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水瓶

ファンタジーや日々のこと

五月の五色沼

2015-05-06 12:09:06 | 
場所によって異なる性質があるというみどろ沼。何色あるように見えますか?

去年の夏に引き続き、裏磐梯五色沼に行って来ました。
前回は台風の影響で雨ざんざんの五色沼でしたが、今回はお天気に恵まれ若葉もピッカピカ!

ほんとにほんとにきれいだった………


去年は雲に隠れて裾野しか見えなかった磐梯山も、今回はくっきりどーん!
かつての山体崩壊、噴火大爆発のなごりなのか山肌がむき出して、荒々しいというか猛々しいというか、
ちょっと怖いぐらいの迫力がある山ですね。
レトロ周遊バス「森のくまさん」のガイドさんによると、たった15分の間に山一つなくなってしまったんだそうです。
最近は箱根やあちこちで火山活動の兆候があるようで、う~ん、、、
日本列島のこういうマグマって、地下深くでつながってるんでしょうかね?
大きな被害が出ないといいんですけども……


るり沼近辺の水生植物。ふさふさと茂ったスギナに似た植物が光を浴びてほんとうにきれいでした。
まだ水草も丈が低い時期なので、沼の見晴らしもよかったです。


名前のない沼もあちこちにあって、それぞれ趣が違います。

前回買った熊よけの鈴を今回も持って行ったんですが、さすがGW、人が沢山歩いていて、
私が熊なら出ないなあとなんとなく納得したので、途中でしまいました。しばし熊もお休み。


今にもホビットが出て来そうな林の中のひだまり。

あーーー帰りたくない。。。



立派なアカマツ。五色沼のアカマツは植林されたものだそうで、それ以来増えてはいないそうです。
もともと乾燥に強い木なんだそうで、湿地にはそれほど向いてないのかも知れませんね。

樹木図鑑を読んだりしていたので、道中これはなんの木だろうと気になることしきり。
名前のわかる木って、白樺とかモミジとか松とかの、わかりやすいごく一部なんですよね。
これから写真をよく見て調べるつもりです。


アカマツの林の辺りで面白い鳴き声が聞こえて、鮮やかな黄色い小鳥を発見!
キビタキくんのようです。キビタキは鳴き声が多彩で、他の鳥の声をまねたりするんだそうです。
ちょうどツクツクホウシをまねている鳴き声を動画に撮れたので、ブログに上げられそうだったら上げてみます。
今回はこのキビタキくんのおかげで鳥の鳴き声動画にはまってしまい、
メモリーカードの残量がものすごい勢いでなくなっていきました。。
いや~、でもこういう所で鳥の鳴き声聞くのって、ほんとにいいもんですね。


何の木か、若葉が開いてゆくところ。こうしてきちんと折りたたまれるように収納されているんですね。
しかし不思議な形を見せてくれるものです。

今回の旅行、思い出し思い出し少しずつ記事にしてゆくつもりです。
桧原湖のそばの裏磐梯物産館の漆器のお店で、塗り物のちょっといいお箸を買いました。
ラーメンのどんぶりより少し大きい、分厚い器が置いてあってなんだろうとお店の人に聞いたら、
漆塗りの職人さんが漆を入れて使っていた器とのこと。手にとるとずっしり重いんじゃないかと思います。
色んな色の漆が何層にも重なっているので、けずると次々違う色が出て来るそうです。面白いなあ。。
¥50.000なり。お好きな方はいかがでしょう?

