き、怒りや悔しさに歪み、
心は、さまざまな憤りを抱えて、頭は機能を失い、真っ白になっていた。

「若、どうされたのです。いつもの冷静さをもって会に臨みなされ」

とっさに出たオウセイの一言、その意味は理解はできたものの、
なぜ自分がこうも罵られねばならないのか、その悔しさに思わず
溜まりきった怒りの矛先をタクエンに向けて放った。

「むうううう!それにしてもタクエン!お主ほどの者が、恐将と名高いこの私になんたる無礼を行うのだ!このキレイを怒らせて何を利とするのか!説明せよ!」

ザッ・・・

ジニアスが席に座ったのを確認したタクエンは、
用意された酒の杯を持つと、キレイの前へ持っていった。


「こういうことにございます」


ポタッポタッ・・・ジョロジョロジョロ・・・ボタボタッ!

なんとタクエンは諸将の見守る中、キレイの前で、杯を右へ徐々に傾け、
中に入った酒を幕舎の下、つまり乾いた土の待つ大地に注いだのだ。

「なんのつもりだ…?タクエン!」

その光景にキレイの怒りは最高潮へと達した。
タクエンへと向けられたキレイの視線は
突き刺さる刃物のような睨みをギロリときかせ、
声は猛禽の動物の鳴く声の如く震え、低く響いた。

「………」

「酒を…地に!?」
「な、なにをしておる!」
「タクエン殿!」

黙るタクエンを尻目に、首座近くに居たゲユマや、
中央を囲んで配置されていたミレムやポウロ、
ドルアやガンリョ、クエセル達は目を開いて驚いたが、
諸将の中ただ一人。首座近くのオウセイだけは
驚かずに落ちる酒が全て無くなるまでタクエンを見ていた。

バンッ!!!

「答えよタクエン!なんのつもりかと聞いておるのだ!」

キレイは怒りに怒った。
机を蹴り上げ、胸倉を掴まんがばかりのキレイの勢いを見て
タクエンは冷ややかな目でキレイを見下し、らしからぬ凄みのある声で
キレイにこう言い放った。

「今ここにある杯が、我が軍のことだと気づきませぬか!」

「な、なに…!」

凄みを利かせたタクエンの言葉はキレイに響いた。
目の前で憤る自分を見下し、冷ややかな目で冷静に語るタクエンを見て
キレイは真っ白になった脳を硬い鈍器で殴られるような思いがした。

「私はいつもキレイ様に申しておりました。冷静であれ、驕ってはならぬ、と。それがどうでしょう。勝ち戦に驕って敵の能力もよく理解しないまま戦をしかけ、軍は被害をだし陣は奪われ負け戦。有能な将を持ちながら大将が侮って判断を誤る。杯が将、酒が兵、持つ手が大将だとすれば、この結果は杯を傾けて酒を大地に吸わせるが如き行いでしょう」

「・・・」

タクエンに言われ動かず黙ってしまったキレイを見て、
いてもたってもいられず、右手からゲユマが声をあげる。

「タクエン殿!たしかに結果として我らは負けました!しかし四天王軍を前に立派に戦いました!それに勝敗は兵家の常!勝つこともあれば負けることも有りましょう!」

「ゲユマ将軍。あなたはキレイ様の家臣として、将として付き従って何が大事と考えますか?ただ敵を倒し、将の首をとればいいのですか?こたびの戦で、あなたは的確な判断をもって兵を平野に中座せず、陣に帰る事を進言したと聞きます。だがキレイ様は聞かなかった。聞いていればオウセイ将軍の攻めの腱も失わず、そこから無尽に策を飛ばす事もできました」

「し、しかしそれは…主君の・・・」

「キレイ様は有能だが若い。だから間違えもする。間違っていると思えば、その時に体を張ってでも諌めるのが真の家臣であり将であろう!違うのか!」

「うう…」

ゲユマは言い返せず、押し黙ったまま、力なく下を向いた。
それを見て、庇うようにクエセルが声をあげた。

「やい!聞いてれば知識ぶって、立派に戦った将を蔑むとはなんだ!このやろう!戦ったのは俺達だ!お前じゃない!結果を見て話をするな!」

「だまらっしゃい!!」

タクエンは声を張り上げて、腕を横へと動かして
手をスッとさしだし、一指し指をグイッと突き出すとクエセルに向けた。
クエセルはその態度に怒りを露にした。

「なんだと!」

「お主やガンリョ、それにスワトはオウセイの陣の守兵として動いていたというのに、陣を放棄して守ることもせず、考えもなしに敵に追撃をかけて、待ち伏せた四天王コブキの力を見誤り、勇敢な野賊の兵達をあたら無碍に殺してしまったではないか!」

