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水瓶

ファンタジーや日々のこと

ブレンドの街並

2016-06-06 08:37:38 | 横浜の町
元町近くの中村川。上流の蒔田(まいた)の辺りで大岡川から分かれます。
上を高速道路が走っていて、あまり日の当たらない川ですが、夜はなかなかきれいですね。

弘明寺から京急で日ノ出町へ出て、夕方から暗くなるまで街を歩きました。
とにかく写真をいっぱい撮ったので、気に入ったのをざざざっとアップ。
街の写真を撮るのがこんなに楽しいなんてなあ。


この辺はまだぜんぜん土地勘がありませんで。ていうか私の土地勘て相当慣れた所でもずいぶん貧弱らしく、
森のなかまにさんざんバカにされます。おおお悪かったなああ!


大通りにどーんと大きく書かれたストリップの看板。初めて見かけた時にはちょっとびっくりしましたが、なんか慣れた。
「おお、赤西か……」ぼそっとつぶやく森のなかま。ジャニーズの人ではないらしい。。
この浜劇はたいへんフレンドリーな雰囲気だそうで、学割やシニア割引もあるそうです。へええー。








夕ご飯は念願の、野毛の洋食キムラヤ!この近辺といえば老舗の洋食屋さんで有名なんですが、実はそういうお店に入るのは初めて。
テーブル席が五席ぐらいだったかな?こじんまりとして居心地のいい店内。あっ、外にはローマのあれがあったのか。。
さんざん悩んだあげく、チーズハンバーグ定食とポークカツ定食を頼みます。ポークカツはなんとシェフ泣かせという二枚組!

・・・はー、おいしいyo!

と、思わず語尾がヒップホップ調になるぐらいおいしいんです。
店内は写真を撮る感じでもないので撮りませんでしたが、リンク先においしそうな写真がのってます。
定食二人分と瓶ビール一本頼んで五千円いかなかったから、すごくコストパフォーマンスがいいのではないでしょうか。
いつか三千五百円のビーフシチューを食べてやるぞう。


日ノ出町から都橋を渡った側にある吉田町商店街。ここの通り沿いに梅やという鶏肉専門店があって、
おいしそうなお惣菜が売ってたので、鶏肉のごぼう巻を買ったんですが、おいしかったよ!
関内辺りはやきとり屋がすごく多いけど、やっぱりここで仕入れてたりするんでしょうか。
写真手前のお兄さんも飲食店の方らしく、前かけしてますね。


根岸線を長~いコンテナ貨物車が走っていきます。コンテナってつめないで、だいぶ間隔を開けたりしてるんですね。




リバーサイドのバー。夏は涼しそう。


イセザキモール近くの交番。おまわりさんが自転車を引いて帰って来ました。




イセザキモール関内側から入ってすぐの路地。


先週に続いてここの南蛮屋さんでまたコーヒーを買って、
サービスのコーヒーを立ち飲みでいただきます。洋食の後だから、なおおいしいね。
しかし夕飯を食べてもう6時はすぎてるのにこの明るさ。そういえば梅雨とくれば夏至ももうすぐなんですよね。






関内のガードをくぐって横浜スタジアム方面へ。


この辺はファミマが多いなあ。

この日はベイスターズが買ったらしく、球場で花火が上がっているのが見えました。
今年はしょっぱな一人負け状態でしたが、梶谷筒香と戻って来たら交流戦になってもあんまり負けてないみたいで、ほんとか!?



今の日本の街にあふれる看板やらの文字って、漢字とひらがなとカタカナ、アルファベットが入り混じってて、
それってそのまま日本語の文章みたいで、現代の街の景観もそういう所があるのかなあと。建物とかの感じが。
本でも、漢字だけやひらがなだけ、カタカナだけの文章ってすごく読みづらくて、でもいいバランスであると、
内容を読む以前に、パッと見て字面がきれいなんですよね。
景観の場合には、完全にそれぞれが純粋100%の美しさもあります。ていうかそういう美しさがまず基本にあって、
でも今は、色んな配合でブレンドされた感じの街並を撮るのが楽しくて。
以前は、あの入り混じった感じが、日本の街は醜くていやだなあと思うことの方が多かったんですが。。
でも100%純粋なアジアの景観の街並は、現代では無理なんでしょうね。それこそ民家園とかの博物館的な場所でなければ。

えーちなみに、私が好きな、または読みやすいと感じる、パッと見文章の文字の種類バランスを適当でいうと、
漢字が20~30%、ひらがな60~70%、カタカナあるいはアルファベットが0~10%、ぐらい?
街の景観は、、、うーん、コンクリビルをどれに分類したらいいのかわからんな。。
やっぱり、建物を単純に文字に置き換えて考えるのは無理のようです。
でもまあ、ブレンドされた景観の美しさに気づけたのはよかったなあと思います。
あ、時代ブレンドも入ってますよね。過去・現在・未来のブレンド。


