외나무 다리에서 만날 날이 있다. とか원수는 외나무 다라에서 만난다.とか言う言葉,聞いたことはありませんか。
嫌な相手には変なところでばったりと出くわすものだという意味です。
この외나무 다라というのは丸太の一本橋のことです。
要するに,嫌な奴にはにっちもさっちもいかないところで,会ってしまうものだという意味です。
みなさんもそういった経験,ありませんか。
외나무 다리という言葉も日常生活ではすっかり聞かなくなりました。
先日「ライ麦畑でつかまえて」の著者,J・D・サリンジャー(샐린저)が死去したということで話題になりました。
The Catcher in the Ryeが原題ですが,韓国語では‘호밀밭의 파수꾼’といいます。파수꾼というのは漢字語で把守꾼と書きますが,番人のことです。
畑の番人といえば원두막〈園頭幕〉もだんだんと見られなくなってきました。
スイカやウリ畑を守るための番小屋ですね。
저 푸른 초원위에 그림같은 집을 짓고…
…반딧불 초가집도 님과 함께면
나는 좋아 나는 좋아 님과 함께 같이 산다면…
南珍の歌,님과함께に歌われている초가집も最近はめっきり少なくなりました。
반딧불も都会ではほとんど見られなくなりましたね。
물레방아
水車のことです。
水車小屋のことは물레방앗간〈-間〉といいます。
これも童謡の中の言葉になってしまいましたね。
ここでちょっと上級語彙を覚えましょう。
穀物などを搗(つ)くことを찧다といいます。
尻餅をつくは엉덩방아를 찧다です。
そしてついて粉にする,つまり碾(ひ)くことは빻다といいます。
船に関係する言葉もどんどんと消えていきます。
뱃사공という言葉も懐メロやことわざの中の存在になってしまいました。
사공이 많으면 배가 산으로 올라간다.ということわざがまず浮かびます。
みんながああだこうだと口を出すと,まとまるものもまとまりません。
鍋奉行が必要なわけもわかりますよね。
나룻배,나루터という言葉も消えていきました。
ソウルの麻浦の渡しの跡の여의나루と,東の端の광나루は渡し船がなくなったいまでもその名前を地下鉄5号線の駅名に残しています。
多摩川にも「矢口渡」という駅名が残っていますね。
「渡し」がでたところできょうも笑い話で締めくくりましょう。
처녀 뱃사공
소양강에 한 처녀 뱃사공이 있었다.
하루는 어떤 총각이 배를 타고는 농담 삼아 한마디를 던졌다.
“나는 당신의 배를 탔으니, 이제 당신은 나의 아내요.”
배를 저어 갈 때는 아무 말도 하지 않던 처녀 뱃사공은 목적지에 도착하자 그 총각이 배에서 내리는 것을 보고,
“당신은 내 배에서 나갔으니, 이제 당신은 내 아들이오.”
嫌な相手には変なところでばったりと出くわすものだという意味です。
この외나무 다라というのは丸太の一本橋のことです。
要するに,嫌な奴にはにっちもさっちもいかないところで,会ってしまうものだという意味です。
みなさんもそういった経験,ありませんか。
외나무 다리という言葉も日常生活ではすっかり聞かなくなりました。
先日「ライ麦畑でつかまえて」の著者,J・D・サリンジャー(샐린저)が死去したということで話題になりました。
The Catcher in the Ryeが原題ですが,韓国語では‘호밀밭의 파수꾼’といいます。파수꾼というのは漢字語で把守꾼と書きますが,番人のことです。
畑の番人といえば원두막〈園頭幕〉もだんだんと見られなくなってきました。
スイカやウリ畑を守るための番小屋ですね。
저 푸른 초원위에 그림같은 집을 짓고…
…반딧불 초가집도 님과 함께면
나는 좋아 나는 좋아 님과 함께 같이 산다면…
南珍の歌,님과함께に歌われている초가집も最近はめっきり少なくなりました。
반딧불も都会ではほとんど見られなくなりましたね。
물레방아
水車のことです。
水車小屋のことは물레방앗간〈-間〉といいます。
これも童謡の中の言葉になってしまいましたね。
ここでちょっと上級語彙を覚えましょう。
穀物などを搗(つ)くことを찧다といいます。
尻餅をつくは엉덩방아를 찧다です。
そしてついて粉にする,つまり碾(ひ)くことは빻다といいます。
船に関係する言葉もどんどんと消えていきます。
뱃사공という言葉も懐メロやことわざの中の存在になってしまいました。
사공이 많으면 배가 산으로 올라간다.ということわざがまず浮かびます。
みんながああだこうだと口を出すと,まとまるものもまとまりません。
鍋奉行が必要なわけもわかりますよね。
나룻배,나루터という言葉も消えていきました。
ソウルの麻浦の渡しの跡の여의나루と,東の端の광나루は渡し船がなくなったいまでもその名前を地下鉄5号線の駅名に残しています。
多摩川にも「矢口渡」という駅名が残っていますね。
「渡し」がでたところできょうも笑い話で締めくくりましょう。
처녀 뱃사공
소양강에 한 처녀 뱃사공이 있었다.
하루는 어떤 총각이 배를 타고는 농담 삼아 한마디를 던졌다.
“나는 당신의 배를 탔으니, 이제 당신은 나의 아내요.”
배를 저어 갈 때는 아무 말도 하지 않던 처녀 뱃사공은 목적지에 도착하자 그 총각이 배에서 내리는 것을 보고,
“당신은 내 배에서 나갔으니, 이제 당신은 내 아들이오.”
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます