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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

打って一丸 3/3

2020-05-16 00:36:42 | 文化


>そういう一種の関係妄想を病んでいる人間の人口比率が一定の値を超えると、国力は増大し、国運が向上する。 

空想・妄想でなくて、哲学であると良いのですがね。そうでなければ極めて危険です。無哲学・能天気な日本人にそれは無理でしょうね。

>逆に、その比率が少ないと(つまり「オレが何をしようと、国の運命には影響がない」と思っている人ばかりだと)、国運は衰える。

わが国にはなんでもあるが、ただ夢と希望だけがありませんね。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。
非現実・考えの内容を文章にして表すには、文法の時制 (tense) というものが必要である。
時制のある文章は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すようにできている。
各世界の内容は、人生の初めには白紙の状態であるが、各人は人生経験を得るたびにその内容を脳裏に蓄積して持つようになる。これらは世界観 (world view) と呼ばれている。
未来の世界の内容にはあるべき姿 (things as they should be) がある。自己の世界観 (非現実) を基にして現実の世界を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。だから、英米人には批判精神がある。
だが、日本語には時制というものがないので、日本人には世界観がない。そして、批判精神というものがない。わが国のマスコミは、政府の内容をそのまま垂れ流している。節操のなさがいかにも日本人らしいところである。かくして、わが国には有力紙というものが存在しない。

>明治の日本が東アジアで例外的に短期間に近代化に成功したのは、その比率が例外的に高かったからだと思います。

‘追いつけ・追い越せ’ の掛け声ですね。現実に存在するものは日本人が信じることができる。独立国といったような非現実 (考え) の内容の実現に対して日本人は動きませんね。世界観に対応した未来志向をもてないでいる。だから、日本人の政治音痴は治らない。

> でも、安倍政権は70%の国民に対して、「自分が何をしても世界は変わらない」という無力感を刷り込み続けて、ついにそれに「成功」してしまった。 

これは江戸時代への祖先返りですかね。‘不自由を常と思えば不足なし’ ですね。’怒りを敵と思え’ か。下におれ、下におれ。小さくなっていれば問題がない。

>残り30%は「オレが別に頑張らなくても、あっちの方からぜんぶお膳立てしてくれる」という居心地のよいネポティズム政治に居着いてしまった。 

これも祖先返りですね。‘他力本願・神頼み’ でしょう。これもわが国の伝統ですね。

>「オレが頑張らないとこの国はダメになる」という使命感に身を焦がす・・・というタイプの人間を減らすことを制度的に推進したのです。 >それでは国力も低下します。 

そうですね。空想・妄想に駆られて身を焦がす人間に頼らず、政治哲学に基礎を置く政治家が現れると良いですね。
哲学 (言語) ができない日本人には英米流の高等教育機関を能率よく運営することが難しい。学生は4年間キャンバスで遊ぶしかない。
しかし、非現実の内容であっても ’空想・妄想’ (非言語) なら成功も可能である。お陰様で、わが国は漫画・アニメの大国になりました。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。さすれば、我々も自己の意思を文章にして表明できます。自己の意思を表明する者は当事者・関係者となる。表明しない者は傍観者にとどまる。
我々日本人は、孤高の人になってはいけない。責任者になって重要人物になろう。そして、人類の進歩に貢献しよう。

> 安部政権は個人の努力が国運向上にリンクするという幻想をみごとに粉砕しました。

それは残念ですね。彼の政権は、わが国の個人主義に悪い影響を与えていますね。没個性の国柄を色濃く表していますね。

>そうすることで、無気力な、権威に尻尾を振るだけのイエスマンの大量育成には成功しましたけれど、そんな人間をどれほど頭数揃えても、国は衰えるばかりです。

そうですね。社畜の頭数を増やしても会社は衰えますね。自分自身の意気消沈の原因の究明に国民が真剣になる必要がありますね。やればできる。道筋はすでについている。

> (2020-03-06 13:14) >-----------------------------  >(転載おわり)


