きょうは漢字に関する基礎的なお話をしましょう。
漢字は今から3,500年も前に中国で生まれたのですが,漢字が日本に伝来した時代ごとの中国の音の違いが,そのまま日本に入って定着しました。そしてその時々の中国から入ってきた音の系統が「呉音」「漢音」「唐音」です。
しかし韓国語の漢字音の音読みは,唐の時代の長安の音を基にしていると言われ,原則的に1通りです。原則的にと言ったのは,2通り,3通りに読む漢字もいくつかはあるからです。また韓国語の漢字には,訓読みというものがありません。すべての漢字語は音読みで読みます。日本語のように1つの漢字を5通りにも10通りにも読むということはありません。ですから日本語からみると,韓国語の漢字の読み方はシンプルです。
最初に日本に入ってきた字音は「呉音」です。3世紀の三国時代(魏,呉,蜀)の「呉」は江南にあり,この呉の地方で使われていた漢字音を日本人が最初に取り入れたのです。この呉音は朝鮮半島を経由して日本に伝わったため「対馬音」とも呼ばれています。
呉音は長江(揚子江)の下流域地方の音です。「利益」を「りやく」,「自然」を「じねん」,「変化」を「へんげ」,「金色」を「こんじき」と読むように,どちらかというと南方の発音で,女性的な柔らかい響きがします。ふりがなもカタカナではなくて,ひらがなで振りたいような感じですね。
みなさんは王仁博士 [왕인박사]という人を知っていますか。百済 [백제]から古代の日本を訪れた人物で,日本の大恩人と評された人物です。そして,この王仁博士が日本に漢字を伝えるため持ってきたと言われるのが千字文 [천자문]だといわれています。
みなさんも,昔,韓国に行ったときにバスの中で買わされたことはありませんか。 ‘하늘 천, 따 지…’と始まるものです。
これは中国の梁(502~557)の時代の武帝が周興嗣[주흥사]に命じ,王羲之[왕희지]の書の中から1,000字を選び,すべて4字1句の重複のない対の文に仕立てさせたものをいいます。125首の詩は宇宙,政治,忠孝,人間の行動規範などを詠んだもので,最初の1ページは「天地玄黄/宇宙洪荒」という文で始まります。
MacもWindowsもない時代に,ただ頭だけを使って1,000もの漢字を,重複なしにこのような含蓄のある文に仕立て上げたということはすごいことです。
この千字文は昔は韓国でも識字教科書として使われていたようですが,ここに含まれている漢字は,現代のわれわれの置かれている状況からして,実用性も使用頻度も低いものが結構含まれているのです。
逆によく使われる漢字の中で,山という字のように千字文の中にないものもあります。
さて,王仁博士ですが,4,5世紀ころ来日して,日本に始めて儒教と漢字を伝えたと言われた人物です。当時の皇太子の先生になったらしいですね。古事記,日本書紀には「応神天皇に招かれた優れた学者」として記述されてはいますが,実在の人物ではなさそうです。
王仁博士はどうであれ,儒教と漢字が日本もっとも友好的だった百済の最高レベルの学者によってわが国に伝えられたことが,日本の決定的な飛躍点になったことは疑いないでしょう。
当時,百済は朝鮮半島西南部を治めていたのですが,中国南部の優雅な文化を早くから取り入れた,とくに文化性の高い国だと言われていました。日本との関わりはきわめて深く,この百済を通じて日本に輸入された先進文化は相当な数にのぼります。
仏教などもそうですね。仏教は紀元前6世紀半にインドの釈迦によって始められましたが,その後中国を経て,朝鮮半島に伝えられ,日本には538年に百済の聖明王 (韓国では성왕という)によって初めて伝わったのです。そして仏教の伝来とともに,教典を「呉音」によって読み下すことになったんです。それで仏教用語は呉音で読むことが多いんですね。
これに対し,7世紀から9世紀にかけての奈良時代から平安時代の初期になると,遣隋使や遣唐使が派遣され,当時の唐の都・長安(現在の西安)に留学し,先進的な唐文化を学ぶとともに中国西北地方の「漢音」を学んできました。
当時の留学は命がけだったそうです。船は船底が平低で,まるで箱が海に浮いているようなものでしたから,大波を受けるとあっけなく沈んでしまったそうです。8世紀のすべての遣唐使のうち船が往復できたのは,なんとたった1回だけというから驚きです。
唐の諸制度や文化に通じた留学生や留学僧は,建設まもない日本の律令国家を整備し,繁栄させる上では不可欠であり,まさに彼らはそのパイオニアだったわけです。
そうやって,昔の留学生たちが習得してきた漢音ですが,日本ではこの漢音が「正音」とされました。しかし呉音もしぶとく生き残りました。そしてこの両方の読み方が混在しているのが,現在の日本の「音読み」なのです。
