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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

長宗我部幸隆氏 2/2

2020-05-18 21:08:03 | 文化

>彼は言った。 > 「そんなことに、反応する時間がもったいないよ。 >大体、お前が怒ったところで、そいつらの上から目線は治らないし。」 

それは、日本語に深く根付いた原因があるからです。

> 「なんで?」 > 「だいたいは「上から目線」のやつは「言語能力が低い」だけのやつが多いから。>治すのは難しいんだよ。」

わが国では、上位の人間は言葉遣いのぞんざいな人間が多いような気がします。

> 「どういうこと?」
> 「例えば、「新人は、ホワイトボード消しとけよ」じゃなく、「新人で、やってくれる人いる?」って言えば、同じ結果でも全然受け止められ方が違うだろう?」 

そうですね。

> 「え……」
> 「予算の話にしたって、「私(経営者)が今年より20%アップ、なんとしても行きたいと思ったんだ。>理由なんかないんだ。 >けどやりたい、協力してくれ」と上が必死に言ってたら、お前、頑張っただろう?」

恣意的な話ですね。

> 「……確かに……」
>私の中の怒りが、静かに消えていくのがわかった。 

日本人は話下手ですからね。

> 「こんなもん、言い方次第なんだから、相手を怒らせるような発言をしてるやつは、言語能力が低いとしか思えないだろう。」
>私は、それ以来「上から目線」に全く腹が立たなくなった。

言語能力が低いという理由で、あなたは相手を低く見るようになったのですね。あなたは、ついに上からの目線を獲得したのですね。それで満足したのではありませんか。

>むしろ、「ああ、損してるなー、この人」という同情の気持ちすら湧くようになった。 > 彼の言う通り、一番こだわっていたのは、私だったのだ。

そうですね。あなたは、確かに序列社会 (上下社会・縦社会) の序列人間ですね。

>*
>ただし、上の話は逆から言えば、「言葉には、十分気をつけなさい」ということだ。

そうですね。’理屈は子供でも分かる’ と言いながら、日本人はそれ以外の事にかまけて忙しい。

> 礼儀知らず、と思われることは、敵を作り、信用を失い、恐ろしく損をする。

‘礼儀知らず’ で自滅するのですね。

>ジョージタウン大学のクリスティーン・ポラスは著書「「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である 」の中で、「無礼な振る舞いは、企業のパフォーマンスを落とす」と断じている。 >だが、殆どの無礼なふるまいをしている人は、わざとやっているわけではない。> 単に「自己認識が欠如」しているだけなのだという。

そうですね。無礼な振る舞いは一種の個性的な振る舞いでしょうね。

>無礼な人は、会社だけでなく、その人が属するコミュニティ全体、更にはパフォーマンスを低下させてしまう。 >さらに、「無礼」の犠牲になった人も、怒りを溜め込み、彼の家庭や友人関係に、「無礼」を伝染させてしまう。 >これは、恐ろしいことだ。

日本は序列社会の国である。日本人の礼儀は序列作法で成り立っている。序列なきところに礼儀なし。日本人は人間序列のない外国でどんな振る舞いをするのでしょうかね。

> *
>今では、上に書いたように「無礼」をさほど気にしなくなった。 >ただ、「周りにいて欲しくない人」は、大事なものを守るためにきちんと排除しなければならない。 

‘清濁併せ呑む’ 必要はないのでしょうか。

>・暴言を吐くアカウントはブロックする。>  それが、周りの人々を守ることにつながるから。

‘見ざる聞かざる言わざる’ の方策ですか。

>・冷笑的な記事、誰かを馬鹿にするような発言は、拡散しない。 >周りに冷笑的な人を集めたくない。

温笑的な人が良いですね。

>・「他の社員」へ無礼な振る舞いを繰り返す人は、解雇も辞さない。> 他の社員のパフォーマンスを落とすからだ。 

‘守礼の国’ になるのかな。

>・上下関係にこだわり、上から目線で人に接する人は、会社に入れない。 >  「悪気がない」ということは、無礼な振る舞いをする免罪符には絶対に、ならない。

そうですね。日本語には階称 (言葉遣い) というものがあるので、世俗的な上下判断は欠かせませんね。その上、日本人の礼儀作法も序列作法に基づいているので、世俗的な上下判断が人間そのものの尊敬を表すものと考えられている節がある。もしそうであるならば、個人の真価に関する我が国民の価値判断に重大な支障をもたらすことになると言わざるを得ません。人を見損なってはいけないという心配事が重なって、堅ぐるしい日常生活を送っている人が大勢居ます。’頑張って’、’お疲れ様’ と励まし合って生きている。  

