019年6月4日(火)
天皇の制度と日本共産党の立場
志位 そのとおりです。戦前の日本社会では、反戦平和をつらぬくためにも、国民主権、民主主義と人権をかちとるためにも、絶対的な権力をもつ天皇制を倒すことは避けてとおることはできませんでした。私たちの先輩が、どんな弾圧や迫害を受けようとも、「天皇制打倒」という旗印を高く掲げて不屈にがんばりぬいたことは、わが党にとっての誇りであり、日本国民の歴史にとっても大きな意義あるたたかいでした。
しかし、戦後は、すでにお話ししたように、天皇の制度の性格と役割が憲法によって根本的に変わりました。この制度をなくさないと、私たちが掲げる民主的な改革――日米安保条約の廃棄や「ルールある経済社会」をつくるといった改革ができないということはありません。憲法の規定を守るかぎり、この制度の存在は、社会進歩の事業とのかかわりでも、戦前のような障害にはなりえないのです。
この点からも、天皇の制度の廃止を、民主主義革命の課題から削除したことは、合理的な改定だったと考えるものです。
前の綱領の規定には歴史的背景もあった
志位 なお、前の綱領が「ブルジョア君主制の一種」、「君主制の廃止」とのべていたことの問題点をお話ししましたが、ここには当時の歴史的背景もあったと思います。
小木曽 昭和天皇(裕仁天皇)が天皇の地位にあったということですね。
志位 そうです。アジア諸国民と日本国民に甚大な犠牲者を出した侵略戦争に対して最大の責任を負う昭和天皇が、その責任をとることもなく、新しい憲法のもとでも天皇の地位にとどまった。
しかも、昭和天皇は、新しい憲法のもとでも「元首」としての自己意識を持ち続け、憲法の制限条項を無視して、さまざまな国政への関与を行ってきました。1947年9月、米側に独自のルートを使って「沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望」すると伝えたこと、1951年10月、国会の開会式で、サンフランシスコ平和条約への肯定的な態度を表明するとともに米国政府への感謝をのべたこと、1975年10月、日本記者クラブで、広島への原爆投下について「やむを得ないことと思う」と容認する発言を行ったことなど、憲法を無視した多くの言動が公式に記録されています。当時のわが党の天皇の制度に対する評価と対応には、こうした歴史的背景もあったことをのべておきたいと思います。
「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。
党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」
小木曽 この文章だけは、「立場」の表明にとどめているということですね。
志位 そうです。あくまで日本共産党としての「立場」の表明にとどめているということです。つまり日本共産党としては、こういう「立場に立つ」が、それを改革の課題にすえ、その実現をめざして国民多数の合意をつくるために運動を起こしたりはしないということです。
なぜそういう慎重な表現にしたかといえば、「民主共和制の政治体制の実現」のためには憲法改正が必要だからです。かりにこの問題で国民多数の合意をつくる運動を起こすということになれば、憲法改正の運動を起こすことになりますが、わが党は、すでにのべた政治的権能をいっさいもたない現制度の性格にてらして、そのような運動を起こすことが、国政の民主的改革にとって必要不可欠だとも適切だとも考えていません。
これは屁理屈。
将来国民が、民主主義、平等主義に反するとして天皇制を廃止するように憲法改正する、といったら同意するといった程度で、それなら、堂々、憲法改正を訴えるべき。
つまり、現行憲法での天皇制は、、民主主義、平等原則と両立する、または、民主主義とは両立するが、平等主義の例外として認めるべき、または、民主主義、平等主義の例外として認めるべき、または、民主主義、平等主義に反するから、憲法改正して廃止すべき、くらいしか選択肢はない。