足立区千住緑町は、一丁目から三丁目までの町域を持っている。墨堤通りの外側で、隅田川が千住大橋に向けて大きく蛇行している、そのカーブの内側のエリアにある町である。この辺りは戦災の被害が大きかったところで、奥まで足を踏み入れなかったのだが、この町の成り立ちなどを知ると、いずれ改めて訪ねてみたくなった。撮影は2014年3月に行った。
「足立の今昔」(足立区役所編昭和54年刊)に詳しく書かれているので、引 . . . 本文を読む
足立区千住宮元町の続き。旧堤防跡、そして中居堀の跡でもあり、大師道と呼ばれていたという道沿いを歩いてみる。千住神社のとなり。趣のある木造モルタル仕上げの二階家。千住宮元町25。
窓が出窓になっていて、その下側の処理など、左官職人の拘りを感じさせる。千住宮元町25。
その向かい側、段差になっていて、家一、二軒分の幅で向こう側も道路になっている。材木屋さん。かつては町中のあちらこちらで見掛けた . . . 本文を読む
足立区千住宮元町の続き。さて、前に取り上げた千住中居町のについて、その町名の由来は何だったのだろうと書いたのだが、「千住の民俗」という足立区郷土博物館発行のブックレットを見たところ、解説が出ていたので、個々に報告しておこう。千住龍田町と千住中居町は、それぞれ龍田堀と中居堀という水路がかつて存在していたことから、その名が付けられたという。龍田堀は千住桜木町の時に水路の跡があったことを思い出した。中居 . . . 本文を読む
足立区千住宮元町。千住宮元町は、千住中居町の南西に位置していて、墨堤通りとかつての堤防跡の道、そして国道4号線に囲まれた町である。戦災の被害は大きかったところで、町域はほぼ空襲で焼失している。この町名は、千住神社が町内にあることからの命名である。
墨堤通り沿い、戦後に建てられたものと思うが、木造モルタル仕上げの看板建築。千住宮元町1。
これも戦後築という感じの、今は仕舞た屋になっているのか、木 . . . 本文を読む
足立区千住中居町の続き。この界隈、戦災の被害もあったところで、どちらかといえば南よりのエリアが焼失している。北千住駅入口交差点から東西のラインでみると、国道4号線の西側はその辺りから南側が焼失している。この東西に伸びる道沿いは微妙なラインだけど、歩いてみると古そうな建物が点在しているところが面白いと思う。
道路に面している側は完全にリフォームされているが、重厚な瓦屋根が目を惹く。株式会社小池啓一商 . . . 本文を読む
足立区千住中居町、この町は千住寿町と千住龍田町の南側に位置していて、やはり国道4号線の西側というエリア。国道4号線の北千住駅入口交差点の所から旧遊郭へ向かう道が町界になっている。そして大正記念通りとかつての堤防の跡に囲まれた菱形の町である。町名は宿場町の中居さんの暮らす町であったとかあるのだろうか?由来は改めて調べてみようかと思う。撮影は2014年3月。
旧堤防の跡は段差になって今も残されている。 . . . 本文を読む
足立区千住龍田町の続き。さて、この千住龍田町、町の西側は墨堤通りに接している。この墨堤通りは文字通りに、かつての堤防であったもの。その上部を平に慣らして道路に造りかえたものである。だから、千住の宿場町の耕地として広がっていたこの辺り一帯のエリアというのも、墨堤通りまではエリア内といった所だったのだろうと思う。その外側は氾濫原であったわけで、居住や耕作が安定して行える場所ではなかったのだろう。その墨 . . . 本文を読む
足立区千住龍田町。千住龍田町は、千住元町と千住柳町の南側に位置しており、墨堤通りと大正記念通りの間の三角形の町である。旧千住遊郭の南側に接していて、そのアプローチに当たるところでもあり、その辺りでは東側に千住寿町と接している。北千住駅から東に延びる道が町内を横切っており、路線バスも数多く走っている。その東西の道が一番商店は多い様だ。撮影は2014年3月。
平屋の木造店舗をきれいに改装して営業してる . . . 本文を読む
足立区千住寿町、要するに北千住の国道四号線沿い、その大通りの東側に一軒だけ背の高いマンションの狭間に残っていた旧福田園茶舗。既に閉店して久しい様で、貸店舗の貼り紙も色褪せているのだが、取り壊しになる。たまたま、昨日の3月22日に前を通り掛かったところ、解体工事の告知の貼り紙がされており、改めて今日も昼前に撮り直しに行ってみた。解体工事は、3月24日から始まり、4月30日までの予定。
千住寿町6-1 . . . 本文を読む