さて、碑文谷道の終点、円融寺である。創建以来1150年という歴史を持つ古刹で、法華寺として栄えた歴史を持つことは前回紹介した。境内には見所が多いので、続けて見ていこう。
鐘楼そのものは、平成元年に作られたもの。他の建築に合わせた銅葺きの屋根が特徴的だ。鐘は寛永20年(1643)に鋳造されたもので、昭和18年(1943)に国の重要美術品に指定されているという。

そして、この円融寺のハイライトは、この釈迦堂である。室町時代初期の建立といわれ、都区内では最古の建築物であるという。14世紀のものということは、600年程度は経過していると言う事になる。それが現存しているというのが凄い。

屋根は元々は萱葺きであったそうだが、昭和27年に大改修が行われ、銅葺きに改められたそうだ。華美というわけではなく、シンプルだが、力強いものを感じる。日蓮宗の法華寺として栄えた時代に建立されたものである。

都区内最古の木造建築と聞くと納得するのだが、ではこの建物に次ぐ建物は何だろうかというと、さっぱり浮かんでこない。それにしても、目黒という土地が、品川という宿場町と結び付き、農産物や使役の供給地であったというのも事実なのだが、そうなる以前から信仰をベースにした土地であったというのも興味深い。ここから池上本門寺もそれ程遠いわけではないし、日蓮宗のこのあたりでの広がりと言う事も併せて見ていくと理解しやすくなるのかもしれない。

後ろ側から見たところ。非常に端正な造りであり、東京でこれほどの歴史を持つ木造建築は数少ないことを思うと、是非見ておくべきものだと思う。大晦日には、境内でプロジェクションマッピングなども行われるという。

境内には大銀杏もあるのだが、みな寺の創建後に植えられたものかと思うと、この寺の歴史の長さを改めて感じさせられる。

日蓮宗の法華寺が幕命により廃寺とされた後、この寺を日蓮宗の寺とした日源上人の供養塔は荒廃していたという。その後の文化11年に再興されたというのは、そういった事情による。
「日源上人五重石塔 区指定文化財(昭和55年4月15日指定)
総高は約4.4メートル。碑文によると、日源上人の追善供養のため寛永13(1636)年に建立され、その後、文化11(1814)年に再興されている。この石塔は、軸石と笠井氏が別々の石で構成され、しかも軸石が高く、そのため雄大な五重塔となっている珍しい例である。各軸石には、上から「妙」「法」「蓮」「華」「経」と刻まれ、最下層の軸石には由来や造立者などが刻まれている。
平成14年12月 目黒区教育委員会」

阿弥陀堂は、現在の本堂。昭和50年の建立。

東門に近い、本堂の裏手には真公稲荷が祀られている。
「真公稲荷縁起
真公稲荷ノ縁起ヲタヅヌルニ往古ヨリ圓融寺山内ニ住ム白狐聞法ノ効力ニ依リ稲荷トシテ祭ラレシモ時移リ堂宇ノ滅失スルヤ偶々門前𦾔家椎橋弥七氏弟宮野留吉ナル者ニ依憑スタメニ大熱病半歳ニ及ビ遂ニ自ラ住職純禎和尚ヲ招キ真公稲荷ナル事ヲ告ク依ツテ住職門前有志ト計リ小宇ヲ建立シ之ヲ祭ル宮野留吉氏ハ明治四十三年一月二十四日歿ス以来毎歳春稲荷祭を催シ五穀豊穣ヲ祈ル
昭和二十三年五月午日 碑文谷一丁目 有志一同」
鐘楼そのものは、平成元年に作られたもの。他の建築に合わせた銅葺きの屋根が特徴的だ。鐘は寛永20年(1643)に鋳造されたもので、昭和18年(1943)に国の重要美術品に指定されているという。

そして、この円融寺のハイライトは、この釈迦堂である。室町時代初期の建立といわれ、都区内では最古の建築物であるという。14世紀のものということは、600年程度は経過していると言う事になる。それが現存しているというのが凄い。

屋根は元々は萱葺きであったそうだが、昭和27年に大改修が行われ、銅葺きに改められたそうだ。華美というわけではなく、シンプルだが、力強いものを感じる。日蓮宗の法華寺として栄えた時代に建立されたものである。

都区内最古の木造建築と聞くと納得するのだが、ではこの建物に次ぐ建物は何だろうかというと、さっぱり浮かんでこない。それにしても、目黒という土地が、品川という宿場町と結び付き、農産物や使役の供給地であったというのも事実なのだが、そうなる以前から信仰をベースにした土地であったというのも興味深い。ここから池上本門寺もそれ程遠いわけではないし、日蓮宗のこのあたりでの広がりと言う事も併せて見ていくと理解しやすくなるのかもしれない。

後ろ側から見たところ。非常に端正な造りであり、東京でこれほどの歴史を持つ木造建築は数少ないことを思うと、是非見ておくべきものだと思う。大晦日には、境内でプロジェクションマッピングなども行われるという。

境内には大銀杏もあるのだが、みな寺の創建後に植えられたものかと思うと、この寺の歴史の長さを改めて感じさせられる。

日蓮宗の法華寺が幕命により廃寺とされた後、この寺を日蓮宗の寺とした日源上人の供養塔は荒廃していたという。その後の文化11年に再興されたというのは、そういった事情による。
「日源上人五重石塔 区指定文化財(昭和55年4月15日指定)
総高は約4.4メートル。碑文によると、日源上人の追善供養のため寛永13(1636)年に建立され、その後、文化11(1814)年に再興されている。この石塔は、軸石と笠井氏が別々の石で構成され、しかも軸石が高く、そのため雄大な五重塔となっている珍しい例である。各軸石には、上から「妙」「法」「蓮」「華」「経」と刻まれ、最下層の軸石には由来や造立者などが刻まれている。
平成14年12月 目黒区教育委員会」

阿弥陀堂は、現在の本堂。昭和50年の建立。

東門に近い、本堂の裏手には真公稲荷が祀られている。
「真公稲荷縁起
真公稲荷ノ縁起ヲタヅヌルニ往古ヨリ圓融寺山内ニ住ム白狐聞法ノ効力ニ依リ稲荷トシテ祭ラレシモ時移リ堂宇ノ滅失スルヤ偶々門前𦾔家椎橋弥七氏弟宮野留吉ナル者ニ依憑スタメニ大熱病半歳ニ及ビ遂ニ自ラ住職純禎和尚ヲ招キ真公稲荷ナル事ヲ告ク依ツテ住職門前有志ト計リ小宇ヲ建立シ之ヲ祭ル宮野留吉氏ハ明治四十三年一月二十四日歿ス以来毎歳春稲荷祭を催シ五穀豊穣ヲ祈ル
昭和二十三年五月午日 碑文谷一丁目 有志一同」

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