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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

共通するセリフ 2/2

2020-05-12 23:07:24 | 文化
(続く)

そうですね。 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン) 

>でも、頭のいい日本人は、その瞬間にその先の展開も頭によぎってしまう。

日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、非現実 (考え) の内容は、過去も現在も未来もごっちゃになって考えられてしまう。そこへアメリカ人の教師は、the sequence of tenses (時制の一致) を示して日本人の考え方の間違いを指摘します。
日本人には複視は無い。現実から一歩でも外へ踏み出すことは無い。

>「でも、そんなんしたら、経済が!そんなんしたら、うつ病が増えて!そんなんしたら、家庭内の犯罪が増えて!」と慌てる傾向にある。>感染を防ぐことと、それらを同列に置く。

そうですね。正しい考え方から逸脱しますね。
現実の内容は、頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。楽ちんである。正解は一つである。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。その話の内容を知るには、文法に基づいて文章を逐一理解しなくてはならない。これは骨の折れる仕事である。だから、日本人は通常 ‘理解’ をしない。忖度 (推察) で済ませている。
忖度と理解は似て非なるものであるから注意を要する。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。両者の間に齟齬があっても議論にもならない。忖度の主に現実直視になっていないことを指摘すると、’だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と反発されて物別れに終わる。取りつく島がない。主は現実を受け入れることのできない状態に陥っている。心ここにあらざれば視れども見えず。このような精神状態では正しい判断は得られない。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

>ロシアの大統領プーチンは外出禁止令を出した際、国民にこう言いました。 >「おまえら外出したいなら、してもいいけどよ。 >見つけたら、即、逮捕してやっからな」と(大袈裟に意訳)。 >目の前の問題をまずはクリアさせなきゃいけないトップの態度としては、正解なんだろうなと思います。

笛吹けど踊らずの国民 (ロシア人) と同調圧力の強い国民 (日本人) とでは、政府の対処の仕方も違いますね。それにしても、日本人の方が異常なのでしょうね。

>“少しくらいなら~”、“たまには~”という個人の意思、意見、自由を忖度はしない。

日本には、‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

>最新の科学的エビテンスをもとに、「シュガーは人体に悪だ」という事実を、医者は言い切らないといけないように。 > 日本人のお医者さんが日本人の患者さんに「でも、まぁ…ねぇ、たまにはね」と言うのは、日本人同士だからでもあるし、「個人の別の価値観に沿った意見」まで進言できるやさしいお医者さんだからです。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

> 「我慢しすぎてもさぁ、余計身体に悪いでしょお~?そうは言っても、お酒のない人生なんてぇつまらなすぎるー、たまのショートケーキもダメなんて生きてる意味なぁい…」それらの心情を理解してあげられるからです。

日本人は心の優しい人たちですね。

>でも、医学的には間違っている。 

日本には、医学の専門家はいないのかな。

>くどいようですが、人類の存続をかけた場合、各国は早急にロックダウンするべきでした。>カリフォルニア州に1週間遅れたけだけで、ニューヨークは全米中から叩かれた。

そうですね。何事も基本から出発すべきですね。

>日本で外出自粛例が出た後に、「そうは言っても、飲食店は大変でしょ~、インフルエンザよりは感染率低いんだしさぁ~、逆に不健康だよぉおお」は実はその後の問題だと思うのです。

そうですね。我々日本人は、意見はできるだけ多い方がよいと思っているからでしょう。

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共通するセリフ 1/2

2020-05-12 22:17:04 | 文化

>356570 日本人の患者にだけ共通するセリフに、米国の医師が驚いた理由  >土偶 ( 25 会社員 )  20/05/11 PM11   
>日本人の患者にだけ共通するセリフに、米国の医師が驚いた理由とは? >感性の違いが浮き彫りに 