北鎌倉・建長寺

2014-10-21 08:39:47 | 
剣を振り上げる烏天狗。ここは建長寺の最奥にある半僧坊。
階段を上って上って行った先に、こんな奇怪な像が沢山立っていて、
下のお寺とはちょっと雰囲気が違うのです。

ずいぶん間があいてしまいましたが、北鎌倉へ行った時の、建長寺の記事です。
建長寺は鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派の大本山で、
鎌倉幕府五代執権北条時頼が建立した日本最初の禅寺だそうです。(※建長寺のリーフレットから。)
北条時頼公は、円覚寺を建立した北条時宗公のお父上であります。
しかし北条氏の名前は時○・○時が多くて覚えづらいよ………


国宝の鐘。なんと重さ2.7トン…!!外につってあってもこの国宝は誰も盗みませんよね。
関東鋳物師の物部重光によって1255年に鋳造されたそうです。
ていうかこの鐘つり下げてる建物もすごいですよね。よく屋根落ちないなあ。


巨大な山門。一体この柱はどこから切り出して来たんだろう??

鎌倉には材木座海岸があって、調べたら、浜に船をつけるのが難しく、事故が多かったため、
勧進聖・往阿弥陀仏が港湾施設を造ることを願い出、これを二代執権北条泰時がバックアップ。
なんと和賀江島という人工島を造ったんですね。現存最古の港湾施設だそうです。
もしかして海路を渡って、紀伊辺りから材木が運ばれたかな。それとも川を通じて木曽辺りから?
紀伊も木曽も昔から有名な材木の産地だそうなんですが、これはわかりませんでした。


とにかく広い境内。建長寺は駐車場も広くて、大型観光バスが何台も停まれるようになっていました。


まるでお寺が一つの都のよう。


瓦も見事なもの。はしばしまで細やかに作り込まれています。
格子や曲線、直線、円などが素材ごとに組み合わされていていいですね~


広々とした方丈の中。この日は夏のように暑かったんですけど、中はひんやり。
奥に大きな太鼓が見えます。いつ叩くんだろ。。。


方丈から見た庭の眺め。右手に見える建物は得月楼というそうです。大覚禅師の作庭だそうです。
当時から芝生ってあったのかあ。


唐門。ちょっと他の色合いから浮くぐらい派手です。伊達政宗っぽい。


円覚寺と同じく、境内にあちこち庵のような場所があります。中は入れないんですけど、いい趣ですね。


半僧坊への表示にそって進んで行くと、いったん普通の民家があるような道に出ます。
すぐ横にある鎌倉学園の生徒さんの通学路になっていました。
さらに進むとこんな階段が見えるんですが、この少し前から突然大きな太鼓の音が響き出しました。
えっ、ひょっとしてさっきの方丈にあった太鼓???
谷のようになっているせいか、どこから太鼓の音が聞こえて来るのかよくわかりません。


和風ゴシックっていうのか…?なんて言うんでしょう、このちょっと異様な風景は。
どうやら太鼓の音はこの階段の上から鳴っていると確信します。
太鼓のテンポは速くなり、合間にチーン♪とか入ってお経を読んでいる声も聞こえ、もうのりのり。
森のなかまによると太鼓のリズムは二拍三連、でんつくでんでんつくでんでんつくでん♪らしいです。
早く行きたいけど階段長くてきついよ………ひいひい。


きっとこのあやしい階段の上ではお坊さんグループが太鼓叩いたり鉦叩いたりお経を読んでいるに違いない。
そんなにぎやかな現場を見たいぞ!!


ようやくとうちゃこ。。。この中から聞こえます。のぞいてみると………
なんとあの太鼓も鉦もお経も、全部一人のお坊さんがやっていたのです。
えええっ、あんなにでっかい音で太鼓叩いて大きな声で読経し続けて、しかももう30分近く!
お坊さんの後ろの席には二人の方が座っています。
調べた所、ここが半僧坊で、ご祈祷をやっているのですね。後ろに座っている方が頼まれたよう。
一番安い小祈祷が三千円とのことで、これ聞くためだけでも一回お願いしてみたいなあ。
なんか気持ちいいんですよね。お坊さんのグルーヴ感、あなどれません。


そしてこの半僧坊からさらに奥へ、上へ上がると、天園ハイキングコースに入って行けます。
実は二十年前ぐらいに、違う所から入って歩いたことあるんですが、
ここなんか階段になってるだけまだいい方で、ほんと大変な山道でした。。。
体力に自信のある方は一度どうぞ!


