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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

横山恭三氏 2/2  

2021-09-25 20:57:11 | 文化

 

> ちなみに、オランダでは、アフガンからの退避作戦で、アフガン人通訳ら数多くの人々が現地に取り残された責任を取って、外相および国防相が辞任している(出典:時事ドットコムニュース2021.9.18)。

 

あって当然の事と考えられますね。人命の尊重は必要ですからね。しかし、日本人には無理な話ですね。

日本人には意思がない。意思のない人には責任も無い。だから、引責辞任も考えられないでしょうね。     

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味というものがない。行為・言動の本人にその説明責任はとれない。  

日本人はなれ合っている。なれ合いとは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 () の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。だから、お変わりのないことが何よりなことである。ノー・アイディアで暮らすことになる。

 自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由は何処の国でも認められていない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ になって許されない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ となって、日本人の生活は以前の生活と変わることがない。  

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば、その人は当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

日本人には罪がない。意思の無い人には罪がない。意思の無い人は能動がなくて、受動だけの生活をする。被害者意識はあっても、加害者意識がない。だから日本人は加害者意識が高じて体験する罪悪感に苛まれることがない。これはアニマルも同じです。だから、日本人には罪がない。罪の意識におびえる人たちが日本人に謝罪を勧めたらどうなるか。それは自虐行為の勧めと受け取られて恨みを買う事必定である。 日本人は罪を語らない宗教である神道・仏教の周辺に集まっている。とにかく、罪の匂いのするものは日本人の体質に合わない。それは陰気のもとになる。だから日本人は罪の話は嫌いです。罪の意識のない人には、病める魂もなく、その救済も必要としない。だから、贖罪の為の宗教 (キリスト教) も、わが国では力を持つに至らなかった。

戦後の占領軍のWGIP ( War Guilt Information Program: 戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画) という奇特な計画も見事に失敗しました。これは、アフガンに民主主義を植え付けようとするアメリカ人のようなものか。日本人に対する罪悪感の宣伝はカエルの面に小便の状態になったのです。 

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 欧米人は哲学と意思により人間の行動を説明する。日本人には、哲学と意思がないので、人の行為を ‘建前と本音’ を使って説明する。建前は ‘口実・言い訳・言い逃れ’ である。本音は、’私意・我儘・身勝手 である。だから、現実の中に行為がうずもれてしまい低俗な感じは避けられない。意思は未来時制の文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。

 

>3.筆者コメント  

> 外務省が退避作戦を他国に頼ったのは、外務省が今回の退避作戦を外務省のオペレーションだと考えていたからであると筆者は推測する。> 今回の退避作戦は外務省一省のオペレーションでなく、内閣総理大臣が主導すべき国のオペレーションである。  

 

そうですね。   

 

> 自衛隊は日本では軍隊でないが、国際社会では軍隊と見なされている。そのような自衛隊が武器を携行して海外に派遣され他国の領土で任務を遂行するのである。 > いつ武力衝突に発展するかも分からない。これは、まさに国のオペレーションである。> であるから、アフガン退避作戦の必要性が認識された時点で、外務省内だけで検討するのでなく、できるだけ早く、総理大臣公邸で総理大臣のもと、国家安全保障局長、危機管理監、外務次官、防衛事務次官、さらに、今回はアフガン人の入国管理やコロナ対策のため法務省や厚労省などの関連する省庁の責任者らが集まり、今後の方針を協議すべきであった。> そうすれば、防衛省から輸送機を現地に派遣するなら、現地の治安状況が悪化する前に、派遣すべきであるという意見が出たであろう。> 現地、特にカブール空港の安全に最大の関心を持っているのは防衛省である。> 防衛省は、カブール空港の管制・警備・補給・整備状況、特に輸送機の駐機場所の確保など事前に調査し、さらに刻一刻と変化するカブールの治安状況を、CNNなどのニュース専門チャネルを通じて常時モニターしているであろう。  

 

自衛隊はよくやっていますね。手足の訓練のみならず、頭の訓練も必要ですね。そうでなければ、自衛隊は機敏な動作ができない。          

 

> ここで、自衛隊の準備態勢について簡単に述べる。> 自衛隊は、常時、部隊を速やかに派遣する態勢をとっている。> 具体的には、陸自ではヘリコプター部隊と陸上輸送を担当する部隊の要員を、海自では輸送艦などの艦艇(搭載航空機を含む)を、空自では輸送機部隊と派遣要員をそれぞれ指定するなどの待機態勢を維持している。 > また、これらの行動においては、陸・海・空自の緊密な連携が必要となるため、平素から統合訓練などを行っている(出典:防衛白書)。

