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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本の特殊性 2/5

2020-05-28 23:25:27 | 文化

> 組織そのものは上意下達の意思決定のシステムでできているように一見見えるが、ほとんどそのようには機能していない。 >どの組織でも、中枢に近くなればなるほど、既得権益を持つ複数の集団が意思決定を独占し、実際の決定はこれらの集団の内輪の合意によるコンセンサスで行われる。

そうですね。伝統的な序列体制はあるが、近代的な責任体制を伴ってはいない。意思の無いところには責任がない。日本人には意志決定 (理性判断) は無いが、恣意決定 (盲目の判断) ならある。談合 (腹の探り合い) により集団の内輪の合意がなされている。無哲学・能天気の人達は外に向かって発するものは何もない。だから、常に内向き姿勢をとりつづけることになる。

> 中枢にいる本来のリーダーの権限はとても弱い。>既得権益を持つ集団の決定を覆す力はリーダーにはない。

意思がなければ、権限も役には立ちませんね。日本人のリーダーは、床の間の置物のようなものになる。既成事実の追認に追われるのが役割になるのでしょうね。

>リーダーに期待される役割は、既得権益を持つ異なる集団の間のバランスと調整を取ることだけだ。 >この調整役に徹すれば徹するほど、リーダーのポストは既得権益を持つ集団によって保証される仕組みだ。 

‘和を以て貴しとなす’ の保証人ですね。

> 既得権益を損なう決定はなされない
> このような特徴を持つ日本型の権力構造では、意思決定を独占している既得権益を持つ集団が、自分たちの権益を手放すような決定をするはずはない。>その結果、どのような決定がなされても、理にかなった合理性には基づかない、ただ既得権益の維持を目的にしただけの決定が行われるのが常態化する。

心ここにあらざれば視れども見えず。恣意決定の主たちは批判精神 (critical thinking) の内容に到達するはずもない。談合は、利害関係のある者のみで行わる。利害ある者だけが関係者とみなされている。第三者は入れない。だから、’あるべき姿’ (things as they should be) の内容はそっちのけになっている。政治哲学がない。

>各省庁の「省益」などという言葉があるが、これこそ既得権益を持つ集団の存在をよく表している言葉だ。

そうですね。’省益あって国益なし’ ですね。かつての陸軍省と海軍省の確執のようなものですね。日本人の争いは、今も昔も変わらない。

> 国民の抵抗運動を背景に台頭する政治家
>この日本型権力構造にはまり込んで抜け出せなくなっている典型が、日本政府である。>政権がどのような方向に政策の舵を切ろうとも、実質的な権限を持った高級官僚層の既得権益に阻まれ、政策が実行されることはない。 

そうですね。無哲学・能天気の人達には、’手段の目的化’ が起こりますね。政策が目的で官僚はその為の手段ですね。だが、実際にはそのようになっていない。

>もちろんこのようなことは、日本ほどではないが、他の先進国でも起こり得る。 >いわゆる官僚層ではないが、金融産業や軍事産業などの特定の利害集団の影響を強く受けた政権ができると、個々の政策はこうした集団の利害によって決定されるようになる。

政治は腐敗しやすいですからね。絶えず国民の監視の目が必要ですね。

>そのようなとき、他の先進国で起こってくるのが国民による抗議運動である。>そのような運動が拡大し盛り上がると、これを支持基盤にした政治家がかならずと言ってよいほど出現する。>そして選挙で政権を交代させたり、議会の多数派となることで政策の決定的な変更を実現する。

彼は追い風を利用した革新的な政治家ということになりますね。

>オバマ大統領の草の根の支持運動の拡大、ティーパーティー運動、フランスの国民運動、ウォール街占拠運動、韓国の反FTA運動などはこうした国民運動の例だ。>このように、韓国や台湾などを含めた多くの国々では、国民運動の盛り上がりがきっかけとなり、まったく対極にある政権に交代することは比較的に頻繁に起こる。