たとえば漢音の発音というのは,使われていた土地柄のせいでしょうか,ごつごつした男性的な響きです。呉音はさっき言いましたけど,南方系の柔らかい発音です。たとえば男と書いて「ナン」と読むのが呉音で,「ダン」と発音するのが漢音です。日本の「日」でしたら「毎日」のように「ニチ」と読む呉音と,「ジツ」と読む漢音があるわけです。
【日】呉音:ニチ 日光,日記 漢音:ジツ 昨日,本日
【人】呉音:ニン 人形,人情 漢音:ジン 人家,人生
【男】呉音:ナン 長男,美男 漢音:ダン 男性,男女
【内】呉音:ナイ 内外,屋内 漢音:ダイ 内裏,境内
13世紀にマルコポーロ (마르코 폴로)が,東方見聞録 [동방견문록]に日本を「ジパング」と書いたのは,当時中国では「日本国」を「ジパング」のように発音していたからだというのも一理ありますね。つまり,当時は「日本国」を漢音読みで「ジペングォ」,つまり「ジパング」に近い読み方をしていたということです。
そして,もう一つの唐音は宋音とも呼ばれ,鎌倉時代に渡日した宋の僧侶や商人がもたらした新しい南方音です。
この3つの音の変化の顕著な例としてよく挙げられるのが「明」と「行」です。韓国語では読み方は1種類で「明」は [명],「行」は [행]ですが,日本語では,呉音のミョウ(明星),漢音のメイ(明暗),唐音のミン(明朝体)と,3通りに読みますし,また「行」も漢音のギョウ(行事),呉音のコウ(行楽),唐音のアン(行脚)が混在しています。
そのほかの禅宗用語として唐音には,和尚(オショウ),椅子(イス),杜撰(ズサン),普請(フシン),暖簾(ノレン),堤燈(チョウチン),扇子(センス),蒲団(フトン),土瓶(ドビン)などがあります。しかし,椅子 [의자]をのぞいて韓国では漢字語としては使われていません。
漢字は今から3,500年も前に中国で生まれたのですが,漢字が日本に伝来した時代ごとの中国の音の違いが,そのまま日本に入って定着しました。そしてその時々の中国から入ってきた音の系統が「呉音」「漢音」「唐音」です。
しかし韓国語の漢字音の音読みは,唐の時代の長安の音を基にしていると言われ,原則的に1通りです。原則的にと言ったのは,2通り,3通りに読む漢字もいくつかはあるからです。また韓国語の漢字には,訓読みというものがありません。すべての漢字語は音読みで読みます。日本語のように1つの漢字を5通りにも10通りにも読むということはありません。ですから日本語からみると,韓国語の漢字の読み方はシンプルです。
最初に日本に入ってきた字音は「呉音」です。3世紀の三国時代(魏,呉,蜀)の「呉」は江南にあり,この呉の地方で使われていた漢字音を日本人が最初に取り入れたのです。この呉音は朝鮮半島を経由して日本に伝わったため「対馬音」とも呼ばれています。
呉音は長江(揚子江)の下流域地方の音です。「利益」を「りやく」,「自然」を「じねん」,「変化」を「へんげ」,「金色」を「こんじき」と読むように,どちらかというと南方の発音で,女性的な柔らかい響きがします。ふりがなもカタカナではなくて,ひらがなで振りたいような感じですね。
みなさんは王仁博士 [왕인박사]という人を知っていますか。百済 [백제]から古代の日本を訪れた人物で,日本の大恩人と評された人物です。そして,この王仁博士が日本に漢字を伝えるため持ってきたと言われるのが千字文 [천자문]だといわれています。
みなさんも,昔,韓国に行ったときにバスの中で買わされたことはありませんか。 ‘하늘 천, 따 지…’と始まるものです。
これは中国の梁(502~557)の時代の武帝が周興嗣[주흥사]に命じ,王羲之[왕희지]の書の中から1,000字を選び,すべて4字1句の重複のない対の文に仕立てさせたものをいいます。125首の詩は宇宙,政治,忠孝,人間の行動規範などを詠んだもので,最初の1ページは「天地玄黄/宇宙洪荒」という文で始まります。
MacもWindowsもない時代に,ただ頭だけを使って1,000もの漢字を,重複なしにこのような含蓄のある文に仕立て上げたということはすごいことです。
この千字文は昔は韓国でも識字教科書として使われていたようですが,ここに含まれている漢字は,現代のわれわれの置かれている状況からして,実用性も使用頻度も低いものが結構含まれているのです。
逆によく使われる漢字の中で,山という字のように千字文の中にないものもあります。
