kirekoの末路

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短編『甘い約束を』-3

2008年04月05日 21時55分06秒 | 短編
―――――――


 僕は、家に帰ると帰宅の遅い両親が作ってくれた夕飯もそのままに、自室のベッドに倒れた。眠ろう。一晩眠ればすぐに、普段の僕に戻る。孤独を愛する僕に戻るさ。わかっているさ。人を傷つけて得た罪悪感も、好きだと言われた不思議な気持ちも、一時的なもの。人間にとっては一瞬の気まぐれなのだと。

 ふっくらとした羊毛布団に包まれながら、僕は眠ろうと瞳をとじた。
だが、寝ようという意識に反して僕の頭は冴え、思考を止めることが出来ないまま、静寂に包まれた夜の時間が過ぎていく。

 眠れない。
宮沢の涙が、僕の心に焼きついている。

 僕自身驚いている。
あれほど孤独でありたいと思って、小さな心を肥大化させて、悪魔にも成り果(おお)せた僕が、こんなに優柔不断な男とは思わなかった。宮沢が涙を流して逃げ出した瞬間から、僕は罪悪感に苛まれ、葛藤の連続だった。

「宮沢にあやまろう」「素直にあやまるべきだ」と、頭の中で考えれば考えるほど、
「当然の結果だろ」「お前は悪い事をしていない」と、心の中の悪魔が否定する。

 いつしか他人だと思っていた宮沢が、僕の中で特別な人になっていたのか?
彼女を独り占めしたいという独占欲?いいや、違う。そんなんじゃない。

 第一、僕は彼女の何者でもない。
友達でもなければ、恋人でもない。ただの他人。ただの他人なんだ。

 それに、天真爛漫で笑顔の似合う彼女を悲しませた僕が、独占したいなんて感情を抱くのが、そもそもおかしいだろ。そうだ。僕は孤独が好きなんだ。自分の心に嘘をついてまで友人を作ろうとした日々を思い出せ。きっと宮沢も裏では、僕をあざ笑っているはずさ。好きだって言った事だって嘘だ。きっと僕への当てつけ。本当の好きな人…その事を隠すための嘘なんだ。だから僕は、たとえ悪魔になったとしても、孤独のためなら誰かが傷ついても構わない。そうさ。


 僕は、誰かのために生きることは辞めたんだ。


カーテンの隙間から漏れる朝の光。
白み始めた外の世界が見える頃。僕は思考に疲れ果てて眠りに落ちた。

――――――

 他愛も無い日常が始まり、僕の肩をすり抜けてゆく。
二時間程の睡眠しかしていない僕は、眠気の覚めやらない体に鞭をうって、冷水で顔を洗って眼を覚ますと、まだ帰ってこない両親にメモを残し、いつもより遅い時間に家を出た。
 遅めに出たのには理由がある。学校に遅刻しないギリギリの時間に出る電車に乗って行くためだ。いつもと同じ時間に出れば、おそらく駅で宮沢に遇ってしまう。

 とにかく今は、彼女を避けたい。

僕は、いつもより30分遅い電車に飛び乗ると、いつもと違う、見慣れない客層をボーッと見つめながら、脳裏の裏に鮮明に焼きついた宮沢の姿を思い浮かべては消して、長い駅のプラットフォームに降りた。

 「ふう…」

 駅を降りた僕は、腕時計で時間を確認した。
早歩き気味に走っていけば、バスに間に合う時間帯。僕は定期を見せて改札を出ると、早歩きでバス停に向かった。

 鞄を揺らして走る僕の目に飛び込んでくる田舎の町並み。
いつもと同じ道。いつもと同じ風景。時間は遅いけど変わらない。同じだ。
なんだ、やはり何も変わらない。変わらないじゃないか。

 驚くことじゃない。変わるはずがないんだ。
昨日起こったことも、今日起きることも、全て何も変わらない日常だ。
変わったと思ってしまった、僕の一時の気のせいなんだから。

 「え」

 だが、僕は変わっていた。
バス亭でバスを待ちながら俯く彼女の姿を見て。

 「あ…、こ、近藤君…。おはよぅ」

 宮沢は走ってきた僕に気付くと、深くお辞儀をした。
僕は、宮沢の姿を見て条件反射的に「おはよう」と言ったが、心の中はすでにパニック状態だった。何故ここで宮沢と?僕がせっかく時間を遅らせて来たというのに、これじゃあ、まるで意味が無い。まさか、昨日の仕返しのために待ち伏せか。

 「な、なあ、近藤君。昨日のことだけんど」

 あらぬ事を考えている間に、宮沢のほうが話しかけてきた。
怒るか?喚くか?泣くか?殴りかかってくるか?どっちにしろ、僕には逃げ場がない。せめて他の誰かが一緒に乗るバスが来てくれれば助かると僕は思ったが、鳥の鳴く声だけが聞こえる辺りを見るに、その可能性は絶望的だった。