突然古い旅館か料亭風の和風家屋があって、看板に「笹子鮎」と書いてありますが、今はもう営業していないようです。
こういうちっちゃい古い旅館が、この辺たまにあるんですよね。


青い建物に黄色い車が出入りしてると思ったら、この近辺でよく見かける平和タクシーの拠点でした。
以前は街の風景を撮る時、車や人をあんまり入れないように撮ってたけど、今は逆に積極的に入れるようになりました。
まあ、あんまり顔やナンバーがはっきりわかるとまずいけど、特にタクシーは、なんか絵になるんですよね。街らしくなる。


大通り近辺。この辺は新しい大きなビルも多く、きれいなオフィス街という感じ。
歩いてる人の服もきちんとしてて、よそゆきの顔をしてるというか。
日ノ出町辺りの気を抜いた、、っていうとなんだけど、普段そこに暮らしてる感じの人の姿はありません。
たとえば上は白Tシャツ一枚で歩いてるおっさんとか、カート押してのんびり歩いてるおばあちゃんとかぜんぜん見かけなくなる。
大通り一本へだてただけなのにね。でもスタジアムの辺りはまた独特で、うん、野球場がある雰囲気は悪くない。


横浜市開港記念会館、通称ジャックの塔。


神奈川県庁本庁舎、通称キングの塔。暗くなってきたからISO感度上げないとブレてしまう。。


ぽつん。猫って混んだ街中にも、こういうぽかんとしたスペースを上手に見つけますね。


中華街から元町の方へ向かいます。


中華街の自販機。汽水○○機。○の部分の漢字はないなあ。


夜は夜でまたド派手な関帝廟。




土曜日はどこへ行っても人が多かったです。梅雨入り前にと外出?




こちらは媽祖廟。夜は提灯のライトアップが目印です。






天長門の向こうにMOTOMACHIの文字。ああ、今日もずいぶん歩いたなあ。

こうして街の写真を撮ってると、前よりどんどん横浜が好きになってゆくのがわかるんですが、
考えてみれば、いつまでここに住んでるんだろうなあとも思います。別に土地や家を持ってるわけじゃないし。
もしもいつか何かの事情で、ここを離れなきゃいけない時が来たら、きっとすごくさびしいんだろうな。
今はまだ、いっぱい街を歩いて写真を撮ろう。

大岡川をさかのぼり(後編)

2016-06-01 07:41:28 | 横浜の町
なつかしのアーケード商店街、今でもにぎわってる所けっこうあるんですよね。
ああうなぎ、もう何年も食べてない。

先週土曜日にさかのぼった大岡川のつづきです。
横浜についてなんやら調べると、ほぼ毎回のように行き当たるはまれぽの記事。
ちゃんと現地におもむいて取材してるので、ローカルな内容ながら読み応えがあって、リンクリンクでけっこう読みました。
へええ~、無料のWEBマガジンにもこんなにしっかりしたつくりのあったんだなあ。


旭橋の次には黄金橋。横浜大空襲で一番被害がひどかったのが黄金町の辺りだそうで、
以前この辺りで材木問屋を営んでいたというおうちの方から、ガード下に空襲で亡くなった方のご遺体がぎっしり積み上がっていたという話を聞いたことがあって、黄金町駅のことだったのかと思い当たりました。


最近、こういう景色がやけによく見えるんですよね。。。新旧入りまじりのごった煮みたいな街角が。
これが、ある時期いっせいにできたような区画の街並だと、きちんときれいだけど、面白くはないわけです。
ちょっとずつ新陳代謝してゆくのが理想的な町なのかな。




ミニストップの先に雪をのせたような木の並木が見え、あっ、ヤマボウシ!とその通りへ向かいます。
ヤマボウシ、街中でも見かけますね。ハナミズキと似てるけど、時期がちょっと違うんです。


脇道をのぞけば小さな飲み屋が並んでたり。




大岡川沿いに多いもの。スナック、交番、そして質屋。質屋の看板よく見かけるなあと思ったら、やっぱりこんな記事が。

日ノ出町駅周辺に質屋が多いのはなぜ?

ようは近くに繁華街や歓楽街、場外馬券売り場などがあったりしたから。なるほど質屋の需要が高そう。
そういえば先日行った石川町のやきとり屋さんも、元質屋の蔵を利用した建物でした。
ちなみに写真のかぎやさんも老舗の質屋さんで、かの桂歌丸師匠も昔よく利用していたそうで、
質屋組合のポスターにのる仕事を引き受けてくれたりしたそうです。
そういわれてみれば質屋の宣伝って落語家が一番適役かも知れない。
歌丸さんについては後にも出て来ます。横浜の影のボスとは歌丸師匠のことだったのか…?