半僧坊展望台からの山深い眺め。

またまた宮本常一さんの本からですが、鎌倉はいかにも武士が造った都だそうで、
当時はまだ築城技術が発達していなかったために、鎌倉のような山間の枝谷からなる、
天然の要害の地が選ばれたらしいです。
そういえば鎌倉ってお寺や神社はいっぱいあるけど、お城も城跡もないし、
頼朝公や北条氏の代々の執権はどこに住んでたんだろうと調べてみたら、
鶴岡八幡宮の近くにあった武家屋敷に住んでいたそうです。
太蔵幕府跡という史跡があるそうです。意外に知られてませんよね。

鎌倉が広々と開けてるのは海の方に向かってで、その砂浜に大きな船を着けるのは難しいし、
切り通しがいくつも造られたのも、もともとが外と行き来しにくい地形だからですよね。
攻め込んで来る敵を防ぐ要素がいっぱいそろっている、まさに武士の武士による武士のための都。
(ただしそういう土地は商売交易には不便でしかたないそうです。城下町もしかり。)
それで1192つくろう鎌倉幕府から、1333年に新田義貞に滅ぼされるまで、150年近く存続するんですね。
鎌倉幕府滅亡の遠因は、二度の元寇に対抗するために負担を負わされた地方武士の不満が高まって、
幕府の求心力が弱まったからのようです。元寇防いだだけじゃ済まなかったのか。。。
昭和三十年代に行われた発掘調査では、由比が浜と一の鳥居の間にある砂浜から、
北条側の兵らしき人骨が何百体と出土したそうで、
それひょっとして、今は公園みたいになってて、地下駐車場とかある辺りなんでしょうか………
ひええ、全然そんな怖い感じしなかったよ。。。どうかちゃんと成仏してますように。
なんまんだぶなんまんだぶ。。

源頼朝に仕えていた熊谷直実という武士の子孫は、色々経緯あって足利尊氏にも仕えていたのが、
武士としての出世を思いとどまり、天竜川をさかのぼった信濃の山奥に村をつくって、
お百姓としてひっそり暮らしたそうです。これは残された記録などから信憑性が高いそうです。
動乱の時期はむごいことすさまじいことの連続でしょうから、武士という身分であっても、
そういう気持ちになる人がいたんでしょうね。。
この話は「山に生きる人々」に入っています。

というわけで、前回行った北鎌倉の記事はこれでおしまいです。鎌倉時代にちょっとくわしくなったぞ!
けんちん汁がおいしい秋になりました。

北鎌倉・明月庵

2014-09-26 08:11:30 | 
明月院。橋の上でウサギとカメがお出迎え。
ウサギの置物があちこちに置かれていたのは、月にゆかりの深いものだからでしょうか。

円覚寺から建長寺に向かう途中にある明月院は、今はお寺ではないんだそうです。
由来は古く、もとはこの地の住人、首藤刑部大夫山ノ内經俊が平治の乱で亡くなった父の菩提を弔うため建てた寺の場所に、
北条時頼によって最明寺が建立され、後に時頼の息子時宗によって、福源山禅興堂聖禅寺として再興され、
明治初年に明月院のみを残し廃寺になったという、とてもややこしい経緯があるのです。
(今は臨済宗建長寺の傘下にあるようです。)
古いお寺が、宗派を変えて別のお寺として再興されるというのは、わりによくある話のようです。


いきなり目をひく古い木橋。アスレチックのようではありませんか。


あじさい寺として有名な明月院。階段脇は全部あじさいです。
花の時季に来てみたいけど、すんごい混雑するんだろなあ。。。


枯山水庭園。須弥山をかたどっているそうです。今は造成中というか、手入れ中のよう。
園内にいる間にも、庭の手入れをする方が作業していました。
やっぱり庭をきれいに保つのは大変なんですね。


