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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

自ら動く 2/2

2020-05-21 22:24:09 | 文化

>■1人ではなく小集団で挑戦する
>僕は23年間、新聞店の社長を務めましたが18年間を指示ゼロ経営で運営しました。> 最初の10年間は上手くいきませんでした。 >その原因の1つに、「1人で挑戦させた」ことがあります。 >そうさせた理由は、複数でやったら、その分人件費がかかるし、何よりも責任の所在が曖昧になると思ったからです。

責任には順位が必要ですね。

>しかし1人でやる方が非効率です。>プレッシャーからアイデアが出ないし継続の粘り強さも落ちます。

そうでしょうね。

> 責任の所在が曖昧になることはありません。>その理由は、必ずリーダー役が現れますし、メンバー個々が自分の役割領域を持つからです。

しっかりとした組織づくりができたのですね。

>■小さな成功体験が、その後の成長の燃料になる
>僕はセミナーなどで「三人寄れば文殊の知恵のPDS」という表現を使います。 > 「自分たちで考え」(Plan)→「役割を決め行動し」(Do)→「行動したことの変化、結果を自分たち検証し、次に繋げる」(See) >このPDSをみんなの知恵と助け合いで行います。 

リーダーに頼ることなく構成員全員で考えるのですね。

>ところが、最初は高確率で失敗します。>しかし、そこから改善を行うのでいつかは成功します。 

‘習うより慣れろ’ ですね。Practice makes perfect. 

> 失敗、失敗、失敗、失敗、失敗、成功、失敗、失敗、成功、成功、失敗、成功、成功、成功…  >そんな風に成長しますが、決め手は一番最初の成功体験だと思います。

成功体験により自信が得られますね。

> 仲間と協働したことで得られた成功の味は格別です。 > 社長、マネージャーにとっても嬉しいですよね? > 自分たちの成功を上司が喜んでくれる、これが組織全体にエネルギーを与え、次なる挑戦者(小集団)を生む原動力になります。>いかがでしょうか?

協同作業が成功してよかったですね。 

> 部下の積極性は上司の説得でどうにかなるものではありません。> 「人は自らの意思でのみ動く」 

日本人には意思がない。
 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず'  山本五十六 (やまもと いそろく)

> 「チームの中に、エネルギーを高め合う風土がある」…そうなる環境をつくるのがリーダーの役割だと考えるのです。

わが国は序列社会で成り立っていますからね。序列関係は義理の関係ともいわれます。義理堅い人が多く集まればエネルギーを高め合う環境づくりができます。これが意思のない人たちがお互いに高め合う方法です。
しかし、意思と責任の観念が確立していないとその所在が確認できず、価値ある結果を次につなげることができませんね。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り) 



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自ら動く 1/2

2020-05-21 22:04:48 | 文化

>353180 指示待ち人間はこうして自ら動く人材に成長する 
>直永亮明 ( 24 会社員 )  20/01/27 PM08 【印刷用へ】
>自考し動く人へ! > 指示待ちでは仕事も楽しくありません。> 自らが追求し、仕事をしていくほうが何倍も楽しいです。

そうですね。それができれば苦労はない。

> 指示待ちから→自ら動くへ ・・・  >以下リンク
>------------------------------------------------------------
>僕は、指示待ち人間が自ら考え行動するようになる場面を何度も見てきました。> 「この人は無理だろう」と思っていた人が自発的に行動し、仕事を心から愉しむようになる場面を。

それは、恣意 (私意・我儘・身勝手) による行動でしようね。 意思による行動は無理でしょう。

> 彼らの観察は今の指示ゼロ経営の知見の基礎になっているし、どの社員も育つという自信に繋がりました。> 環境さえ整えば誰もが自発性の高い人材に育つ、環境次第…そう考えています。

それはあるでしょうね。それはアニマルにも共通することでしょうね。

>では、その環境とはどんなものなのでしょうか?
>■人は自分の意思でのみ変わる
>彼らの変化を見た時に、一番最初に来る変化は「内面」です。 > 「馬を水辺に連れていけても、水を飲ませることはできない」というように、本人の決断でしか成長しないと思います。 

本人が意を決する必要があるのですね。

> 「自発的に動いてみようか?」という小さな決断を誘発するのは仲間の姿です。

日本人には意思がない。だから、行動は、’事の次第・成り行き’ により決まります。これは、アニマルも同じです。 フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)

> 社長、上司の影響力では少ない。 > 他人の説得で行った決断は弱いです。 >どんな会社でも、どんな社員さんでも、仲間の行動から勇気をもらうことは頻繁に起きているはずです。 