なぜにこのESSOのスタンドのある街角が、こんなにおもしろ美しく見えるのか。
小津映画を見てから脳内麻薬みたいなもんがばんばん分泌されてるんだろか。ランナーズハイならぬ街角ハイ。


末吉橋。もともと横浜には、もっと沢山川があったそうなんですが、JR根岸線や市営地下鉄工事のため埋め立てられ、
今ある何本かの川にまとめられたそうです。
かつては、沖合に停泊した大型船から荷などを運ぶはしけ(小型の運搬船)や、
客を乗せる曳き船や小型の漁船などがさかんに行き来する、運河と水運の町だったんですね。浅草辺りと色々似てるなあ。

 
あれ?交番の建物の上になんかある……と思って近づいたら、ワシのような???
実はこれ、「イセタカ君」という伊勢佐木警察署のキャラクターなんだそうです。託された仕事はけしてゆるくないのだ。


大きな壁画アート。




太田橋。川幅がだいぶ狭くなって来ました。


向こうに栄橋をのぞんだ所で、この日のさかのぼりはおしまい。
川沿いをそれて、久しぶりにイセザキモールの方へ行ってみようとなりました。
イセザキモールには以前、珍しいハーモニカ専門店があって、森のなかまとよく行っていました。
今は閉店してしまいましたが、店のおじさんはまあまあ元気です。
しかしこんなに近いのに、こっちの方へは来てなかったんだなあ。。もったいない。


薬局の軒にあったのぼり。このおじさんの顔が深刻なようなおかしいような。
でも、ずっと眠れなかったら、疲れもとれないし、笑いごとじゃないですよね。。


ちょっと一息入れたいねー、と喫茶店を物色。
今は大手コーヒーチェーン店以外の喫茶店て少なくなりましたが、ここにはけっこうあります。
新しめのメニューのあるちょっとお高めの喫茶店、古くからある感じのリーズナブルな喫茶店。ちょっと迷って後者のお店へ。

ついでに、イセザキモール関内側の入口(横浜スタジアムのある方))からすぐ右に折れた所に、南蛮屋さんというコーヒー豆曳き売りのお店があって、そこで豆を買ったら、お店にある豆から選んでその場で一杯サービスで飲ませてくれました。
何かおすすめの珍しいのを、ということで、コンゴというのを頂いたんですが、おいしかった!
普段飲んでるのは大体近所のスーパーで売ってるK○Yコーヒーなんだけれど、ちょっと高いだけあってやっぱ違うよなあ。。。


コーヒーで一息入れてから、イセザキモールを進む前に、アーケードがある!と目星をつけていた所に戻ります。
知る人ぞ知る横浜橋商店街。手前を左右に走っている道路の辺りは新吉田川だった場所で、
かつては商店街のある岸へ渡るように横濱橋という橋がかかっていたんだそうです。


ちょうどこの辺りが橋だったろうか。アーケードの下を歩き始めたら


ん?歌丸師匠???

歌丸師匠はこの辺り真金町の妓楼がご生家、今も近くにお住まいで、横浜橋通商店街協同組合の名誉顧問なんだそうです。
歌丸師匠のwiki見たら、まさにこの横浜の下町を戦前から生きて来られた典型みたいな方で、へえええーーー
落語家っていうと、林家こん平さん以外はなんかみんな浅草上野の墨田区台東区出身みたいな感じに思ってたら。。
それで質屋さんにも通ったりしてたわけなんですね。


商店街の並び、お店に挟まるようにしてここにもちんまりと交番が。

ガイドブックによればこの近くに酉の市で有名な金刀比羅・大鷲神社(ことひら・おおとりじんじゃ)があるはずなんですが、、
アーケード内の地図を見たら、紳士用服エドヤ脇の道を入った先とあります。えっ、こんな細い路地の先に?