「そ、それは…」

クエセルはタクエンの言葉に何も言い返せなかった。
しかし今度はそれを庇うようにガンリョが立って物申した。

「しかし!豪傑のスワト殿すら適わなかった、あのような相手に我等がどうかできましょうや!戦いを生業とする武人に逃げよと申されるか!」

「そういうのを匹夫の勇というのだ!引き際を知るのは将の勤めであろう!」

「むむむ・・・」

ガンリョは隣に座っていた敗北に沈むスワトを見ながら、
剣も合わせずに引き返した自分を考え、タクエンへ言い返す言葉が出なかった。

「それにミレム将軍!」

「は、はい」

「守陣を奪われたとはいえ、キュウジュウの大軍団を察知して、最終的に本陣を無傷の兵で守った功績は大きい。あなたのような将がキレイ様の横につけば、我が軍も敗北する事は無かったでしょう」

「え?てっきり怒られると思いましたが。そ、そういわれるとなんだか照れますなあ」

「しかし守るべき陣に兵を残さず抜け出した罪は重い!将として反省しなされ!」

「え、ええ、ああ、はい」

ミレムは褒められたと思った後に怒られたことが理解できなかった。
横に座るポウロ、ヒゴウはミレムの対応に面食らったように下を向いていた。

ダッ…

皆が沈む顔を浮かべてタクエンの言葉を聞くその時、
首座のキレイが立ち上がった。

「もうよい…わかった。タクエン。今、私は冷静になった。もう将達を蔑むことをやめてくれ。タクエンに言われる中で私は理解した。全ての将への蔑みは大将である、この私の驕りが原因であると」

キレイの顔は、さっきの赤みが抜け、むしろ青ざめていたが
口調の震えは直り、すっかり冷静さを取り戻していた。

「やっとお分かりになられましたか。それでこそ我が君。かかる臣タクエンの無礼はお許しを…」

そういうとタクエンは、キレイに向かって
グイッと両の手を中央であわせ、深深と礼をした。

ジィ…

キレイはそれを見て、信頼する股肱の将オウセイに目をやった。
オウセイはキレイの視線に気づくと、その擦り傷がついた顔で
目を閉じ、小さくニコリと笑い、再び無言で前を向いた。

キレイはそれを見て、再び自分の中に湧き上がる自信を感じ取っていた。
そして、その心の回復の手始めに、諸将に向けて揚々と言葉を放った。


「敵の四天王の強大な力を侮り、有能な将を持ちながら急いて戦をしてしまった。それはタクエンが言ったように、まさに傾杯の酒を地にたらすような無益なものであった。能有る諸将よ。私が驕り、その油断を突かれ判断を誤ったことを許してくれ。今、諸君らの前で私は誓おう、驕りを抱き、二度とこのような敗北を喫する事のないように!」


キレイの勇壮で真摯な言葉に、将兵達は沈んでいた顔をあげた。
夏の夜風に包まれる官軍の陣、その幕舎の夜は長く、
灯火は煌き、多くの影は動き、言葉は消えず、その軍儀は
まだまだ続くようであった。

第四十回『龍将戦負 気運逃勝 龍将才を驕り、計を侮り遠謀を見ず』

2008年01月06日 18時49分49秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第四十回『龍将戦負 気運逃勝 龍将才を驕り、計を侮り遠謀を見ず』



名瀞平野 キレイ隊

一行三月陣の攻めの腱である山の麓の陣は完成した!
だが守将のオウセイが傷つき、豪傑のスワト隊が敗れたのを
未だ知らないキレイは敵軍の動きを伝令から聞き、兵装の準備を整えると、
オウセイの陣を守るため、騎馬隊5百を先頭に弓隊、足軽隊と
あわせて2千5百の兵を率いて、猛将ゲユマと供に
名瀞平野の中腹へと出陣していた。

ドドドドドドドッ!

しかし、先を行く騎馬隊に対して歩兵隊の足は遅かった。
距離をどんどん離されていき、陣形の崩れとバラつきに
一抹の不安を感じたキレイは、沈む兵達を高揚させるために
グイッと天に向かって手を伸ばし、兵達全員に聞こえるように大声を放った。

「急げ!我が攻めの腱を失ってはならん!陣に一番に入った者から特別に十俵の米と三金の褒美をだすぞ!二番の者は米七俵!三番の者は米五俵だ!」

「こ、米十俵と金三つじゃと!?」
「さすが御大将は太っ腹だ!わしが一番乗りだ!」
「お前に米と金を渡してなるものか!」
「どけいどけい!わしが一番のりだ!」

ドドドドドドッ!

兵達は褒美の言葉に目がくらみ、誰に負けじと早足を見せた。
身に着けた鎧、持っていた剣や槍、体に乗りかかる重たい武具など何のその、
駆ける足は吹く風の如き軽やかさで、土草を踏む足は叩く鉄槌の如く力強く
騎馬隊と歩兵隊の差は縮まり、一軍の陣形は一つとなり
みるみるうちに整えられていった。

「ふっ、それみたこと。もう騎馬隊の行軍が見えたぞ!」

自身の馬の手綱を握りながら、自分の言葉によって早まる兵の足に
自信満々な笑みを浮かべ、後軍の兵達を率いて先を急ぐキレイ。
そこへ先軍の騎馬隊の指揮をとっていたゲユマの伝令が駆け込んでくる。

