kirekoの末路

すこし気をぬくと、すぐ更新をおこたるブロガーたちにおくる

第十五回『晴れ間』-2

2008年05月14日 19時23分25秒 | 『英雄百傑』完全版

― 妖元山 中腹 林道 ―

 一方。
山道の側面、深く生い茂った長い林道を行く騎馬が一騎。
おそらく人が通れるような場所ではない、その獣道(けものみち)を疲れきった馬一つで駆けるキレイとオウセイは、雨が止むのを確認すると、一面の林の天上の隙間から見える、千切れ雲の天を覗きながら、退路に適した山道を目指していた。

 しかし、退路探しは困難を極めた。
獣道には、鋭く尖った野竹や、皮膚を切り裂く硬い野草や、雨上がりの湿気に踊らされて活発に動く虫などが、周りのいたるところから湧き出てており、馬が通れるような広い道も塞がれ、生い茂る林の暗闇は、キレイ達の方向感覚を失わせた。キレイとオウセイは、汗まみれになりながらも馬を降り、剣で草を分け、近づく毒虫を手で払いのけながら、傾斜の続く長い林道を下へ下へと進んでいた。

 「ふぅ…ひどい獣道ですな。だが、これでは追っ手も我らを探せまい」
 「それはいいが…ええぃ!この虫の多いこと!払っても払っても、よじ登ってくる!人攻めのあとは、虫攻めとはな。ふふ、私を嫌う天にしては、格別の配慮ではないか」
 「はっはっは、若、やっと落ち着いて参りましたな。天も若の気持ちに負けて、晴れて参りましたぞ」
 「この程度の苦難で死ねば、私が笑われる。私は、命を捨てて戦ったお前の部下の分も生きねばならんのだ。そして天を一度半殺しにしてやらねば、気がすまん」
 「そこまで部下達の事を思ってやれるなら、死んでいった者達も浮かばれまする」
 「…生きねばならん。生きねば」

そう、キレイが呟いた時であった。

 ガサッ、ガサッ!
 ガサッガサガサッ!

物陰から草を大きく揺らす音が聞こえた。

 「…むっ!キレイ様、声を出さず、馬を連れて草にお隠れなされッ…」

物音に気付いたオウセイは、馬を置いてキレイを草むらに隠れさせると、自分はキレイの前に立ち、物音のする方を覗く。

 「…あれは…人?」

 しばらくすると、何処から湧き出たのか判らない槍や弓を持った人影数百人が、ドッドッと足音を立ててオウセイとキレイの隠れる草むらの近くを横切ってゆく。辺りが視界の悪い暗闇であったためか、人影は草むらに隠れた二人に気付かず、そのまま林道を急いで進んでゆく。

 「(…あの数でこの林道を歩くとは、敵の伏兵部隊に違いあるまい。おのれアカシラめ、もう次の手を打ってきたか)」
 「(まだどちらかはわかりませぬが…こちらには気付いておりませぬ。かといって傷ついた我々だけではどうにもなりませぬ。ここは、無難にやり過ごしましょう)」
 「(…うむ)」

 キレイとオウセイは深く身を隠し、人影が過ぎるの息を殺して待った。
だが、その時であった。

 「ヒヒーーーン!!!ブルルルッ!」

 まさに静寂に満ちた林道を引き裂く声。
不運にも、キレイの横に居た馬が一瞬動いた拍子に獣道の鋭い野竹に尻を刺し、痛みに耐え切れない馬は、嘶きと供にキレイ達の隠れた草むらを薙ぎ払い、多数の人影が待つほうへ走っていってしまった!

 ヒュンヒュンヒュンヒュン!
 ドスドスドスドスッ!

 「ヒヒィィィィン…」

 瞬く間の後、痛みに嘶く馬の声は、肉を切り裂く音と断末魔へと変わった。
音に気付いた数十人の人影から、寸分たがわぬ狙いで矢が放たれたのだ。
遠路を駆けて衰弱しきっていたオウセイの馬は、首や足を容赦なく射られ、ハリネズミのようになりながら、その場に倒れて絶命した。

 「ルブー様!馬だ!馬が倒れてますぜ!」

 うすらと見える一人の人影の野太い声に反応するように、草むらに隠れたキレイとオウセイが今までよりも背を低く構える。すると数十人の人影が林道を掻き分けて進み、その場で立ち止まると、その中から幾つかの会話が聞こえる。

 「ルブー様。こいつは相当汚れてはいるが、鐙に手綱を見るところ、随分と立派な馬のようですぜ」
 「なにぃ?倒した官軍の奴らの馬かぁ?」
 「へぇ、たぶん。だけど、敵の残党がここらに逃げ込んでるのかもしれませんぜ?」
 「なんだって!」
 「どうしやすルブー様?俺たちの道筋を知られちゃ困るんじゃねえんですかい?」
 「そりゃそうだがよ。アカシラ様は、何を捨てても先を急いで敵の横っ腹を突けといってたんだ。それを破るわけにはいかねえよ」
 「じゃあ、俺たちが残りますよ。ルブー様は兵隊を連れて先を急いでくだせえ。なーに、二十人もいりゃ事足りますぜ。なんてったって俺たちは、頂天教軍の中でも選りすぐりですからね」
 「そうかい、じゃあ任せたぜ」
 「へい!」

 ルブーと呼ばれた頂天教軍の指揮官らしき男が数百人の兵達を指揮すると、人影の大多数は林道の先を進んだ。場に残った屈強な二十人の頂天教軍兵士は、暗闇にギラリと刀や槍の色を光らすと、ドタドタと足音を立ててキレイ達の隠れている草むらの方へ近づいてゆく。

 「(オウセイ…どうする)」
 「(若、少し待っていてください。あの程度、拙者がすぐに片付けて参りましょう)」
 「(何…?何をするつも…)」

 自信満々な顔を浮かべるオウセイに、キレイは疑問を投げかけた。
だがオウセイは、キレイの言葉の途中で手に握った双尖刀(ソウセントウ)を腰に抱えると、草むらから人影に向けて、何かを投げ込んだ!

 ヒュッ!
 カラカラッ!ガン!

 「ん!?そこにいるのは誰でえ!」

 背を低く構えた姿勢から、鋭く大地に叩きつけられたのはオウセイの兜であった。
頂天教軍の兵士たちは驚き、槍や刀を構えながら、音のあったほうへ向かう。
だが、それこそがオウセイの狙いであった…!

 バッ!ビュウンッ!!

 「うっ!」

 ドカッ!!

 草むらから勢い良く飛び出したオウセイの双尖刀が、暗い林道に光る!
波上の片刃から片腕一本で放たれる、上段を薙ぎ払う縦一文字!
それは兵士の左腕を俄かに捉えたかと思うと、次の瞬間、兵士の胴体から肩口までが見事に二つに切断され、兵士が振り向くのを終える時には、大量の鮮血が空中を舞った。

 「あっ、てめえ!やりやがったな!」
 「官軍の生き残りか!このやろう!」

 あたりに血を撒く兵士に気付いた、左右の屈強な男がオウセイの姿を確認すると、血に飢えた眼で、抜いた刀を片手に振り上げ、即座にオウセイに斬りかかろうとして近づいて来る!

 バッ!ビュウッ!
 ドカッッ!スパッッッ!

 だがオウセイは、ただその場で一呼吸置くと、右へ体をひねらせ、双尖刀の長い柄を力強く横へと回す!すると、素早い一筋の刃の軌道が車輪のような回転を見せ、一回転目で襲い掛かる男たちの両足をもぎ取り、二回転目では首を的確に捉えて断った!

 「ちぃ!残党のくせに粋がりやがって!」
 「だがこの数に一人では勝てまい、死ねい!」

 ブンッ!ヒュンッ!

 血生臭くなる林道の暗闇の中で、次々にオウセイ目掛けて襲いかかる屈強な男たち!
手の寸部にギラリと光る鉄色の刀を構えては振り下ろし、ビュンと槍を伸ばしては突き殺そうと画策した!

 ビュンッ!ビュンッ!
 カキーン!ドスッ!ドスッ!

 だが、近づく屈強な男たちは、オウセイという武将の力を知らなさ過ぎた。
首を狙って上段から刀を振り下ろせば、双尖刀の鋼鉄の柄が絡めとるようにして刃を折り!
足を狙って下段から槍を放てば、右へ左へ流れる双尖刀の一文字の軌跡が穂先を弾く!
それと同時に、屈強な男たちの目に鋭い銀色の刃が飛び込む。
すると男たちの見ていた辺りの暗闇は、飛沫する自分の鮮血によって一瞬の朱色に染まる。

 ビュウッ!ドカッ!
 ビュウッ!ビシッ!

 機敏にして正確!微細にして猛撃!
スッと伸びた鋼鉄の柄の先、上下の二刀が闇に光れば、男たちの首と流血が空を舞う!
突き刺し、薙ぎ払い、斬り落とし、弾き返し、振り回す!

 ブゥン!ガッガッ!ブシュッ!
 ブゥン!ドカッ!ブシュゥゥゥ!

 『突く』と『払う』を兼ね、多数を相手にする事も可能な双尖刀という武器の強さもあったが、それにも増してオウセイの斬り合いの技術が凄かった。素早く力強く、急所を的確に捉えた攻撃の数々は、あたかも舞のように見事であり、次々に重ねられる男達の死体は、オウセイのその実力を実証するようだった。実際、オウセイに斬られた者の痛みは一瞬であり、普通は痛覚によって引き起こされる悲鳴も聞こえなかった。

 …次第に林道の暗闇は、元の静寂を取り戻していた。

オウセイに襲いかかった頂天教軍の誇る二十人の屈強な男達は、結果オウセイの身体一つ、甲冑一つに刀傷をつけることも出来ず、ただ無残に大地に四散する自らの死体と、流れ出るおびただしい血流を、林道の草に吸わせ続けていた。

 オウセイは、斬った男達の血を顔手足甲冑全て、全身のありとあらゆる所に浴びながら、ただ敵の動きはないかと周囲を見張りながら立ち尽くし、危険が去った事を肌で感じると、草むらに隠れるキレイを呼んだ。

 「若、終わりましたぞ。もう大丈夫です」
 「馬鹿者!飛び込むなら飛び込むと言え!」
 「敵の不意が見えましたので、つい…」
 「お前が死んだら、どうするつもりだったのだ!」
 「ハッハッハッ、拙者には勝てる絶対の自信がございましたから」
 「オウセイ!」

バンッ!

 二度三度、手を頭に置きながら軽く声をあげて笑うオウセイに対して、キレイの表情は、いつもの冷静さを一変させていた。振り上げた手を音が出るほど強くオウセイの胸の甲冑に押し当てると、キレイは、オウセイの眼を見ながら小さく呟くように言った。

 「二度とこのような真似をするな…もし敵に…もっと多くの敵に気取られたらどうするつもりだった」
 「安心してくだされ。敵に気付かれないように、全て即死できる急所を狙っております。敵が悲鳴をあげる暇もございませぬて」
 「そうではない…そうではないのだ。お前がもし敵に討たれて死んだらどうする。天下にお前は、オウセイという人物は二人と居ないのだぞ」
 「しかし死地にて生を求めるのが武将の定め。それは拙者とて同じ…」
 「お前は…私を守らなければならないんだ」
 「若。わかってござる。だからこそ拙者が」

 切羽詰った台詞を投げかけたキレイだったが、オウセイの返す言葉に思わず噴出してしまった。武士として将として実に出来た男だが、人の心を察するにはまだまだ未熟であった。

 「…ふふふ、本当に…お前の斬り合いの腕は凄い。オウセイは実に『武骨者』だな」
 「それだけが唯一の得意にございまするゆえ…」
 「そうか。だがな、それではいかんぞ」

 血に塗れたオウセイに近づきながら、キレイは自分の懐から一枚の白い布を差し出し、兜を失ったオウセイの剥き出しの額に当てて、こう言った。

 「顔についた血ぐらい拭え。この武骨者。このキレイが一番とする武将として、見苦しいわ」
 「こ、これは粗相を…」

 オウセイは一瞬、その行動にたじろいだ。
眉を和らげ、頬はその強張りを解き、唇を横に広げて微笑むキレイ。
目の前の恐将と呼ばれた男の口調と態度は、今まで見たことが無いほど情の篭った反応だった。部下が死んでも、兵が死んでも、眉一つ動かないキレイにしては、余りにも優しかったのだ。

 「若。拙者のような武骨者に…ありがたき事この上なく。それが嘘でも嬉しゅうございます」
 「馬鹿者、私は嘘などつかん。今お前が死ねば、私も死ぬ。だから一番と言った。なに気にするな。それだけのことだ。それだけの」

 キレイはそう言うと、恥ずかしくなってオウセイの向ける不思議な視線から逃れるように、その場で反転して周囲を見た。携えた剣の鍔に手をかけながら、暗闇の続く林道の先と、千切れ雲の隙間から、俄かに晴れ間の見え始めた夕空を、オウセイが血を拭うのが終わるまで、ただキレイは遠くを覗いていた。

 「…」

 それを近くで見つめながら、顔面についた血を白い布で拭うオウセイの心は、まだ絶対の窮地に居るのにも関わらず、雲ひとつ無い、どこまでも続く青空のように澄み切っていた。

 「若、そろそろ行かぬと」
 「うむ。さっき下へ向かった兵が帰ってくると厄介だ。オウセイ、先を急ごう」

 雨の上がった湿気と供に、血の匂いが充満した林道を後にする二人の武将は、互いに疲労に歪む顔など出さず、肩を貸しあいながら、足取り軽く獣道を進んだ。
今、山の上を囲うようにたなびいていた黒雲は、それぞれ千切れて晴れ間を覗かせているのだった。

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第十五回『晴れ間』-1

2008年05月14日 19時21分13秒 | 『英雄百傑』完全版
― 妖元山 麓 ―

 参謀従事タクエンの死を賭けた説得に忠義心を揺さぶられたスワト、それに追随するように進言したミケイによって、ジャデリンを大将とする官軍5千の軍団は、武具兵馬を整えると、妖元山の麓に後詰めとして待機していたキイの弓兵隊1千と合流した。

 「…(流石は名のある将達を纏(まと)めるジャデリンの軍だ。ここまで早く兵を動かすとは)」

 ジャデリンの官軍より先に後詰め部隊に合流していたタクエンは、ジャデリン以下将軍達が率いる兵達の顔を前にして、その士気の高さに驚いていた。頂天教軍が乱を起こして早数ヶ月、南部官軍が討伐に乗り出し、連戦を重ねるほど2ヶ月半。普通ならば、非日常の繰り返しである戦を数十と繰り返せば、いくら良く統率された兵士達でも精神身体は疲労し、厭戦(えんせん)(※戦いに飽き飽きとすること)気分が隠し切れないものである。
だが、ジャデリンが命を下してから準備と行軍を終えるまでの速さは、驚くべきものであった。

 「真に恐るべしは、あのジャデリンという男の大将としての強さか…」

 タクエンは、麓に座巻する将兵達を見ながら小さく呟いた。
軍という物は、兵が多ければ多いほど行軍が遅れるものである。だが、援軍に来たジャデリンは5千という兵数を持ちながら、行軍にかかった時間は半刻(1時間)ほど。これはタクエンの予想した時間を、遥かに超えるものであった。

 「流石はジャデリン将軍。この早駆け、私も見習いたいものです」
 「ミケイめ。今さら、わしを煽てても遅いわ。この戦に勝ったら、懲罰の覚悟をしておけい」
 「おっ、こちらの軍の大将が挨拶に来ますぞ」
 「ちい、話をそらしおって…ええい、もうよいわ」

立ち並ぶ将兵達の中、ミケイとジャデリンが馬を横に並べて喋る。
ジャデリンは面子を大事にするため感情的に怒りやすい人物だったが、ミケイのような自分より若輩で地位も低い一癖者を囲えるだけの度量があった。何か一つに秀でた単純な才能よりも、地位や名声、礼儀や素行が大事とされるこの時代にそれは、将兵一貫の姿勢を貫くジャデリンの懐の深さを覗わせた。

 ドッドッドッ…トッ

その時、ジャデリン達の前に二人の男が現れた。
それは、緑色の甲冑を身に纏う、キレイの弟キイと騎乗した馬の横に付く、参謀従事のタクエンであった。

 「キイ様。援軍に来てくださったジャデリン将軍の前ですぞ。そのように気落ちした顔で迎えては無礼にあたりますぞ。さあ下馬してお迎えなされ」
 「う、うむ。すまんタクエン。そうだのう、兄上のための援軍に来てくださったのだ。粗相があっては、私の恥だ」

 タクエンはキイを励ましながら緩々と下馬させると、ジャデリン達の前で膝を着いて跪いた。
援軍を待つ間、焦る兵士たちを場に留めていたキイの心は、兄の死という不安に苛まれ、決して優れるものではなかった。すでに敵の手にかかっているかもしれない兄の事を思うキイの表情は、血の気が引くほど青ざめていた。

 「ジャデリン将軍!私は後詰め部隊を預かるキイと申す者。此度は兄上…いえ、我が身内の不始末にこれほどの援軍を助成していただき…言葉も無きしだいでございます」
 「助けを求める味方あれば、助けるのが義である。何もおかしくはあるまいて」
 「おお、抜け駆け同然の無礼を働いた兄に、なんと寛大な。ジャデリン将軍のこのキイ、二度と忘れませぬ」
 「当たり前の事をしておるだけだ!」

 ジャデリンは目の前で自分に遜(へりくだ)った態度で迎えるキイを見て、格好を付けた言葉で返した。よもや『部下からの挑発に負けて怒りに任せて出陣した』などとは、口が裂けても言えなかったからである。

 「クスクス…」
 「ミケイ!何がおかしい!」
 「いえ…なにも。ジャデリン将軍は嘘が上手いと思いまして」
 「このぉ…黙らぬか!」

 ジャデリンは視線を数度横にやりながら、小声でミケイを牽制した。
隣で馬の手綱を握りながらクスりと聞こえるに笑う、ミケイの小さな嘲笑が耳に入るたびに、拳がギュッと音を立てて絞られ、兜に隠れた眉のつりあがり加減、甲冑の隙間から見える喉の震えは、大声でミケイに怒鳴り散らしたいという怒りの表情は、事情を知るものからすれば恐ろしくもあり、また滑稽でもあった。

だが、部下に口喧嘩で負けたとなると、これは大将としての面子に関わると、ひたすらに怒りを押し殺し、キイにそれを気取られてはならぬと、一方的に言葉を続けた。

 「キイ殿!わしは、使者タクエンの厚い忠義心に胸打たれただけのこと!面子や私情で援軍を出すはずがなかろう!のう、そうであろう!のう!」
 「は…?はあ」
 「わしは将が気に食わなくて援軍を出さぬような矮小な器の者ではないし、抜け駆けされたからといって味方を見殺しにするような非情な将でもない!いいか、わしは当然のことをしているのだ!当然のことを!決して私憤の気持ちからではないぞ!キイ将軍もそう思われるだろう!」
 「はっ…はあ。それはもう」

事情のわからないキイは、目の前のジャデリンの捲し立てるような言葉の数々に、訝しげな気持ちを抱いたまま、困惑せざるを得なかった。だが、ジャデリンの口から言葉が放たれれば放たれるほど、横で聞くミケイの口からは小さな笑いが漏れた。

そこへ…

 「物見(斥候)の兵が帰ってきたぞ!」

兵達の波を割くように、一人の傷ついた兵士が肩を担がれながら、ジャデリン達の前に現れた。この兵士は、キイが兄キレイの部隊の様子を探るために山の道中に送った者であった。

 「そ、その姿は!一体どうしたのだ!敵が居たのか!いや、それより兄上は無事であるのか!」

 キイは形振り構わず、倒れる兵の側に駆け寄った。
だが兵士は、体中に矢傷や刀傷が残り、血は場を浸すほど流れ、もう虫の息。声にならない声を、口からつぶさに出すのがやっとであった。

 「良く聞こえぬ。ええい!」

 キイは兜を脱ぎ、血に濡れる男の口元に耳を近づけると、弱々しく放たれる最後の言葉を逃さず聞いた。物見の男は敵に襲われながらも、キレイが惨敗する一部始終を知る騎馬武者の最後に運良く出くわし、その騎馬武者から聞いた情報をキイに伝えると、物見の男もまた最後を迎えた。唇に接したキイの耳は血に染まって汚れていたが、心からは不安が消え、一際の抑揚が全身を駆け巡った。

 「おおお…兄上は、まだ生きておられたか…!」

 声を押し殺しながら出た、小さな雄たけび。
キイは物見の男から全てを知らされ、まだ自分の兄が信頼するオウセイと供に生き延びている事を知ると、不安に青ざめていた顔は血を通わせ、瞑った目には力が戻っていた。

 「…」

その隣でキイの放つ言葉を拾うタクエンの顔が、一瞬緩む。
最悪、キレイの死も予想していただけに、キイの喜びはタクエンにも重々理解できるものだった。

 「では、すぐに救出部隊を差し向けましょう。及ばずながら、このミケイに策がございます」

 平静を取り戻したキイを見ていたミケイは、将兵が見守る中、静かに語り始めた。
知将ミケイの考案した救出作戦は、頂天教軍が篭る本陣への山攻めも兼ねていた。

 「合流した官軍総勢6千が一方に出撃し戦っても、高地で備えが十分な頂天教軍の厚い守りを一気に突破するのは難しく。数に任せて力攻めをしても、キレイ将軍の二の舞を演じることになるでしょう。そこでまず、部隊を三分し、兵力を山の五路の内の三方に分けます」

 ミケイは馬を降り、雲を帯びる妖元山の五つの道筋を指し、将兵達の目に見えやすいように、右に左に手振りをしながら説明を続けた。

 「これは、三方面に渡る時間差の波状攻撃を仕掛けつつ、敵の力の分散と疲労を狙うのが目的の作戦です。まず一番近い東側面道からは、私ミケイ以下1千5百の分隊が一気に攻め敵の備えを揺さぶりつつ、遊撃を敢行して敵をいぶりだします。その間に中央道からキイ将軍以下2千の分隊が三色の旗指物を持ち、多勢を装って正面を構えながら、キレイ将軍の救出を最優先にして緩やかに進みます。そして一番遠い西道からは、ジャデリン将軍率いる2千5百の本隊を進め、兵力の分散した敵の本拠地を奪います」

 「あいやまたれい。ミケイ将軍の策は確かですが、些かの不安が残りまする」

話を割って入ってきたのは、タクエンであった。
タクエンは、眉をひそめ訝しげな顔でミケイに言う。

 「敵の備えがいち早く完了しており、伏兵や各個撃破が可能な位置に陣取られていたら、いかが致しましょう。地の利は確実に相手にあり、敵の本陣も強固となれば、時間をかければかけるほど、我らの敗北は必須と思われまするが…」

 「ふふふ、ご心配は無用のこと。敵は早朝からのキレイ将軍の攻めによって被害、疲労ともに多々あり。悪路の山道を往復しているのなら、いかに強靭な兵を抱えたとしても、そう早くは動けません。だとすれば本拠地に篭って完全守備に徹するはず。そこに我が三方から来る総勢6千の波状攻撃がかかれば、いかに敵が備えをしても耐えられますまい。精神肉体ともに疲労は必ずあり。人間一日続けて戦うことは難しい」

 「なるほど。我らが人間であるように、敵も人間であるということですな」

参謀従事タクエンの一抹の不安を、知将ミケイは論破した。
練りに練った作戦を見事に唱えたミケイの周りには、タクエン以外、意見を述べる将は居なかった。皆、その綿密な作戦に唖然とし、閉口せざるを得なかった。

 「…(ミケイ、やはり只者ではない。おそらく未来には天下に名だたる知将となるな…)」
 「…(このタクエンという者。私の策の穴を良く突く。恐るべき兵学者のようだな…)」

 策士は、策士を知る。
瞬間的に訪れた沈黙の中、二人は視線を交わらせた。
この時、両人とも口に出さなかったとはいえ、二人は兵学者、知者としての才能を己の肌で感じとっていた。二人の胸に去来するものは、皮肉にも知恵の持ち主たる互いを認め、その未来を意識しあうという同じものであった。

 ヒュゥゥゥ……

 荒野をそよぐ風が大地に降り注いでいた雨が止んだ事を将兵達に教えたが、タクエンとミケイは、それに気付かなかった。

そして、ミケイはジャデリンに駆け寄り。

 「ジャデリン将軍。意見が無い様であれば、私に兵の分配をお任せください」
 「お主は指揮官ではないのだぞ!何を言っておるか」
 「私にお任せください。必ずや勝ちをジャデリン将軍に与えるでしょう」
 「ふむむ…わかった。お前の好きにやるがよい」

 ミケイはジャデリンの返答を受け取るとすぐに、今現在総指揮官であるジャデリンを差し置き、次々に各部隊に命令を飛ばした。ジャデリンは、この光景をいつにも増して苦々しく思ったが、ミケイには返し難い実績と言い難い気迫があったので、指揮以外の全てを任せることにした。

 「官軍隊、出発ーッ!」

 ジャデリンの号令が麓に響く。
かくして官軍は部隊を三つに分け、それぞれ山道の三路へと出発した。
時間は昼を過ぎ、兵が進む頃にはすでに夕方近くなっていたが、朝方から吹き付けていた山風も、河川のように山から流れていた大雨も、確実に弱まっていた。山頂にかかる黒雲は、官軍の馬蹄の音が聞こえる度に千切れるようであった。
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第十四回『忠義、命賭して』

2008年05月11日 17時59分54秒 | 『英雄百傑』完全版
― 妖元山 麓 ―

 頂(いただき)にたなびく暗雲は、ついに山を越え平地全体を取り囲んだ。
そびえる山を震わせる激しい豪雨と轟く雷鳴の音は、麓に控えたキイの後詰め部隊の目も耳も塞いでしまう。山上で起こっていたキレイ率いる部隊の惨敗、それに伴う命の危機は、彼らには見えなかった。

 動く人影も、逃げ惑う足音も、敵の喚声も、味方の悲鳴も、必死に土を蹴る馬蹄も、ただ雷光と雷鳴に消えてゆく。

 「無事だろうか…兄上は…」

キレイの実弟、後詰め部隊1千の大将であるキイは徐々に不安を覚えていた。

 「タクエン。すでに兄上が出撃してから一刻(2時間)余、オウセイがついているとはいえ大丈夫であろうか…」
 「キイ様。おそらくその不安は、的中しているものかと」
 「やはりそう思うかタクエン」
 「兄君キレイ様は、機智兵法に明るく、兵を手足の如く動かす御方。今回の奇襲作戦において、攻め手の進軍速度が大事なのは百も承知のはず。そのような御方が、後詰め部隊にこれほど報せを怠るとなると…」
 「タクエン、このキイはどうすれば良い。やはり救出に後詰めの兵を出すべきか」
 「いえ、いけません。何が起きているか判らない箇所に闇雲に兵を進めても、それは喜んで火中の栗を拾いに行くようなもの。圧倒的不利になるだけでございます」
 「流石は参謀従事タクエン。この状況で冷静で居られる事が羨ましい。私は今、感情的になっている。兄を」
 「キイ様、貴方は後詰め部隊の大将です。薄情者と言われるやもしれませぬが、貴方が迂闊に動いて情勢が浮き足立てば、他の兵士たちの心も動揺しますぞ。それをお判りくだされ」
 「そうは言うが…。たった一人の兄の危機を黙って見ていられるほど、私は薄情に出来ていないのだ」
 「私が今より早馬を駆けて、ジャデリン将軍の所へ行って参ります。必ずや多勢の援軍を率いて参りましょう。それまでは何卒(なにとぞ)、出撃を我慢してくだされ」
 「わかった。頼んだぞタクエン」
 「それでは…失礼いたしまする」

 礼一つ浮かべたタクエンは、即座に後詰め部隊の中から足の強そうな馬を探し出し、それに跨(またが)ると、供の者も付けず、ただ一騎、雨晒しの荒野を西へ西へと駆けた。

 「兄上…どうか、ご無事で…!」

 キイは押し殺した声で山上を見上げながら、その拳を震わせた。
将として…いや、天下に二つと無い、たった一人の弟として。
大将キイの心中は、今まさに張り裂けんばかりであった。


― 妖元山 中央山道 ―

 その頃。
オウセイ率いる騎馬隊がキレイを救出したのも束の間、長く続く豪雨が山上から流れ出す土砂を止められず、緩やかな傾斜は濁流となって騎馬隊の足の速さを奪っていく。土砂が流れた事で、突き出した岩肌は鋭さを増し、騎馬隊の進む中央山道は想像を絶する悪路となっていた。

 ドドドドドドドッ!

しかもその後方には、すでに頂天教軍の迫撃部隊が間近に迫っており、雷鳴の合間に聞こえる喚声は、逃げ惑う官軍の兵達の焦燥感を煽ってゆく。

 「オウセイ!後方の騎馬隊が、迫撃を受け始めたぞ!」
 「ご安心めされい!拙者の指揮した精鋭たる騎馬隊に、逃げる者はおりませぬ!皆、立派に戦って死ぬでしょう!」
 「オウセイ…私が無様な戦をしてしまったせいだ…すまん。腹の中では、さぞ私を怒っているだろうな」
 「はっはっは!若も、人並みにくだらんことを申されるようになったか!いつも眉一つ動かさず人を殺す冷酷無比な恐将が、初めての敗戦で臆しなされたかな!」
 「な、なに!誰が臆するものか!ただ、感傷的になっていただけだ!喋る暇があるなら、早く馬を走らせよ!」
 「それでこそ、若でございます!このオウセイ、命尽きようとも必ず!若を守ってみせまする!はいやぁっ!」

 オウセイの手に握られた手綱が、強く馬の体を打つ。
雨を弾き、風を斬りながら、大きく吠える馬の嘶(いなな)きとオウセイの声が、弱気になっていたキレイの心には、どれほど響いただろう。

 オウセイは感じていた、自分の胴をしっかりと掴むキレイの腕の力が増してゆくのを。
後方から聞こえてくる、聞きなれた部下達の悲鳴を振り切り。
視線に飛び込んでくる、悪路に次ぐ悪路を見事な馬術で駆け下りて行く。

「「「 ワ ー ー ッ ! ! 」」」

 だが、頂天教軍の兵達が迫撃を止める事は無かった。
勢いもそのままに後方の騎馬隊を蹂躙し始めたかと思うと、今度は落馬して往生した官軍の兵達を、命乞いも聞かずに無残に殺害してゆく。

 勇猛果敢な1千5百の騎馬隊が、次々に敵の手にかかり、雨露が大地の赤を消してゆく。

キレイを救うべき動いた騎馬隊は、今ではオウセイ直属のたった百騎の武者達だけであった。被った騎馬隊の被害は甚大であり、未だ迫撃を続ける頂天教軍との兵力の差は、最早歴然であった。

 ジャーン!
 ジャーン!