・・・ありました!商店街のすぐ裏に。思ったより小さかったけど、とても横浜らしい由縁のある神社なんです。

現在の横浜スタジアム内にある横浜公園の辺りに岩亀楼という有名な遊郭があって、
そこの主が讃岐の金比羅山から神社を勧請して祀った神社で、そこから高島町に遊郭が移転した時に神社も一緒に引っ越して、
次もまた同じようにして高島町から今の真金町(まがねちょう)へ来たんだそうです。


神社の中にあったすし塚。神奈川県内のお寿司屋さんの希望で建立されたそう。
上野不忍池の弁天島にもこういう供養塚いっぱいありますね。・・・供養碑を建てたくなるぐらい寿司たべたい。


金刀比羅神社からイセザキモールへ戻りがてら、アーケード内のお店でスリッパと枕カバーを購入。安い!
八百屋魚屋お惣菜、衣料品にドラッグストア、日用品。
日常生活に必要な物が大体揃ってて、散歩がてらぶらぶら歩いて品定めするのにピッタリ。
今は総合スーパーみたいなお店が街中からどんどん減ってるし、イ○ンは郊外ででかすぎるし、
かといってまい○すけっとにはない物も多いんだよう。ここいいなあ。近くに住みたいなあ。


消防署。かなり歩いてお腹も減って来ました。


この辺まで来るともう馬車道はすぐ近く。


ここのベンチで一休みしながら、ガイドブックでご飯を食べるお店を物色。

「なんかお上りさんみたいだよね」と森のなかま。
「だってこの辺あんまり知らないし、お上りさんじゃん」。

ほんとは野毛の辺りでなつかしの洋食を食べたかったけれど、そちらへ戻るにはちと遠すぎるし足も痛い。。。
というわけで、なじみのある馬車道の方へ向かい、生香園で中華にすることにしました。まちがいない味。


大通り公園。ここを流れていた新吉田川を埋め立ててできたので、川のような細長い形の公園になっています。
ちょうどこの下を市営地下鉄が走ってるんだそうです。

ある何かが、いつどんな風にして始まったかって突き止めにくいことが多いけれど、横浜の下町は、
十七世紀半ばに埋め立てられて新しく出来た土地が多いから、どんな事情からそれが始まって、どんな風に変わっていって、
どういうきっかけで消えていったか、終わっていったかが、追いやすかったです。ちょうど川の流れのようで。

大岡川、あっつい夏になる前に、今度は上流にある京急弘明寺駅の方から攻めてみよう。
日によって、朝晩気温が激しく上下するので布団の調節が難しいですね。さあ、今日から六月だ!

大岡川をさかのぼり(前編)

2016-05-29 13:35:46 | 横浜の町
新吉田と呼ばれる大岡川の辺り、埋め立てられたのは十七世紀半ば頃。浅いながらもとても濃い歴史があるんです。

昨日は桜木町の近くの河口から、大岡川をさかのぼってみました。
どうせ川をさかのぼるなら、かかってる橋を写真に撮ってみようと思い立って。
かなり歩いたので、今日はすっかり足が筋肉痛。いてて。。


とはいいながら桜木町前を通る大きな車道、河口の北仲橋は撮るの忘れまして、次にかかる弁天橋からです。
名前の示す通り、赤い橋。


すぐ近くにそびえるのはランドマークタワーやみなとみらいのビル群。
でも弁天橋をちょっと過ぎるだけで、ずいぶん雰囲気が変わります。


それほど広い川幅でもないんですが、船がいっぱい停泊しています。

大岡川は過去、水運で重要な役目を果たしたそうで、荷揚げ場址も残っています。
上流は日野川と笹下川に分かれていて、室町時代に鶴岡八幡宮が焼失した時には、笹下川から大岡湾(戦国時代は蒔田湾と呼ばれていて、ちょうど桜木町駅付近が河口だったそう)を通じて、材木を運んだそうです。
そういえば材木問屋みたいなお店、いくつか見かけました。ていうか鶴岡八幡宮て焼失してたんだな。。。


Googleマップには名前がのっていない住吉橋。冒頭写真もこの住吉橋で結構大きい橋なんだけど、なぜなのさー
大岡川沿いには桜並木があって、春にはさくら祭りが開かれていますが、昔は梅林で有名で、江戸から観光客が沢山来たそうですが、
団地が建てられたため、梅林はなくなってしまったそうです。


広い車道の大江橋。広いのは、かつて路面電車の線路が通っていたからのようです。今の大江橋は四代目。
大体この辺りの橋は、明治の初め頃に架けられたか、架け替えられているんですが、
その頃に山手の居留地から来る馬車が格段に増えたため、それに耐えられる橋にしたからのようです。

初代・木造の大江橋が架けられたのは1870年(明治3年)。大江という名前は当時の神奈川県令(今の知事)の方から取ったそう。
1902年には横浜電気鉄道の路面電車を通すため、二代目のトラス橋に架け替えられ、1922年には三代目に架け替えられました。
その後、関東大震災で被災しましたが落橋は免れ、横浜大空襲にも生き残り、現四代目は1973年に完成したもの。
へええ、、関東大震災も横浜空襲もサバイブしたというのは、なかなか強運の豪の橋ですね。

