(続く)
そうですね。 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
>でも、頭のいい日本人は、その瞬間にその先の展開も頭によぎってしまう。
日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、非現実 (考え) の内容は、過去も現在も未来もごっちゃになって考えられてしまう。そこへアメリカ人の教師は、the sequence of tenses (時制の一致) を示して日本人の考え方の間違いを指摘します。
日本人には複視は無い。現実から一歩でも外へ踏み出すことは無い。
>「でも、そんなんしたら、経済が!そんなんしたら、うつ病が増えて!そんなんしたら、家庭内の犯罪が増えて!」と慌てる傾向にある。>感染を防ぐことと、それらを同列に置く。
そうですね。正しい考え方から逸脱しますね。
現実の内容は、頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。楽ちんである。正解は一つである。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。その話の内容を知るには、文法に基づいて文章を逐一理解しなくてはならない。これは骨の折れる仕事である。だから、日本人は通常 ‘理解’ をしない。忖度 (推察) で済ませている。
忖度と理解は似て非なるものであるから注意を要する。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。両者の間に齟齬があっても議論にもならない。忖度の主に現実直視になっていないことを指摘すると、’だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と反発されて物別れに終わる。取りつく島がない。主は現実を受け入れることのできない状態に陥っている。心ここにあらざれば視れども見えず。このような精神状態では正しい判断は得られない。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。
>ロシアの大統領プーチンは外出禁止令を出した際、国民にこう言いました。 >「おまえら外出したいなら、してもいいけどよ。 >見つけたら、即、逮捕してやっからな」と(大袈裟に意訳)。 >目の前の問題をまずはクリアさせなきゃいけないトップの態度としては、正解なんだろうなと思います。
笛吹けど踊らずの国民 (ロシア人) と同調圧力の強い国民 (日本人) とでは、政府の対処の仕方も違いますね。それにしても、日本人の方が異常なのでしょうね。
>“少しくらいなら~”、“たまには~”という個人の意思、意見、自由を忖度はしない。
日本には、‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)
>最新の科学的エビテンスをもとに、「シュガーは人体に悪だ」という事実を、医者は言い切らないといけないように。 > 日本人のお医者さんが日本人の患者さんに「でも、まぁ…ねぇ、たまにはね」と言うのは、日本人同士だからでもあるし、「個人の別の価値観に沿った意見」まで進言できるやさしいお医者さんだからです。
'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
> 「我慢しすぎてもさぁ、余計身体に悪いでしょお~?そうは言っても、お酒のない人生なんてぇつまらなすぎるー、たまのショートケーキもダメなんて生きてる意味なぁい…」それらの心情を理解してあげられるからです。
日本人は心の優しい人たちですね。
>でも、医学的には間違っている。
日本には、医学の専門家はいないのかな。
>くどいようですが、人類の存続をかけた場合、各国は早急にロックダウンするべきでした。>カリフォルニア州に1週間遅れたけだけで、ニューヨークは全米中から叩かれた。
そうですね。何事も基本から出発すべきですね。
>日本で外出自粛例が出た後に、「そうは言っても、飲食店は大変でしょ~、インフルエンザよりは感染率低いんだしさぁ~、逆に不健康だよぉおお」は実はその後の問題だと思うのです。
そうですね。我々日本人は、意見はできるだけ多い方がよいと思っているからでしょう。
.