岐阜・タイヤ・キーパー・専門店・イマージン・50才からのイノベーション それからバトンタッチへ!

岐阜でタイヤ専門店を経営しながら洗車コーティング専門店を開業しさらに事業継承する一部始終を描きます。 

タイヤ・キーパーイマージンスゴウ店の良さが磨かれる!   その一

2012年09月24日 | 日記
タイヤショップイマージンスゴウ店が
「洗車とキーパーコーティング」を導入したのは
2004年(平成16年)10月のことです。
もう8年の歳月が過ぎようとしています。

前年の2003年11月1日に開業したスゴウ店は
冬季入りに開業したためスタッドレスタイヤの繁忙で
開業2ヶ月はとても忙しく当時の伊藤店長と新人の伊村スタッフの
二人が獅子奮迅の活躍をしてくれました。

開業の繁忙と冬季が過ぎると待っていたのは
じっと耐える閑な日々 本店より敷地・店舗が広い店が
ただ待つばかりで周囲には「閑オーラ」が漂い
この状況を何とかしなければと言う切羽詰まった課題がありました。

その頃からなにやらタイヤ業界に変化の兆しを感じたものです。
それまで売れていた大口径アルミホイールや中古品セットなどが
売れなくなっていきタイヤ商売の繁忙期と非繁忙期の
格差がものすごく大きくなって来たのを肌で感じる日々でした。
このような状況で伊藤店長や伊村スタッフは何とかしようとするのですが
努力が空回りする状況でした。

その時にある人を介してアイタック技研(株)を知り
「キーパーコーティング」なるものが好評を得ている事を知りました。
そこでコンタクトを取って最初にお会いしたのがアイタックの熊澤さんでした。
彼にいろいろ教えていただき当時の快洗隊の店を見学させてもらって
スゴウ店で始めたら 
タイヤ販売の非繁忙期に現金収入を得る事が出来るうえ
スタッフのヒマ疲れも解消できる
一石二鳥のプランだと確信し 決断をしたのが
「キーパーコーティング」との出会いで導入のいきさつです。

スゴウ店自体も 当社の本店と言う小さな(敷地55坪建坪25坪)タイヤショップが
思わぬ繁盛をしスタッフも当時5人もいて
彼らにもっと成長してもらう為次の店を準備しなくてはというだけで
何か勝算があったわけでもなく 
困った時近くにあれば
助け合えると言うぐらいの根拠と
本店がオーバーフロー状態だったで
本店の近場が良いだろうという
泥縄式決断でした。  
まあ何とかなるやろという甘い考えです。

 
いつまでも小学校では人の成長の機会を与えることも出来ず
中学校に当たる次の店を開業しより高度な仕事をしてもらう事で
人が少なくなる本店の人も 
新たにつくるスゴウ店に行く人も
成長してもらえる事がうれしいと言うだけです。

そりゃそうです たまたま始めた店が上手くいっただけで
次に出す店が上手くいく保証などなく おまけに戦力も分散する事になって
下手をすると両方だめになる可能性も高いわけでして
「柳の下に二匹目のどじょうはいない」ものです。


当時厳密には本店だけでなく
数年前に出した中古アルミタイヤショップダダも
時代の変化で先行きが危ぶまれる状況で
この店の始末も考えなくてはいけない状況であり
もし撤退するにしてもそこで働いてくれるスタッフの受け入れも
考えなくてはならないという
経営的にはそれまで時流にのった中古品の取り扱いを
縮小したほうが良いという
秘めた理由もありました。


ここまで来ると客観的に見れば
前門のトラ後門のシシといった
進むも地獄引くのも地獄という状況です。
勢いで突き進むだけの私の自ら招いた窮地です。
でも窮地とは思うことなく
成長のための試練 乗り越えたらみんな成長すると
どこまでも前向きなバカ社長です。
一店舗でも大変なのに二店舗ではもっと大変
そんな状況で三店舗目のスゴウ店を
開業する理由はもっと儲けたろうという欲望ではなく
今まで儲かっていた中古品の取り扱いを縮小する
という方針転換の一環でありました。

「中古専門店をやーめた」だけで済ませてしまえば
済むものをスタッフの受け皿というかっこいい理由だけで
個人保証をして大金を借りて店を出すなんて出来ません。

あれもこれも万事上手くまとめるという自信がなければ出来ません。
当時44歳の私にはそれがあったのでしょうね~
結果的には中古ショップのスタッフは
みんなやめていくことになったのですが。
とても利巧とはいえません。

ご縁が切れたのです。
でもちゃんとスタッフの為会社の為に良かれとやった事実が
自分を信じスタッフを信じる核心となりました。
自分を偽らなかった行動を取れたということ自体が自信になったのです。

零細企業の経営を預かると
融資を受け投資すること自体が
自分に刃刀が突きつけられる感覚です。
「自分を後回しにして他の為に他を利する行動なのか」と。
もし上手くいかねば個人保証しているということは
身ぐるみ剥されることと等しい
それでも良いのか?


ここでその恐怖に負けてしまえば今はないわけで
飄々としていても経営を預かるということは真剣勝負なのです。


懲りない私はその八年後
再度融資を受けキーパープロショップ岐阜店を
開業する決断をしたわけですが。


次回に進む。





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