gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

集団意識 3/5

2020-05-26 21:34:52 | 文化

>つまり自分自身の考えを持って目立つことよりも、人の考えに同調して「平均化」しようとする。

そうですね。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。
考えは非現実の内容である。現実の内容は頭の外にある。非現実の内容は頭の中にある。現実の内容は見ることができる。非現実の内容は見ることができない。現実の内容は見ればわかる。考える必要はない。だから、楽ちんである。非現実の内容は話であるから、その文章を文法に従って理解しなくてはならない。これは骨の折れる仕事である。だから、日本人は通常 ‘理解’ はしない。その代わりに ‘忖度’ (推察) をする。これは外国語を意訳するようなものである。その訳文には違和感がない。だが、危険なことである。
考えの内容を文章にするには、使用言語の文法に時制 (tense) というものが必要である。時制のある文章はそれぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。人生の始まりにはこれらの三世界は白紙の状態であるが、人は日常の生活経験を経るにしたがってその内容を蓄積するようになる。この内容は世界観 (world view) と呼ばれている。自己の世界観 (非現実) に従って現実の内容を批判すれば、その人は批判精神 (critical thinking) のある人になる。
日本語の文法には時制というものがないから、日本人には非現実 (考え) の内容というものがない。だから、日本人には批判精神がなく、他人の言う内容をそのまま垂れ流すことになる。だから、マスコミには信頼がなく、わが国には有力紙が存在しない。

>「出る杭は打たれる」 ということわざの言うように、日本人の強い中流意識が代表的な処世術だと端的に表されている。

そうですね。無哲学・能天気は我が国民の中流意識の源ですね。考えがないのであるから、出る杭になる動機もありません。

>このような見方、態度、行為は時の流れにしたがって、日本の国民の普遍性となっている。

日本人は、何処にも移動しませんね。過去・現在・未来のそれぞれの内容は想定外になっている。前世・現世・来世の内容も信じられていない。だから、’我々は何処を目指すのか’ の問いには意味がない。何事も、お変わりのないことが良いことです。死後も草葉の陰からじっとこちらの方を眺めている。
時の流れに従っていると我々はどのようになるのでしょうかね。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、日本人の絶対化について次のように述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」(引用終り) 

>  たとえば、欧米人は自分の意思や意見を直接相手にぶつけて強く自己主張するに反し、日本人は相手の気持ちや立場を察して、それも考慮に入れて発言したり行動したりする傾向が強い。

そうですね。
意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。同病相哀れむ形で忖度 (推察) を働かしている。
日本人には世界観がない。だから、強く主張すべき自己の内容を持たない。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて、受動ばかりがある。加害者意識 (罪の意識) がなくて、被害者意識ばかりがある。だから、実に恨めしい。
'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)  

>さらに、日本人にはイエス、ノーをはっきり表明しない傾向がある。

日本人には意思がないので、自己の意思を問われてもイエス・ノーで答えることはできませんね。日本人のイエス・ノーは恣意 (私意・我儘・身勝手) の声になるでしょうね。

>そのため、日本人の同一性は、無用の摩擦を避けようとする古くからの伝統などに基づくものである。

議論をすれば喧嘩になります。喧嘩をするために議論が必要なのか、議論をするためには喧嘩が必要なのか。

> 日本人は第二次世界大戦における玉砕や集団自決の悲劇、一億一心のスローガンがたくさんあった。 >また、今日、企業経営、サラリーマン社会などにおける集団の和の重視、果たしては学校の生徒の制服に至るまで、広く深く根が張っている。

日本人には自己がない。自分には自信がない。集団の中に埋没して行動する。’みんなで渡れば怖くない’ という心理状態でしょう。 


.


