>こうした序列社会では、情緒的な一体感が生まれやすいのである。>日本の集団主義もこれによって支えられていると言える。
そうですね。日本人は同期の桜ですね。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、情緒的な一体感のことを指摘している。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。
>このような社会現象は世界でも特異なものだとよく言われる。 > でも、最近は変化しつつある。 >日本経済は低成長期に入っているので、多くの企業が昇進や給与を決める場合、能力重視の傾向を一層強めている。 >さらに、従業員の高齢化や定年延長などによって人件費がかさむことから、年功序列型の給与体系を見直す企業も増加している。
そうですね。それは序列社会の手直しですね。やはり時代の流れには逆らえませんね。
>2.3組織性
> 日本人は自分の属している組織との一体化を図り、自分を犠牲にしてもその組織のために懸命に尽くす。 >このような組織との一体化、組織への忠誠は端的に日本人の集団意識を表現している。 > 日本人は組織の中で泳ぐという言葉がある。 >自分がどこの所属をしているかを常に意識する。
日本人は没個性であるから、個性により個人を把握することは難しいですね。ですから、序列の把握とその中での順位で個人を把握する方法が採られています。それができなければ、’何処の馬の骨かもわからない’ ということになります。
>この組織の中で自分の位置づけや役割を明確化しないと落ち着かない。 >それで自分の位置づけにしたがって行動する。
それは、猿山のサルたちと同じですね。
>集団主義といわれるように、集団では、異を唱えたり、背をむけたりするものには「村八分」 という処罰がある。>これは「内」と「外」という意識が強いという表現である。
韓国人は絶対序列により序列判断をします。日本人は相対序列により序列判断をしています。相対序列には序列系列に関する内外の区別が存在します。他人に対しては、自分の親にも敬語は使いませんね。
>個々の人々はこの「うち」を離れると、うまくいかないと意識し、周りの人々は、誰でもこの「内」を守らなければならないと意識している。
日本人は、内弁慶ですからね。外では自由に話せない。我田引水に励むことになりますね。
>「旅の恥はかき捨てて」 という言葉があるが、これは「外」の社会に入った時の日本人の意識をよく表している。 >「外」の社会では、自分を暖かくするので、周りに対して勝手な行動が許されると思う傾向がある。 >「内」の人関係では絶対にしないことが「外」の人に対して平気で行われたりするのである。
そうですね。日本人は、’序列なきところに礼儀なし’ ですからね。
> 日本の企業も集団主義といわれるように、人間関係の和を重視する。
そうですね。それは、なれ合いでしょうね。話の筋を通すことは難しいから、結局なれ合いになります。
>そのために、企業ではフォーマル及びインフォーマルなさまざまな催し物が行われる。 >一般に人生の大半を一つの会社で過ごすためにおのずとつきあいは会社中心となり、こうした人間関係を円滑にすることはビジネスマンにとって重要な条件でもある。
そうですね。それは、社畜人間の生活ですね。序列関係が腐れ縁となるのかな。
>多くの会社では、定期的に組織全体、あるいは各セクションごとの行事が行われる。 >それは従業員の家族も参加する運転会であったり、社員旅行、転勤者に対する送別会、あるいは歓迎会、年末の忘年会などさまざまである。>このような行事は日本の会社の家族主義的慣習で、人間関係を緊密にするとともに、組織は運命共同体であるという意識を持たせ、組織の活性化を図るという効果もある。
そうですね。日本人は序列による協力しかできませんからね。序列のない外国にでも行ったら、日本人は序列協力による実力を発揮することも難しい。だから、日本は日本人とって非常にありがたい国です。とても抜け出せるものではありません。
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