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卑弥呼、大国主そして台与がヤマトの崇り神!

2024-04-02 14:32:24 | 古代史
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#2022-06-01 00:17:45に記事にしましたが、図のリンクがいくつも切れていましたので
修理しました。よろしければまた、お付き合いください(;^ω^)

前回と同じ動画「卑弥呼の墓 日本古代史(桂川光和)@YouTube」にいいコメントがありましたので、またまたやってしまいました(*´Д`)
どうぞお付き合いください(^◇^)


yoshito me
卑弥呼の墓を探しています。
でも、奈良では無いです。


刮目天
yoshito meさん 卑弥呼の墓を宇佐市安心院町三柱山で見つけました(「【発見!】卑弥呼の墓(^_-)-☆」参照)。二度も改葬され、宇佐神宮の主祭神比売大神になっています。宗像三女神ですが、主神のイチキシマヒメのことです。後の二女神は卑弥呼を隠すために付けくわえられましたが、応神天皇の母神功皇后のモデルとされた女王台与です。卑弥呼を隠すための藤原不比等の創作でした。

卑弥呼が殺され、三柱山の直径約150mの円墳で葬られた後に、倭国征討軍が到着し、その首将が男王に立つとそれに不服な勢力との内戦が起きます。その勝者が13歳の台与を卑弥呼の宗女として表向き女王に立て、纏向の狗奴国を裏切り、魏を後ろ盾にして対立しました。台与は近江・北陸を拠点とするムナカタ海人族(息長氏の祖)の姫巫女でした。

卑弥呼は政治的な理由から表向き女王にされた同じムナカタ海人族の姫巫女(通称ヒメゴ)です。4世紀から6世紀くらいまで大和朝廷で有力だった和邇氏の祖(先代)赤坂比古の娘だと突き止めました。帥升王の一族の伊都国男王難升米が倭国の軍事を掌握する人物として魏の正規軍の軍旗を女王を差し置いて授けられますので、本当の倭国王だと分かりました。難升米が(先代)赤坂比古を懐柔しました。その支配下が不弥国・投馬国・邪馬台国と女王に属する21国です。



内戦の勝者は、元々支配地だった山陰から北陸までに加えて、倭国全域を手に入れたので、記紀神話で大国主命と呼ばれた人物です。倭国征討軍の副将として参加した、ムナカタ海人族の王狗古智卑狗(兵庫県豊岡市久々比神社の祭神久々遅命、スサノヲの王子イタケルの直系の子孫で木の霊ですので、上棟式の祭神、代々襲名)と推理しました。

卑弥呼の後に王に立った人物は尾張王ヲトヨです。纏向遺跡の外来土器の半分は東海のもので、尾張王は、吉備を平定して奴国を再興したニギハヤヒ大王の子孫です。記紀では仲哀天皇とされ、神代ではカグツチとされた秋葉神社の祭神です。後に尾張王建稲種が父の仇討をし、大国主と台与と卑弥呼の弟赤坂比古を打ち取ります(「抹殺された尾張氏の謎(その1)~(その3)」「サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?」参照)。記紀では仲哀天皇の祖父の景行天皇とされた人物です。東海道その他も彼が武力で平定しましたので、本当の建国の父だったと考古学の成果から分かりました。建国の英雄ヤマトタケルのモデルです。詳細は、拙ブログ「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」などで説明していますので、よろしければどうぞ( ^)o(^ )

大国主は内戦勝利後に台与と一緒に安心院町三柱山の卑弥呼の居城を訪れ、遺骸を盆地の南側の妻垣神社の奥宮一柱騰宮に遷し、改葬したと推理しています。日本書紀が、その史実からスサノヲのオロチ退治の後にイナダヒメと八重垣神社で歌った日本最古の歌を作りましたので、妻垣神社の社名としたのだと思います。


八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

その後、安心院町佐田地区佐田神社に王宮を作り、佐田川流域の葦を払い、水田に変えて最初の国づくりをしたと推理しました(「大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?」参照)。米神山の麓に立派なストーンサークル佐田京石を作り、先祖に勝利の感謝の祀りを行っています。米神山中腹に置かれた石棒群の方角が、倭国大乱の英雄(先代)狗古智卑狗の墓を指していたから驚きました。詳細は「【検証24】狗古智卑狗の墓発見!(その1)(その2)」「【謹賀新年】狗古智卑狗の霊ライン?」をご参照ください(^_-)-☆



長々と失礼しました(^^)/

【関連記事】
古代史のカギを握る神々の正体?

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆




最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
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6 コメント

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おはようございます。 (morkohsonimap)
2022-06-01 05:15:53
初めてコメントします。
全くの歴史トーシロですが、こう言ったお話が好きで昔随分関裕二さんとかの選書とか新書を読み漁りました。
個人的には読書だけです。
宇佐っていうことでちょっと反応してしまいました
宇佐は何かあるような感じを現地ですが感じた記憶が・・・

刮目天様の考察楽しく読まさせてもらっております
Re:おはようございます。 (刮目天 一(はじめ))
2022-06-01 07:09:52
嬉しいコメントをありがとうございます!
わたしも関裕二さんのマニアでした。本屋で見かけると直ぐ買ってしまい、後で二冊買ってしまったことに気付くことが二度ほどありました。
関さんに誘発されて定年後のライフワークにしようと決めて、図書館によく通いました。関さんにはヒントをたくさんもらいましたが、さすがプロの作家ですので、後を引くように結論を明確にしませんから、自分で推理して、独自に大発見できました。
要はウソを見破るというはなしでした。多くの皆さんは、書かれているものを正しいとして、なんとか考古学の結果を解釈して両者を合わせようと努力しています。関裕二さんも同じだとわかりました!盲点ですね(^◇^)
疑問点がありましたら遠慮なくコメント下さい!それによって研究が進みますので、どうぞよろしくお願い致します(^_-)-☆
Unknown (nekono-hironya)
2022-06-01 12:23:52
先日、吉野ヶ里遺跡に行ってきました。
邪馬台国の九州説が当たりなのかな、と思ってます。
Re:Unknown (刮目天 一(はじめ))
2022-06-01 20:48:21
コメントありがとうございます。
吉野ヶ里は懐かしいです。もう、30年以上も前でしたか。荒尾市の出張のついでに、仕事を早く切り上げて一人で見に行きました。あの時、弥生集落のイメージができました。
定年後に古代史にハマっていますが、邪馬台国の謎が解けました!拙ブログ「魏志倭人伝の真実」をご参照くださると仕掛けが分かります。ほとんど皆さんは、歴史書は建っダしく書かれているというのが刷り込まれているので、解釈の問題に終始したので、正解にたどり着けなかったことが分かりました。編纂者やそれのもとになった文献作成者の目的や意図を考察すると謎が解けてきました。古代史の盲点だったと思います(^_-)-☆
疑問点がございましたら遠慮なくおっしゃって下さると、助かります。どうぞよろしくお願い致します(^◇^)
Unknown (とある肉屋)
2024-04-06 10:27:14
卑弥呼がどこに存在していたか、すごく説得力のある話で分かりやすいですね。これで間違いない!
Re:Unknown (刮目天 一(はじめ))
2024-04-07 17:52:46
ちょっと外出していたのでお返事が遅くなり、申し訳ありませんでした。
こんなうれしいコメント、とてもやる気が出てきます。これからも謎ときに挑戦しますのでお付き合いください。有難うございました。

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