さて,王仁博士ですが,4,5世紀ころ来日して,日本に始めて儒教と漢字を伝えたと言われた人物です。当時の皇太子の先生になったらしいですね。古事記,日本書紀には「応神天皇に招かれた優れた学者」として記述されてはいますが,実在の人物ではなさそうです。
王仁博士はどうであれ,儒教と漢字が日本もっとも友好的だった百済の最高レベルの学者によってわが国に伝えられたことが,日本の決定的な飛躍点になったことは疑いないでしょう。
当時,百済は朝鮮半島西南部を治めていたのですが,中国南部の優雅な文化を早くから取り入れた,とくに文化性の高い国だと言われていました。日本との関わりはきわめて深く,この百済を通じて日本に輸入された先進文化は相当な数にのぼります。
仏教などもそうですね。仏教は紀元前6世紀半にインドの釈迦によって始められましたが,その後中国を経て,朝鮮半島に伝えられ,日本には538年に百済の聖明王 (韓国では성왕という)によって初めて伝わったのです。そして仏教の伝来とともに,教典を「呉音」によって読み下すことになったんです。それで仏教用語は呉音で読むことが多いんですね。
これに対し,7世紀から9世紀にかけての奈良時代から平安時代の初期になると,遣隋使や遣唐使が派遣され,当時の唐の都・長安(現在の西安)に留学し,先進的な唐文化を学ぶとともに中国西北地方の「漢音」を学んできました。
当時の留学は命がけだったそうです。船は船底が平低で,まるで箱が海に浮いているようなものでしたから,大波を受けるとあっけなく沈んでしまったそうです。8世紀のすべての遣唐使のうち船が往復できたのは,なんとたった1回だけというから驚きです。
唐の諸制度や文化に通じた留学生や留学僧は,建設まもない日本の律令国家を整備し,繁栄させる上では不可欠であり,まさに彼らはそのパイオニアだったわけです。
そうやって,昔の留学生たちが習得してきた漢音ですが,日本ではこの漢音が「正音」とされました。しかし呉音もしぶとく生き残りました。そしてこの両方の読み方が混在しているのが,現在の日本の「音読み」なのです。
たとえば漢音の発音というのは,使われていた土地柄のせいでしょうか,ごつごつした男性的な響きです。呉音はさっき言いましたけど,南方系の柔らかい発音です。たとえば男と書いて「ナン」と読むのが呉音で,「ダン」と発音するのが漢音です。日本の「日」でしたら「毎日」のように「ニチ」と読む呉音と,「ジツ」と読む漢音があるわけです。
【日】呉音:ニチ 日光,日記 漢音:ジツ 昨日,本日
【人】呉音:ニン 人形,人情 漢音:ジン 人家,人生
【男】呉音:ナン 長男,美男 漢音:ダン 男性,男女
【内】呉音:ナイ 内外,屋内 漢音:ダイ 内裏,境内
13世紀にマルコポーロ (마르코 폴로)が,東方見聞録 [동방견문록]に日本を「ジパング」と書いたのは,当時中国では「日本国」を「ジパング」のように発音していたからだというのも一理ありますね。つまり,当時は「日本国」を漢音読みで「ジペングォ」,つまり「ジパング」に近い読み方をしていたということです。
そして,もう一つの唐音は宋音とも呼ばれ,鎌倉時代に渡日した宋の僧侶や商人がもたらした新しい南方音です。
この3つの音の変化の顕著な例としてよく挙げられるのが「明」と「行」です。韓国語では読み方は1種類で「明」は [명],「行」は [행]ですが,日本語では,呉音のミョウ(明星),漢音のメイ(明暗),唐音のミン(明朝体)と,3通りに読みますし,また「行」も漢音のギョウ(行事),呉音のコウ(行楽),唐音のアン(行脚)が混在しています。
そのほかの禅宗用語として唐音には,和尚(オショウ),椅子(イス),杜撰(ズサン),普請(フシン),暖簾(ノレン),堤燈(チョウチン),扇子(センス),蒲団(フトン),土瓶(ドビン)などがあります。しかし,椅子 [의자]をのぞいて韓国では漢字語としては使われていません。
今日、韓国の書籍を検索していたら、あるサイトで、小学生向けの千字文による漢字学習ドリルのようなものを見つけ、ずいぶん難しいものを学習するんだなあと驚きました。(恥ずかしながら、千字文というものを私は知りませんでした。)
韓国では以前、漢字学習を敬遠していたようですが、最近はまた漢字学習を奨励するような動きがあると聞きました。
日本語になぜこんなに一つの漢字にいろいろな読み方があるのか不思議でしたが、古狸案先生のこの記事を読んで、謎が解けました。ありがとうございます。
改めてブログで読むとおさらいになります。漢字についてきちんと整理することができました。男をダンとナンと読む響きの違い…美男子を「びだんし」というと硬派のイケメンの感じがしますし「びなんし」と読むと꽃미남のイメージですね。