芝界隈を掘り下げてきたが、ブラタモリに出なかったところと言う意味も含めて、神社としては芝大神宮を取り上げてみようと思う。江戸以来の芝居やらという興味から言えば、大神宮というよりは芝神明といった方がしっくりくる。場所は増上寺大門へと向かう道筋を右手に入ったところ。
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創建は1005年と言うから、かなり古い神社である。東海道に近く、旅人の参詣も多かったという。そして、芝神明の名を知らしめたのが「め組の喧嘩」と言っても良いだろう。江戸時代の文化2年(1805年)火消しのめ組と相撲取りが境内で開催していた相撲の興行を発端にして、諍いとなり、大きな喧嘩へと発展した。その経緯が講談や芝居になったことで、後々まで語り継がれる様なことになったわけである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/a9/d708028df2df839f4153500b3b261219.jpg)
狛犬には、め組と入っている。
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この神社は度々火災に遭っている。関東大震災で焼失し再建されたのだが、昭和20年5月の空襲で焼失している。平成17年に鎮座1000年を祝う大祭が行われ、現在の姿になった。清潔で近代的だが、少々風情には欠ける。
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境内には力石もある。力持ちと言えば相撲取りだし、狛犬のめ組と併せてみると興味深い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/19/e8d550edd5abf6d84482e2684909795d.jpg)
境内から参道を見渡す。どんな風に相撲の興行があって、派手な喧嘩になったのだろうかと思いながら眺めてみるのも一興。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ec/96ab4ac4033b1d851f39e7a7602713b2.jpg)
この階段の下を折れてみると、神社の家作とおぼしき家が並ぶ。戦災で焼失している位だから、戦後の建物の筈だが、今となっては都心部でこういった木造家屋は貴重。
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なかなか良い感じの佇まい。この家は現役の様子。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/fb/882bb0b15200fef6ab4401a1ab1a08e0.jpg)
この玄関も懐かしいような雰囲気。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/71/99587daf6d2813218debf52e1ea1d101.jpg)
痛みが進んでいるのが気になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/6e/dd5d3282be32e521b52beaa85e56af48.jpg)
かつては門前の参詣者向けの商売をしていたのだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/80/463f965291b2125be2d62f01a3e2b364.jpg)
道を挟んで一帯に古びた家が並んでいる。そして、その多くが空き家になっているようだ。再開発が近いのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/8a/3efb9f6e54176245a18c92b614fb178b.jpg)
ちなみに、め組の喧嘩の当事者であるめ組の辰五郎は百叩きの上で江戸払いとなったそうだが、その墓は泉岳寺近くの高輪二丁目の正覚寺という寺にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ec/af735f4345c69d226727fab69ba4a67d.jpg)
私は、この寺に木村荘平一族の墓所があるので訪ねたことがある。門の脇にめ組の辰五郎墓所を知らせる石柱が立てられている。
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創建は1005年と言うから、かなり古い神社である。東海道に近く、旅人の参詣も多かったという。そして、芝神明の名を知らしめたのが「め組の喧嘩」と言っても良いだろう。江戸時代の文化2年(1805年)火消しのめ組と相撲取りが境内で開催していた相撲の興行を発端にして、諍いとなり、大きな喧嘩へと発展した。その経緯が講談や芝居になったことで、後々まで語り継がれる様なことになったわけである。
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狛犬には、め組と入っている。
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この神社は度々火災に遭っている。関東大震災で焼失し再建されたのだが、昭和20年5月の空襲で焼失している。平成17年に鎮座1000年を祝う大祭が行われ、現在の姿になった。清潔で近代的だが、少々風情には欠ける。
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境内には力石もある。力持ちと言えば相撲取りだし、狛犬のめ組と併せてみると興味深い。
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境内から参道を見渡す。どんな風に相撲の興行があって、派手な喧嘩になったのだろうかと思いながら眺めてみるのも一興。
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この階段の下を折れてみると、神社の家作とおぼしき家が並ぶ。戦災で焼失している位だから、戦後の建物の筈だが、今となっては都心部でこういった木造家屋は貴重。
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なかなか良い感じの佇まい。この家は現役の様子。
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この玄関も懐かしいような雰囲気。
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痛みが進んでいるのが気になる。
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かつては門前の参詣者向けの商売をしていたのだろうか。
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道を挟んで一帯に古びた家が並んでいる。そして、その多くが空き家になっているようだ。再開発が近いのだろうか?
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ちなみに、め組の喧嘩の当事者であるめ組の辰五郎は百叩きの上で江戸払いとなったそうだが、その墓は泉岳寺近くの高輪二丁目の正覚寺という寺にある。
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私は、この寺に木村荘平一族の墓所があるので訪ねたことがある。門の脇にめ組の辰五郎墓所を知らせる石柱が立てられている。
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