昭和51年(1976) (82歳時)
昔、石田三成という武将がありましたな。
太閤秀吉に仕えて出世し、太閤さんの気に入って、
太閤さんが天下をとったあとは、5奉行の一人となって行政をつかさどった人であります。
その石田三成が、なぜあれだけ出世したのかということを、
このあいだフッと考えたんです。
石田三成の最後、皆さんもご承知のように四条河原で首を切られるという、
当時の武将としてはあまり立派ではない姿で、結末ははなはだ気の毒な状態で終わったんでありますが、
そこまで行く過程を見ますと、みごとと申すほどすみやかに出世していって、
大大名とはいえなかったけれども、中大名になったわけです。
しかもそれだけではなく、天下の兵を動かし、
関ヶ原の西軍の総大将となって一戦に臨んだ。
そういう非常に波乱万丈と申しますか、偉大な仕事をした人でありますが、
その三成がどうして太閤さんに気に入られたのか、
加藤清正とか福島正則とか、そのほかの武功のかくかくたる人と違って、いわゆる戦場の功労というものはあまりない、
気の利いた小姓であったという過程を経てきた人であるにもかかわらず、どうして最高の出世をしたかということです。
これを私はこのあいだ、晩に寝ていて考えてみたんです。
太閤さんが偉い人であったことは、いまさらいうまでもないと思うんでありますが、
ああいう境涯から当時の天下を取った人でありますから、運も強いし立派な人である。
その人が、どうして三成をかわいがったか、
そして5奉行の一人に据えたかということであります。
むろん私はそばで見ていたわけではありませんから知る人ぞ知るよしもございませんが、
私なりに考えてみますと、太閤さんが信長のもとで幾多の戦功を立てて、だんだんと出世して、
ついに天下を取っていくその過程に、三成が非常に必要であったんやないかと思うんです。
というのは、太閤さんは非常にらいらくな人であり、
おおっぴらで屈託を知らない、
ほとんど悩みというものをもたないような性格であるというように、
一応認められております。
そしてたいへん派手な人で、桃山の花見の宴でも、
当時の絵描きさんに百そうの屏風を描かして、
前代未聞と申していいような派手な大茶会をやりました。
また、することが非常に大げさなふるまいで、
しまいには日本だけではこと足らんというので、
朝鮮にも手出しをしたということになっております。
その太閤さんのお気にかなって、三成がだんだんと成功していったわけですが、後世の歴史から考えますと、三成が小姓として気が利いており、
小器用に間に合うから、非常に信頼し、使ったということもあったんだろうと思うんであります。
しかし私は、そこが非常に問題やと思うんです。
太閤さんが小事にとらわれない、非常におおらかな人であった といっても、ほんとうにそうであったんかどうか、ということを考えてみたんです。
そうすると太閤さんは、花見一つでも派手にやる。
やることも派手であるし、声も大きいし、非常に愉快な人だったと思うんですね。
しかし、一面に私は、非常に繊細な心の持ち主であったと思うんです。
そういう繊細な心の持ち主がもっている悩みというものをよく察して、
そしてかゆいところに手が届くような、こまめな奉仕ぶりをやったのが三成やないかという感じがするんです。
そうでありますから、
もし三成に代わって福島正則のような人が小姓としてついておったならば、太閤さんは天下を取れてないかもわからん、という感じがいたします。
まあ太閤さんといえども、自分の怒りなり愚痴なり、そういうものはたくさんもっておったと私は思うんです。
それを訴えたい、しゃくにさわってしかたないやというて話したいと思っても、うっかり話はできない。
それが積もり積もれば、神経衰弱になるということもあるかもわからん。
けれども、信長に仕えてだんだん天下を取っていく、
戦争で勝つていくという非常に危険といえば危険きわまりない日々を送る中で、
太閤さんが神経衰弱にならずして、反対に陽気な人であったのは、
その愚痴を、その悩みを三成に訴えていたからでしょう。
三成だけが「分かりますよ」
「承知しました」
「こうですよ」と、愚痴をよく聞いてあげたんでしょう。
皆さんでも、部下をたくさんおもちになっていると思いますが、
部下のうちに、だれか一人、自分の悩みを訴えられる人があるかどうか。
あれば非常に皆さんは精神的にお楽になると思います。
けれども、幸いよく働く人がたくさんあっても、
自分の悩みを訴える部下がなかったら、これは疲れますよ。
それでは自分の働きが鈍ってくるということもあるわけですね。
ところがそういう部下があったならば、社長でも部長でも、課長でも、
その人のもてる力全部を生かすことができるということになる。
家へ帰って奥さんに愚痴を言うことも、ストレスの解消になりますけれども、そこまでいくと具合悪い。
やはり自分の直接の部下の中に、すべてを訴えられる、
機密を打ち明けられるという人があれば、これは非常に楽やと思うんです。
だから、その人がいい働きをするかしはいかは別として、愚痴を訴えられる人、
うまく愚痴を聞いてくれる人、そういう
部下があれば非常に助かると思うんです。
私はそういう意味において、三成が太閤をして太閤たらしめたのは、
太閤さんがもっている愚痴を全部彼が吸収して、
「分かりました。心配しなさんな。やりなさい」
というようなことを適当に言うたからやと思うんです。
皆さんが今後責任者としていろんな仕事をしていく上において、
そういう部下、
そういう話し相手というものが、できるかできんかという問題、
これは一つは運命でしょうけれども、
そういう人ができる運命をもってできる運命をもっているということが非常に大事であると私は思います。
そうすると三倍も四倍も働けると思います。
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