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>そういう一種の関係妄想を病んでいる人間の人口比率が一定の値を超えると、国力は増大し、国運が向上する。 

空想・妄想でなくて、哲学であると良いのですがね。そうでなければ極めて危険です。無哲学・能天気な日本人にそれは無理でしょうね。

>逆に、その比率が少ないと(つまり「オレが何をしようと、国の運命には影響がない」と思っている人ばかりだと)、国運は衰える。

わが国にはなんでもあるが、ただ夢と希望だけがありませんね。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。
非現実 (考え) の内容を文章にして表すには、文法の時制 (tense) というものが必要である。
時制のある文章は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すようにできている。
各世界の内容は、人生の初めには白紙の状態であるが、各人は人生経験を得るたびにその内容を脳裏に蓄積して持つようになる。これらは世界観 (world view) と呼ばれている。
未来の世界の内容には ‘あるべき姿’  (things as they should be) というものがある。自己の世界観 (非現実) を基にして現実の世界を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。だから、英米人には批判精神がある。
だが、日本語には時制というものがないので、日本人には世界観がない。そして、批判精神というものがない。だから、わが国のマスコミは、政府の内容をそのまま垂れ流している。節操のなさがいかにも日本人らしいところである。
 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)  
かくして、わが国には有力紙というものが存在しない。

>明治の日本が東アジアで例外的に短期間に近代化に成功したのは、その比率が例外的に高かったからだと思います。

‘追いつけ・追い越せ’ の掛け声ですね。現実に存在するものは日本人は信じることができる。独立国といったような非現実 (考え) の内容の実現に対して日本人は動きませんね。世界観に対応した未来志向をもてないでいる。だから、日本人の政治音痴は治らない。

> でも、安倍政権は70%の国民に対して、「自分が何をしても世界は変わらない」という無力感を刷り込み続けて、ついにそれに「成功」してしまった。 

これは江戸時代への祖先返りですかね。‘不自由を常と思えば不足なし’ ですね。’怒りを敵と思え’ か。下におれ、下におれ。小さくなっていれば問題がないということか。

>残り30%は「オレが別に頑張らなくても、あっちの方からぜんぶお膳立てしてくれる」という居心地のよいネポティズム政治に居着いてしまった。 

これも祖先返りですね。‘他力本願・神頼み’ でしょう。これもわが国の伝統ですね。

>「オレが頑張らないとこの国はダメになる」という使命感に身を焦がす・・・というタイプの人間を減らすことを制度的に推進したのです。 >それでは国力も低下します。 

そうですね。空想・妄想に駆られて身を焦がす人間に頼らず、政治哲学に基礎を置く政治家が現れると良いですね。
哲学 (言語) ができない日本人には英米流の高等教育機関を能率よく運営することが難しい。だから、大学生は4年間キャンバスで遊ぶしかない。
しかし、非現実の内容であっても矛盾をいとわない ’空想・妄想’ (非言語) の分野なら日本人は成功する可能性がある。お陰様で、わが国は漫画・アニメの大国になりました。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。さすれば、我々も自己の意思を文章にして表明できます。自己の意思を表明する者は当事者・関係者となる。表明しない者は傍観者にとどまる。
我々日本人は、孤高の人になってはいけない。この地球村の責任者になって重要な人物になろう。そして、各国からの信頼を得て人類の進歩に貢献しよう。

> 安部政権は個人の努力が国運向上にリンクするという幻想をみごとに粉砕しました。

それは残念な結果ですね。彼の政権は、わが国の個人主義に悪い影響を与えていますね。没個性の国柄を濃厚にして見せましたね。

>そうすることで、無気力な、権威に尻尾を振るだけのイエスマンの大量育成には成功しましたけれど、そんな人間をどれほど頭数揃えても、国は衰えるばかりです。

そうですね。社畜の頭数を増やしても会社は衰えるばかりですね。自分自身の意気消沈の原因の究明に国民が真剣に取り組む必要がありますね。やればできる。道筋はすでについている。

> (2020-03-06 13:14) >-----------------------------  >(転載おわり)


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