集団意識 2/5

2020-05-26 21:06:13 | 文化

>1.2儒教思想からの影響
> 中国から伝えられた儒教は「仁」と「和」の思想を宣揚して、日本人の集団意識の形成に巨大な影響を与えた。

京都には仁和寺という寺もありますね。

忠孝を重んずるその道徳は江戸時代以降特に広まり、「家制度」にもつながった。

家制度は日本人の得意な序列制度の発展した形態ですね。

>たとえば、家長は絶対の権限を持ち、家族は「家」に従わなければならない。

序列人間は上位下達ですね。議論・対話が成り立たないのだから仕方がないのかもしれませんね。

>家族の共通の目的、思考は「家」の発展するように努めることである。

そうですね。戦前の大日本帝国の臣民のようなものですね。

>また、家長の判断も「家」の発展を第一に考えなければならない。>この様な集団を形成することは多数の日本人にとって生存と生活に不可欠な古代からの方式で、時代を経るにつれて団結することが好きになるという社会習慣を生んだ。

排他的な団結ですね。

>1.3危機意識に由来する
>日本は、環太平洋地震帯の上にあるため、世界屈指の地震国である。

中国には地震が少ないようですね。

>1995年、兵庫県神戸市を中心に大きな地震が起き、死者6000人以上を超え、被害を被った。
>また、1923年9月1日に発生したマグニチュ-ド7.9の関東大震災もよく知られており、そのとき、下町を中心に火災が発生し、死者、行方不明者は14万2000人を超えた。

日常、日本人の恐れているものをその順に列挙すると、地震・雷・火事・親父です。

>それ以外、日本は火山、台風、豪雪、津波などの自然災害の多発国であり、「自然災害の博物館」とまで呼ばれる。>自然からの恐れだけではなく、島国の閉鎖と開国の体験として、資源の欠乏などそれぞれの危機感を抱いて、特に競争心の強い日本人が常に危機感を感じるのは島国根性であるといわれる。

‘鬼は外。福は内’ ですね。‘上と見るか・下と見るか’ の判断に迫られて、日本人の競争心が強くなっていましたね。

>ある日本人は「日本は一つの大加工工場ですから、誰かが首を絞めないかと心配するのです。」と言った。>このような感じは日本人の共通認識をもっている。

現在の中国のようなものですかね。

>この意識をもっている日本人は、個体の力の弱さと集団の強さを認識するし、集まらないとできないという気持ちを持っているらしい。

日本人は無哲学・能天気な人たちですからね。個人主義は当てにならない。問題の解決には集団の力が頼りになりますね。  

>そのため、集団意識が思想的に成立している。

自分では考えられないのであるから、他の人々に従うしかないでしようね。

>306989 中国から見た日本人の集団意識②  >時田 弘 ( 30 千葉 会社員 )  15/08/19 PM10 【印刷用へ】
>①の続きです。 >・・・・・・・・・・・・・・
>日本人の集団意識は日本人の性格への影響
> 日本人の集団意識は日本人の国民性の中に重要な意識である。

そうですね。わが国には、個人がなくて集団がある。単純な集団万能主義ですね。

>それは日本社会の発展と歴史に大きな影響を及ぼしただけではなく、日本の民族の性格形成にも影響した。 >日本人の集団意識の様々な特性は自らの言動が矛盾し、複雑に入り組む日本人の心理状態、生活様式と思惟の方式を生み出した。

なれ合いですね。これを ‘なあなあ主義’ というのか。 ‘なあなあ主義’ とは、 真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。

>2.1同一性
> 日本人は一般に他人とはかけ離れた行動をとることを好まない。

そうですね。集団からかけ離れてはいけない。

>したがって、自分の行動を決めるにあたっては、他人がどう行動しているか、あるいは他人からどう思われるかに気をかけたり、それに影響されたりすることが多い。

そうですね。‘人の振り見て我がふり直せ’ ですね。
‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)  

>日本人は仲間外れにされることを恐れる。

そうですね。村八分・外人・非国民などと言われるのを恐れていますね。無哲学・能天気であっては自分は頼りにはなりませんね。

>そのため、強く自分を主張することよりも、周囲と同調して、たとえ意見が違ったとしても「丸くおさめる」ことを好む。

そうですね。日本人には、それしかない。自主・独立は考えられていない。


.