「伝令!キレイ様!ゲユマ様の物見の情報で、陣を攻めた敵の先鋒隊の将がわかりました!四天王のステア直々の兵3千です!」

「何だと…山駆けで疲れた兵で夜明けにろくな休息もとらず、たった3千の兵で仕掛けたか!一見無謀だが敵の大将がステアならやりかねんことか・・・」

攻め手の将の名前を聞いてキレイは少々の焦りを感じた。
いくら自分の信頼のおける将軍オウセイでも、どこぞの部将ならともかく
猛将と名高い四天王ステアが直々に率いた兵とぶつかれば被害甚大、
さもすれば一気に敗北の予感もしたからだ。

「うむ…だが、まてよ…兵数が3千?腐っても四天王、噂や実績からすれば、なうての名将であるステアが力を頼みに驕ったとしても、何かおかしい・・・」

しかし、キレイの脳裏に一瞬何かが引っかかった。
キレイは冷静な心を取り戻すと伝令にこういった。

「それで被害は甚大か?」

「お味方に被害はでましたがオウセイ将軍以下兵達の必死の働きによって、これを見事に撃退!逃げるステア軍を援軍のスワト、ガンリョ、クエセル隊が追撃中とのこと!」

「むっ、退けて追撃したか。で、その後ステア軍に何か変化はあったか?」

「いえ、ただ追撃の途中、武赤関からけたたましい陣太鼓の音がなりました」

「そうか。陣太鼓の音が…」

バッ!

キレイは右手を天に向かってあげて、再び兵達に号令した。

「全軍足を止めよ!とまれ!とまるのだ!この場で一時休息せよ!敵の出方を伺うのだ!」

「はぁはぁ…止まると言う事は褒美は無しか」
「ひぃふぅ…む、むむう、頑張ったのにおしいのう…」
「はッはッ…ま、守る陣が無くなったんじゃ、し…仕方あるまい」

兵達は褒美が出ないと判るとガッカリと肩を落とし、
汗水に濡れた顔をぬぐい、走り抜けた疲労を表すように、
その場にへたりこみ、足を投げ出し、土に体を預けて休んだ。
するとそこへゲユマが駆け込んできた。

「キレイ様!オウセイ将軍の陣は守りきったというのに、なぜ前後の陣で帰陣しないのですか?兵達もあのように疲れ、陣で体を休めたほうがいいと思われますが…」

「ふふっ、ゲユマよ。これでいいのだ」

「何故です?」

「おそらく武赤関から出てきたステアの軍は、オウセイの陣から兵を出すための敵の囮であろう。いくら我らの動きを察知して陣を攻めるとしても、名将揃いの四天王が集まっていると言うのに、初戦の攻め手がステア率いる3千の一隊だけというのは不思議だ。おそらくステアを追った部隊の後ろにも敵の増援がおるだろう」

「なんですと!?では追撃部隊をすぐに救わねば!」

手綱を握り、踵を返そうとするゲユマに対し
キレイは待てといわんばかりに左手をスッとゲユマの前にだし、
ゲユマの進行を止めた。

「ふふ、慌てるな。追撃部隊にはスワトを始め、ガンリョやクエセルなどの猛将揃い。たとえ四天王がいくら有能な将を出そうとも、すぐさま突破できるような将ではない。むしろ兵の少なくなった後陣のオウセイとドルアが危ない」

「あっ・・・」

「ふふふ、そういうことだ。おそらくオウセイの陣を狙って次の四天王軍が来るだろう。奴らがオウセイの陣を狙ったその時に、側面をきって戦えば良い。攻めの部隊が敗れれば、猛将たちを囲む山の部隊などもひとりでに消えよう」

「しかし、追撃部隊がやられては元も子もございませぬぞ!せめて我が隊だけでも援軍に・・・」

「はっはっは!ゲユマよ!歴戦の我が猛将たちが、負けるはずがあるまい!」

「ですが・・・」

「我らの将に自信を持て、信頼を置くのだゲユマよ。我が股肱の猛将の杞憂などみっともないぞ。なあに、次に来る四天王の部隊を退けたとなれば、後は守るだけだ。一度勝ち、士気の上がるまま完成した一行三月陣の布陣の特性を利用し、堅い守りを貫き通せば、いかなる強敵の兵が攻めかかっても一筋縄で陣を落とす事は出来まい。そのうちに父上たちの別働隊が攻め入れば、やつらめ慌てふためいて動き、万事休すだ!」

ドドドドドドッ!!

「「「ワーーーーーーッ!!!」」」

その時、オウセイの陣左手方向に鋭い馬蹄の音と鬨の声と供に
黄色の甲冑を身に纏った大軍団が現れた!その数、およそ5千であった!

「ふふっ、早速来たぞ。飛んで火に入る夏の虫とは奴らのことだ!さあゲユマよ!我らの戦を見せようぞ!全軍進めッ!それっ!ひともみに!もみつぶせ!」

「ははっ!我が兵の強さ見せましょうぞ!」

「「「オーッ!」」」

ドドドドドドッ!