> すなわち、自衛隊は命令さえあれば時をおかず出動できるのである。

 

そうですね。しかし、頭脳がなければ手足は動かせませんね。それがわが国の大問題でしょうね。      

 

> また、日本政府に長年協力してきたアフガン人スタッフを確実に退避させなければ国の威信にかかわるという意見が出たかもしれない。 

 

義理堅い日本人としては、それは当然な意見でしょうね。     

 

> 本来ならば、そのような意見は外務省から出るべきものである。そして、自ずと500人を輸送するには自衛隊機の派遣が必要であるとなり、ならば早期の派遣が必要という意見に集約したかもしれない。  

 

そうですね。タラレバの話は何処までも順調に進みますね。      

 

> 筆者は、直近の記事で、国家安全保障会議は日本の外交・安全保障政策の司令塔になるべきだという意見を述べた。 > 外務省は日頃の職務を通じて各国のカウンターパートとの良好な関係を維持しているので相手に頼めば何とかなると思っていたのかもしれない。  

 

平時と非常時では判断結果が変わりますね。残念ながら日本人は司令塔にふさわしくない。 

 

> しかし、急に軍用ヘリコプターを日本の輸送車両の護衛に回せと言われた現場の部隊指揮官は大変迷惑したことであろう。 > 各省庁の内輪の理論を排するためにも国家安全保障会議を活用すべきである。 

 

日本の常識は世界の非常識か。何事にも謙虚な人間が必要ですね。カエルたちが内輪の理論に熱中しているのも良くない。      

 '私は、私が何も知らないということを知っている'。 (ソクラテス)     [無知の知]  'I know that I know nothing'.  

 

>おわりに   

> 2013116日に発生したイスラム武装勢力によるアルジェリア人質事件でアルジェリア軍が人質救出活動を敢行した結果、日本人10人を含む38人が犠牲となった。 > この事件を受けて政府は、相次いで対策を講じた。 > 国家安全保障会議の創設による情報の一元化や海外で邦人の陸上輸送を可能にする自衛隊法改正などが実現した。 > 当時の様子を新聞(日経新聞2014.1.16)は次の様に報じている。 >「事件では多くの課題が浮き彫りになった。現地の状況把握は米英両政府などに頼らざるを得ず、縦割りの省庁から入る断片的な情報は迅速な意思決定を妨げた」

 

日本人には現実直視が必要ですね。人手を介すことのない生の情報の求める必要がありますね。   

 

>「新たな仕組みとして期待が集まるのが昨年12月に発足した国家安全保障会議である。設置法は各省庁に情報提供を義務付け、政府の外交・安全保障の司令塔機能を担う」>「菅官房長官(当時)は事件後に『事件対応のなかで国家安全保障会議設置は極めて大事だと思った』と振り返ったが、首相や官房長官の指導力が問われる」 

 

日本人には意思がない。意思の無い人には方法 (仕方) がない。だから、他人を指示して指導することができない。首相や官房長官も指導力を問われることになる。   

 

> 政府は、今回のアフガン退避作戦の失敗を真摯に反省して、国家安全保障会議の在り方をもう一度見直してほしい。

 

そうですね。日本人の頭の使い方を考えなおして欲しいですね。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

> そして、海外で生活する邦人および邦人企業が、危機の際は日本が必ず助けに来てくれると信じて、安心して生活し経済活動に専念できるようになることを願っている。

 

それはもっともな願いですね。   

 

 

.

 

 


横山恭三氏 1/2  

2021-09-25 16:39:51 | 文化

 

>JBpress  >日本に大恥かかせた外務省、危機管理能力が決定的欠如  > 横山 恭三 2021/09/24 06:00

 ()

> 筆者は、直近の記事(「韓国に『恥辱』と呼ばれたアフガン退避作戦が示す課題」2021.9.15https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66920)で、アフガン退避作戦の概要と課題について述べた。

 

恥辱は日本人の最も嫌いな言葉ですね。なにしろ日本は恥の文化の国ですからね。だが自分たちがどうしたら恥辱を避けられるかを考えたことが無いようですね。      

 

> 筆者が同記事を作成した時点では、政府の実際の行動・判断のタイムラインは不明であった。 > 今回、外務省を中心とした政府の当時のタイムラインを知り、筆者は、2つのことに驚いた。  

 

新発見ですね。   

 

