当たり前のことなのだけれど、その当たり前がいまの世の中なかなかむずかしいのも事実。拍手を送りたい。
大阪市淀川区十三(じゅうそう)本町1丁目、「第7芸術劇場」。
地元商店主らが出資する市民映画館で、96席。
「見たい人がいるなら、それを提供するのが役目。」
松村厚支配人、男前!
NPO法人・能登ネットワーク理事の数馬嘉雄さん(数馬酒造社長)のお話をうかがう機会があった。
配付資料の最後のページ。
「一生懸命の尺度」。
一生懸命の尺度
一生懸命本気でやれば、なぜか面白くなる。
一生懸命本気でやれば、なぜか心が燃える。
一生懸命本気でやれば、なぜか人が助けてくれる。
一生懸命本気でやれば、新しい世界(道)が開けてくる。
僕は、3番目、「なぜか人が助けてくれる」がとくに好きだ。
「尺度」というのも、いい。
まちなかのミニシアターで観てきました。
正直、かなりしんどかった。
まわりのひと、特に女性は、多くすすり泣いていたけど、ちがう、と思った。
僕もつらかった。だけど、泣くゆとりもなかった。
泣けなかったし、泣いてはいけないと思った。「いけない」ではなくて、それどころでなかったのかもしれない。
正視しなければ。その意識に支配されていた。
僕たちは、まず知り、そして正視しなければならない。
雨宮処凛『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)を読んだ。
闘いのテーマは、ただたんに『生存』である。生きさせろ、ということである。
生きていけるだけの金をよこせ。メシを食わせろ。人を馬鹿にした働かせ方をするな。俺は人間だ。
スローガンはたったこれだけだ。
生存権を21世紀になってから求めなくてはいけないなんてあまりにも絶望的だが、
だからこそ、この闘いは可能性に満ちている。
『生きさせろ!』という言葉ほどに強い言葉を、私はほかに知らないからだ。
一一『はじめに』より
「我々は反撃を開始する」という言葉ではじまる本書は、この生きづらい日本社会で喘ぐ人の必読の書であるとともに、いまはなんとなくうまくいっている人にとってこそ必読の書だと思う。
出張先から帰る電車のなかで読んだ。
ただ生きるということが許されない社会。胸をかきむしられるような現実。
何度も体が震え、落涙した。
貧乏人大反乱集団・高円寺ニート組合のところではあまりにヘンテコな抵抗運動に、笑いをこらえるのに体が震えた。
隣席の女性に不審の視線を投げられた。
「世の中はどうも私が思っているのとは逆方向へ進んでいる。だから、決めた。このテーマで、私はこの社会が変わるまで取材し、執筆し、運動していくことを。」
僕は、自分のことを恥じた。そして、僕も決めた。いまの持ち場で、この社会を変えるためにこれまでよりずっと努力することを。
島根からのお客さんと輪島へ行ってきました。このところ、週1回のペースで能登に通っています(その都度、仕事はちがうけど)。
輪島市中心部の海岸を埋め立てた「マリンピア」。埋め立てたけれどつかいみちがなく、ビジネスホテルをひとつ誘致しただけで、あとは更地やテトラポッド置き場になっています。
そこが、震災で倒壊したり解体された建物のゴミの仮置き場になっています。
ほとんどが木造住宅で、土蔵の土壁も多く、大量の有機物が腐敗過程にあって、かなりくさいです。風が吹くとほこりもとぶ。
緊急にここしか置き場がなかったのかもしれませんが、民宿がたちならぶすぐ前にこのゴミの山。いそいで処分しないと、梅雨の雨、夏の高温でいよいよたいへんなことになりそうで心配です。
くさいとか見た目が悪いとかいうだけでなく、健康にも影響しそう。
こちらは旧門前町の総持寺門前通り。総持寺のすぐ近くに小さなお寺があったのですが、全壊しました。
地震10日後にボランティアで来たときには、大屋根が地面にべったりと落ちていて、驚きました。お寺の本堂は、中に壁がなく柱だけで重い屋根を支えているので、地震に弱いそうです。
門と、地蔵像と、賽銭箱だけが残ったそうです。
「仏弟子の初心に還りたいと思います。
どこまでやれるかわかりませんが、
やってみようと思います。」
檀家の方々も多くが被災されているでしょうし、前途多難ですが、なんとか再建されればと思います。
いなかではこういうとき、お寺や神社が壊れなかったり再建されたりすれば、住民も残ります。お寺や神社がなくなると、住民も自宅の再建をあきらめて土地をはなれてしまいます。
都会の方には分かりにくいかもしれませんが、寺や神社は、過疎地で生活する高齢者たちの精神的支柱なのです。
寺が生きている、神社が生きているということは、集落が生きていることの証なのです。
宗教施設としてではなく、コミュニティ施設として、再建に公的資金を提供するべきだと思います。
「能登は元気だ!」というスローガン。
