池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。
『仏法(ぶっぽう)では、「仏(ほとけ)」という最も偉大(いだい)な存在も、人間を離(はな)れ、現実を離れて、どこか遠くにあるのではない。私たちの生命の中にある。この私たち自身(じしん)が、まさに「仏(ほとけ)」なのであると説かれております。
そう言われても信じられない人に、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、「自分のまつげは近すぎて見えないようなものだよ。」と譬(たと)えられました。
さらに、「美しい桜(さくら)の花は、ごつごつとした木の中から咲(さ)き出てくるではないか。」
「同じように、凡夫(ぼんぷ)である私たちの心の中から、必ず仏の生命を開いていくことができる。」
と教えられている。
結論して申(もう)し上げれば、その最高の生命の花を咲かせていく、究極(きゅうきょく)の力(ちから)が、南無妙法蓮華経です。これは、絶対(ぜったい)に間違(まちが)いのない大法則(だいほうそく)であります。』
悩みや苦悩(くのう)にしても、夢や希望にしても、それらを持ち、抱(いだ)いているのは、自分です。
悩みや苦しみも、夢や希望も、本質的(ほんしつてき)には、『自分の中にある!』ということです。
すべてが自分の中におさまっている。
喜びや感動、怒(いか)りや悲しみにしても、それは自分の中からわき上がってくるものであり、どこか遠くにあるものではない。人の財産(ざいさん)を数えても、決して自分のものにはならないのと、同じ道理(どうり)です。
それと同じように、強くて、あったかくて、やさしくて、どんな困難(こんなん)も乗り越えていける、絶対に負けない、あらゆる悩みも解決(かいけつ)していけ、夢や希望をかなえていける、無限の可能性(かのうせい)を持った最強・最高の生命も、自分の中にある。 どこか遠くにあるものではない・・!
そのどんな困難も乗り越えていける、無限の可能性を持った最強の生命のことを「仏(ほとけ)の生命」という。
そして、その仏の生命は、どこか遠くにあるのではなく、「自分の中にある!」
ただ、まつげが近すぎて見えないように、なかなか、そのことがわからない。
けれど、ごつごつした木の中から、美しい花が咲き誇(ほこ)るように、それは、自分の中にある。
最初に言ったように、悩みや苦悩にしても、夢や希望にしても、それらを持ち、抱(いだ)いているのは、自分です。
悩みも苦しみも、夢や希望も自分の中にある!ということです。
それら、自分の中にあるものに対して、いくら、自分の外にあるものに、その解決策(かいけつさく)を望んでも、それは、他人の財産を数えるのと同じで、なんにもならない。本質的な解決策にはならない!ということです。
自分の中にあるものなんだらか、自分の中に解決策を求めるべきです。
また、そうしていった時、はじめて本質的(ほんしつてき)な解決策となっていく。
悩みや苦しみにしても、夢や希望にしても、自分の中から、自分の生命の中から、解決する方法と力(ちから)を、見いだしていかなければならない。
そして、その力(ちから)が、すべての人にそなわっている、『仏(ほとけ)の生命』だということです。
この『仏の生命』は、すべての人の中に、もともと、そなわっていて、その『仏の生命』を開花していくことによって、悩みや苦しみの解決も、夢や希望の実現も、可能になっていく!ということです。
そして、その『仏の生命』を自分の中から開花していける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
池田先生が言うように、幸せを勝ち開いていく究極の大法則なんです。
南無妙法蓮華経を真剣にとなえて、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、どんな悩みや苦難(くなん)も乗り越(こ)えることができ、夢や希望も実現していけるようになっていくんです。
幸せを勝ち取るこれ以上の力(ちから)はないんです。
そして、それは、自分の中にある!!!
ごつごつした木から、美しい花が咲くように、まつげが近すぎて見えないけれど、確実にあるように、自分の中に、幸福の『仏の生命』は、ある!!