瓶の井。岩盤を垂直に掘抜いて造ったとみられ、その内部が瓶のようにふくらみがあることから、
瓶の井と呼ばれるそうです。今も使用できるそうです。


時頼公墓所。なんとお墓のすぐ後ろがふつうの民家で、ピアノを練習する音が聞こえて来ました。
夏のような陽射しのせいかも知れませんが、たしかにおどろおどろしい雰囲気はないのです。


明月院やぐら(羅漢洞)。これがその最初期に首藤刑部大夫山ノ内經俊が建てた墓所。
こういう形を洞窟墳墓というそうで、鎌倉時代に特有なんだそうです。
そういえばあちこちで見かけました。鎌倉の地形に合ってるのかも。


開山堂(宗猷堂)。青空に白壁がくっきりときれいでした。


花は少ない時期だったのですが、彼岸花はあちこちで咲いていました。
左上に実ってるのはカリンのようです。


山門。あまり大きくないですが、いい風情ですね。


鎌倉のお寺は、山すそに建てられているお寺が多く、だから高低差もすごいのですが、
所々にむき出しの崖が見えて、山深い感じがします。
入りませんでしたが、今風和風のカフェもありました。うさぎはそこかしこ。
円覚寺と建長寺との、大きいお寺の間にある、こじんまりとしてちょうどいい感じの院でした。

と、ここで唐突にクイズです。法隆寺を建てたのは誰でしょう?(wikipedia参照可)


         


ブーーー!大工さんですうーー 


………すいませんね。
っても、まるきり冗談でもなく、今、宮本常一さんという民俗学の先生の本を読み込んでいるのですが、
取り上げられているのが「文字通り物理的にお寺を建てた」ような、
歴史に名前が残っていない人たちなんです。
円覚寺や建長寺のような古い大きいお寺には、必ずといっていいほどすごく太い柱が使われていますよね。
ああいった木は深い山の中にあることが多いんですが、
それを見つけて、伐採して、現場まで運んで来るのは、現代でも大変な難事業なんだそうです。
でもそういうことが、すでに飛鳥時代には行われていた。
・・・のは、それができるだけの技術を持った人たちがいたからです。
すごく面白いですよ。「山に生きる人々」
文章も平易で読みやすいです。ご興味のある方はぜひ読んでみて下さい。

北鎌倉・円覚寺

2014-09-17 08:34:40 | 
長い年月のうちに風雨に朽ちかけて、木陰でやすらぐ観音像。
これからただの石に戻るんです。

瑞鹿山円覚寺。開山1282年、開基・北条時宗、開山・無学祖元。
蒙古襲来による殉死者を、敵味方の別なく弔うために建立されたそうです。
こういう考え方がすでに鎌倉時代にあったのはすごいなあと思うのです。


山門。大きい~んです。一階まで下りていない大きなはしごがあって、
二階、というか楼上には、十一面観音や十六羅漢像が安置されているそうです。


お寺や神社の境内によく見られる柏槙(ビャクシン)。
葉のつき方が火炎が立ち上るようで、力強い感じがするんですよね。


仏殿には宝冠釈迦如来座像があって、撮影禁止とも書いてなかったようなんですが、
やっぱりやめておきました。写真は仏殿の天井絵。
仏殿は関東大震災で倒壊して、昭和39年に再建されたそうですから結構新しいのですが、
この天井絵は迫力ありました。


花の時期でも紅葉の時期でもありませんが、蝉の声がジーワジーワと響き、
濃い影落ちる夏のお寺もよいもんですね。ていうか暑かったよこの日………


ひんやり広々とした方丈の廊下。


方丈前にある百観音霊場。江戸時代から明治にかけて整備されたものだそうです。
小さい庭の道なりに、観音像が沢山並んでいました。
こういうのは大好きです。トップの写真もその一つ。