>たとえ悪気がなくても、無礼な人物にはそれ相応の扱いが待っている。 >それが、世の中の摂理だ。

そうですね。無礼な人には周囲からのそれ相応の反発があるから、その反発に耐えきれずに態度を改める人も多いですね。


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長宗我部幸隆氏 1/2

2020-05-18 20:43:24 | 文化

>356882 「上から目線」の理由を知ったら、それが気にならなくなったという話。 >長曾我部幸隆 ( 29 会社員 )  20/05/17 PM09 【印刷用へ】
>リンク
>「上から目線」という言葉が使われだしてから、どれくらい経っただろう。 > 確か、私の子供の頃は、そんな言葉はなかった。 >おそらく社会人くらいから、徐々にそんな言葉を聞く機会が増えた気がする。

昔は、上位の者に関する ‘上からの目線’ は当然の事で、言わずもがなであったのでしょう。

>それ以来「上から目線」の経営者や芸能人の発言が炎上するのをよく見かけるが、もはや現在ではこの「上から目線」の人は、かなりの「悪者」として扱われているような気がする。

世俗の序列社会 (上下関係・縦社会) に変化・乱れが生じて来たからでしょうね。

> 「憎まれている」と言っても良いくらいだ。

日本は上下社会ですからね。特に ‘向上心のある人’ からは ‘上からの目線’ は敬遠されるでしょうね。

>ただ、私も気持ちはわかる。>かつて、私も「上から目線」に対して、反応していたからだ。 

それは、上下社会における人々の以心伝心ですね。

>例えば、社会人になりたての時。> 会議終了後の、「新人は、ホワイトボード消しとけよ」という、先輩の言葉にわたしはカチンときた。>いやいや、サッと消すだけなんだから、近くにいる奴がやれよ、 高々1年2年、早く入社しただけのお前が、偉そうに。>そう思ったのだ。

そうですね。それは、序列メンタリティを持つ人間同士の打てば響く反応ですね。

>また、前年から大きくアップした、売上予算の発表が、経営陣から示された時、わたしは、「売上予算アップの根拠を教えてほしい」と、質問した。>ところが、上の人間は 「それくらいは伸ばしたい」というだけで、 根拠となる話も、データも出さない。

それは彼の恣意 (私意・我儘・身勝手) の表れなのでしょう。恣意は文章にならない。だから恣意 (self-will) には意味がない。リーズン (理性・理由・適当) の表明がなければ対話・議論にはなりませんね。

> 本来ならば、市場や競合などの状況を、示しても良いはずだ。>まるで、そんなこと議論する必要はない、とにかくやればいい、 彼らの態度がそんなふうに言っているように感じ、わたしはそこでも「偉そうに」とカチンときた。

あなたは相手に、リーズナブルな答えを求めていますね。ですから、恣意的な人には不満を感じているのでしょう。それはもっともなことですね。しかし、序列作法に関する反発もあるようですね。

>こうして、わたしは会社のよくわからない慣習や、上の態度に、いちいち腹を立て、そして、そんなことで、疲弊していた。>おそらく今なら、Twitterなどに、あいつは上から目線で腹が立つ、などと書き込んでいたかもしれない。

そうでしょうね。日本人には意思がなくて恣意がある。だから、意思疎通 (相互理解) が無くて恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。意思決定 (理性判断) がなくて、恣意決定 (盲目の判断) がある。だから、わが国における欧米流の高等教育の成果は非常に通用しにくい状態にありますね。
意思は未来時制の文章内容である。しかるに日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。恣意 (self-will) はバラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで散在する。恣意は文章にならないから、意味がない。だから、議論にもならない。歌詠みのようなものか。その解釈は他人の忖度に任せられている。これは古くからあるわが国の習慣である。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>* >ところが。 >ひょんなことから高校のときの友人と再開し、仕事の近況を話していたときのこと。> 私が日頃、怒りを感じていることを愚痴っていたら、彼が呆れた顔をして私を見る。 >「なにかおかしい?」というと、彼はこう言った。 >確かに「上から目線」のやつはいる。 >でも、「上から目線」に反応するのは、上下にすごいこだわりがあるってからだろ? 

