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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本主義 3/3

2020-02-15 18:40:56 | 社会

>けれど、私達が戦い、護ろうとしているものは、その「戦い」そのものにあるのではありません。 > 「剣を持って戦い、エデンに回帰しよう」という思考でもない。 

‘無いない尽くし’ ですね。結局‘ああでもなければ、こうでもない’ ということでしょう。

> 私達は、私達の国と歴史と、そこにある文化と伝統を「学び、活かす」という日本文化の奥底にあるものを大切にしたいと願っているだけです。

要するに、日本人はいつまでも不変でありたいということですね。

> 私達は、それを「保守」と呼んできましたが、どうしても保守主義というと、それがエデンの園の西洋的保守主義と混同されてしまいがちです。 >そこで「保守主義」という言葉にかえて、「日本主義」という言葉を提唱したいと思います。

日本主義は、日本の保守主義ということですね。’あるべき姿’ (things as they should be) のない保守主義ですね。                                             

>そしていまの日本に必要なのは、保守の大同団結です。 >それは、日本の歴史、伝統、文化を大切に育み、日本文化の深みを学び、より良い未来を築く、日本をたいせつに思う日本人の「日本主義」の覚醒ということなのではないかと、私は思います。

あくまでも変わらないのが日本主義ですね。日本主義は外国人には役に立たないのですか。  

> ~中略~
> 日本主義に「理想の楽園」は存在しません。 

そうですね。‘不自由を常と思えば不足なし’ ですか。

>あるのは「過去、現在、未来」と続く「流れ」だけです。

その流れは連続的ですね。未来社会の完成図は考えられないのですね。

> 現在は過去の結果であり、未来は現在の結果です。 > 一生懸命勉強し、仕事に励み、家族を大切にしてコツコツと努力を積み上げれば、きっと良い未来がやってくると考えます。

‘良い未来’ とはどのようなものでしょうか。’良い学校’・’良い職業’ のようなものですかね。それでは、’良い’ の内容がはっきりしませんね。

>けれどそれは、「可能性が高まる」というだけで、現実に「良い未来」となるかどうかは、わからない。>わからないから過去に学び、みんなで協力して一層努力し、少しでもよい未来を「創造」しようとする。

非現実 (考え) の内容を実現させたら、それは創造ですね。それを達成するには考え (非現実) の内容が必要ですね。

>つまり、日本主義は、 > 家族として過去に学び  >現在を努力し改善し  >未来を創造します。

創造物の内容を先に考える必要があますね。そうでなければ未来社会の建設に協力者が得られませんでしょう。

>この「家族として学び、改善し、創造する」のが、日本主義です。

話が小さいですね。話の内容が ‘グローバル’ (global: 世界的) にも、’ユニバーサル’ (universal: 普遍的) にもなりませんね。これでは、日本主義者は地球村の村長にはなれませんね。

>いま、わたしたちは「日本主義」の旗を高らかに掲げ、新たな未来の建設のために大同団結して、一歩を踏み出すときがやってきた。> 私はそう思います。 

もっと話を大きくして、国際的にも未来社会の建設への協力を求めた方が良いでしょう。

>------------------------------------------------------
>以上です。



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日本主義 2/3

2020-02-15 18:16:36 | 社会

>さらにいえば、自由平等博愛主義、あるいは民主主義も、私達日本人には理解し難い面があります。>どういうことかというと、自由平等博愛主義というのは、自由は放縦を招き、平等は努力しないで分け前だけよこせという欲得を招き、博愛はときに心を鬼にして戦わなければならないことを否定して人々の弱さを招くということです。

そうですね。日本人には非現実の内容がありませんからね。

> 努力しない仕事をしない社員が、俺は自由だ、社員なのだから一生懸命努力してがんばっている社員も、さぼっているオレも、同じだけの給料をよこせ、会社のカネを横領しても博愛主義で許せ、などと主張しても、それで会社がよくなるかといえば、絶対によくならない。ということは、国家も、果ては人類さえも、自由平等博愛主義の先には、放縦と我がままと不正の横行する社会が待っているということにしかならないのです。 

そうですね。それは困ったものですね。あるべき姿 (非現実) と現実を短絡的に結んで判断することによる禍ですね。

> 欧米型民主主義も同じで、欧米型民主主義は、実は「民衆は神の意思のもとにある」という原点に立脚しています。>ですから米国における大統領選挙も、大統領を選ぶ国民は、神の意思に基づいて投票しているのだし、選ばれた大統領も就任に際して、神の祝福を得て、はじめて大統領となります。

意思は未来時制の文章内容である。しかるに、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思 (will) がない。 
日本人には意思がなく、日本の神にも意思がない。意思ある人々の習慣を猿真似で取り入れるのは難しい。だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
意思は文章になる。だから意味がある。恣意 (self-will) はバラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在するから文章にはならず意味がない。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>けれど、こうした価値観は、そこに「神を敬う」意思をもたないもの達が多く入り込むと、まったく別なろくでもない社会を招きます。> 典型が、昨今の民主党で菅◯人が選ばれた代表戦で、外国人にカネを渡し、組織的に指揮された外国人票を大量に入れることで、選挙に勝つという、とんでもない現実が起こる。 >カネも神のうちだという考え方もあるかもしれませんが、そんなことが庶民のためにならないことは、歴史が証明しています。 > 嘘と偽りで地位を得た者は、結果として偽りの世界しか招かないのです。

