変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

股関節症と共に歩んだ30年 ②

2020-05-24 12:09:57 | 保存療法

やっと、天候も落ち着いてきました。
コロナも落ち着いて少しの間でもホットできそうですね。
嬉しいです!

といっても、今までと同じ不要不急.手洗い.うがい.人込みはなるべく行かない、
は同じことなので、コロナのことを忘れての日常生活は、ない、ということです
ものね。


昨日の続き 

      『股関節症と共に歩んできた30年』渡辺千賀子さん

■初診は聖マリアンナ医科大学の山崎誠医師
始めて診察をして頂いたのが、股関節専門医・保存療法推奨派の聖マリアンナ
医科大学助教授.山崎誠医師(後に教授、聖マリアンナ西部病院長)であった。
幸いなことに、それから27年間、山崎医師の指導の下保存療法に励むことが
できた。山崎医師は、常に患者の声に耳を傾け、診察中に身振り手振りで
リハビリの要領を示して下さった。
山崎医師の触診を受け、おしゃべりさせていただくだけで、帰りはとても晴れやかな
気分になり、「よし、頑張ってみよう」と思ったものでした。
ほんとに素晴らしいドクターとの出会いに心から感謝し、ご冥福(2008年没)を
お祈りします。

■運動療法を続けた結果
5.6個あった骨のう胞が小さくなり、関節裂隙がわずかに拡大、骨梁が
整い始め、骨棘の成長が見られ痛みも和らいできた。
自然治癒の可能性を確信した。


■何故この時点で手術に踏み切らなかったか
私の心は、痛みに耐えながら保存と手術の谷間を迷走していた。
その当時、60歳以前であれば自骨での手術が当然であり、入院期間も
3ヶ月~6ヶ月、温泉病院でのリハビリ入院を含めれば、1年以上の
ケースもあった。
手術をしても痛みや跛行が残ったり、数年で再手術が必要になったりで、
昔も今も手術は完治を期待するものではない。
そして、漸く人工股関節術が脚光を浴び始めた頃でもあった。
山崎医師は、「レントゲンはあくまでも補助的なもの。患者自身の感覚を
最も優先すべきであり、手術は保存療法を試みた後の最後の手段である」
という持論を持って、手術療法よりも保存療法にウェイトをおいて見守って
くださった。
その頃、触診もしないで、レントゲン即手術というケースもあったと聞く。
何よりも私自身が、自然治癒力を実感し始めていた。




~~~~~~~続く~~~~~~


明日には、緊急事態宣言が解除されそうです。
急に嬉しくなって私も含め 

羽目を外さないようにしたいですね💛
ご自愛ください💛





       『変形性股関節症に負けないでね!』


                   

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