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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

唯我独尊 2/2

2020-02-21 02:05:54 | 社会

>■ネットは自省よりも自己正当化を促してしまう
> こう書くと、一部の人は「ネットを使ってコミュニケーションすれば自分のことが省みられるじゃないか」と考えたがるかもしれない。>ネットを介して自省する筋道も無くはないだろう。 >だが、実際はほとんど期待できないのではないだろうか。 >つい最近、Books&Appsで高須賀さんが、これに関してひとつの問題提起をしておられた。 > ~中略~ >AERA.dotの66歳男性の記事から高須賀さんが辿り着いたのは、「アイデンティティがなにも無い人はネトウヨになる」という問題だった。 

日本人は、序列人間です。どこかの序列に所属していなければ恰好がつかない。相手はこちらの所属を求めて来るからです。’あっしは、〇〇一家の.者でござんす’ とやるのが良い。

> 自分自身を省みる力もない人がネットをよすがとした時、たとえばネトウヨのようなアイデンティティの入れ物におさまるというのはよくわかる話だし、実例も見かける。 > 政治的なセクト・思想的なセクト・趣味的なセクト、その他いろいろあるが、とにかくネットではセクトができやすい。

そうですね。よくある話ですね。同好会ですね。

>セクトと一体になることによってその人の承認欲求や所属欲求が充たされ、アイデンティティも補償されるのだから、可否はともかく、セクトができるのは理解できる。 >だが、セクト化した人は、えてして自分自身を省みなくなる。

そうですね。思考停止の状態ですからね。あとはセクトが自分を見てくれる。

>セクトメンバーとつるむなかで、「自分たちは悪くない」「悪いのは自分以外のあいつら」といった考えに傾いてしまう。 

内にこもる。‘鬼は外’ と言ったところか。

>この文章のテーマに立ち返って考えるに、そういったセクトは唯我独尊に対するブレーキたり得るものだろうか。>いや、おそらくブレーキにはならず、自己正当化のためのアクセルになってしまうのではないだろうか。

そうですね。日本人には批判精神がないですからね。

> 意見の同じ者同士はつるみやすいけれども、意見を異にする者・異議を唱える者とは対立しやすい、このSNSというアーキテクチャ自体が、私たちに自省よりも自己正当化を促しているきらいがあるとしたら、ネットで唯我独尊を避けるのはリアル以上に難しいのではないだろうか。

‘類は友を呼ぶ’ でしょうね。Birds of a feather flock together. 井の中の蛙 大海を知らず。日本人には世界観 (World view) がない。

>こんな具合に、幾重にも重なった、唯我独尊に陥りやすい社会の構造のなかで私たちは暮らしている。 >だとしたら、唯我独尊はお金持ちやナルシストだけの問題というより、貧富を問わず、誰もが陥りやすい現代社会の風土病みたいなものだと解釈しておいたほうが事実に近いように、私には思われる。

そうですね。無哲学・能天気の状態は、一種の風土病でしょうね。

>だから私は、くだんの66歳男性のようなケースには戦慄せずにはいられない。>ひょっとしてあれは、未来の自分の姿ではないのか……と。

そうならないことを祈ります。



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唯我独尊 1/2

2020-02-21 01:40:01 | 社会

>346392 個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い、「唯我独尊」の人間を大量生産する  >別所彦次郎        19/06/01 AM09 【印刷用へ】  >Books&Apps( リンク )より引用  > ***
>■個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い唯我独尊の人間を大量生産する社会  

考える習慣のない社会の個人主義は、守るべきもののない主義でしょうね。

> 私たちは今、相互不干渉が通念として定着した、誰かに叱られたり注意されたりしにくい生活空間で暮らしている。 > 赤の他人から叱られる機会は非常に少ない。

そうですね。日本人の社会には批判精神 (critical thinking) というものがないですからね。批判精神は個人に対する干渉になりますね。
日本人には現実ばかりがある。非現実 (考え) の内容というものがない。
‘現実’ 対 ‘現実’ の比較結果は序列判定になる。これにより日本人の社会は序列社会になっている。
‘現実’ 対 ‘非現実’ (考え) の比較結果は批判精神になる。非現実の内容は考えの内容であって、’あるべき姿’ (things as they should be) を示している。現実を捨ててあるべき姿を採ることにより人類の進歩が期待できる。しかしながら、非現実の内容を文章 (考え) にするためには文法に時制 (tense) というものが必要である。残念ながら、日本語の文法には時制というものがない。だから、日本人は現実のみを考える。別世界への飛躍が考えられないので閉塞感に苛まれることがしばしばである。 Google, Apple, Facebook, Facebook, Amazon の各社は、別の世界に旅立つことを決意した。

>近所の人や地域の人から「おまえ、そんなバカなことやってどうすんの」などと言われる筋合いなどどこにも無くなった。

考えそのものがないのであるから、議論にもならない。何事も、お変わりのないのが良いことで。

> 万が一そのように言われたとしても、「どういう筋合いでお前はそういうことを言っているのか」と反感が先立つのがおちである。 

そうですね。’問答無用・切り捨て御免’ ですね。

>そして年を取り、何らかの地位に就いていれば、ますます叱られにくくなり、注意も忠告もされなくなる。>コミュニケーションの失敗確率が高くなるような言動を繰り返していても、面と向かってそれを注意してくれる人はそういない。

そうですね。’叱ってくれる人もなし’ ですね。停滞は避けられませんね。

>「お互いに争わない」「お互いのストレスを回避する」といった言葉は、相互不干渉を貫く恰好の大義名分になる。

何せ、考えることは骨の折れるとですからね。無哲学・能天気が社会の基本ですね。

> 家族や兄弟ですら、3度も言って変わらなければ「もう言うだけ無駄だからなるべく離れて暮らそう」になってしまうし、一人暮らしをしている場合などは、誰も! 本当に誰も! 自分を叱ったり注意したりしてくれない。-

日本人には、批判精神がないですからね。現実からの脱出は不可能ですね。

> 相互不干渉を是とし、お互いのしがらみを最小化し、アトム化した個人主義者として皆が暮らしていく社会ができあがったことによって、私たちは、他人から叱られる・注意される・忠告されるといった学習ルートを失ってしまった。
> 失ったと言って言い過ぎだとしたら、「そういう学習ルートが希少になった」と言い換えていただいて構わない。

問答無用ですね。序列の絆を失えば、序列協力もできなくなります。これは、海外に移住した日本人と同じ状態です。

>そのような社会では、むやみに争うこともないし、ストレスも回避できる一方で、自分自身の言動のまずい点を省みる力が乏しければ自分の言動が改められない。> 信頼できる他人から叱られたり注意されたりすることもなしに、自分自身の言動を省みるのは非常に難しい。

そうですね。日本人には、批判精神がないですからね。序列に基づく協力が頼みの綱でしたね。

>そして自分自身の言動を省みることに慣れていない人は、かりに誰かから何かを言われても、えてして自分自身の言動を省みない。

そうですね。思考停止の状態ですからね。第二の天性のようなものかな。

>だとすれば、この相互不干渉の浸透した個人主義社会は、自分自身を省みる機会も能力も無い唯我独尊の人間を大量生産する社会、になってしまっているのではないだろうか。

無哲学・能天気の社会では、相互干渉はあって不要なものですね。お釈迦様だらけの世の中か。個人の考えを守るための個人主義でないと良くないですね。


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