そうですね。序列メンタリティを持つ人間同士の打てば響く反応ぶりですね。

>お前が一番、こだわってんじゃん。>私は頭にきて、なにも言えなくなってしまったが、冷静に考えれば、彼の言うことは当たっていた。

彼は冷静沈着の人ですね。


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べき論 2/2

2020-05-18 14:09:12 | 文化

> 他の人がチャレンジしようとしている取り組みや未知なる領域の取り組みに対して、自分から飛び込んでいく力のことです。>この経験が、結果的に自分が何かをする際の巻き込み力につながるのです。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。
意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人に意思 (will) がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。

> 巻き込まれ力を高めるには、まずは自分がどんな人物なのか、何に興味があるのか、どんな強みがあるのか……などを情報として発信する必要があります。>今だとSNSなどがあり、情報発信しやすいでしょう。

そうですね。それは丁寧な自己紹介ですね。

>SNSをリア充アピールのために使うだけではなく、自分が巻き込まれるきっかけ作りと考えて情報発信してみるとよいのではないでしょうか。

日本人には意思がない。

>もう1つは巻き込まれる機会を短期的な損得勘定で捉えないということです。

社会奉仕・勤労奉仕のようなものですか。

>自分が得られるものを金銭や評価などで考えると巻き込まれ力は弱まります。>直接その取り組みから得られるものではなく、自分が得られる経験の方が重要だと考えてみましょう。

経験は自信につながりますね。

> 自分が巻き込まれていくことで、視野が広がり、視座が上がります。

社会参加のことですね。

>古代哲学者アリストテレスは、人を説得するには、ロゴス(論理)、パトス(熱意)、エトス(人格)の3つが必要だと説いています。>どんなに論理的に情熱を持って話したとしても、自分を信じてもらえなければ巻き込むことはできません。>エトス(人格)の中でも最も重要だといわれているのが実践から得られた知恵を持っていることです。

そうですね。’民信無くば立たず’ ですね。日本人には世界観 (world view) がない。それで遠い未来に行き着く先の内容を個人的に明らかにすることができない。だから、信頼が得られない。

>いろいろな取り組みに自ら巻き込まれていくことで、この実践知が蓄えられ、結果的に人を巻き込むことができるようになります。> 多くの方が巻き込み力、巻き込まれ力を高めていくことで、社会がよい方向に向かっていくことを願っています。

経験が自信につながりますね。だが、日本人には意思がない。だから意思疎通 (相互理解) も無い。意思決定 (理性判断) もない。だから、国際的な信頼が得られない。だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。恣意決定 (盲目の判断) がある。そして、島国根性の励みがある。我々は、固有の習慣を変えなくてはならない。

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に理解する必要があります。英語と日本語の考え方に熟達しよう。
さすれば、自己の意思の内容を表明できます。そして、恣意の世界から脱出できます。自己の意思の無い人は、他人の意思にも無関心である。だから、相互理解ができず協調関係に入れない。従来の主従関係から脱出できない。
自己の世界観を説明できます。とらえどころのない人間の状態から脱出できます。自己の世界観の無い人は、相手の世界観にも無関心である。だから、相互理解ができず協調関係に入れない。世界の孤児となっている。
だが、日本人には ‘理解’ (understanding) という英語の理解が難しい。理解と忖度 (推察) の区別ができない。個人主義と利己主義の区別ができないようなものか。それで、国際社会の理解が得られない。
カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎・上>  (The Enigma of Japanese Power) の <ジャパン・プロブレム> 中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。(p.59)

“信念”が社会・政治的状況によって変わり、”リアリティ”も操作できるものであるとすれば、多種多様な虚構 (フィクション)を維持するのはかなり容易になる。このような虚構によってもたらされる国際的な言語表現上の混乱は、日本の評論家や官僚が”理解”ということばを口にするときの特別な意味づけによって、さらに複雑になる。”相互理解”をさらに深めることかが急務である、という表現をもって強調されることが多い。 
ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)