名瀞平野を駆ける2千5百の兵達はキレイの指揮に従い
敵の5千の軍団の側面へと突っ込んだ!
その忠心で自信満々で笑い、自分の策の見事さを語る若きキレイの心には、
すでに戦の『もしも』『敗北』という言葉が欠落していた。


名瀞平野 ミレム陣

日は西の空の半分ほどに傾きを見せ、空は焦げた朱色をはらむ。

その頃、オウセイの陣の近くに陣を張っていたミレムは
スワトを先鋒隊として出撃させ、その後を追うように
ポウロ、ヒゴウと供に1千5百の兵を率いて、オウセイの陣へと進んでいた。

しかしオウセイの陣に向かうミレム率いる兵の進軍速度はなぜか遅く、
歩く兵達は槍を持ち歩きながら、片手間に私語で話し合い
疲れるそぶりなどは微塵もなかった。

「ミレム様、陣をほぼがら空きにしてしまいましたがいいのでしょうか?」

「ヒゴウ。戦は目の前で起こっているのだから我が陣が襲われることもあるまいて。なあに前には無敗の豪傑スワトがいるのだから安心じゃないか。我らは狩で言えば勢子のようなもの。それよりも戦の後の褒美を考えようじゃないか」

「ふふふ、その通り。キレイ将軍について回れば勝利は確実。四天王を破った将軍達!というだけで我らの名も上がるというもの。帝からの信任も厚くなりましょう。それに、なにもわざわざ我らが傷つかなくても、オウセイ将軍をはじめ、戦上手は軍にごまんといますしね」

「流石はポウロ。わかっておるのう」

兵を指揮するミレムは官軍隊の連戦連勝にすっかり驕っていた。
キレイの言うとおりにすれば勝てるのだから、別に自分達が
頑張らなくても勝てるものだと、つい数ヶ月前の汰馬平野での必死さなど忘れ、
戦功稼ぎはスワトに任せっきり。ミレムは完全に合戦をなめきっていた。

「ふわぁ・・・早く帰って酒でも飲みたいのう」

戦場で、のんきにあくびをするミレム。
兵達の指揮もとらず、ただ前へトボトボと進む軍団。
しまりのない軍が名瀞平野を進む。

「「「ワーーーーッ!!!」」」

しかし、そんなミレム軍団へ天罰でも降るように
はるか後方の自分の陣から大勢の声と供に兵達がなだれ込むのが見えた。

「み、ミレム様、我らの陣が!」

「なんじゃポウロ。うん戦の真似か?あれ、あんなに兵を残したかのう?」

「真似などではございません!遥かに見えるあの軍とあの声・・・う!あ、あれは敵の旗です!」

「そんな馬鹿なことがあるか・・・うん?なんじゃ?夕日にしてはちと赤いのう」

西日になっている太陽を見て、陣を振り返るミレム。
寝ぼけていた目と頭は、赤すぎる自分の陣を見て、
恐怖と供にその光景の意味をだんだんと理解した。

「陣が燃えている・・・?おお!?燃えているではないか!」

敵軍の別働隊、その旗印は四天王キュウジュウの軍団であった。
燃え盛る自分の陣地を見て、ミレムとポウロ、ヒゴウさえ
頭が真っ白になるほどだった。

「ど、どうしますミレム様!戦いますか!」

「ひ、ヒゴウ殿!よくみられい!おぼろげながら見えるあの敵の数!1千や2千ではありませぬぞ!スワト殿もいない我らにあそこが守れようか!」

ミレムは慌てふためく二人と燃える自陣を見て愕然とする
1千5百人の率いた兵を見て、つぶやくようにこう言った。

「ぜ・・・ぐ・・・ん・・・・・げろ・・・た・・・きゃく」

「?ミレム様いかがいたしますか!」

「ぜ、全軍逃げろ!キレイ将軍の陣まで退却だ!」

なりふり構わずミレムの軍団はキレイの陣まで兵を引いた。
作った陣は油を塗った矢に灯された炎に煽られ、壊滅し
残っていたわずかな守備兵はキュウジュウの大軍団に散々討ち取られた。

「ひぃひぃ!ポウロ!ヒゴウ!兵達も逃げよ!逃げるのだ!」

ドドドドドドッ!

「しょ、しょうぐんにつづけー退却だー!」
「こ、こんなところで死んでたまるか」
「ひ、ひええ、助けてくんろー」

手綱を握り、ミレムの情けない声が名瀞平野をこだまする。
不幸中の幸いだったのは、ミレムの率いる兵達は疲れていなかった事だろう。
どのものもキレイの後陣へ向かって一目散に進み、
疲れたといって逃げる足を止めるものがいなかった。

「ははは!臆病な官軍達を笑ってやれ!ははははは!」

遠くに見える四天王キュウジュウの兵達の笑い声が
かすかに聞こえたが、ミレム達はその声さえ恐怖に感じ
左手で片耳を塞ぎ、手綱をギュッと強く握りながら乗る馬に体を密着させ、
何かに祈るように目を瞑って馬を走らせた。