珍しい横向きの観音様。


ほおづえついたり、ちょっとくつろいだ格好したり。


妙香池(みょうこうち)。創建当初からある放生池だそうです。
放生池というのは、捕獲された魚介を購って、放す池のことだそう。カメとか鯉とかいました。
見事な抹茶色の水に、手前はモミジ。こりゃ紅葉の時期はすごいでしょうね。。。


特に説明もない木仏。


こんな風に、小さい庭のように造られた場所があちこちに見られました。


佛日庵にあった泰山木。魯迅から送られたものだそうです。阿Q正伝だっけ?
この佛日庵では、五百円でお抹茶かアイスコーヒーが飲めます。小さいお菓子つき。
森のなかまは抹茶、私はアイスコーヒーを頼みました。
シロップもミルクもつかないアイスコーヒーなんですが、これがおいしいんです。
抹茶もまろやかで、苦くな~い!
なにせ境内が広い上に陽射しも強かったので、ここで休んでちょっと復活したぞ!

中には開基廟があり、北条時宗公をお祀りしていました。
二度の元寇を退けた鎌倉幕府第八代執権。禅宗に帰依すること深く、蘭渓道隆から教えを受け、
蘭渓道隆の死後は無学祖元を宋から招聘して、円覚寺の建立を発願。
ずば抜けた才で幕府をまとめあげていたことから、学問・開運の神様と崇められていたそうです。

円覚寺は大檀那の北条氏滅亡後しだいに衰微、江戸時代後期に大用国師が復興の基礎づくりをし、
明治に入って今北洪川(いまきたこうぜん)、釈宗演(しゃくそうえん)の両師がさらに発展させたそうです。
(※円覚寺のサイトに説明あるんですが、ブラウザの調子がおかしくなって、
リンク貼ろうとするとフリーズしてしまうので、貼れません。。


佛日庵の庭にあった万両。こういうミニチュアの庭のような部分はほんとにいいなあ。
細かい所まで、行き届いています。


国宝・弁天堂の洪鐘(おおがね)。関東で一番大きい鐘だそうです。物部国光作。
鋳造がうまくゆかず、江ノ島弁財天に七日間参与したところ夢にあらわれ、
境内にある白鷺池の底を掘ってみよとお告げあり。
龍頭形の金銅の塊が出て、それを鋳造したと伝えられているそうです。
ていうかこの弁天堂と洪鐘、見晴らし台のあるような高い所にあるんですが、
ここまで持って上がったの?………


弁天堂のある高台からの見晴らし。向こうに見えるお寺らしきは、東慶寺か浄智寺か?
足腰のお守りは、弁天堂そばの茶店で買いました。階段上るの大変だったので。。
しかしこの後、建長寺でもっとすごい階段を上ることになるのでした。。。

お寺とかの建物は直線が目立つ気がするので、自然を生かすような庭と相性がいい感じがします。
といってもこの、緻密に計算された無秩序さといおうか、庭園の維持管理、相当大変だと思いますが、、、
もしも死んで幽霊になったら、特にうらめしくなくても、こういう庭をぶらぶらして過ごしたいなあ。

ところで先日アップしたニャンコは、円覚寺の名物猫しいちゃんのようです。
しいちゃんの写真は円覚寺のサイトの円覚寺まめ知識の所で見られます。やっぱり堅太り。

裏磐梯・猪苗代湖

2014-08-22 08:01:12 | 
あれ?こんなキュートな顔してたっけ…? 猪苗代湖の遊覧船。

猪苗代湖は子どもの頃に三回来たことがあって、
いずれの時も、このはくちょう丸を見て「乗りたい!」と思いながら乗れなかったのです。
というわけで、今回は絶対乗ってやるぞと心ひそかに決めていた旅行三日目。


まずは早起きしてホテル近くの毘沙門沼へおさんぽ。
行く途中に咲いていた花。ヤツデに似てますが、時期じゃなし・・・
なんか分子の模型みたいだなあ。


イクラそっくりの赤く透き通ったこの実はなんでしょう?ラズベリー?


