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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

二倍年歴を知らないのが自称保守なのか?(@_@)?

2024-04-09 05:01:34 | 古代史
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#いつも勉強させてもらっている三橋先生も神武東征の神話を信じているようで、例えば春と秋で二年と計算する二倍年歴という発想で記紀を読めば、異常に長生きする天皇の話も常識の範囲の享年に収まるので「自称保守」の人に教えてました。「自称保守」は侵略戦争肯定派なのか?「自称保守」と「真正保守」があるのでしょうか?ビジネスとして保守を装う「ビジネス保守」というのは分かり易いですが、自称保守は二倍年歴を知らない、間違った歴史観の保守という意味なんでしょうか?神武東征の虚構について以前にもコメントしましたが、イデオロギー歴史観では真相にたどり着けませんので今回もしつこくコメントしてしまいました。よろしければお付き合いください(;^ω^)



古事記や日本書紀が何のために作られた?日本の歴史を古く見せるために120歳や180歳の天皇を創作するより常識的な享年の天皇を増やした方が説得力あり!と言うのは現代人の発想ですよ!

春秋2倍年歴が使われてるから矛盾ないと言うのも、誤りですよ!

ヤマト王権が3世紀に始まったことは纏向型前方後円墳の築造年から分かっていますから、2倍年にしても考古学の成果と矛盾しますよ!

もしも2倍年の話が本当ならば日本書紀の天皇の事績は1年ごとに春の記事と秋の記事が交互に現れるはず!

でも、残念ながらそうはなってないんですよね!

だから問題の本質は、記紀が天皇の歴史書だと洗脳されているので文献を事実に合うように都合よく解釈しようとしていることなんですよ!

記紀の正体に気付くと日本の古代史が見えてきますよ!

神武東征は史実ではないという事実を受け入れれば、一体誰が何のために正史日本書紀を書いたのかという疑問が起こり、古代史の真相が見えてきますから。

記紀神話が作られたのは実は江戸時代なのですよ!
それまでの神話は記紀神話とは全く異なる、神仏習合、修験道や道教に影響されたものだったのですよ!
本居宣長が古事記を発掘して絶賛したのが始まりで幕末に記紀神話に基づく復古神道が流行って、明治になって国家神道が創られて、学校で国史を教えたので日本国民に定着したのですよ!
戦後は神話は教えられなくなっても何となく日本の歴史だと思い込んでいるだけです!
古代史に謎があるのがロマンだと考えているのは真実を探求する学問とは全く異なる空想・妄想の世界と言うことですよ!
詳しくは刮目天の古代史ブログを参照してください!こういう発想で科学的に古代史を解明しましたから、よろしければどうぞ!

【関連記事】
神武天皇はいつ即位した?(;´Д`)

「二倍年暦説」を魏略でも言っているのではないかとは間違った認識ですよ。上の記事で詳しく説明しましたが、「魏志倭人伝」裴松之注に「魏略ニ曰ク、其ノ俗正歳(太陰暦)四節ヲ知ラズ、但、春耕秋収ヲ計ツテ年紀ト為ス」とあります。正歳四節つまり、中国最初の夏王朝の正月から始まる四季のまつりのことを倭人は知らず、四季のある日本では人々の活動は春耕秋収がひとつのサイクルですから、それによって一年を定めているという話なのです。

それに対して、倭人は春と秋でそれぞれ一年と数える二倍年歴を使用しているというのは珍解釈 なのです。弥生時代の水田稲作は春に田植え、秋に収穫するわけで四季のある日本ですから一年を春と秋で二年と数えるなどあり得ません。もし二倍年歴が採られていたなら正史「日本書紀」でも、ある年は例えば正月から六月まで、その翌年は七月から十二月の記事しか見られないという現象が見られるはずですが、そうはなっていません。

ですから倭人が二倍年歴を採用しているなどと言う妄説は、初期の古代天皇の崩年を半分にして実在天皇と考えたい現代日本人が言い出した珍解釈なのですから、逆に、記紀で異常に長命な天皇は実在しない天皇だということが分かりますよ。


なぜ邪馬台国問題が解決しないのか?( ゚Д゚)
上の記事で解説しました。C.S.パース(Charles Sanders Peirce)の論文「信念の固着」(The Fixation of Belief 1877)によればイデオロギー歴史観というのは「権威の方法(method of authority)」ということです。
 集団中心的であり、集団の目的にかなうような信念が作り上げられる。・・・神学的な教義や政治的なイデオロギーといった社会で共通に保持される信念は、・・・集団的な判断にゆだねられる。このため、しばしば、国家のような集団は正しい公認のイデオロギーを国民に繰り返し説くだけではなく、公認のイデオロギーに反対する説が流れたり、それが支持されたりする場合、それを阻止するような権力が与えられていることも少なくない。パースによれば、・・・・固執の方法に比べると知的ならびに道徳的な点ではるかに優れているのだという。ただし、・・・不完全さをもっている。・・・また、「権威の方法」とは、いわば信念の押し付けに過ぎない。もし、幅広い見識を人々が持つならば、国家公認の見解が他の見解よりも優れているとは限らないという疑念が生じることもあるだろう。したがって、人々が互いに意見を交流して、そこから新たな意見を導き出すことができるようになるならば、権威の方法のもつ不完全さは、ますます明白なものになっていく。

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆





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