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狗奴国の場所から邪馬台国が分かる!(^_-)-☆

2023-10-20 22:07:02 | 古代史
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2023-10-20 05:33:08に記事にしましたが、うP主様からいいお返事を頂きましたので、更にコメントしました。よろしければおつきあいください(;^ω^)

前回の狗奴国の記事に加えて、以下の動画を発表していただきましたので早速コメントしました。お付き合いください(;^ω^)




とてもいい解説、勉強になります。
多くの皆さんは魏志倭人伝の記述に騙されて狗奴国は熊本にあると思っていますが、狗奴国は纏向遺跡で正解です。
孫栄建氏も「困ったときは范曄に聞け」と「決定版 邪馬台国の全解決」(言視舎2018年)の中で述べておられました。范曄は五世紀の倭の五王の時代の劉宋の人ですから、倭国の正しい情報を入手していたのですよね(^_-)-☆。

そして重要なのは、ご指摘のとおり魏志倭人伝の記述を書き換えて、

女王国の東に渡海すると約千里で狗奴国に至る

と明記しているのですから、纏向遺跡の狗奴国から逆に、瀬戸内海を渡って約450km西の周防灘に面した九州東部に邪馬台国があると范曄は言っているのです。

最初に宇佐説を学説とされた富来隆先生が「卑弥呼 - 朱と蛇神をめぐる古代日本人たち」(学生社1975年)の中で述べられている通り、卑弥呼は宇佐神宮の比売大神=宗像女神で、蛇神信仰(カガミはヘビの眼の意味)の巫女です。

日本書紀に記された三女神の降臨地「葦原中つ国の宇佐嶋」=宇佐市安心院町宮ノ原遺跡の三女神社に居たことを突き止めました。
卑弥呼の径百余歩(直径約150m)の日本最大の円墳「三柱山古墳」を発見しましたし、
卑弥呼に纏わる遺物や伝承が周辺に数多く残されていますので間違いないと思います。
詳しくは「刮目天の古代史 邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」をご参照ください。
どうも有難うございました(#^.^#)


ありがとうございます。とても詳しいコメント、ありがとうございます。
九州説の場合は、宇佐から下稗田遺跡、田川にかけた豊の国全体の領域で邪馬台国かと想像しています


早速、ご回答感謝します。
トヨの国は、卑弥呼の死後の内戦に勝利した大国主久々遅彦(狗古智卑狗、日本列島の大半を版図にしたので後世大国主とされた縄文海人ムナカタ族を束ねる王、兵庫県豊岡市久久比神社の祭神で木の霊ですからスサノヲの子イタケルの子孫、記紀の武内宿禰)によって卑弥呼の後継として女王に立てられた13歳の台与(記紀の神功皇后)に因む場所なので豊国と命名されています。

豊前は、この時代はまだ投馬国だと思います。前回の記事にコメントしましたが、魏志倭人伝に書かれた行程記事や倭の風俗は、倭国王・伊都国男王難升米が政治的な理由で書いて帯方郡太守劉夏に教えたもので、意味のある言葉だったのです(詳細は「伊都国の意味がヒントだった?」参照)。

投馬国は倭国の傘下になったムナカタ海人の族長赤坂比古(和邇氏の祖)に難升米が朝貢していた公孫氏から賜った馬を下賜した国という意味だったのです。魏志倭人伝に、馬はいないとあるのは、多くはいないという意味だったのです。在馬(豊津町節丸の古地名だと推理)という地名が投馬国の長官弥弥(ミミ、赤坂比古の親族と推定、多分、たくさん耳飾りを付けていた部族長、居所が下稗田遺跡を含む「みやこ町遺跡群」などを統括していた)に因む国名と推理しています。

邪馬台国は野麻国(ヤマコク、和名抄の宇佐郡野麻郷で宇佐市安心院町に比定される)に居る女王(台)の国という意味でしたので邪馬壱国はある理由で書き換えられたものだと分かりました。同じ理由で、壱与も台与を書き換えたものです(^_-)-☆

卑弥呼は赤坂比古と大国主の祖父八束命(出雲国風土記の国引きの神)の女(むすめ)との間の子(宗像女神イチキシマヒメ)で姫巫女です。卑弥呼の墓の遥拝所の摂社「八束神社」から推理しています(詳細は「卑弥呼の墓の遥拝所に何がある?」参照)。

大国主の父も狗古智卑狗と呼ばれており(王の襲名)、倭国大乱の英雄でしたが難升米に討たれました。王を喪った赤坂比古が途方に暮れていたところを難升米に懐柔されたので、狗奴国を裏切って倭国側についたのです。狗古智卑狗の墓(山鹿市「茶臼塚古墳(4世紀に和邇氏によって造られたと推理しています)や赤坂比古の墓(宮ノ原遺跡「奥城古墳」、卑弥呼の墓よりも少し小さい直径約120mの巨大円墳)も発見しました(詳細は「大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?」参照)。よろしければ拙ブログをご参照ください。長々と、失礼しました(;^ω^)


【関連記事】
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宇佐は記紀が隠した秘密が満載だ(^_-)-☆
大国主が最初に国造りを行った安心院町佐田地区の米神山(475m)の中腹に石柱が多数、約80km先にある父の墓「茶臼塚古墳」に向けられています。古墳の墳頂には大日如来の石像が置かれており、大国主の本地仏弥勒菩薩が北東にあるので米神山の方角を指しています。さらに不思議なことはこの霊ラインを延長すると400km先に大国主の生誕地の碑にたどり着きます。古代人は超能力者かも知れません。信じるか、信じないかはあなた次第です(【大発見!】大国主命の生誕地か?)


(左クリックでMyMapに移動しますのでご確認ください)


【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!
こちらに卑弥呼の記事をまとめていますので、飽きるまでご参照ください(#^.^#)
今年の夏に現地を見に行ってきました。最新記事は「卑弥呼の墓の遥拝所に何がある?」です。
 





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