奈良の昔はなし~聖徳太子と達磨寺~
飛鳥に推古天皇の都があった時代、天皇の甥(おい)で皇太子であった聖徳太子は、学問と思索(しさく)を深めるため、斑鳩の地に離宮を造っていたのです。その斑鳩と飛鳥を黒馬で往復し、また大和川沿いに難波へも通い、大陸の進んだ文化を取り入れました。
そんなある日のこと、太子が河内国(大阪府の東部)からの帰り道、片岡山のほとりで、なぜか、乗っていた黒馬の足が急に止まったのです。
太子が不思議に思っていると、旅人が道端で今にも餓死せんばかりの姿で倒れていたのでした。だが、その目からは霊妙な光がさし、体からはよいにおいがしたのでした。太子は、この旅人は普通の人ではない、きっと仏の化身(けしん)であろうと思い、歌を詠んだのです。
「しなてる 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゐ)て 臥(こや)せるその旅人(たひと) あれは 親無(おやな)しに 汝生(なれな)りけめや さす竹の君はや無き 飯に飢て 臥せる その旅人 あはれ」
太子は旅人に紫の衣を脱いで着せ、食物を与えたのです。翌日、旅人が死んでいたため、使者に厚く葬るように命じたのです。その後、調べると棺の中に遺骸はなく、紫の衣が棺の上に置かれていたのでした。人々は、旅人は達磨大師の化身といい、墓を造り、やがて寺を建てたのです。それが達磨寺であると言われています。達磨大師は禅宗の祖でもあります。
~昔はなしゆかりの地「達磨寺」~
JR大和路線王寺駅または近鉄田原本線新王寺駅からバスで張井下車すぐのところにあるのが、この物語に登場した達磨大師の墓とされる達磨寺です。
聖徳太子と達磨大師の出会いからはじまった達磨寺には、今も本堂の下に達磨寺3号墳とよばれる古墳時代後期の円墳があります。これが、聖徳太子が飢人のためにつくったお墓、すなわち達磨大師の墓とされ、鎌倉時代にその上にお堂が建てられて、本尊として堂内に聖徳太子と達磨大師像が安置されました。
達磨寺の本堂には、数多くの文化財が展示されていて、全日10時~15時まで本堂および方丈を自由に見学することができるのです。また、達磨寺では座禅を体験することができますので、令和の初めに座禅をしてみてはいかがですか。
方丈は、寛文7年(1667年)に建立されました。なぜか屋根は西面が入母屋造りなのに対して、東面は切妻造りとなっているんです。不思議ですよね~。本堂の中尊に祀られているのが千手観音像で、392本の手があり、手のひらには水晶で表現された目があります。
聖徳太子の愛犬「雪丸像」
境内には、聖徳太子の愛犬で、人の言葉が話せ、お経が読め、達磨寺本堂の下にある達磨大師のお墓の北東に葬ってほしいと遺言を残した雪丸の石像があります。
雪丸は町(王寺町)のマスコットキャラクターとして町の活性化に活躍していますよ。運がよければ会えるかも。
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