「「「 ワ ー ー ー ー ッ ! ! 」」」

 だが、頂天教軍の執拗な追撃は容赦のないものだった。
山道を駆け下りるオウセイ達の前で、銅鑼の音と兵達の喚声がけたたましく響くと、山道を囲うように生い茂る林伝いから、槍を持った頂天教軍の凡そ5百の別働隊が、道を塞ぐように現れたのだ。

 「おおお…オウセイ!敵の伏兵だぞ!」

予測も出来ない事態に、顔の青ざめ始めたキレイは、差し迫る部隊を指で指しながら、オウセイに言った。味わった事のない絶体絶命の窮地の光景は、猛将オウセイの腕でさえ震わせた。

 「ええい!こうなれば強行突破いたしまする!若!拙者の体にしっかりと御掴まりなされ!」
 「む、無謀だオウセイ。あの敵兵を打ち崩す間に、迫撃部隊が追いつくぞ」
 「では山道を避け、迂回して林道へ飛び込むまでのこと!」
 「無茶だ。あれは林道ではなく、獣道だ。馬が走れる道ではないぞ!」

 オウセイは、指し示す林道の暗闇を見た。
騎乗したオウセイ達の背丈と同じ程に育つ葉や草は刃のように鋭く、木々は鉄の鏃のように尖り、まばらに植えられた林がそれを覆うように永延と伸びてゆく。群生する植物の猛々しさから見るに、それは山に生きる野生の者だけが入る事を許された険しい獣道であった。

 「やってみなければわかりませぬ!」
 「もう良い、オウセイ」
 「若!何を…」
 「天は、あくまでも私を嫌ったのだ。描く野望も、繋いできた命も、今生これまでだ。介錯を頼む…今は潔く死のうではないか…!」
 「自害など…!そのような雑兵の考えは、お捨てなされ!若!」

 騎馬隊を挟むように差し迫る頂天教軍山道上下数千の兵。
その最中、大将でありながら自分の背中で一方的に弱々しくなるキレイの姿に、オウセイは憤った。そして憤りは言葉となり、オウセイは大声でキレイを一喝した。

 「若がここで死ぬとあらば、何のために我らが生きてきたのでしょうか!」

一喝は、周囲を守る騎馬隊の兵士達にも聞こえた。
悪路を進んだ馬は豪雨に濡れてなお湯気が立つほど汗をかき、突破を繰り返した武者達の呼吸は乱れ、体は疲れ果てていた。

 だが、彼らには一つ。疲弊していない一つの結束があった。
 それは、故郷を出て今まで付き従ってきたオウセイへの忠義心であった。

「それっ!我らは前の敵を防ぐぞ!」
「ならば私は後ろを防ぐ!オウセイ将軍!後は任せましたぞ」
「オウセイ将軍!どうか、ご無事で!」
「お二人が逃げる時間ぐらいは、稼いでみせまする!」
「我らがオウセイ将軍のためなら、この命など惜しくないわ!」

 騎馬武者達は、大きく槍を天へ掲げながら口々に言った。

 「お、お前たち…忠義に命を賭すつもりか」

言葉を聞いたオウセイは、張り詰めた顔と目で兵士達を見た。
そして…目蓋を閉じて、首を前にのめらせ兵士達の見守る中、頭を深々と下げた。
オウセイ直属の騎馬武者達は、上官であるオウセイのその姿を見ると、負傷して重くなる腕や足を奮い立たせ、次々に迫る無数の敵軍の中へ飛び込んでいった。

 「…若!行きますぞ!」
 「あ、ああ…」

 忠義に溢れ、勇敢な兵士達の姿を背にオウセイは、再び手綱を強く握り、馬の腹を蹴りたてて駆けた。馬蹄の音は、林道の獣道へと消えてゆく。その後ろから聞こえる、頂天教軍に飛び込んだ騎馬武者達の最期の声が、ただオウセイの心を痛ませるのだった。

 (…天よ!若を殺せず、さぞかし面白くなかろう。だが見ていただろう!我らが忠節の臣下が一人でも居る限り、例えお前が百難与えても若は殺せぬぞ!…殺せぬぞッ…!)

心の中で天を仰ぐオウセイの騎馬は、キレイを抱え、ただ闇雲に薄暗い獣道を進んでゆく。
上空を包む黒雲は、まだ晴れる兆しも見えなかった。



― 封城(フウジョウ) 宮中 ― 

一方、こちらも早馬を走らせていた参謀従事タクエンは、ジャデリン率いる南部官軍が占拠していた居城『封城』に辿り着き、軍議中であったジャデリンと面会し、濡れた衣類を叩き乾かす事もなく、ただ郡将達の前で平伏していた。

 「急使か?そのようにずぶ濡れで参って。如何致した」
 「火急の用にて推参仕り、軍議中のご無礼申し訳ありません。私は、官軍大将キレイの参謀従事を勤めまする、タクエンと申す者にございます」
 「して、そのタクエンが、何をしに封城へ参ったのだ?」
 「はっ!大将キレイが頂天教軍の本拠地妖元山へと向かいましたが、悪天候により危機に瀕し、おそらくこのままでは全滅も…そこでジャデリン将軍に、お頼み申す儀がございます」
 「ふむ、申すがよい」
 「つきましては南部官軍の兵3千をお借りしたい!」
 「なんじゃと!」

ジャデリンは、タクエンの法外な願いに対して思わず憤慨した。
椅子の肘掛けについていた手を、ワナワナと怒りに震わせながら上へ持ち上げると、バンッと音を立てるように木製の肘掛けを叩いて鳴らせる。

 「お前は知らんのだ!兵3千を貸すという意味が!お前のような若輩が、ぬけぬけと良く申すわ!顔も今日知った程度のお前に、軍の半数以上を貸してやる義理など、わしにはない!」
 「無理は承知の上でございます。何卒大将を救うため、お聞き入れくだされ」
 「馬鹿も休み休み言え!お前の大将キレイは、わしとの約束を破ったのだぞ。互いの官軍が進軍する時には、両軍とも必ず事前に報告を行う約束だったはず。お前の大将が行ったことは、抜け駆けも同じこと!規律あって軍を任される将が、規律を破るなど言語道断ではないか!」
 「大将キレイは若く、功名に走ったのは事実です…ですがジャデリン将軍。良くお考えくだされ。今ここで援軍を送らねば、頂天教軍は勢いを取り戻し、官軍5千の兵が無駄死にすることは必定…!」
 「だまらっしゃい!!!そのように『もっともらしく』物を言えば、わしが兵を出すと思うか!自らの功名に走り、抜け駆けした官軍の大将が危機に陥ったからといって、それを救うために我々の兵をよこせとは、なんだ!白々しく虫の良い事を申す無礼者め!」
 「無礼は敵に勝ってから重々に詫び申します。今は、私にただ黙って兵をお貸し与え下され!でなければ大将キレイの命が危ういのです」
 「その忠義心は立派だが…!それはそれ!これはこれじゃ!危機に陥ったとて、それは自業自得!わしが怒らぬ内に、早々に立ち去れ!我々は軍議で忙しいのだ!」

 ジャデリンは手を数度空中に振ると、跪くタクエンを散々邪険に扱った。
傲慢な態度を放つキレイに対して、元々良い感情を持っていなかったジャデリンは、始めから援軍を出すつもりは無かった。タクエンの話した事情も、彼の怒りの火に油を注いだ。互いに結んだ約束を反故にされ自分より若い者に抜け駆けを許し、諸将の前で面子を潰されてまで援軍を出すほど、ジャデリンはお人好しでは無かった。ジャデリンとタクエンを見守る郡将達も、このジャデリンの裁きには、「最も」だと概ね納得して、誰も官軍の仲間であるキレイを救おうとするタクエンに賛同する者は居なかった。

 「…このままでは…」

 タクエンは跪きながら、席を立つジャデリンの眼を引こうと一計を案じた。

 「…宮中にて御免!」
 「うっ!?貴様、なにをする!!」

 タクエンは、自らの腰に差した短刀を抜き喉元へ突き立てた!
前にキレイが行いかけたことだが、宮中や軍議において武器を抜くことは、たとえどんな者であっても軍においては最大の無礼であり、帝国に仕える者なら、それがどのような理由であっても『してはならない』禁忌の所業であることを知っていた。

 「私の言が通らねば、仕方ありませんな!この短刀で我が喉を突き、この忠義の心と引き換えにジャデリン将軍に援軍をお願い致す所存でございます!」

 ザワザワ…ザワザワ…

 鬼気迫るタクエンの喉元へ少しずつ近づく、ギラリと光る銀色の刃。
見た郡将の誰もが動揺を隠しきれず、ざわめく城内は、あっという間に緊張感に包まれた。
思わず席を立つジャデリンだったが、刀を抜く動揺よりも先に怒りが出た。

 「ふざけるな!汚らしいお前の血で、城内を汚すつもりか!大将が大将なら、部下も部下だな!無礼極まりない厚顔どもめ!」

そして、ジャデリンは城内の郡将達に眼をやりながら言った。

 「死する忠義など見苦しい!誰か!そやつを止めよ!」

ジャデリンの号令によって、今までざわめいていた郡将達が、一斉にタクエンを捕らえようと近づいてゆく。タクエンは、ジャデリンの冷たい仕打ちと近づく諸将を見て焦った。一か八かで考えた一計が、これほど脆く崩れるとは予想していなかったからである。

 (苦肉の策で出した私の忠義など、皆から見ればこの程度か…!ならば!)

タクエンは心を決めて、自らの命を張って賭けに出た。

 「我が命のなんと軽いこと…くっ!」

瞬間、死を賭した演技が始まった!
首の皮に刀を当てて眼を瞑りながら、タクエンは郡将達全員に聞こえるように、城内に響き渡るような大声で叫んだ。

 「私が大将と崇(あが)め!忠節を誓う将軍が、むざむざと敵の手に惨殺された姿を見るのなら!私は潔くこの場で自害し!冥府地獄で臣下の忠節を真っ当します!止めなさるなジャデリン将軍!無礼は地獄にて詫び申そうーッ!!」

 叫んだ後、クワッ!と眼を開くタクエン。
近づく郡将達の前で、思い切り己の喉元に短刀を突き刺そうとした!
あわや宮中が血に染まる…!

 その時、郡将の中から一人の大男が飛び込んだ!


 「愚か者がーッ!」


 張り裂けんばかりの大声と、バキッ!と柄が折れるような鈍い音がすると、首筋を捉えていた短刀はタクエンの手を離れ、空中に舞い、郡将の頭を飛び越えて、宮中の壁へと突き刺さった!

 「それがしの前で、そのように無駄死にするつもりでござるか!」

間一髪、短刀を蹴り上げたのは、ミレム達三勇士の一人、豪傑のスワトであった。

 「何故です!何故止めます!」

蹴りの反動で横へと倒れたタクエンは、周りでたじろぐ郡将達の泳ぐ目を見て、迫真の演技を続けた。だが、計算づくのタクエンの演技に対して、真顔で話すスワトは本気だった。

 「愚か者!君臣の間に恩を感じ、その忠節を重んじるのであれば、なぜ説得の途中で自害などするでござる!たとえ相手に心通じなくとも、真の臣下であれば、相手を最後まで説いて振り向かせてみるものでござろう!それがしも臣下の身ではあるが、今のお主のように命を売り物の如く粗末にし、自害で人の心を動かすような愚を忠節とは思わんでござる!」

 「…」

 低く通る声。赤く強張る顔。
節々から異常なほど感じられる、スワトの忠義に対する熱意の表れは凄まじいものだった。
一計を案じて、軽々しく命を賭そうとしたタクエンには、このスワトという人物が、想像以上に大きく見えていた。

スワトは、踵を返すように振り返り、ただ状況に立ち尽くしていたジャデリンにも言った。

 「御大将ジャデリン将軍にも一言申したいでござる!それがしのような弱将にも、忠節というものがあり申す!忠節とは、君臣を繋ぐ絆!信帝国築かれて二百年経てども、帝と我々がその絆を断った事はござらん!たとえ将が誰であれ、帝に忠節を誓う兵の一人には変わり有りませぬ!危機に瀕した味方があらば、救うのが人の道でござらぬか!なぜ無碍にも使者の忠節を拾わず、援軍を送ろうとせぬのでござりましょうか!!」

 「む、むむ…それは」

スワトの強烈な言葉の羅列に、ジャデリンを含む郡将達は思わず言葉を失い、黙ってしまった。戦続きで忘れかけていた義と人の道を説かれれば、信帝国に仕える軍人として誰一人、返す言葉は無かったのである。

 「スワトの言葉!最もかと思います!」

 刹那的な沈黙の後。
調子を見計らい、郡将の中から一声が聞こえる。
智将ミケイを先頭に、三勇士のミレムとポウロが、バツの悪そうな苦々しい顔を浮かべるジャデリンの前に出てゆく。先頭に立ったミケイは、一度コホンと咳払いすると、いつもより声高にジャデリンに言った。

 「ジャデリン将軍。抜け駆けをされた悔しいお気持ちは、このミケイ、重々お察しいたします。ですが天下のジャデリン将軍が、なんと器量の小さいことでしょう。お味方が困っているのなら、兵3千などといわず、必要なら全軍で助成すべきです」

 ミケイの言葉に、ジャデリンは思わず声をあげた。

 「なんじゃと!?我らの全軍で味方を救えと申すか!」
 「はい全軍です。あそこまで言われて断るジャデリン将軍ではございますまい」
 「む…むむう」

ミケイはすでに、面子を潰されて意固地になるジャデリンの心中を察していた。
だからこそ、わざと挑発するように声高な発言を繰り返した。

 「はっはっは、まあジャデリン将軍のお心もわからなくもない。不本意でしょうから、援軍の指揮は私がとりましょう」
 「なんだと!」
 「なあに私の策と用兵術と、ミレム達三勇士の力があれば、頂天教軍の本拠地など簡単に勝ち取れましょう。わざわざジャデリン将軍の手を煩わさずとも…」
 「おのれ!わしを愚弄するつもりか!」
 「いえいえ、ただジャデリン将軍は感情の起伏豊かな方ですからな。些細な感情で、我々の邪魔をなされられても困りますし…」
 「ぬううううううう!!!!おのれミケイ!!!!!」

 ジャデリンは、ミケイの挑発にまんまと乗ってしまった。
顔を真っ赤にして憤慨すると鬼のような形相を浮かべ、手足体全てをワナワナと怒りに震えさせた。それを見た郡将達は、宮中に血の雨が降るのではないかとあたふた様子を窺っていたが、冷めた目と口で諭すミケイには、ジャデリンを言い負かすには余りある理屈が幾千もあった。

 「このおおおおおおおお!!!」

 一方的な口論を続けさせられる中、ますますジャデリンは怒りを露にし、ついには自分の座っていた椅子を担ぎ上げると、力いっぱい空中に放り投げた!椅子は放物線を描き、石造りの壁に物凄い勢いで激突し、木材を撒き散らしながら四散した。

 ブゥン!バキィィィィ!
 ブゥン!バキィィィ!!

 ジャデリンは、言い負かされる度に物を投げた。
撒き散らされるあらゆる破片を避けるため、城内の群将達は右往左往しながら、ジャデリンのとめどない怪力ぶりに肝を冷やした。

 そして、ついにジャデリンはミケイに口説き落とされた。

 「はぁっ…はぁっ…くそ!わかった!わかった!4千でも5千でも、いくらでも兵を出してやる!」
 「おお、ついにご決心いただけましたか…」
 「だがミケイ!援軍を指揮する大将は、このジャデリンだ!勿論これは、お前の挑発に憤慨したから指揮をとるのではない!帝に忠節を誓う将兵を救わんがため、命を呈して心を動かそうとした、その使者タクエンのために指揮をとるのだ!」
 「ははっ!少々見ないうちに城内が散らかりましたが、これを見て誰もジャデリン将軍が憤慨して兵を出すなどとは、つゆぞ思いますまい!では、私は準備をいたしまするので、これにて失礼を…」
 「…ぬぬぬぬ!おのれ毎回一言多い男じゃっ!!!!!!」

 宮中を立ち去る三勇士と、ミケイの後姿を見ながら、ジャデリンは憤慨する己の心を止めることが出来なかった。散らかされた城内で腰を抜かした郡将達にジャデリンが気付くと、怒れる獅子は吠えるように鳴いた。

 「お前たち!そこで何をしておるか!!!戦じゃ!さっさと戦の準備せい!!!!!!!」

蜘蛛の子を散らすように、そそくさと城内を立ち去ってゆく将軍たち。
ジャデリンもまた、ドシドシと足音を立てて戦の準備に消えていった。
静かになった宮中を去り、妖元山の麓で待つ後詰め部隊の下へ一人早馬を駆けるタクエンの心中は、複雑なものであった。

 (上手く援軍は呼び込めたが…。力攻めの腕力だけと思っていた南部官軍にも、恐ろしい才能を持った連中がいたものだ。ジャデリンの気性の粗を良く突いたミケイの進言といい、あのスワトとかいう男の忠義心といい。キレイ様の野望には、ちと目障りになるかもしれませんな…)

 目の前で弱まってゆく風と雨粒の量を、その時タクエンは感じられなかった。
目先よりも遠い未来に起こるであろう、己の心に宿る確かな不安を抱え、タクエンの早馬は濡れた荒地を進んだ。遠くに見える妖元山の黒雲は、次第に晴れ間を覗かせていた。
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第十三回『急ぎ攻め』-2

2008年05月09日 18時44分09秒 | 『英雄百傑』完全版


― 妖元山 頂天教軍 本陣 ―

 キレイ率いる歩兵隊2千5百は悪路を抜け、ついに敵の本陣へとたどり着いた。
分道が集結する五路の周りには強固な鉄の門が立ち並び、その周りには木の杭を張り巡らした柵が打たれてまさに山塞であった。

 だが、ここでおかしな事が起きていた。
守備すべき鉄の門は全て開け放たれ、まるで夜逃げをしたように陣には人気が無かった。
鉄門の近くに設置された松明を燃やす燈台や、敵を覗き迎え撃つべき高い櫓(やぐら)や、段々に矢を防ぐために作られた土塁は在るものの、採石場には、まったくと言っていいほど人の気配が無かった。雨粒が降る中、細めで遠くを見つめると、ただ鉱脈を掘削、発掘するための機材と、それを置く小屋と土砂を運ぶ鉄の四輪車がまばらに見える。

キレイは一旦兵士達の進軍を止めると、数十人の手練の物見達に門内を調べさせた。
しばらくすると、帰ってきた物見がつらつらと内部の情報を告げる

 「御大将。門、陣中、櫓、どれももぬけの空にございます」
 「門も陣中も兵がいないだと…?どこかに伏しているのではないか?」
 「いえ、伏兵の気は何処にもございません。ただ」
 「ただ?なんだ。申せ」
 「四方に巨大な鉄の柱と、陣の奥に採石所に繋がる鉄門があり、そこには武具甲冑が投げ捨てられておりました」
 「なんだと、では敵は逃げ出したか」
 「その横に祭壇のようなものがありましたが、人の気配は無く。そこにあった経典のような書物は焼かれたり、雨で濡れておりました」
 「ふふ、はっはっはっ!そうか、そうであったか」
 「何をお笑いで?」
 「所詮敵は賊ということだ。いざとなれば自分の信じた物さえも焼き捨て、投げ捨ててゆく。教えを下に集まって乱を起こした者が、その教えの基礎である教本を焼く。これほど愉快なことはあるまいて」
 「はっ、では」
 「全ては、このキレイの杞憂であった。さあ進むぞ。もぬけの陣を奪うのだ」

 陣内の様子に安心しきったキレイは、空を未だ包む暗雲を見ながら、無人の鉄門を悠々と潜り、不気味な静けさと暗闇に包まれた無人の陣に歩を進めた。

 陣中の奥に進み馬から下りたキレイは、しばらく兵士を休ませるために別路から来るオウセイの騎馬隊の到着を待った。

 「む、あれが物見の言っていた鉄の柱か。おい、あれは何だと思う」
 「おそらく宗教で言うところの、偶像の類ではないでしょうか」

キレイの眼に、はたと見える異質な建造物。
相当量の鉄を使用して作られたであろう、雨に濡れて黒光りする円柱状の巨大な鉄の柱。
鉄柱の周りには、これまた鉄の鎖が巻かれており、その風格は宗教の妖しさというより、物言わぬ威圧感、どこか宗教や神と言った霊的な物より、剣や鎧と言った現実的な印象を受ける。

 「なんという禍々しい偶像だ」
 「ただ今、兵達に調べさせております。おそらくそろそろわかるかと」
 「ううむ…何か嫌な予感がするが…」

キレイが黒雲に眼を逸らした、その時であった!

 バリバリバリ…
 ズドォォォン!

瞳に焼きつくほどの凄まじい閃光と共に、一瞬の轟音が辺りに撒き散らされる!

「………ギャアアーーーーーッ!」
「……うわーーーッ!」
「…だ、だいじょうぶか!」
「…うわあああッ!」

 近場の轟音にぼやけていたキレイの耳に、うすらと何かが聞こえる。
次第に回復する聴力は、それが何なのかをキレイに教える。
鉄柱を調べていた兵士達の断末魔の声だ!
眩しい光に一瞬真っ白になった視力が戻り、うっすらと周りが見れるほどになると、キレイはその目を疑いたくなるような光景を見た。

 「…ば、馬鹿な。落雷が兵士に当たったのか…?」

 巨大な鉄柱の周りに居た1百人ほどの兵士達の殆どが、たった一度の落雷によって、ある者は全身黒焦げになるほどの大火傷を負いながら息も絶え絶えに痙攣して絶命し、またある者は地上に上がった魚のように震えながら、痛みに呼吸が乱れ苦悶の声を発していた。
 目の前で絶命してゆく兵士達を見て、恐ろしくなった他の将兵達は、陣内の採石所の鉄門へと逃げてゆく。

 すると、岩肌を削って出来た祭壇に火が灯り、その中から不気味な笑い声が聞こえ始めた。

 「ヒャヒャッ!ヒャッヒャッヒャッ!まんまと引っかかった!引っかかったよ!」

 キレイは刀を杖にして立ち上がると、落雷に逃げ惑う将兵たちを落ち着かせた。
そして、耳にうすらと聞こえる笑い声に向かって大きく叫んだ。

 「お前は誰だ!妖元山に篭る物の怪の類か!」
 「名乗るほどの名はもってないけどぉ、言っちゃおうかなぁ?」
 「怪しい奴だ。皆の者!奴を捕らえるのだ!」


「「「 ワ ー ッ ! ! 」」」

兵士達がそれぞれ祭壇に向かって走り出したその時であった。
再び暗雲からチラリと雷光が見えたかと思うと、落雷は鉄柱を弾き、稲光は瞬時に分散し、鉄の兜をつけた官軍兵士達の頭上へと落ちてきた!

 バリバリ…
 ズドォォォォン!

「ぎゃあーっ!」
「うおあおおあああああおあおお!」
「ギャアアアア!」

向かっていった五十程の兵士達は、なす術もなく次々と雷撃に当たった。
電流は一瞬にして兜を通して皮膚を焦がし、兵士たちを物言わぬ死体へと変えた。

「あ、あれはなんじゃ」
「よ、妖術だ!妖術だ!」
「助けてくれー!俺はまだ死にたくない!」

 向かう将兵達は混乱し、そして恐れ慄いた。
大自然の科学という物がまるで理解できない兵士たちにとって、落雷を自由に操れる者など、この世に存在するはずの無い、物の怪の類だと恐れた。
口々に悲鳴をあげて、その士気は見る見る内に下がっていく。

 「ひいい、キレイ様!逃げましょう!あのように妖術を使う者に勝てるはずがありませぬ」
 「黙れ!将たるものが慌てては、兵が纏まるはずもあるまい!雷など偶然の産物に過ぎん!全員恐れずに突っ込むのだーッ!」

 数多の雷撃で死んでゆく兵士達の姿を目の前にしたキレイだったが、彼の眼にはどうしても落雷の仕組みが妖術の類だと信じられなかった。この非常時においても冷静なキレイの指揮で、未だ恐怖に駆られていない歩兵隊を数十人密集させると、再度、祭壇の男へと突撃させた!

 祭壇の男は、それを見て、大きく弧を描くようにして腕を持ち上げて言った。

 「ヒャッ!?おやおや、虫のくせに抵抗なんて生意気じゃあ!ヒャヒャッ!だが面白い奴!そういえば名乗るのを、すっかり忘れていたよ。ヒャッヒャッヒャッ!わしの名はアカシラ。お前たちのような官軍をいたぶり殺すのが大好きな男じゃあ!!」

アカシラはそう言うと、祭壇の近くに設置された小さな銅鑼を思い切り叩いた。

 ジャーン!
 ジャーン!

「「「 ワ ー ー ー ッ ! ! 」」」

 ドドドドドドドッ!!

アカシラの祭壇へと迫る官軍の歩兵隊に対して正面の鉱山の入り口の鉄の扉がギィィと開くと、その中から、黒光りする甲冑で揃えた数百人の男達が現れたのだ!男達は、事前に辺りに投げ捨てておいた槍や刀を手に持つと、山塞中の灯台に火をつけながら、官軍の兵士達に襲い掛かった!

 「ヒャッヒャッヒャッ!ゆけーぃ選ばれた黒の軍団たちよぉ!あの雷鳴を聞けぇ!あの黒雲を見よ!天は官軍を味方せず、わしらを味方しておるぞぉ!それっ殺せ殺せぇ!」

不意を突かれた官軍の兵士達が、勇猛な黒い甲冑の兵士達に次々と斬り殺されてゆく。
統率が取れていなかったこともそうだが、山登りでの無謀な疲労と雷撃による衝撃が、落ちる士気に拍車をかけた。

 「キレイ様、もうだめです!次々にやられていきます!」
 「良く見ろ!兵数は、こちらのほうが圧倒的に上だ!兵士を纏め上げて前方に密集させよ!」
 「は、はっ!」
 「賊軍め!子供だましの伏兵如きで、このキレイの兵がうろたえると思うなよ!」

 黒い甲冑を着た頂天教軍の兵士達の突然の登場にキレイは冷静に対処した。
将兵達の統率を瞬く間に終えると、自ら手を伸ばし密集陣形にあった歩兵隊を前方へと突撃させ、黒い甲冑の兵士達に当たらせた。官軍の被害も相当だったが、多くの兵たちが密集して怒涛のように押し寄せれば、流石に数の劣る黒い甲冑の部隊も押し負けてしまう。

アカシラは、祭壇でその光景を苦々しく見ていた。

 「ヒャアッ…?うぬぬぬん?こりゃ思ってたより手強いようじゃのうー。あれじゃ黒の部隊が全滅してしまうのう。よし、次を出すか…」

 ジャーン!
 ジャーン!

再びアカシラがドラを鳴らすと、今度は採石場の用具を置く小屋から、櫓の陰から、五路に設置された鉄の門の外側から、武装した頂天教軍の兵士達が、ぞろぞろと現れた!

 バリバリ…
 ズドォォォォン!!

そして、それと同時に再び落雷が密集陣形を離れた官軍の兵士達の頭上に落ちる!
また百人ほどの兵士がその場に横たわり、口々に断末魔を叫びながら絶命する。
キレイのお陰で俄かに統率の取れかかっていた官軍兵士達も、それを間近で見ると、それまで勇猛に戦っていた者でさえ戦闘意欲を無くし、死を恐れて隊列を乱し、士気が見る見る落ちてゆく。

四方八方から襲い掛かる頂天教軍の執拗な攻撃に晒され、キレイの指揮する歩兵隊の密集陣形は、確実に破られていった。だが、未だにキレイだけは勝つことを確信していた。

 「…付け焼刃の挟み撃ちで破れるキレイと思うなよ!それっ!私の指揮下の者は、方向転換せよ!後方の敵をぶち破るぞ!傷ついた者や他の者は、陣形を乱さず、その場で防御に徹せよ!」

 号令に次ぐ号令!若き指揮官キレイの声が、戦場を縦横無尽に木霊する。
瞬間的な勘と、実戦と知識を兼ね備えた統率術。キレイの用兵、その実戦における兵法の数々は、まさに至極であった。兵達は恐怖に怯えながらも、敵を打ち崩していった。

 「それっ!もうすぐオウセイの騎馬隊が駆けつけるぞ!それまでの辛抱だ!」

勇敢にも恐怖に怯える兵達を指揮するキレイも、ジリジリと一方に押し込められ、増大する被害を見て、その肌で敗北を予感していた。だが、勝利への逆転の一つとして、自身最も頼りとするオウセイの援軍の到来を余地に入れていたことが、キレイを頑張らせた。

 だが…軍隊というのは数であり、時の勝敗は一人の頑張りではどうにもならない事もある。

 「御大将!いけません!兵士達の大部分が雷と敵に怯え、後方部隊はもう持ちませぬ!」
 「なんだと…オウセイの援軍が来るまで持ち堪えられなかったのか!指揮は誰がとっておる!」
 「それが…将も雷に逃げる有様で…」
 「ば、馬鹿な。恐怖で統率された我が軍が、恐怖に破られたと申すか!?」

キレイは、副将の報を聞いて、思わず周囲の兵士たちの顔を見た。
才能ある自分が先頭に立って兵を操り戦い続ければ、たとえ敵が強大であっても戦う兵達全体の士気は落ちないと、そう信じて戦ってきた。
恐怖と言う名の統率と、自身の揺ぎ無い意志力こそが、最大の武器だと信じていた。

 「………」

 そして、キレイは付き従ってきた兵士達の顔を見て愕然とした。
目は死に、手足は震え、おびただしい顔面の油汗を血で濡れた甲冑をガチガチと震わせながら拭う。気付けば、どの者も戦おうという意思を失い、ただ死を恐れ、怯える者ばかりだった。

 「いつの間にか、そこら中から頂天教の兵士の影が忍び寄り、まるで円のように歩兵隊が囲まれておりまする。士気の上がらぬ今、ここは一隊で敵の囲いを崩し!敵の迫撃覚悟で逃げるしかありませぬぞ!」
 「……」
 「キレイ様、ご決断を!」
 「………」
 「キレイ様!」
 「仕方ない…なんたる無様な敗戦だ…くっ!動ける者を集めよ!全軍一文字陣形!血路を開いて逃げ延びるのだ!」

 キレイは号令をあげたその時、人生初めての敗北を喫したことを認識した。
苦虫を噛み潰したような顔で、悔しい思いを胸に抱いたが、キレイは大将として気丈に指揮をとり、兵士達を従わせた。

だが、恐怖の紐を解かれた兵士達に最早キレイに従って動くなどという士気はなく、伏兵に囲われながら陣形を乱した官軍歩兵隊は見る見るうちに数を減らし、山地には無残な官軍兵士の死体が次々と積まれていった。

 ガキーン!!
 ドカッ!!!