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べき論 1/2

2020-05-18 13:40:53 | 文化

>356883 「べき論」を語る人が孤立しがちな本質的理由  >名取茉優 ( 20 会社員 )  20/05/17 PM09 【印刷用へ】
>「巻きこめる人」になるための"3つの考え方  >リンク
>巻き込める人」になるために >どんな仕事でも1人だけで完結する仕事は少ないもの。>同じ仕事でも、周囲が心よくサポートしてくれる人と、そうでない人では大きな差が生まれてきます。 

そうですね。特に未来社会の建設には多数の協力が必要ですね。

>周囲の人に協力してもらえる力、つまり「巻き込み力」がある人になることは、今のような先の見えない時代で正解のないことに取り組んでいく際の大きな成功要因になります。

‘巻き込み力’ とはいかにも ‘なれ合い’ の感じがしますね。それは ‘理解’ (understanding) と呼ぶべきでしょうね。

>■こうすべき(Should)」→「こうしたい(Want)」.
> 「~すべき」という考えは周囲の人を動かす強い考え方だと思われるかもしれませんが、この考え方で周囲を巻き込もうとすると実はあまり上手くいきません。

そうですね。考えは人様々ですからね。でも、自己の哲学は必要ですね。

>なぜなら、誰もが納得する絶対的な「べき」はないからです。

そうですね。考えは人様々ですからね。でも、各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 

> 「べき」と言うといかにも正論のように聞こえますが、実際には「べき」は立場や環境、経験、時代によって変わるものであり、人は皆違う「べき」を持っています。 >こう考えると、すべての「べき」は正しいかどうかわからないといってもよいでしょう。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含んでいない文章は、全てが正しい考えを示している。ですから、正解は一つではない。幾らでもある。

>つまり「べき」で相手を説得して巻き込もうとすると失敗しがちなのです。

そうですね。人は人、自分は自分ですね。.考えは人様々ですからね。

>ではどうすればいいでしょうか。

自分の方が相手の ‘べき’ に従う方法もありますね。

>「こうしたい(Want)」という視点で切り替えて話すのです。
>メリットは3つあります。
>・相手の「べき」を否定しないため、共感が生まれやすい 

各人に哲学は必要ですね。

> ・(仮に)考え方に違いがあっても問題になりにくい  

考えの内容は、人様々ですからね。

> ・「ではどうしたらそうなるのか?」ということを一緒に考えてもらえる  

自他の世界観比べになりますね。

>■「何をするか(What)」→「なぜやるのか(Why)」
> 「何をするか」という考え方は人を引きつけるように思われますが、いつもそうとは限りません。
>やることは、状況の変化とともに変わることも多いからです。

御都合主義・日和見主義ですね。目先・手先の事柄に囚われていますね。

>自分が「こうしよう!」と掲げたこと=Whatに一時的に協力が集まったとしても、状況が変わるともっとよいWhatに人の心が移って行くことは想像にかたくありませんし、自分自身が試行錯誤し、学んでいくことでWhatが変わることもあるでしょう。 

遠い未来を見すえていないからでしょうね。現実にとらわれすぎていますね。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べている。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。 

> 巻き込み力にはブレない芯が必要です。>ころころ変わるWhatに協力を仰ぐよりも、ブレない信念に共感してもらうほうが、結果的に強い協力を得ることができます。

そうですね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.    

>信念とは「なぜそれをやろうと思っているのか」=Whyのことです。 

それは、個人に世界観があるからでしょう。自分の住みたい世界の内容がすでに想定できているからでしょう。

>Whyへの共感は強く長く続きますが、人を引きつけるWhyとあまり引きつけないWhyがあります。 > 人を巻き込むということを考えるのであれば、共感されるWhyを自分の中に持っている必要があるということです。

そうですね。我々には数多くの選択肢が必要です。

>■「巻き込み力」→「巻き込まれ力」
> 日本は同調圧力が強いと言われていますが、自ら巻き込まれる力は、空気を読んで同調圧力に従うということではありません。

なあなあ主義とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。


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