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上級韓国語 - ちょんげぐりの世界

韓国語の勉強もそろそろビジネスクラスへ乗り換えましょう。上級韓国語をめざして,古狸案先生の授業は随時更新中です。

グレードアップ韓国語 나랑 갈이 vs 나같이

2024-01-25 | 分かち書き
같이は,「一緒に」「同じように」と「まるで」「あたかも」の両方の意味を持つ単語です。

●같이が「一緒に」「同じように」の意味の場合は,함께と同じように分かち書きします。
・나랑 같이 가자.〔(ぼくと)一緒に行こう〕
・나랑 함께 가자.〔(ぼくと)一緒に行こう〕
・그녀는 천사와 같은 마음씨를 가졌다.〔彼女は天使のような心の持ち主だった〕
・선생님이 하는 것과 같이 해 보세요.〔先生がするようにやってみてください〕

●같이が「まるで」「あたかも」の意味の場合は,前後にスペースを空けずに書きます。
・방이 얼음장같이 차다.〔部屋が氷のように冷たい〕
・나는 그 말에 감쪽같이 속았다.
〔ぼくはその言葉にまんまと騙されてしまった〕
・사장님은 직원들에게 친구같이 편안하게 대했다.
〔社長さんは従業員たちに友達のように親しく接した〕
・칠흑같이 어두운 밤에, 한 남자가 숲 속을 걷고 있었다.
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野ウサギの反対語は(もっと分かち書きの勉強を)

2023-12-03 | 分かち書き
みなさんは李箱(이상)を知っていますか。李箱(1910~1937年)は韓国の有名な詩人で,小説家です。27歳の若さで,東大病院で肺結核のために亡くなっています。

つい先日,光文社古典新訳文庫から斎藤真理子さんの翻訳で李箱作品集が出版されましたが,よくこんな難解な文章を翻訳したものだと感心します。

その李箱の作品に‘싸움하는사람은즉싸움하지아니하던사람이고또싸움하는사람은싸움하지아니하는사람이었기도하니까싸움하는사람이싸움하는구경을하고싶거든싸움하지아니하던사람이싸움하는것을구경하든지싸움하지아니하는사람이싸움하는구경을하든지싸움하지아니하던사람이나싸움하지아니하는사람이싸움하지아니하느것을구경하든지하였으면그만이다.’という詩がありますが,本当に이상한 시(変わった詩)ですね。

分かち書きをするとこうなります。

‘싸움하는∨사람은∨즉∨싸움하지∨아니하던∨사람이고∨또∨싸움하는∨사람은∨싸움하지∨아니하는∨사람이었기∨도∨하니까∨싸움하는∨사람이∨싸움하는∨구경을∨하고∨싶거든∨싸움하지∨아니하던∨사람이∨싸움하는∨것을∨구경하든지∨싸움하지∨아니하는∨사람이∨싸움하는∨구경을∨하든지∨싸움하지∨아니하던∨사람이나∨싸움하지∨아니하는∨사람이∨싸움하지∨아니하는∨것을∨구경하든지∨하였으면∨그만이다.’

「喧嘩をする人は,いわば喧嘩しなかった人で,また,喧嘩をする人は喧嘩しなかった人でもあるから,喧嘩をする人が喧嘩の見物をしたければ,喧嘩しなかった人が…」

何を言っているのか分かりません。

これは1943年に朝鮮中央日報に連載された 오감도 <烏瞰圖> の中の一節ですが,あまりにも難解だという読者の指摘で,中途で連載がストップしたと言ういわく付きの詩です。この詩人は,当時のすべての体制に対する否定や反発を表すために正書法を無視したと言われています。

このようにハングル表記だけですと,単語と単語の間を分けて書かないと読みにくいので띄어쓰기をするのです。まあ,こんな風に書かれては誰も読みませんが。

この間,食堂でライスを頼んだら,中に石が入ってました。
あのガリッという感触は,いやですね。

白いご飯の中に石が入っているとは,まさに「石ご飯」ですね。韓国語では돌밥と言います。別に石で出来たご飯ではないんのですが,慣用的にこういっています。白い米のご飯は쌀밥です。