敵兵の笑い声が聞こえなくなった頃、日は完全に地平線に差し掛かり
夕暮れ時の西の空は炎のように赤く燃え盛っていた・・・。


こうして、息も絶え絶えに走り続けたミレム軍団は
5百の兵が守るキレイの陣へと駆け込んだ。
兵は守備兵以外一兵も減ることなく、無事に帰陣を終えたのである。


名瀞平野 キレイ隊

その頃、四天王ソンプトの部下トウサ率いる敵の5千の兵を相手に
平野で戦うキレイ隊は、側面攻撃の不意を突いたこともあったが、
キレイの巧みな用兵術と指揮能力、そして何といっても
勇敢な猛将ゲユマの力もあり、2千5百の兵で優勢を保っていた。

押しに押したキレイ軍団の攻めに、この局地戦の勝敗が見えてきた時、
敵将のトウサは不適な笑みを浮かべて腕を振り上げて大声で叫んだ。

「ふふ、時間稼ぎは出来た。いい頃だろう。全軍ひけーっ!ひけーっ!」

敵将トウサの号令によって、今まで血で血を洗う激戦を続けていた兵達は
その疲れもほどほどに、一目散に英名山へ向かって退却していった。


「キレイ様!追撃しますか!」

「いや、ここで深追いをすれば一行三月陣にも『ほころび』が生じよう。我が陣に帰り、守りを固めるのだ」

「ははーっ」

キレイ軍団の将兵達は意気もそのままに自分の陣へと帰陣の準備を始めた。
この局地戦の勝利とともに、未だ自分の才能に笑みがこぼれるキレイは
自分の馬を陣に向けようとするとそこに見えた光景に目を疑った。


「な、なんだ!?なんだあの兵は!」


ジャーン!!!ジャーン!!!

キレイ軍団の陣が見える遥か遠くに銅鑼を鳴らしながら突如として現れた大軍団。
旗の色は紫、四天王ソンプトの別働隊4千の兵であった!!!
山の手に逃げるトウサの兵と、その光景を見てキレイは察した。

「は、謀られた!!誘き出されたのは我らのほうだったのか!退路を断ち、その先の本陣を狙うつもりで!くそっ!このままでは兵站をとられて負ける!全軍急ぎ陣へと駆けよ!駆けるのだ!!」

「キレイ様!ここからでは、到底間に合いませんぞ!」

「くそっ!急げる者だけでいい!駆けるのだ!!」

しかしキレイ、ゲユマの焦る声も指揮する声もむなしく、
すでに兵達は行軍による駆け足と動き回った合戦の後で
心身ともに疲れきっていて、それどころではなかった。
どのものも負傷し、槍や剣、足を引きずるものも多く、
進軍は一向に早まらなかった。

「こんなところで負けるわけにはいかんのだ!走れ!走れ!」

キレイは焦燥感に包まれながら両手で手綱を握り、馬の腹を蹴りながら、
脳裏に焼きついた、さっきまで笑う驕り高ぶった自分を思い出していた。

「・・・(くそっ!このザマはなんだ!己の傲慢!才能の驕り高ぶり!それが天下に覇を唱える英雄の禁だと知りながら!こうもしてやられるとは・・・なんと自分の無様なこと!!今は駆けよ!一瞬でも!一歩でも早くッ!陣へ!陣へ駆けよ!)」

自分達が戦ってきた相手の敗北の理由を今、苦々しく噛み締めながら
キレイの乗る馬は名瀞平野を駆けた!


しかし、その時、遥か前の敵軍がサーッと引いてゆく。
不思議な事に敵軍は方々の体で陣を離れ、旗は山の手に向かって
一目散に逃げていく。

ジャーン!!ジャーン!!

キレイは、自分の陣から放たれるドラの音を聞き
駆ける馬を止めて遥か先に見える自分の陣を見て再び目を疑った。



そこにはミレムの軍団の旗と、後詰め部隊であったタクエンの旗が
意気揚々と掲げられ、陣のいたるところへと立ち並んでいた。


「……ああ…ああ・・・ッ!!!」


日が西の空に完全に沈み、暗闇の帳があたりを包み始めた時、
キレイは、彼らしからぬ喜びの表情を震わせて遥か先を見続けた。
口をあけ、目を潤ませ、風にたなびく味方の旗に声にならない声をあげ
暗闇に滲む心の喜びを胸に抱きながら、ゲユマと供に自分の陣へと帰陣した。

第三十九回『撃力放技 刀合刃交 鬼将の天、英名山に主の破を哭く』

2008年01月02日 16時18分57秒 | 架空大河小説『英雄百傑』
英雄百傑
第三十九回『撃力放技 刀合刃交 鬼将の天、英名山に主の破を哭く』



英名山の麓

日は西の空に傾くが、焦がす夏の陽と吹く山の風は未だに止まりを知らず。


英名山の麓に進む官軍隊の前へ突如として現れた黒衣の男。
男は先んじた多くの野賊兵達を驚くべき武器と、風のような早技と
急所を打ち破る見事な力で殺傷し、その光景はまさに人のものではなく
修羅魔道の仕業であった。