 「キレイ様!危ない!ぐわあっ!」
 「ぬう!おのれーッ!」

 ビュッ!
 ドカッ!

 「ぐわぁーッ!!」

 崩れかけた一文字陣形で頂天教軍の部隊に果敢に突撃するキレイだったが、敵の壁は厚く、突破に躊躇したキレイの部隊を、今度は左右から敵軍が襲い掛かる。今まさに最後の砦たる副将までも討たれ、キレイを守る兵士の数は百を数えられるほどに少なくなっていた。

 「まだ突破は出来んのか!くそっ!」

 剣を振るう腕が重い。槍を避ける足が重い。
だが迫る敵を紙一重で倒しながら、兵達を指揮する。
キレイの間近に迫った焦燥感は、彼自身の諦めの悪さを物語るようにキレイを頑張らせた。
脳に自分の死を悟らせれば、他の者のように恐怖に歪み、生きる事を諦めてしまうかもしれない。

 「ふざけるな!雑兵に取らせる首など持ち合わせてはおらんぞ!羽ばたき始めたばかりの天下の龍が、ここで死ぬわけにはいかんのだ!」

 あらゆる思考の中で必死に奮戦するキレイだったが、頂天教軍の兵士達は、数を増やし、徐々に囲いを作る。指揮官キレイの絶体絶命の危機には、さほど変わりはなかった。

 「英雄の首は高いぞ!貴様等の命で払えるものか!このッ!」

 ブゥン!ガキーン!
 ガキーン!ドカッ!!

 「うっ!」

 グワンッ!ヒュンヒュンヒュン!
 キュィィン!カキーン!

 その時、キレイを狙った三方からの槍が飛び込む!
流石のキレイも、これを剣で捌くことは出来ず、槍の柄がキレイの腕を強く叩くと、剣は大空に舞った。もう一つの槍は、赤い甲冑を霞め、剥ぎ取るように戦包を傷付ける。

槍を避けた瞬間、足がよろける。兜が脱げる。大地についた手が震える。
ついに身を守る物が一つとして無くなり、大地へ屈してしまったキレイ。
にじみ始めた背筋の汗が、差し迫る敵の鋭い槍が、死を予感させる。

 「ぐっ!うおおおおお!」

 キレイは、最後まで抵抗の表情を浮かべた。
彼は確かに体は大地に屈していたが、心までは屈してはいなかった。
槍の穂先が、彼の胴体を捉えようとした…


 その時であった。



「「「 ワ ー ー ー ッ ! ! 」」」

 ドドドドドドドドッ!!

 「若ァァァァッ!!!ご無事でございましょうかーッ!!!」

大きな喚声と供に、馬蹄が唸りを上げる!
別路から向かってきたオウセイの1千5百の騎馬隊が、ついに現れ、キレイを囲むように円陣となっていた頂天教軍の陣形を切り崩すように体当たりで活路を開いてゆく!

オウセイは、手に握った双尖刀を右へ左へ振り回しながら、頂天教軍の囲いを突破し、大地に倒れたキレイの姿を確認すると、鐙につけた足にグッと力を入れ、騎馬の手綱を放すと、手を差し伸べ、そのまま力強い豪腕でキレイを自分の馬上に押し上げた!

 「お!おお!お、オウセイ!!オウセイではないか!」
 「若!まずは、ご無事で何より!されど今は合戦中、乗馬の時間のように優しくという風には行きませぬぞ!!しっかりと掴まっていてくだされ!」
 「オウセイ。もう少しで死ぬ所であった…なんと言って礼をしたら良いか…ありがとう。お前は命の恩人だ」
 「ハッハッハッ!敗戦で、少々しおらしくなりましたかな若?それともいつもの嘘でござろうか?まあ何にしろ、拙者とすればその言葉!無事に敵陣を突破してから、陣中の皆の前で言って頂きたいですな!」
 「私が褒めておるのに…口の減らぬ奴め…」
 「余り喋ると舌を噛みますぞ!そりゃ!」

 キレイは、心からオウセイに感謝の言葉を投げかけたかった。
だがオウセイは、いつも通りの笑みを浮かべ、ニンマリと笑うと、珍しく実直なキレイの言葉に対してお茶を濁すような冗談で答えた。

 キレイはオウセイという自分にとって大きな支えとなる将軍が、身近に居た事の喜びを今再び認識した。強く風のように敵をなぎ払い、強く雄々しく手綱を握り、目の前の一癖の小さな背が、今は二倍にも三倍にも感じられた。オウセイと率いる騎馬隊に守られながら、馬は山上を駆け、馬蹄は大地を蹴りあげた。

 ドドドドドドドッ!!

オウセイと騎馬隊は休むことなく脱出路を守る敵の部隊へ突撃を敢行すると、脱出すべき活路を開き、そこから一直線に山道を下り始めた。しかし、突破した騎馬隊の後ろからは、アカシラの迫撃部隊と別働隊が、すでに動き始めていた。

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第十三回『急ぎ攻め』-1

2008年05月09日 18時43分27秒 | 『英雄百傑』完全版
― 妖元山 中央山道 ―

 山中の天候は、吹いては飛ぶ女心のように変わりやすいものである。
さっきまで身を濡らしていた小雨が嘘のように、天候は不順に不順を重ね、山の下へ下へと吹き始めた逆風は山肌を削るように荒れ、当たる雨粒は身を弾くほどの豪雨に早変わりしていた。

 「くっ…恐将歩めば山が泣くか。天め、この私が勝つのがそれほど疎ましいか」

 悪天候の中、キレイは馬の手綱を強く握りながら呟いた。
キレイの特徴である赤で染められた甲冑と戦包(せんぽう)(合戦の時に身を包む厚手の戦闘服、または肩掛けの総称)は、雨粒を吸い込んで重みを増し、冷たくべったりと肌に付く布は疲労感を増幅させた。

 「だがな。このような風雨に負けるほど、私は虚弱ではない。天よ見ていろ、見事敵の本拠を落として、悔し顔の貴様を笑ってやる」

 だが、キレイの意思と騎馬の歩みは、逆境を跳ね除けるように少しも緩む事が無かった。
ぬかるみに歪む山道で、強風と雨粒が山へ人へ打たれる中、強く手綱を握られた騎馬は、ただ前へ前へと強く土を踏み、馬蹄は窪みに出来た池を弾いて行く。

そこへ、副将の一人が報せを告げようとキレイに近づく。

 「御大将!そう足を急かされても、後ろの兵が付いて来れませぬ!」
 「なんだと?」

 キレイは、風雨に晒される顔面を右腕で防ぐと自分の後方を覗いた。
そしてキレイは見た。先ほどまで近くで雄々しく歩を進めていた率いる歩兵隊2千5百が、キレイから大分離れた岩肌の突き出した傾斜の悪路で立ち往生していたのを。

 「あの程度の傾斜、何故登れん」
 「岩肌が滑り、土は泥となって流れるような悪路。それにこの悪天候では仕方ありますまい」
 「ええい、この程度の風雨で足を止まらせるな。甲冑を捨ててでも登らせよ。絶対に足を止めてはならんぞ」
 「はっ…」

 急ぎ攻め。こうまでしてキレイが進軍を速めさせる理由は、ただ一つだった。
奇襲、いわゆる備え無き敵の不意を突く作戦のためである。
敵に発見されないための進軍速度が重要である奇襲戦において、この進軍の遅さは致命的であった。参軍従事のタクエンが危惧したように、絶対的な守りに適した敵が、奇襲を知り、備えを本腰にして構えれば、数で勝っていても勝てる見込みなどない。

 「急がせよ…見つかっては奇襲の意味がない」

しかしその時、山道の先に存在する妖元山の高台から、数人の影が散るのが見えた。


― 妖元山採石所 頂天教軍 本陣 ―

 「アカシラ様!教祖様!大変です!敵がやってきます!」

 妖元山上部。
鉱石を産出するために切り開かれた採石所は、篭る頂天教軍によって山塞(さんさい)と化していた。強い雨音が聞こえる石室に、怪しげな衣服を纏った一人の男が座っている。

 「ヒャッヒャッ…こんな悪天候に、どこの馬鹿じゃあ」
 「遠目ですが、中央道より官軍の歩兵が数千ほど」
 「ヒャッヒャッ…悪天候に紛れて奇襲のつもりかのう。それで、他の物見の兵はどうしたんじゃあ?」
 「はっ、各所に報せをと、走り回っております」
 「ヒャッヒャッ…それは、いかんのお。全員戻らせるんじゃ」
 「はっ…しかしそれでは敵軍が本陣を」
 「ヒャッヒャッ…いいんじゃ。いいんじゃ。敵が取りたきゃ取らせれば良いんじゃ。愚かな奴らの願いが叶えられて、絶頂を迎えたところを…虫けらのようにクイッ!っと叩き潰す…のぉ?」
 「では、アカシラ様には何かお考えがおありで…?」
 「ヒャッヒャッ…ほれ、これを配ってこい。お前は諸将にこれを読ませて、その通りに遂行させるんじゃ。少し経てば、わしの奇跡を間近で見れる。良いものじゃぞぉー」
 「ははっ、それでは伝えてまいります」

石室の中央に、燃え盛る蝋燭を何本も周りに立てて書き物に熱中していた男は、歯茎がむき出しになるほど声高に笑うと、やってきた頂天教軍の兵士達に一巻の巻物を渡し、そう告げた。

 「ヒャッヒャッ、まずいのう。実にまずい。小さく弱い虫を殺す時に限って、どう捻り潰そうかと思考が冴えてしまうのう。このように老いを感じる歳になっても、益々冴える。ヒャッヒャッ…いやー、まずいのう!」

 初老を迎えた男は、誰も居なくなった石室で、ただケタケタと笑い続けた。
妖しげな衣服を身に纏った男の名前は、アカシラ。
帝国に対し乱を起こした首謀者、頂天教軍の最高司令官にして、長らく官軍が適うことが出来なかった頂天教軍随一の知恵の持ち主である。


― 妖元山 中央山道 ―

 その頃、敵に見つかったことなど露知らない官軍歩兵隊たちは、立ち往生と緩やかな進軍を繰り返していた。キレイの思い描く、神速をもっての奇襲戦法の意図とは反対に、進軍は難航を極めた。

 ザァー!ザァー!
 ビューッ!ビューゥ!

「うわーぁ!吹き飛ばされる!」
「なんて逆風だ!一歩前へ出るだけでも辛い」
「か、風も強い!わわわ、吹き飛ばされそうじゃ」

容赦なく吹き付ける逆風が兵の体を止め

 ズザザーッ!
 ガラガラガラッ!

「あっ、また一人転んだぞ!」
「こう道が悪くちゃ仕方ないさ…うわっ!」
「く、くそ。このままじゃ敵と戦う前に疲れちまうぞ」

豪雨と兵の足によって山道の柔らかな土が捌けられ、剥き出しの岩肌が足を滑らせ

 ゴロゴロ…カッ!
 バリバリバリ!

「ひええ、また光ったぁ!
「ブルブル…雷怖いよぉ」
「い、戦で死ぬのはいいが、雷に当たって死ぬのは嫌だなぁ」

山上に差し掛かる黒雲は雷雲となって、そこから落ちる雷光と響く雷鳴は、おびただしい光とけたたましい音を兵士の目と耳に轟かせる。

 「ええい!進め!進まぬか!」

 キレイの怒号に似た号令が雷光を背景に飛ぶ。
だが将兵達は足を早めるどころか、不安定な足場に一歩ずつ足場を確かめながら進軍しなければならなかった。また、転んで打ち所悪く死者も出始めたことから、士気も上がらなかった。行く時は天を突くほどの勢いだった兵士達の意気は下がりに下がり、度重なる疲労感を含めて、その士気は今や崩壊寸前であった。

 「ぬうう…このような鈍足では、奇襲の意味がない…」
 「キレイ様!駄目です、兵達は皆風雨に晒されて士気は落ちる一方。ここは、いったん出直しましょう。天候が回復した後、攻め入るのが良いかと思われまするが」
 「そのような事が出来れば、とうにやっておるわ馬鹿者め」
 「しかし…」
 「ここで後退すれば山中の敵が察して出陣し、追撃の格好の餌食になってしまう。大打撃の負け戦を演じるつもりか?」
 「そ、それはたしかにそうですが」
 「それに引いて惨敗するなど、このキレイの心が許せん!どの道、勝利するためには行かねばならんのだ!進め!進むのだ!何を犠牲にしても進めぇ!」

冷静さを欠き、雷鳴と同じほど憤るキレイは、恐怖の視線と狂気の口調に満ち溢れ、いわば逃げ腰気味だった副将の下唇を思わず強く噛ませた。

そして副将は風雨の中、手を高らかに振り上げ、今まであげたことの無いような大声を放ち、難航する兵達を急がせようと捲し立てる。

 「す、進め!進めーーー!」

副将は、この男の言う『犠牲』の意味を恐怖と焦燥の中うすらと感じていた。
逆らえば明日の命もわからないという、その恐怖の鞭が副将にも染み付いていたのだ。

 「疲労も多いが勝てるはずだ。幸い、黒雲と雷鳴で我らの姿と音は消えておるのだ。その証拠に敵の陣の灯火が見えんではないか。ははは、まだ勝てるぞ!」

 キレイは、眼をクワッと大きく開くと、再び手綱を握り、ただ前へと進んだ。
無意識の焦りが、キレイにはあった。脳裏にタクエンの言葉が焼きついていたからだ。

 (…ふざけるな!…私が負けて奴に笑われるわけにはいかんのだ!)

 矮小な意地が、キレイの心を塗りつぶす。
自分自身、悪天候に苛まれれば危険を伴うと思っていただけに、タクエンの言葉が痛烈に勝利への意地を増徴させる。他人に自身の才能を鼻にかけ傲慢になりながら、他人に優越たる才能を否定されて笑われる事を嫌う。

 …負けるわけには。
 …負けるわけには、いかなかったのだ。

 そのキレイの気持ちとは裏腹に、傲慢にも参謀タクエンの進言も聞き入れず、頑なに山攻めを敢行したキレイの軍に、天地は罰を与えるように味方しなかった。雨と雷は止まず兵の体を脅かし、風と水は進軍を妨げ、行くも戻るも難しく、立ち往生した将兵達は、いつ敵に襲われるのではないかと、差し迫るその絶望感を味わった。

天地に嫌われた、キレイの歩兵隊は孤立した。

 「皆の者、良く聞けい!!」

だがキレイは、ただその場で立ち止まり、ただその場でうずくまる様な男ではない。
龍は雷鳴の波を泳いでこそ龍であり、天を逆らって昇るからこそ龍なのである。
キレイは知っていた。こういう時に、どうすれば良いかを。
足を止めて進まない兵士達に、何が『足りない』のかを。

 キレイは叫んだ。

 「誉れ高き官軍の強兵達よ聞け!そして見よ!あの雷鳴の先に見えるのが敵の陣だ!あと少し!この苦難もあと少しだ!タダでとは言わん。将も兵卒も身分に関わらず、敵の陣に一番に攻め込んだ者には、褒美として1千の黄金!大将首をとった者には、褒美として1千の部下を率いる大将の地位を約束するぞ!このキレイが声高に言うのだ、間違いは無いぞ!」

風雨と稲妻を遮るように、兵士達の耳に通ってゆくキレイの声。

 ザワザワ…
 ザワザワ…

「えっ!?1千の大将だって!?」
「1千の黄金!?おいおい本当か!?」
「こ、この俺が1千人の部下を持つ大将…うはは」
「へ、へっへっ、身分に関わらずとは、こりゃ恐れ入る御褒美だ!」
「なんだなんだ、こんな雨や風!俺のような雑兵が大将になれるなら屁でもないじゃねえか!」
「そうと決まれば膳は急げ!俺が一番だ!!」
「どけどけおまえら!オイラが一番乗りだ!」

 ワーワーッ!
 ワーワーッ!

キレイの放った破格の褒美は、ざわめく兵士たちの声を一瞬にして怒涛の喚声へと変えた!
それまで鈍重だった動きがまるで嘘のように、将兵たちは我も先へと進軍してゆく!

 「おおお!き、キレイ様!兵がこぞって進んでいきますぞ!」
 「お前は行かなくて良いのか?褒美は聞いての通りだぞ」
 「は、ははは…ご、御免!先手を仕る!」

キレイの顔色を窺っていた副将ですら、馬の手綱を強めて、雄々しく腹を蹴り上げ、無謀とも呼べる速度で山を駆け上がってゆく。

 「「「 オ オ オ ー ッ ! 」」」

 それまで立ち往生するほど苦しかったはずの行く行く悪路は、すでに悪路では無かった。
ゆくゆく山道を物ともせずに進む将兵たちの姿を見て、キレイは俄かに鼻を鳴らした。

 「ふん。過度の恐怖の鞭に慣れると、与える飴が事のほか美味く思えるものよ」

 今考えて実行した、急ごしらえとは思えないほど的確な鼓舞。
実行する時を選ばぬ度胸と人間心理を良く心得るほどの観察眼。
天地天候に嫌われ、絶望と焦燥と隣り合わせになりながらも、これを実行できるキレイという人物は、己が自負する以上に天才であった。

官軍の将兵達は、妖元山の敵本陣へとあっという間に進軍した。


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第十二回『機智、大望を救いて』

2008年04月30日 22時58分37秒 | 『英雄百傑』完全版

― 阪州 大重郡 円城 ―

 大重郡の南方に位置するこの円城は、頂天教軍を退けたキレイ率いる多くの官軍兵が占拠していた。日夜、様々な将兵が悩ましげに頭を傾げる軍儀が開かれる冷たい石に囲われた円城の外からは、ザーザーと打ち付けるような雨粒の轟音が聞こえる。
この雨は、地方特有の劇的変化する天候不順の産物であった。
昨日すっきり晴れていた天気も、今や黒い雲が覆う豪雨の中。
城と山を覆う暗雲からは、所々に雷鳴も聞こえ始めていた。

 攻め落とした円城の宮中では、今日も将達が集められ軍儀が開かれていた。
『居なくなった』太守の席にズシリと腰を落ち着けて座るキレイは、各地方から集まった知者達を前に、いつにも増した冷徹な眼差しを浴びせていた。太守の席の近くには、彼が頼みとするオウセイの姿があった。

 「軍儀を始めよう。誰か、何か策のあるものは私の前に出て話すがよい。策良ければ取り立ててやるぞ」

冷たい視線から放たれる、傲慢に満ちた言葉。
キレイは元々、およそ武将らしくない端正な顔立ちの持ち主だった。
だが今は違う。
支配欲に満ちた大きな瞳、他人を見下すようなつり目、心の中の傲慢さが突き出したような鷲鼻、冷徹な口調に慣れ親しんだ厚い唇は、すでに野心むき出しと言った感じで、知らず知らずの内に支配者としての自分が投影されていた。

 「考えつける全ての策を言うが良い。この私の範疇を超えることは無いだろうがな」

足をだらしなく広げ、頬に手をつけ、傾げた首で語りかけるキレイは、とても戦をする武将の姿ではなかった。連戦連勝を続ける自分の才知に、すっかり驕(おご)っていたのだ。

将達は、その言葉と態度に反感を覚えた。
だが誰も、キレイには表立って逆らえなかった。
恐将キレイの前で下手な事を言えば殺されかねない…誰もが押し黙り、キレイの顔を窺う。

 「どうした?遠慮をするな。誰でも手をあげるがよい」

 緊張感に包まれた宮中の静寂は、城外から入る雷鳴と豪雨の音だけを聞こえさせる。
追随の言葉を投げかけるキレイだったが、やはり将達は黙ったままだった。耳にキレイの言葉が聞こえる度、将達のその手足、背筋には冷たい物が感じられ、次第に体は微弱な震えを始める。そこへ、あわや突き殺してしまうように差し込んでくるキレイの度々の視線は、ほぼ条件反射的に将達を怯えさせる。キレイの一挙手一投足が、いわば物言わぬ凶器であった。

 いつの間にか、本人でさえ気付かぬ内に、将達は、
 キレイの恐怖と言う鞭で調教されていたのだ。

 「誰も手をあげぬとはどういうことだ。各地から集められた知者が聞いて呆れるぞ。ふん、そなたらを選んだ皇帝陛下も、とんだ見込み違いをしたものだ」

手も上げずに、苦い顔でチラチラと自分を見る将達を見て、キレイは言葉では怒りを露にしていたが、その心中は、将達への支配が上手くいっている事に満足気だった。

 そこへ…

 「若は英才の持ち主。胸中の策はもうお考えのはず。そのように意地悪をせず、まずは若の考えを仰ってみては如何でしょうか?」

 どれも苦い顔でキレイを見ていた将達を救うように進言したのは、オウセイであった。
今現在、キレイに物怖じせず進言できるのは、配下の武将でさえ彼一人だったかもしれない。
戦傷(いくさきず)の絶えないオウセイの顔は、武に揉まれて猛々しく、短く切りそろえた顎鬚、見開いた目の黒さ、切れ長の太眉は、強い意志を表していた。

 「どうですかな、若。拙者の言うことに間違いはございましょうか?少々の『ぶれ』はあれど、ご心中の通りでございましょう。さあ、そのようにだらしの無い格好をせず、指揮官として我らにお伝えくだされ」

見張るほどでもない幾許かの長身、肉付きもそれほど良くない細身。
オウセイは武将として、決して体格が恵まれているわけではなかった。
だが戦に出れば、馬上に敵なしと呼ばれるほど強い武将であり、キレイとは違い他人を見下すような事はせず、義理堅い男であったため、他の者に好かれた。

 「おのれ、相変わらず私の胸中を勝手に語りおって。…ふふふ、だが残念ながら図星だ」

キレイは、同郷の幼馴染の彼の事を武将としても信頼していたが、親友としての絆は兄弟以上、唯一無二のものであった。彼の実直な言葉には、キレイとて甘かったのだ。

 キレイは乱れた姿勢を整えると、外から聞こえる雷鳴と雨粒の当たる音を裂くように、響く声で言った。

 「皆の者は、どう思っているか知らんが、私は妖元山攻略などは簡単極まりないもので、士気高まる今、短期決戦を仕掛ければ一気に攻め落とせると思うのだ」

 ザワザワ…
 ザワザワ…

キレイの言葉は、知と戦に長けた将達を動揺させ、宮中は先ほどまでの静寂が嘘のように、どよめきに揺れた。

 動揺、それも最もな話だった。
なぜなら、兵法において低地から高地にかけて攻めることは苦難の物であり、中でも山攻めは難解中の難解であった。敵の兵数が低いならまだしも、その兵数が拮抗していたり、敵が多く篭城しているのなら、短期決戦などもってのほか。

苦難の山道を登り、疲れながら攻める攻め手に対して、守り手は山中に兵を前もって置くことも、砦に篭って迎撃することも容易かった。見える位置から進軍する兵に矢を射掛ければ当てやすく、細い山道であれば高所から出陣し、勢いに任せて一気に敵を崩すことも出来る。
天候も変わりやすい山攻めにおいては、長期戦が当然であった。

 ざわめきの収まりきらない宮中から、一人の男が前に出る。

 「恐れながらキレイ様。このタクエン申し上げます。攻めは基本的に高地に陣を張ったものが有利と申します。しかも密偵によると敵軍の兵数は、我らと同数の5千程…短期決戦での攻略は難しいと考えまするが」

 それは、橙色の冠と青い文官着に身を包んだ、キレイと同じ京東郡出身の参謀従事(さんぼうじゅうじ)タクエンであった。参謀従事とは、いわゆる指揮官を補佐する知恵者であり、主に細かな作戦を練り上げるために従軍している者であった。

だが、キレイはタクエンの言葉を聞いて笑った。
たしかに参謀従事として、キレイも認める選りすぐりの才能を見せるタクエンの指摘は的確だったが、今のキレイの揺るぎの無い自信を打ち崩すには、少々理屈が足りなかった。

 キレイは言う。

 「タクエンよ、お主ほどのものが観念にとらわれてどうする。兵法とは観念で動くものではない。その度その度に姿を変える臨機こそ兵法の妙。それに、これを見るが良い」
 「ははっ」

キレイはタクエンを近寄らせると、一枚の地図を広げて見せた。
それは妖元山の地理が事細かに書かれたものであった。

 「妖元山は元々官軍の鉱山。高地であるが、道は鉱夫のために東西五路に切り開かれ、近くに水源も無く、兵糧を蓄えようにも降りて四方の農地まで5里(約20km)もある。まして我々は、連戦連勝を重ねておる。これがどういう意味かわかるか」
 「兵糧も無く、敵の士気が落ちていると?」
 「その通り。それに、五路の山道を守るに兵を置くなら、いかに兵数が拮抗しているとはいえ、守る層は極めて薄いものになる。大軍で押し寄せれば、臆病な民や賊が多い奴らなど、逃げ出すはず。まず負けはせぬ」
 「しかし、敵の士気が落ちているという証拠はございませぬ。それに大軍で押し寄せるとなると、敵は守りを固める恐れがありますが…」
 「それもわかっておる。だから隊を二つに分け、二軍を交互に繰り出し囲み、一方が敵を崩し、一方が本拠地を奪う。こうして一気に攻め取るのが上策よ」
 「敵の迂闊を突く、確かな攻めとは思われますが…」
 「なんだ、私の策に不満でもあるのか」
 「山道は今日から降り続く雨で悪路。それに、キレイ様にも聞こえるように外には雷鳴も轟いております。その攻めでは、兵の神速が肝要と見ますが。悪路に足を止められ、雷鳴の恐怖に進軍が遅れれば、敵の備えは完璧となり、我が軍は大敗北を喫しますぞ。少し機を待ち、ジャデリン将軍と共同で攻め込んでも、我らに損はないかと思われまするが」

 キレイは、タクエンの言葉に下唇を噛む。
大勝利もあれば、その裏に大敗北も兼ねる不安もあったからだ。
だが、キレイの驕り高ぶった心は、その憂いをかき消してしまう。

 「たしかに理はある。だがタクエン、良く考えてもみよ。ジャデリンは歴戦の猛将。互いに攻め入って勝利しても、帝は若輩の私よりも多く、ジャデリンを評価するだろう。ここで奴の株を上げるのも面白くない。ここは、我らだけで攻め落としたほうが、帝の評価も上がり、天下に我らの武威も示せるだろう」

 タクエンはその言葉の端に、性急過ぎる野望への早足と、自分の策に溺れるキレイの驕り高ぶりを見た。そして、強く言った。

 「驕り高ぶってはいけませんぞキレイ様。眼を覚ましなされ!」
 「なんだと。驕り高ぶるだと?ふん、これは確固たる自信というものだ」
 「いえ、違います。それは自信などではありません」
 「おのれ、タクエン。そう言う態度は父上の配下とて許せぬぞ」
 「参謀従事たる、私の言葉が聞こえませぬか。キレイ様」
 「おのれ!お前が役職を名に使うとあれば、私はこの軍の指揮官なのだぞ!」
 「功や名声に走り、己が策に溺れ、敗北した武将は過去に数知れずほどおりまする。キレイ様を、むざむざとここで死なせるわけにはいきません。何卒(なにとぞ)このタクエンの言を聞きいれてくだされ」

 キレイの冷徹な口調は、タクエンに捲し立てられるように怒りを露にしてゆく。

 「指揮官である私が決めたのだ!お前は細かな事を考えれば良い!」
 「いえ、無謀な指揮官に進言いたすのも私の役目。熱を冷ましなされ!」
 「くどいぞ!私は何か妙案あるものに進言は許したが、私の気を削ぎ、策も無く、軍の大功を防ぐような輩に進言を許した覚えはない!」
 「ですが、お考えなされ!必勝の約束されない戦に出陣し、5千の将兵が易々と賊軍に倒されれば、キレイ様の討伐の任においての輝かしい功績に汚点を残しますぞ!」
 「だまれ!貴様は臆病にも、机上の戦において敗戦の論を語っているに過ぎん!」
 「真の指揮官は、負けることを恐れます。だからこそ最善の手を尽して、戦に望むのです!キレイ様は、そのことがまだ解っておられぬ!」
 「ええい!黙れ黙れ!その有能さに今まで目を瞑ってきたが、指揮官である私を侮辱する、その言葉許せぬ!この恐将キレイに逆らうことが、いかに愚かなことであるか、今ここでわからせてやる!おい衛兵!!」

 ドタドタドタッ!

キレイの言葉に従って、宮中の扉近くで立っていた数人の屈強な兵士が、タクエンの周りを取り囲む。タクエンは数人の腕によって押さえつけられ、顔を床にこすり付けられた。

 「その無能者を牢に繋げ!二度と放つなッ!!」

だが、床に顔面をこすり付けられながらも、タクエンは叫ぶようにキレイに言う。

 「キレイ様!私の言葉、何卒お聞きなされませ!間違ってはおりませぬ!後悔する前に、お聞きなされ!」
 「この期に及んでまだ言うか!もうよい、その首、今すぐ叩き落してくれるわ!」

カッ!

怒りに任せて言葉も荒く、キレイは平常心を失っていた。
キレイが刀の鍔(つば)に手をかけると、屋外から雷鳴が聞こえ、雷光が宮中を照らす!

 「「「 ! ! ! ! 」」」

激昂したキレイは、今が軍議の最中である事を忘れていた。
信帝国の軍において、戦前の軍議の最中に人前で血を流すことは不吉と言われ、たとえどのような者であっても剣を抜き、宮中で争いあうことは最高の無礼、最低の不忠と呼ばれた。
そうそれは、武将として、指揮官として、何があってもやってはならない行為の一つであった。

 ゴクリ…

 将達が固唾を飲み、一瞬、氷のように冷えた空気が場に流れた。
沈黙と静寂に包まれる宮中を、雷鳴の音と光が恐将の顔と手元を照らす。
その瞬間は、将達にとって、時が止まったように感じられた。
ゆっくりとキレイの剣が抜かれようとした…

 その時であった!