そうですね。

>しかし、振り返ってみると、日本という国は、古来、さまざまな政治体制をひき、都度、いろいろな矛盾を抱えながらも、つねに成長し、進化し、その矛盾をできるだけ極小にしながら、人々の暮らしを靖んじてきました。>けれど、みんなが家族となることによって、国法を保管している正倉院さえも、入り口にある鍵は、封印の紙一枚だけで済む。紙切れ一枚で、誰も泥棒にはいろうなどと思わない。

‘以心伝心・不立文字’  (文字・言説を以て伝えることができず、心から心へ伝るもの) ですか。

>ザビエルが指摘したように、日本は最高に優れた民族であり、親しみやすく、善良で、悪意がなく、誰もが名誉を重んじる理想国家を築いています。

ザビエルも布教などせずに最高に優れた民族の国民になればよかったですね。

>おそらく、いま日本の保守、とりわけ真正保守を自認する人々の中で、江戸幕藩体制に還りたいとか、明治の薩長政権国家に還りたいとか、あるいは律令国家に戻りたいとか考えている人は、まずいないし、理想のために人を殺したいとか、他国を侵略したいとか、そのための戦争をしたいと思う人も、誰もいません。 >なんとかしてみんなで助け合い、仲良くして、ともに学び、ともに笑い、ともに助け合い、手を携えてより良い未来を築きたいというのが、多くの日本人の本音です。 >つまり、大多数の日本人はいまでも「日本主義」なのです。

そうですね。無哲学・能天気ですね。’良い’ が 何であるのかを考える余地がありますね。

> 「戦後保守」は、その日本を壊そうとする勢力と、真剣勝負で剣を抜いて戦いました。 >そしてその戦いは、反共、反米、反中、反韓等と、さまざまに進化してきています。

そうですね。戦後保守は、決して異民族を包括しようとはしませんでしたね。


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日本主義 1/3

2020-02-15 17:51:41 | 社会

>269069 保守主義と日本主義  >新聞会            12/09/26 AM01 【印刷用へ】 >ねずさんの ひとりごとリンクより転載します。
>------------------------------------------------
>~前略~
> 日本主義には、その先にある未来像としてのユートピアもなければ、過去の理想郷としてのエデンもありません。

そうですね。日本人には未来の理想郷も過去の理想郷もありませんね。
印欧語族の文法には時制というものがあります。時制 (tense) は非現実 (考え) の世界をそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) に分けて表現します。過去の世界の内容にはエデンもあり、未来の世界の内容にはユートピアもある。要するに本舞台が回り舞台になっていて各世界の内容が混乱することなく仕切られて表現されています。

>あるのは、過去に学び、いまを改善し、互いに協力しあって未来を創造するという具体的な地面に足のついた思考であり、すべての家が家族として、互いに結びつき、協力しあうという姿勢だけです。

そうですね。あるのは現実の内容ばかりですね。日本人には、現実 (reality) があって非現実 (考え) の内容がない。日本人は、目先・手先の事ばかりを考えています。
現実の内容は頭の外にある。だから、見ることができる。見ればわかる。考える必要は無い。正解はただ一つである。分かりやすい。楽ちんである。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。だから、見ることができない。ただの話である。その内容を納得するには、文法に従って文章を理解しなくてはならない。これは骨の折れる仕事である。だから、日本人は通常理解はしない。
その代わりに日本人は忖度 (推察) を利用する。忖度と理解は似て非なるものであるから注意を要する。忖度は聞き手の勝手な解釈であるから話者には何の責任もない。内容に食い違いが生じても議論にもならない。忖度の主に現実直視になっていないことを指摘すると、’だって、本当に私はそう思ったのだから仕方がないではないか’ と猛反発をするので取りつく島もない。忖度は歌詠みのようなものである。感想文であって、議論にならない。
カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎・上>  (The Enigma of Japanese Power) の <ジャパン・プロブレム> 中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。(p.59)
“信念”が社会・政治的状況によって変わり、”リアリティ”も操作できるものであるとすれば、多種多様な虚構 (フィクション)を維持するのはかなり容易になる。このような虚構によってもたらされる国際的な言語表現上の混乱は、日本の評論家や官僚が”理解”ということばを口にするときの特別な意味づけによって、さらに複雑になる。”相互理解”をさらに深めることかが急務である、という表現をもって強調されることが多い。 
ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)

>ある程度社会経験をもった人なら、誰でもわかると思うけれど、単なる空想の世界にある理想社会を夢見たところで、それはただの見果てぬ夢でしかありません。> 会社でも、そりゃあ、儲かって儲かって、社員の全員が仕事をしなくても高給取りになれるような会社は理想かもしれないけれど、そんな夢みたいなことばかり言って、日々の仕事をしなければ、会社なんて簡単に潰れてしまいます。

見果てぬ夢は、空想と妄想ばかりですね。それは日本語に時制というものがないからです。時制により現実を非現実から分離が頭の中で混乱しているからです。非現実の内容を現実の内容であると思い込むからです。  

>つまり、あえて誤解をおそれずに直言するならば、西欧で生まれたエデンに還ろうという「保守主義」にしても、誰もみたこともないユートピアを目指そうという「共産主義」にしても、私達日本人からみれば、それらは地に足の着かない空理空論でしかないということです。

よくぞ言ってくれました。まさにその通りですね。現実と非現実の区別ができないと、せっかくの主張も空理空論になますね。


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