希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車247

2012-02-08 18:39:41 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人生には、いろいろな試練(しれん)があります。各人(かくじん)が、さまざまな宿命(しゅくめい)ももっています。順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な人生などありません。しかし、どんなに深い絶望の闇(やみ)のなかでも、心に希望の火をともしていけるのが信心です。


大打撃(だいだげき)を受け、何もかも行き詰(づ)まったとしても、必ず一切を乗り越(こ)え、崩(くず)れざる幸福を確立していけるのが妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)なんです。』


確かに、人生、試練(しれん)はある・・。さまざまな自分の宿命を感じることも、あるかもしれない。とくに現代という時代は、不況(ふきょう)や災害などが続き、その宿命や試練を強く感じることが多いかもしれない。

嘆(なげ)くこともできる・・。

どうしたものか・・と、なす術(すべ)もなく、生きていくこともできる。

けれど、やはり、生きるとしたら、『打開(だかい)』しなければならない。
その闇(やみ)がどんなに深くても・・・。どんなに深い絶望であっても・・・。

人は、生きるために、心に希望の火を求めている・・。
希望が欲(ほ)しくて欲しくてしょうがない。
強い強い精神の支(ささ)えを、ほんとうは心底(しんそこ)求めている!

にもかかわらず、自分に精神の柱(はしら)を見いだせないでいるのが、現代の多くの人々ではないかと思う。

本当は、こころから強い強い希望が欲しいのに、創価学会と聞くと、反対する。

バカにする・・。

宗教と聞いただけで、毛嫌(けぎら)いし、悪しきものに違(ちが)いないと思い込(こ)む。

確かに、世間一般的な宗教は、毛嫌いして当然といえる代物(しろもの)です。
それらの世間一般的な宗教が、希望をもたらすことはありません。
逆に、それらの間違った宗教にすがっていくことによって、間違ったものに命をささげていくことになるので、自分の生命は、不幸に陥(おちい)り、 現実にさまざまな形で、不幸を引き起こしてしまう。

それは、世間一般的に認(みと)められている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)、観光宗教、神社信仰にしても、同じです。それらの宗教が希望をもたらすことはなく、逆に希望を奪(うば)い、不幸を引き起こす原因にしかなりません。

だから、宗教に希望を求めたくないのは、よくわかる・・。

けれど、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、違(ちが)う。

日本と違って、世界では、信仰心が当然のものであり、信仰を持つことが、人間としての証(あかし)だと考えている人が多い。それらの人が、信仰に悩み、真実の価値(かち)のある信仰を求めていった時、必ず、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法にたどり着く。

当然(とうぜん)です。真実の現実に価値がある信仰といえるものは、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法しかないからです。ほんとうに悩みを解決でき、困難を打開でき、強い強い希望をもって、人生に挑戦していける信仰は、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰しか、ないからです・・!

ゆえに、最終的には、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法に、たどり着く。それが、遅(おそ)いか早いかの違いだけです。

日本では、さまざまな悪(あ)しき宗教の習慣からか、島国根性からか、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法に力(ちから)があり、真実の信仰であればあるほど、それに反発(はんぱつ)してしまう傾向(けいこう)がある。

だから、なかなか、信じられない。

けれど、時代は、混沌(こんとん)としてきている。
そんな小さなわだかまりで、迷(まよ)っている暇はない。

確かに、今、深い絶望の闇(やみ)が、身近なものに感じられる世の中になった。さまざまな事象(じしょう)や出来事に、大きな打撃を受けた人たちも多い。悩みも深いかもしれない。

その、どんな深い絶望の闇の中でも、心に強い希望の火を、ともしていけるもの。
大打撃を受けて、何もかも行き詰(づ)まったとしても、必ず乗り越えていけ、崩(くず)れざる幸せを勝ち取っていけるもの・・。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車246

2012-02-02 18:42:54 | 日記
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
『なぜ、祈りが叶(かな)うのか』
について語っています。

『私たちは、無宗教を自称(じしょう)する人も、何かを心から願っている。何かを心の底(そこ)で祈っている。
これらを、宇宙の法則(ほうそく)のうえから、祈りと現実がきちんと合致(がっち)していくようにしたのが、仏法(ぶっぽう)の祈りです。

小さなギアでも、大きなギアと、きちっと噛(か)み合わせれば、すごい力(ちから)が発揮(はっき)できる。
同じように、「小宇宙」の自分自身が、「大宇宙」の生命と、きちっとギアを噛(か)み合わせていけば、どんな悩みも乗り越(こ)えられる無限のパワーが出るのです。』

たとえ、無宗教と自称(じしょう)しているような人であっても、何かを願っている。
それは、心の底で、何かを祈っているということです。

そこから、さまざまな行動が生まれ、さまざまな人生が形成(けいせい)されていく。

心の底にある『祈り』は、やがて、その人に、さまざまな影響を与(あた)え、さまざまな希望となって、その人の人生を彩(いろど)っていく。

だから、『祈り』というのは、人間の中に必然的(ひつぜんてき)に存在していて、必然的に、その人の中から、わき上がってくるものだと、言えると思います。

だからといって、祈りだったら、なんでも良いかというと、そういうことでもない。間違(まちが)ったものに祈るということは、自分が祈りをかなえたくて祈っているにもかかわらず、祈りがかなうどころか、逆に、間違ったものに祈っているので、その人に、さまざまな形で悪影響を与(あた)え、 間違ったものに祈ったという結果として、さまざまな形で、その人に不幸をもたらしてしまう。

だから、祈りだったら、なんでも良いということではなく、間違ったものに祈るということは、不幸をもたらす原因になってしまう。

その間違った宗教と言えるのが、日本にはびこっている葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰です。

だから、正月などに、それらの宗教に、どんなに真剣に祈ったとしても、逆に不幸になる原因をつくることになり、さまざまな形で、不幸が出現してきてしまう。

それが、世間一般的に考えられる宗教です。

池田先生が言っていますが、小さなギアでも、大きなギアと噛(か)み合うと、すごい力を発揮できる。
それと同じように、小宇宙と言える自分自身の生命と、大宇宙という大きな生命が、きちっとギアが噛み合ったとき、どんな悩みも解決していける無限のパワーがでてくる。

その時に、祈りがかなう方向に進んでいけ、やがて祈りが、かなっていく・・!

それができる真実の祈りが必要であり、その自分自身の生命のギアと大宇宙の生命のギアが、がっちり噛(か)み合い、幸せの方向に、すべてを動かしていける力(ちから)ある祈りが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の祈りなんです。

だから、すごいんです!
だから、悩みや問題を解決していけ、だから、夢や希望をかなえていけるんです。

それが、創価学会の祈りなんです。

いわば、世間一般的な祈りは、自分の祈りと大宇宙の生命のギアが、決して噛(か)み合ない、空回(からまわ)りの祈りです。
だから、祈りはかなわないし、逆に間違ったものに祈っているので、不幸を引き起こす原因になってしまう。

それに対して、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえて祈る『祈り』は、自分の祈りと大宇宙の生命のギアが、がっちり噛み合い、まるでサーフィンで波にのるように、楽しく、悠々(ゆうゆう)と幸せをつかみ、勝利していける。

そういう本物の祈りが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる『祈り』なんです。


最初に話したように、たとえ無宗教を自称しているような人でも、何かを心から祈っている。

本当は、何かを心の底で祈っている。

その本源的(ほんげんてき)な祈りを、現実の形にして、現実に祈りをかなえていける、また、悩みや問題を解決していける、また、夢や希望をかなえていく大きな力(ちから)となるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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