私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

旦那への想い

2005-11-12 09:02:30 | 旦那への気持ち
私の旦那への愛する想いは、心の中に無いような気がする。
いつから、それは消えてしまったんだろう。
最初の亀裂が起こったとき、私は失望した。
だけど、その後に抱かれ、満たされたような気持ちになった。
旦那がしたことが頭からは消えないものの許してしまったのだ。

そして、私は、また流産をした。
産んでやれなかった子どもを、どうしてもこの手で抱いてやりたいと思った。
最初の流産の時、まだ3歳だった次女が
「私のせいで、赤ちゃん死んだの?」そうたずねた。
安静にしていたほうがいいと言われていたけれど、抱っこをせがむ次女に抱っこをしていた。
そのせいだと次女は、心を痛めてしまったのだ。
「違うよ。弱い赤ちゃんだったのよ。だから神様のところへ戻ったのよ」
私は、伝えた。
2度目の妊娠は、子どもには伝えないまま、終わってしまった。

その後、次々と仕事が決まった。
2箇所、派遣会社に登録し、2箇所からすぐに仕事が来た。
1箇所からは、毎日の仕事と木金の病院での仕事、もう1箇所からは、中学校へのパソコン授業の補助の仕事だった。
ボランティアを続けたいと思い、木金の仕事と、中学校での仕事を選んだ。
そして趣味で作っていたものを置いていた雑貨屋から、水曜日の店番を頼まれた。

中学校で、久しぶりに教壇に立った。あがり症で、人前に立つと喋れなくなっていた私だったが、公務員を辞める前に、人前で話す仕事とをさせられていたせいか、あがることも無かった。
知識の無いソフトも取り扱ったが、授業前、授業後の勉強で、何とか教えることも出来た。
自分が作ったものを友達に見せると、注文がたくさん来るようになった。

そして、また妊娠した。(最初の決意参照)
つわりで苦しんでも助けてくれる人はいなかった。
近くに妹が住んでいたが、妹の生活を考えると頼めなかった。
そんな時、頼るのは旦那しかいなかった。
でも助けてはくれなかった。

別れたい。本当にそう思った。
旦那を愛するべき理由が見つからなくなった。
問題行動をされ、私は、旦那が私の愛すべき男になるよう要求していた。
だが、それさえも拒絶されてしまった気がした。
でも別れられなかった。母親や妹からの私の我儘だという言葉に、動けなくなってしまった。
そして、私も一人ではいられなかったのかもしれない。

長男の誕生でも、私のことを守ってくれない旦那のことをを拒絶しながら、愛されることを求めていた。
愛されてると感じたかった。愛すべき理由を探していた。
でも、長女の入学準備があっても旦那は協力することはなかった。
食中毒になっても、助けてくれなかった。(単身赴任=別居参照)
私は、その頃から、旦那の為に動くことはしなくなった。
食事の支度も、わざわざ旦那のためだけにはしなかった。
朝早く、家を出て単身赴任先へ帰る時も、私は、朝起きて見送ることは無くなった。
愛してはくれない旦那に対して、自分から拒絶してしまったのかもしれない。
単身赴任=家庭内別居の始まりだった。

幸いにも、出産後も、友達からの依頼があり、それをきっかけに知り合った友達の縁で、出版社からの仕事も貰える様になった。
出産後の生活費の心配をしていたが、そのおかげで心配は取り越し苦労で終わった。
長男が、6ヶ月になった時、木金の病院の仕事がもう一度やってきた。
そして、講師としての仕事の依頼もやってきた。

必要とされることが嬉しかった。こんな私なのに必要にしてくれる人がいることが嬉しかった。
仕事は、次々とやってきた。
女性週刊誌にも取り上げられ、地元のテレビにも出演した。
様々な雑誌の仕事もきたし、デパートの展示や催事にも声が掛かるようになった。
たくさんのメールや、催事でコメントをいただいた。

少しずつ、必要とされていることで自信が生まれた。
それと同時に、いつ落ちてしまうんだろうという不安も生まれた。
不安を打ち消すために必死だった。
求められなくなる前に、自分から雑誌の仕事を断り始めた。
別居をきっかけに、私はまた、この仕事を引き受けることになったが....

結婚が決まって、私は、自分の為に時間を費やすことはやめた。
習い事もすべて止め、友達の誘いも断り、家で過ごした。
だが、仕事のための勉強を理由に、習い事を始めた。
展示会の仕事や買い付けで県外にも出かけた。
仕事のためとはいいながら、家族と離れて過ごす事が増えていった。
とはいうものの、それはすべて、旦那と子どもの都合に合わせてスケジュールを組んでいたのだが........

人々に認められていく中で、旦那は私のことを認めようとはしなかった。
今考えれば、旦那は自分とおばあちゃんのこと以外認めようとしなかった。
自分から決して、誰かの悪口を言う人ではなかった。
そういう面で、私は、旦那のことを尊敬していた。
だが、私が他の人を褒めた時、必ず、その人をけなした。
けなす言葉が見つからないと
「その人と結婚すればよかったじゃないか」とめちゃくちゃなことを言った。
今思えば、子どもがやきもちを焼くのと変わらないのではないかと思う。
自分のほうが優れているよって必死に訴えたかったのではないか?
私が旦那に認められたいと思うとともに、旦那も私に認められたい気持ちだったのではないか?