たしかに元気な方は大勢いらっしゃいます。また、元気を出そう、元気であろうと、みなさんがんばっておられます。
でも、まだまだ、「能登全体が元気」というにはほど遠い状態です。
うちひしがれていた状態からなんとか立ち上がり、やっと一歩を踏み出そうとしているところです。
もっともっと応援を。
ちょっと調べてみたら、少し前だけど、小池・新防衛相、「(日本も)場合によっては核武装をしてもよい」という発言をしているんですね。
いやはや、なんとも…。
原爆投下も「しょうがない」と選挙前にいえばクビで、みんなが忘れた頃に言ったことは不問。
要するに、選挙に影響するかどうかが問題で、核保有・使用肯定論はかまわないと。
憲法9条を変えたらつぎは核武装論が出てくる、という意見にたいして、それは極論・杞憂だという人がいますが、この文脈では、アベさん、内心は核武装したいようですね。
能登半島地震では、海底が隆起したことが確認されています。
写真は、輪島市(旧門前町)の大泊という集落の海岸地先。
分かりにくいかもしれませんが、黒っぽい岩はもともと海面上に出ていたところ。白っぽいところが、今回の地震で隆起して海からでたところです。
写真左上の白っぽく平らなところは、「海苔場」です。
潮の干満で出たり沈んだりするところで、地元のおばあちゃんたちが海苔をとって収入を得ていたのですが、今回の隆起で全滅。今後どのようにすればよいか、まだ方針は立っていません。
大泊は漁村。船着き場で漁具の手入れをしていたおじいさんにお話をうかがいました。
海底が隆起したために、満潮のときしか舟を出せません。お話をうかがったとき(写真)は干潮で、舟底は擦ってはいませんが、スクリューをまわすことができない。
この船着き場をつかえる時間が短くなったので、となりの集落の船着き場をつかわせてもらっている漁師さんも多いそうです。
船着き場をこれまでのように使えるようにするには浚渫するしかないのですが、岩場なのでかなりの費用がかかることが予想され、10戸足らずの漁家のために行政が投資をしてくれるかどうか…。一応、対策をとってくれることにはなっているようですが、全体の被害状況からして、かなり後回しにされるのでは。
先行き不安だとおっしゃっていました。
「宇井純を学ぶ」が近づいてきました。行きたい。
東京大学公開自主講座・公害原論の「開講のことば」より...
個々の公害において、大学および大学卒業生はほとんど常に公害の激化を助ける側にまわった。その典型が東京大学である。かつて公害の原因と責任の究明に東京大学が何らかの寄与をなした例といえば足尾鉱毒事件をのぞいて皆無であった。
建物と費用を国家から与えられ、国家有用の人材を教育すべく設立された国立大学が、国家を支える民衆を抑圧、差別する道具となって来た典型が東京大学であるとすれば、その対極には、抵抗の拠点としてひそかにたえず建設されたワルシャワ大学がある。そこで学ぶことは命がけの行為であり、何等特権をもたらすものではなかった。
立身出世のためには役立たない学問、そして生きるために必要な学問の一つとして、公害原論が存在する。
角偉三郎さんの代表的な作品群・合鹿椀(ごうろくわん)は、柳田村(現能登町)に古くからつたわる合鹿椀にインスパイアされてつくりはじめたものです。
柳田村・夢一輪館の高市さんは、角さんに「先生、合鹿椀はもともと柳田のものなんだから、柳田に本拠をかまえてつくってくださいよ」とお願いしたそうですが、「ほんものの合鹿椀は、柳田の君が柳田でつくりなさい」と答えられたそうです。
角さんが亡くなり、いろいろ思案した末、柳田に室町時代からつたわり輪島塗のルーツになった合鹿椀を途絶えさせてはいけないと、高市さんは合鹿椀製作を決意。手で漆を塗りつける豪快奔放な作風を受け継ぎながらも、独自の工夫をくわえて、合楽椀(ごうらくわん)として世に送り出すことになりました。
合楽椀。
つくる者も楽しくつくり、つかう人も楽しくつかう、そんな気軽なお椀にしたいとの思いが込められています。
滅多に人には見せないんだけど、と案内していただいた作業場。漆の濃い香りで満ちています。
写真は、最後の手塗りを待って乾かされているお椀たち。
すでに予約がどんどん入ってきていて、数か月待ちの状態だそうです。
村役場をやめてブルーベリーづくりにとりくみ、蕎麦屋、畑のチーズ、邪無、きのこ山と地元に根付いて取り組みをすすめてきた高市さんの新たな挑戦です。
人生には
自然を破壊したり人びとを苦しめたりしないで済む
そういう選択をする機会が必ずある
もし人が
生涯にたった一つでいい
本当に良かれと思う選択をしてくれたなら
この社会はきっとかわるはずだ
(葬儀で紀子夫人が紹介された故人の言葉)
公開自主講座「宇井純を学ぶ」
6月23日、東京大学・安田講堂。