変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

股関節症と共に歩んできた30年

2020-05-23 11:57:38 | 保存療法

昨日は、予定を前倒しして4つの用事を夫婦でこなしました。
やはり、ものすごく疲れたようで…
家に戻り遅い昼飯が3時になりました。

何度も、夫にお寿司屋さんへ ラーメン屋さんへ
行こうよ…と、夫が足首が痛いというので…運転をしながら
言いましたが、、危ない ダメ と言われ
この時間になってしまいました。


早く、安心して回転ずし.ラーメン屋.レストラン.行きたいです!!

そして、極めつけは、よほど疲れていたのでしょう、、
夕寝を18時~20時までぐっすりしてしまいました。
夫が大声で声をかけたので目が覚めたようです。
時計を見て、朝かと思いました。

今日は、二人でゆっくりしています。



『ABEメソッド』には、続きがあります。
そもそも、メガロスのトレーナー阿部先生は、水泳のフィンの選手だった
ことから、プール指導をメガロスの緑山(今は閉鎖してしまった)に
いらっしゃいました。そして、渡辺千賀子さん(股関節症.保存療法の草分け
的な方)が、聖マリアンナの整形外科の主治医からプール療法を勧められ
そこから、阿部先生と渡辺さんの二人三脚保存療法が始まりました。

私は、渡辺さんと面識がないのですが、9年前の悠遊会での資料を
(もう、ほとんど皆さんご存知なことだったり、広くネットでいろんな方々が
いろんなことをブログにしているので)
ここで公開させていただいても、皆さんのお役に立つことなので、
了承してくださると思い、記載させていただきました。
また、股関節症は人それぞれまったく ピンからキリです。
彦坂は、一次性の原因不明の股関節症ですし、一概にいっぱひとからげ、とは
いかないことは、何度も、このブログでお伝えしておりますので、
自分の考えをしっかり持つことが変形股関節症と向き合う第一歩だと思います。

また、日進月歩の医療ですから、と言っても、人間の身体は変わりませんので
えーっと思ったり、今はこうね、と思われると思いますが、
股関節の先輩がご苦労されてその思いのたけを記されたものなので
ご理解の上、読んでください。

9年前に71歳なので、今は80歳におなりだとおもいます。
手術をしないで乗り越えた…の本、私も読みました。
渡辺さんを尊敬しております。ありがとうございます。
良く書いてくださいました。彦坂惠子



       『股関節症と共に歩んだ30年』
                  渡辺 千賀子さん(71歳)

私は、「手術をしないで乗り越えた股関節症15年の記録ー連携医療の重要性」
1997年に上梓した渡辺千賀子です。その当時は、インフォームドコンセント.
セカンドオピニオン、連携医療.再生医療、そしてリハビリについてさえ殆ど
語られることがないような時代でしたが、あれから13年が経ち、医療システムも
医療も目覚ましい発展を遂げています。

実は、2009年10月、海老名総合病院の近藤宰司医師に、右人工股関節置き換え術
をしていただきました。私が、27年もの長きに亘り継続してきた保存療法に
見切りをつけ、何故手術を選択するに至ったかなど、その経緯や心境を
書かせていただきますが、あくまでも私見であり、今後のことは誰にとっても
未知なる世界との遭遇であるということを承知しておかなければならないと
思います。

■私は先天性股関節脱臼による二次性変形性股関節症
私は、先天性股関節脱臼で生まれたが、ギブス治療が功を奏して、日常生活は
大きな支障もなく過ごしてきた。ところが、40歳を過ぎてテニスを始めたことが
きっかけで、急激に股関節に異常を感じるようになり、診察の結果、
両側変形性股関節症であることが解った。変形性股関節症というのは進行性で
どんなに努力しても少しずつ悪化し、いずれは手術を余儀なくされる病気
であるということを知った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜続く〜〜〜〜〜〜〜〜


今日も寒いです。お体ご自愛ください💛
25日に、緊急事態解除の方向の様ですが、くれぐれも気をつけて💛


        『変形性股関節症に負けないでね!』

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« つる性植物の女王.クレマチス | トップ | 股関節症と共に歩んだ30年 ② »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

保存療法」カテゴリの最新記事