それは文法・文化の違いではないでしょうか。

>引用元:リンク
>-------------------------------------------------------------------
>日米間で違う、緊急事態宣言の懸念 > 以前、友人のアメリカ人医師とごはんを食べに行った際の話です。
> (中略)
> 「いいかい。少しくらいのお酒がストレスを緩和したり、たまのスイーツが幸福感をもたらしたり、それらの事実がQOL(クオリティー・オブ・ライフ、つまり人生の質)を上げるのは間違いない。>長い目でみたら、健康にいいとも言えるかもしれない。>さっきも言ったように僕も同意見だよ」

話の分かる外国人のようですね。

> 「うん」
> 「それと、“お酒や砂糖が健康にいい”というのは全く別問題なんだよ」

そうですね。別の視点・論点から導き出された結論ですね。

> 「言ってることがわからない」
> 「お酒やデザートがストレス発散になり、長い目で見て幸福への手助けになるという価値観と、医学的に人体にとってアルコールや精製されたシュガーが悪質に働く、という問題はまったく別なんだよ」
> 「あったりまえじゃん、そんなことはわかってるよ」
> 「違う、わかってない。日本人はそのあたりをぐちゃぐちゃにしがちなんだよ」と言います。

そうですね。日本人は視点・論点をぐちゃぐちゃにしがちですね。だから、’ああでもなければ・こうでもない’ という発言になりやすい。

>そして、その感覚は日本人特有のものだと彼は続けます。>世界中で日本人だけのもの、だと。

本当にそうなのでしょうかね。世界の孤児か。

> 「ハッキリ言って、アルコールも精製された砂糖も人体にはまったく必要ない。 >悪い、ものなんだよ。 >その事実は変わらない。 >シュガーは、悪い。 >それ以上でも以下でもない」
> 「うん」
> 「で、その上で、そうは言っても、たまには食べたいよね。 >身体には悪くても、幸せを感じるから、少しくらいはいいよね、っていう意見には個人的に賛成する」
> 「どう違うの?」このあたりから僕はこんがらがって来ます。
> 「全然違う。0.0000001グラムでも良いか、悪いか、で言うと、医学的には人体には悪いんだよ。 >長い目で見てストレス解消、幸福感で、人体によかったとしても、それはまた別の話なんだ。 >医者の僕が患者に言うのは、シュガーは身体に悪いですよ、で完結のはずなんだよ」 

そうですね。

> 「…うん、なんとなく、わかる」
> 「でも、世界中のあらゆる患者さんの中で日本人だけが、『でも少しくらいは、いいですよね』『でもたまには、問題ないですよね』って言ってくる」 

日本人は、先生の許可が欲しいのですね。

> 「だから、それは、ストレス解消にもなるし、幸福感を感じ…」
> 「だーかーら、それは、まったく違うイシューの話で、その後の個人の見解なんだよ。

視点・論点の違いですね。

>個人の生き方の自由で、医者の僕の意見は、“砂糖=悪い”以上!なんだよ」

そうですね。その通りですね。

> 「でも、彼らの言いたいことはわかるだろ」

ここが日本人の大切なところ。だが、なあなあ主義 (なれ合い) は外国人には受け付けられない方法でしょうね。

> 「わかるけど、わからない。 

分かっちゃいるけどやめられない。

>わかっちゃダメなんだよ。

そうですね。なあなあ主義はダメなのですね。なあなあ主義とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに ‘なあ、いだろう’ ぐらいの話し合いで全てを済ませること。議論にならない。

>人体的に悪いという話と、価値観的に良いという話を同列に話すのは日本人の特徴なんだよ」

日本人には、二つの観点を持つことは許されませんね。現実の世界には観点は一つしかない。正解も一つである。Double vision (複視) があれば、それは日本人としては病気の症状です。

>日本人の僕は、日本人の気持ちがわかります。

実にイージーな気持ちですね。

>一民族、単一言語、単一宗教の僕たちは、国民みんなが「あるある」を共通認識として持っているからです。 

見ることのできる内容は本当のことである。見ることのできないものは ‘嘘’ である。
考えの内容は非現実であり、その内容は頭の中にある。だから、見ることができない。そして、考えの内容は嘘となる。