光景をみていたクエセルは怒ったが、ガンリョがそれをとめた。
とめたガンリョの手も、とめられたクエセルの肩も少々震えていた。
今まで、その武を頼りにしてきた武将だからこそ感じえる
黒衣の男への恐怖、畏怖とも思える震えが二将を包んでいたのだ。

そんな二人を押しのけるように前へ進む大男が一人いた。
山肌に照りつける熱を含んだ風を薙刀で斬り、歩を進めたのは
当代の豪傑、ミレム軍団随一の猛将スワトであった。

ゴォォォォ…

近づく二人の間に轟音めいた熱風が差し込む。
兵の前に出て重厚な大薙刀を持ちながら堂々と歩くスワト。
血なまぐさい匂いの熱風を纏いながらも沈黙を貫く黒衣の男。

ゴクリ…

熱風を間に二将を見ていた兵達は固唾を呑んで見守った。
英名山の麓に漂う異常な緊迫感を前に、先に口を開いたのはスワトであった。

「それがし信帝国軍キレイ軍団旗下、ミレム軍団の将スワトと申す者でござる。そこにおる黒衣の荒武者に勝負を挑む!いざ尋常に我が願いを受けられい!!」

「………」

「黙っていてはわからん!返答を頼もう!」

「………」

「武人の習いに従ったそれがしを愚弄するおつもりか!?返答を!」

「………」

「まだ黙るか無礼者ッ!その返答なき無礼!それがしに首をはねられても文句は言えぬぞ!」

「…お主、怒っておるのか?」

「おう!やっと喋ったな無礼者め!再三の武士同士の打ち合いの申し込みを無言で帰すような、武士の風上にも置けぬ奴を怒らぬは武門の者にあらず!生かしておいては武門に生きる者の恥じゃ!貴様の見標(みしるし=首の事)!手柄の一つにもらってかえろうぞ!」

「…そうか、怒っておるのだな。俺にはわからん。だが命はやれん。我が主君の大望のため、ここを通るものは一人として通さん…!」

「減らず口を!そのような短剣でそれがしの大薙刀を受けれるか!!」

ジリッ…

黒衣の男はスワトと対峙すると、足をハの字型にして両方へ踏ん張り、
黒衣をサッと翻すと、黒衣に隠れた背中の大きな鞘のようなものを
胸から腰周りの甲冑に密着させ、未だ血がしたたる両手に持った短剣を構え
スワトとの距離を詰め始める。

ゴォォォォ…!

熱を帯びた山風が再び二人の間に通る。
汗が乾いて皮膚と服にピタりとつき、張り詰めた緊張感が場を包む。
その時、土埃の後にヒラリと緑茶けたの葉が一枚上空に舞い上がった。

二人はその葉を見つめながら決戦の瞬間を感じ取り
枝から途切れた葉が落ちる前に声をかけあった。


「首と胴体が離れる前に、名前だけは聞いておこうではないか!」

「主君ホウゲキが家臣、高家四天王の一人…烈炎将軍コブキ…」

パサッ…一言、そう言い
二人の前に葉が落ちたその瞬間であった。

バッ!!!

最初に飛び込んだのは黒衣のコブキであった!
地に付けた足を蹴り上げ、体を軸に右回りに黒衣を翻し
大地にニ、三度足をつけて距離を詰めると、両手に握った短剣をスワトの喉元に
向けて、山を駆け抜ける熱き熱風の如き強烈な連撃を放った!

ヒュッ!ヒュッ!!カンッ!カンッ!

「ぬっ!どりゃああああ!」

ブゥン!ブゥン!カキンッ!カキンッ!

右へ左へ、急所を狙って目にも留まらぬコブキの短剣の連撃を
大薙刀の長い柄を使って巧みに交わすスワト。

「…ッ」

ヒュッ!ヒュッ!ガッガッガッガッ!

「どぇぇえぃ!」

ブゥン!カキン!カキンカキンッ!ガキン!

「…!」

ヒュッ!カキンッ!ガキガキッ!ヒュッ!ブゥン!

「ええいこのッ!」

甲冑をかすめる上段斬り、下段斬り、横払い、斜め斬り、叩き落とし!
黒衣を翻し両刀を使った、正面突き、唐竹割り、回し斬り、篭手落し!
受けて流しては放つを繰り返し、スワトの死角を突くコブキの短剣は、
その刀身と黒衣が距離を近づけるほど威力を増し、衝突すれば力を抜いて
横へ流し、スワトの大薙刀の反撃をひらりと避けて返す刃の二段、三段目は
人間のそれを超越したコブキの腕力と速度と技がなせるものであった。

スワトはコブキの短剣を見て大薙刀の長い柄を良く使って
死角を突かせないように間合いをとって、打ち返して反撃した。
だが、数々の猛将を相手に、かほども響く事もなかったその鋼鉄の響きは
大薙刀ごしにスワトにピリピリとした緊張感と敵の強さを伝えていた。

「……」

バッ!!

「素早しっこい奴だ!だがこれならどうだ!そりゃ!そりゃ!どりゃああああ!」

ブゥン…!ブゥン!ブゥン!ブゥン!

「…チッ」

カキーン!!カッカッカッカッ!!

