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【日本庭園を知って楽しむ】 2-8 安土桃山時代の庭園 築山・自然石に草木を配する

2024-07-15 12:01:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記


  【日本庭園を知って楽しむ】 2-8 安土桃山時代の庭園 築山・自然石に草木を配する   


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■■2 日本庭園の歴史
 何ごとも、歴史や生い立ちを知りますと、そのものの本質のようなものが見えてくることが多いです。
 庭園も、変化の歴史を知ることにより、知識に幅が出ることもあり、奥深さを見出すことがあります。
 「面白みがない」という思いの方もいらっしゃると思いますが、上述のような理由で、私自身のために記述しておきます。

■ 2-8 安土桃山時代の庭園 築山・自然石に草木を配する
 15世紀の後半には、茶庭が発生します。京都や大阪・堺の町衆の間から「下々のたのしみ」として、茶の湯が流行してきました。茶を飲み茶器を鑑賞しあうことで、主客の融合をはかりました。千利休の晩年にいたって、草庵風の茶は完成されましたが、田園的・山間的情趣を表現の主題とし、茶室は農家の藁屋を、茶庭は山寺への道の趣を表そうとしたのです。植木は、山にある常緑樹を用い、剪定など、人の手の入ることは最もいましめられました。里にある木も植えず、人工を避け、できるだけ自然に、山の趣を出そうとしたのです。
 茶庭の骨組みをつくっているのは、飛び石と手水鉢(ちようずばち)です。のちには、石灯籠が夜の茶会の照明として据えられるようになります。茶庭に使われる手水鉢や灯籠は、新しくつくるよりは既存のものが好まれたのは、できるかぎり「自然」という考え方に基づいています。廃絶や改修で不要になった橋脚や墓石などが用いられました。長いあいだ風雨にさらされていると風化して苔が生え、そのわびた姿が好まれたのです。
 茶庭はまた露(路)地ともいわれ、茶室への「みち」を意味しています。露地は茶室への道のことで、飛び石をつたって歩くようにできています。あくまでも歩くための庭であって、見る要素は少なかったといえます。
 町衆の人々にはぐくまれた茶の湯が、利休の弟子の古田織部や小堀遠州のような武将の手に移るころには、かなり内容が変化してきます。
 露地は,広い大名屋敷内につくられた関係もあって広くなりました。大きな露地は途中に垣根を一つ二つつくって変化をつくり、見る要素が強くなってきました。平庭に近かった露地に、築山を設け、流れや池までもつくり、また石灯籠が重要な見どころとなってきたのです。

 安土桃山時代の日本庭園は、室町時代の庭園に比べて、より豪華で華麗な様相を呈していました。
 戦国武将や大名が庭園文化をリードし、城郭庭園が盛んに造られた時代です。その影響から石組みなどは、質実剛健さと華麗さを併せ持っています。
 多くの武将や大名が築城技術に通じていただけではなくは土木・建築・造園の知識を備えていました。また、それらに通じたブレーンを持つこともありました。
 安土桃山時代の庭園は、水を重視し、土地の起伏を生かす築山を築き、自然石としての庭石や草木を配し、四季折々に観賞できる景色を造型するのが一般的でした。
 池には、太鼓橋、飛び石、八ツ橋など、庭園内には灯籠、東屋(あずまや)、茶室なども配置されることが多かったのです。
 織田信長が足利義昭のためにつくった二条旧庭園(現存せず)や、朝倉義景の越前一乗谷館址の諸庭が代表的です。粉河寺(和歌山)、名古屋城二の丸・三の丸、松尾神社(滋賀)、徳島の阿波国分寺、千秋閣などもあります。(重森完途氏・コトバンクを参照して作成)

 寝殿造り風な庭園の伝統や書院庭の石組みの流れと変化して来た茶庭が融合してきました。この変化に立った人物が小堀遠州であり、庭園としては桂離宮の庭園です。
 織部や遠州の茶は,利休の茶にくらべると作意が強いといわれます。利休が作意をも自然らしさの中に含みこもうとしたのに対し、織部は作意を表面に押し出したのです。織部は飛び石や畳石を打つとき、大ぶりなもの、しかも自然にあまり見られない、「異風なもの」といえるようなものを探し求めたのです。それまでは、飛び石には小さい丸石を使っていました。それを、切石の、しかも大きいものを好んで使いました。なかでも織部が考案したと伝えられる織部灯籠は、織部の作風を強く感じさせます。
 遠州は織部の作風を受け継ぎ、発展させました。織部の作意が主として陶器の方に向けられたのに対し、遠州は建築と造園に集中しました。遠州の著しい特徴は、庭園に直線を導入したことです。桂離宮の輿寄(みこしよせ)の「真の飛び石」が遠州好みを代表する一つとして伝えられています。種々な形の切石を組み合わせた大きな畳石と、正方形の切石を配置した空間構成は、それまでには見られないものです。直線に使った長い畳石は、桂離宮内の諸所に見られます。特に松琴亭前の反りのない石橋(切石)は、圧巻と多くの人が感じます。

■ 日本を代表する庭園        
      都道府県別    







ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】
 写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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