>や、彼ももちろんわかっています。

昔から、日本人のおかしいことは知れ渡っていますね。

>でも、世界ではわかりづらいらしい。

世界に通じませんね。

>で、その結果、経済が破綻するかもしれない、市民のメンタルが不安定になるかもしれない、というのは、実は、その後の問題です。>大雑把なアメリカ人ほか、世界の人々はみんな、まずは、目の前の問題を片付けようとします。

(続く)

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鬱陶しい会話 2/2

2020-05-12 00:10:39 | 文化
(続く)
> 「すごい伝え方」の真意は、自分軸に従い、相手が求める回答を察しながら、相手が幸せになるための方向へ導いてあげること。

そうでしょうね。’察し’ ではなく ‘理解’ が必要でしょうね。

>はっきり主張することだけが正解ではありません。>そこは決して間違えないようにしましょう。

日本人は文章でなく、ばらばらな単語だけで会話を済ませることが多いので、ハッキリとした主張は難しいでしょうね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

> 相手のために遠慮をすることは、かえって不親切になる 

忖度 (推察) による遠慮ですね。

>歯科医師として、患者さんに治療のプランを提案するとき、極端に言えば、一番高額なプランが患者さんにとってベストなプランです。

必ずしも高額がベストとは言えないでしょう。

> 歯並びが悪いと思ったら、歯列矯正したほうがいいと思うし、女性ならホワイトニングしたほうが間違いなくキレイになります。> 大きな口を開けて笑ったときに、銀歯が並んでいるのはカッコ悪いと思うのは、歯科医師として当然のことです。

そういう場合もありますね。

>だからこそ、患者さんのお口を100点にしてあげるためのプランを、私は躊躇なく提案します。>それがたとえ150万円であろうと、200万円であろうと、迷わず患者さんに提案しています。>それが患者さんのためだからです。

それを聞いて患者さんが恥をかく場合もあるのではないでしょうか。

>しかし、多くの歯科医師は、はっきり言わないことがあります。 > 「虫歯の治療に行っただけなのに、ホワイトニングを提案された」とか「あの歯科医院は高すぎる」と誤解されたくないからです。

誤解は避けなければなりませんね。

>そんな口コミを気にするあまり、何も言うことができず、ただ虫歯の治療だけして終わりというのは、なんとも無責任な気がしてなりません。

そうですね。忖度に基づく無責任ですね。

>このように、歯科医師という立場ですら患者さんに対して気を使い、本音を言いにくいことが多くあるのです。

本音 (私意・我儘・身勝手) は良くない。自己のリーズン (理性・理由・適当) を述べるべきですね。

>もちろん、私は高額なプランを患者さんに押しつけたりはしません。

押し売りはいけませんね。

> 金額的に折りあわなそうであれば、患者さんの経済事情に合わせながら無理のないプランを再構築しますが、それでもなお、患者さんのことを思うと100点の治療をしたいと思ってしまう自分がいます。

それはありますね。

>それなのに、気遣いをすることで、患者さんにプランの提案ができない歯科医師は、一見患者さんの気持ちを受け止めているように考えているかもしれませんが、本当の意味では患者さんの将来にとっていいことではないと私は考えます。>つまり、親切そうに思えても、それがかえって患者さんのためになっていないのです。> 相手の意見に合わせることを優先してばかりで、自分の意見を伝えないのは、不親切であり、やがてそれは不信感にもつながりかねません。

そうですね。

> 「相手がどう捉えようと、私はこうしたほうがいい」という、自分軸に沿った明確でぶれない言葉からは、やがて信頼と愛情が生まれます。

そうであってほしいですね。

>これは、歯科医師と患者さんという関係だけではありません。>たとえば、あなたが誰かに何かを相談されたとき、どのような姿勢、態度で話を聞いていますか?  >相手に共感することを優先し、無意識のうちに、自分の意見にはフタをしているという方も多いのではないでしょうか。

それはありますね。

> 相手の気持ちを傷つけまいと、相手の意見に共感することは、優しいように思えます。>しかし、長いスパンで見れば、それはむしろ無責任であり、相手にウソをついていることになるのです。 > 伝え方に、正しいも間違いもありません。

効率の良い伝え方は、仕事の能率を高めますね。

(略)



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