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奈良の昔はなし(龍泉寺の龍の口)

2019-12-13 15:31:15 | 地域と文化

奈良の昔はなし~龍泉寺の龍の口~

 修験道の聖地でもある大峰山の入り口にある村が、吉野郡天川村です。その天川村に龍泉寺というお寺があります。そのお寺の境内に龍の口といわれる泉があります。その泉に伝わるお話しです。

昔、龍泉寺で修行しながら寺で働く男が、村はずれの小屋に一人で住んでいました。ある日、小屋に帰ると、若い女が立っており、「ひと晩泊めてください」と言いました。親切な男は、女に粥(かゆ)を食べさせて、ゆっくりと休ませました。

次に日、女は男より早く起きて、朝飯の支度をしていました。次の日も、その次の日も。やがて二人は夫婦になり、かわいい男の子も生まれました。

男がいつもより早く帰った時、女は困った様子で「コ度にお乳を飲ませたり、添い寝をする姿を見られるのが恥ずかしいので、帰ったよ、と声をかけてください」と男に頼みました。

ところが、ある日、男が黙って小屋に入ったのです。すると、何と、大きな白い蛇が赤ちゃんに添い寝しているではありませんか。「実は、私は龍泉寺の龍の口に住む蛇です。私の正体を見られたからには、もう夫婦ではいられません。お寺の泉に帰ります。子供が泣いたら、これをなめさせてくださいね」と自分の目玉をくりぬき、小屋を出て行ったのです。

子供はその目玉をなめてすくすくと育ちましたが、とうとうなめ尽くし、またお腹をすかせて泣いてしまいました。すると龍泉寺の龍の口から白い蛇が現れ、もう片方の目玉を子供に与えたのです。「私は、両名ともなくなりました。どうか、朝と夕にお寺の鐘を鳴らしてください。その音を聞いて、二人のことを思い出します」といい、泉の中に消えました。男は、その後、朝夕、龍泉寺の鐘を鳴らし続けたそうです。

 

この話を聞いて、「あれっ」と気付かれた方もあると思いますが、このお話し、どことなく、琵琶湖の南にある有名な三井寺に伝わる「三井(みい)の晩鐘(ばんしょう)」の話しと似ています。

琵琶湖の龍神の化身である女が、わが子に目玉を与えて盲目となり、琵琶湖に消える時、「鐘の音で無事を知らせてください」と、男に頼むお話しです。

天川村の龍泉寺の鐘も、湖南の三井寺の鐘も、子供を思う母の心を、今も哀しく響かせ続けているのです。

~昔はなしゆかりの寺「龍泉寺」~

 大峰山の登山口洞川(どろがわ)にある大峰山龍泉寺は、真言宗修験(当山派)総本山醍醐寺の大本山であり、大峰山寺の護持院でもあります。白鳳年間(645年~710年)役行者が大峰山を開山し、修行していた頃、山麓の洞川に下りられ、岩場の中からこうこうと水が湧き出る泉を発見しました。役行者がその泉のほとりに八大龍王尊をお祀りし、行をしたのが龍泉寺の始まりであると伝えられています。この泉を「龍の口」と言い、この地を龍神様の住まわれる泉ということから、龍泉寺と目付けられました。

その後、修験道中興の祖、聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)によって再興修行され、修験道の根本道場として修行者を迎える霊場となりました。龍の口より湧き出る清水によって満たされた池は、水行場としても名高く、修行者の心身を清める第一の行場となっています。

昭和21年(1946年)洞川の大火によって、境内の建物のほとんどを焼失しましたが、昭和35年(1690年)、立派に伽藍の復興がなさtれ、同年、女人解禁されると共に滝行場である龍王の滝も整備されたのです。また、境内の背に控える山は県指定の天然記念物となっており、広大な原生林が四季折々の美しい風景を楽しませてえます。

 

         

 

                      

  


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