┌───今日の注目の人───────────────────────┐
「京セラ創業期秘話 ~前篇~」
稲盛和夫(京セラ・日本航空名誉会長)
『人生と経営』より
└─────────────────────────────────┘
創業して3年目(昭和36年)の5月、
会社は順調に発展していたが、私は自分の考えを
根底から覆されるような事件に遭遇した。
研究者として、自分の開発したファインセラミック技術を
世に問いたいということが、会社設立にあたっての
直接の動機であったが、そのような私の姿勢を
根本的に見直さなければならなくなったのである。
前年春に採用した高卒男子11人が、
血判まで捺した要求書を持って、
私に団交を申し入れてきた。
要求書には、定期昇給やボーナスの保証などの
要求が記さている。
彼らは、その要求書を私に突きつけて、
「会社が将来、どうなるのかわからず、不安でたまらない。
毎年の昇給とボーナスの保証をしてほしい。
もし、保証できなければ、
いつまでもこの会社に勤めるわけにはいかない」
と言う。
私には、とても彼らの要求をのむことはできなかった。
初年度から黒字を出すことができたとは言え、
会社はいまだ手探りの状態で、明日のことなど皆目わからない。
1年先の保証すら請け合えるものではなかった。
しかし、彼らは自分たちの要求が聞き入れられなければ、
全員が辞めると言う。
会社で話し合っても埒(らち)があかないので、
私はその頃住んでいた京都、嵯峨野の市営住宅に
場所を移して話し合いをつづけた。
「先々の給料やボーナスを保証しろというが、
今日どうやって飯を食おうかと日々悪戦苦闘しているのに、
そんなことができるわけがないじゃないか。
君たちを採用するとき、
『できたばかりの会社で、今は小さいが、
一緒に頑張って大きくしていこう』と言ったはずだ。
だから、なんとしても会社を立派にして、
将来みんなで喜びを分かち合えるような会社にしたいと考え、
このように毎日頑張って仕事をやっているのじゃないか」
私は、このように彼らに話し、懸命に説得を続けたが、
当時は社会主義的な思想が蔓延し、
労使の対立という枠組みの中でしか、
ものごとを見ない風潮があった。
そのため、経営者はいつも、そんなまやかしを言って、
労働者をだます。やはり、給与や賞与を
保証してもらわなければ安心して働けない」
と、夜が更けても頑として納得しない。
結局、3日3晩ぶっつづけで話し合うことになった。
3日目に私は覚悟を決めて言った。
「約束はできないが、私は必ず君たちのためになるように
全力を尽くすつもりだ。
この私の言葉を信じてやってみないか。
今会社を辞めるという勇気があるなら、
私を信じる勇気を持ってほしい。
私はこの会社を立派にするために命をかけて働く。
もし私が君たちを騙していたら、私は君たちに殺されてもいい」
ここまで言うと、私が命懸けで仕事をし、
本気で語りかけているのがようやくわかったのか、
彼らは要求を取り下げてくれた。
しかし、彼らと別れて一人になったとたん、
私は頭を抱え込んでいた。
(……明日へ続く)
┌───今日の注目の人───────────────────────┐
「京セラ創業期秘話 ~後編~」
稲盛和夫(京セラ・日本航空名誉会長)
『人生と経営』より
└─────────────────────────────────┘
(※本日はここから↓)
経営者である自分自身でも明日のことが見えないのに、
従業員は経営者に、自分と家族の将来にわたる
保証を求めていることを、初めて心の底で理解したからである。
私は、このことに気がつくと、
「とんでもないことを始めてしまった」と
思わざるをえなかった。
本来なら無理をして私を大学までいかせてくれた、
鹿児島にいる両親や兄弟の面倒をまず見るべきなのに、
それさえ十分にできていない私が、
経営者として赤の他人の給料だけでなく、
彼らの家族のことまでも考え、将来を保証しなければならない。
会社創業のとき、私が抱いていた夢は、
自分の技術でつくられた製品が、
世界中で使われることだった。
しかし、そんな技術屋の夢では、
従業員の理解は得られず、
経営は成り立たないということを、
この事件を通して初めて身に泌みて理解することができた。
会社とは何か、会社の目的とは何かということについて、
このとき改めて私は真剣に考えさせられた。
会社とは経営者個人の夢を追うところではない。
現在はもちろんのこと、将来にわたっても
従業員の生活を守るための場所なのだ。
私はそのとき、このことに気づき、
これからは経営者としてなんとしても、
従業員を物心両面にわたって幸せにすべく、
最大限の努力を払っていこうと決意したのである。
さらに、経営者としては、自社の従業員のことだけでなく、
社会の一員としての責任も果たさなくてはならない。
そこまで考えを進めたとき、
「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、
人類、社会の進歩発展に貢献すること」
という京セラの経営理念の骨格ができあがっていた。
突然の反乱劇で、そのときは驚き、悩み苦しんだが、
おかげで私は若いうちに経営の根幹を理解することができたと思う。
それは、経営者は自分のためではなく、社員のため、
さらには世のためにという考え方をベースとした経営理念を
持たなくてはならないということである。
これを創業3年目という早い時期から経営の基盤に置いた結果、
京セラはその後大きく発展することができたのだと私は考えている。