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日本書紀ゆかりの地を巡る(香芝市逢坂)

2019-10-03 15:29:19 | 地域と文化

大津皇子(おおつのみこ)事件

 朱鳥(あかみとり)元年(686年)9月、病の床にあった天武天皇が崩御し、皇后の鸕野讃良(うののさららの)皇女(後の持統天皇)が即位しないまま、政務を引き継ぎました。皇后は、皇居の南庭に殯(もがり)宮を建て、天皇の葬儀をはじめました。その殯の最中に、天武天皇の第三皇子である大津皇子が謀反を企んでいると疑われ、皇后の命により死罪となりました。それを知った大津皇子の妃である山辺(やまのべの)皇子は、髪を振り乱し裸足のまま皇子のもとに駆け付け、後を追って殉死しました。

 大津皇子は、立ち振る舞いが美しく分別があり、頭脳明晰であったので、多くの人に慕われていたといいます。和歌や漢詩などの詩作に優れ、詩賦(しふ:中国の韻を踏んだ詩文)の興隆は大津皇子に始まるとされています。「懐風藻(かいふうそう)」(日本最古の漢詩集)に詩を残すほか、「万葉集」にも歌を残しています。

 大津皇子の同母姉で、伊勢神宮の斎宮(いつきのみや)であった大来皇女(おおくのひめみこ)も皇子の罪により任を解かれています。2人の母親は、持統天皇の同母姉の大田皇女でした。「万葉集」には大津皇子が二上山に葬られたときに、大来皇女が皇子を思って詠んだ歌も残されています。

大坂山口神社(逢坂・穴虫)

大坂山口神社・穴虫

 近鉄大阪線二上駅下車すぐのところに「大坂山口神社・穴虫」があります。「日本書紀」に崇神天皇九年三月(380年)、国中に疫病が蔓延したため天皇はいたく悩まれいたとき、夢に神人が現れ「赤盾八枚、赤矛八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大坂の神を祀れ」とお告げあり、天皇はその教え通りに祀られたところ、たちどころに疫病は平癒し天下泰平となったと記されています。

              

 大坂山口神社・穴虫の祭神は、牛頭天王、八幡、春日の諸神で、この神社の牛頭天王信仰(祇園信仰)は近世には広く知られ、祇園宮寺・威光庵もありました。

 奉納宮相撲は古来有名で、この神社には寛文四年(1664年)以来の棟札が奉納されており、三間社流造りの本殿には文化十二年(1815年)再建という墨書があるといわれています。

        

 

 大坂山口神社・逢坂

 逢坂の集落に鎮座する式内社山口神社は、近世に社寺詣での道として頻繁に利用された伊勢街道に面しています。本殿は三間流造・檜皮葺で、寛永十五年(1638年)の棟札と構造手法から、この時期に建立されたと考えられます。しかし、細部に室町時代後半の古い建築様式を残していることから、奈良県の指定文化財になっています。

               

 祭神は、大山祗命・須佐之男命・稲倉魂命(神大市比売命とも)となっています。

 

                     

 

 

 

 

 

 

 

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