 「わっはっはっはっ!!!若は、意気を高めるために剣の舞を所望しておられますな!なあに若の胸中など、拙者わかっていますとも!どれ、拙者が相手を仕ろう!見事な舞を見せてやりましょうぞ!」


 雷鳴を切り裂き、宮中に響き渡るような大きな声で含みのある高らかな笑い。
凍った時を溶かすような、その声の主は、いつの間にかキレイの傍に近づいていた、武将オウセイであった。

オウセイの言葉を聞くや否や、キレイは「はっ」と我に帰り、平常心を取り戻した。
鍔につけた手を離し、自らの声で押さえつけられたタクエンから衛兵を遠ざけた。
そして、ふとオウセイに目をやった。

 オウセイは、何も言わず。
 ただニンマリとキレイに向けて笑いかけるだけだった。

キレイはオウセイのその態度に対し、顔にも口にも出さなかったが、心の中で何度も感謝の言葉を浮かべ、オウセイという人物に益々の信頼を覚えた。

キレイは次に、倒れたタクエンを自らの手で起こすと跪き、自分が行った非礼の侘びをいれた。

 「すまぬタクエン。怒りに任せ、お前のような天下二人と居ない知恵者を失う所であった。こんな感情に流される若輩ではあるが、これからも私を支えて欲しく思う」
 「勿体無きお言葉。それでは、私の言葉をお聞きくださるのですか?」
 「いや。すまぬ。残念なことだが、岩山のように凝り固まった私の心はもう変えられぬようだ。驕り高ぶりなどと罵られても、私は名声が欲しい。お前は、我が隊の後詰めに控え、我らが大敗北せぬよう祈っておいてくれ」
 「そこまで言われては…私も言い返せませぬ。キレイ様の策ならば、兵法の理も変わりましょうや。このタクエン、今は申し上げられる事なく、キレイ様の無事を祈るばかり…」

 そう言うとタクエンは、顔を手で隠しキレイの前に跪いた。
 キレイもまた、タクエンの肩に手をかけ同じように跪いた。

例えばこれが、タクエンを口説き落とすキレイの演技だとしても、疑う者は誰も居なかった。
ただその真実を知っているのは、一人だけであった。

「…(これでよい。今タクエンという参謀を失えば、天下に轟く若の野望にも、大きな穴が出来る。若は幼少の時から聡明で、出来過ぎる。出来過ぎる故に自惚れ、他人を上手く扱えず、他人を認められんのだ。無き場所を埋めるが拙者の役目…)」

 まさにオウセイの気転が、キレイの野望に満ちた大計を救った瞬間であった。
タクエンの大事さに気づき、大将として跪いたキレイも偉かったが、臨機に応じた機知で、その場を無事に収めたオウセイも、また偉かった。

 そして軍議は終わり、出陣は明朝となった。
キレイは出陣を前に、ジャデリン軍に気付かれぬよう、5千の兵全てに命令して支度を早めさせた。

 雨はまだ強く振り続け、雷鳴は止むことを知らなかった。




― 明朝 妖元山 麓(ふもと) ―


明朝、キレイの軍5千の兵が円城を出発した。
その意気は、キレイの言う通り連戦連勝に沸き、将兵達の目はギラギラと功名に燃えていた。
部隊を二つに分けたキレイ軍の内訳は、こうであった。

 山の五路に並んだ将兵の内訳は、次のようであった。
西に位置する中央道から攻める2千5百の歩兵隊をキレイが指揮し、
東に位置する分道から攻める1千5百の騎兵隊をオウセイが指揮し、
山の麓に滞在する後詰め(後方待機)の弓兵隊1千をキレイの弟キイが、参謀従事タクエンと共に指揮した。

 「将兵たちよ!今暗雲が我らを覆うが、何も恐れることはない!これは苦難の坂だ。苦難の坂の上には、必ず大功が待っておる!我が兵の神速を敵に見せつけよ!賊軍に我が兵の強さを見せよ!歩兵隊出撃ーッ!!」

「「「 オ ー ッ ! ! 」」」

 「敵は追い込まれた敗軍の将だらけであり、士気も落ちている!皆、不本意な者もあろうが、拙者に命を預けよ!ここが我が軍の正念場!騎兵隊、参るぞ!」

「「「 オ ー ッ ! ! 」」」

 小雨が振り出す中。
キレイとオウセイの軍は、妖元山に向かって意気揚々と進軍を始めた。
将兵達は足を速め、高地に向かって重い武具を抱えながら、雨に濡れた悪路をものともせず、泥を弾く馬蹄と人の足の音は山中を行くのであった。

 行く手の山上に立ち込める、黒い暗雲の波。
 その暗雲は、時間が経つにつれ、どこかどす黒さを増していた。

 後詰め部隊を率いていたキレイの弟キイと、参謀従事のタクエンは、そのどす黒い暗雲を覗きながら、たしかな不安を覚え始めていた。

 「天候は、思われたとおりに不順。山道は水を吸ってさぞ歩きにくかろう…。さて兄上の策は、当たると思うかな?タクエンよ」
 「賊軍に何かの備えが無ければ勝てますが…おそらくは」
 「むう…兄上は、天下に名だたる龍である。こんな所で死すべき男ではない。いざとなればタクエン。お主の策を用いよ、責任はこのキイが取る」
 「私のような一郡臣に、もったい無きお言葉でございます」
 「なに、お主やオウセイのような者がおるから、兄上はああいう風に傲慢でいられるのだ」
 「…」
 「…ふふ、兄上が羨ましい。このように手伝ってくれる者がおるのだから。今さらだが、お主があの時、兄上に斬られなくて良かったと、私は本当に思っているぞ」

 キイはそういうと、暗雲立ち込める山上を見渡した。
恐将の驕りを間近で見ていた二人の胸中に去来する物は、同じであった。
天から降る小雨は、いつの間にか大粒の雨となり、暗雲は轟音を立てて鳴き始めた。

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第十一回『恐将』

2008年04月29日 23時06分24秒 | 『英雄百傑』完全版

 勝利と小さな波乱に沸き立つ祝宴の夜が終わり、次の日の朝が幕を開ける。
ジャデリン率いる南部官軍とキレイ率いる北部別働軍は、それぞれの兵馬の意気もそのままに、黄州の隣国阪州を我が物顔で座巻する頂天教軍の長、賊長アカシラ討伐へと向かう準備をし始めた。

 まず、カカツの予言を聞いた総指揮官ジャデリンの命令で、その日の内に兵士たちは、隣郡の村々から多くの兵糧をかき集め、豊富な水源である香川から水を大量にくみ上げた。総計2万の兵士たちを養うために、相当量の物資兵糧を抱えた荷馬車、それを運ぶ荷駄隊は、膨れに膨れ、ざっと数えただけでも4千を超える長大な隊列となった。

 万全な準備を整えた官軍は、阪州への安全な兵站(へいたん)(兵糧を輸送するための道)を確保すると、手を降る城下の者達の声援を受けながら出発し、一路、阪州は大重郡へと進攻した。



― 阪(バン)州 大重(ダイジュウ)郡 ―

 阪州の西、大重郡は他の郡と比べると痩せた土地であった。
内陸部に面していながら、南にそびえる高山地帯に阻まれ、東西に年中吹き荒れる季節風のおかげで慢性的な天候不順が続き、地質も石混じりで栄養が少ない粗悪な土ばかりで、作れども作れども作物は一向に育たず、畑は荒れに荒れていた。地域によっては、隣接する香川の下流に位置する村々もあったが、大規模な水路も開拓されておらず、粗悪な土が水質を劣化させ、その量も質も決して良いものではなかった。

 天候不順に付け加えて、盆地ゆえの悪路、いわゆる歩くのに不便な街道が、ろくに整備もされずにあったことも問題だった。道には風雨に晒された土砂が永遠と積もり、泥道は深く、年々突き出してゆく石道は険しく、道を行く行商人や旅人達をほとほと困らせた。
そんな足の遅い行商人達を狙ってか、次第に毎年の餓えを恐れた貧しい民が変貌し、賊となって増えると、瞬く間に地には大盗賊団が出来上がってゆき、太守が気付き必死に対策を打ちたてたが、大重郡の治安は悪くなる一方であった。

 そんな痩せた地が長い間生き残れたのは、南に価値ある鉱山地帯が広がっていたからである。その中でも主峰『妖元山(ヨウゲンサン)』からは、様々な良質の鉱石が出ることが有名で、鉄から銅、果ては装飾に使う翡翠(ヒスイ)や黒曜石(コクヨウセキ)などを産出し、それを加工をする技術者や、飾り細工をする職人が多かったことから、信帝国もこれに援助し、他郡から多くの労働力を送り込むと、内陸の工都として開発を行い、大重郡は技術の都として発展し、帝国きっての工業郡となった。

 しかし、増えすぎた労働力を養う食料事情は?と言うと、前述の飢餓に拍車をかけるばかりであり、郡の歳入を生む職人でさえ、毎日の食事に事欠く悲惨なものであった。そればかりか、精製するために絶対必要な燃料である森林も少なかったため、基本的な物資、食料に関しては、隣郡のお目こぼしに頼らざるを得なかった。

 だが、送られてくる微々たる物資も、餓える民へは配られなかった。
私腹を肥やす太守や役人一家による争奪や、賊による物資の略奪が繰り返され、毎日過酷な山崩しをする労働者や、一睡も眠ることなく精製に研究を費やす技術者、目が見えなくなるほど働き続けた職人達は、それぞれ餓え苦しみ、太守達に抑圧され、信帝国に対する怨嗟の声は、日に日に満ちていた。

 そんな時であった。
 頂天教軍が、この地にて台頭したのは。

 ここで暫し、今回の頂天教の乱に関して説明しておこう。
頂天教の教主アカシラは、元々、鉱山の技術者として、餓え苦しむ日々を送っていた。同胞達が、餓えて死んでゆくのを目にしていた彼は、同じく苦しんでいた鉱山の職人、労働者と決起して官軍に反抗しようと思った。

 アカシラはまず、その非常に優れた頭を使って、一帯を取り仕切っていた盗賊の賊長たちを、郡の鉱物や利益をちらつかせ巧みに纏め上げると、官軍の兵糧庫を襲わせて、その兵糧を餓えた民に与え、『天を頂く教え』と銘打った頂天教を伝えた。喜ぶ民は、その教主であるアカシラを崇め、慕い、いつの間にか大重郡の平民の大多数は、教主アカシラにひれ伏すようになっていた。その中には、日ごろの政治に不平不満をもらす役人達も居た。

 そう、アカシラは、信仰心で民を支配する事を考えたのだ。

 信者達の噂は噂を呼び、次第に膨れ上がってゆく教徒達を率いるようになったアカシラは次に、各郡の野心ある信帝国の太守達に密書を認めると、帝国に対して小規模な蜂起を行った。

 アカシラは、大重郡の信者に伝令し、賊と徒党を組んだ民衆に、まず目先の利益の産出場所である妖元山を奪わせると、その勢いのまま自ら指揮をとり、大重郡の要所、候武(こうぶ)城、清(せい)城、円(えん)城、封(ふう)城、遠義(えんぎ)城の五城まで陥落させ、自らの軍を妖元山に置くと、南北に放った諸所の蜂起を待って、天下の態勢を窺った。

 大重郡の蜂起に従って、続々と寝返る信帝国の役人や太守。
 噂を聞いて頂天教軍に志願して入る民衆達は、後を絶たなかった。

 その勢いに焦った信帝国は、帝国の将兵総勢15万を動員し、乱の鎮圧に向かわせた。
だが、民衆と賊が集結し、官軍くずれの将も居る頂天教軍は侮れず、要所という要所を先取され、地の利も悪い官軍は、数ヶ月の膠着状態を続けていたのだ。

 だが、今まで均等を保っていた勢力も、一方が崩れれば脆いものである。

国中郡を出発した、ジャデリン将軍とキレイの官軍総勢2万の兵が阪州入りすると、民衆は死を恐れて逃げ出し、内部を取り仕切る者達や、各地で戦う頂天教軍も動揺を隠し切れなかった。死という動揺は信仰という統率の一角を瓦解させ、それは軍の綻びを生じさせる。

 「ジャデリン将軍。動揺した敵に大部隊は必要無いと思われるが。どうだ、ここは部隊を二つに分け、同時に敵の城を落とすがよろしいかと思われるが」
 「ふん、相変わらず若いくせに不遜な態度だ。だが、ミケイからも、同じような進言があった。それではキレイ将軍、お主の兵はあちらの街道から城攻めを行え。お主とわし、どちらが早く城を落とせるか、勝負じゃ」

 機を見たジャデリンとキレイは、相談の末、悪路の多い街道を進むにあたり、兵力を二分し、まずは本拠地、妖元山を取り巻く五城の攻略に乗り出した。

 「若。敵兵が待ち伏せしているという報告が。気をつけませぬと…」
 「ふふふ、オウセイ。あのような賊軍が野戦に出ても、思うが侭よ。将兵の質が如実に現れておるからな」

 敵勢2千を相手に、悠然と軍を進めるキレイの言葉は的確であった。
たしかに、各城から放たれた頂天教軍の野戦による抵抗も激しかった。だが、実戦において連勝に連勝を重ね、訓練統率された官軍の兵と、「官軍迫る」の報せに動揺し、結束覚束ない民衆交じりの賊軍とでは、数はどうあれ将兵の質が違った。

 「若。若の指揮で味方は被害も少なく、敵は壊滅状態です。やりましたな」
 「くだらん。この程度の敵は蹴散らせて当然だ。たとえそれが城攻めでも同じ事」

自軍の勝利に喜ぶ事も無く、自信満々なキレイの官軍は、目先の要所である候武城に歩を進めると、電光石火!敵が篭城の構えをする前に、間髪居れずに攻めて攻めて攻めまくり、その兵力を注いで襲い掛かっていった。

 盆地に建てられた堅城とはいえ、やはり士気の落ちた将兵で、キレイ率いる勇猛な軍を相手に篭城戦を繰り広げるのは難しく、守将ラトツ率いる2千の守備兵は半数の兵を失う大損害を出しながら候武城を放棄し、目と鼻の先の支城である清城に立てこもった1千の兵士と守将トキョウと共に、後方の円城に入城し、円城の主将アガルの指揮下に入った。

 「若、お喜びくだされ。二城とも我が官軍の手に落ちましたぞ」
 「喜ぶ?この程度は範疇の隅の隅。まずは城に兵を入城させ、休ませよ」
 「敵は小勢。追い詰めてしまえば良いのでは?」
 「ふふ、わからぬかオウセイ。ここからが兵法という物だ。天下名だたる恐将の名が、伊達ではないことを見せてやろう」

 二つの城を電光石火の如く素早く陥落させ、快進撃を続けたキレイ官軍は、ここで歩を緩めた。今までの素早い城攻めとは打って変わって、円城攻めは牛歩とも思われるほど、ゆるゆると時間をかけて攻めた。

 もちろんこれは、キレイの城攻めの策であった。
円城に残された兵糧を大よそで予想していたキレイは、まず戦意の元である兵糧を攻める事を考えたのだ。候武城、清城の敗残兵およそ2千を抱え、膨れた円城の守備兵5千は、毎日行われる城攻めのため、空腹で戦ってはいけないと、残った兵糧の多くを兵に配り、それは日に日に莫大な浪費となってゆく。

 「まだだ。まだ足りぬな」
 「はっ…?」
 「もっともな絶望感が足りぬ。近くにある全ての畑を焼き払い、敵に米一粒として与えるな」

 キレイは、敵が兵糧を現地から調達できないように、周りの数少ない農村や農耕地帯に、臆することなく火を放った。家を焼かれ、畑を焼かれ、住民はキレイの無慈悲さに嘆き、抵抗する者さえ現れた。だが、キレイはその眉一つ動かすことなく、自らの手で焼き討ちを続け、一帯はすぐに焦土と化した。

 「これで敵は兵糧を手に入れることはできまい。あとは反抗分子に対する見せしめだ」
 「若!やりすぎですぞ。このままでは官軍の名声が…」
 「わかっているはずだオウセイ。我らは勝たねばならぬ。常勝無敗を誇るには、どんな事をしても、常に敵に勝ち続けなければならんのだ」
 「は、ははっ…」

 キレイは民衆にとって、まさに諸悪の根源だった。
畑を焼かれても、恭順の意思があるものには兵糧を開放し、その施しを受けさせて閉口させ、いつまでも反抗するものは捕えて、その場で首を刎ねたり、およそ考え付く極刑を科したりし、未だ抵抗の意思がある全ての農民たちの見せしめとした。

 「ギャーッ!」
 「グワーッ!」

 昼夜を問わず、老若男女の悲鳴が木霊する。
天地を裂くような悲鳴と罵声を耳に聞いても、キレイの心はまったく動じなかった。
いつの間にか、犠牲となった民衆の死体の数は3百以上にものぼり、少なからず反感を覚えていた住民たちは、キレイの恐るべき政策に恐怖して、頂天教軍が立てこもる円城へと逃亡した。

 「若、ついに民衆が逃げ出しましたぞ」
 「ふふ。そうか、それは良い。これで敵の兵糧の減りも早くなるだろう」

 日に日に円城へと向かう住民達の群れを、キレイはあえて追わなかった。
これも全て、円城の兵糧を減らすためのキレイの策であったからだ。

 「あのキレイとかいう奴、なんという大将だ!民を愛してこその国であろうが」
 「風の噂に聞いたが、あの男、地の京東では『恐将』と呼ばれているらしいぞ」
 「しっ!聞こえるぞ!身振り一つ、言葉一つで極刑を科すお方という事を忘れるな」
 「ひいい…世の中、命あってこそじゃ。殺されては適わないし、黙って従うしかあるまい」

 余りに残酷で、非情すぎるキレイの動向を見ていた、官軍の将兵たちは、キレイに対して物言いをするものも多かった。

 だがキレイは、非情で残酷であり、また処世に長けた抜け目の無い人物でもあった。

 反抗する有能な将は、理論と話術で懐柔させ、それでも駄目ならジャデリンの官軍へと移動させた。また、へつらってくる無能な将は、罪を着せて官職を剥ぎ、その後周到に仕立てられた事故に見せかけて謀殺した。その噂は、瞬く間に兵士達に伝わった。兵士たちは自分もそうなるのではないかと、肝を冷やした。

 恐怖は恐怖を呼び、その内にキレイへ不満を漏らす者は居なくなっていた。

 軍は、キレイという恐将の下、恐怖で支配された。
すぐ横に迫る『死の恐怖』という強固な結束で縛られた兵は、常に緊張感を持って敵と対決するようになった。どこか毎日続けられて、戦に厭きていた兵士の顔から油断の澱みは消え、毎度の戦に対して真剣になった。

 「誰も物言わぬ圧倒的な支配、勝利への策、絶対的な統率力。これこそが、このキレイの本懐よ」

 攻め及ぶ円城を前にして、キレイは兵士たちの強張った顔を見ていた。
そして、策を弄してから十日目の今日。キレイは兵士達に号令を飛ばした。
恐怖に統率されながら進む強靭な兵達を前に、兵糧攻めで士気が下がりきった円城を守備する兵達の顔は青ざめた。

 「今だオウセイ!城門を突破せよ!」
 「ははっ!それ!騎馬隊進め!」

 3千の兵を引き連れ城門に差し掛かったキレイは、猛将オウセイに檄を飛ばした。
5百を数える騎馬隊が、城門を破壊するための丸太を持って、円城に果敢に突撃を繰り返す!

 一撃!
 二撃!
 三撃!

叩きつけられる音、衝撃に拉げる鉄の門。
間近で見ていた頂天教軍の守備兵達は、さらに顔を青くする。
その内、命助かりたいばかりの裏切り者が現れ、なんなく城門は開け放たれる!

城門を破られ、空腹で士気も上がらない兵士に守られる城ほど弱いものはなく、円城の頂天教軍5千の守備兵の指揮は乱れに乱れた!混乱した軍勢を立て直そうと、守将ラトツとトキョウがオウセイに襲い掛かった!

 「雑兵が!邪魔だ!」

 ビュウッ!ビュウッ!
 ドカッ!!ブスリッッ!!

 しかし、将オウセイは並の武将では無かった!
その恵まれない体格からは考えられないほどの槍さばきで、素早く一降りすると、差し迫るラトツの胴は馬上から横薙ぎに一刀両断され、続いてやってきたトキョウが矛を大上段へ構えると、目にもとまらぬ槍の返し刃で、その甲冑に守られた胸を一突きに突き破り、トキョウは眼を見開いたまま、馬上から鮮血を流して絶命する。

 「ひ、ひええ…!」
 「逃げるか大将!」

 オウセイに握られた双尖刀(上に曲刀、下に直刀の刃が付く槍)で軽々と命を落とした二将を見た、大将のアガルは馬を反転させると、その場から逃げ出そうとした。

 「敵に背を見せるとは、とんだ臆病者!」

 ビュウッ!ドカッ!

しかし、オウセイはこれを追い、アガルは背中から馬ごと唐竹割にされ、その握った刃を一合も交えることなく討ち取られた。

 「あっ、御大将!」
 「だ、だめじゃ。みんな逃げろ!逃げるんだー!」

 城に残った頂天教軍は、将の全てを討たれ、それぞれ退却を始めた。
だが…

 「まっておったぞ賊軍ども。天下の恐将キレイが相手だ。それっ!かかれ!」

 恐怖によって統制された兵を率いたキレイの本隊が、頂天教軍の退却を許すはずも無く、左へ右へ自由自在に動くキレイの軍を前に、抵抗する者はおらず、キレイ官軍は、無事三城を開放し、その下に大勝利を収めた。

 降伏した元官軍、頂天教軍の兵を吸収したキレイ軍の兵数は1万2千を超えた。
非情の策と、恐怖の統率術を用いたキレイ官軍の勢いは、天を突くように高く、率いるその将兵たちは、心身ともに強かった。


 一方。
キレイ官軍とは別路を行く、ジャデリン率いる南部官軍は、正攻法を持って敵と対峙していた。類稀なるミケイの用兵術と、ミレム、スワト、ポウロ達三勇士の活躍もあり、河川に面した遠義城、封城に立てこもる8千の頂天教軍を相手に、一歩も退かず、頂天教軍に打撃を与え、ついに二城を開放した。

 しかしキレイに比べてみれば味方の被害も多く、降伏するものも少なかったことから、当初1万を数えたジャデリン軍の兵は、今やその数を5千まで減らしていた。

 黄州から莫大な兵糧を得ていた官軍の部隊は、順調にその歩を進めた。
そしてついに、教主アカシラが篭る敵の本拠地、妖元山の麓まで兵は押し進められた。

 その後、ジャデリンとキレイは一度円城で落ち合った。
少なくなった両軍の兵糧を長期間十分に確保するための軍儀である。その結果、兵の半数を各郡に帰らせることに決まり、ジャデリンに対して反抗的だったキレイも、それを受け止めた。

 「それではジャデリン将軍。我ら官軍の征伐もあと一歩。必ず勝ちましょう」
 「うむ。キレイ将軍も息災でな」

気味が悪いほど素直なキレイの視線は、城へと戻るジャデリンの背筋に冷たい物を感じさせた。だが、ジャデリンを真に驚かせたのは、その後だった。キレイに率いられてきた将兵の顔を見て、思わずジャデリンは絶句した。

 どの者も大勝利したにもかかわらず、その緊張感を解かず。
 どの者も大活躍したにもかかわらず、その主張をしない。

 「ふふふ、どうされましたかな将軍」
 「い、いや。なんでも…」

背中から聞こえるキレイの低く響くような冷たい声が、ジャデリンの背を戦(そよ)いでいった。
不敵に笑う恐将の心の内にある、自分を飲み込んでしまうような支配と恐怖への誘い。
それは、歴戦の猛将ジャデリンといえど肝を冷やさずにはいられなかった。

 「ふははっ…その内…誰をも跪かせてやる。それが天下をとる者の宿命なのだから…」

ジャデリンを見送った後、空を見上げたキレイが呟く。
手綱に引かれて馬蹄が踵を返すと、空の先には黒い暗雲がたなびき、見えぬ妖気が漂う妖元山の姿があった。

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第十回『もう一人の龍』-2

2008年04月25日 19時24分54秒 | 『英雄百傑』完全版
 ジャデリンは顔の赤くなった郡将達を一度覗くと、目の前のカカツに質問した。

 「ご老体。我らの征伐は上手くいくのかを占って欲しい。良くも悪くも座興であるから、占いの通りに申せ」
 「ははっ」

 ジャラ…
 ジャラ…

 カカツは目を閉じて、麻袋の中に入った何百個の賽(さい)の中に手を入れると、その中をかき回し、スッと袋から三つの賽を取り上げた。目を開くとカカツは、表が白く、裏が黒い賽に書かれた文字を読み、少し考える。

 「どうだ?我らの道筋は」

 待ちきれず、ジャデリンが聞く。
すると、カカツは落ち着いた口調で、淡々と語り始めた。

 「賽によりますと、天賽(てんさい)は全て表(おもて)を表しており、それに刻まれた字は『攻』、『易』、『苦』、と出ました。天賽の表は、合戦において勝利を意味し、これは既に頂天教軍の勢いが無く、官軍の意気が凄まじく、今は攻めることが容易いということでありましょう。ただ攻めた後に苦難が待ち受けている可能性があります。十分注意をなされますよう」

 「ほう…今は攻めるに易し…だが攻めた後に苦難ありか。ふうむ、我々にかかるその苦難がどのようなものであるか、わからぬものか?カカツよ」

 ジャラ…
 ジャラ…

 ジャデリンに質問されたカカツは、それに何も答えず、再び麻袋に手をいれ、眼を閉じ、ジャラジャラと音が出るようにかき回すと、中からまた、スッと一つ賽を取り出した。
そして、カカツは言った。

 「天賽、裏に『渇』と出ました。苦難は渇きにありということです」
 「渇きとは?」
 「天候が良すぎるということでしょう。これから攻め入れば、おそらく時期は真夏。猛暑を迎え日照りに悩まされれば、軍馬、兵が飲む水の取得が難しいと思われます」
 「ふうむ」
 「それにこれから行かれる場所は、水源の多き黄州を超え、阪(バン)州でございます。内陸の中でも、特に良き水が少なく、河川も小さい阪州では、水の取得は難しいということでしょうな」
 「なるほど、兵馬を養うにも水が無くては行軍も出来ないということか」
 「さようにご推察いただければ良いかと」
 「うむ!よき助言であった。早速軍儀を重ねて考慮いたそう」
 「もったいなき、お言葉でございます」

 ジャデリンは満足気にカカツを褒め称えた。
目の前で偉ぶることもなく、郡将達を前に頭を下げるカカツに、ジャデリンは、もう一つ質問した。

 「カカツよ、太守からの紹介で聞いたが、おぬしは人物眼を持っているというそうだな」
 「ははっ、自慢ではありませぬが、この目に適って、都の大役人になった者、一群の太守になった者、将軍となった者、その数、数十名は数えるものかと」
 「おお。では、この郡将の中で誰か輝きのあるものはおるか、全員を見てくれぬか?」
 「はっ、この老体の曇った眼でよければ…」

 そういうとカカツは主席から順々に回り始めた。
郡将達は、自分の行く末、命運、どれくらい出世できるのか興味津々で、他人の席にカカツがつくと、体は無意識に隣の席に乗り出し、それまで騒いでいた口は静まり、誰もが聞き耳を立てていた。

 郡将達がそれぞれ評される中、ついにミレム達三勇士の前にもカカツが訪れた。
しかしミレムは、まだまだ酔い足りないらしく、他の者と違って永遠と酒を煽り、顔を真っ赤にしながらカカツを迎えた。

 「おやおやこちらの方は顔を真っ赤にして盛んじゃな。どれ、先にそこの強そうな武者殿の顔を見せてもらおうか」
 「おう、それがしの顔に何かついておるか、たっぷり見てくだされ!」

カカツは、スワトの顔を見た。

 「ほう…そなたは、世に名だたる豪傑の気格がありますな。忠義に厚く、正義に燃え、おそらく世に逸材と呼ばれるほどの器じゃ。しかし融通と冷静さ、それに世を渡る気質が無い。何事も真正直すぎる。少し世渡りの気質を持てば、まさに鬼に金棒なのだがのう…」
 「はっはっは!真正直に勝る者なし。それがしは、それで十分でござるよ」

 スワトはカカツの言葉に思わず笑みをこぼした。
そして、スワトの笑いを遮るようにポウロがカカツに言う。

 「よかったな豪傑殿。ふ、ふふん。では私、ポウロも占ってもらおうか」

 ポウロは自分の行く末が、気になってしょうがなかった。
三勇士の中でも、胸に抱く野望で言えば、おそらく一番と言える彼の心中は、出世の二文字に心躍っていた。

 カカツは、絞まらないニヤけ顔を浮かべるポウロを見て言った。

 「ふむ…。そなたは器用で、世渡り上手。人を愛し、傷付けることも知っておる。それに知恵もある。一度世に出れば、きっと民衆に愛される、一流の政治家になろう」
 「ふふふ、そうかそうか。政治家。ふふふ…」

 収まらないニヤけ顔を露にするポウロ。
だが水を差すように、カカツが続けて言う。

 「じゃが、迷いの出る相じゃ。人の評判を気にし、自分の野望の余り、判断を誤り、失敗をすることも多いじゃろう。一刀に決断をするべき者が近くにおらねば、まったく役に立たぬかもしれん」
 「な、なんですと」
 「しかし、奇遇じゃ。先ほどの豪傑殿には無いものが殆どあるのというのは、天の思し召しか。まさにこれ幸いじゃな」
 「ふ、ふうむ」

喜ぶスワト、少し苛立つポウロの二人を評したカカツは、ついに顔を真っ赤にしたミレムの前に出た。

 「しかし、真っ赤な顔をしておるのう。まるで秋の夕焼け空じゃ」
 「じぃーさぁんこそぉ、俺にはぁ赤く見えるぞぉーふぇふぇ~っ」
 「な、なんたる酒臭さ。お主いったい幾つ酒を煽ったのじゃ」
 「酒ぇ?十杯ぃから先は、覚(おも)えぇるぅのが面倒になってのほほほほ…ヒック!」

 人相を見てはいるが、もはや酔いに酔ったミレムは、カカツにとって評するに値しないほどの悪態であった。凄まじい酒気漂う息を放ちながら、ろれつが回らないミレムに、カカツは内心呆れていたが、これも一興と思い顔の隅々を見た。

 「こ…!これは…!」

 ドサッ!