> 1つ目は、外務省は、アフガンからの邦人等を退避・救出するのに際し、初めから他国頼りだった。  

 

困った時の神頼みですね。    

 

> 2つ目は、外務省は、日本政府に長年協力してきたアフガン人スタッフ500人の退避・救出を二次的な任務と考えていた。  

 

親藩と外様の区別のようなものですね。    

 

> まず、当時の外務省を中心にした政府の行動・判断のタイムラインについて述べる(出典:NHK「緊迫のアフガン13日間 退避ドキュメント」)。 >814日夜、外務省内で民間機による退避計画がすでに進められていた。 > この退避計画は、818日を期限とし、民間のチャーター機で、日本大使館の日本人職員やアフガン人スタッフなど、およそ500人を退避させるというものであった。 >815日、民間機による退避計画とは別に、外務省の山田重夫外務審議官が防衛省の増田和夫防衛政策局長に、自衛隊機の派遣が可能か、検討を依頼していた。> ところが、815日午後5時すぎ「カブール陥落」の情報が外務省にもたらされたのを受け、外務省は防衛省に対し、検討を保留するよう要請した。 >815日午後5時すぎ、米軍から「日本大使館の職員が軍用機に乗りたいなら、日本時間の15日午後10時半(現地時間午後6時半)までに空港に集合するように。それ以降は安全を確保できない」と通告された。 > この時点で、外務省は、大使館職員12人を米軍機で退避させることを判断した。 > 外務省は、在アフガンの10人ほどの日本人に連絡を取り、意向を確認した。この時点で退避の希望者は1人で、その1人は民間機で脱出可能と判断した。 > 大使館職員12人は9時半頃、6台の車に分乗して警備会社の建物を出発したが、空港までわずか2キロメートルの距離で銃撃戦に遭遇し、引き返した。 > 外務省の森健良次官は、米国のウェンディ・シャーマン国務副長官に電話し、米軍のヘリコプターによる移送を要請したが、「無理だ」と断られた。 > しかしヘリで上空から護衛する「エアカバー」は可能だという言質を得て、12人はヘリに付き添われながら、翌16日未明、空港に到着した。 > だが、12人が到着した場所は、米軍の駐機場から遠く離れていたうえに、すでに空港が大混乱に陥っており、翌日まで足止めを余儀なくされた。 >817日、12人が到着した場所の近くに英軍の輸送機が駐機していた。 > トルコのイスタンブールにいる岡田隆アフガン大使が英国のローリー・ブリストウ大使に電話し、英軍機での移送の承諾を得て、17日にようやく英軍機でアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに脱出することができた。 > 大使館職員が退避後、残されたアフガン人スタッフ500人の退避が日本政府に緊急課題として重くのしかかった。 >81819日、外務省は、カブールに軍を駐留させている国に対し、アフガン人スタッフを輸送機などに乗せてもらえないか要請を続けた。 > しかし各国とも自国民の退避で精一杯で、色よい返事は得られなかった。> 大使館職員の退避後、ただちに自衛隊機派遣の意思決定を行うことはできなかったのだろうか。 

 

日本人にただちに意思決定は難しいですね。  

 

> 先の外務省関係者は「オペレーションとして、まずは他国に依頼する方が早いと考えた」と説明する  >81820日にかけて、自衛隊機派遣を念頭に空港の治安状況を確認するため、米・ワシントンにある日本大使館の防衛駐在官や自衛隊出身の大使館職員が、米統合参謀本部やアフガンを管轄する米中央軍司令部と連絡を取り合った。 >820日夕方、外務省内において外務・防衛の課長級会議を開催し、派遣に向けたおおまかな方針を確認した。 >822日夕方、総理大臣公邸で菅義偉総理大臣のもと、秋葉剛男国家安全保障局長、沖田芳樹危機管理監、森外務次官、島田和久防衛事務次官らが最終協議し、自衛隊機の派遣方針を決めた。 >823日、国家安全保障会議の4大臣会合を経て、岸信夫防衛大臣が自衛隊機による輸送を命令した。カブール陥落から8日経過していた。> 上記タイムラインでは、外務省が自衛隊機の派遣方針を決定したのは22日である。 > 筆者は、直近の記事で述べたとおり諸外国の大使館の職員が退避を始めた710日には自衛隊機派遣の検討を開始し、遅くても日本大使館の職員が退避した817日に自衛隊派遣の決断をしていれば、826日の自爆テロの混乱に巻き込まれることなく、無事に大使館職員やアフガン人スタッフおよそ500人を日本に輸送できたと考える。 

 

そうですね。タラレバの話には問題がありませんね。.     