(※大江橋についてはwikiではわからない部分があったんですが、こちらのサイトに詳しい話がのっていて、参考にさせて頂きました。)


ちょうど走って来た根岸線。おお、いい感じに撮れたぞ!と自画自賛したうえに森のなかまに自慢。へっへっへ~


桜川橋。検索したら、最近公開された映画「さらば あぶない刑事」に、定年した刑事がこの桜川橋近辺でラーメン屋の屋台をやっているという設定があって、出て来たようです。

写真撮ってて、なんかやけに絵になるなあと思う場所が多かったんですが、
この辺りは古くから映画のロケ地などで使われていたんですね。黒澤明の「天国と地獄」が特に有名なようです。


「都橋商店街」で画像検索すると、これに似たような写真がいっぱい出て来ます。
商店街といっても一つの建物で、ハーモニカ横町と呼ばれているそうです。あ、な~るほど!


都橋のたもとには交番があります。この辺り交番がとても多いです。

大岡川の橋は、関東大震災でほとんど落ちてしまったそうで、その後に架けられたものを復興橋というそうです。
浅草辺りの橋もそうですよね。そして復興橋のたもとには、交番・トイレ・消火器具納庫があるのが一般的なんだそうです。
江戸時代には橋番と言われる番人がいたのかも。


都橋商店街、道路側からのようす。店名からすると、ほとんどスナックや居酒屋のようです。
そう、商店街は商店街でも、夜の商店街なのだ!
・・・ので、昨日おさんぽした時間帯には、みんなClosedの札がかかっていました。
夜はまたぜんぜん雰囲気が違うんだろな。

東京オリンピック開催時に、本通りをきれいに見せるため、本通りに並んでいた露天や屋台をここに収容したのが始まりだそう。
だから間口の狭い、小さなお店が並んでるんですね。会員制と札がかかっているお店も多いです。
こういう感じのお店って、初めて入るにはかなり勇気がいると思うんですが、ここにそのレポがありました。
メニューがない店が多いそうなんですが、わりと良心的な会計で、意外に大丈夫のようです。

ちなみに、ちょっと古くからあるような町には、こういう昭和的なスナックって何軒かあると思うんですが、
今やママも常連のお客さんも高齢化して、まるで全額自費負担のデイサービスのような機能を果たしていることもあるようです。
こういうお店のママって地元の情報通で、またよく気が回るから、独居の高齢男性などには有用なのかも知れません。
デイサービスで折り紙やぬり絵なんかちまちまやってられるけえ!みたいな男性も多いですし。
でも、人としゃべったりカラオケで歌ったり、そういうことなんですよね、認知症対策って。


桜川橋近くの交差点。


これもGoogleマップには名前ののらない宮川橋。


かんばん屋さんの「かんばん」というかんばん。???


長者橋。関東大震災の後に架けられた復興橋の一つで、他の橋よりも西洋風だと思うんですが、それもそのはず、
復興では多くの橋が一度に建設されていたので技術者が足らず、東京芸術大学の教授が生徒に課題として親柱のデザインをさせ、
その一つが採用されたからのようです。長者橋はアール・デコ調。

大岡川の橋の名前、長者橋とか黄金橋とか、いかにも由来がありそうな名前なので調べてみたんですが、
この辺りは埋め立て地だったので新しい町が多く、名前をつける際にせっかくなら縁起のいい名前を、ということで、
長者町、黄金町、曙町、寿町などのいかにも縁起のよさそうな名前が選ばれて、橋の名前もそれに準じたからのようです。
すごく羽振りのいい長者がいたとか、埋蔵金の伝説があるとか、そういう由来があったわけじゃないんですね。。。しょぼん。


日ノ出町駅。この辺りから上流にかけて、大岡川に沿うように京急線が走っています。


変化に飛んだ景観の町。


旭橋は、車道と人が通るための橋とに分かれています。


京急高架下のアート街。

私が横浜に越して来たのは十二年前ぐらいで、あまり古い話を知らなかったんですが、
大岡川近辺は、さらに新しい埋め立て地区みなとみらいとは、雰囲気なり歴史なりちょっと違うんですね。
仕事柄、戦前戦後からこの辺りに住んでいたという何人かの年配の方と接する機会も多く、へえー、やっぱ横浜みたいな都市に長く暮らして来た人の経験は、栃木の田舎育ちのうちの親とかとは違うなあと話を面白く聞いたりしました。
生半可につっこむのも難しい話で、このブログではあまり触れませんけれども、今回の記事を書くにあたっては、
大岡川の歴史や橋の話など、このはまれぽでたいへん面白く読ませていただきました。