 その時であった。
人相を見終わったカカツが驚きの余り、その場で尻餅をつき、前に居るミレムを指差す。
ミレムは指をさされ、こう答えた。

 「ぅうん?なぁんだぁーじいさん?俺の顔に何かつぅいてぇるかあー?」

 指した指を震わせながらカカツは、場内に聞こえるほどの大声で、言い放った。

 「こ、この相!赤く染まってはいるが、とんでもない大器じゃ!今は凡才でも、時が経ては名だたる将達を抱え、天下を救う英雄の相じゃ!天下を号する鳳(おおとり)の翼を持ち、天上から見下ろす龍、そのもの!このような名相に出会ったのは、う、生まれて初めてじゃ!」

 カカツの声にざわめく場内。
だが、ミレムは慌てることもなく、ケタケタと笑いに満ちた顔と、手足をバタバタと子どものように動かして、一杯の酒を飲み干すと、こう言った。

 「へっへぇ、美酒を煽りながら、褒め言葉を肴(さかな)にするのも悪くないけどなぁ。そんなに褒められちゃ、俺の顔がもっと真っ赤になっちまうよ…グビグビ…プハァー!」

 ザワザワ…
 ザワザワ…

 酒気に帯びたミレムの息を喰らったカカツは、場内のざわめきの具合に、動じることもなく、ただ真顔でミレムの顔を見続けていた。カカツの背筋には一筋、二筋と汗が流れ、眼は見開き、口は開け放たれ、体は震えを止めることが出来なかった。

 「カカツ殿!こちらの相も頼もうか!」

静まらないざわめきの中、動かないカカツを呼ぶ声が、末席から聞こえる。
その声に、平静を取り戻したカカツは、再び次席へと人物評を始めだした。

 「やはり我らの明主は英雄でござったな。それがしも鼻が高いでござるよ」
 「いやいや、所詮は人物評。誰もがそうなるとは思いませんがね!」
 「ふわーっはっはーっ、愉快愉快。いやー酒は楽しいのう」

明主の評価に満足気なスワト、自分が認められないことに嫉妬するポウロ、ただ目の前の酒を飲みながら宴を楽しむミレム。互いに酒を煽り始めた三勇士の心の中には、少なからずカカツの評が、進んできた自分たちの背を押すような気がした。

 ザワザワ…
 ザワザワ…

 ドタッ!

 群将達のざわめきの中、再び尻餅の音がする。

 「ひ、ひええ…!」

 カカツは、末席の文官の手前に鎮座していた一人の武将の前で、再び全身を震わせ、武将の前で、ミレムの時と同じように背筋に汗を流して、大声で言い放った。

 「わ、わしは、幻をみているのか!そ、そなたも、まごう事無き英雄の相じゃ!情に流されない判断力と統治の才を持ち、意思は天を思うままに操るほど強く、戦の将才、政の智謀、処世の術、得てして全て余りある者じゃ!おお…世に龍の相…英雄が二人もおるとは…しかもこちらは、天下を飲まんとする気風さえあるではないか!」

 武将に指を指しながら、その場に倒れ込むカカツ。
末席の近くに居た武将は、震えるカカツを見て立ち上がり、言葉を軽んじるでもなく、重んじるでもなく、表情を緩ませず、郡将達が見守る中、堂々とこう言った。

 「郡将達の気分を害すのも悪いとは思うが、あえて率直に言わせて貰う。この老人の評など、当てにならんぞ。英雄たるものは、顔や、骨格、体の相で良し悪しに決めるにあらず。名実と義、才略と人あって始めて英雄となりえるのだ」

 ガタッ

 強張りの解けない武将が、杯を机に置くと、室内の出口扉へと向かう。
すると御付の武将達も同じく立ち上がり、杯を机に置き、宴の場を後にする。
赤い礼服を身に纏った武将は、扉の前で郡将達に聞こえるように、こう言った。

 「しかるべき英雄は、誰かに言われて成るのではない。英雄なりえる時、すでに成っているのだ。それもわからぬ愚かな者たちの宴に付き合うほど、私は暇ではない」

 ザッザッザッザッ…

 ざわめきと喧騒が酒宴を包む中。
赤い礼服の武将は扉を開けると、そのまま御付きの将を連れて、城内の外へと消えていった。

 残された郡将達は、口々に消えた将の悪口を並べ立て始めた。
やれ無礼だとか、やれ無作法だとか、先ほどまで酒を煽り、笑いを浮かべて悪態をついていた郡将達とは思えないほど、酒の席は冷え切っていた。

 主席のジャデリンは、この様子に腹を立てていた。
楽しむべき酒宴を邪魔され、一気に喧騒の場所へと変わった場内を見て、眉は震え、口は苦々しく、その苛立ちを露にしていた。

 そして、一滴とて飲まなかった杯を、グイッと唇に寄せて飲み干すと、近くの部下に聞いた。

 「おい、あの無礼な将は誰だ?我が南部方面の将では無いようだが?」
 「あ、あれは北方官軍別働隊の主将で…たしか関州は京東郡の太守キレツ様の息子、キレイ将軍にございます」
 「若かりし過ちとはいえ、楽しむべき宴で、なんと不遜な態度だ!諸侯の酒が不味くなるではないか。これ楽隊、演奏を始めよ。場の空気を外へと飛ばすのじゃ!」

 沸々と沸きあがる心の中の怒りが、声となってジャデリンの口から出る。
さめた空気に包まれた酒宴は、ジャデリンの指図に従って、再びにぎやかな楽隊の演奏が始められた。

 ザワザワ…
 ザワザワ…

 郡将達は、互いに杯を酌み交わしながら、脳裏には、あの強烈なキレイの言葉と態度が鮮明に焼きついていて、誰一人として思うように盛り上がれなかった。
 スワトとポウロも、キレイの話を避けて、楽しむべき宴の場を盛り上げようとしたが、宴は尻すぼみのまま閉会し、郡将達は眠りについた。

 そして官軍の中、誰一人としてキレイの事を良く思う者は居なかった。

ただ一人。
酒に溺れて眠り眼(まなこ)であったミレムを除いて。


― 根島城城外 草原 ―


 ドッドッドッドッ!

 すっかりの深い夜を迎えた根島城の城外の草原。
その中にあって、手綱を握り、馬の腹を蹴立てて走る騎馬が二つ。
深い緑を葉に宿した草を、空へと巻き上げながら、場違いな騒々しさを含んだ馬蹄の音が、闇の帳の中を、ただ陸伝いに反響させてゆく。

 「くだらん。実にくだらん宴の席だ」
 
 馬上の先、赤い肩掛けをたなびかせ、赤い甲冑を着こんだ武者が一人。
それは、宴の席で雄々しくも礼を欠いて中座したキレイであった。
走らせていた馬を一旦止めると、後ろから付いて来た御付きの武将が、声をかける。

 「若。祝いの席であれはいけませぬ。あれでは官軍の将達に恨みを買いますぞ」
 「ふん、いらぬ世話だオウセイ。小物の愚将達に恨みを買おうが、こんな小さな勝利の宴などには付き合ってられぬわ。どうせその内、帝に代わって全て私が平らげる」
 「若、そのような事を申されては、忠義に厚いお父上のキレツ様が嘆かれますぞ。せっかくお父上が帝へ上奏して兵糧と兵を下さったというのに」
 「オウセイ、貴様はわかっているだろう。私にとって、この合戦は機会に過ぎん。たまたま頂天教という邪魔な石ころが、信帝国という道端を邪魔しているだけのこと。私は石ころを利用して、この広い大陸の隅々に名を広めるだけのこと」
 「…」

 御付きの武将、オウセイは恐るべきキレイの野心の大きさに何も言い返せなかった。
そして、キレイは口調滑らかに闇夜の空へ向かって堂々と言う。

 「ふっ、それにしても、一度石ころをどかしたからと言って、宴で緊張感を解くとは、噂に聞いた指揮官のジャデリンという男も、たいした奴ではないな」
 「若!」
 「そう怒るなオウセイ。このキレイが喜ぶ時は、天下が揺るぐような大勝利があった時だけだ。千の兵で万の敵と戦う術を知っている者が、たかだか一州をとったくらいで浮かれてはならんのだ」
 「このような事が知れたら、キレツ様にどやされますぞ」
 「ふん。慣れておる。だが、お目付け役がオウセイ、お前とはな」
 「何を…?」
 「知らばっくれるな。むしろ私は喜んでいるのだ。オウセイ、お前が父上に言われて、私につき従ってくれているということをな」

 オウセイは、いわゆるこの野心溢れるキレイのお目付け役として、郡の名だたる文武百官の中から選ばれた武将の一人であった。だが、オウセイはキレイの心許せる数少ない股肱の将の一人であり、またキレイにとっては幼馴染の親友でもあった。

 心から臣従を誓っていたオウセイは、傲慢で礼を欠いたキレイに向けて、釘を挿すようにこう言った。
 
 「今回の一件、拙者の心の中に止めておきましょう。お父上には黙っておきます。ですが…若、その傲慢さを直しませんと、いざ天下に躍り出る時、他の臣がついてきませんぞ」

 キレイは、聞こえたオウセイの言葉と眼差しを背中で受け止めつつ、再び馬の手綱に手をかけて、見果てぬ草原の先へ向かって、大声で言い放った。

 「傲慢か!それが天下の足がかりに邪魔なら、このキレイとて我慢をすべき時もあろう!だがなオウセイ、俺はあの老人が言ったように天下の英雄止まりで終わる男ではない。『龍』そのものとなって時代の波を操り、幾百幾千の英雄たちを従え、この天下を龍の下に支配するのだ!ハーッハッハッ!!!!」

 ドドドドドドッ…

 長い草原を駆ける二つの騎馬が、強く草を踏み
 野望の武将、キレイの高らかな笑い声が、降りる闇の隅々に響き渡った。

 赤い肩掛けを翻し、天下をつけ狙う龍が、ここにまた一人。
キレイの野心は、乱世を迎える時代を駆け抜けることができるのであろうか。
初夏訪れ、ざわめく風も出ない闇夜には、激しく唸る馬蹄の音だけが響いていた。


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第十回『もう一人の龍』-1

2008年04月25日 19時24分24秒 | 『英雄百傑』完全版
― 黄州 国中(コクチュウ)郡 根島(ネジマ)城 ―

 鏃門橋の戦いから暫し経って。
南部方面の戦況は、少し前の膠着状態が嘘のようにガラッと変わっていった。
 ジャデリン率いる1万の南部官軍は、最難関であった鏃門橋の砦を攻略すると、援軍派兵によって手薄になった北、東、西の頂天教軍の要害を突破し、風前の灯であった背兎城を開放した。

 その後、勢いをそのままに歩を北へと進めた南部官軍は、四谷郡からの兵糧の補給を受けると、黄州の北は国中郡に足早に入り、頂天教討伐、ならびに内部反乱の起きていた城下の平定に乗り出したのだ。

 国中郡は、大陸でも内陸に位置し、草原地帯が広がる農産牧畜が盛んな平地で、小さな支流の河川はあったが、比較的街道も整備されており、鏃門橋のように進むのに困難な地理も少なく、官軍隊は足早に行軍を進めることが可能だった。

 たしかにここにも、頂天教の兵達が多数存在し、要害という要害を占拠していた。

だが、各所に置かれた要害といっても、街道に建設される屈強な城塞とは程遠いほどの小さな関所のようなものばかり。それに長い間、南端の鏃門橋に守られて戦の心配の無かったこの地が、城壁や門の補強や整備をするはずも無く、どの砦も城も放置されて、住民たちからは『古城』と蔑(さげす)んで呼ばれるほど、脆い城ばかりであった。

 陸続きで行軍も容易く、城も脆く攻め易いとなれば、平地での戦に優れた兵、猛将知将を抱え、勝利に沸き立ち士気もあがる南部官軍を止めることなど出来なかった。

 ジャデリン率いる官軍1万は、破竹の快進撃を続けていた。
その中でも、群を抜く智将ミケイの用兵によって動いていた、気運のミレム、豪傑のスワト、徳者のポウロの三勇士と義勇軍は、毎度死を恐れず進んでは目覚しい活躍をし、輝かしい戦績を飾っていた。

 時が六月の半ばを迎えると、快進撃を続ける南部官軍の下へ官軍の別働隊が合流した。
合流し、膨れ上がった南部官軍の兵は、その数にして2万の大軍となった。その数を頼りに官軍は一路、国中郡の中枢都市が立ち並ぶ北西へと向かった。

 立て篭もる頂天教の部隊を次々に撃破する官軍は、兵を進め、ついに西方最大の堅城『関下(カイカ)城』を攻略した。

 翌日から「関下の堅城落ちる!」の報が郡を越えて広まると、知らせに恐れをなした頂天教軍は、別郡の部隊と合流するために退却を開始した。

官軍は、誰も居なくなった砦を次々に制圧していくと、内部反乱に徹底抗戦を決め込んでいた国中郡最後の城、ここ『根島城』を解放し、大陸の南部に位置する黄州全土を平定させるのだった。

季節は既に春を過ぎ、青々とした木々が育つ初夏七月を迎えていた。

 ワイワイ…
 ガヤガヤ…
 ワイワイ…

 城下の人々の沸きあがる声を受けながら、城へと進む将兵たち。
黄州の解放を祝う今夜は、太守の働きかけで、南部官軍のために盛大な酒宴が催されていた。

 「皆この二ヶ月の間、よく頑張ってくれた。今日は、それを祝っての祝宴じゃ、太守から美酒名酒を400樽、郡きっての楽隊(音楽演奏隊)の差し入れが届いておる。見張りをしている内外の兵士達にも酒を振舞い、皆、戦に疲れた気をほぐし、楽にして騒ぐが良い!」

 主席に立ち、乾杯の音頭をとるジャデリン。
その挨拶と共に、鼓弓(こきゅう)や太鼓を持った楽隊が、顔の見えない幕の中で演奏をはじめ、宴に招かれた将兵達は、目の前に置かれた美酒名酒を口に運ぶと、酒席は高らかな笑い声と穏やかな会話が入り混じり、誰もがその喜びに酔いしれ、戦を忘れるように互いの安らかな心を分かち合っていた。

 「グビグビ…プハァー!ウへへへ…勝利の美酒ってのはいいもんだなぁポウロよぉ…ウへへへッ」
 「ミレム様の酒癖の悪さには、このポウロ。ホトホト感服いたしております」
 「酒の席で嫌味を聞くたぁ。こりゃ耳が痛いなぁ。まあ良いから呑め呑め!ハハハハハッッ!!!!」
 「ふふふ、適いませんな。ミレム殿には、少し勝利の美酒が利きすぎているようで…しかし、我々もこのような席に呼ばれるとなるとは」
 「あの頃から比べると、たしかに偉くなったもんだなぁ。ウへヘへッ…でもまあそれなりに俺たちが頑張ったってことだろうよぉ」

 ミレムとポウロは、宴の場でも扉に近い末席に隣同士に座っていた。
グビグビと喉を鳴らしながら、杯を唇に重ねては次の酒を待つミレムは、すでに出来上がっており、隣に座りながらチビチビと酒を飲み、未だ冷静さを保っていたポウロに絡んでは、給仕に注がれた酒を胃袋へ飲み込んでいく。

 「すっかり出来上がっておりますなミレム殿」

 そんな中、杯を持ってミレムの前に現れたのは、白銀の甲冑を脱ぎ、丈の長い白い公服に、黒紐で結わった冠を付けた美男子、智将ミケイの姿があった。

 「おうこれはミケイ将軍じゃないかあ。そのように杯を持って現れたとなると、わしと勝負する気かぁ?ふっふっふっ…戦の席では負けるかもしれないが、酒の席では我が三勇士は負けんぞぉ…ヒック!」

上官であるミケイに対して、余りにも無作法な態度で迎えるミレムを、ポウロが慌てて押さえつける。

 「み、ミレム殿!ミケイ将軍になんという口を!ミケイ将軍、申し訳ありませぬ。ミレム殿は酒に滅法弱い御仁で、平素は、このような失態をするようなお方では…」
 「よいよいポウロ殿。今回の戦でミレム殿達三勇士には世話になった。私の用いた策、用兵の術、ひいては国中郡を平定するという軍略も、そなたらが居なかったら成しえなかった事だろう」
 「もったいなきお言葉!我が明主に代わりまして厚く御礼を申し上げます!」

 「ングッングッ・・うめえ、うへへへぇ、ミケイ将軍、この勝負、俺の勝ちは決まったなぁ!?ほれ!悔しかったら呑んでみろ!うはははは!」

 「あわわ…み、ミレム殿!」

悪態に悪態を重ねるミレムに、額に汗を浮かべて青ざめてゆくポウロだったが、ミケイはその度に「よいよい」と言って、小さく笑うと、ミレムの差し出した杯に手をつけ、落ち着き払った態度でこう言った。

 「ははは、たしかに酒の席ではミレム殿には勝てないな。私は酒に弱くてな。すぐ顔が赤くなって意識がなくなるのだ。ポウロ殿も、そう固くならず、私に気を使わずともよい。今宵は祝いの席の無礼講。どなたも楽しく飲むが良いことだ。それにミレム殿の仰ることもあながち間違いではない。私はあのようには飲めんよ」
 「は、はっ…?」
 「あっちを見てみよ」

 ミケイが指差した方向には、三勇士の座る席を抜け出して、大きな平たい盃を片手に掲げながら、あまたの郡将達から酒を貰い受けては飲み干す、豪傑スワトの姿があった。

 「グイッグイッ・・・フウッ、それそれ、次の酒はまだか」
 「おおお、流石は豪傑スワト殿。飲みっぷりも豪傑じゃ」
 「ハッハッハ!それがしが豪傑ぶりを示すには、こんなものじゃ足りぬ。どれ、次はそれを飲み干そうか」

 そういうとスワトは、料理を運ぶ給仕の前にあった酒樽をグイッと持ちあげると、郡将達の前に置き、一通りその大きな酒樽を見せると、グッと力をこめ、酒樽を持ち上げ、まるで大蛇が鳥の卵を飲み込むように、グイグイと大きな樽に入った酒を呑み始めた。

ゴクリ…。

 流石に無茶だと目を丸くして、息を飲む郡将達。
だがスワトは、樽の角度をさらにきつくすると、大口を一杯に広げ、流し込むように勢い良く飲んでゆくと、酒樽から溢れてしまいそうな酒を一滴残らず、息つく暇もなく飲み干してしまった!

 「プファァー…さあさあ、次のそれがしの相手(酒)は誰かな?」

 「「「 ワーワーッ!ヤンヤヤンヤ! 」」」

 余りの見事な光景に、郡将達は手を叩き、場の歓声は歓声を呼んだ。
次々に酒を煽るように飲んでも、酔いすらしない豪傑スワトの酒豪ぶりは凄まじく、言うならば、まさに底なしの甕(かめ)のごときものであった。

 「なんたる頼もしき豪傑じゃ。ははは、愉快じゃのう」

 それを見ていたジャデリンの表情にも、思わず笑みがこぼれた。
だが、ジャデリン自身は、もっぱら料理に箸を伸ばし、二、三と口にするだけで、決して酒の入った杯には手を付けなかった。

 猛将と呼ばれた彼は酒が苦手であった。
総じて全ての酒が飲めないというわけではないが、やはり下戸であり、沸き立つ諸侯の中には彼に酒を勧める者もいたが、ジャデリンは、その全てを断っていた。

 酒を飲まない彼を見て、宴を催した太守が疑問そうに聞く。

 「ジャデリン様。用意した酒は、将軍のお気に召すますまいか?」
 「いや。美味しく頂いておる。しらふの内に、皆の喜ぶ顔が見たいだけじゃ」
 「ははは、では、ここらで余興の時間と致しましょう」
 「余興?」
 「ジャデリン様。城内に、人物眼と占いで有名な土地の名士カカツという者がおります。その者に、官軍のこれからを占ってもらうのはどうでしょう」

 自分の城の兵士に目配せをしながら、気を使ってくれる太守に対して、ジャデリンは申し訳なさそうに答えた。

 「いやいや酒の席で飲めずに申し訳ない。その一興。是非お願いいたそう」
 「それでは・・・カカツをこれへ!」

 パンパンッ!

手を叩く音を聞くと、室内の末席にいた文官風の男二人が立ち上がり、素早く部屋の扉を開くと、城内のどこかへと消えていく。

 …そして数分すると、文官二人は一人の初老の男を連れてきた。

太守は、右手をスッと差し出すと、幕の中に居た楽隊は演奏を止めて中座し、郡将達は給仕の者に従って自席に戻っていく。文官達は、そそくさと前へ出て、全員の前で名士であるカカツを紹介すると、自分たちも末席近くの席に座った。


 「ただいまご紹介に預かった、名をカカツと申す老いぼれにございます。先ほどまで道楽の旅をしておりましたが、官軍勝利の報を聞き、はせ参じた次第であります」
 「これはこれはご丁寧に。では早速だが占ってもらおうではないか」

殆どの郡将達は、小さな麻の袋を持ったカカツに視線を浴びせていたが、ミレムだけは違った。用意された酒を手に持った杯に手酌で注ぎ、一口、また一口と、他の者にバレないようにチビチビ飲んでいた。

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第九回『死地にて燃ゆる』-2

2008年04月22日 22時35分36秒 | 『英雄百傑』完全版


― 鏃門橋の砦 南門前 ―

 膠着状態が続いていたエウッジ率いる砦守備兵と、ミケイ率いる官軍だったが、エウッジの目論み通り、火は止み始め、黒煙は静まりつつあった。そして、矢を休まず飛ばしたことにより、官軍歩兵の大盾が、ついに破られ始め、戦局は一気に頂天教軍に傾きかけていた。

 「耐えよ!戦線を下げるな!下げれば策は成らんぞ!」

 ミケイは長剣を抜き、耐える歩兵隊を鼓舞したが、大盾隊の半数はすでに矢の餌食となり、数を減らした兵士たちの士気は、殆ど上がらなかった。

 ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!!

 「ふふふ、もっと矢だ!矢を射掛けて近づけさせるな!」

 南門の城壁の上では、エウッジが自ら声をあげ、守備兵たちの指揮をとっていた。
見事な統率ぶりに比例するかのように、頂天教の兵達も平静を取り戻し、火計によって起こった動揺も、徐々に収まりつつあった。

 「ふはは、見ろ。もう官軍の兵は半数も居ないぞ!やはりこの砦と、このエウッジを抜く事は適わなかったな!はっはっは!」

 エウッジは高らかに笑った。
弱まった官軍隊を見て、自分の的確な指揮ぶりを思い出し、余りある自分の才能にすっかり自惚れ、目先の勝利を思い浮かべて、危惧するという思考を忘れていた。

 そこへ、頂天教軍の伝令がやってくる。

 「伝令!北門に援軍5千の到着した模様です!」
 「ふふふ、いよいよ官軍の最後だな…ようし北門のズビッグに合図を送れ」
 「それが…」
 「ん?」
 「何度問いかけても、まるで応答がないのです」
 「馬鹿め…なにをやっておる。ええい、こうなったら私が直々に行って城門を開けさせよう!」

 エウッジの命令によって何十人かの部下が選ばれると、エウッジは指揮官である自分自ら援軍を迎えに北門へと向かった。城壁を渡る間、燃える自分の砦を目にすることも出来たが、目先の勝利に溺れたエウッジは、それを見逃した。

 そして、北門へたどり着くと、自ら5千の援軍のために門を開け、自分が部隊の陣頭指揮を執ると、弱りきった官軍が迫る、南門を開けて出陣した。

 「官軍を叩き潰す良い機会ぞ!全軍突撃だーッ!!」

 「「「 オ ー ッ ! ! ! 」」」

 ついに重く閉ざされていた砦の南門が開け放たれた!
指揮官エウッジの声を聞いた頂天教の兵士達の士気は、大いに盛り上がり、城壁の兵士たちは矢を射るのを止め、城壁から長梯子をかけて、鏃門橋に屯する官軍に襲い掛かる勢いであった。

 「ミケイ様!砦の門が開きました!」
 「なに!…それで火の手は挙がったか?」
 「いえ、今はまだのようですが…」
 「決死隊は間に合わなかったか…まあ良い!」

 暗い顔を浮かべるミケイ。
しかし、こんな絶体絶命の機会に、将が憂いた顔をしていれば兵達の士気にも関わると思った指揮官ミケイは、白銀の剣を前に後ろにやり、気丈に指揮を執り続けた。

 「隊列を交替!各自、移動せよ!」
 「み、ミケイ様!!!」
 「今度は何ですか!」
 「あ、あれを!」

 官軍の兵が指を指す。

その時だった。
砦の城壁のあらゆる場所から黒煙が上がり、曇り帳の降りた闇夜の空に、煌々と光るように燃え立つ炎が湧き上がった!

 「おお!決死隊が成功したかっ!今だ!ドラをならせーーーッ!」

 ジャーン!
 ジャーン!
 ジャーン!

大空に響く、耳がはちきれんばかりの銅鑼の音!
音は空中を舞い、橋全体を風となって駆け巡る!

 そしてミケイは、この作戦を最終段階へともってゆくために、剣を振り上げ、声をあげる!

 「歩兵隊!手はず通り橋の両側二手に分かれて退却せよ!追撃する敵は、後方の弓兵隊で防ぎ!しばらくすれば、最後方の騎馬隊が援護に来る!その間に鏃門橋の南の袂まで退却せよ!」

 「「「 オ ー ッ ! 」」」

大盾を持った歩兵隊は、乱れた陣形を早足で瞬時に変えると、橋の西と東に隊を二分し、素早く隊列を整えると、一斉に退却を始めた。

 「「「 ワ ー ー ー ッ ! ! 」」」

 官軍歩兵隊の退却が行われている頃、砦の南門を抜けた頂天教軍は、退却する歩兵隊を追撃するために、喚声をあげて襲い掛かった!

 逃げる官軍、追う賊軍。
正面からくる賊軍の騎馬隊に、官軍の歩兵隊は距離をグングン追い詰められ、ついに橋の中腹で待機していた弓兵隊に差し迫った。

 迫る頂天教軍の意気は、エウッジの指揮もあり、橋を踏む馬蹄も人の足も強く、喚声も凄みのあるものであったが、ミケイは、それに対して余裕の笑みを浮かべた。

 「今です!矢を放つのです!」

 歩兵隊と供に退くミケイの号令と供に、白銀の剣が一振りされると、橋の中腹に居た弓兵隊は、短距離用(扱いやすく連射に向く)の小弓を取り出し、前面に迫る部隊に向けて無数の矢を発射した!

 ヒュンヒュンヒュンヒュン!!
 ザクッザクザクッザクザクッ!!

 水平に勢いを消さずに飛ぶ無数の矢は、両側に放れた官軍歩兵隊の隙間を縫うように、迫る頂天教軍の騎馬隊目掛けて放たれ、そして命中した!
 前面に居た頂天教軍の多くの兵達が、我先にと追撃をかけたことで、幅の狭い橋には、馬や人の死体が積みあがり、それは進路を邪魔する遮蔽物となった。

 これには頂天教軍も、流石に足を止めざる終えなかった。

その間にミケイ率いる歩兵隊は完全に退却し、一息つくと弓兵隊も退却し始めた。

 「小細工ばかりでは勝てんぞ!」

 逃げる官軍を眼にしながらエウッジは、すでに冷静な思考が出来ていなかった。数で勝る頂天教軍を見て勢いはまだ衰えていないと思ったエウッジは、官軍への迫撃を諦められず、進路を開けさせると再び追撃を始めた。

 ドドドドドドドドドドドドッ!!!!!!

 「「「 ワ ー ッ ! ! 」」」

 だがその時、橋に数百の馬蹄の音が差し迫るようにエウッジの耳に響いた。
橋の後方に、屯していた官軍の騎馬隊が、これまた官軍の弓隊と歩兵隊の隙間を縫って、突撃してきたのだ!

 ガキン!ドカッ!
 ブーン!ガスッ!
 ビュン!ガキーン!

 狭い幅の鏃門橋で一気に兵が通れないという弱点を逆に利用したミケイの作戦は、功を奏した。合戦の間中ずっと休んでいたこともあり、同じ数を相手にしているのなら、遠路を進んで疲弊した頂天教軍など敵ではなかった!

 騎馬隊が時間を稼ぐ間に、砦は見えるほど轟々と燃えてゆく。

「よし!騎馬隊!引けーっ!」

 ミケイが言葉を発するや否や、騎馬隊はサッと退却を始めた。
普通、部隊が退却するときは背中から迫撃を受けることになり、甚大な被害を被るのだが、ここでも遠路を走ってきた頂天教軍と、休んでいた官軍騎兵隊の疲弊の差が目立ち、その被害は、最小で食い止めることが出来た。



― 鏃門橋 南 森林地帯 ―


出鼻を挫いたとはいえ、追ってくる頂天教軍の勢いは驚くべきもので、橋を渡り、森林地帯に差し当たったミケイ率いる官軍の騎兵隊も、その数を百騎以下に減らし、敵から逃げるのがやっとだった。

 そして、勢いを増す頂天教軍は、ついに橋を渡りきり、官軍野営地近くの森林地帯へと、その足を伸ばしていた。頂天教軍の将エウッジは、ここでも陣頭指揮をとり、自分が指し示す方向へと、軍を動かしていた。

 しかし…

 「ふっはっはっは!このまま官軍の野営地を焼き払ってくれるわ!」
 「エウッジ殿!あ、あれは!」
 「む…?どうした…あっ!」

 その時、エウッジは信じられない光景を見ていた。
そう、絶対に落ちることのない難攻不落の砦が、闇夜を照らすほど赤く燃えているのだ。
エウッジは、焦燥感を露にして言った。

 「ば、ばかな!ズビッグは!弟は、どうした!」
 「わかりませぬ!ですが、このままでは砦は落ちますぞ!」
 「ぬ、ぬう…ま、まさか!謀られたか!!!くそっ!全軍退却だ!」

油汗で滲む馬の手綱を握りながら、エウッジは今来た進路を戻ろうとした。
だが、その時。

 ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!!!!!

