Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

”He takes no steps to avert the worst that can happen to him – more, he provokes it”

2016年01月30日 20時42分30秒 | Weblog
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suzuky
@suzuky

”この人は命を削るように仕事をしている。相手を怒らせることを承知で、相手にとって最も嫌なことを質問している。” 「NHK国谷裕子キャスター降板」に思う http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/213874/012600016/?n_cid=nbpnbo_twbn … #日経ビジネスオンライン




残り20秒の攻防
この人は命を削るように仕事をしている。相手を怒らせることを承知で、相手にとって最も嫌なことを質問している。


 私も(本当に比較して申し訳ないが)、生放送で言い足りずに誤解を与え、いやーな雰囲気で共演者を怒らせてしまい、CM中ずっと罵声を浴びせられ続けたことなどが過去に何度かあるし、それが原因で仕事を失ったこともある。だからといって、皆がびくびくしながら慎重な発言を重ねるだけでは、非常につまらない番組になる。敢えて攻めに徹するか、媚びや温和に走るか、といったことは、そのタレントの仕事の仕方、生き方にかかわる問題として常に自問自答される。

 国谷キャスターは明らかに前者。そうして相手を怒らせるほど踏み入れば、“全面対決”や“自爆”の危険と紙一重のトークになる。それをさせてくれるかどうかはスタッフと局の腹のくくり方にかかる。今回はこの牙城が崩れた、と、私は見る。


・・・
「一歩も引かずに敢えて攻める女」の凛々しさをリアルに目撃した勝ち気な女子たちは、「これはこれで、かっこいい」と、きっと思っている。

 国会を見れば蓮舫氏がいる。「第二の国谷氏」はきっと出てくる。叩いても切っても、それを止めることはできない





そこまで読み込めるかどうか、わからないが、フェミの立場からそこまで読み込むなら、それはそれでいいんじゃないかな。

ただ、その生き様のモデルは女性にとって女性であったほうがいいかもしれないが、女性でなくてもいいのではなかろうか?

女性の生き様について、男性がその生き様に感動し、真似たくなる時もあるものだ。
逆に女性が男性の生き様死に様に感動し、それを真似たくなってもよく、ロールモデルは別に女性である必要もなかろう。

ちなみに、
”この人は命を削るように仕事をしている。相手を怒らせることを承知で、相手にとって最も嫌なことを質問している。

を読んでふとニーチェのイエスを思い出した。

This “bringer of glad tidings” died as he lived, as he taught – not to “redeem mankind” but to demonstrate how one ought to live. What he bequeathed to mankind is his practice: his bearing before the judges, before the guards, before the accusers and every kind of calumny and mockery – his bearing on the Cross. He does not defend his rights, he takes no steps to avert the worst that can happen to him – more, he provokes it… And he entreats, he suffers, he loves with those, in those who are doing evil to him. His words to the thief on the cross next to him contain the whole Evangel. ‘That was verily a divine man, a child of God’ – says the thief. ‘If thou feelest this’ — answers the redeemer — ‘thou art in Paradise, thou art a child of God.’ Not to defend oneself, not to grow angry, not to make responsible… But not to resist even the evil man to love him (A 35).


超訳風に訳すと


イエスは、自分の教え、自分の生き様の通り死んだのであって、人間を救うためではなく、いかに生きるべきかを身を持って示すためであった。

彼が人類に残したものは、裁判官、番人 告訴人などすべての人から受ける誹謗や侮辱、そして、十字架での彼の態度など、彼の実践である。

自己弁護もせず、最悪の事態に対して身構えもせず、むしろ最悪の事態が起きるように挑発さえしている。

彼は祈り、苦しみ、そして、彼に悪をくわえるものたちの中にいて、彼らともに、愛するのである。

隣の十字架の強盗に対する言葉が福音のすべてをあらわにしている。 イエスに対して、「まことに尊い人、神の子だ」という強盗に対して、そのように思うなら、あなたは天国にいる、神の子である、と。

身を捨てて、怒りもせず、非難もせず、ひどいことをする者達にさえも抵抗もせずにやさしく受け入れたのであった。



人生は苦しみであり、その自分が受ける苦しみを祝福、快楽にまで転換してしまう麻薬的ナラティブと言ってしまえばそれまでだが、この

He does not defend his rights, he takes no steps to avert the worst that can happen to him – more, he provokes it…

自己弁護しない、最悪の事態を回避しようともしないで、むしろ挑発している


というのは、若いころ、かっちょええな、と感心した覚えがある。

あくまでも、若い時の話であるが、それにしても、ロールモデルとして、日本人である必要はなかった。






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