 

> すなわち、日本の自衛隊機の派遣は遅かったのである。

 

‘Too late.’ (遅すぎた) ですね。日本人の意思決定の遅さは昔から海外に知られていますね。世界ではよほど珍しい習慣なのでしょうね。  

 フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)

 

> ではなぜ、外務省は日本大使館の職員が退避した817日に自衛隊派遣の決断ができなかったのであろうか。 >上記タイムラインでは、外務省関係者は「オペレーションとして、まずは他国に依頼する方が早いと考えた」と説明している。 

 

他国に依頼するのはイージーだと考えているのですね。日本人は、自主的な努力が少なすぎますね。このような状態では、他国を助けるほどの力は貯えられませんね。頼りにされる国にもなれない。         

 

> 外務省は、アフガンからの大使館職員やアフガン人スタッフを退避させるのに際し、初めから他国頼りだったのである。これが日本の輸送機派遣が遅れた原因である。> では、なぜ500人にのぼるアフガン人スタッフはアフガンに置き去りにされたのか。> それは、外務省は、大使館職員以外のアフガン人スタッフの退避・救出は、二次的な任務と考えていたからである。

 

大使館職員はうちの人、アフガン人スタッフは他所の人。他所の人の退避・救出は二次的な任務になりますね。    

 

> 最初から大使館職員とアフガン人スタッフおよそ500人を同時に退避させようと考えていたならば、搭載能力の大きい自衛隊機の派遣しか移送手段はなかったはずである。  

 

そうですね。  

 

>1.初めから外国頼りだった外務省

既述したが、今回のアフガンへの輸送機の派遣が遅れたのは、外務省は、初めから他国頼りだったからである。 

 

日本人には意思がない。意思の無い人には方法がないので、初めから他国に頼りますね。   

 

> 外務省の責任者に自国民を自分で絶対に退避・救出するという強い意思がなかったからである。

 

日本人には意思がない。だから、強い意思など論外ですね。   

 

> 日本政府は、治安情勢が悪化した場合に備えて、米国の軍用機に余裕がある場合は大使館職員を乗せてもらう「覚書」を交わしていた。> ただ、対象は日本人職員のみで、アフガン人スタッフは含まれていない。  

 

アフガン人スタッフは日本政府が面倒を見るべきですね。   

 

> 全く予想されていない危機的事態が発生した場合は、現地に所在している米軍を頼ることは同盟国としてある意味当然である。> しかし、今回のように、カブール陥落が近々予想されており、なおかつ自国の輸送機を派遣する時間的余裕があったのにもかかわらず、それをせずに他国頼みというのは世界第3位の経済大国としていかがなものかと考える。 

 

この場合、経済力だけが問題ではありませんからね。経済力を生かす頭脳も必要ですね。    

 

> また、我が国は、外国での災害、騒乱、その他の緊急事態に際し、自衛隊法第84条の3(在外邦人等の保護措置)又は同法第84条の4(在外邦人等の輸送)に基づき、当該在外邦人等の保護措置又は輸送を行うことができる法制度を整備するとともに自衛隊に即応態勢を取らせている。> なぜ、自衛隊を使おうとしないのか。> かつて、2003年にイラク特措法に基づき、陸上自衛隊がイラクに派遣されサマーワにおいて医療、給水、学校・道路など公共施設の復旧・整備を行った。> この法律を巡る国会審議では「戦闘地域」とそれ以外とをいかに分けるかが問題となった。> 結局、「非戦闘地域」に派遣された自衛隊であったが、外国の軍隊に守られなければ安全が確保できなかった。  

 

自衛隊には自分たちを守る力と、外国の軍隊をも守るほどの力が必要ですね。さもなければ、国際的に対等な付き合いはできませんね。半人前扱いにされることになる。我々は自国民に誇りを持たせる政策が必要ですね。   

 

>  豪政府は、小泉純一郎首相(当時)の要請を受け、陸上自衛隊が駐留するイラク南部に450人の兵員を増派した。 > 当時、筆者は、このようなことは二度とあってはならないと思った。隊員の士気を低下させるばかりか、諸外国から侮られるだけである。 

 

我が国の首脳には自衛隊には十分な自衛の力を持たせる必要があるとは考えられないのですかね。   

 