とにかく今回はどこに行っても水量が豊富。小さな小川も勢いよく流れていました。

この間とは違うウッドチップのルートを行ってみました。
五色沼とは反対の方に上る小高い山を回るようです。


ほんと、こういう景色を見ると熱帯のようです。シダのせいでしょうか。
湿度は高いけれど、それほど暑くはありません。


ちょっとした見晴し台がありました。ダリ美術館の向こうには前の日に行った秋元湖。
やっぱり霧にけむっていました。

この後チェックアウトして、送迎バスが来るまでの間にホテルのロビーで守り狐の絵付けなどしました。
ホテルの方によるていねいな紙芝居つきで、
お孫さんと見ていたおばあちゃんが終わったとたんに思わず拍手。なかなかの熱演でした。
しかし一昨年松島に行った時は、すっかり伊達政宗にはまって、
おみやげにTシャツやら提灯やら買ったんですが、会津ではひどいことしてたんですね…!

その後送迎バスで猪苗代駅まで。
遊覧船乗り場がある長浜行きのバスがいい時間になく、タクシーで20分ほどかけて。
5千円ぐらい行ってしまいましたが、わが心に悔いなし!
・・・でも森のなかまの内心がどうだったかはわかりません・・・ごめんよお。


白鳥の湖。幻想的です。ちょっと顔がオバQっぽいけど気にしない。


やはり今日も水墨画のくもり空。晴れた日には磐梯山がきれいに見えるんでしょうね。
船の上では雨が降って来て寒くなり、レインコートをはおります。


前には気がつかなかったのですが、かめ丸という船もありました。
親ガメの上~に子ガメがのおって♪


小さいスワンボートもいっぱい出ていましたが、てんとうむしのボートもありました。

タクシーの運転手さんいわく、猪苗代湖は淡水湖では日本で三番目に大きいそうです。
猪苗代湖の辺りを走る100キロマラソンというのもあるそうです。
旅行中は台風の影響で涼しかったのですが、この間は37℃になりましたよ、と。
今の夏はどこ行っても暑いんだね。。


はくちょう丸を満喫して下りると12時。バス時刻表では次の便は一時間半後・・・
そこでバス停のすぐ隣にある中華料理店でお昼にすることに。

そこで食べたチャーシューメンがシンプルかつベーシックで、
子どもの頃に初めて外でラーメンを食べて、お店のラーメンてなんておいしいんだろうと思った、
まさにその醤油ラーメンの味でした。チャーシューがまたおいしくて。。
バス停長浜近くへ行かれた方は、ぜひ寄ってみて下さい。
西湖というお店です。他にお店ないんですぐわかると思います。
思い出したらまた食べたくなってきた。ごっくん……


ご飯を食べてもバスが来るまでまだずいぶん時間があるので、長浜をぶらぶら。
ようやく晴れ間が見えて来ました。
そういえば旅行に来てから青空見てなかった………


湖にもちゃんと波はたつんですよね。でも海よりだいぶ穏やかです。
あれ、、、ぶらぶらしてる内にもうバスが来る時間に。。時間がたつの早いなあ。


バスの窓から見た田んぼ。
新幹線からも磐越西線からも青々とした田んぼがいっぱい見られてうれしかったんであります。


とうとう駅に着いてしまいました。なごりおしいぞお。。

と、こんな感じの裏磐梯二泊三日の旅でした。
まだまだ行ってみたい場所あったんですが、子どもの頃からの念願も叶って、
すこやかにリセットリフレッシュされました。
五色沼辺りに一週間ぐらい滞在してみたい。。。

         

熊よけの鈴、猪苗代湖以外で外歩く時にはずっと鳴らしていました。
森のなかまいわく南部鉄で、風鈴みたいないい音するんです。
おかげさまでくまさんと出会うことなく無事旅できました。
鈴がお守りになるって、なんかわかる気がしますね。