 「ぐわーぁぁぁ!」
 「ぎゃああーっ!」
 「うわーあーー!」

エウッジが退却しようとして間もなく、森の暗闇の影から、無数の矢が飛び出した!
矢は、四方八方から頂天教軍を狙い、だれそれ構わず襲い掛かった!

 ジャーン!
 ジャーン!

 「うっ!」

悲鳴と喚きが混ざる混沌の中で響く銅鑼の音と供に、森の影から兵達の姿が現れた!
その陣頭に立っていたのは、官軍南部方面軍指揮官、猛将ジャデリンであった。

 ジャデリンは、持ち前の長い槍を持ちながら、動揺を隠し切れない頂天教軍に向かって、大きく号令をあげた!

 「夜襲陽動の策!見事だミケイ!それっ!敵は弱軍ぞ!皆の者!かかれー!かかれーッ!」

 「「「 ワ ー ー ー ッ ! ! 」」」

 号令と共に、猛将ジャデリン率いる武勇の郡将達と、およそ3千の官軍兵がエウッジの軍に襲い掛かった。

右へ左へ!東へ西へ!
辺りは、敵味方混ざっての激戦区と化した!
刀が一度光れば人の血が大地に撒き散らされ、槍が一度振られれば無数の兵の悲鳴が木霊する!

 だが戦いは、圧倒的に官軍有利だった。
たしかに数は、頂天教軍のほうが多かったかもしれないが、伏兵にあって混乱の解けない賊軍と、指揮官ジャデリンが率いる勇猛な兵では、士気が違いすぎた。

 そんな中、エウッジは冷静さを取り戻し、かかる兵に対して必死に抵抗したが、最後はジャデリンの部下が放った矢に討たれ、首をとられて絶命した。

 合戦の最中、指揮官である将を失った軍は惨めな物である。
ろくに統率も取れなくなり、兵達は闇雲に戦うことを放棄し、まるで麻のように乱れてゆく。
ある者は戦いの最中だというのに逃げだし、ある者は恐怖の余り味方を斬り殺し、ある者は降伏し、ある者は戦い、そのまま討ち死にしていった。



 夜が明け、辺りが明るくなると、橋と森林には無数の死体が、湖面には逃げ遅れた兵士が、その無残な姿を朝日に晒していた。
難攻不落の砦には、城壁に官軍の旗がたなびき、燃え屑が転がった橋の先には折れた矢が無数に刺さり、大盾が転がり、朝日に照らされて輝く草は血に濡れていて、土は朱に染まっていた。


 こうして、ミケイの策により始まった鏃門橋の砦攻略作戦は成功した。
被害は少なからずあったが、砦周辺の頂天教軍を全滅させ、背兎城を救出できた結果を見てみれば、官軍の圧勝、一夜の夜襲による大勝利であった。

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第九回『死地にて燃ゆる』-1

2008年04月22日 22時35分09秒 | 『英雄百傑』完全版

― 鏃門橋の砦 西門城壁 ―

 「だれだ!そこにいるのは!!!」

 選りすぐりの数十人の頂天教軍兵士を連れたズビッグが、すでに登りきっていたスワトとポウロ、そして城壁の下から登ってくる人影を指差して大きな声で叫ぶ。

 そこには、合戦だというのに眠りこけるミレムと、それを背負うスワト、そして後続の決死隊に檄を飛ばすポウロ達三勇士と、未だ高い城壁を登りきれない100騎の決死隊の姿があった。

 「さては、てめえら官軍だな!へっへっ、俺の目が良かったのが運の尽きだったなぁ!」

 燃え盛る黒煙が風に乗ってズビッグの後ろを通り抜ける。
ズビッグは、配下達にもっと兵を集めるように伝達すると、自分は数十人の部下を連れて、三勇士の方へ駆け出す。

 「グゴーッグゴーッ!」
 「むう!見つかったでござるか!」
 「なんと間の悪いこと!決死隊!死にたくなければ、早く登りなさい!!」

 あと一歩という所で、敵に発見されてしまった決死隊の面々は、スワトとポウロの言葉に少なからず動揺した。城壁を登る決死隊に敵の姿や、その数は見えなかったが、『見つかってしまった』という事実に、顔面は驚愕の色に歪み、未だたどり着けない高い城壁の先を見て、決死の心で乗り込んできた義勇兵たちの心は、焦りに焦りを重ねた。

 「何をもたもたしている!もっと早く登るのだ!ええい」
 「ポウロ殿だめでござる。兵をどんなに急かしても、この高い城壁では…」
 「豪傑殿!このままでは我らの初陣は敗北に終わってしまうぞ!」
 「どうすればいいでござるか!」
 「豪傑殿!お主の怪力で、時間を稼げますかな!」
 「む?時間を稼ぐとは、どういうことでござるか」
 「ようは迫る敵を斬って斬って斬りまくればいいのだ!」
 「おお、そういうことか!それがしの得意でござる!まかされよ!」

 城壁を登る決死隊に合図を送るポウロは、スワトにも檄を飛ばした。
ポウロの言う意味を理解したスワトは、体に結わいていた綱を離し、背中に背負ったミレムを城壁の側で降ろすと、綱にくくりつけていた自分の身の丈を超える武器を取った。

 ズンッ!

 瞬間、城壁の床に勢いよく突き刺さり、辺りに砂埃を上げて立つ、鋼色の大薙刀!
いや…おそらく人が用いる薙刀というには、余りに巨大で異形の姿!
長身のスワトの背を悠々と超える長い柄!形容しがたい威圧感さえ覚える巨大な刃!
暗雲のたなびく夜空に、照らす炎の揺らめきを受け、燦然と輝く鋼色!

 「な、なんだあれは」
 「で、でかすぎる…」
 「人の武器じゃないぞ…!」

 頂天教軍の兵士が、それを見た瞬間。
体全体を異様な緊張感が、あたかも電撃のように走ってゆく!

 「さあさあ、この刀の試し斬りでござる!」

 迫るズビッグ達を前に、仁王立ちで意気込むスワト。

 「何をしてやがる!敵は二人だぞ!ものども、かかれかかれ!」

 ビクつく兵士たちの後ろで、ズビッグが叫ぶと、血の気の多い屈強な頂天教軍の兵士数人が一斉に、槍を突き立ててスワトの間合いへと飛び込んでゆく。

 ビュウッ!ビュウッ!ビュウッ!!

 風を斬って進む槍筋を前に、スワトは大薙刀を握る手に力を込めると、スッと大薙刀を持ち上げ

 「でぇやぁ!!!」

 スワトの声と供に、ブゥン!という風を裂く音が辺りに聞こえた!

グシャアッ!!

すると、大きな音の穂先は、向かってくる兵達の槍に触れ、その瞬間、木製の柄が木っ端微塵に折れると同時に、槍を握っていた兵達の顔が、一瞬痛覚に歪むと、胴体が拉(ひしゃ)げるように空を舞い、飛ぶ流血と悲鳴が城壁を木霊する!

 「おりゃあ!!!」

 再びスワトの大薙刀が振り上げられ、穂先が別の兵士の首を捉える。
例えば人間が持つとしても、巨大な鉄の塊である薙刀は重く、振れば、その一撃にしても鈍重でしかるべし…だが、スワトの太刀は違った。

 重い…が、速い!

太刀筋は、およそ人智を超えた驚くべき速度であった!
その素早く襲い掛かる鋼の刃に反応できるはずもなく、兵士は、ただ命を失うしかなかった。

 グシャッッ!!

鎧兜、硬い甲冑を着たはずの人間が、無残にも鮮血を放ちながら拉げ、一瞬にして物言わぬ血と肉の塊へと変化する。おそるべきは、スワトの怪力から放たれる、未だかつて誰をも放った事も無い、巨大で、重厚で、素早い、猛然たる異質の太刀筋!

 「さあ!次は誰でござるか!この豪傑スワトが相手をするでござる!」

 あっという間に、襲ってきた兵士を斬り殺したスワトは、悠然と刃に残る鮮血を、ビシャッ!と力強く地に叩き付けて浴びせると、頂天教軍の兵士たちを睨んだ。

 「わわわ…人間ではない…」
 「怪物じゃ…」
 「お、おれは死にたくねえ…お前行けよ」

 血生臭くなる城壁に堂々と立つ豪傑スワトを前にして、頂天教軍の兵士達は怯え、誰一人として前進することが出来なかった。

 だが、そんな中、流石に武勇に長けた将ズビッグは、怖気づくこともなく、前に出てスワトを笑う。

 「ガッハッハ!少々の怪力で粋がるなよ小僧!」
 「なにを!お主、何者でござるか!」
 「俺の名はズビッグ。断つ大斧、天下五本の指に入ると呼ばれた、当代の豪傑よ!」
 「笑わせるな!お主ごとき、このスワトの前ではカカシも同じよ!」
 「ガッハッハ!そう、死に急ぐな小僧!そうだ、死に急ぐお前に一つ良い事を教えてやろう。城壁を登るのに必死で、お前たちには見えなかったようだが、もうすぐここに我らの援軍が来る!おまえらのような小勢がどう動こうが、関係ないほどの大軍が来る!」
 「なに…援軍だと!?」
 「つまり、お前らはもう袋のねずみ。逃げる場所など無いのだ!ガッハッハ!」
 「ふん!いくら来ても、それがしが全員たたっ斬ってくれるでござる!」
 「死ぬ前の大口も、その辺にしておけよ小僧!」

 余裕を浮かべるズビッグの言葉に、動じることなく応じるスワト。
しかし、話を聞いていたポウロは、援軍という言葉に愕然としていた。

 「ガゴォォォーガゴォォォォー!」

 この危機に、いびきを立てて寝ているミレムが恨めしく思ったポウロであったが、すでに時勢は、刻一刻と頂天教軍に動いているかと思うと、焦る気持ちが思考を鈍らせる。おそらく、普段冷静であっても、それが戦場であれば臆病にもなる。

 そして…

 「ご、豪傑殿!ここは任せたぞ!」
 「むっ?」
 「私は決死隊を連れて、砦の中に火を放って逃げる!豪傑殿は、ここでミレム殿を守って、時間を稼いでください!」
 「お、おお!任されよ!」

 ポウロは、決死隊を連れて砦の中へと進んでいった。
ミケイの作戦を遂行させるため…いや、ポウロの気持ちは別にあった。
戦場で眠りこけてしまうような明主と、忠義忠義と馬鹿正直な怪力に自分の命をかけるほど、この男は馬鹿ではなかった。
 そう、自分の命が助かりたいという身勝手な一存で、明主と崇めた男を置き去りにし、いつでも逃げれる位置に自分を置くために逃げたのだ。

 「…豪傑殿。死に戦に我々は来たのではない。わかってくれ。この世は命あっての物。私は自分の命が惜しいのだ。生きていたらまた会おう。たとえお前達が死んでも、私が遺志を継ぐから恨むなよ」

 焦り顔でポウロは、スワトに聞こえないように心の中で呟くと、登ってきた決死隊100人を連れて、まるで逃げるように、砦内を駆けて行った。

 しかし、スワトは逆にこれを、明主を守るべき人物が自分しか居ないのだ、という事なのであろうと思って、敵兵迫る砦の城壁の上で、鼻を高くした。

 「ふふふ、ミレム殿の事は任されよ!それがしが命に代えてもお守りするでござる!」

 上機嫌のスワトは、持った大薙刀を、ブゥンブゥンと二回、三回、片手で空に振り回したかと思うと、その場に居た頂天教の兵士達全員に聞こえるような大声で叫んだ。

 「やあやあ我こそは、義勇軍三勇士の一人、豪傑スワト!皇帝に逆らう逆賊の者どもめ!死にたい奴から名乗りを上げて前に出ろ!我が大薙刀の錆にしてくれるでござる!」

 ブォン!ブォン!ブォン!ブォン!

スワトの頭上で、大きく旋回する薙刀は空を裂くと、つむじ風を呼び、それは大きなうねりとなって、頂天教軍の守備兵達を驚かせる。

 「さ、寒気がする…」
 「あの大薙刀をあのように扱うとは…」
 「ブルブル、俺はあんなのと戦うの嫌だぜ…」

 しかし、そんな怯える兵達を一喝するように、ズビッグがスワトに負けじと大声をあげる。

 「ガッハッハ!お前のような愚鈍(ぐどん)な奴を仕留めるのには勿体無いが…どれ、死に急ぎ、粋がる小僧の腕でも見てやろうか!武器を持て!小僧とはいえ、名乗ったからには一騎打ちだ!今一度言う!我こそは、頂天教軍の将、大斧のズビッグ!」
 「おう!相手がカカシでは、ちと物足りぬが!参るでござる!」

 喚声の止まぬ闇夜を震わす、武将たちの声。
ズビッグが持ち出したのは、これまたスワトの薙刀に負けない、巨大な大斧であった!
互いに、にじり寄る武将二人は、間合いをとりながら、射程を窺う…。

 「そりゃああ!」

 ダッ!!と、踏み込みも強く飛び込んだのはスワトであった。

 ブゥン!

 一合目!
力強いスワトの猛烈な薙刀の軌道に、からくも反応することが出来たズビッグは、長い柄のついた大斧を横に広げ、振り上げると、刃がかち合うように、思い切りスワトに一撃を放つ!

 ガキーン!!!

 「な、なんと速い!」
 「逆賊め、それがしの忠義の刃を受けてみよ!」

 ヒュッ!ビュウッ!!ブゥン!!

 互いに手の届く位置からの二合目!
スワトの勢いは止まることなく、鉄の共鳴を促した大斧の隙間を狙って、再び猛撃を放つ!
対するズビッグは、ジィンと震えた大斧をグッと握り、これを受け流そうと叩き降ろす!

 ガキィィィンッ!!

 再び聞こえる鉄の共鳴!散る火花!
二人の武将は、力強く刃を合わせたまま迫り合うと、詰めすぎた間合いを開けるために、一度距離をとった。

 「ふふ、カカシのズビッグとやら、その程度か!」
 「おのれ、小僧!言わせておけば、つけあがりおって!」

 ブーン!ヒューッ!
 ガッ!ガキーン!!

 間合いをあけて三合目!
長大な射程を誇る互いの武器が大上段に構えられると、その刃は時を同じくして空中に放物線を描き、切っ先は中央で重なった!

 しかし…

 「貧弱極まりないぞ!それそれっ!!」
 「ぐ、ぬおおおお!!まるで大岩を当てられるようじゃ」

 最初は、意気揚々と大斧を振り回し、スワトの猛撃に打ち返す余裕もあったズビッグであったが、六合目(斬り合いの数)以降は防戦一方だった。人間離れしたスワトの怪力が合わさった長大な薙刀から放たれる強烈な一撃は、相打つ度、腕に鉛の塊がぶつけられるような感覚を覚えさせた。
 それは、ズビッグの斧を握る腕の筋を直接疲弊させてゆく。

 ブゥン!ガキーン!!
 ブゥン!ガキッ!!

 それでも直、諦めずに三十合ほど打ち合いを重ねたズビッグだったが、その全身には、溜まっていた疲労の色が見え始めていた。
 頂天教軍の中にあって、流石に武勇際立つズビッグだったが、疲れを知らない豪傑スワトの長身から軽々と繰り出される太刀の前には、なす術が無かった。

そしてスワトが、疲れの見えたズビッグの隙を突く!

 「今だ!それっ!!!」
 「あっ!」

 ブゥーーーーーーーーン!
 ガキィィィィンッ!!!
 ドサッ…!

 スワトの大薙刀が、ズビッグの大斧の刃と柄のつなぎ目を捉えると、柄は見事に両断され、重い刃は空中に飛び、明後日の方向にある城壁に無残な鉄の固まりを見せながら、大きく音を立てて転がってゆく。

 「勝負あったでござるな!」
 「ぬ、ぬぬぬ、ま、まだだ!ええい、この兜が邪魔をする!」

 カランカランカラン…スチャッ!

 ズビッグは柄を投げ捨て、汗でびっしょりになった兜を放り投げると、怒り心頭で腰の長剣を鞘から抜き、再びスワトに襲い掛かろうとした。


 その時であった!


 「うるさいぞ逆賊ども!!少しは静かにできんのか!」


 「え・・・?なっ!!!!」

 ビュウッ!!!
 ガッ…!
 ズグシュゥゥ!!!

 叫び声と供に、小手先大の長剣がズビッグに向けて一直線に飛んだ!
そして、次の瞬間ズビッグは、兜を脱いだ頭部を長剣で貫かれ、悲鳴をあげることも出来ず、ただ鮮血を辺りに撒き散らしながら、絶命した。

 「人が寝ているというのに、まったくうるさい奴だ」

 長剣を投げたのはなんと、他でもないミレムであった。
ズビッグの大斧が壊れた衝撃で目覚めたミレムは、城壁の横からヌッと起き上がると、目の前で大声を放つズビックの後ろから、卑怯にも長剣を投げて突き刺したのだ。幸運なことに、投げた長剣の刃先は、上手い具合にズビッグの頭部を貫通した。

 「え、あ…?ミレム殿…?ば、ばかな…武将同士の一騎打ちに、な、なんという無礼をするのですか!!」
 「黙れスワト!!こやつ俺が、酒に酔って極楽を味わう、という良い夢を見ている時に、大音など出して俺を起こすからいかんのだ!成敗されて元々!だいたい賊にかける情けなど無い!お前も、そこにいる逆賊の徒を成敗せぬか!わかったな!!!」
 「は、ははーッ!」
 「うむ!ではまた一眠りするかのう……グゴーッ!グゴーッ!」

 そう言うとミレムは、再びその場で寝てしまった。
ズビッグの返り血に少し汚れた鎧など気にも留めず、しかも数秒で。

 スワトは、これを見て、この男の凄まじいほどの器の大きさを感じた。
そしてズビッグが死んだことに慌てる敵兵の前で、大きく笑い始めた。

 「ハーッハッハッ!なんという豪胆でござろうか!!将を害して、戦場で寝入るとは、前代未聞!大器足りえたミレム殿は、まさに極上の気運の持ち主でござるな!それがしが、明主と崇めただけのことは、あるわ!ハッハッハ!」

 …ボッボッボッボッ!!!!

 高笑いを浮かべた、その時。
砦の内から、小さな炎が道筋にあわせて順々に上がる。
スワトの目には、それが良く見えた。

 「お、ポウロ殿がはじめなされたな!ハッハッハ!ではそれがしもミレム殿の仰る通り、賊軍を排するとするかの!!!!」

 ブゥンブゥンブゥン!!!

 「「「 ひ 、 ひ え え ー ー ー ! 」」」

 再び大薙刀の旋回音が鳴り始めると、頂天教の兵達は、恐れ慄き、まるで蜘蛛の子を散らすように、方々の態で離散し始めた。

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第八回『鏃門橋の陽動作戦』

2008年04月21日 00時51分56秒 | 『英雄百傑』完全版
― 鏃門橋 ―

 川を挟む長い鏃門橋を、砦に向かって足早に駆けるミケイ率いる1千の陽動部隊は、長大な黒い雲が覆う光無き闇夜の中、砦の敵の矢が届かない橋の中間まで来ると、一時その行軍を止めた。

 「もっと上に松明を掲げよ!もっと喚声を上げよ!」

 部隊は、若き指揮官ミケイの指揮により、暗闇の中で煌々と燃える松明を一糸乱れず掲げると、川に波紋を浮かばせるような大きな喚声をあげた。攻城戦に詳しいものであれば、大体理解はつくと思うが、敵に対して少ない兵数で挑む夜襲戦法は、敵のふいを突く奇襲と同じで、見つからず、情報が伝わる前に素早くやるからこそ勝ち目がある兵法なのだが、ミケイがとったのは、わざわざ敵に発見されるような奇妙な行動であった。
 そう、それはあたかも自分達の位置を砦の敵兵に知らしめるようなものであった。

 「よし、そろそろ良いだろう。皆、隊列を整えよ!」

 この行動を数度繰り返すと、ミケイは部隊の指揮を始めた。
実は、このミケイ部隊の奇怪な行動。それは敵を誘う、陽動作戦の一つであった。
陽動…つまり、作戦の要であるミレム達の決死隊が、川下りの最中、万が一にも発見されないように、砦の敵の目を釘付けにする必要があった。そのため、わざと見え見えの位置から光と声をあげさせたのだ。

 ヒュン…ヒュン…!

 次の瞬間、届かぬ距離から放たれる敵の矢が部隊の前に刺さる。
砦の兵が放った矢だろう。ミケイはこれを見てニヤリと笑った。
 視界の悪い暗闇の中で、迫る敵が目の前に居るのを見せられれば、どうしても飛びついてしまうのが普通の将兵の性(さが)である。そう、ミケイの作戦の第一段階は、見事に敵の視線を捉えていた。

 「良し!歩兵隊は大盾を構えよ、工作隊は鉄の傘の中に隠れよ!」

 ミケイは、馬の手綱を握り、その場でくるりと反転すると、率いた部隊の兵達に指揮を飛ばした。
 ミケイの号令が飛ぶと、ザッ!という足踏みの音と供に、人一人が悠々隠れられそうな横長の鉄の大盾を持った歩兵隊が、一斉にその大盾を天にかざす。それは、瞬く間に兵達の姿を覆うと、天へと延びる一面の鉄の壁となった。

 そして、歩兵隊の隊列の合間には、燃料と火付け道具を持った工作隊が、僅かな歩ける隊列の隙間を見つけて、一人、また一人と盾の影の中へともぐりこんでゆく。

 「騎馬隊は後方にて待機せよ!砦の門が開くまで、決して突撃してはならん!弓隊は中間で私の指示を待て!」

 ミケイは声高に号令を続けた。
そして再び、馬の手綱を強く握ると、隊列が整った歩兵隊の後方に移動した。

 矢筒と小弓を携えた弓兵達の前に座陣したミケイの周りには、兵はいたが、将軍らしい将軍は一人も居なかった。それもそのはず。総指揮官のジャデリン将軍の逆鱗に触れ、大口を叩いたミケイ将軍の作戦に手を貸すような郡将は、官軍の中に一人も居なかったからである。

 「…やはり兵1千を分けるとこうなりますか。私一人で、分かれた全部隊へ上手く指揮を飛ばすことが出来ましょうか…」

 ミケイは、ふと呟いた。
最後尾に並ばせていた騎馬隊を、弓隊の後ろに少し離すように配置すると、橋の中腹を境目に、歩兵工作隊、弓隊、騎馬隊の三つの隊に別れた陽動部隊は、目に見える難攻不落の砦を攻略するには、余りにも少なかった。

 「しかし、勝てない戦ではないはず。たとえ指揮する将が、私一人でも」

 だがミケイは、遠巻きに消えてゆく僅かな騎馬隊と歩兵隊の影を追いながら、あくまでも自信満面な表情を浮かべた。それは若き知将の絶対の自信であった。

 「歩兵隊!行くぞ!ゆるゆると前進だー!」

 「「「 オ ー ッ ! 」」」

ゆっくりと歩兵隊が動き始めた。



― 鏃門橋の砦 ―


 「はっはっは!見ろ兄貴!なんじゃあれは!少ない兵が更に少なくなって突っ込んでくるぞ。それになんだ、あの光は。まるで自分の場所を教えているようなもんじゃないか!」

 鏃門橋の砦の城壁に構える守将ズビッグは、2千の兵が守備するこの砦へと突っ込んでくるミケイの部隊の数を見て笑い、すっかり侮りきっていた。

 「最初の勢いと比べて、なんと鈍足な夜襲だろうか。あのように兵数を少なくして、かかってくるとは、兵法を知らぬ奴だな。ふふふ、率いている将は余程の兵学者と思ったが、どうやら勘違いだったようだ」

 始めは罠ではないかと多少の用心をしていたエウッジであったが、余りにも鈍足過ぎる前面の歩兵隊を見て、その気持ちは一変していた。

 「用心するまでもなかったな!後方の援軍が来れば、あのような小勢、蟻のようなもの。いくらでも蹴散らせるわ…」
 「へへへ、兄貴。その前に、ちと奴等に戦を教えてやろうぜ」
 「わかっておる。さあ、ズビッグ!あの阿呆どもに矢の雨を浴びせよ!」
 「任せとけ兄貴!よーし!矢を用意しろ!よーく狙えよ!」

キリキリキリ…!!!

 砦の城壁に沿うように横列で守備する頂天教軍の兵士達は、ズビッグの号令に従って、前方に向かって、軋む弦の音が聞こえるほど強く弓を構えた。

 「放てーッ!!」

ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!!!!!!

 ズビッグの号令と供に、兵士達の指が離れる!
ビィンと小気味良く弾かれる弦の音が聞こえると、兵士たちが構えた矢は一瞬にして夜空を裂き、砦の城壁から、速度を増した無数の鋭い鉄の矢の雨が官軍に向かって放たれた!

 「上から矢が来るぞ!踏ん張れ!歩兵隊!」

 歩兵隊の最後方で指揮をとるミケイが、城壁の動きを察知すると、スッと手を動かし、兵士達に号令をする。

 バッ!!

 すると、工作隊を含む歩兵隊は、その場で強く足を踏ん張ると、それまで掲げていただけの鉄の大盾を両手に握ると、強く頭上に押し上げるように腕に力を入れた!


 ガッガッガッガッ!!カツン!カツン!カツン!カツン!


 その刹那!まさに瞬間の出来事であった!
大盾により一面を覆う力強い鉄の壁へと変わった歩兵隊は、城壁から迫り来る、威力を持った弓矢を難なく弾き飛ばすことに成功した!大盾に防がれて威力を無くした矢は、歩兵隊を捉えることもできず、兵士達の横に、斜めに、後ろに、前に無残に散った!

 「後続部隊は火を絶やすなよ!歩兵隊、進めー!」

 ミケイの号令によって、ジリジリと迫るように大盾を持った歩兵隊が移動する。
矢を放った砦の兵士達は驚き、慌てて数度矢を放ってみたが、その度に矢は鉄の大盾に弾かれ、まるで利かない様子だった。
まさにこれは、文字通り鉄壁の行進であった。

 城壁に居たズビッグは、この光景に苛立ちを露にした。

 「おのれ!あのように矢が何度も弾かれるとは…!ええい、こうなれば俺が出て…!」
 「慌てるなズビッグ。あのように煌々と松明を照らすような凡将に対して、お前が慌てる事はない」
 「いや、兄貴!ここは俺に行かせてくれ!あんな奴ら、俺の大斧で引き裂いてやるぜ!」
 「良く考えろ。お前は鉄の盾が、矢を何度も防いでくれると思うか?」
 「え…?」
 「いいから、次の矢だ。弾かれても良いから、矢を絶え間なく放つのだ!」
 「わ、わかった。おい!次の矢だ!」

 慌てて打って出ていこうとするズビッグの肩を強く掴み止めると、エウッジは鋭い眼でズビッグを見た。ズビッグは指示に従い、守備兵達に矢を構えさせると、再び矢の雨が官軍を襲った。

 しかしやはり、ミケイ率いる鉄壁の行進を止める事は適わず、矢は使い物にならないほど四散していった。

 「あ、兄貴!」
 「…ふふ、落ち着け」
 「だけどよぉ!敵はもう橋を渡りきっちまうぜ!?」
 「武勇一辺のお前も、そろそろ気付くかと思ったが…まあよい。ズビッグ!まずは頭を真っ白にして、大盾の構造を想像してみろ」
 「う…ううん…?」
 「外側表面は鉄といえども、大盾の内側は木。例えば数百の矢が一斉に弾かれたとしても、その衝撃と威力は木造部分に軋み、外側部分の鉄は剥げるであろう?すると表面は矢傷が残り、鉄の表面に小さな溝が出来る。そこに勢い良く次の矢が放たれれば、どうなる?傷の溝は深くなり、軋んだ内側の木造を貫き、敵兵の胸へと刺さるのだ!」
 「と、いうことは!」
 「そう、あれほど重く、硬い大盾を用いても、何度も矢を防ぐことは難しいはず。しかもその持ち手が同じ人間なら、なおさら!体の疲労という劣化もある」
 「な、なるほどな!流石兄貴だ!」
 「わかったら次々に矢を放て。敵が自分の位置を知らせてくれている内にな」
 「よぉし!あのウスノロどもに一泡吹かせてやるぜ!」

 兄の言葉を聞いて納得したズビッグは、次の矢を放つ号令を兵士達に聞こえるように高らかに放った。無数に飛ぶ矢の影を見据えながらニヤリと笑うエウッジ。たしかに、この時のエウッジの推察力は見事であった。


 だが…


 「よし、今だ!全軍!全ての松明の明かりを消せ!工作隊!全速で砦の前へ進み、城壁に井草を投げ込め!」

 ミケイは声と供に前後の部隊に手を振って号令を飛ばした!
すると、陽動部隊を照らしていた煌々と光る松明の火は、一瞬にして消され、その姿は夜の闇へと消えてしまう。

 そして、ミケイの作戦通り、歩兵隊の隊列に隠れていた工作隊が、大盾を構える歩兵隊の横を素早く通り抜け、足の続く限りの全速力で砦の前に向かった!
 素早く駆ける工作隊の手には、火打ち石が握られ、背中には一つに纏められ、良く燃える油の滲み込んだ井草が背負われていた。

 一方、城壁に居たエウッジ、ズビッグ兄弟は明かりが消えたことに対して冷静だった。

 「ふふ、今さら火を消してどうなる。闇に紛れて城壁を登るとでも言うのか?愚かな奴め…ズビッグ!やれい!」
 「おう兄貴!任せておけ!弓隊ッ!もっと矢を放って敵を近づけさせるな!」

ヒュンヒュンヒュンヒュン!!

 守備兵達に号令を飛ばすズビッグだったが、矢は闇に動くミケイの部隊を捕えることは出来なかった。

 そう、弓矢を持った敵の守備兵は、矢の狙いを定めるために、今まで煌々とついていた官軍の松明の明かりを長時間見続けていたため、焦点が呆け、網膜には光の残像が見え、明暗の差で錯覚を起こし、視界が悪くなっていた。

 「どうした!矢が弾かれる音が消えたぞ!敵はおそらく前進し、城壁の下にいるのだ!下を狙え!」

 矢を放つ音だけが空に聞こえ、たまらずエウッジが怒声をあげる。
号令に従い、守備兵たちは城壁の下の闇に向けて、一斉に矢を放つ!

ヒュンヒュンヒュンヒュン!