そして、その『仏の生命』を無限に開き、花咲かせていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
『仏法(ぶっぽう)では、「仏(ほとけ)」という最も偉大(いだい)な存在も、人間を離(はな)れ、現実を離れて、どこか遠くにあるのではない。私たちの生命の中にある。この私たち自身(じしん)が、まさに「仏(ほとけ)」なのであると説かれております。
そう言われても信じられない人に、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、「自分のまつげは近すぎて見えないようなものだよ。」と譬(たと)えられました。
さらに、「美しい桜(さくら)の花は、ごつごつとした木の中から咲(さ)き出てくるではないか。」
「同じように、凡夫(ぼんぷ)である私たちの心の中から、必ず仏の生命を開いていくことができる。」
と教えられている。
結論して申(もう)し上げれば、その最高の生命の花を咲かせていく、究極(きゅうきょく)の力(ちから)が、南無妙法蓮華経です。これは、絶対(ぜったい)に間違(まちが)いのない大法則(だいほうそく)であります。』
悩みや苦悩(くのう)にしても、夢や希望にしても、それらを持ち、抱(いだ)いているのは、自分です。
悩みや苦しみも、夢や希望も、本質的(ほんしつてき)には、『自分の中にある!』ということです。
すべてが自分の中におさまっている。
喜びや感動、怒(いか)りや悲しみにしても、それは自分の中からわき上がってくるものであり、どこか遠くにあるものではない。人の財産(ざいさん)を数えても、決して自分のものにはならないのと、同じ道理(どうり)です。
それと同じように、強くて、あったかくて、やさしくて、どんな困難(こんなん)も乗り越えていける、絶対に負けない、あらゆる悩みも解決(かいけつ)していけ、夢や希望をかなえていける、無限の可能性(かのうせい)を持った最強・最高の生命も、自分の中にある。 どこか遠くにあるものではない・・!
そのどんな困難も乗り越えていける、無限の可能性を持った最強の生命のことを「仏(ほとけ)の生命」という。
そして、その仏の生命は、どこか遠くにあるのではなく、「自分の中にある!」
ただ、まつげが近すぎて見えないように、なかなか、そのことがわからない。
けれど、ごつごつした木の中から、美しい花が咲き誇(ほこ)るように、それは、自分の中にある。
最初に言ったように、悩みや苦悩にしても、夢や希望にしても、それらを持ち、抱(いだ)いているのは、自分です。
悩みも苦しみも、夢や希望も自分の中にある!ということです。
それら、自分の中にあるものに対して、いくら、自分の外にあるものに、その解決策(かいけつさく)を望んでも、それは、他人の財産を数えるのと同じで、なんにもならない。本質的な解決策にはならない!ということです。
自分の中にあるものなんだらか、自分の中に解決策を求めるべきです。
また、そうしていった時、はじめて本質的(ほんしつてき)な解決策となっていく。
悩みや苦しみにしても、夢や希望にしても、自分の中から、自分の生命の中から、解決する方法と力(ちから)を、見いだしていかなければならない。
そして、その力(ちから)が、すべての人にそなわっている、『仏(ほとけ)の生命』だということです。
この『仏の生命』は、すべての人の中に、もともと、そなわっていて、その『仏の生命』を開花していくことによって、悩みや苦しみの解決も、夢や希望の実現も、可能になっていく!ということです。
そして、その『仏の生命』を自分の中から開花していける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
池田先生が言うように、幸せを勝ち開いていく究極の大法則なんです。
南無妙法蓮華経を真剣にとなえて、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、どんな悩みや苦難(くなん)も乗り越(こ)えることができ、夢や希望も実現していけるようになっていくんです。
幸せを勝ち取るこれ以上の力(ちから)はないんです。
そして、それは、自分の中にある!!!
ごつごつした木から、美しい花が咲くように、まつげが近すぎて見えないけれど、確実にあるように、自分の中に、幸福の『仏の生命』は、ある!!
そして、その『仏の生命』を無限に開き、花咲かせていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!