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戸叶和男氏  

2021-09-03 04:32:49 | 文化

>370208        両親が“娘の眼前”でSEX、四十八手も披露…! 北関東に実在した伝統的“性の手ほどき” >匿名希望     21/09/01 AM01 【印刷用へ】

>人類集団に於いて性は重要なもの。 

 

そうですね。家畜に子を産ませることは立派な製造業です。生殖は牧畜社会においては唯一発展の基礎である。        

 

>現在の左脳的性教育に比べ如何に農村の性教育は如何に右脳的でおおらかであったことだろうか。  

 

農耕民族においては、生殖は生産目的につながらい暇つぶしのような行いになっている。      

 

>そもそも性に対する羞恥心なるものは、近代観念である個人主義意識そのものなのかもしれない。  

 

慣れの問題でしょうね。日常的に家畜の種付けや・お産の作業をしていれば牧畜民は生殖の作業に真剣にならざるをえませんね。助産婦のようなもので遊びの気分ではいられない。          

 

>リンク「知的好奇心の扉 tocana」さんより転載 >昔から世の中には様々なジャンルの“手ほどき”が存在しているが、こと“性”に関するものとなると、どういうわけか見当違いなものが数多く存在している。

 

牧畜の社会においては、生殖の作業は日常茶飯事であり。見当違いがあったのでは生活は成り立たちませんね。       

 

 >「なにせ昔は今みたいに情報が簡単に手に入らなかったからね。 >そういう時代ならではの昔話として聞いてくれたらって思うよ」 >かつて北関東のとある山間部に位置する鄙びた農村で行われていたという“奇妙な性の手ほどき”についてそう語るのは、当地で長らく窯業を営んでいる新井喜一さん(仮名・86)。  

 

我が民族 (農耕民族) の生殖に関する知識は生産活動に関係していないため、与える側も得る側も苦労の話が長くなりますね。   

 

>なんでも新井さんの話によると、その昔、当地の少女たちは、思春期を迎える頃に、両親からあらぬ形で性のイロハをレクチャーされていたのだという。 >「まぁ、平たく言えば、四十八手を実際にやって見せるの。 >女の子がね、初めて月のモノが来たらね、そこから毎日四十八手を1つずつ見せていくっていう。 >そういう話だわね」  

 

牧畜民族であれば、家畜の種付け・出産は日常の茶飯事ですね。性に関する技術は生産活動そのものに直結している知識ですね。      

 

>初潮を迎えた女児に対し、なぜか両親みずから「実践」という形で、四十八手すべてを教えるという当地の習慣。  

 

農耕の社会においては、生殖は利殖につながらないから、実践はあだ花のような存在感を免れ得ませんね。    

 

>親のセックスを見たことがトラウマになるという声が多く聞かれる現代では到底考えられない話だが、その実、当時の村人たちは皆、大真面目にこうした奇妙な行為を続けていたのだそうだ。 >たしかにね、傍目に見たらおかしなことかもわからんけど、ここいらじゃ大昔からそうしてたという話でね。 

 

これは農耕民族の生殖に対する励み方ですね。生産活動に直結しないから真剣みがない。      

 

>うちでも姉さんたちはそうやって教えてもらってたよ」 >ある意味、“性教育”として考えれば、それなりに実のあることに思えなくもないものの、だからと言ってその効果がデメリットを遥かに超えるものであるかと言えばなんとも怪しいところ。  

 

日本人は牧畜経験がないから、生殖と利殖は結びつかない。だが、牧畜民にとっては、生殖のみが利殖である。南北戦争前のアメリカの南部では、牧場主は奴隷女に最も効果的に妊娠させ続けることが最大の利殖になった。自分の子は奴隷の子でもある。奴隷の子は自分の財産でもある。

 

>やはりいつの時代も、民間伝承的に行われる“手ほどき”の類というものは、その効果は勿論のこと、倫理的にも怪しい要素が少なからず含まれているものなのかもしれない。  

 

生殖そのものを情緒的対象としてはならないというのは牧畜民族の教えである。性交あれど情交なしで行かなければならない。遊女を警戒せよ。あくまでもビジネスライクで行かなければならないというのが彼らの方策である。間投詞 fuck (性交せよ=糞っ,畜生) や 間投詞shit (くそ、畜生) はアメリカで使われる言葉としては珍しくない。性交と糞は牧畜民族にとって身近な存在だからでしょうね。      

 

>文・取材=戸叶和男  

 

 

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