このように2つの語が強く結びついているときには,無理やりに돌∨밥とか쌀∨밥のように,分かち書きはしません。

しかし修飾する言葉と修飾を受ける言葉,つまり修飾語と名詞が一緒になって出来た特別な意味を持つ言葉の場合は,これを分かち書きするのがどうかは迷いますね。

ちょっと説明がわかりにくいので例を出しましょう。

たとえば「うちの長男はあまり大きくありません」という文を韓国語にしてみてください。長男は큰∨아이 ではなくて,큰아이です。慣用句に使われる表現の場合は分かち書きしません。

¶ 우리 집 큰아이는 그리 큰∨아이는 아닙니다.

このほかにも,一言というときは 한마디 ですが,十言という場合は 열∨마디 と分かち書きします。「目先のこと」は 눈앞의 일 ですが,「目の前のこと」は 눈∨앞의 일 です。

では,次の文章の意味が分かりますか。

・눈앞의 일이라면 실제 눈∨앞에서 일어나는 공간적 개념이 아닙니다.
(目先のことというのは,実際に目の前で起きることという空間的な概念ではありません)

分かち書きするかどうか分からなかったら,必ず辞書を引くようにしてください。

もう少し練習してみましょう。

・큰손의 손을 보았더니 별로 큰∨손을 갖고 있지는 않습니다.
(大物の手を見ても別に大きな手ではありませんでした)

・큰 소리로 말하지 않았는데도 큰소리치지말라고 꾸중들었습니다. 
(大きな声で話していないのに,大きな声を出さないでくれと小言を言われました(

우리のつく言葉もややこしいですね。
辞書には우리집사람, 우리말という言葉はひとかたまりの語として載っていますが,「我が国」にあたる우리 나라は우리∨나라と分かち書きされていて,まだ1つ言葉として認められていないことが分かります。

우리집사람 : 우리 집 사람 중에 자기의 아내를 이르는 말.
우리말 : 우리 겨례의 고유한 언어를 가리키는 말.

くっつけて書くか離して書くか,いちいち辞書を引くというのは面倒くさいですが,語学の勉強は「コツコツ」感が大切です。

みなさん勉強に飽きてきたみたいですから,ここでちょっとおもしろい話をしましょう。
みなさんは童謡にも出てくる「野うさぎ」をご存じですね。산토끼です。
この「野うさぎ」の反対語は何でしょう?

「野うさぎ」の反対語は,家で飼っているウサギですから…집토끼 です。

この산토끼の反対語は집토끼です。
ではちょっとここで「とんち問答」をしてみましょう。
分かち書きをした산∨토끼 の反対語は何でしょうか。
산∨토끼と分かち書きになっているところがミソです。

きっと理系の人は알칼리 토끼と答えるかも知れません。そして「そのココロは,酸ウサギ (산 토끼)の反対はアルカリウサギ (알칼리 토끼)です」と言うでしょう。

죽은 토끼と答える人もいるでしょう。生きているウサギ (산 토끼)の反対は死んだウサギ (죽은 토끼)ですから。

またまた,판 토끼(売ったウサギ) と答える人もいるでしょう。買ったウサギ (산 토끼)の反対ですから。

どうです,気分転換になりましたか。
最後にウサギつながりでもう一つ。

学生のころ,体育の時間に根性を養うとかいって罰ゲームでやらされた「ウサギ跳び」。スポーツ医学的には百害あって一利なしですが,さて韓国語で何と言うのでしょう。

正解は言葉どおり토끼 뜀です。

動物の名前が付いた語とえば「犬かき」がありますが,韓国語では개헤엄です。

みなさんは구름판という単語を知ってますか。
구름- が付いていますが「雲」とは関係ありません。これは「床・板などを強く踏む」という動詞・구르다の名詞形に판が付いたもので,ジャンプなどの踏み切り板のことです。

