住んでいる国の政治で自由を制限されますが、どんな国でも、人は自由な領域を持っています。
戦乱が絶えない2500年ぐらい前、ガウタマ・シッダールタが、自国にも、外国にも殺されず、そのほか特に罰されることなく生き、国籍を問わず、多くの人に教え、仏教を生んだことは学ぶに値します。
現代人は、人が住んでいない未開の地を探してそこを開発して静かに住むのではなく、既存社会に住みながら、不自由の中に自由を探し、平和に静かに自由拡大の工夫努力を続け、静かにその生き方を周辺の人々に学んでもらい、不自由の中に自由を見出し、静かに自由拡大の工夫努力をする人を増やすといいと思います。
自国の政治に従がっているように見えるが、静かであるが、従っていない、自由独立の人、世界人として生きるといいと思います。自分の事業仕事に全力投入するといいと思います。
幸い日本はまだ自衛隊に入隊することを強制されません。言論の自由があって、戦争反対、自衛隊無用と発言しても罰されません。しかし、あえて声高に自分の考えを主張するのはなく、静かに戦争反対、自衛隊無用の考えで、自分の生活に一生懸命というのがいいと思います。国の権力者政治家や警察などは、静かに生きている人を危険と思わず、忘れているでしょう。平和ボケと言って、馬鹿にするだけでしょう。
平和ボケと批判されても、動揺することなく、自由に静かに生き生きと生きるといいと思います。国民投票で、50%以上の人が、憲法第9条を変え、戦争する軍を持てるようにしない限り、日本は不戦です。
権力者政治家が、憲法を変えず、なし崩しで戦争に誘導しても、日本は戦争に勝てません。戦争意欲のある自衛隊員がいても、意欲がない国民が多いと、戦争に勝つ戦略戦術を企画実行できません。
気をつけなければならないことは、権力者政治家が、自衛隊員の数や国民に依存せず、例えばアメリカ軍が日本基地を利用して台湾有事に参戦するとか、アメリカの支援を受けてAIを利用して日本が戦争するなど、成り行きで戦争状態をつくることです。防げない恐れがあります。しかし、対策はあると思います。
なお、人々が自然災害などを受けたとき、自衛隊が出動して救援してくれるので自衛隊は人々から感謝されています。しかし、人々が、救援活動を評価しても、別に自衛隊の戦争を評価したことにはなりません。静かに戦争に反対しているとは言えます。消防隊プラス自衛隊という「保安隊」があることは、自然災害が多い日本でが、現実対応の政治体制と思います。
問題は武器弾薬や軍事訓練が重くなることです。民生を圧迫します。
国人としてではなく、人として自由に静かに生き生きと生きることは現代的・未来的と思います。新世界に近い生き方と思います。