 しかし、ドサッドサッと土に刺さる音ばかりで、まるで手ごたえがない。
おそらく居るであろう、ミケイの歩兵部隊に当たっていないのだ。

 「おのれぇ!ウスノロ官軍め!どこだ!どこにいる!」

 高い城壁の上から、官軍の影を追い、唸りをあげるズビッグ。
しかし、矢が当たらないのには、眼の錯覚以外、もう一つの理由があった。
難攻不落と呼ばれた、この砦の城壁の高さが災いしていたのだ。

 元来、弓を下に向けて、直角に近い角度で敵を射るというのは相当難しい技術であり、ろくに訓練も積んでいない賊上がりや、平民上がりの百姓上がりの兵で構成された頂天教軍に、そのような高等な射撃術が出来るはずはなかった。


 「まんまとかかりましたね…さあ!工作隊!火を放つのです!」


 ミケイの号令と供に、砦の前に突出していた工作隊が城壁の下に設置した井草の前で、火打ち石で火をつける。

カチッ、カチッ、ボォォォォォ!ボォォォォ!

 小さな燻りの点滅から、次第に轟々と燃え始めた井草!
メラメラと燃える火は、砦の前のあらゆる物を焦がし、炎は高い城壁を立ち上り、焦げる井草からは、特有の匂いと供にもくもくと黒煙が舞い上がった!

 「火!火だ!」
 「ゲホッ!ゲホッ!煙で前が見えねえ」
 「砦が燃えちまうー!誰か水を持ってくるんだ!」
 「たすけてくれー!焼け死んでしまうー!」

ゴォォォォ!ゴォォォォ!!

 良く燃えるように油をしみこませた井草の火は、城壁の前面を徐々に囲むようにして燃え盛り、平地の塵や木の葉に引火すると、大きな炎のうねりが城壁を登ってゆく。河川から流れる強い風も影響し、それはすぐに黒い消し炭となって、焦げた匂いと供に上昇し、弓を持って構えていた砦の守備兵の喉と鼻に入る。余りに早い火の回りに驚く者、大きく咳き込む者、逃げ惑う者。

 いつしか砦の周囲が、炎と黒煙に包まれると、それまで正気を保っていた者まで動揺しはじめた。それもそのはず、守備兵たちは、今まで近づかれたこともない不落の砦でだからこそ、戦を前にしても余裕であった。それが官軍の接近を許し、火をかけられたのだ。動揺しないはずがなかった。

 今まで安全だと思っていた位置が、危険と感じると、人間というのは不思議なもので恐怖が倍増してしまうのだ。だから、たとえいくら士気の高い精兵だとしても、その不安と恐怖は、独りでに伝染してしまう。

 一人騒ぎ出せば、また一人騒ぐ。

些細な混乱が、大きな混乱へと変わっていく。
中には、並んだ隊列を乱して右往左往し、逃げ出そうとする者も居た。

 逃げ惑う兵士の中、砦の守将エウッジは違った。
混乱する守備兵達の平静を取り戻すため、手振りと大声を交えて、右へ左へ指揮を飛ばす。

 「兵達よ!落ち着け!隊列を乱すな!砦を焼けるほどの火ではないわ!ただのこけおどしだ!おい、お前!逃げる兵を落ち着かせよ!」
 「だめです!なにせ火に慣れるものが少なくて…」
 「言い訳はいい!一人でも早く、部隊を纏め上げるのだ!」
 「は、はい!」

 だが、そんなエウッジの声もむなしく、炎と煙に怯え、隊列を乱す兵は後を絶たず、守備兵2千のうち、半数以上が既に前面の戦列から抜け、火の届かない北門の城壁へと移っていた。

 「むうう…おのれ、やはり敵は相当の兵学者か。こちらの心理まで突くとは、なんたる大胆な火計よ」

 そこへ、兵を纏めていたズビッグが駆け込んでくる。

 「兄貴!このままじゃだめだ!動ける兵で打って出て、全体の士気を回復させよう!」
 「馬鹿者!それこそ敵の術中にはまるようなものだ!ここは守備し!援軍と総力をもって敵に当たれば、何も恐れることは無い」

 砦の守備兵達を指揮するエウッジの将才は、冷静沈着で確かなものだった。
たしかに城壁の一部が燃えているものの、炎のうねりは風に煽られて大きく見えるだけであり、恐怖を煽ったものの、兵達に直接危害が及ぶという事ではない。それに、この砦の正面の門は分厚い鉄で出来ていたため、ちょっとやそっとの火では、打ち破れないほど強固なものである事をエウッジは知っていた。

 「使える兵だけを前面に出し!煙を吸い込ませぬよう、水で布を濡らして口に挟むように伝えよ!動揺した兵たちは、ズビッグに指揮させ、下がらせよ!」
 「はっ!!!」

 この戦略を易々と行ってしまうミケイも凄かったが、敵とはいえ砦の守将エウッジは流石の勇士であり、判断力に長けた有能な指揮官だった。

 指揮系統を乱したまま、平地で戦うことが多くの消耗を招くことを知っていたエウッジは、武に頼る弟ズビッグの進言を素早く諌め、まだ士気のある兵を纏め上げると、すぐに砦の隊列に戻すように指示した。

 「官軍が、いくら攻めてこようと、ここは難攻不落の鏃門橋!そうそう落とせるものではないわ!皆のもの!矢を放つ手を止めるな!火の隙間から矢を射掛けろ!今は撃つのだ!敵を撃って撃って撃ちまくれ!!」

 エウッジの号令は、守備兵達の平静を取り戻させるには、十分なものであった。
怯えていた守備兵達は、力をなくした弓を取り、城壁の炎と煙の隙間を見ては、闇雲に矢を放った!

 ヒュンヒュンヒュンヒュン!!!
 ガン!ガン!ガシッ!ドスッドスッ!

 「うわーーー!」
 「ギャアーッ!」
 「ぐうう、た、盾が持たん!」

 炎の城壁越しに、無数の矢がミケイの部隊めがけて飛んでくる!
ミケイの歩兵隊は、とっさに大盾を構えるが、何人かの兵士が勢いに負けて、あるものは勢いに負け大盾ごと河に吹っ飛ばされ、あるものは耐え切れずその場に倒れ、次に来襲した無数の矢に射られ、無残な死体を陸に晒した。

 「混乱をこれほど早く纏め上げるとは…敵の将もなかなか…!くっ、歩兵隊!ここが正念場ぞ!ひるまず大盾を構えて、この場を死守せよーッ!誰か!後方の弓兵にも伝えよ!城壁に向かって威嚇射撃の用意をせよと!」

 降りかかる矢に臆する兵士達を見て、ミケイが指揮を飛ばす!
万が一として予想していたことながら、これほど早く敵の体勢が立ち直ると思っていなかったからである。敵ながら天晴れ、と少し感心しながらも、ミケイの心の中は、徐々に焦りが沸いていた。今は炎と煙が邪魔をして、敵の攻撃もまばらだが、時間が経ち炎が消えれば、一転して不利になる現状。


 「…(この勝負、長引けば我が軍に攻略の余地は無い。まだか…決死隊!)」


ミケイは白銀の剣を振りながら、指揮を執り続けた。




― 鏃門橋の砦 西門城壁 ―

 一方その頃、三勇士率いる決死隊百人は、鏃門橋の砦の西に位置する、川沿いの森林に筏をつけると、一路砦の西門へと向かった。兵士達は、先ほどのミレムの鼓舞が利いているのか、目はギラギラとし、足は力強く大地を踏む。顔にはやり遂げるという意思が見え、どの者も意気に満ちていた。

 そして、その勢いもそのままに、ミケイの陽動作戦にかかり、殆ど敵の兵士の居ない西門の城壁を三勇士と百人は登り始めた。

 スワトを先頭にして、その横をポウロ、後を続けとばかりに進む決死隊は、城壁に縄杭(太い縄を巻いた杭を城壁に引っ掛けて、足場を作りながら登る道具)をつけて、高い城壁をするすると登っていく。高い城壁を登るのは、一苦労だったが、南門で起こる陽動作戦のおかげで、音を立ててもまったく勘付かれずに登れるのが救いだった。

 「あのミケイとかいう将軍。大口を叩くだけのことはあるでござるな!敵兵は前面に集結し、それがし等は楽々城壁を登れる、なんと見事な陽動でござろうか」
 「うむうむ。しかし…それに比べて我が大将ときたら…」

 スワトとポウロが、ミレムを見る。
すると、戦場に場違いな音が聞こえる。


 「ンガーー!!ンゴーーー!」


 さっきまで意気揚々だったミレムは、余りに強い酒を飲みすぎたのか、すっかり熟睡していた。戦場で、自分達の明主をそのままにするわけにもいかなかったポウロとスワトは、苦肉の策として、とりあえずスワトの背中に落ちないように綱を巻き、まるで乳飲み子のように背負いながら城壁を登ることにした。

 「グゴーッ!グゴーッ!」

 「まったく。うちの御大将は図太い精神でござるな。この大薙刀を持ちながら人一人を背負って城壁を登るのは大変だというのに!」
 「騒がない騒がない。我々は隠密、それに敵を前にしてこれほどの高いびきをかけるものは他には居ないでしょう。ははは」

 内心、なんとも緊迫感の無い男なんだと思ったスワトとポウロであったが、唸るような高いびきで眠るミレムの顔は、なんとなく憎めない子どもにも似た清々しいものがあった。



― 鏃門橋の砦 南門 ―

 未だ官軍と頂天教軍の間に、圧倒的な意気の差は出ていないものの、ミケイの心中の不安は、その通り的中しつつあった。
 一刻、また一刻と時間を重ねるうちに、城壁では着々と意気の高い兵士の纏め上げと、後方の援軍を迎え、迎撃する準備が出来上がっていった。

 「やっと兵が落ち着いてきた。ズビッグ!お前に頼みがある」
 「なんだい兄貴!」
 「お前は、ここの兵を数十人連れて、後方の援軍のために北門を開け!援軍が来たら、南門を開け、前の敵軍を討ち果たすのだ!」
 「へへっさすがは兄貴!じゃあ早速行って来るぜ!」

 命令を言い渡されたズビッグは、大手を振って兵をかき集めた。
そして、兵達を連れ、城の北門に向かって西の城壁沿いに走り始めた…



 その時であった。




なんと城壁を登りきった、三勇士率いる決死隊と遭遇してしまったのだ!
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第七回『三勇士、初陣』

2008年04月19日 17時47分23秒 | 『英雄百傑』完全版

― 香川上流のほとり ―

 難攻不落の『鏃門橋』の砦攻略のために、官軍の若き知将、ミケイの唱えた夜襲作戦は着々と進んでいた。夜襲の要である砦に火を放つ決死隊には、武功を立てるためミレム、スワト、ポウロの三勇士を含む100騎の義勇軍が名乗りを上げた。

 作戦の指揮官であるミケイから承諾を得て、三勇士はその下知を賜ると、意気揚々と野営地から2里半(約10km)ほど離れた香川の上流に息を潜めて待機した。

 ここは鏃門橋の西の丘陵に位置し、雄々しく群生する背の高い木々に囲まれ、人家も無く、隠れて行軍し、敵に気付かれず川を降るのには、まさに絶好の場所であった。

 三勇士と決死隊は、日が昇りきる頃に到着すると、野営地から持ってきた丈夫な植物の弦(つる)や、何重にも巻かれた太い編綱(あみづな)を、周辺でスワトが斧を使って切り取った丸太と繋ぎ合わせ、人間三人と武具が乗るほどの小さな筏(いかだ)を作り上げた。

 ポウロの号令によって、少ない人数をより効率的に動かすための分担作業が功を奏し、日が沈む夕方頃には、およそ百人が悠々に乗れる五十隻程度の筏が出来上がっていた。

 そして日が沈み、辺りに夜の帳が降り始める。
すると決死隊は、バシャバシャと音を立てて敵に気付かれないように、慎重に川に筏を浮かべ、川に流されないように大きな重い石に縄を張り、筏と結びつけて、自分達の武具や城壁を登るための道具、矢に火を灯すための燃料を運んだ。

 リーリー…
 ホーホー…
 ザワザワー……

 夏を前にして盛んになる夜行虫や猛禽類の鳴き声、川から吹きあげる風に木々が揺られる音は聞こえたが、河川は流れも穏やかで静寂を保ち、辺りはこれから夜襲が始まるというのに、不気味なまでの静けさに包まれた。

 しかし、それはまさに嵐の前の静けさであった。

 一帯の雲が闇夜に沈み、黒い幕を天に張ると、漆黒が辺りを包み、木々を揺らしていた穏やかな風は止んで、ビュウビュウと寒気がするような強い風が川べりから吹いた。

 穏やかな河川は、一気に殺気立った空気に包まれた。

 頃合の好機と見た決死隊は、筏に乗り込み甲冑や剣を纏い、鏃門橋の南端の官軍の動きを覗き込む。作戦の指揮官であるミケイ将軍自ら、陽動部隊の先頭を駆ることを知らされていた三勇士は、夜襲をすべき頃合、その合図を待っていた。

 「ミレム殿、いよいよでござりますな!はっはっは!それがしも腕がなりまする!」
 「…」
 「どうか致しましたでしょうかミレム殿?顔が青ざめておりますが…」
 「…」

 筏に乗りながら、夜襲作戦を前に意気揚々のスワトやポウロを尻目に、ミレムの体は震え、ミケイの決死隊に名乗りを上げた時とは、まるで逆で、血の気が引いた様に顔は白く、青ざめていた。

 「ハッハッハ、ミレム殿!我らが慕う明主が、それではいかんでござるよ」

 その様子に気づいたスワトは、高らかに笑うと、ミレムの肩を叩きながら言った。

 「戦場の臆病風に吹かれましたかな!しかし、心配無用!それがしが決してミレム殿から離れず、横についているでござる。まかり間違っても、ミレム殿の体に敵の手を触れさせるようなことは、誓って致さんでござる」

 スワトが動くと、筏が川に波を立てるほど強く揺れる。
スワトが一緒に乗るため、一際分厚い丸太と、強い縄で作った筏であったが、やはりスワトのような巨体が動くと、浮力の平均が崩され、筏が傾いてしまう。

 「豪傑殿、やめないか。あなたが笑うと筏が沈んでしまう」

 筏を漕ぐために必要な櫂(かい)(…今で言うオールのような物)を掴みながら、ポウロがスワトに言う。

 「はっはっは、これはすまんでござる。少しそれがしの明主が臆病すぎるのを見かねてな」
 「豪傑殿。ミレム殿にとっては、これが初陣なのです。もちろん私もですが」
 「いや、それを言うならば、それがしも初陣でござるよ」
 「あなたのように、命をいつ失ってもおかしくないような『場慣れ』している初陣とは、訳が違います。ミレム殿は元々気の優しいお方。少々臆病になるのも無理はありませんよ」
 「ふうむ。そんなものかのう」

言葉の意味が理解できず、不思議がるスワトに若干幻滅しながら、ポウロは、それでもなお沈み続けるミレムを心配し、話しかけた。

 「しかしミレム殿。豪傑殿の言うように、合戦を前にしてその顔はいけませんな。集まった兵達も、初陣のほうが多いのです。大将がそれでは、皆、不安がりますぞ」
 「そ、それは、わかっているのだが…」
 「いや、ミレム殿はわかっておられぬ。砦内の敵は2千に対し、こちらはたった100騎。そのような不利な状況で夜襲を仕掛けるのです。どの者も決死の気持ちで臨んでおるのに、大将だけ臆病顔では余りにも…」
 「ふ、ふうむ…」
 「夜襲成功のため、決死の覚悟を決めた兵のため、もっと心を強くもちなされ」

 大将としての気構えを説く、ポウロの的確な叱咤激励。
だがミレムは、聞けども聞けども、その臆病顔と体の震えを解く事は無かった。

 ポウロは少し様子を見た。
すると、今度はミレムが口を開けた。

 「ふ、ふふ…どんなに臆病と罵られても、心を強く持てと言われたとしても、どうしても震えがとまらんのだ。大将がこれでは、皆笑いたかろう。笑いたければ隠せずに笑えばいい。私は戦を前にして無力であることを自覚しているのだから」

 自分達の命を預かる大将であるミレムのこの言葉に、兵士達は動揺した。
ミレムの言葉によって不安が増幅し、全体の士気が徐々に落ちてゆく。流石にこれはまずいと思ったポウロは、すかさずミレムに言った。

 「ミレム殿、では臆病に利く特効薬を差し上げましょうか?」

 ポウロは、筏の前に座るミレムに素早く近寄ると、懐から皮製の水筒をミレムに差し出した。

 「なんじゃ、これは」
 「蓋を開けて御飲みなされ、特効薬が入っておりまする」

 半信半疑でミレムが、水筒のフタをあけると、開けた途端、良く熟れた果物の匂いというか、酸味のある柑橘類の匂いというか、なんとも言い難い不思議な甘い香りが、ミレムの鼻腔を刺激した。

 ミレムは、その良い香りに不安で一杯だったはずの胸が弾むような気がした。
そして、手に持った水筒をチャポンと震わすと、ポウロに尋ねる。

 「嗅いだ事の無い実に良い香りだ。これは本当に特効薬か?」

 ミレムの表情は、未だ半信半疑であった。
だがポウロは、その態度を見抜いていたかのように、一度その場を下がり、両足と両手を正して礼をすると、冷静にミレムに言った。

 「これは我が家に伝わる霊験新たかな神水。一滴飲めば、たちまち万力を得、二滴飲めば、浮かぶ迷いは千切れ雲のように消え、三滴飲めば、俊英の如き冴えが、一瞬にして体中に渡りまする。ささ、騙されたと思って御飲みなされ」

 商品を捌く口上のように流暢な調子で、ミレムを安心をさせるポウロ。
スワトのような怪力の豪傑も必要だが、こういうところにも知恵が回るポウロのような人物と出会ったことも、ミレムにとっては幸運だった。

 「躊躇などしている時ではないか…今はこれに頼るほかない!」

 ミレムは流され、鼻腔に充満する香りを放っている水筒に手を当てると、グイッと一気に唇に持っていった。

 ゴクッ…

 「くわああぁぁッ!!!!!!!!!!!!!!!」

 瞬間、甘味のような酸味のような鮮烈な果実の匂いと供に、キリりと舌に立つ一本気な辛口が、激流となって焼くように口内を通過し、食道に入り、胃に収まる。すると胃の中から、脳が目覚めるような強烈な刺激が全身を駆け抜け、鼻腔に残る果実の甘い匂いが、沈んでいたはずのミレムの心を弾ませる。

 ミレムは、刺激と風味にすっかり安心し、手元の水筒をまるで水でも煽るようにグビグビと飲んだ。

 ゴクッ…ゴクッ…!
 ゴクッ…ゴクゴクッ…!
 ゴクゴクッ…ゴクリッ…!

 唇の先で、喉の奥で、胃の中で、沸き立ち踊るような祭囃子が聞こえたかと思うと、たわわに熟れた果実の香りが、鼻腔を通って胸を透く。そして訪れる好奇心を満たして溢れる、刺激的な悦楽の胎動!続く快楽を求めるため、ミレムは戦の前だという事を忘れ、水筒を手放せず、次から次へと口へ運ぶ。

 「うおおおーーーーーッ!!!か、体が熱くなってくるぞぉぉぉぉ!あははっはっはっは!うはははははははっ!ウヒョヒョヒョヒョッ!こ、この特効薬!まさしく特効じゃのう!うははは!これは利くな!ポウロよぉ!」

 余りに衝撃的な中身のせいか、ミレムの脳内には抱いたことの無い高揚感が駆け巡り、いつの間にか臆病な心や、体の震えなどは消え、先ほどまで恐怖の余り血の気が引いていた顔も、赤みを増しては熱を帯び、いつの間にかミレムの全身は紅潮しはじめていた。

 ポウロはすかさず、上機嫌なミレムに言った。

 「それは良かった。では戦の前に我ら決死隊の士気をあげるため、大将自ら声を上げ、兵達を励ましてくだされ」
 「おう、まっかされーよ!」

 高揚に高揚を重ねて今や幸福の絶頂を迎えたミレムは、すっかりポウロの言葉に乗せられていた。力強く歩を進め、筏の中央に立つと、後ろの筏に不安げな表情を浮かべる百名の兵に向けて、大きく声をあげた!

 「聞けぇ!我が決死の義勇の軍団よ!敵多くとも、恐れることなかれ!敵は所詮どこぞの賊に毛の生えた烏合の衆!邪教に狂い、己のためには帝の領土を略奪するような逆賊ぞ!そんな者達に、我ら義によって集まった精鋭が負けるはずあるまい!我らの前では奴らの剣なぞ柔らかな羽毛の如く!矢は蚊虫の一撃の如く!高くそびえた城壁は、葦の如く!奴らの鎧などは、その辺の泥も同じじゃ!葦に住む泥毛虫の兵で、我らに立ち向かう頂天教軍なぞ、何するものぞー!!」

 「「「 オ オ オ ー ッ !!」」」

 ミレムの声と手が高々にあがると、兵士達のまだ消えていなかった不安げな顔も消え、鬨の声を上げると同時に、決死隊は天を突くような意気を得た!これまた幸運だったのは、吹き始めていた川の強い風が、ミレムと兵士達の声を消してくれたことだった。

 様子を見ていたスワトは、少し驚いてポウロに言う。

 「な、なんたる妙薬。あの臆病に怯えていたミレム様だけでなく、兵達の意気をも飲み込んでしまうとは!むむむ、ポ、ポウロ殿!お願いでございます!景気をつけるために、それがしにも神水を一杯くれませぬか!?」

必死に頼むスワトに対して、ポウロは笑って答えた。

 「はっはっは!豪傑殿には必要ないでしょう」
 「な、なぜじゃ?決死の作戦の前でござるというのに。そのように、もったいつけず、分かち合うのが仲間ではないか!」

ポウロは一度フフッと笑うと、スワトの耳に近づき説明した。

 「…いえいえ、豪傑殿。神水と申しましたが、あれは私の村で一番度数の高い蒸留酒に上物の梅酒と上物の杏酒を混ぜた、ただの酒でございます」
 「なんじゃと…!」
 「臆病者の気付けに特効薬として重宝しますが、度数の高い酒をあれだけ飲めば、どうなるか…豪傑殿も私もそれほど馬鹿ではないはずなのでわかりましょう?いやぁ、寒い寒い。ミレム殿の翌日の朝の事を考えると、実に身震い致しますな。ワッハッハッハッ!」
 「夜襲前だというのに、な、なんという…!」

 耳打ちされた事実に驚いたスワトは、思わず筏につんのめった。
筏が揺れ、バシャッと水が跳ねる音がすると、スワトは視界の先で異変を感じた。
スワトの視線の先には、うっすらと鏃門橋が見える。

 ボッボッボッボッ!

 鏃門橋の南から、幾数もの松明のかがり火!
うすらと風になびきながら掲げられる、官軍の兵達の旗!旗!旗!
ミケイ将軍の指揮する、陽動部隊が動き出したのだ!

 「あれは!ミレム殿!合図ですぞ!」

 スワトの報告に気付いたミレムは、再び高らかに声をあげた。

 「おう、わかったぞスワト!聞こえたか!我ら決死隊の義勇の士達よ!この初陣を、官軍の大勝利で飾るのだっ!いざ!鏃門橋の砦に向けて出陣じゃーっ!!」

 「「「 オ ー ッ ! 」」」

 手に持った櫂(かい)を上げて、進む三勇士の筏を先頭に意気盛んな百人の決死隊は、留めた関を切ったように、緩やかな香川の流れに乗って、勢い良く下っていった。

 「…(む、むう。しかしあれほど利くとは私も思わなんだ…)」

 夜襲を前にして、ミレムの突き抜けるような高揚の姿を見て、勧めたポウロの心中は複雑だった。しかし、一度流れた川の流れは、もう誰も止めることは出来なかったのである。


― 同刻 鏃門橋 南端 ―


 夜の闇に煌々と照らされた松明の光の下。
目の前に広がる鏃門橋の前で、剣と大盾を持った歩兵、小弓を持った弓兵、馬に乗り槍を構える騎兵、道具や旗を持った工作兵で構成された乱雑とも思える陽動部隊は、合わせて1千を数えた。

 その前面に立ち、各部隊に指揮をする若武者が一人。
隠しきれず出てしまう鋭気を光らせ、輝く白銀色の甲冑を着た、細身で華奢な武者の姿。
それは、南部方面軍が誇る、若き知将ミケイ。その人であった。

 ミケイは指揮すべき兵達の前で細身の剣を抜くと、手をスッと前に出し、兵達に号令した。

 「よいか!今から難攻不落の鏃門橋の砦に向かう!しかし我らは、砦の兵をひきつけるための陽動部隊である!無理攻めはせず、このミケイに従い、時間を稼ぐことだけ考えよ!その内に決死隊が城に火を放つ!その時が我らの勝負の時である!皆のもの、覚悟はよいな!砦に火の手があがるまでの辛抱だが、勝てば我が官軍全ての誉れぞ!進めーッ!」

「「「 ワ ァ ァ ァ ー ッ ! ! 」」」

 兵達の喚声が上がると供に、幅の狭い橋を渡り、砦へと軍を走らせた!
ミケイのとった陣形は、不思議な物であった。まず機動力の低い歩兵、工作兵が前に行き、狙われやすい弓兵は陣形の中間に置かれ、機動力の高い騎兵は後部という隊列。
平地の戦闘では、まずなされない奇妙な陣形で、ミケイは夜襲作戦を始めた。



― 同刻 鏃門橋 砦 ―


 鏃門橋の砦の高い城壁の上には、頂天教の兵2千が、すでに配置を終えていた。
対岸で上がる無数の松明の明かりを見て、その意気すさまじいと思った砦の守将、エウッジとズビッグ兄弟は、互いに敵軍の動きを見つめ、守備兵たちを動かすと、進む官軍兵を前にして迎撃の準備を万端にしていた。

 「兄貴!エウッジの兄貴!わたわたと官軍の兵が進んでくるぜ!どうする?俺が行って蹴散らそうか?」
 「まあ待て弟よ。力において天下五本の指に入ると言われたお前が、つまらぬ戦に出ることもあるまいて」
 「へへへ、そう褒められるとなんか恥ずかしいな。いやぁしかし、さすがは俺の兄貴だぜ!見張りの兵を増員しておいたことに、こんな意味があったなんてな」
 「ふふ、ズビッグ。攻めあぐねて虚を突いての夜襲など、実に頭の足りぬ南部官軍の愚かな将が考えそうなことだ」

 このエウッジ、ズビッグという武将は、元は官軍の有能な将達であった。
しかし、余りある才能を郡の太守に煙たがられ、今の世を恨み、少なからず野心もあったため、そそのかされる形で頂天教に入信すると、砦の守将に任じられるや否や謀反に参加した者たちであった。

 兄のエウッジは知恵者であり、兵達の統率に優れ。
 弟のズビッグは勇猛な将であり、巨大な斧を軽がると振り回すほど武勇に優れた。

 「ややっ?兄貴。あのかがり火を見るに、奴ら思ったより数が少ないぞ」
 「ふむ。あの様相…指揮官は誰だ。1千程の兵が、万にも見える意気だ」
 「ハッハッハ!兄貴、だがこの強固な鏃門橋の砦は、早々抜けまい!」
 「ズビッグよ。例え勝てる戦にも念には念をいれんといかんぞ。獅子狩る時全力にて当たる、ということだ」
 「むう??どういうことだ」
 「クックック。獅子は例え弱き獲物を狩るときでも、いつも全力という事だ。すでに北、西、東の三つの要害に居る、我が軍の援軍を頼んでおいた。これでこの勝負、勝利以外はあるまいて」
 「さすが兄者!冴えるな!」
 「ふっふっふ。それだけではない。この期に一機に官軍の本拠地である野営地を焼き払い、次の攻略の布石にしようと思ってな」
 「あ、兄貴!じゃあ敵陣への斬り込み隊長は俺に任せてくれよ!」
 「わかっている、わかっている。それにはまず、敵の気勢を挫くのが大事だぞ。それズビッグ!城壁の弓兵を正面に固めさせろ!官軍を矢の雨で強撃するのだ!」
 「わかったぜ兄貴!」

 エウッジ、ズビッグ率いる頂天教軍の守備兵2千が大挙して砦の城壁に構える。
そこに今まさに襲い掛かろうとする、ミケイ将軍率いる陽動部隊1千。
そして川を降り、夜襲を成功させ、初陣を飾ろうとするミレム達三勇士の決死隊1百。


 今まさに、香川を境にして、官軍と賊軍の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
果たして勝利の軍配は、どちらに上がるのか?
天をも知らぬその答えは、ただ静かに揺れる、川の流れだけが知っていた。

「「「 ワ ァ ァ ァ ー ッ !!!」」」

鏃門橋の戦いの始まりである。

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第六回『知将、策知あり』

2008年04月18日 18時42分30秒 | 『英雄百傑』完全版

― 大陸南部 黄州 ―

 街道伝いに揚々と南下を続け、大陸南部、黄州(オウシュウ)入りしたミレム達三勇士を含む百騎の義勇軍は、途中、反乱を起こした頂天教軍と戦うために派遣された、官軍の部隊と合流した。

 この部隊は、俗に『猫部隊』と呼ばれ、いわゆる訓練された正規兵ではなく、各地方から別々に集められた役人や、戦の時だけ臨時で集められる腕自慢の猛者たちで編成された、互いの素性も顔も知らない5百人程度の分隊であった。俗称である『猫』というのは、あまり群れないという様子から取ったものである。

 しかし、そのような部隊のよそよそしさが幸いして、ミレム達三勇士の義勇軍が、兵の『付け足し』として入隊するのも簡単であった。

 猫部隊と供に道を進んで五日ほど経つと、義勇軍は川を挟んだ開けた森に野営する官軍の本隊と合流した。


― 黄州 四谷郡(シコクグン) 香川(コウセン) 官軍野営地 ―

 木柵の立てられた囲いの中、大河の支流、香川から流れる吹く風になびいて、多数の軍旗が一度に揺れる。その下に広がるのは、白い幔幕の海と、槍や刀、鎧などの武具、軍馬、そして屈強な兵士達の姿であった。

 官軍野営地に顕在する、万を数える兵の余りの多さに驚嘆した三勇士は、その驚きもそのままに、出会った分隊の隊長に口添いをしてもらい、この大部隊の長、信帝国南部方面軍総指揮官、将軍ジャデリンに面会を求めた。