青線地帯から芸術の街へ 黄金町の話

みなとみらいはきれいで、お買い物してもお散歩しててももちろん楽しいんですが、
黄金町や日ノ出町、伊勢佐木町にはまた違う面白さがあり、それはなんかこうダークな過去含めての独特の雰囲気があるからだと。
もちろん今はきれいになって治安も良くなっていて、だから森のなかまと私もこうしてのんびり写真を撮って散策できてたりするわけなんですが、カメラとか向けない方がいいのかなと思われる場所が、ちらほら路地裏なんかにあったのも確かです。
こういう黒歴史的な話って、忘れて欲しい人たちがいるのももっともだと思うんですけれども、私は知って良かったかな。


ここ最近、こうした町の風景の美しさって、たとえば山手の西洋館みたいな美しさと違うけれど、何がどう違うんだろうか考えてるんですが、一つには生活感のこと。
生活感は職と住が同じ場所にある時に、よく出て来ると思うんですが、たとえば高級住宅地って、スーパーや病院が近くになかったりして、生活するのに必要だけれど所帯くさいものを、なるべく遠ざけてるんですよね。
だから不便でもあるんですけど。しかも高台にあることが多いし。。
で、いわゆる下町って、職と住が一緒のことが多いんですよね。その辺が、古民家の美しさとも通じるかな、と。
古民家は農業なり漁業なり、生業に適するよう作られていたから。
逆にいえば、お金があれば、生業や風土を無視して家を建てることができるので、山手西洋館はそういう美しさです。

あと、もう一つは時間がつくる美しさ。歴史っていうと大げさだけれど、時間がたつことで、ある期間そこに人が暮らして来たというようなことから生まれてくる美しさ、みたいなものがあるのかなあと。
かつての生活をしのばせる美しさ。なんか別の言い方があるかも知れませんが。
廃墟ブームとかあったりしますが、あれもかつて人がそこにいて何か活動していた、みたいな痕跡が見えるから面白かったり感慨深かったりするんじゃないかと思います。
で、その時間経過がかもし出す美しさは、山手だろうが下町だろうか持っているはずで、はてどんなもんでがしょう。


かつての大岡川は、横浜名産のスカーフを染色するために、工場からインクまじりの汚水が排出されていて、インクくさかったそうです。
今はきれいになって、カヌーを漕いでる人もけっこういるようです。


日ノ出湧水。開港後、埋め立て地の辺りは良質な水の確保に苦労したそうですが、日ノ出町辺りは自然の湧水に恵まれた土地で、
民間業者が、横浜港へ出入りする船に、飲み水などを提供していたそうです。
今この湧水は環境変化などで飲料用には適しませんが、生活用水として使うことは可能だそう。

と、今回は旭橋まで。どうだ、ディープじゃろう。上流へとつづく。

石川町散歩

2016-05-18 20:30:12 | 横浜の町
山手西洋館の中でも、山手イタリア庭園のある外交官の家は、JR根岸線石川町駅寄りで、
みなとみらい線の元町中華街駅からは少し離れているので、今まであまり行っていませんでした。
先日はこの方面をおさんぽしたんですが、石川町辺りの町並みが予想外におもしろかったので、
外交官の家とは別に記事をまとめてみました。




山手へと上がってゆく階段。この辺り、急な坂や階段が多いんですが、そのおかげでというか、
景色に変化がついてよいのです。眺めはいいし、すごくいい所なんですよね。苦労もあると思いますが。。


外交官の家の横にある階段を下りて来るとこの坂道に出ます。ここも結構な勾配。





石川町は、やきとり屋とそば屋とワインを飲ませる洋風居酒屋、それに手芸屋さんや雑貨屋さんが多い印象でした。
間口が狭く、小さいお店がひしめきあって、なつかし楽しい感じです。
あと岩手のアンテナショップもありました。レモンバジル風味のサバ缶がおいしかったんですよ!
地方のアンテナショップはいつも人がいる感じ。なんか入りやすいんですよね。なんでだろう。


山手から石川町へ下りて来る階段の途中に、お地蔵さんの祠があって、こんな碑が立っていました。

大丸谷震災地蔵尊の由来碑

1923年(大正十二年)九月一日午前十一時五十八分関東全域にわたって大被害をもたらした関東大地震は震源地を相模湾の北西隅あたりの海底と推測され、北海道、沖縄にいたる地域でも人体に感じ、全世界の地震計に記録をとどめ、死者99,331名。負傷者103,733名、行方不明43,467名の大地震であった。当時此の付近一帯は各所より発生した大火災により一面火の海となり避難民は高台(十三番)の安全地帯を求めて大丸谷道路上を山に向かって殺到した。其の数役三百名、然し下方より吹き上がる火焔は物凄く道路上は忽ち灼熱の地獄と化し前進をはばまれ止むなく右手の崖を草の根につかまりつつ我先にと登りはじめたが後続の避難民は火焔にあおられ熱さに耐えかね、つつじの灌木の中に身を伏せこらえたが後方よりせまる火勢の猛威には抗しきれず、ついに二十七名が二度と帰らぬ犠牲者となった。震災五十周年にあたり尊き人命を失った方々の霊にたいし改めて冥福を捧げるものであります。
昭和四十八年九月一日 石川町一丁目町内会