旦那は、共感するということが無かった。
私が、悩みを相談しても、嫌なことがあってそれを話しても、「お前が悪いからそういう目に合うのだ」と言った。
子育ての大変さを訴えれば、「お前は子どもが嫌いだからそんなことを言うんだ」
非難をすることはあっても、決して歩み寄る姿勢など見せることは無かった。
テレビの感動シーンで、涙を流す私を笑った。
「作り物なのに、よく泣けるね。」
それがドキュメンタリーであっても、「やらせだ」と言った。
テレビのお笑い番組で馬鹿にし合う芸人を見て喜んだ。

私の仕事に対しても理解することは無かった。
仕事が忙しいと言えば、
「そこまでして欲しいとは言っていない。何故、自分の出来る範囲内でしないのか?」と言い、
「たまには友達と夜出かけたい」と言えば、
「昼間に、時間はたっぷりあるだろう」と言った。
ことあるごとに
「わしが食わしてやっている」ことを強調し、
私の収入を認めることは無かった。

世界中で、一番えらいのはいつも旦那だった。
そして、自分の心の内を話すことも無かった。
私は、仕事や保育園の役員をしているうちに、悩みを話す友達も、共感してくれる友達も得た。
旦那が認めてくれなくても、私を認めてくれるたくさんの人に出会った。
旦那を認めてくれる人はいたのだろうか?
そんな旦那のことを私も認めようとはしなかった。
旦那を唯一受け止めてくれていたのは、おばあちゃんだったのではないか?
仕事をする上で認めてもらえる、そんな意味で仕事にしがみついたのではないか?

そして旦那の暴力を受けた頃、私は、旦那のことはどうでも良くなっていた。
旦那に何かを求めることに対して、半分あきらめていた。
ただ、子ども達のお父さんであることはどうしても忘れて欲しくなかった。
あの頃、旦那は刑事に戻りたい一心だったのだと思う。
刑事という仕事に魅力があるのではなく、刑事にさせてもらう=評価してもらうことと理解していたのだろう。
その職に就けることを、自分の評価だと思っていたのではないか?
その苛立ちは、私に向かった。

旦那から、暴力を受けたのは初めてではなかった。結婚してからそんなに立つまもなく、それは繰り広げられた。
言葉での攻撃もすごかった。時にそれは、私を自殺する気持ちへと追い込んだ。
私の心はボロボロだった。傷つけられ、泣き続け、わめき続けた。
そこで優しい手が差し伸べられ、元の生活へ戻ったのではないか。
でも、この時は違った。
婦人相談センターの女性が言っていたように、窓の外へ助けを求め、110番をした。

それでも、私がもう一度やり直そうと思ったのは、父の言葉だった。
「自分の曲がったところが許せない性格が、ねこを苦しめたのかもしれない。ごめんね」
私は、そんな父の言葉が嬉しかった。
その言葉が、私の父への好きになれなかった気持ちを、溶かしていった。
私は、父のために、もう一度やり直してみたいと思った。

忘れ物の携帯で、事実を知ったとき、許せなくなった。
私は、泣くことも無く、淡々と旦那と話をした。旦那は、頭を下げた。
私には、もう旦那に対する愛情は持ち合わせていなかったと思う。
「やきもち焼いてる?」とにやっと笑って、抱きしめようとする旦那の手を交わした。
「ばかじゃない?」私は言った。
だけど、あんなに止めようとしなかったタバコさえも辞めるというので、もう一度だけ信じてみようと思った。

だけど、変わらない旦那の姿を見たとき(別居の始まり参照)
一緒に暮らす価値も無い。そう思ってしまった。
私の為に旦那がいる必要性を、私の心の中で見失った。
もはや、旦那の存在は、子どもの父親だけになってしまったのかもしれない。

それでも、メールに心を揺らした。
それは、旦那に対する愛情ではなく、私の恋愛依存のせいではないだろうか?
旦那に対する想いはもはや無いと思う。
もしかしたら旦那を愛した過去の自分を守るために、旦那を必要としているのではないかと思う。
旦那のすべてを否定することは、旦那を選んでしまった過去の私を否定することに繋がるのだから。

もしやり直すとすれば、愛することから始めることになるだろう。
恋愛することから始めることになるだろう。
私は、子どもの父親と言うだけで、旦那を愛し始めることが出来るのだろうか?
私は、過ちを繰り返さない。
旦那を大人とではなく、子どもとして扱うことで、これまでよりも上手く暮らすことは出来るだろう。
長男と接するように、接していけば旦那を怒らしてしまうことは無いだろう。
旦那の止まってしまった心の成長が、育っていくことを祈りつつ、私は子どもをもう一人授かったつもりで旦那と暮らせばいいのだろう。
そこから幸せが生まれてくるのだろうか?

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2 コメント

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Unknown (marca-mia)
2005-11-12 22:53:17
ねこさんは、ご主人が変わってくれないから愛せないのですか...?愛しているから変わってほしいのですか...?愛していないけど、変わってくれたら一緒に居られるという気持ちなのですか...?

お子さんたちのために、無理してご主人を愛する必要はないですよ。愛は能動的なものだと私は思います。愛したいから、愛するのではないでしょうか。または、愛さずにいられないから、愛するのでは...?

ねこさんの文章の中で「愛するべき理由」...と、「愛」に「...するべき」をつけている気持ちが私には分からなくて...詰問に感じたらごめんなさい。夫婦間の亀裂をはっきりと感じられるまでの間、ねこさんはご主人を「愛するべき」と思って愛していたのでしょうか...?何だかそんなのって、悲しいです。
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marca-miaさんへ (ねこ)
2005-11-13 01:04:01
こんばんは。

marca-miaさんのコメントに自分でも気が付かなかった自分の思いに気が付いてしまいました。

それについては、少し考えて、ブログにさせていただきたいと思います。



>詰問に感じたらごめんなさい。

そんな風には思っていないですよ~。

こういうやり取りの中で、見えなかった心が見えてくるというのは、とても不思議でありがたいです。
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