구름판 に関係した言葉で,体育の時間の「跳び箱」は뜀틀と言います。「跳び箱を飛ぶ」は뜀틀을 뛰어넘다です。ではここで単語クイズです。

次の語は韓国語で何と言うのでしょうか。
(1)逆立ち
(2)腕立て伏せ
(3)逆上がり
(4)走り幅跳び 
(5)たち幅跳び
*答えをコメント欄に書いてください。コメントがあった場合にのみ正解をお伝えします 

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アポロが着陸後に発見したものは(正書法の大切さ)

2023-12-03 | 分かち書き
正書法(맞춤법)はとても複雑で,韓国語の先生でさえも完璧にマスターすることは難しい代物です。

正書法は1988年に制定されてから今まで,何回かの改正を経ています。
内容は①総則 ②字母 ③頭音法則など音に関すること ④体言と助詞,語幹と語尾,接尾辞や接頭辞など形態に関すること ⑤分かち書き ⑥その他 の6つの章と57項目,そして付録で形成されています。

各項目が数学公式のように理路整然と整理されているのでなく,例外だらけで,さらに例外の例外までがあり,実用的ではありません。

しかし正書法は,正確なコミュニケーションのための基本的な約束です。正書法に則った文はそうでない文に比べて,品格があるように見えるのは事実です。正書法を一つ間違えると,恥をかいたり冷やかされたりすることになります。

ネット上の掲示物やコメントでも,公文書や企画書でも,謝罪文や釈明書でも,さらには小説や実用書などでも,正書法をきちんと守った文には信頼感があります。

さて今回は「ハングル正書法」の中で一番やっかいな「分かち書き(띄어쓰기)」についてみていきましょう。この分かち書き自体,띄어쓰기だったか,띄어∨쓰기だったか分からなくなってしまった方も多いと思います(正解は띄어쓰기です)。

最近は新聞も雑誌もほとんどハングル表記ですから,文章の意味を正確に伝えるためには띄어쓰기が必要です。つまり띄어쓰기の目的は,ハングルだけで書かれた文章を間違えずに読むことにあります。

ちょっと次の文を見てみましょう。
・아기다리고기다리던소풍.

どうですか。このように書かれたら何の意味だかわからないですよね。아기다리 고기다리 던소풍……アギダリ,ゴギダリ,ドンソプン? いやいや,そうじゃなくて아기 다리 고기 다리 더소 풍では?

正解は아∨기다리고∨기다리던∨소풍です。「あぁ待ちに待った遠足」という意味です。きちんと分かち書きをすると,意味がはっきりします。

さて,もう1つ,分かち書きについて学ぶ有名な文章があります。みなさん知ってますか。
・아버지가방에들어가셨다.

띄어쓰기を間違えると変な文章になってしまいます。‘아버지∨가방에∨들어가셨다.’と書くとお父さんが「カバンに入って」しまいます。 ‘아버지가∨방에∨들어가셨다.’と書かなければなりません。

だいぶ昔のことになりますが,アポロ8号が月に着陸したとき,韓国のある新聞の見出しが띄어쓰기のミスでとんでもない意味になってしまい,物義を醸したそうです(「誤字의世界」朴甲千 著 杏林出版社より)。

‘아폴로, 착륙후보지 발견’というのが,本来新聞に載るべき文章でした。意味は「アポロ,着陸候補地発見」です。しかし早刷りには‘아폴로, 착륙후 보지 발견’と言う見出しが大きく躍っていたそうです。

「阿蘇国際マラソン」も「青梅国際女子マラソン」も,実況担当のアナウンサーの息の切り方でニヤニヤものになってしまいます。もし日本語がひらがなやカタカナだけの表記だったらと思うと,ぞっとしますね。

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「有る」「無し」と分かち書き

2012-02-03 | 分かち書き
있다は動詞と形容詞として,없다は形容詞として使われる語です。
있다は,以前は形容詞としてのみ扱われてれていたのですが,最近は動詞としても認められるようになりました。
この있다や없다は,ほとんどの場合,分かち書きをしなければなりませんが,ある言葉とくっついて合成語になっているときだけくっつけて書きます。その例を見てみましょう。