集団意識 1/5

2020-05-26 20:55:04 | 文化

>306982 中国から見た日本人の集団意識①  >時田 弘 ( 30 千葉 会社員 ) 15/08/19 PM08 【印刷用へ】 >日本人の集団意識について――日本人の性格をめぐる >リンク > より引用します。
> 序論
> 周知のように、牡丹は中国の国花であり、桜は日本の国花である。

そうですね。中国では梅も人気がありますね。

> 牡丹という花は、同じ木の花でも咲く時期は一緒ではないし、形や色が微妙に違う。 >同じ木の花でも巧みや美しさを競う。 >中国人は牡丹のように、個性が強く、独創的なことをするという意識が強い。

そうですね。中国人も中国国花も貫禄がありますね。日本人にようにへいこらへいこらしていない。  

>  それに反して、日本人は桜そのものである。 >国民性といい、思考方法といい、まさに桜である。

‘国花は国民性を表す’ ですか。

>日本人は誰でも花を聞くと頭の中に桜が浮かべている。>桜はパッと咲いてパッと散る、咲くときも一緒、散り方も美しい。>一輪一輪の花はこれといった特徴はなく、目立たないが、樹全体、林全体の花となると圧倒されるような華麗さと迫力がある。

ナウな感じのする国花ですね。集団主義の象徴ですかね。日本人は同期の桜ですね。

>日本人は協力のチームーワークを崇拝し、人と人の間に互いに援助し、互いに協力しあい、互いに団結している。

そうですね。自世列社会では滅私奉公により自己の順位を上げることができる。これは出世可能という事か。

>ひとつの桜はきれいではない。>ただし、一面の桜を一緒に集めてきれいになる。>つまり、日本人は行動様式が集団主義で、規律を重んじ、集団からはみ出すことはしない。 

そうですね。大名行列のようなものか。

>一人一人の個性はないが、集団では大きな力を発揮するというのである。

そうですね。「中国人1人では龍であるが、3人集まると虫になる。日本人1人では虫であるが、3人集まると龍になる」 (中国の諺) その意味は、’ 三人の中国人は、足の引っ張り合いに熱中するが、三人の日本人は、序列協力に熱中する。’

>  日本が戦後わずか二、三十年の間に、世界第二位の経済大国になった。

そうですね。しかし、今は中国が世界第二位の経済大国になりましたね。

>その奇跡的な飛躍を成し遂げるのは日本人の集団意識にあったと思う。

そうですね。日本人の集団主義が時流に乗ったのでしょうね。  

>日本人のこの集団意識は日本の社会発展と歴史の過程に対しても巨大な影響を及ぼし、日本人のもっとも重要な民族意識の一つである。

集団安全保障のようなものですね。

>  中国と日本は一衣帯水の友好隣国であり、世界経済一体化にしたがって、中日両国は各分野においても協力しあっている。 >両国の経済発展と友好関係を促進するため、日本人の集団意識がわが国の社会主義建設を促進することに多少役立つかもしれないと思う。 

日本人は序列主義で、真の社会主義を望んでいませんね。

>そのため、本文は次の通りに日本人の集団意識を検討してみようと思う。
>              本論
> 一、集団意識が成立する要因
>1.1稲作文化に生まれた
>集団意識の成立は、日本の歴史的背景と無縁ではない。 >はるか弥生時代に始まった稲作文化は、日本人の集団意識の成立に大きな影響を与えた。

稲作の共同作業は集団意識を育てますね。

>島国である日本はどこの国とも陸続きになっておらず、すべて海によって隔てられている。 >この地形によって、日本民族は古くから定住する農耕民がその大部分を占めていて、さらに比較的狭い範囲の小さな集落に分かれて住みついた。 

そうですね。わが国は島国ですからね。大陸の国家とは体制が違いますね。

>その村落社会では、「家が存続し、その構成員は緊密な結合関係にあり、閉鎖的な人倫 共同体が形成された。 >そこでは感情的、情緒的な人間関係が形成された。 

そうですね。’なあなあ主義’ というのか、’なれ合い’ ですね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>その時代には、生産性が低いし、稲刈り期が短いので、合作しなければならない。 稲刈り期には近隣同士が助けあい、共同作業を行う習慣がある。 >これは最初の集団意識であった。

そうですね。稲作は、共同作業に適していますね。



.