ある日突然、軍国主義者が平和主義者に‘豹変’ するのではないですね。

>これは国民運動が、特定の集団の利害関係を排除する役割を果たすということでもある。

そうですね。特定の集団の存在は ‘あるべき姿’ の内容になじまないですね。

> 日本でも国民の不満を背景にして、利害集団の既得権益を排除する動きがないわけではない。 >橋下大阪市長の運動や名古屋市の川島市長の運動はこうしたもののひとつだろう。 

だが、日本での成功は難しいでしょうね。


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日本の特殊性 1/5

2020-05-28 23:03:42 | 文化

>260116 日本の権力構造の特殊性①  >新聞会   12/01/02 PM06 【印刷用へ】  >日本の権力構造の特殊性=コンセンサス主義で組織が維持される構造を分析した記事を紹介します。 >ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだリンクより転載します。
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>日本のパターンとサイクル
>3.11の東日本大震災は、日本にとってベルリンの壁のような出来事であった。>この大災害を機に、戦後日本を支えていたシステムがもはや機能していないことが明らかになったからだ。 >これからこの国がどうなるのか非常に心配になってくる。

そうですね。一寸先は闇ですね。禍を転じて福としたいものですね。

> 一方、日本は無規則に変化するわけではない。 >日本が変化する歴史的なパターンとサイクルのようなものが確実に存在している。>今回もこのパターンにしたがってこの国は変化する可能性が高い。

日本は日本語の枠組みの中で変化していますね。ですから、無規則ではありませんね。

> 日本のリーダーシップ
(略)
>こうしたサイクルの認識からは、日本は内発的に徐々に変化する社会ではなく、特定の出来事がきっかけとなり、180度まったく別な方向に突然と変化する社会であることが明白になった。

日本人は無哲学・能天気ですから突然に変化することも ‘大あり’ でしょうね。

>鎖国した封建社会から近代国家へと転換した明治維新、それこそ一夜で軍国主義から民主主義の賛美へと転換した1945年などはその典型であるとされた。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)   
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、日本人の絶対化 (信心のようなもの) について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」(引用終り)

> 他方、これらとはまったく異なる側面に注目しても同じようなパターンとサイクルが日本に存在することが分かる。>それは日本のリーダーシップ、つまり日本の権力構造の特殊性という側面である。

そうですね。日本人には個人というものがない。だから、権力を敬遠していますね。

> 上意下達は成立しない
>普通権力構造というと、権力の中枢から組織全体に命令が伝達される上意下達の階層構造を指している。 >このため、政府であればどのような人物が大統領や首相になるかが決定的に重要になる。

そうですね。欧米では個人の性格が決定的に重要になりますね。個人主義が機能しているということでしょう。

>たとえばアメリカやフランス、そして韓国では大統領が変わると、経済政策から社会政策、そして外交政策まで含めたすべての政策が大きく変わってしまう。>アメリカでは、各国の大使を含め、各省庁の部長級以上の高級官僚は大統領の交代とともにすべて入れ替わるのが通例だ。

主だった官僚は、大統領から直接指名されている人たちですからね。直接指名された人たちは変わる必要がありますね。’指名された’ (appointed) か ‘選ばれた’ (elected) かの違いは重要ですね。被指名者は指名者の為に働く要員です。指名者が任期を終えると被指名者も辞表を書かなければなりません。

>現場の事務を担当するスタッフは残るが、幹部クラスの官僚は政権の交代とともに去る。 >この結果、既得権益をむさぼる官僚層は存在しにくくなる。 >大統領の政策の変更はすべての官僚に徹底され、官僚が政府の政策に抵抗する力を持つことはない。 >抵抗すれば、命令違反として職を失うのが原則だ。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 欧米人は個人の意思の内容に焦点を合わせる習慣ができている。有望な個人を選んで権力を持たせてその実力を政治力として発揮させている。

> 既得権益を持つ集団のコンセンサスで決定
>このように、意思決定が上意下達の階層的な秩序を通して行われる権力構造と比べると、日本のそれはこれとは大きく異なる特徴を持つ。

そうですね。日本人には意思がない。だから、意思決定 (理性判断) もない。個人の意思を中心とした社会の展開も無い。もしあれば、恣意の上下となる。だから政治音痴の社会になります。


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