そういう事になりますね。

>ただ、そこで起きた少しの決断が次の行動、最初の一歩に繋がらなかっただけです。
>■失敗しても挑戦しよう!と宣言をする
>決断を行動に繋げるには、組織として失敗を許す風土が必要だと思います。

それはどうですかね。失敗にもいろいろありますからね。先の大戦のような失敗もあることですし。

> 「失敗は許されない」なら挑戦しない方が利口ですからね。

そうですね。挑戦の前には十分な議論が必要ですね。

> 明確に宣言することが必要だと考えます。 >しかし、それでテキトーな仕事をされたらたまったもんじゃありません。 > 挑戦する自由とともに、仮に失敗したとしても、その結果を検証し次に活かす責任があります。

そうですね。自由とは、’意思の自由’ の事である。
日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。
意思がないのであれば、’意思の自由’ にも意味がない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ である。
意思の無い人には責任もない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。 
イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の ‘責任’ について次のように述べられています。
、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。 、、、、 (引用終り) 
意思の無い日本人にも恣意 (私意・我儘・身勝手) はある。意思の疎通 (相互理解) は無いが恣意の疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) はある。意思に関する議論は無いが恣意に関する談合 (腹の探り合い) がある。意思の決定 (理性判断) は無いが、恣意の決定 (盲目の判断) はある。失敗してもリーズン (理性・理由・適当) がないから、責任者は説明責任がとれない。結果の検証も無く、次回の挑戦に生かすことも不可能である。この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。とかくこの世は無責任である。

> 自由と責任がセットになり初めて宣言できるのだと思います。

そうですね。意思の自由がなければ責任も取れないですね。


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足りないもの

2020-05-21 01:24:16 | 文化

>243439 我々に足りないもの 
>木下直幸 ( 会社員 )  11/01/04 PM10 【印刷用へ】
>日本人の思考が保守的になってきているように感じる。

我々は、相変わらず保守的ですね。

> 将来の夢が公務員、指示待ち人間、答えを求める自分探し人間、婚活、ニートやネト住など安易な安定を求める動き。

Easygoing (だらだらした) と形容できるのではないでしょうか。

> 他者からの干渉は煩わしいと晩婚化やおひとりさまなど、 挙げればきりがない。

そうですね。意思の疎通も滞りがちですね。

> 保守的なことが悪いというわけではないが、 日本人が望むような未来に対してはプラスにはならない。

そうですね。未来に関する内容はありませんね。無哲学・能天気であっては、過去・現在・未来の非現実の三世界の内容は得られませんね。

> 今日本人・日本は様々な外圧に対して覆いがなくなってきており、 全体的に守りの姿勢になってきている。> 国内政治も外交も至る所で先行き不透明。

昔から我々の一寸先は闇ですね。

> 無意識のうちに危機感が刷り込まれている。

不透明の状態は、不安のもとになりますね。

> 対応策はその場しのぎが多く、 一般人も同じような行動をとっている。

Happy-go-lucky (成り行き任せ) ですね。目先・手先の事しか考えられませんからね。これは日本語による思考の特徴ですね。

>そんな時勢に必要な物は何であるかを考えて見ると  やはり信念と行動であると考える。

そうですね。世界観 (world view) と意思 (will) でしょうね。

> 「どうあるべきか」より「どうしていきたいか」という考えの基 行動していく他ない。

遠い未来の内容に向かってあゆみを進めるにあたって、どのような選択肢を現実に選ぶかの問題ですね。

> 時と場合には狂人的であると思われることもあるかもしれない。

日本人の社会は、他人と違っている個人には報いのない社会ですけどね。

>しかし、腹を括ってやらなければいけない時もある。

日本人には意思がない。だから、意思決定 (理性判断) は不可能である。だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、恣意決定 (盲目の判断) ならできる。腹を括ってこれをやる。
意思は、未来時制の文章内容である。しかるに、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。能動がなくて、受動ばかりになる。

> 何かやらなければと思うのであれば誰かに任せるのではなく、自らが行うことで変化は起きる。

そうですね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思の無い日本人は仕方がないから、無為無策でいる。だから、日本人は優柔不断・意志薄弱に見える。’他力本願・神頼み’ はわが国の伝統ですね。
‘やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず’ 山本五十六 (やまもと いそろく)
イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。
、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。 、、、、 (引用終り)

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。
さすれば、自分の意思 (will) も世界観 (world view) も文章にして表現することが可能になります。意思のある人には責任 (responsibility) を果たすことが可能であります。世界観 (非現実) を共有している人たちは、現実の世界での協力にも安心していられます。かくして我々は国際社会でも未来社会の建設に協力者を得ることが可能になり、人類の進歩に多大な貢献ができるようになります。
我々の未来は明るい。頑張りましょう。

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