 「近藤君、黙って聞いてけろ!」
 「なんだよ!」

 ジリジリと僕に近づく宮沢。
大声で僕を呼ぶ宮沢に思わず怒りに似た声が出た。

 ギュゥゥゥ…

 急激に宮沢の拳の隙間が圧縮されていく摩擦音。
僕は、とっさに宮沢の顔を見た。昨日泣きはらしたであろう宮沢の真剣な眼差しを見るに、僕は悟った。ああ、おそらく一発ぶん殴られる、と。

 「近藤君!」
 「うわあっ!!」

 勢いも良くビュンと伸びる彼女の腕。
およそ、ヤワな普通の女の子とは違う、恐るべきスピードを兼ねた拳の切っ先は、いわゆるアッパーに近い軌道で僕目掛けて飛んでくる。恐怖に怯えた僕は、思わず目を瞑って下を向き、手に持っていた鞄で彼女の迫り来る拳を避けようとした。

 ビュンッ!!

当たる!!!と僕が思った瞬間だった。


 「近藤君!今週の日曜日!おらと、映画見に行こう!」


 拳の軌道にふわりと揺れる薄紙が二枚。
宮沢が差し出したのは、近くの映画館で上映される映画の前売りチケットだった。

 「…え?」
 「お、おら!今まで近藤君に迷惑かけたから…!せめてもの償いだぁ」
 「…でもさ」
 「お、おらと行くのが嫌なら!誰か違う人を誘って行ってけろ!な、なんも心配はいらねえだ。おらは田舎もんだから、近藤君が誰と行こうと別に気にしねえだ。そ、それにおらの知り合いの映画館だから!誰も文句はいわねえし、おらも安心だ!」
 「いやでもさ」
 「頼む近藤君!行ってもらわないと、おらの気がすまねえ!な?なぁ?」
 「まさか宮沢さん、そのためにここに待ってたの…?」
 「えっ…な、何を言って…ははは!今来たばかりだよ」

 嘘だ。
学校の風紀に厳しい宮沢に限って、そんなことはありえない。
靴と鞄の汚れ、それに彼女が座っていたベンチの跡を良く見てみろ。他の部分に比べて、そこだけ異常に綺麗になってるじゃないか。長い間、座り続けたからそうなってるんだ。

 僕は宮沢に強く言った。

 「誰よりも遅刻にうるさい宮沢さんに限って、それはないだろ。いつもなら、とっくに学校についてる頃だ。嘘をつくなよ」
 「ご、ごめん!お、おら近藤君に謝りたかっただ。あんな風に…その…みっともねえとこを…」
 「やめろよ!」
 「おらが悪かった。悪かったよ。でも、おらは近藤君のことが…」
 「やめろ!装っても僕にはわかるんだぞ!」
 「そんなぁ、ひどいよぉ。本当の事を言うのは、おらだって恥ずかしいだよ…」
 「やっぱり嘘だったのか!」
 「嘘じゃねえだ…信じてけろ…。どこかで近藤君の心を傷つけたかもしれねえが、おらは近藤君と仲良くなりたかっただけなんだ。他はどうでもいいだが、それだけは信じてけろ…なぁ…なぁ…」

 僕は、頬を紅潮させながら眼を逸らす宮沢を見て、昨日焼きついた罪悪感を思い出した。
昨日あれほど悪魔に汚染されたはずの良心が、こびりついた矮小な気持ちを晴らし、僕の心の器は、宮沢への謝罪の気持ちへ満ち満ちて、やがて溢れていく。

 「ふん、わかったよ!行ってやるよ!今度の日曜日な!」
 「本当け…?」
 「でも、他に行く誰かなんて僕はいないから、宮沢さんと行くよ!」
 「あ、ありがと」
 「だから、いつも通り笑っててよ!めそめそしてる宮沢さんなんて気持ち悪いよ!」
 「ん。んだなぁ。おら、馬鹿だけど元気だけが取り得だ。ありがとな近藤君」
 「勘違いするなよ!僕は今までのこと、許したわけじゃないからな」
 「ははは、お、おら。近藤君と一緒に入れれば、それでいいんだ…」

 なんだ。なんとも不思議な感覚だ。
どこか胸の奥が、すっきりとするような。どんよりとした曇り空が晴れたような。
何物にも変えがたい、気持ち良いそよ風が僕の心を駆け抜けてゆく。

 「あ、バスが来ただ。急がないと遅刻するべ!近藤君!」
 「あ、ま、待ってよ」

 僕らはバスに飛び乗った。
宮沢は、僕の隣に座りながら、停留所に降りるまで終始笑顔だった。
何故だか僕も、彼女の笑顔を見て安心感を覚えた。なんだかんだで僕も、罪悪感への埋め合わせが出来た事が嬉しかったのかもしれない。

その日、僕らは初めて学校に遅刻した。