「そりゃそりゃそりゃ!!」

ガッガッガッヒュッガッ!!

「…ッ!!!」

短剣で仕留めきれず、その必殺の間合いにも踏み込めなかった
コブキは、地を蹴ると一度距離をとって後ろへ下がった。
だが、すかさずコブキの体めがけてスワトの大薙刀が
熱風を切り裂く烈風を伴って激しく打ち込んでくる!

下段横払い、上段正面払い、振り落とし、切り落とし、振り回しての大上段!
スワトの暴風のような力と相まって、鈍く光った巨大な鋼鉄の刃は
燦々と陽が射す山の大地、熱風が舞う虚空を切り裂き、コブキの体をかすめる。

「そこだ!くらえーい!!!」

ダッ!!ブゥゥゥゥン!

「…ッ!」

ヒュッ!ヒュッ!ガキャァァーン!!

「ぬっ!!」

降りかかる大薙刀を紙一重で避けていたコブキは一瞬の油断の隙を突かれた!
目の前のスワトの巨体が大地を蹴ると、巨体は驚くべき跳躍力で飛び上がり、
ブンッと空に振り上げられた大薙刀を振り下ろすスワトに対処できなかったのか、
自らも後ろに下がり跳躍し、両手の短剣を握り締めると体をねじり、
後退の反動を利用して目の前に迫る薙刀の刀身に交差させるように投げると、
迫り来る大薙刀の切っ先に剣が当たり、その軌道をずらしたのだ!

…ドサッ!…ドサッ!

間合いを広げ、再び距離を離した二人は、あの荒々しい攻撃の後だというのに
肩もあがらず、息も乱れることなく、両極の場所へ対峙した。

人間の者とは思えないほどの反射神経、そして力と技。
山肌の熱に晒されながら、並ぶ豪傑スワトと鬼将コブキ。
この二人のどれをとっても人の到達できる物でなく
まさに修羅の仕業であった。

「はっはっは!流石は名高い四天王コブキ将軍ッ!それがしの太刀をここまで避けるとは…これは、面白くなってきたでござる!」

「………」

「ふふっ、声もでないか!それがしの太刀が恐ろしかったか!?」

スワトはクイッと薙刀を構えながら、黒衣のコブキに対して
ニンマリと笑い、挑発にも似た笑い声をあげた。
対するコブキは表情も兜に隠れ、両手の短剣を失ったことで構えもとらず、
翻った黒衣は薙刀により数箇所破かれ、内部に隠されていた
白に近い灰色の甲冑がそこから見え隠れする。

そして今度はコブキがスワトに呟くように声を放つ。


「……スワト…とか言ったな…お前は…今…面白いか…?」

「なんじゃと?」

コブキはもう一度、スワトに呟くように声を放つ。

「…今…お前は俺と戦って楽しいと感じたのか…?それを聞いている…」

「それがし、戦を楽しいと思ったことはござらん!だが、今が楽しいかと聞かれれば、正直言って生涯出会ったことのない強敵を目の前にして少し怖いでござるな!」

「…そうか…」

スワトがそう答えると、コブキは再び黙り
先ほど甲冑にくくりつけた大きな鞘のようなものに手をかけると
そこに挿してある、長く巨大な十字の中心の柄の部分を持つと、
十字に巻きつけられていたなめし皮の鞘のようなものを剥ぎ取り
黒衣に包まれた、その十字の武器の全貌を明らかにした。

ガッ!ドサッ…!!!

そこに現れたのは十字形の槍…というのには異形すぎる鋼鉄の武器であった。

猛々しい龍をあしらった鋼鉄の柄の先につく刀身の部分は
鮫の歯のように短くギザギザした重苦しく灰色に鈍く光る刃と、
切れ味の良さそうな、弾く銀色を放つ長く分厚い斧のような鋼鉄の刃が
短いほうが前、長いほうが後ろと、二枚重なって長短の二又に分かれていた。
まがまがしいほどの十字の槍の付け根には重厚な列を組み合う鎖と、
鋼鉄の止め具のような施しがされており、槍の刃の前へと繋がっていた。

ガシャッ…ガシャッ…

重苦しい音をたてながらコブキは槍の鋼鉄の止め具と鎖を使って
素早く十字の槍の柄の長さを調節し始めた。

「なんと面妖な…それがコブキ将軍の武器か!」

「…使うのは久々だが…お前のような…豪傑が相手ならば…我が渾身の武器…使わざるおえないだろう…」

「それがしを買ってくれることは嬉しいが、武士の対決を前にして、武人の手入れを許すほど、それがしは甘くないぞ。おぬしが武器を組み立てる間に、この大薙刀が首をはねているわ!御免ッッ!!!!」

ブゥン!

「…来るがいい…すでに勝負は決まっているが…!!!」

ガキーン!!!!

山にこだまする一音の金属音。
それと供に止まったはずの熱風が吹き荒れる。


ゴォォォォ…


バタン!!!