> 今回も、日本政府は、自国民を自分で絶対に守るという気概もなく、カブールに軍を駐留させている各国に対して、アフガン人スタッフを輸送してくれとお願いしている。> これでは、諸外国から侮られるだけでなく、在外に居住する日本人にも、日本政府は危機の際に本当に自分たちを助けに来てくれるのかという不安を覚えさせた。

 

そうですね。日本人には意思がない。信頼に足る人間とも思えませんね。  

私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。    

 

> ところで、なぜ他国を頼ってはいけないのか。> それは、自国民を自分で守らない国は国際社会で信用されないからである。 

 

だっこにおんぶは幼児の好むところですね。半人前どころか、子供扱いにされるのが落ちである。   

 

> 日本が自分の国を自ら守る気概がなければ、尖閣有事の際に、同盟国といえども米国は日本の防衛のために支援に駆け付けないであろうとよく言われる。 

 

常識的に考えて無支援ですね。アメリカはアフガンで過剰なサービスをしましたね。 猫に小判というものか。   

 

> 事実、ホルムズ海峡でタンカー攻撃事件が発生した際、ドナルド・トランプ米大統領(当時)はツイッターへの投稿で次のように語った。 >「なぜ米国が他国のために無報酬で航路を守っているのか。こうした国々がいつも危険な旅をしている自国の船舶を守るべきだ」

 

そうですね。自分の事は自分でする。これが基本です。できない時には相手と協力体制を組む。ただ乗りを心掛けてはいけない。     

 

> また、つい最近、ジョー・バイデン米大統領はホワイトハウスでの演説で、「アフガン軍自身が戦う意思のない戦争を、米軍が戦うべきではない」と語った。 

 

日本人自身が戦う意思の無い尖閣有事を米軍が戦うべきではない。ジョー・バイデン米大統領はリーズナブルな人ですね。   

 

> 万一、今回のアフガン退避作戦において、迅速に自衛隊機を派遣し、自らの手によって大使館職員およびアフガン人スタッフを退避・救出することができたならば、いかなる危機があろうとも自国民を守るという国家・国民の強い意志を世界に示すことができたであろう。

 

そうですね。タラレバの話は尽きることがありませんね。   

 

>2.アフガン人救出は二次的任務  

> カブールが陥落し、民間機のチャーター便の選択肢がなくなった時点で、外務省は、大使館職員12人を米軍機で退避させることを判断した。> この時点で、自衛隊機を派遣しなければ総勢500人ものアフガン人スタッフを輸送・救出できないことは自明である。

> しかし、外務省は、大使館職員12人が英軍機で退避した後に、カブールに軍を駐留させている国に対し、アフガン人スタッフを輸送機などに乗せてもらえないか要請を続けたが、色よい返事は得られなかった。

 

日本人お得意の他力本願・神頼みですね。人手を必要としている時に頼みごとをするとはね。外務省はピントがずれているのでしょうね。わが国は、他国を助ける用意をして待つべきですね。   

 

> 当然である。各国とも自国民の退避で精一杯であることは想像に難くない。 

 

このような時に他国を助ければわが国の手柄話になりますね。   

 

> 直近の記事でも書いたが、日本と違い諸外国の退避作戦は非戦闘員退避活動(NEO)と呼ばれる軍事作戦である。> 母国から離れた遠隔地での軍事作戦中に他国の面倒を見るほど余裕があるはずがない。  

 

各国は日本の助けを必要としていた時でしたね。   

 

> その結果、日本は、アフガン人スタッフ500人を置き去りにしてしまった。> そのことによって残されたアフガン人スタッフの恨みを買い、また国家としての品格が問われ、国際的な信用を失ったことは間違いない。  

 

日本が沖縄を失った時には、政府は沖縄県民の恨みを買いましたね。同志を見捨てる思慮の無さ。   

 

> ここで、各国の協力者の退避作戦と比較してみたい。>「各国は、展開していた各国軍隊の通訳など協力者だけでなく、アフガニスタンの国づくりに関わっていた国際機関、NGO(非政府組織)で働いたアフガン人を可能な限り出国させた」 >「おおまかな数字を挙げれば、米国11万人、カタール4万人以上、アラブ首長国連邦(UAE36500人、英国15000人、ドイツ5000人、イタリア5000人、フランス3000人、韓国391人にのぼった(出典:現代ビジネス2021.9.8)」 > 既述したが、カブールが陥落し、民間機のチャーター便の選択肢がなくなった時点で、自衛隊機の派遣を決断していれば、日本も他国同様、アフガン人スタッフ500人を退避・救出することができたであろう。 

 

タラレバの話は尽きることがありませんね。   

 

 

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