― 野営地 幕舎 ―

 その夜。
軍儀の最中ではあったが、幕舎の主席(正面の席)についたジャデリンは、快く三勇士との面会に応じた。面会には、三勇士唯一の知恵者であり、礼儀作法も知っているポウロが、ミレムの代わりに弁舌を行った。

 「おぬし達が帝のために立ち上がった義勇軍か。ふうむ。見るところ戦慣れしている奴は、後ろの大男以外おらんようだが、大丈夫か?戦で死んでも我らは褒美は出せんぞ」
 「褒美などいりませぬ。我らは帝のために死すら厭わぬ覚悟でございます。名高きジャデリン将軍の命であれば、喜んで死地に向かいましょう」
 「はっはっは。世辞だとしても、その言、実に忠義に溢れておる。まあ、そこまで言うなら良いだろう。今、我が軍の進路は難航している。そのため兵は一人でも多いほうが良い。お主たち義勇軍を官軍の遊撃隊と認めよう」
 「ははっ…ありがとうございまする」
 「それに、その後ろの男、名前をなんと申す?」
 「自他ともに義勇軍随一の腕の者、豪傑のスワトにござりまする」
 「はっはっは!なるほど豪傑か!いや、実に屈強で頼もしいことよ。わしの部隊の者でも、立っているだけでそれほどの威圧感、力強さを見せる兵はおらん。なあそうであろう皆の者?」

 「「「ハッハッハッハッ…」」」

 方面軍の総指揮官だというのに、気さくな雰囲気をかもし出すジャデリンの言葉に、ミレム達三勇士はホッと胸をなでおろした。

 そしてジャデリンは末席に三勇士を座らせると、顔色を変え、軍儀に入った。

 「さて、新たな仲間も増えたことだ。早々に軍儀を始めようではないか」

 ジャデリン率いる官軍隊は、この時、官軍野営地の北方、香川(コウセン)を挟んでかけられた、陸と陸を繋ぐ唯一の大橋『鏃門橋(キョウモンキョウ)』の砦攻略の任についていた。

 鏃門橋は、黄州四谷郡の玄関口とも呼ばれ、鏃門橋を南方にして北、西、東に合計四つの砦が築かれていた。中でも鏃門橋の砦は、関所としての機能も兼ね備えているため、地の利を生かした難攻不落の砦に出来上がっていた。

 大河の支流である香川(コウセン)を前にし、見通しの良い丘地に建てられた砦は、西は生い茂る樹木に囲まれ、東は鋭い岩だらけの悪路であり、陸地から来る賊の侵入を許さなかった。そして、砦の四方には香川から引かれた水が、深い外堀に流れ存在し、なおかつ後方には、屈強な城塞『背兎(セト)城』が控え、もし砦に急を要することがあれば、直ぐにでも兵を送れる位置にあった。

 守勢に適した配置と、天険の一帯が、黄州を支える一種の巨大な要害として、この付近に君臨していたのだ。

 しかし、要所として存在していたこの砦も、強大となった頂天教軍の襲撃と、官軍隊の謀反を受けて早々に陥落し、今や信帝国南部方面軍最大の難所の一つとなってしまっていた。

 その中で唯一、帝国軍の中で抵抗を続けた背兎城であったが、賢明な城主ワスイの抵抗も空しく、四方にあった官軍の砦は、既に頂天教軍の1千を超える大部隊が座巻していた。陸路、水路とも、兵站が分断され孤立した城内は、物資の補給が殆どなく、城に逃げた傷ついた将兵、残された民衆達を抱え、日々少なくなってゆく兵糧を食いつなぎ、疲れや飢えを凌ぎながら、いつ来るかもわからない官軍隊の救出を待ち、未だに抵抗を続けていた。

…まさに城は一刻の猶予も許さぬ、風雲急を告げる様相であった。

 将軍ジャデリンは悩んでいた。
大軍で無理に攻めれば、守勢に秀でる砦を落とせても痛手を負うのは確実。
だが、時間をかけてゆるりと攻めれば、背兎城は陥落し、民衆は見殺しになる。
野営地に着いてからというもの、この事で何度も軍儀を重ねては、頭を抱える毎日を送っていた。

 ジャデリンは、幕舎に集められた群将達に目をやりながら、眉をひそめ、顔を強張らせて、良案が出る事を祈って軍儀を始めた。

 「もぐりこませた密偵からの情報によると、砦の賊軍はおよそ2千程。しかし、敵ながら、なかなかの精鋭が揃っておるらしく、現状見れば判る通り、我らは攻めあぐねておる。我らの総数は1万。数では勝っているが、数を有利に攻め取れる場所とも思えん…。諸侯らの中にこれを打開する案のある者、策ある者あらば、遺憾なく進言して欲しい」

 獅子を模った鎧兜をつけたジャデリンが、郡将達の前で調子の悪そうな声をあげる。
熱血漢であり、面子を大事にする彼は実際、こんな言葉を言うのは嫌だった。武勇(正面からの正攻法)に通じ、その都度大勝して、猛将と謳われた彼が、おそらく他人の知略(兵法や策知)に頼ることなど、自分の面子を潰されるようで、許せなかったのだ。

 だがそれでもジャデリンは、己の心を抑えて郡将達の返答を待った。

左右に判れた列から、郡将の一人が声をあげる。

 「陛下に上奏し、多くの援軍を頼みましてはどうでしょう」
 「それでは時間がかかり過ぎる。そのうちに城が落ちてしまうぞ」

続けて一人、郡将が声をあげる。

 「大きく迂回して、先に鏃門橋以外の三方の要所を陸路から攻略しては如何でしょうか」
 「回り道をしている間に、この野営地を落とされたらどうするのじゃ」

また一人、郡将が声をあげる。

 「雑言を浴びせ挑発をし、いぶりだしてみては如何でしょう」
 「挑発に乗るような賊らであれば、我らが困る事もあるまい。それに敵は、元官軍の武将。ちと兵法に通ずる者なら、必ず弁えておるだろう」

右から一人、郡将が声をあげる。

 「このまま睨み合い、兵糧攻めを行うのはどうでしょうか?」
 「その間に後方から敵軍の増援が来たらどうする。それに我々は人数が多い分、奴らより兵糧の減りが早いぞ。飢えて困るのはこちらのほうじゃ」

左から一人、郡将が声をあげる。

 「ここは心を鬼にして、香川に毒を流して砦の賊もろとも…」
 「馬鹿者!河川に生きるものを全てを殺せというのか!それに背兎城にも水が繋がっていることを忘れたか!このたわけが!」

ザワザワ…ザワザワ…

 「むうう。くそ!これだけ郡将がおっても、何一つ妙案が浮かばぬのか!」

 『ああでもない、こうでもない』と、うだつの上がらない郡将たちの議論を聞き、その内に頭痛さえしてくるほど、すっかりジャデリンは参ってしまっていた。

そこへ一人、郡将が声をあげる。


 「将軍。そう頭を悩まされますな。まことに僭越ながら、このミケイの妙策。頭痛に効く特効薬でございます」


 出てきたのは、郡将の中でも一際目立つ、白銀の甲冑。
見れば一際細い華奢な体と、貧弱とも思える狭い肩幅、鋭い長剣を携え、星をあしらった装飾が施された、これまた白銀の兜を被った姿。しかし特徴的だったのは、身体よりも顔だった。

 松明の光に照らし出されたその顔は、血沸き肉踊るような逞しい男の顔ではなく、白い珠の肌に際立った顔立ちを浮かべる、一見、美女と見間違うほどに美しい、まだ顔に幼さの残る美男子の姿であった。

 この将軍の名は、ミケイ。
戦場にあって、その美しさから『併華(ヘイケ)将軍』の異名をとる、一軍の雄。
ジャデリンが信頼を置く、才気溢れる若き知将であった。

 「おう、察しがいいなミケイ。どれ、その特効薬とやらを飲ませてくれ」
 「はっ」

ジャデリンは、騒ぐ郡将達を黙らせると、静まった幕舎で、ミケイは、己の考えた策知を次のように語った。

 「敵は、いくら精鋭といえど、賊上がりの寄せ集め。我が鍛えられた官軍には劣りましょう。おそらくジャデリン将軍も考えておられるとは思いますが、平地での戦なら問題なく勝てる相手です」
 「ふむ」

 「問題なのは、安易な挑発が利かないような官軍出身の武将が敵に居る事。そして正面の橋の先にある砦です。鏃門橋は、砦へ攻めるには最短の一本道。しかし、大軍が通るには狭い上に、なにぶん長い橋ゆえ、我らの行軍は見え見え。ここに大挙して敵を崩そうとしても、守に適した砦からの反撃にあえば、我らの直接的な攻撃力は半減します」
 「分析と説明は良い。で、どうすればいいのじゃ」

 「私の策は二つ。一つは、日の出と共に全軍にて大挙し、慌てふためく賊軍の隙をつき、わざと負けたフリをして敵をおびき寄せます。出てくれば幸い。敵が調子に乗って門から出撃したら、周囲の森林に味方の別働隊を潜ませて敵を撃破する策です」
 「なるほど陽動の策か。しかし守将が優れたものであって、我々の陽動に気づき、砦から出撃しなければどうする?」

ミケイは、ジャデリンの言葉を聞いて小さく笑いながら言う。

 「ふふふ、だから先ほど『出てくれば幸い』と申したでしょう」
 「む…。そのように上官を笑うとすると、これはお前の下策か。では、上策を聞かせよ」

 ジャデリンは、若干不服そうに腕を組みながら部下であるミケイを見つめる。
ミケイは、小さな子どものように不満を露にして腕組するジャデリンを見て、笑いを堪えながら言った。

 「二つ目の策。それは少数精鋭の決死隊を作り、夜の闇に紛れ砦に侵入し夜襲を仕掛けるのです。幸い、この頃の空は月が隠れ、闇が覆うのに絶好の曇り空。進入を許したことのない砦の兵士達は、敵が城内に居るとわかれば動揺し、そこに外から火を放てば混乱するでしょう。決死隊が城門を開けると共に、別働隊の我々が、橋を渡ってなだれ込み、砦を奪取します」
 「たしかにそれが成功すれば間違いなく大勝利だ。兵達の被害も少なくできるだろうし万々歳だが…しかし、守兵の監視も厳しい。敵に夜襲に備えがあった場合どうするのだ?城壁は隙間無き石垣に守られ、登るに苦難と聞く。それに、それをやってのける度胸のある豪の者がここにおるだろうか…失敗は士気にも関わるしのう」

 言葉を聞いていたミケイは、蒼白の顔面についた黒眉をピクッと動かすと、それまで笑っていた顔を、不満げな表情に一変させた。
 稀代の猛将と謳われたジャデリンの余りにも弱気な言葉は、ミケイを怒らせた。
そしてミケイは、スゥとゆっくり息を吸い込むと、諌めるような強い口調で、言を発した。

 「それ以上言うと、私も呆れますぞ。将軍とてご存知のはず。戦は常に代償を背負うものでございます。危険を背負う故に、見合った大勝利もありえるのです。武勇ばかりで策も無く、いたずらに兵を失うことに怯えるような将に、はたして兵が預けられるでしょうか?天下が救えるのでしょうか!?郡…州…いや、信帝国にその名を刻む武勇の士、猛将ジャデリン将軍は、いつから牙の抜けた家畜になりさがったのか!」

バキィィィンッ!

 「な、なんじゃと!!!!」

 ジャデリンは激怒した。
部下であるミケイに、郡将達が見守る軍儀の中で、才が無いだの、家畜だの、こき下ろされる。面子を蹴ってまで尋ねたジャデリンにとって、これほどの侮辱は無かった。
怒りに怒ったその矛先は拳に込められ、それは猛烈な勢いとなって、目の前の木製の机にぶつけられた。速度を増した拳が机に当たると、木製の机は、ミシミシと軋むような音を立てて、その部分だけ、大きくめり込んだ。

 「ぬううッ!なんたる暴言!ようし!その声高を後悔するな!今の言葉、撤回することはまかりならんぞミケイ!」
 「ふふふ。元より覚悟の上。さあ、指揮官殿。私に御命じくださいませ」
 「では命ず!そなたが指揮官となり、この戦、見事成功してみせよ!期限は明後日の明朝までじゃ!」
 「誓って成功させてみせましょう。ではジャデリン将軍。お願いがございます」
 「なんじゃ!」
 「明晩、砦に火の手があがり次第、橋の近くの森林に伏兵を用意していてくだされ!」
 「おう!わかった!」
 「では、決死隊を編成するため、これにて失礼します」

 憤慨するジャデリン将軍の反応を見て、強い語調でそう言ったミケイ将軍だったが、口元は不適な笑みを浮かべていた。
 ゆっくりと他の将軍達に会釈をしながら、白い肩掛け物を翻し、幕舎を後にしたミケイ。

 後に幕舎に残ったのは、黙ったまま怒り続けるジャデリン将軍と、その場に居た郡将達のミケイに対する中傷の言葉だけであった。



 ミケイは、自分の兵舎に戻る途中、ふと曇る夜空を見上げた。
そして、その蒼白の美顔についている唇を緩ませると、こう言った。

 「これで抜かれた獣の牙も生え変わり、再び獅子のように鋭く光るでありましょう。いや、我ながら、将軍の目を覚ますのに良い策でした。実に上出来の策でした…はっはっは…」

笑い声は、野営地の風に消され、曇る夜空の暗闇に吸い込まれていった。


― 幕舎 ―

 ミケイの挑発で、早々と終わった群将達の軍儀。ジャデリンを始め、すっかり誰も居なくなったはずの幕舎の中に、外から松明の光が注がれると、三つの影が動いているのが見える。

 映る影は、ミレム、スワト、ポウロのものであった。

 「ミレム殿、あの態度、どう思われます?」
 「さあなぁ。しかしあの将軍…ミケイとかいう男。只者ではないようだぞ」
 「それがしには、てんでわかりませぬ。武で攻め、将の首をとれば、決着などすぐではござらんのか?」

疑問を浮かべるスワトに対して、ポウロは少し嘲るような笑みを浮かべながら言った。

 「ふふふ、豪傑殿。知略は武勇に劣らぬものです。兵を用い、自由自在の攻め守りによって、多数を相手に、少数で勝利を得る。どんな武に優れた者も、圧倒的妙策に陥れば、一兵よりも脆き弱者になる。その逆に、どんな弱者であっても、理に適った兵法と策さえ持ち合わせれば、強大な敵も倒せるというもの。なかなかどうして、兵法とは奥が深いものでございますよ。ま、あなたのような武勇一辺倒には、理解できるかどうか判りませんが…」

 「ふーん。何やら嫌味が聞こえたようでござるが…まあ良いでござる。しかし、腑に落ちぬ。それがしは、己の武によって敵を一人でも多くなぎ払い、武功を立てるのが本当の武将だと思うでござるが!」

 スワトは、ポウロの嫌味を聞いているようで聞いてないフリをした。
しかし、二人の会話を聞いていたミレムは、何か思いついたようにスワトの肩に手を置く。

 「いやいや流石、豪傑スワトだ。その通りやもしれんのう」
 「なんのことでござるかミレム殿?」
 「なにやら思いついたご様子で?」

 キョトンとする二人を尻目にミレムは、おもむろに手を掲げると幕舎の中で、高らかに言葉を放った。

 「スワト、ポウロ、我らは義勇軍とて、官軍に認められるものは、まだ一つも持っておらぬ。さればこそ、いち早く武功を立てるのが役目と思う。つまりだ…」

 誰も居なくなった幕舎の中で、顔を近づけ、ヒソヒソ話をしながら、野外の松明の光に照らされて浮き立つ人影は、幕舎を出ると、ミケイの兵舎へと向かった。


…そして時刻は、次の日の晩を迎えた。
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第五回『小鯉、龍成れりて』-2

2008年04月17日 19時03分34秒 | 『英雄百傑』完全版
――――――

 しばしの沈黙が寝所を包み、外で鳴く夜虫の声が、なんとも悲しげに聞こえだした頃。
優男は、ポウロとスワト、二人の前で土下座しながら、ワナワナと震える体にグッと力を入れると、伏せていた頭を戻し、唾液が出ないほど乾燥しきった口内を潤すために、傍においてあった水筒の水を勢い良く飲む。

 「……(おそらくこれは俺が飲む最後の…死に際の末期の水だ)」

 ゴクリゴクリと喉を通る水。
おそらく最後になるであろう潤いの感覚を死ぬ前に焼き付けようと、しばらくの間、口に水を含ませてまま飲み込んだ優男は、2回、3回、深呼吸を繰り返すと、ついにその重く閉ざされた口を開いた。

 「…ポウロ殿の仰る通り。私は無銭飲食を働いた、ただの流浪の百姓でございます。名をミレムと申しまして、毎日の食にも事欠き、お恵みや施しを受けて生活をし、口先三寸と小さな嘘で世間を騙す、しがない小悪党にございます」

 ガタッ!

 黙って座っていたスワトが、再び鬼のような形相でミレムを睨む。

 「な、なんだと!!で、では、それがしへのあの忠義の言や、あの天下万民への嘆き、そして英雄の嫡流だというのは、全て嘘だと申されるでござるか!!」
 「その通りでございます!私はヤケになって英雄の嫡流と嘘をつき!貴方様が私を嘘を信じ、それから間もなくして鉄の牢を打ち破った姿を見て、およそ度胸の無い私は恐ろしく感じてしまい、その時とっさに真を語ることができなかったのです!」
 「な、なにぃ!」
 「あの時、私が嘘を嘘だとスワト殿に言っていれば…あなた様を恐れずに、申せる度胸があれば!…いえ、今となっては全て言い訳になりましょう。…さあ、どのような罰も受けます!どうぞ!」

 さっきのどもりがちの声と、汗まみれで逃げるような姿がまるで嘘のように、ミレムの声と態度は落ち着き払っていて、実に雄弁なものであった。

バンッ!

 しかし、そんなことでスワトの逆上した心は止められなかった。
スワトは、言葉を聞くや否や床を大きく叩いて立ち上がり、ミレムの胸倉を掴む。

 「おう!最後にして、その言や良し!この小悪党め!英雄の嫡流など名乗りおって、なんという罰当たりでござろうか!忠義に燃えるそれがしを謀(たばか)るなど言語道断でござる!油で煮てやろうか、火で炙ってやろうか!それとも、この場で柔首をへし折ってやろうか!!!」

 ミレムの体を持ち上げて、掴んだ胸倉をユサユサと揺らして恐怖心を煽ろうとするスワト。
おそらくスワトのような怪力の持ち主を前にして、そのようなことをされれば、誰でも恐怖心が沸くもの。

 「…」

 だが、ミレムは黙って、ただ眼を瞑ってスワトの言葉を聞くだけであった。

スウッ…

 そんなスワトの腕に伸びる一本の手。
息苦しそうなミレムの姿を見ながら、ポウロがスワトをなだめるように言った。

 「まあまあ豪傑殿、落ち着きなされ。たしかにこのミレムの嘘は罪です。万死に値する虚言にございましょう。しかし世には嘘も方便という言葉がございます。それに、真を言う前に早とちりしたスワト殿にも、十分責任がございます」
 「むむむ…ポウロ殿!それでもこの男許せぬ!どうか、それがしを、お停めなさるな!」
 「まあまあ。それにここは我が家でございます。どうか血で汚れるようなことは避けたく思い…」
 「うぬぬぬ…それはそうでござるがのう!」
 「落ち着きなされ。いつも通りの冷ややかな心で、この場を見れば、なんてことはないでしょう。ただ暑い夏に吹く、一瞬の涼風のようなものかと思われますが…。どうか、怒りを静めてくだされませぬか」
 「うぬぬぬぬぬぬぬ!!!」

 余りに怒り猛ったため、スワトは掴んだ胸倉の腕の力を緩める事が出来なかった。
ポウロの再三の言葉に、まるで激流の如く憤慨の声を漏らし、その場でミレムの首を絞めようと手を伸ばしたが、とっさにそこへ仲立ちするようにポウロが耳に通るような涼やかな声をあげた。

 「ゆ、許せぬのだ!それがしの祖、豪傑スオウの盟主であり戦友たる英雄ガムダ様の嫡流を名乗ったこの男が、息をしているだけでも許せぬのだ!」
 「落ち着きなさい!そして良く考えるのです。謀られたとはいえ、脱獄をさせてまで救った、その男を殺せば、スワト殿の名誉ある家名に傷がつきますぞ!」
 「うおおお…しかし…」
 「だまらっしゃい!!そのように家名を重んじるスワト殿が、ただ一時の感情に流されて、己が立派な祖と家名を汚すおつもりか!どのような罪あれど、謝せば広い心で許してこそ、真の豪傑ではあるまいか!」
 「ぐむむむ…」

 スワトの怒りは、その頂点を極めていた。
だが、家名を重んじる武家という事を逆手にとり、理屈の通ったポウロの巧みな話術に根負けし、手からミレムを離すと、その場にドシンと座り込んだ。

 「家名汚さずが武家の習い!ミレムとやら、命拾い致したな!」
 「…ありがとうござる。しかし、罪は罪でござる。そのうち、追って役人から沙汰(判決)がありましょうや。許してくださったスワト殿には悪いが、私はそれを喜んで、お受けいたす」
 「ふん。せっかく拾った命を粗末にするとは、とんだ奇人でござるな!」
 「申し訳ありませぬ。スワト殿の厚い忠義の心を無にした事。ここで今一度、心から謝りましょうぞ」

 ミレムは深深と床に顔をついて、誠心誠意謝った。
その謝罪の態度は、どこか清々しささえ残る立派なものであった。

 「ううむ…」

 スワトは、目の前のミレムを見た。
ただひたすら謝罪のために土下座し、命乞いをするでもなく、床に顔をただ埋め許しを請うためにはどのような罰をも受けると言う、その立派な態度。

 しかも、謝るべき男は、並の男の前ではない。
並み居る番兵を物ともしなかった、この豪傑スワトの前で物怖じすることなく、まさに死を覚悟したような、威風さえ漂うミレムの姿。

 スワトは、この男の根底にある『何か』を感じた。

 「…ふうむ。それではよろしいかな」

 状況を見守っていたポウロが、ゆっくりと口を開いた。
そして、こう言った。

 「ミレム殿。どうやらスワト殿も謝罪の態度を判ってくれた様子。ささ、そのように男がずっと地に頭をつけるべきではなかろう。どうか、お顔をお挙げなされ」

 ポウロの言葉を聞いてミレムは、誰に臆することもなく、ゆっくりと頭を上げる。
その表情は、少し前の優男の軟弱な顔ではなかった。視線は下を向いていたが、真っ直ぐポウロとスワトの姿を見、背筋にハリガネが通ったようにピンと張った姿勢は、目に映るミレムの姿を倍にも見せるほどの威風だった。

 それを見ていたポウロは、優しげな太い眉をキリッと直すと、口元を強張らせ、ミレムに向かって真剣な口調で語り始めた。

 「最初に会った時から私は気づいていた、そなたが英雄の血筋ではないことに。みすぼらしい風体、見えぬ徳、優れぬ話術、貧弱な腕力、無知に近い知識…見るところ、どれをとっても英雄としての風格が無い。しかし、私はそう判っていても寝所を貸し、三日三晩贅の極みを尽くし、そなたに礼を尽して差し上げた。それは何故だと思いまする?」

ミレムは静かに答えた。

 「…私には皆目…」

ポウロは続け様に、胸を張ってこう言った。

 「ならば教えよう!そなたには誰にも負けぬ気運がある!それが証拠に、罪をもって牢に閉じ込められても、スワト殿のような豪傑と出会い、番兵差し迫る中を無傷で駆け抜けられ、暗い夜の道筋も流れる星の軌跡が照らした。そして天が乱るるを察知した、このポウロと出会い、その施しを受けた。出来すぎているほど巧妙な、幸運の連続ではないか!」
 「……」
 「それも全て、そなたが束ね、集め、この世に生まれいずる時より持っている、気運というものなのだ。気運というものは、人がどう足掻こうと、最初から定まっているもの。それを得た物は何者にも変えられぬ人物ということだ」
 「…気運…」
 「今、天下は頂天教の横暴を許し、帝に忠誠を誓う将星(将の運命を司る星)も、多くが他の国へと流れた。そして、その後示し合わせたように我々は出会った。これは、我らが力をあわせ、義を持って立ち上がれという天からの意思であろうと思わぬか?いや、そうであるはずだ!」
 「…」

 ポウロの饒舌は、手ぶり素振りを右へ左へ流し、畳み掛けるような論理でミレムを説いた。
だがミレムは、湧き出る罪悪感から一向に黙ったままだった。たとえ気運と褒められ、呼ばれても、目の前の二人を騙し、罪を犯した罪人であることに変わりは無かったことを心に留めていた。

 ミレムの態度にポウロは、少し考え込むと、大きく息を吸い込んだ。
そして、再びゆっくり話し始めた。

 「ミレム殿、私が先ほど戸の前で言ったことを覚えてらっしゃるか?」
 「…?」
 「寝床から落ちる時に呟いた言葉です」
 「…死ぬつもりで三つ(度胸、知恵、権力)を手になされ、と」

 怪訝そうな顔を浮かべるミレムに対して、ポウロは声を張って、ズイとミレムの前に出て言った。

 「度胸は世に揉まれればつくでしょう、知恵は書を学べばつくでしょう、世を動かす権力は大義さえあれば得れるでしょう。問題は、定められた気運と世を生き抜こうとする覚悟です。天を突くような勢いの気運と、世を生き抜く覚悟があれば、どんなみすぼらしい小池の鯉も、時を得、雷雲を呼び、咆哮を上げ、龍となり天下を見下ろし、天空を飛び回るでしょう」
 「…」
 「あなたは今は小池の鯉だが、いつか天に昇って龍になる者なのです!」

バッ!

 そう言うとポウロは突然着物を翻し、ミレムの前にひれ伏した。
「何を」と言いたそうなミレムをよそに、ポウロは続けてこう言った。

 「ミレム殿。天下を動かすには天、地、人の三つが必要といいます。『天』、これは天運。つまり気運を持ったミレム殿の事でしょう。『地』は領土、財産。これは富を持つ私の役目でしょう。そして『人』、つまり優秀な人物。これは豪傑のスワト殿のことでしょう。つまりここに、天下を動かす天、地、人が揃っているのです!」
 「私に何をさせようと…」
 「どうか、我が明主として、国を憂う真の英雄となってくださらぬか!」
 「む・・むう・・」

 余りにも唐突な告白と出来事に、ミレムは内心混乱していた。
死の覚悟を決めてから、澄み切ってゆく自分の気持ちに、大志の芽が育っていくのを感じてはいたが、今の自分にそのような大役がまかりなるかどうか。天下に躍り出ようとして湧く、矮小な恐怖心が、大いなる大志を邪魔していた。

 そしてミレムは、己の心が噴出したように、自らの大志に言い訳をして、言いたくも無い苦言を、自ら口にした。

 「しかし私は罪人。それに嘘をつき、英雄の嫡流の名を語り、忠義を蔑ろにするような者。いくら気運が私にあったとしても、そんな名声無き嘘つき罪人に、軍や人を任せられようか?そんな罪人に天下の大義が得られようか?」
 「ふふふ。はっはっは!」

 ポウロは笑った。ミレムの放った言葉の先にある、矮小な恐怖心を見抜いていたからだ。
言い訳をするミレムに対してポウロは、大きく眼を開いてグッとミレムの肩を掴むと、強く反論した。

 「罪を感じる気持ちは大事。ですが、それに捉われて動けなければ、天下の龍も、ただの邪魔な岩。降りかかる汚名は、私が全力で対処します。それに、嘘をつく、つかないは問題ではありません。今、天下は、平和な治世から乱世に差し掛かり、これから世には様々な野心を抱く者が出てくるでしょう。しかし、最後に勝つのは実直な覚悟です。名声はその後からついてくるでしょう」
 「…」
 「おお、そうだ。そういう意味で英雄ガムダの嫡流ではまだ小さすぎます。ミレム殿には、皇帝の嫡流を名乗るがよろしいことかと」
 「こ、皇帝の嫡流だと!?お、恐れ多いことを申す奴じゃ!」
 「ふふふ、しかしこのまま凡人として過ごしても、どこかで野垂れ死ぬともしれない世の中になりますぞ。義に立ち、兵を興して帝国を救って大志を持った英雄となるが良いか、一介の小悪党のまま犬死するのが良いか。どちらが賢明な判断でございましょうか」
 「むむむ・・・」

 悩むミレム。
その前に、ただ実直な姿で平伏するポウロ。

 幾分。
長い沈黙が続くかと思われた時、ポウロの横で何かを考えるように黙っていたスワトが、ついに口を開いた。

 「その男…いや!ミレム殿の実直さ、ポウロ殿の言葉を聞いて、それがしの心も、今決した!頼む、ミレム殿!我らが憂国の士を束ねる明主になってくださらぬか。我が武勇、何を言われようが、今からミレム殿と共にあることをここに誓うでござる!」
 「私も誓いましょう!ミレム殿、ご決断をお願いいたします!」

 ミレムの前で跪くスワト、そしてその声に続くポウロ。
その光景に、ミレムは大志に纏わりつく矮小な恐怖心を解いた。

 そして。

「…本来なら手打ちにされても文句の言えない私の罪を許してもらい、そのようにあなた達が私を慕う…。私が、あなた達の期待に応えることが出来るかわかりませんが…!このミレム。心、決しました!義のため!人のため!我ら三勇士、ここに立とう!」

「「おおお!!!」」


――こうして三人の勇士は、自らの大志と義のため立ち上がった。

その夜は、三人だけで酒宴の続きが行われ。
三勇士は、盃を酌み交わし、ミレムを上として軽い主従の儀を結んだ。

 翌日、ポウロの財を元に兵を整え、その数にして100騎の軍団が出来上がった。
装備を整えるためによった鍛冶屋では、剣や槍、鎧甲冑。
そして、豪傑スワトのために、想像を絶する巨大な鉄の薙刀が作られた。

 三勇士は三日後、胸を張り、惣村を出立した。
皇帝の嫡流を名乗った気運ミレム、大薙刀を持った豪傑スワト、論に長ける徳者ポウロの三勇士の名声は、町を越えて郡に知れ渡り、大地を揚々と駆ける馬蹄と軍団の輝きは、出来上がったばかりの新星の輝きにも似たものがあった。

 そして三勇士を含めた100騎の軍団は一路、官軍と合流し、特別遊撃隊として、謀反を起こした南国の頂天教軍討伐へと向かうのであった。

 小池の鯉、龍成れりて。
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