旦那からメールが届いた。
「源泉徴収がきました。必要ですか?あと、もうすぐ、長女と長男の入学ですが何か用意する書類がありますか?」
今年、長女は、中学校に入学する。
でも、長男は、年長に進級する。
一緒に生活していた頃、
「平成18年からは、毎年、誰かが入学だから、生活設計を考えないといけないね。」
私は、何度も、何度も提案した。
「そんなのその時になったら、なんとかなる・・・」
そうやって、相手にもされなかった。
私の中では、結構重要な問題だったけど、旦那にとっては、関係ないこと。
別居して、もうすぐ1年半。
長男の歳すら、わからなくなっているのだろうか?
どちらかというと私は心配性。
「もし・・・こうなったらどうするの?」
しょっちゅう旦那に言っていた。
「びっくりする。」
それが旦那の答えだった。
でも、最初は、それが頼もしくもあった。
何事にも動揺せずに、構えていられる人なんだと思った。
それが、私にとって安心感を与えた。
この人とだったら、いつも笑顔で過ごせるかも・・・そんな風に感じた。
でも、違っていた。
何にも考えていないだけだった。
こうしたら、どうなるか?
こんなこと言ったら、どんな気持ちになるのか?
本能のまま、気の向くまま・・・
こんなにも、罪の意識のない人間は見たことがないと思った。
こんなにも、誠意のない人間は見たことはないと思った。
何を言っても、通じない。
今までの人間関係の中では、出会ったことのないような人間だった。
会話にならない。
私の考えは、ことごとく否定される。
出来事を話せば、
「その話のおちは?」
「結論だけ言えば?」
ちょっと相談を持ちかければ、
「わしに何をして欲しいん?」
「お前が悪いから、そういう目に遇うんよ。」
私にとって夫婦で協力して子どもを育てる。
家庭を守る。
お互いが助け合う。
そんな風に思っていた。
旦那には、一番の相談相手になって欲しかった。
でも、違っていた。
「なんで、わしにそんな話をするん?
お前には、友達がおらんのんか?
まぁ、おらんでも当然よ。」
「そんなこと自分で解決せえや・・・」
たぶん旦那は、小さい時からそうやって、自分で自分の気持ちを処理していたのだろう。
なんでも、旦那に頼ってしまう私がおかしいと感じてしまったのだろう。
時間や約束に対して、厳しい私を、どうしてこんなにもうるさく言うのだろう。
細かいことばかりいいやがってと思っていたのだろう。
育った環境は、認識さえも変えてしまう。
私が、当たり前だと思っていたことは、旦那にとっては当たり前ではなく、おかしなことだったのだろう。
逆に、旦那にとって許されるべき行為を、私は許せない行為として、受け取っていたのだろう。
お正月明けに、旦那の実家から荷物が届いた。
かごの中に入った、女児用のおもちゃが二つ、男児用のおもちゃが一つ。
おもちゃのタンバリン、ふわふわのボール、女児用にはままごとセット、キャラクターの変身道具・・・男児用はミニカー・・・
それには、値札もついている。
長女は6年生、次女は4年生。
そんなものは必要ない。
でも、もらい物ではない、義母が買ったという証拠の値札。
旦那の実家から送られてきたものには、海外旅行のお土産にも、服にも、すべて値札がついたまま。
義母は、数年前まで、小学校の校長だった。
子どもに必要なおもちゃや、服のサイズもわからない。
その子どもである旦那が、そうであっても、もしかしたら仕方がなかったのかもしれない。
私にとっての常識は、旦那にとっての常識じゃなかった。
常識とは、ある意味、思い込みに過ぎないのだとふと思った。
同じものを見て、同じように認識できないのだと思った。
この認識の違いを私は受け入れられる日がくるのかな?
それとも、いつまでも近づくことを求めるのだろうか?
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「源泉徴収がきました。必要ですか?あと、もうすぐ、長女と長男の入学ですが何か用意する書類がありますか?」
今年、長女は、中学校に入学する。
でも、長男は、年長に進級する。
一緒に生活していた頃、
「平成18年からは、毎年、誰かが入学だから、生活設計を考えないといけないね。」
私は、何度も、何度も提案した。
「そんなのその時になったら、なんとかなる・・・」
そうやって、相手にもされなかった。
私の中では、結構重要な問題だったけど、旦那にとっては、関係ないこと。
別居して、もうすぐ1年半。
長男の歳すら、わからなくなっているのだろうか?
どちらかというと私は心配性。
「もし・・・こうなったらどうするの?」
しょっちゅう旦那に言っていた。
「びっくりする。」
それが旦那の答えだった。
でも、最初は、それが頼もしくもあった。
何事にも動揺せずに、構えていられる人なんだと思った。
それが、私にとって安心感を与えた。
この人とだったら、いつも笑顔で過ごせるかも・・・そんな風に感じた。
でも、違っていた。
何にも考えていないだけだった。
こうしたら、どうなるか?
こんなこと言ったら、どんな気持ちになるのか?
本能のまま、気の向くまま・・・
こんなにも、罪の意識のない人間は見たことがないと思った。
こんなにも、誠意のない人間は見たことはないと思った。
何を言っても、通じない。
今までの人間関係の中では、出会ったことのないような人間だった。
会話にならない。
私の考えは、ことごとく否定される。
出来事を話せば、
「その話のおちは?」
「結論だけ言えば?」
ちょっと相談を持ちかければ、
「わしに何をして欲しいん?」
「お前が悪いから、そういう目に遇うんよ。」
私にとって夫婦で協力して子どもを育てる。
家庭を守る。
お互いが助け合う。
そんな風に思っていた。
旦那には、一番の相談相手になって欲しかった。
でも、違っていた。
「なんで、わしにそんな話をするん?
お前には、友達がおらんのんか?
まぁ、おらんでも当然よ。」
「そんなこと自分で解決せえや・・・」
たぶん旦那は、小さい時からそうやって、自分で自分の気持ちを処理していたのだろう。
なんでも、旦那に頼ってしまう私がおかしいと感じてしまったのだろう。
時間や約束に対して、厳しい私を、どうしてこんなにもうるさく言うのだろう。
細かいことばかりいいやがってと思っていたのだろう。
育った環境は、認識さえも変えてしまう。
私が、当たり前だと思っていたことは、旦那にとっては当たり前ではなく、おかしなことだったのだろう。
逆に、旦那にとって許されるべき行為を、私は許せない行為として、受け取っていたのだろう。
お正月明けに、旦那の実家から荷物が届いた。
かごの中に入った、女児用のおもちゃが二つ、男児用のおもちゃが一つ。
おもちゃのタンバリン、ふわふわのボール、女児用にはままごとセット、キャラクターの変身道具・・・男児用はミニカー・・・
それには、値札もついている。
長女は6年生、次女は4年生。
そんなものは必要ない。
でも、もらい物ではない、義母が買ったという証拠の値札。
旦那の実家から送られてきたものには、海外旅行のお土産にも、服にも、すべて値札がついたまま。
義母は、数年前まで、小学校の校長だった。
子どもに必要なおもちゃや、服のサイズもわからない。
その子どもである旦那が、そうであっても、もしかしたら仕方がなかったのかもしれない。
私にとっての常識は、旦那にとっての常識じゃなかった。
常識とは、ある意味、思い込みに過ぎないのだとふと思った。
同じものを見て、同じように認識できないのだと思った。
この認識の違いを私は受け入れられる日がくるのかな?
それとも、いつまでも近づくことを求めるのだろうか?
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