池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。
『現実の社会には、嫉妬(しっと)もある。虚偽(きょぎ)もある。しかし、師子(しし)は負けない。恐れない。
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幸福とは、何の悩みもないことではない。いかなる苦難(くなん)にも屈(くっ)しない「師子王(ししおう)の心」に、真の幸福は光るのだ。』
幸福とは、何もないことではない・・。
現代という時代は、さまざまな喧噪(けんそう)やかかわり、面倒(めんどう)なことを避(さ)けて生きようとする風潮(ふうちょう)があるかもしれない。けれど、それらを避(さ)けきれるものでもない。また、逃げて生きるわけにもいかない。
どんなに逃げたとしても、結局、悩みはついてくるし、逃げれば逃げるほど、悩みは大きくなっていくかもしれない・・。
幸福とは、何の悩みもないことではない・・・。
そうではなく、いかなる苦難にも負けないで立ち向かっていける、その生命の輝(かがや)きに、幸福はあるのかもしれない。
そう、言えると思います。
そのいかなる苦難にも負けない生命の輝きに、満(み)ち満ちていった時、本当の意味での幸福をもたらしていける。
そして、そのいかなる苦難にも負けない生命の輝きを、創価学会では、『師子王(ししおう)の心』と表現している。
師子王の心とは、百獣(ひゃくじゅう)の王の心であり、なにものにも負けない、どんな困難にも打ち勝ち、幸せをつかんでいく心であり、強く、やさしく、自分だけでなく、周(まわ)りの人々も幸せにしていくことのできる心だと思う。
その心を、いかにして出していくか・・・?
そこに、人生を勝っていくキーワードがある。
その師子王の心、どんな苦難にも負けないで幸せを勝ち取ってけてる心を出していく、究極(きゅうきょく)にして、唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。
ここに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の決定的な必要性が、生(しょう)じてくる。
人生には、いろいろ、ある。楽しいこともあるし、幸せなこともある。才能や能力、人気や財力に恵(めぐ)まれた人もいる。けれど、人は、どんなに逃げてみたところで、逃(のが)れられない苦しみをもっている。また、人知れず悩むこともあるかもしれない。
そして、その苦しみや悩みを、本当の意味で乗り越(こ)え、勝っていくことは、どんな人でも、至難(しなん)の技(わざ)であり、人には言わなくても、表面的にはわからなくても、人は、その根本的(こんぽんてき)な悩みと苦しみと、戦っていると言えると思います。
そして、先ほども言ったように、その、だれもが、決して逃(のが)れることのできない、苦しみ、悩み、その苦しみや悩みを、本当の意味で解決していける、あらゆる困難を乗り越え、太陽のような幸せを勝ち取っていける、現実的で決定的な方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、 仏法の信仰だということです・・。