まず있다をくっつけて書く場合です。
「じっとしている」という動詞,가만있다 [가마닏따] があります。

¶ 이곳저곳 돌아다니지 말고 방 안에 가만있도록 해라.(うろうろしないで部屋の中でじっとしてなさい)

また「何もしないで黙っている」というような場合にも使います。

¶ 아무것도 모르면 가만있어.(何も知らないんだったら,黙ってなさい)
¶친구가 어려운 처지에 있는데 가만있을 수는 없어요. (友達がたいへんなのに黙っていることはできません)

そのほかにも,“가만있어.”,“가만있어라.”,“가만있자.”という形で使われます。
これらは,急に何かが思い出せなかったり,返答に詰まったときに,「ええと…」「何だっけ?」と,ひとりごとでつぶやく場合に使います。

¶ 가만있어, 그 사람 이름이 뭐더라?(ええと,あの人の名前何だったっけ?)
¶ 가만있어라, 그게 뭐였지?(待てよ,あれは何だったっけ?)

값있다[가빋따]も同じようにくっつけて書きます。
これは「価値がある」という形容詞です。発音に気をつけてください。

값있는 시간을 보내다といえば「価値ある時間を過ごす」ことですし,값있어 보이다といえば「高そうに(価値があるように)見える」という意味です。
そのほかにも관계있다,뜻있다,맛있다,멋있다,재미있다なども있다を付けて書きます。

しかし눈치 있다,실속 있다,쓸모 있다,염치 있다,의미 있다,자신 있다などは合成語ではないので分かち書きをしなければなりません。

없다も同様です。
合成語として扱われる거침없다(障りない),그지없다(果てしない),빈틈없다(抜けめない),손색없다(遜色ない),스스럼없다(気安い),틀림없다(間違いない),하염없다(とめどない),상관없다(構わない),관계없다(関係ない)などは付けて書きます。

しかし거리낌 없다,남김 없다,부담 없다,필요 없다などは合成語ではないので分かち書きをします。
どれが合成語でどれが合成語でないかは,一つ一つ辞書を引くしかありません。

次の問題は「以外に(이외에)」の分かち書きについてです。
辞書を開くと이외(以外)という語があるので,無条件に이외에とくっつけて書く人が多く見られますが,2通りの使い方があるのです。

“며칠을 굶었더니 먹을 것 이외에는 눈에 보이질 않았어요.”(何日も食べていなかったので,食べ物以外には目に入りませんでした)とか“이곳은 관계자 이외의 사람이 들어올 수 없습니다.”(ここは関係者以外,立ち入り禁止です)とかいうときには,이외에とくっつけて書きます。
このとき이외の이を省略して“먹을 것 외에는 눈에 보이질 않았어요.”とか“관계자 외의 사람이 들어올 수 없습니다.”と言っても意味は通じます。

次に“여기 바나나와 사과가 있는데 이 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?”(ここにバナナとリンゴがあるけど,このほかに食べたいものがありますか?)という文章を見てみましょう。

このように「このほかに」と言うときには,指示代名詞이に依存名詞외が結合したものなので,이 외에と分かち書きをしなければなりません。
そして,このように分かち書きをする이 외は이を省略することができません。

“여기 바나나와 사과가 있는데 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?”と言うと意味が通じなくなります。
分かち書きをする이 외에は이を이것に替えても文章はおかしくありません。

(○)여기 바나나와 사과가 있는데 이 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?
(○)여기 바나나와 사과가 있는데 이것 외에 먹고 싶은 것이 또 있어요?

しかしくっつけて書く이외에の이を이것に替えると文章は成り立たなくなります。

(○)이곳은 관계자 이외의 사람이 들어올 수 없습니다.
(?)이곳은 관계자 이것외의 사람이 들어올 수 없습니다.

また이 밖에という言葉もよく使われますが,これは無条件に分かち書きをします。
コメント (3)
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