月曜日の夜に関東地方で大きめの地震があって、久しぶりに緊急地震速報で電話がギュンギュンいってびっくりしました。
昔って、こういう天災には、備えもなすすべも、今よりももっとなかったんでしょうね。
堀立柱の祖末な小屋なら、震度5ぐらいでも倒壊して、けがをした人や死んだ人も出たかも知れない。
江戸時代になっても、富士山の噴火や三度の大きな飢饉の時などに、幕府や藩の援助はぜんぜん不足していたようですし、
稲作農耕の暮らしの身動きの取れなさ、日本の、新たに開墾する土地のなさは、こうした災害へ対抗することも難しくしただろう。
けしてどうでもいいことではない、本当なら忘れるべきでない過去を無理にでも忘れ去って、
気持ちも暮らしも立て直すほかなかったんだろうと思いました。
もしも深く、真面目に考えれば、再建のために立ち上がる気力も出なくなってしまうんじゃないかと。
忘れるというのは、具体的にはほとんど対策することができなくて取らざるをえない、最後の奥の手なんだと思います。
ことに大きな天災を相手にしては、過去、人間は、ほとんど無力だったでしょう。
でもだからこそ、大きな被害のあったことについて、こうした碑や記録を未来に残してゆくことは、すごく大事なことなんでしょうね。


この建物は美容院で、とても目をひいたんですが、意外に町並みになじんでいました。建ってからの時間のせいかしら。


山手西洋館のような、その建物自体が美しい場合と、一軒一軒は山手西洋館ほどには美しさに重点を置いていないのに、
町並み全体に独特の美しさが現れてくるのは不思議ですね。
高級住宅地って、全体を見た時の美しさは、あんがい退屈なんですよね。
山手西洋館や高級住宅地の美しさは、ほかお城とかもそうだと思うけれど、生活感を隠した美しさで、
古民家やこうした町並みの美しさは、生活感がほどよくにじみ出た美しさなのかなあと。






電車に乗って馬車道駅まで。石川町とはまた雰囲気が違いますが、ビルの壁に夕陽が照り返してきれいでした。

しばらく前にBSプレミアムの新日本風土記で、鳥取県酒津の「とんどう」というお祭りを取り上げていて、
とんどうっていうのはお正月飾りとかを十五日頃にお炊き上げする、いわゆる左義長の一種のようです。
鳥取は因幡の白うさぎ伝説にあるように、大国主命、つまりオオナムチのお膝元で、
「火山列島の思想」にも取り上げられていたんですが、このわらで編んだ山、夜には火をかけて、まるで火山のように見えました。
左義長は徒然草に記載があったり、戦国時代頃の屏風絵にも描かれていたりとかなり起源が古いようで、
ひょっとしたら火山神・オオナムチをまつるお祭りに由来するのかも知れないなあと、これは私の想像ですが。

古民家で祭られているかまどを見た時も、考えてみればかまどってご自宅用のミニ火山みたいだよなあと。
お盆に帰って来たご先祖さまを、お供えなどを焼いて送るように、
左義長はお正月に訪れた神様(これもやっぱりご先祖様?)が宿った正月飾りを焼いて、高所へ送る儀式のように思えますし、
全く無関係にも思えた山の神、火の神、かまどの神、ご先祖さま、が、ぼんやりとつながってきたように思います。
おそらく、こういうことに確かな答えを出すことはできないんでしょうけれど、こうして考えをめぐらすのは面白いのです。

原始・古代の祖先たちにとって、山は神であった。山が清浄であるからではなく、山が神秘不可測な〈憤怒〉そのものであったからである。山は、まず火の神であることにおいて、神なのであった。(「火山列島の思想」益田勝実)





関東大震災から93年。東京オリンピック、私はテンションだだ下がりなんですが、
もしも予定通りにやらなければならないとしたら、東京の街を少しでも地震に強いようにしてくれたらいいなあと思います。
大がかりにそういう工事やら区画整理やらやるにはいい機会ですもんね。
東京に関東大震災規模の地震が今来たら、、、と考えると、本当に恐ろしいです。。
建物は当時よりはるかに耐震性があるけど、人口の集中も当時の比じゃないだろうし、日本全体に及ぼす影響に至っては、
考えるのも恐ろしい……。
だから、やっぱり少しでも、今できるだけのことはしておかなければ。
天災は今でも恐ろしいけれど、人は昔ほど、それに対して無力ではないはずですよね。