一瞬の熱風の後、何かに吹っ飛ばされるように
巨大なスワトの体が大地に叩きつけられるように着地する。
スワトは何が起こったのか混乱に似たものを頭で感じていたが
目と体は、コブキとスワトの間にあった、その刹那を焼き付けていた。

「ば、ばかな…それがしの大薙刀をそれがしごと弾き返した…ッ!?」

「………」

まさに一瞬の出来事であった。
スワトの薙刀の一撃が決まったと思えたその瞬間、
コブキの十字の武器が組みあがり、その力と技でスワトを弾き飛ばしたのだ。
一刀で何人もの敵を持ち上げ、触れれば甲冑がひしゃげるほどの力を持つ
スワトの一撃を跳ね飛ばし、なおかつスワトの巨体ごと空中に
放り投げるなど、常人には考えられないことであった。

「…我が渾身の武器『破天馬哭(ハテンバコク』の業…冥土の土産にその身で味わうがいい…」

「なにっ!!」


ダッ!!!ビュウッ!!ビュウッ!!ガッガッ!

コブキは両手に握った破天馬哭をスッと構えると、
息つく間もなくスワトの体目掛けて鋭い突きを放った!

ビュウッ!ビュウッ!ガッガッガッ!ガキッッ!

「こ、これは!!くっ!!ぐぬ!!!」

ビュウッ!ビュウッ!ガッガッカキンカキン!

「な、なんと!い…う!!!」

スッガッガッガッガ!!

「太刀筋が…まるで…!!!」

長柄となった十字の切っ先から繰り出される驚くべき速さの技、技、技。
撃ち付ける雨のような連続突きもさることながら、伴う力も凄かった。
コブキの放つ一撃、その一撃は先ほどの短剣の速度、力そのどれもが
倍以上のものであり、流石のスワトも大薙刀で打ち返そうと思っても
まるで隙の無い連撃の前では防戦一方であった。

ガキッ!ガキッ!ガキッ!ガキッ!ガキッ!

「ぐ!受けきれるか…!!」

二!四!八!十六!三十二!
方向死角の隙を突き、ありとあらゆる方向から強烈に攻めかかる
コブキの破天馬哭は、スワトの大薙刀と触れるとカッと火花を出して柄を削り、
ギリギリと音を立てて、その巨大な鋼鉄をきしませる。
スワトの握る右手は打ち合いするにつれて、すでに感覚がなくなっており、
左手も痛覚の前のジンジンと響く痺れを覚えていた。


「…ハッ!!!!」

ビュウッ!

「おッわッ!」

スワトの疲労を感じ取ったコブキは、破天馬哭を払いの態勢から
鋭い突きの態勢に変えて、下段から中段を突き抜けて伸び進むと
スワトの喉元を狙った。

バギャアアンッ!!

スワトは感じるよりも早く、とっさに右足を破天馬哭の柄にぶつけると、
喉を狙った切っ先は軌道がずれて、スワトの兜の横にあたり、
スワトの兜はひしゃげ吹っ飛んだ!

だが、反撃を受けたその余勢で態勢の崩れたコブキを見たスワトは、
まだ感覚の残っている左手をグッと握ると、最後の力を振り絞り、
手に持った大薙刀を上空にあげ、一撃必殺の太刀を振り下ろした!!


「これで終わりじゃあああ!!!」

「………ぬ!」


ブゥン!!ガキーンッ!!!!!!!!!!!!


その時、英名の山肌に鈍い銀色の物が光った。


ドサッ!!!


「あ…あ…そ…そんな馬鹿な…」


スワトの目の前にあったのは、態勢を崩しながらも
破天馬哭をスワトの横へと振り切ったコブキと、
刃が弾けて柄が壊れた自分の大薙刀の亡骸であった。

「…勝負あったな…命を頂こう…」


ドドドドドドド!

その時、武赤関のほうから空を響かす幾数もの大太鼓の音がした。
コブキはそれを聞いて、態勢を立て直すと、目の前で愕然とし固まる
スワトを見ながら何をするでもなく、小さくこう呟いた。

「…スワトとか言ったな…この勝負はお預けとする…武器を替えてまた戦おうぞ…さらばだ」

そういうとコブキは武赤関へ向かって走っていった。
豪傑スワトが敗れた今、誰もそれを追うことはなく、
また誰もコブキを追おうとはしなかった。

「あの陣太鼓、まさか我らの陣に何かあったのか!?」

「へ、へっ。敵もいなくなったことだし陣に戻ろうぜ。これ以上追うこともあるめえよ!」

ガンリョ、クエセルがそう言って兵を退却させようとすると
今まで黙り、固まっていたスワトは自分の手に残った大薙刀の柄を
大地に思い切り突き刺し、虚空に向かって大声で嘆いた。



「…うおおお!!…うおおおお!…オオオオォォォッ!!!」



「「「………」」」

刃を折られ、心も折られ、技も力も腕も何も、完敗を喫した豪傑は
とうとう声にならない声をあげ、天に向かって悲しげに吼えた。
空に浮かび上がるスワトの悲しみの姿に、ガンリョやクエセル、
それら率いる兵達まで黙って下を向いた。


いつの間にか、あたりの熱風は止んでいた。