作者 柿本人麻呂 巻一 三七番歌
見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑の 絶ゆることなく また還り見む
訳:見飽きることとてない吉野、その川の滑らかさが永遠であるように、いつまでも絶えることなく、くり返し見よう。
解説
この歌は、柿本人麻呂が吉野行幸にお供した際に詠んだ歌です。この歌は持統天皇時代の部分に収録されており、持統天皇は吉野へ三十回以上も行幸した記録が「日本書紀」にあるため、持統天皇の吉野行幸の時の作であると考えられています。左注では、「日本書紀」から持統三・四・五年の計6回の行幸の記事を指摘しますが、どの時の作かは不明であるとしています。
人麻呂は、吉野行幸の歌を二組の作品に残しており(巻一・三六~三九番歌)、今回の歌は一組目の長歌の反歌です。長歌では、天皇が統治する天下の中でも吉野の山川は清らかであり、天皇はそこに立派な宮殿をお造りになり、臣下たちは朝夕に川で船遊びを楽しんでいる、その吉野の宮殿(滝の宮)はいつまでも見飽きないことだ、と詠まれています。宮殿をほめることは、その主である天皇への賛美となります。続いて詠まれた反歌(今回の歌)では、「見る」ことが繰り返し詠まれています。これは「見る」ことによる呪的な力により、吉野の素晴らしい自然を賛美し、そこに築かれた離宮と天皇の御代が末永く続くことを願う内容です。それは人麻呂個人の心情というよりも、この行幸に参加した人びとの思いの代弁であったと思われます。
吉野の山や川が取り立てて詠まれるのは、儒教の「山水仁知」の思想によるものと考えられています。山水の地を遊覧することは、儒教的な徳を身に付けることであるという思想です。さらに吉野は、老荘思想により神仙境に見立てられた場所でもありました。持統天皇の度重なる吉野行幸の理由についてはさまざまな説がありますが、神仙境である吉野を訪れることで、神仙の不老長寿の力を得ようとしたのではないかとも考えられています。
万葉集ゆかりの地~吉野の地~
吉野と言えば吉野山の桜を思い浮かべる方がほとんだと思いますが、吉野山は春の桜も良いのですが、秋の吉野山もモミジや桜の紅葉がとてもキレイでいいですよ。春とは一味違った趣があります。
秋になると山々は紅く染まり、社寺仏閣巡りをしながらハイキングも楽しむことができます。秋になると空気感が変わり、爽やかな風が頬をつたってきます。
秋は春の淡い桜色とは対照的に燃えるような赤、黄、橙色に染まる秋の吉野山は、紅葉のシーズンになれば山全体が覆われ、とても見事な光景となります。ロープウェイからの眺めも絶景で、夜はライトアップされており、これもまた神秘的で楽しむことができます。
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