         


おまけ。懐中電灯は何本かもっておくと安心ですよ。少しお高めでも、今は小型で軽くて性能もいいのがありますから。
まあうちはもう、そんなにあってどうすんだってぐらいあるんですけど、震災の時には本当に助かりました。
だってあの時は、お店から懐中電灯も乾電池も、みんななくなっちゃいましたもんね。。
あとは、ガスレンジでもきれいにしておこうかなあ。

夜の遊園地

2016-05-15 20:12:14 | 横浜の町
少し前からコスモワールドは観覧車のネオン管のリニューアル工事をしていたんですが、
昨日行ったらそれも終わったらしく、点灯していました。四角い形とかも映せるようになったらしいです。

昨日は遊園地のド派手なイルミネーションがやけにきれいに見えて、
あと、ワールドポーター内にある、よく行くTHE LASTの店内も妙に面白く感じました。
しばらく古民家漬けだったせいかも。


ボリュームたっぷりのハンバーガーがおいしいTHE LASTの店内は、レトロアメリカンというかクラシックアメリカンといいますか。


昨日は席が埋まるくらいお客さんが入っていました。外人さんも多いです。


森のなかまは店員さんにすすめられたブルームーンというビールを注文。「うまい!」と言っていました。

小津安二郎初のカラー映画「彼岸花」で、長女の結婚式の前日、家族がいわゆる茶の間でお祝いをやるシーンがあって、
ネープルオレンジのジュースの瓶(プラッシー?)にぶどうなどフルーツが並んだ、
赤いチェックのテーブルクロスをかけた和風のちゃぶ台がすごくきれいで、
ああこれものすごく考えてテーブルの上に並べるものを選んだんだろうなあと。
「秋刀魚の味」では、布団がたくさん干してある団地の風景があって、その布団一枚一枚があまりないような色柄で、
それがまた全体を見た時にやっぱりきれいで。
なにげない平凡な物にも美しさを求めて、映画におさめようとする執念のようなものを感じました。
たぶんそういう部分がないとできない仕事なんだろなあ。映画の監督なんて。
まあ、こういうタイプの人が身近にいたら、めんどくさくてやだろうなあとも思いますが、なにぶん映画はすばらしいのだ。


よくよく見れば凝ってる内装。いわゆる「きれい」とか「美しい」っていうのとは少し違う気もするんだけど、
いいなあって思うこの感じ、私は「面白い」って言っちゃうんだけれど。




ご飯を食べたあと、みなとみらいの駅へ向かう途中にコスモワールド内を通ります。入園料がいらないのがいい所なんであります。
恒例森のなかまとワニワニパニック。私はどうしても120点いかないんですよ。。


安っぽくてけばけばしい、にぎやかな極彩色は、どこか寂しさを伴っているよう。




でも昨日はチケット売り場にも行列ができるくらい人がいっぱいで、寂しさはだいぶ緩和されていました。

そういえば先日BSで「剱岳 点の記」という映画をやってまして、わりと最近の映画(2009年)なんですが、
これもいちいちシーンが美しく、なんか小津映画とかの頃の邦画っぽいなあと思ったら、
黒沢映画でカメラマンをやっていたという有名なカメラマンの方が監督されていました。すごく細やかでていねいで。
あと、登山ものなのにやたら絶叫したり人が死んだりしないのもよかった。
滑落シーンはあったけど、なんかいい感じで。……いい感じっていうのもヘンだけれども。
「世界の中心で絶叫する!」みたいな映画はもういやじゃ。。。

最近のドラマも映画もほとんど見なくなっていて、俳優の名前とかよく知らないんですが、
とってもいい秋田犬みたいな顔した背の高い俳優が出て来て誰だろうと思ったら、松田優作のご子息松田龍平でした。かっこいいな!
ぜんぜん印象が違ったので気がつかなかったけど、「あまちゃん」のマネージャーやってた人ですね。
(「あまちゃん」は森のなかまが再放送にはまっていたので少し見ました。面白かったけど、私は連ドラを続けて見る根気がないのです。)
お父さんは名優としかいいようがないけど、何をやっても松田優作になっちゃうんだよね。
それとは違うタイプみたいで、いいじゃないですかあーーーうえへへへ。





日ものびてきて、休日も長く感じるお得な季節になりました。
これから梅雨、そして盛夏までが、外を歩いて一番気持ちいい時期ですね。