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遂に解明⁉魏志倭人伝から読み解いた『邪馬台国』の本当の場所?( ^)o(^ )

2023-12-05 18:28:19 | 古代史
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とてもいい動画を見つけました。今回の動画は以前、拙ブログにいいコメントいただいた理工系古代史研究家青松光晴氏の著作「図でわかりやすく解き明かす 日本古代史の謎~神話の世界から邪馬台国へ」をもとにして制作されたようです。
これで決まりかのような興奮させるタイトルで、邪馬台国北部九州説ですが、どうでしょうか?(;´Д`)
この本の最終章に邪馬台国位置比定の考古学的根拠が書かれていることが目次から分かります。
1.鉄、2.鏡、3.勾玉(まがたま)、4.銅矛(どうほこ)、5.絹
6.三種の神器出土遺跡①(吉武高木遺跡)
7.三種の神器出土遺跡②(三雲南小路遺跡)
8.三種の神器出土遺跡③(井原鑓溝遺跡)
9.三種の神器出土遺跡④(須玖岡本遺跡)
10.三種の神器出土遺跡⑤(平原遺跡)
11.まとめ ~ 遺跡、出土物からみても邪馬台国はここだ!!
1から5は人が持ち運びできるものですから、邪馬台国の決め手にはなりません。6から10は遺跡ですが三種の神器が邪馬台国の決め手のようです。しかし、決め手になるのはやはり卑弥呼の墓だと考えています。墓の周辺の遺跡や伝承だと思います。ですので、いつものとおり、コメントさせていただきました。よろしければお付き合いください(;^ω^)


今回は、遂に解明⁉魏志倭人伝から読み解いた『邪馬台国』の本当の場所について紹介させて頂きます。
今回の動画は、青松光晴様の許可のもと動画を作成させて頂きました。


これだけ長い間時間をかけて多くの方が研究しても確たる話がないのは何かがおかしいと考える必要があると思います。つまり古代史解明の基本的な考え方が間違っていたということです。

多くの皆さんは魏志倭人伝は3世紀ごろの日本のことが書いてあるので、正しく解釈すれば邪馬台国も卑弥呼の墓も見つけられると考えてやっていますが、正しく解釈することの意味がよく理解できていません。だからいまだに正しい答えが見つけられないのです。

魏志倭人伝は、西晋の基礎を作った魏の実力者司馬懿の功績を称えるのが目的の政治文書なので、書いてあることが事実と食い違う理由を考えれば、真相に近づけます。



同様に日本の現存する最古の歴史書が天皇が編纂を命じたので天皇の歴史書だと思わされてきましたが、正史「日本書紀」の完成は崩御して34年後なのです。その時の権力者は藤原不比等ですので、天皇の歴史書を借りて藤原氏が権力を握り続ける正統性を述べる文書だったのです。

それよりも前に完成したとされる古事記は9世紀に日本書紀を講義していた学者多人長が突然表に出してきたもので、正史に古事記が完成した記録もありませんし、日本書紀で引用・参照したと分かる痕跡もありません。(2024.8.29 赤字追加)

多くの方は記紀が天皇の歴史書だと信じているので、偽書だと認めることができないでいます。だから真相が謎のままなのです。

不比等は日本が建国される卑弥呼の時代の史実が都合が悪いので、史実が隠されているのです。驚くと思いますが、日本神話は建国の史実を誤魔化すために不比等が創作したものですよ。証拠はいくらでもあります。



ですから、編纂者の目的や意図を考えて、真相を推理して、仮説を構築し、事実、つまり考古学や民俗学などの成果によって検証すると、蓋然性の高い仮説が得られます。そのような科学的な手法で推論を重ねると、ヤマト王権の成立過程が分かります。その中で倭国大乱やその結果生まれた邪馬台国の場所も分かるのです。詳しくは「【刮目天の古代史】古代史を推理する」をご参照ください。

ちなみに、卑弥呼の墓は判明しています。詳しくは「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」「卑弥呼の墓は見つかってるよ!」「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!」をご参照ください(#^.^#)
お邪魔しました(;^ω^)

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