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木彫り倶楽部 more

本来は、木彫り教室のブログでしたが。。。還暦を迎え自然農にはまり、自然からの恵みや日々の気づきを気ままに綴っております。

「洗脳」からの妄想劇場

2022年09月27日 | つぶやき
なんだか闇の一部だったものが公に行われている…




この動画を視て感じたことを綴ります
個人的な感想ですので、お気に障ったらお許しください




普通の人がメディアにより洗脳され奴隷化する…
戦後の教育は、質の良い労働力を育てるものだったと思う
当初、それは日本の為の労働力であり、そのお陰で見事な復興を遂げたことも事実です。

でも、その反面

自ら考え行動する力ではなく、自分を殺し従順に言われたままに行動する力を身に付けた人間ばかりになってしまったように思う

それに追い討ちをかけた2002年から実施された「ゆとり教育」
受け皿さえあれば、コンセプトは共感できたし、我が家に取っては都合が良かった。

敗因は、「ゆとり教育」を指導できる教員の不在
家庭での受け皿がないままに子ども達を学校から塾へ放り出す結果になった。
塾へ通わす為にお母さんがパートに出る(本末転倒)その結果、共稼ぎが増えた。
一家団欒の時間がなくなり、おふくろの味がお惣菜に変わった
いくら塾にお金をかけても、愛情不足は学力の低下を招く(と思う)

塾へ行けない家庭の子は尚更。学校だけでは理解ができず、落ちこぼれを生んだ。
学力差の激しい児童を同じ教室で指導するのは困難。できる子にとってもできない子にとっても学校は楽しい場所ではなくなった。先生にとっても大変だっただろうと思う。

ゆとり教育とは個人のペースに合わせて授業を 進めるという教育であり、1970 年代に日本教職員組合が「ゆとりある学校」を提起して、国 営企業の民営化を推し進めた第 2 次中曽根内閣の主導の下に「公教育の民営化」という意味 合いの中で「ゆとり」を重視した教育として 2002 年度から実質的に開始された。

ゆとり世代の学生は、漢字の読み書きが苦手だった。考えをまとめる前に字で悩む。板書を書き写すことに必死。だから質問もほとんどなかった。
過程や理由よりも、答えを教えてくれといい始めた頃から完全に変わったと思う。

こちらもあの手この手で、できるだけ自分で考えるように仕向けるけれど、限られた時間内でできることは僅か。

考えることを放棄した彼らを洗脳するのは容易いことだろう。



戦後教育のお陰で、勤勉で器用な日本人は、質の良い労働者になったけれど、リーダーシップを取れる人は育たなかった。

なぜなら、良くも悪くも規格からはみ出す人は、問題児として弾かれるから
ひどい場合は、某かの病名が付けられ薬を投与される。

日本人が日本のために働き、自らが豊かになれる時代はまだそれでも良かったと思う。
グローバル化が叫ばれだした頃から、大っぴらに日本企業トップ(経営陣)の刈り取りが始まった

日本人労働者は、日本を豊かにするためではなく、グローバリストのための労働力になってしまった

何のために働いているのかがわからない

勤労の喜びを感じられないのは、その為かもしれない。

教育は大事です

言葉が奪われたら、民族は消える
だから中共はウイグル自治区でのウイグル語を禁止しました

日本語もかなり変わってきました

それがグローバル化と言うものかもしれませんが、寂しいですね。


そして…
IT化の流れもあるけれど、コロナのせいで、タブレット教育が小学生にまで浸透してしまった。
遊びを通して、五感を鍛える時期にタブレット…私は賛成できません。
あのジョブズでさえも「自分の子どもにはタブレットを与えない」と言っていたのに。

インターネットが便利で、大量に速く処理できるというメリットはわかる。
でも、タブレットが答えを教えてくれたり、採点するのは違うと思う。
このままいくと、子どもは大人の言うことよりもタブレットを信じるようになる。

善悪の判断もタブレット任せ
これは恐ろしい事

これからはメディアではなく、タブレットなどの端末によって洗脳されるようになるだろう…そしてマイクロチップに変わり、人間と一体化する時代が来るのかもしれない

既に、ペットにマイクロチップを埋め込むようになってきた。
次は安全のためという名目で、老人と子どもだろう…

コンピューターは嘘をつかないし、間違わない。公平に判断できる。と言う人がいるけれど、そのシステムを運用し、ソフトを作るのは人間であることを忘れてはいけない。






コメント (4)
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